第7話 封じられた記憶

「え?入れてくれないの?何で?」
 茶色い煉瓦で造られた巨大な門の前で、カナが呆然となったのは正午前のことだった。
「何でと言われましても、そういう決まりになっておりますので」
「だから、王都とは関係無いって言ってるじゃないかーっ」
 そう主張する少年は、少なからず王都と関係があるように思える。下手に口を滑らせると面倒なことになるのは間違いないため、見守ることに徹しているが。
「ですから、その証拠となる物を見せて頂かないことには」
「そんなの聞いてないよっ」
 確かに、自治領区に住むセウスも初めて知った。村の掲示板でも見なかった気がする。ピエロも、そのようなことは言っていなかった。とは言え、「はい、そうですね」と通してしまえば門衛が見張る意味が無い。両者の言い分は、決して間違っていないのだ。
「こっちには、病人もいるんだってば」
 カナはセウスの腕を掴んで、大きく揺さぶる。必死なのは分かるが頭痛に響くため、正直に言うと止めて欲しいと青年は思った。
「だから入れてよ。可愛くて、か弱い少年が、こんなにお願いしてるんだよ?」
 大きな緑色の瞳が、門衛を見上げる。可愛いはともかく、か弱い様子は学都に到着して以来、1度も見せてはいない。
「お願いされましても……通せないものは、通せませんよ」
 若い門衛は、心底困った顔をしている。彼も仕事中の身なのだ。セウスから見ても、非常に気の毒な立場に立たされていると思う。
「けちー。馬鹿ー。いたいけな少年をいじめるなんて、変態ーっ」
 精神的に追い詰められているところに、大声でそんなことを叫ばれては堪ったものではないだろう。「ば、馬鹿っ」と慌ててカナの口を塞ぐ門衛を見て、再度セウスは気の毒なことだと思った。カナはと言えば、「馬鹿じゃないもん」とでも反論しているのだろう。くぐもった声が、指の隙間から漏れ聞こえている。
 このような言い合いが、もう半刻は続いていた。門衛のカナに対する印象は、時間の経過と共に悪化しているだろう。ルージュは関係ないといった感じで、かなり前から籠の中で寝息を立てている。セウスもカナに何度も揺すられ、頭痛が酷くなってきていた。この状態を続けるのは、明らかに無意味だ。
「なあ、カナ。俺は良いからさ。1度戻って、入る方法を考えよう」
「ああ、セウスお得意の『こっそり侵入』だね」
「得意じゃないっ」
 門衛の手を外すことに成功したカナの言葉に、思わず叫んでしまう。侵入などといった行為は、クランケットがいる研究所に入った時の1度きりのはずだ。何故それを、カナが知っているのだろう。
 考える間もなく、門衛が眉を寄せてこちらを睨んでくる。セウスも悪い印象を持たれたことが明白だった。それがまた、眩暈を起こす一因となる。出直す気力すら失ってしまいそうだ。
 八方塞がりかと思われた時、門の中からこちらに近付いてくる人物がいた。
「さっきから、何を騒いでいるんだ?」
 尋ねた声は穏やかなものだったにも関わらず、門衛は姿勢を正して敬礼する。
「これは、ファント教授。いえ、実は2人連れの少年が学都に入りたいと申し入れてきたのですが、王都以外のところから来たという証がありません故」
「追い出そうとするんだよ。この、いたいけな少年と病人を」
「こ、こらっ。すみません、ファント教授」
 門衛が、無理矢理カナの頭を下げさせようとする。対して教授と呼ばれた人物は、片手を上げて制した。
「いや、いいよ」
 静かに、しかし楽しそうに笑う目の前の彼が『ファント』という人物だろうか。ハングやクランケットが随分と慕っているようだったが、セウスはある種の違和感を覚える。
「うわ、アルが笑ってるよ。気持ち悪ーう」
 顔をしかめて退くカナに、セウスは心の中で同意した。ファントの顔は、自動人形のアルそのものだったのだ。
 カナの言葉に教授は目を丸くし、門衛は少年の頭をはたいた。
「いってーっ。何するんだよ、馬鹿っ」
「それは、こっちの台詞だっ」
 門衛の脛を蹴るカナと、目に涙を浮かべて抗議する門衛。子供のような2人を、ファントが優しく宥める。
