第24話 Beast Game

 いまだかつて、ここまで呆然としたことがあっただろうか。
 後悔なら、いくらでもしたことがある。反省も苦い思いを抱えたことも、また然りだ。それとはまた種類の違う後悔の波が押し寄せてきている。やるせない、と言うのが合っているかもしれない。
 大歓声が、ずっと耳に届いている。いつまでも現実逃避ばかりしているわけにもいかない。意を決して、目の前のものを視界に入れる。眩暈がした。
 舞台の下に広がる、人の群れ。この光景を目にするのは、強制的に演劇に参加させられて以来のことだ。あの時、2度とこの場に立つものかと誓ったはずなのに。いったい自分は何をやっているのだと憤りさえ覚えて、両手を握り締める。
 ひしめき合う人々の中程に、見慣れた顔が並んでいた。「がんばれよー」と大きく手を振っているブライアンも苛立たしいが、それ以上に腹が立つのはその左隣だ。天に向かって立てられた髪を睨みつける。こいつさえいなければ、今こんな場所に立たずに済んでいたものを。

 ◆◆◆

 それは、昨日のことだった。セウスが地下鉄にも乗ったことがなく、ぜひ乗ってみたいと言い出したため、ルエルを寮まで送るついでに利用することにしたのだ。学都祭ではみんな、外を歩いて楽しむのだろう。常のような混雑もなく、ハングとしても都合が良かった。
 1人であちらこちらを見学し勝手に歩き回るセウスを、ルエルが慌てて止めている。
「セウス君、待って。まずは切符を買わないと、地下鉄には乗れないんだよ」
「切符?」
 セウスが首を傾げて、こちらに戻ってくる。ルージュを抱いたカナが、目を丸くした。
「セウスって、本当に地下鉄を知らないんだねー」
 そんな彼に、ブライアンが苦笑する。
「スプレッド朝じゃ当たり前だが、自治領区では走ってる方が珍しいのさ」
「俺の村も無かったぜ。もっとも、セウスの村より、もっと田舎なんだけどさ」
「私は東国の出身ですが、都市周辺しか走っていませんでしたね」
 肩を竦めたサエリハと穏やかな顔をしたカエサルが、カナの顔を覗きこんだ。カエサルも、カナにだいぶ慣れてきたようだ。
「へー、そうなんだ」
 カナが感心したように頷く。好奇心が旺盛なことが伝わってくる顔だ。その表情が、なんだか落ち着かなくさせる。ごまかすように、カナの頭に手を置いた。
「世界は広い、ということですよ。知らないことが、たくさんある。ピエロと歩き回っただけでも、感じたはずですよ」
 しばらく呆然としていたカナは、満面の笑みを浮かべた。
「うん」
「ピエロって……ハング、知り合いなのか?」
「えっ?」
 しまった、と思った。セウスとピエロは、1度会ったことがあるのを失念していた。そして、ハングとピエロは会ったことがない、という設定だということも。どうしたものか、と考えていた時、ルエルが笑顔で告げた。
「ちょっとは知ってるかも。ピエロと私が、仲良いからね」
「え?ルエルとっ?」
 セウスは、今度はルエルに驚いた。彼女は素直に頷く。
「私は元々、王都の学校に通ってたんだよ。特例で、学都に編入したんだけどね」
「それって」
 セウスはハングの袖を引っ張って、ルエルから少し距離を取った。
「どうしたんですか?セウスさん」
「そうは見えないけど……ルエルって、監視役なの?」
「は?」
「ルエルが監視してて、ピエロに情報流してるんだろ?」
 ああ、そういう考えに至ったわけか。納得して、溜め息が出た。訂正するのも面倒だし、そういうことにしておこう。
