第9話 学都の協力者

『うわっ、最悪だね』
 ルージュの言葉で、セウスは凍りついた。
 事故現場である元生命科学部棟からハイエロファントの屋敷へ戻る途中で、ルージュと大きな荷物を抱えた大柄な中年男性に出会った。彼が羽織る丈が膝下まである長い上着は、有名な高級店のものだ。フルールに借りた雑誌に同じものが載っていたため、セウスでも知っている。
 いかにも金持ちであるこの男性は、ブライアンという生物学部教授で、ハイエロファントの友人だという。見た目からしても2人は歳が離れているようだし、性格も違うようだから、少し意外な組み合わせだ。
 逆にハングの方は、彼を苦手としているらしい。少し見比べただけでも、お世辞にも気が合いそうとは言えず、納得がいく気がした。
 ブライアンは街に出掛けたところをフルールに呼び止められ、ルージュを返してきてほしいと頼まれたらしい。ハイエロファントの屋敷を訪ねてみたが留守だったため、1度自分の教授室に戻り出直そうかと考えていたところのようだ。どこに行っていたのか、と問われるため文学部教授が、事故現場に行ったことからセウスが川に袋ごと落ちそうになったこと。その際、お金をばら撒いたことまで、乗せられるままに話してしまったのだ。
 そこで出たルージュの言葉が、先のものだった。
 しっかりと反省した後で、ハングと同じ言葉を吐かれたことがセウスの心を深く抉った。自分への様々な非難の声が、また頭の中で回り始める。
 すっかり意気消沈してしまった彼をブライアンは、落とした時のことを思い出して悲しんでいる、と解釈したらしい。
「そりゃまた気の毒なことだな。ま、そんなこともあるさ。元気出せって」
 景気づけのつもりか、片手で器用に荷物を持ちながらセウスの背中を力強く叩いた後、ルージュを彼の肩の上に移した。
「元気出すのに、いーもんがあるぞ。ファントの教授室まで行こう」
 薄茶色の箱を突き出され、セウスは一歩身を退く。
「な、なんですか?それ」
「ゲーム機だよ、ゲーム機」
 生物学部教授は、得意気に笑った。口元に刻まれる笑い皺が印象的だ。
「まさか、それを買うためだけに街に下りたんですか?講義は、どうされたんです?」
「その前に、なぜ目的地が私の教授室なのかな?」
 ブライアンに尋ねた2人の顔は、同じような表情をしている。半ば呆れ顔、というやつだ。
「そのまさかだよ、ハング君。君は誕生日に『改造』をファントから貰ったようだが、肝心の本体を持っていなかっただろう?コンピュータの機種によっては起動できるものもあるようだが、やはりゲームはゲーム機本体でやらないとなっ」
「それで……僕の誕生日の贈り物のためだけに授業を休講にして、わざわざ買いに行ってくださったわけですか?」
「あーそうなるな。ありがたいだろ」
 大声で笑うブライアン教授に、ハングの棘が含まれた言葉は通じなかったようだ。こめかみを引きつらせているハングが、ありがたいと思っているわけがない。
「ブライアン。それで何故、私の教授室に持っていく必要があるんだ?ハングの部屋に持っていけばいいだろ?」
 確かに、ハイエロファントの言うことは正しい。
「だって、そしたら俺が遊べないじゃないか」
 ブライアンの言うことも正しい。ハングが、ハイエロファント以外の人間を自室に入れることは、まず無いと言って良いだろう。
「それじゃ、百歩譲って私の屋敷のどこかでいいだろう?教授室は仕事場の内だぞ?」
 それは、正論というものだ。
「授業の合間に、いちいち居住区に下りるのか?それじゃ、面倒だろう」
 それは、単なるわがままというものだ。
「授業の合間に、いちいち私の教授室に来るつもりか?それじゃ、私が迷惑だろう」
 ブライアンの台詞を拾って返す文学部教授はすごい、とセウスは思う。
「いいだろ?今とさして変わらないし」
 平然と返すブライアンはもっとすごい、と彼は思う。
「良くない。たまには、きっちり仕事しろ。助教授達を安心させてやったらどうだ?仕事ができないわけじゃないんだから」
「おまえこそ。たまには、きっちり休憩しろ。俺やハングを安心させてみたらどうだ?遊びを知らないわけじゃないんだから」
「私は、ちゃんと休憩してるよ」
「俺だって、ちゃんと仕事してるぞ」
 言い合いになってしまった2人の教授を、セウス達は少し離れた場所で見守ることにした。
『すっごいねー、あの2人。気が合うのかと思ったけど、けっこう仲良さげじゃない?』
「うーん、そうかな」
 ルージュの言葉に、首を傾げる。
「何がですか?」
