第28話 失われた記憶

「君が、グドアール君?」
 ハングと同時に振り返ると、廊下の先に懐かしい顔が立っていた。白衣姿が眩しい。
「父さん、母さんっ」
 たまらず叫ぶが、2人の表情に変化はない。それが酷く胸を痛くさせた。
「ええ、そうですが?」
 いぶかしむように答えたハングに、父母は顔を和らげた。
「良かった。ようやく掴まった」
 大きく息を吐いた父の腕を母親が肘で突くと、彼は頭を掻いた。溜め息を吐いた母が、父の代わりに口を開く。こんなところは、セウスの記憶の2人と大差が無い。おおらかな父に、しっかり者の母だった。
「はじめまして。私はセイロン、彼はサーストン。本日より、貴方と同じ班に所属することになりました。よろしくお願いします」
 背筋を伸ばし礼をするセイロンに、グドアールも頭を下げた。人嫌いとはいえ、昔から礼には失しない質だったようだ。
「グドアールです。あなた方のご活躍は、こちらの班にも届いていました。優秀な方々と肩を並べることができるとは、光栄に思います」
「何言ってんだ」
 サーストンが大きな手でグドアールの背を叩いた。咳き込むグドアールにも、「サーストンッ」と抗議するように呼ぶセイロンも無視し、彼は笑った。
「肩を並べることができて嬉しく思ってるのは、こっちの方だ。優秀なグドアール博士」
 まだ涙目のグドアールに構うことなく、無理矢理右手で握手する。
「君とは長い付き合いになりそうだ。よろしく頼む」
「よ、よろしくおねがいします」
 とりあえず笑顔を作ったグドアールだったが、口元はひきつっている。今にして思えば、髪や目の色も、大柄な体格も、豪快な笑い方も、ブライアンにそっくりだ。もしかしたら、彼への苦手意識の起因は、ここにあったかもしれない。そう思うと、実の息子のセウスは、多少申し訳ない気にもなった。