「まあ、そうかもしれませんね」
「なんだよ、はっきりしないな」
 セウスが頬を膨らませたところで、ハイエロファントから声が掛かった。
「ハング、セウス君。切符買ったから、中に入るよ」
 文学部教授から切符を渡されたセウスは、手の平に乗せられた四角い紙切れをしげしげと見下ろしている。
「へー、これが切符ですか」
「そう。これを機械に通して、中に入る」
 まず、ハイエロファントが手本を見せる。侵入口が開き、構内に入った。
「うわー、できるかな?」
「できますよ。カナだって、1人でできるんですよ?」
 目の前でカナが切符を通し、嬉しそうにハイエロファントに駆け寄っていく。
「そっか」
 頬を紅潮させたセウスが切符を通し、向こう側に行く。
「うわ、やった。通れたっ」
 騒いでいるのを、「うるさいよ、セウス」とカナに注意されている。その後ろから、ハングも続いた。なぜ、これくらいで浮かれることができるのか。甚だ疑問だ。後ろに続いたサエリハも、さすがに苦笑を禁じえないようだ。
「俺も、あんなだったかなー?」
 学都に入った頃を思い浮かべる。サエリハとは、同時期に高等学部へ入学した仲だ。3年前の彼は、知識はあるものの様々なことに目新しそうにしていた気がする。
「確かに、変わらない気がしますね」
「そっか。なんか慣れって、もったいない気もするな」
 目線の先で、セウスが電車が入ってきたことで生まれた風圧に驚いている。
「そうですね」
 笑いながら乗り込む。座席の硬さも、走り出す感覚も、景色が流れていかない窓も、セウスにかかれば全てが楽しいものなのだ。
 どこか懐かしい思いさえ抱きながらセウスを見ていると、隣りに座っていたサエリハに肩を叩かれる。
「な、ハング」
 サエリハの指が示すものを見る。学都祭のポスターだ。この時期はどこに行っても必ず1枚は掲示されており、珍しいものではない。
「4日目のところ」
「4日……クイズ大会、ですか?」
 なにか嫌な予感がする。ルエルではないが。
「サエリハさんが出るんですか?」
「なに言ってるんだ。ハングに決まってるじゃん」
 予感は的中だ。
「それこそ、なに言ってるんですか? 出ませんよ、そんなもの」
「なんで?」
「なんでって」
「あ、分かった」
 サエリハが、人の悪い笑みを浮かべる。
「みんなの前で間違えるのが恥ずかしいんだろ」
 不愉快な言葉だ。
「そんなことは、ありませんよ」
「じゃ、優勝できないと分かってるから出ないのか?」
「それも、ありませんっ」
 揺れて不安定だというのも構わず立ち上がる。
「最高等学部の主席だもんな。出りゃ、勝てるよな」
「当然です」
「じゃ、証明してくれよ」
 冷や水を浴びせられた気分だった。サエリハが、にやついている。はめられたのだ。
「それは」
「ハング、クイズ大会に出るのか? すごいなっ」
「俺、商品のブルーベリーティーセットが欲しいっ」
 右を見ると、セウスとルージュとカナが過剰な期待に目を輝かせている。瞬き一つもしないで、こちらを見つめないでほしい。だいたい、カナがブルーベリーティーセットなどを貰って、どうするというのだろうか。
 乗せられやすい性格だということを、ハングは自覚していなかった。逆にサエリハは、さも知っていたと言うように更に笑みを深くし、申込用紙を振っている。セウスはともかく小さな子供と動物相手に怒るわけにもいかず、承諾するしかなかったのだった。