 横からハングに問われたのでルージュの言葉を告げれば、彼も「さあ、どうでしょう?」と同じように首を傾げた。
「ただ僕が知る限りでは、周りにはいなかった人種かもしれませんね」
 だからこそ、逆に新鮮なのだろうか。知り合いが少ないセウスには、よく分からない。
「それで。あの2人って、いつもああなのか?」
「ええ。たまに言い合いになれば、あんな感じですね」
「たまに?」
「いつもだったら、ファントが引きますからね。彼は機械系が嫌いなので、持ち込もうとするとこうなります。映写機の時も、調理器の時も、冷蔵庫の時でさえそうでしたね」
 ハイエロファントの教授室に置いてあった家電の数々は、ほとんど持ち込まれた代物だったのだ。
「でも、危なげなく使いこなしてたじゃん」
「別に、使えなくて嫌いなわけではないんですよ。逆に、簡単に使えてしまう自分が嫌いというか。昔にたくさん嫌な事があったために、科学自体に嫌気が差してるんですよ。だから文学部を選んだようですが、今は黒板も映像化の時代ですからね。そうそう、うまくはいきませんよ」
 セウスは、ハイエロファントと肩を竦めるハングを見比べる。
「ハングって、ファントのことよく知ってるんだな。息も合ってるし。そう言えば、2人って似てるんじゃないか?」
 顔を覗き込もうとすると、嫌そうに1歩退かれた。数日一緒にいるにも関わらず、この態度は相変わらずだ。
「それはそうですよ。血が繋がってますから」
「血が繋がってるって、従兄か何か?」
「まあ、そんなところですかね」
「へー、おまえらってそうだったのか。保護者役ってだけの割には、仲良すぎだと思ったぜ」
 突然会話に割り込んできたのは、つい今までハイエロファントと言い合っていたブライアンだった。
「決着はつきましたか?」
「おう。今からゲーム大会決定だ」
 たいして興味が無さそうに尋ねるハングに、彼は心底嬉しそうに笑った。
「で、しょうね」
 ハングは溜め息を吐くと、いまだ不満そうなハイエロファントの傍らへ歩いていった。金糸の頭が2つ並ぶ。単純だとは自分でも思うが、血縁者だとより似ているようにセウスには見えた。
『反対したところで無駄なんですから、不毛な言い合いは止めればいいのにって言ってるよ』
 人より幾分か耳が良いルージュが、耳元で報告してくれる。周りにはセウス以外に言葉を解する者はいないのだが、何故か普段より抑えた声だ。
「きっと全敗なんだろうな」
『なんか、かわいそうだね』
「ん?動物と会話か、セウス君」
 小声で話していると、頭一つ上のところから声が降ってくる。見上げてみると、ブライアンが新しいおもちゃを見つけた子供のような顔をしていた。
「いーな。ぜひ、君を調べてみたい。明日、俺の教授室に遊びに来ないか?」
 そう言えば、この人は生物学の教授だったのだ。今更のように思い出す。
『この人の教授室に遊びに行ったはずなのに、逆に遊ばれちゃったりしてね』
 ルージュの言葉で、背筋に寒気が走った。実験用の蛙の代わりになどされたくない。
「え、遠慮しておきます」
「なんだ、つまらんな。ま、気が向いたら来い。今は、ゲーム大会を存分に楽しもう」
 口元を引きつらせながら言うと、教授は笑いながらハイエロファントの方へ行ってしまった。
『なんだ、つまらんな。だって』
「あの人って、あれでけっこう怖い人なのかもな」
 セウスとルージュはハングに呼ばれるまでの間、その場を一歩も動くことができなかった。

 ◆◆◆

 ブライアンによって無理に開かれたゲーム大会を1番喜んだのは、実はセウスだったのかもしれない。ブライアンが線を繋いでいくのを興味深げに見ていたかと思えば、説明書を読み始めたりする。それでも途中で分からなくなったのか、説明書を投げ出して箱を回転させながら観察している。まったくもって落ち着きが無い。
 もっとも、自然の中で遊び回ることがほとんどだったのだろう。こういったゲームをやるのは、恐らく生まれて初めてのことに違いない。とすると、ゲーム大会を催すのも悪いことでもないかもしれない。
 画面が立ち上がり、名を呼ぶブライアンの元にハングは歩み寄った。右手には、今回の名目であるハイエロファントからの贈り物を持っている。
 『改造』と題名が付いたこのゲームは今、都中で1番人気があるようだ。複数の短い話を遊ぶことができる、といった類のものらしい。競技用ホバーカーの技術師の一員となって車を改造し、優勝させる。革命家となって、世の中を改変していく。そういった『改造』を主題にした物語が集められている。どちらかと言えば頭脳系と呼ばれる遊びだから、学都で話題となるのも不思議ではない。