「まあまあ、2人共。少し落ち着きなさい。それより、王都以外のところから来た証というのは、証言でもいいのかな?」
 門衛は戸惑いながらも、再び背筋を正した。
「はあ、まあ、信用できる人物の証言であれば」
 ファントは一つ頷くと、セウスに視線を移した。森の朝を思わせる、涼やかな瞳だった。
「彼の言葉は、この辺りのものと調子が微妙に違う。この語調は、カール地方古来から使われるものと非常に近いものがある。カール地方は学都に割りと近い南東を指し、王都の住人が使う北方のチップ訛りとは、ほど遠い。つまり、彼が王都出身者である可能性は、極めて低いのである。以上」
 早口で説明され、セウスは呆然となる。門衛もカナも、同様だった。彼等の様子を見ても、教授は構わない。
「だから、彼等の身元は私が保証する、と言っているんだよ。それとも、私の証言では信用性に欠けるかな?」
 笑顔で小首を傾げられ、我に返った門衛は慌てて首を何度も横に振った。
「そそそ、そんなっ。滅相もありません。自治領主様からの信用が最もあるお方を疑おうものなら、誰1人としてここに入ることはできなくなりますよ」
「そうか。じゃ、彼等は学都に入ってもいいんだね?」
「もちろんですよ」
「それじゃ、彼は本当に調子が悪いみたいだから、これで失礼するよ。2人共、来なさい。中を案内しよう」
 3人は、石畳を足早に進む。門が見えなくなったところで足を止めると、ファントは深く息を吐いた。
「やれやれ。彼が、語学に詳しくなくて良かったよ。でたらめを言ったわけではないんだけど、古代言語学は私の専門ではなくてね」
 確かに、門衛が語学に疎かったのは幸いだったろう。セウスのように、生まれは王都、育ちは自治領という例も、稀にだがあるのだ。そこに考えが行き着かないほど呆然となったのは、ファントが自治領主に目を掛けられている人物であり文学部教授でもあるという先入観と、早口でまくしたてた機転が幸いした結果だった。
 彼は自分の腕にまとわり付いているカナを見ると、目を細めて優しく頭を撫でる。
「それに、君が自動人形だとばれていたら、絶対に入れてもらえなかっただろうからね。少し焦ったよ」
「じゃ、アルがいたら完全に駄目だったねー」
 一目見ただけで自動人形だと見抜いたファントの凄さには一切触れることなく、カナは大声で笑う。セウスには、見抜けた理由もカナが笑う理由も、よく解らない。とりあえず、単純に答えが出そうなところから尋ねてみることにした。
「どうして、自動人形は駄目なんですか?」
「ああ、君は知らないんだね?学都は王都以上に、生命科学に対する制限が大きいんだよ。自動人形は、ここでは禁止されているんだ。材料に使われている液体が、生命科学に関わるものだからね」
 答え自体は単純なものだったが、まったく想像できない。
「へえ」
「その顔は、あまり理解していないね?」
 相槌を打ってはみたものの、ファントに図星を差されてしまう。今まで科学とほど遠い場所で暮らしていたせいだと心の中で言い訳してみるものの、頬は熱くなるばかりだ。
「まあ、そのくらいの方が良いと私は思うけどね。そう言えば、自己紹介がまだだったね。私は、ハイエロファント。察しがついていると思うけど、ここで文学部教授をしているものだよ」
「俺、カナー。おじさんのこと、ファントって呼んでいい?」
 屈託のない笑顔に、ファントは軽く目を見開いた。どう見ても若い人を捕まえて、「おじさん」は無いだろう。
「お、おい、カナ」
 カナを諌めようとセウスが声を掛けるが、目を輝かせている少年には聞こえていないようだ。主人に喜んで尻尾を振る小動物にさえ見える。
「いいよ、カナ君」
「うわーいっ。ファント、ファント」
 ファントの周りを飛び跳ねながら回っているカナに、ファントは苦笑する。子供には何を言っても勝ち目が無い、と悟っているのだろうか。カナがようやく止まってファントの手を握ったところで、落ち着いた緑色の瞳がセウスに向けられた。
「あの、俺は」
「セウス君、だね?話は聞いてるよ。ハングなら、私の部屋にいるはずだ」