 ◆◆◆

 しかし舞台に上がってしまうと、形振り構わず怒っていれば良かった、と後悔が止まない。久し振りに味わった屈辱を回想している間に大会が始まってしまったため、後は司会者に従うより他に仕方がないのだが。
 それにしても、この熱気はどうしたことだろう。カナやセウスとルエル組の時とはまた違った空気が漂っている。特に、舞台上にいる他の19人の参加者の目つきが恐ろしい。さすが学都と言うべきか、クイズ好きの連中が多いのだ。ハングも嫌いな方ではないが、参加希望者が多すぎて2度も予選があるとは思わなかった。
 舞台に立っている人間は、予選から勝ち残ってきた猛者達ばかりなのだ。
「しまった。手を抜けば良かった」
 つい、まじめに回答してしまった。予選の結果は、番号を呼ばれれば明らかだ。
「1番のハングさん。なにか仰いましたか?」
「い、いえ、別に」
 咳払いを一つする。さっさと終わらせてほしい。舞台上の空気は異様で、暑苦しくてたまらない。いわゆるクイズ馬鹿と呼ばれる者達が、目玉をむき出しにするかのように前を見つめているのだ。これなら、まだルエル馬鹿の方がいくらかましだ。
「では、次の問題です。約40年前に実在した王女マグノリアの標を元にして作られた、王都で人気のお菓子はなんでしょう」
 ボタンを指で弾き、答えを入力する。30秒後に、一斉に電光掲示板に表示される。正解なら赤、間違っていれば青の背景色となる。最終的に、正解数が最も多かった者が優勝だ。
「答えを一斉に掲示します。正解は、『リーフパイ』」
 会場から拍手が沸き起こる。誰も気にしていないようだが、学都にいながら王都の問題を出すというのは、いかがなものだろうか。その分、普通の学都生には難問となってはいるのだが。
 その後も、次々と問題が出されていく。一般常識や数式、歴史など、幅広く出題される。今でこそ文学部に身を置いているハングだが、元は科学者だ。理数系が出たとしても、弱点にはならない。
 しかし、少し簡単すぎるのではないか、とハングは思った。これでは、手の抜きようがない。それでも全問正解しているのは、彼だけだが。
 ため息を吐いて観客席を見ると、カナが目を輝かせてこちらを見ていた。そう言えば、自分も同じような目をして祖父を見ていた気がする。このまま優勝して、ブルーベリーティーセットを持ち帰ってやろうか。
「それでは最終問題です。『過去の爆発事故で、唯一生き残った少年の名前は?』」
「えっ?」
 思わず、司会者の顔を見る。なぜ、それを知っているのか。
「古新聞を漁って、拾い出してきた問題です。これまで全問正解のハングさんも、これはさすがに分からないかっ?」
 ゆっくりとハイエロファントに視線を移す。よく見えるようにとカナを抱き上げる姿。過去の古傷を、悪意を持って抉られているかのようだ。
 手が震える。喉が渇く。ハイエロファントとカナ以外、何も見えなくなる。
 怖い。寒い。暗い。熱い……苦しい。

――よく見えるかい、グドアール?

「嫌だ……嫌だ……見たくない、何も見た」
『グドアールーッ』
 弾かれるように見る。現実に呼び戻した、切実な叫び声の主を。
「ルージュ」
 慌てて指を弾かせる。確かに聞こえた、自分の名前。ルージュが、ハングの正体など知るはずもないのに。
「さあ、掲示しましょう。答えは、『グドアール』。ハングさん、見事に全問正解ですっ」
 客席が沸きあがる中、脱力したハングだけが取り残された気分を味わっていた。

 ◆◆◆

「すごい、すごい、すっごーい」
「やるじゃん、ハング。全問正解なんて」
 空いた頃を見計らって下に降りると、見慣れた顔が笑顔で出迎えてくれた。ルエルに飛びつかれ、サエリハとブライアンに肩やら背中やらを叩かれ、ハイエロファントに頭を撫でられた。ブルーベリーティーセットをカナに渡そうと思ったが、あまりに重かったためカエサルに持ってもらう。その様子を笑顔で見ていたフルールが、1歩横にずれた。後ろから、ルージュを抱いたセウスが現れる。
「ルージュ、あの時なんで叫んだのか、よく分からないって。ただ、ハングが辛そうで見ていられなかったって」
 セウスの腕の中にいるルージュを見た。鼻をひくつかせて、こちらを真っ直ぐに見上げている。
「『グドアール』って、よく知ってたよな。ハングには、聞こえるわけないけど」
「聞こえましたよ」
 「え?」と、セウスが目を丸くする。
「『グドアール』と、確かに」
 微笑んで、セウスからルージュを抱き上げる。
「ありがとう、ルージュ」
 頬に摺り寄せると、長い尾が優しく揺れた。