 もっとも、セウスには少し難しいかとは思うが。
「こういう類の遊びはあまりやったことが無いですから、どうでしょうね」
 個人向けのゲームというものは自宅には置いていないため、本当に経験があまり無い。サエリハ達に寮へ連れて行かれた時に遊んだことがあるだけだ。片手にも満たない。
 首を傾げながら、長椅子の端に座る。同じく経験が無さそうなハイエロファントが隣りに座り、楽しそうに画面を見ている。適当に選んだ物語は、案外楽に終わらせることができた。
「これは、たいしたことなかったですね。やっぱり革命家を選んだ方が良かったかな」
 覗き込むようにして、保護者の向こう側にいるセウスに声を掛ける。いまだ画面に釘付けになっていた彼は、名前を呼ぶと肩を跳ね上げた。
「セウスさんも、やりますか?」
 何故か目を泳がせているセウスを疑問に感じ、今まで彼が凝視していた画面に目を遣る。なんとなく理由が分かったような気がした。
「セウスさんには、どれも難しいかもしれませんね。あ、建築家なんてどうです?家を好きなように改築するだけみたいですから、セウスさんにもきっとできますよ」
 建築家のところまで矢印を移動させてから操作機を渡してやると、何故か拗ねた子供のような顔で睨まれた。ハングとしては、親切心のつもりだったのだが。
「まったくやったことないなら、こっちやってみたらどうだ?玉を投げたり跳んで避けたりしなきゃならんが、操作が簡単だから、すぐ慣れるぞ」
 背もたれの向こうからセウスに声を掛けたブライアンに、ハイエロファントが席を譲る。操作の邪魔だからと、ルージュはセウスからハングの膝に移動した。
 操作機を手にしたセウスは横からブライアンに指導されているのだが、どうも動きがぎこちない。ボタンの位置が把握できない間は、操作する度に画面から目を離していた。しばらくして慣れてきても、跳べば腰を浮かせ、左右に移動すれば腕や足も同じ方向に動く。本人が必死なうえ、失敗する度にルージュに笑われて、彼の顔は時間の経過と共に赤くなっていった。
「だったら、ルージュもやってみろっ。対戦で勝負だっ」
 とうとう我慢しきれなくなったらしい。勢いよく立ち上がると、ルージュに向かって人差し指を突きつけた。それに対して高い声で鳴いたルージュは、舌を出して挑発している。
「『いーよ。負けて泣いても、知らないからねー』だって。おまえこそ、後で泣いても知らないからなっ」
 怒っているのに、わざわざ通訳するのもおかしなものだ。ハングは呆れてセウスの顔を見たが、ブライアンはますます乗り気になったらしく勢いよく自分の膝を叩いた。
「おっ、いーね。ゲーム大会らしくなってきたじゃないか。俺も混ぜてくれよ」
 いかにも大騒ぎになりそうな中に巻き込まれてしまっては、堪らない。ハングはルージュを長椅子の上に移してやると、早々に長椅子の傍から退散した。
 本来なら部屋の主であるハイエロファントと、執務机がある窓際から傍観を決め込む。この時ばかりは、無駄に広い教授室がありがたい。
「うーん。ルージュ君は、なかなか器用だね」
 ハイエロファントが感心するように、意外にもルージュはゲームが上手かった。よくも細い手足を使いこなせるものだ。小動物の割に、知能も人並みにあるということだろう。
「ハングは、あれに参加しなくていいのかい?」
「いいですよ、別に。見るからに、むさ苦しそうじゃないですか。あそこの空気」
 ブライアンは普段から声が大きい方だが、セウスまで興奮して声を張り上げている。よく隣りから苦情が来ないものだ。
「こらこら、冷めた目で見るんじゃないよ。でも確かに、皆して負けず嫌いのようだからね」
 人を諭しはするものの、自分でも3人の中には入りづらいものがあるのだろうか。
 苦笑する保護者に、さきほど席を立ちざま取り戻した『改造』を見せる。
「なあ、父……いえ、ファント教授。このゲームのことなんですけど」
 手の中の物を目にしても、ハイエロファントの表情は穏やかなものだった。
「うん、噂通りだね。回路の一つくらいなら、壊せそうだ。目的は分かってる。好きにしなさい」
「はい」
 1度目を閉じると、「あー、今のは卑怯だぞ、ルージュッ。もう1回だっ」と喚いているセウスに声を掛けた。
「呼んだ?」
「ええ」
 セウスに続き、ゲームを一時中断させたブライアンとルージュもこちらを見る。彼等には、親子の会話が聞こえていなかったようだ。
「研究所のことなんですが、主要のコンピュータはご覧になったんですよね?」