 周りの空気を溶かすかのように、柔らかく笑った。その笑顔が、セウスに懐かしさをもたらす。どこかで見た気はするのだが、どこでだったかが出てこない。アルは笑わないし、いつの記憶なのだろう。
「セウス?」
「セウス君っ」
 頭痛が急に酷くなり、視界は黒く染まっていった。

 ◆◆◆

 セウスがまだ10歳に満たない子供だった頃、家族は研究仲間と共に、広い研究所から逃げ出した。逃げた先も研究所を随分と小さくしたような場所だったが、それでも穏やかな空気に包まれていた。
 ただ当時の彼は、友人だったクランケットと急に会えなくなってしまった寂しさから、誰もいない所で落ち込むことが多かった。もし人がいる場所でそんな様子を見せれば、たちまち気遣う声が掛かるだろう。大人達を心配させてしまうのも嫌だったが、無理に笑顔を作って「何でもない」と応じるのが苦痛だったのだ。
 沈んだ日々を過ごしていた時、出入り禁止の部屋に入り込んで、あるものを見つけた。
 明るく差し込む光。緑が濃い樹木。微かに吹く風。鳥の声。水の音。まるで、森に迷い込んだような感覚。花の香りも、足に触れる草も、どれもが本物。けして仮想現実などではないことは、彼が持つ能力で分かっていた。
 そんな大自然で、一つ不可思議な物があった。恐る恐る手で触れてみる。
「玻璃の、壁?」
 玻璃でできた重厚な壁は、家全体を思い返せば別段珍しい物でもないかもしれないが。
「どうして、こんな所に?」
 円柱状のそれに、耳を寄せてみる。水の中を空気が移動していく音がする。頬に触れる玻璃は、体温に近くて心地が良い。微かに聞こえる規則正しい音の間隔は、心音のようだった。
 ふと目を上に向けた時、中に何があったのか。考えてみるが、思い出せない。
 それからというもの、彼は気分が沈む度に周りの人間の眼を盗んで、その部屋に入った。とても和んだからだ。
 しかし、穏やかな時間も長くは続かなかった。昔いた研究所の人間が突然、押し入ってきたのだ。悲鳴が上がる中、母親は彼と妹を連れ出した。研究員達に見付からないように物陰に隠れながら、家の中を慎重に進む。そこで見た幹部らしき者の目だけは、記憶している。怒りに満ちた眼。
 その眼を見て更に恐怖心を募らせた彼と妹が入れられたのは、出入り禁止となっていた部屋の奥に隠された小部屋だった。不安そうな顔をしている妹を抱き締め、息を潜めていると、やがて戸の向こうが静かになった。
 外に出て、いくつかの異変があった。壊された壁。倒れた人々に、床に流れる赤い血。お気に入りの部屋の木も、折られたものが何本かあった。
 果たして、気付いた事はそれだけだっただろうか。
 書類が散乱していた。何枚かは、持って行かれたかもしれない。しかし、研究員達が侵入した理由も、両親が研究所から出た理由も、直接そこに繋がるとは思えない。
 部屋を振り返った少年が見たものは……。

 ◆◆◆

「うわっ、ルージュッ」
 目の前に、ルージュの顔があった。
「ルージュ、おまえ無事だったのか?なんで逃げ……あれ?」
 勢いよく起き上がり、辺りを見回す。淡い茶色を基調とした落ち着いた色合いの部屋は、見慣れないものだった。明らかに研究所とは違う風景から、徐々に現実に引き戻されていく。記憶が確かなら、既に学都の中にいるのだろうか。
 微かにうずく自分の手を見る。数日、森の外の世界を歩き回っただけにも関わらず、傷だらけだった。幼い頃のものとは、随分と大きさも形も変わってしまった。
「俺が、でかい。夢、だったんだな。で、ルージュは何してたんだ?」
 床へと転がり落ちてしまったルージュは、威嚇するように毛を逆立てている。
『うなされてたから、覗き込んだんだよっ。人がせっかく心配してあげたのに、その態度は何なのさっ』
「ご、ごめん、ルージュ」
 怒るのも無理はない。セウスは、素直に頭を下げた。
『分かれば、いいよ。それよりさ、教授様にお礼言っといた方が良いんじゃない?倒れたセウスをここまで運んでくれて、医者まで連れてきてくれたんだから』
「え?」