 ゲームとまるで繋がらない話にセウスは1度天井を見ると、「ああ、クランケットの」と呟いて顔を戻した。
「ああ。見たけど?」
「機種は、分かりますか?」
「へ?」
 間の抜けたような返事に、大きな溜め息が出る。
「そうでしたね。せめて企業が作った物か、自作の品かくらいは知りたかったんですけど。聞いた僕が馬鹿でした」
「そりゃ、悪かったな」
 頬を膨らませたセウスだったが、ルージュが何かを訴えるのを聞いて訳し始める。
「『あそこのは企業の物を寄せ集めて、改造したやつだよ。大元の機種は、えーすおぶぺんたくるず』だって」
 心の底から驚いた。この頭の良さは、考えていた以上だ。
「すごい。セウスさんより、よっぽど使えるじゃないですか」
 不貞腐れるセウスをよそに、『そーでしょ?』と言わんばかりにルージュは胸を張る。とは言え、セウスがいなければ、その頭の良さも充分には生かされないのだが。
「しかし、王都産ですか。それって、こういったディスクは読み込めるんですかね」
 王都にいた頃は研究所にいることが主だったため、自治領区産のディスクを試しに読み込ませてみるなど思いも寄らないことだった。街で暮らしていたブライアンはどうだろう。目が合うと、彼は口元に皺を作って笑った。
「『エース・オブ・ペンタクルズ』だろ?あれは伝説の空飛ぶ研究所から名を取った、万能機種だ。自治領区産のディスクだって、容易に読み込めるぞ」
 やはり、思わぬところで頼りになる男だ。きっと他にも、いろいろ試しては遊んでいたのだろう。後で己のためになるなら、けして無駄なことではない。
「伝説の空飛ぶ研究所?」
 セウスは、コンピュータとは違うところに引っ掛かりを覚えたようだ。
「『ペンタクル・エース』。50年ほど前に消えた、生命科学が盛んだった研究所のことだよ。今では、あれほど大きな物を飛ばし続ける技術が失われつつあるから、幻とまで言われているんだ」
 ハイエロファントが簡単に解説する。この中では、彼が1番詳しいのだ。
「あれほどって、どれくらいの大きさだったんですか?」
「そうだな……最高等学部の敷地くらい、あったんじゃないかな?それが、ハミット島の上空を旋回していたんだよ」
「うわー、そんなのが空飛んでたんですか」
 どうやら興味が湧いたようだ。身を乗り出しかけたセウスだったが、頭を横に振ると本題に戻る。クランケットを助ける方が優先だと思い直し、冷静になったのだろう。
「えーと、それで?メインコンピュータのこと知って、どうするんだ?」
「回路を破壊します」
「そういうディスクで?」
「そうですね。使えるようですから」
「誰が、それを持っていくんだ?俺?」
 自分を指差すセウスを見て、考えてしまう。セウスはコンピュータに関して素人だし、クランケットも詳しくはないだろう。そんな2人に任せて、大丈夫だろうか。
「僕達は学都からそう何度も出るわけにもいきませんし、セウスさんに任せることになるでしょうね。少々不安ですが、ルージュがいるだけ、ましかもしれません」
 納得いかない、といった顔をされても困る。コンピュータを使いこなせないのは、本当のことだろう。触れたことがないのだから、仕方がない。こちらも心配なだけであって、悪いとは思っていないのだが。
 セウスが口を開いて何かを言いかけるが、その前にブライアンに阻まれてしまった。
「待て待て。セウス君が行ったところで、向こうが警戒して入れさせないかもしれないぞ?それにセウス君には、他に行ってもらいたい研究所がある」
 セウスとルージュは、ブライアンとハングを交互に見比べた。
「えーと。ブライアン教授って」
「以前お話した、協力者さんですよ。一応、ですけど」
 一部分だけ強調して言うと、「酷いな」とブライアンがぼやいた。
「行ってもらいたい研究所、というのは?」
「ここから西にある研究所だ。最近、俺の知り合いが出入りしているらしくてな。私情を持ち込んで悪いんだが、グドアールに関する場所でもあるんだ。行ってくれるか?」
 グドアールに関係する場所なら、セウスにとって断る理由はないだろう。
「行きます。でも、俺が見てきた方の研究所は、どうするんですか?」
「おう。それはな」
 生物学部教授は、白い歯を見せて笑った。嫌な予感がする表情だ。
「今から考えるわ」
 悪びれる様子は、まったく見られない。冷たい視線が集中するが、どこ吹く風だ。
 こういうところが信用できないのだ。セウスでさえ、呆れた顔をしてブライアンを見ている。他の方法を考えた方が、早いだろうか。
 また一つ、大きな溜め息を吐いた。