 ルージュの言葉にもう一度部屋を見回すと、窓辺にファントとハング、白衣を着た女性が1人いた。
「調子はどうですか?頭痛は、まだします?」
 1番に声を掛けてきたのは、ハングだった。
「平気。もう、治まったみたいだ」
「そうですか。それは良かった」
 安心したように微笑む。やはり根は良い奴だとセウスは思った。
「長椅子しかなくて、悪いね。あそこからだと、街に下りるより教授棟に来た方が早かったものだから」
 申し訳無さそうにハイエロファントは言うが、迷惑を掛けたのはむしろセウスの方だ。門からはだいぶ離れていたし、カナは籠を抱えていたため、1人で運んだのだろう。そう言えば、カナの姿が見当たらないが。
「構いませんよ。俺の方こそ、ご迷惑をお掛けしました。あの、カナは?」
「ああ、カナ君なら」
「人を待たせてるからって、だいぶ前に帰りましたよ。僕が、門まで送って差し上げたんです」
 カナの名前を出した途端に、ハングが不機嫌になった。口達者であるカナのこと、彼に余計なことを言ったに違いない。とばっちりが来なければ良いが。
「心配しなくても、大丈夫ですよ。爆発した後ですから」
 女性が笑うと、ハングはあらぬ方を向き、ファントは苦虫を噛み潰したような顔をした。今回向いた矛先を悟る。
「それより、セウスさんでしたか?調子は良いみたいですが、一応薬をお渡ししておきますね。今から飲んで、もう少しお眠りになった方が良いでしょう。起き上がっても、またすぐに倒れてしまうでしょうから」
「あなたは?」
 受け取りながら首を傾げる。外はねにした銀髪に、赤い瞳。紫色の枠の眼鏡に、白衣の下に着込んだ赤い服。どこを取っても印象的な外見をした人だ。
「私はフルール。学都で医者をしている者です。頭痛は緊張と疲れからきたもののようですから、3、4日は休息してください。あなたのことは、ファント教授にお任せしましたので」
 ハイエロファントの方を見ると、笑顔で頷いた。
「私はまだ講義があるから、ハングと帰って休みなさい。長椅子よりも、身体が休まるだろうから」
「あ、ここで待たせてもらえますか?身体がだるくて動きづらいし、ここでも足が伸ばせて充分休まりますし。ハングも何か用事があるかもしれませんし」
「別に無いですよ」
 そのつっけんどんな物言いと、微妙な機嫌の悪さが嫌なのだ。カナは何をしたのだろう。
「じゃあ、ハングには私が用事を作ってあげよう。頼まれてくれるよね?」
 セウスの意図を酌んだハイエロファントが満面の笑みを浮かべれば、断れないハングがいた。ほんの少しのやり取りでも、日常の様子がよく分かる。少し同情心さえ抱いてしまうのは、何故だろうか。
「さあ、セウスさんは薬を飲んで、お休みなさい」
 フルールに手渡された水で、粉薬を流し込む。とても苦い。
「ほら、早く寝て。できれば起きた時に、記憶がきれいさっぱり無くなっているように」
 ハングが、強引に寝かせつけてくる。そんなにハイエロファントとのやり取りを人に見られたことが気に食わなかったのだろうか。
 再び寝転がると、頬に柔らかい毛が触る。隣を見ると、いつからそうしていたのかルージュが気持ち良さそうに寝息を立てている。こちらまで誘われてしまいそうだ。
「それじゃ、ファント教授。仕事に戻りますから、これで失礼します」
「私ももう教室に向かう時間だから、そこまで送ろう。ほら、ハングも来なさい。おやすみ、セウス君」
 優しい声音の後、扉が静かに閉まる音がした。廊下から彼の話し声が聞こえたが、内容はよく分からない。
「大丈夫。副作用は、ありません」
 断点するフルール女医。ハイエロファントが心配して、聞いたようだ。それほど強い薬、ということだろう。
 そう言えば、とセウスは考える。先ほど夢を見ていたようだが、何だったかが思い出せない。白く靄が掛かっていて、はっきりと見えてこないのだ。ハイエロファントが出てきたように思うが、気のせいだろうか。暖かい雰囲気が感じられるからだろうか。
 眠さのせいで、どうでも良くなってきてしまう。睡魔に意識を任せて、現実世界を手放した。