 ◆◆◆

「ブライアン博士っ」
 ここ2、3年ですっかり聞き慣れた声で呼ばれたのは、生物学部教授棟の外で他の教授数名と意見交換をしていた時のことだった。彼等の輪から抜け出ると、腰を折り、両手を膝に当てて全身で息をしているサエリハの側へと寄った。
「おう、リハ。大丈夫か? どっから来た?」
「俺はっ、だい……じょぶですっ」
 汗だらけの顔を上げ、うっとうしそうに黒髪をかき上げる。
「ぶんっがくぶのっファント教授の……近くっ」
 そこまで言って、また顔を伏せる。最高等学部の中でも文学部は最西端、生物学部は最東端だ。暇な時は通っていた道のりだから分かるが、中央区で煙が上がった時間から考えると、かなりの健脚だと言える。文学部の生徒にしておくのが、もったいないほどだ。思うように息を整えられないのも無理はない。自分だったら心臓麻痺を起こしかねない。
 しかし、彼なら真っ先にルエルがいたはずの中央区へ走りそうなものなのだが。あえてこちらに来た理由は何なのか。嫌な予感がするが、避けるわけにもいかない。個人的なこともあるが、彼も教員の端くれだ。学校の勤務時間帯である以上、情報を収集し、事態をいち早く把握し、生徒の安全を確保すると同時に混乱する都を落ち着けなければならない。文学部から来たとなると、大した情報を持っていないかもしれないが。
「リハ。疲れてるとこを悪いが、知ってることがあれば話してくれないか? こっちでもあちこち探ってはいるんだが、なかなか詳細が掴めなくてな」
「俺は、大丈夫だって言いましたっ」
 気を遣うと、逆に怒られてしまった。「すみません」と小声で謝るサエリハの左肩を、「悪い」と2度叩く。再び顔を上げた彼は相変わらず汗にまみれてはいたが、息はだいぶ落ち着いてきている。
「でも、いろんなことがあり過ぎて、どこから話していいのか」
 記者を目指している彼は、相手に報告する時は要点を外さず話すことができる男だ。それがこれだけ困惑しているということは、かなりの情報量を所有しているのかもしれない。
「じゃ、とりあえず。おまえの顔は、どうした?」
 まずは、簡単な質問から聞きだすことにした。顔を見た時から頬の腫れが気になっていたのだ。おおかたルエルの放送でも聞いて、慌てて部屋を出る時に転げたか何かしたのだろうと思ったのだが。
「爆発が起こった後、ハングと喧嘩しました」
「何やってんだ、おまえらは?」
 思わず眉を寄せると、サエリハは「すみません」と肩を縮めた。
「歯止めが利かなくなったところを、カエサルさんが止めに入ってくれました」
「カエサルが?」
 これはまた、意外な人物が出てきたものだ。彼はパレードの一員として参加していたのだから、最高等学部へ来るより中央区へ入る方が速かっただろう。警備員のくせに、真っ先に爆発現場を確認しに行かなかったのだろうか。
「カエサルさんは、ルエルちゃんが無事だって報告しにきてくれたんです」
 思わぬ朗報が、耳に入った。教授達の輪にいる間も、ずっと心配していたのだ。焦る気持ちと格闘していたが、これで一つ気を揉む材料が無くなる。
「無事だったのかっ」
「はい。なんでも教授の妹さんが助けて、医局にも連絡してくれたって」
 笑い顔のまま、固まる。『教授の妹』とは、誰のことだろう。ハイエロファントの妹なんて、名前に上ったこともないが。
「妹? 誰の?」
「え? 誰って……」
 おずおずとサエリハがブライアンを指差す。一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「俺って、ことは、グレイスが?」
「名前まで聞いてませんけど」
 有り得ないことだと思った。彼女はいつ頃からかルエルを必要以上に妬むようになり、それを責める兄を避けるようになった。1人家を出て、研究に没頭していった。ブライアンが学都を出る頃には、既に心配ではあるが理解不能な妹となってしまっていた。
「そうか……そうなのか」
 本当に妹がルエルを助けたのだとしたら、彼女に何らかの変化をもたらす出来事があったのだろう。良い傾向に進むといい。
 だが今は、感傷には浸っていられない。
「ということは、ルエルはフルールのとこだな」
「はい。だから走ってきました」
 平時の彼なら形振り構わず医局に行くだろうが、今はブライアンを優先してくれたのだ。成長している彼に満足して、一つ頷いた。
「悪いが、もう少し付き合ってもらうぞ。どうして、ハングとそんな派手な喧嘩したんだ? 緊急時だろう」
「それは、あいつが俺の後付いてくるからです。俺に付いてきたって、ルエルちゃんのとこしか行かないのにっ」
 目の前の青年は責めるように言うが、どこにハングに非があるのかブライアンには分からない。妹のようにというのは大人の見解だが、とりあえず可愛がっていることはサエリハでも理解しているはずだが。
「どこが悪いんだ? 俺でも、おまえを追いかけるぞ」
「ファント教授がさらわれてもですか?」
「何?」
 信じられない言葉が、頭を通り過ぎた。端を捕まえるのに精一杯で、なかなか意味が浸透しない。
「だから、変な2人組が現れて、ファント教授がさらわれたんですっ」
 サエリハが混乱していた部分は、ここか。そう悟り、焦れる心を精一杯押さえつけて冷静に事実を聞き出すことに徹する。
「落ち着け。とりあえず、時系列をもって追おう。まずは、事が起こったのは爆発より前か後か。おまえは、どこに誰といた?」
「後です。ファント先生の教授室に、ハングとファント教授とセウスとルージュとカナがいました」
 ブライアンは頷く。事前に聞いていた場所と人間だ。
「爆発が起こった後、俺は教授室を飛び出しました。昇降機じゃなく、非常階段を使いました。その方が速いと思って……そしたら」
「そしたら?」
「奴等が上がってきて、銃を突きつけられ、そのまま掴まりました。後から追ってきてくれたセウスと、教授室に連れ戻されました」
 下唇をかみ締める。よほど悔しい思いをしたのだろう。
「いくら手薄だとはいえ、2人組に突破されたとは意外だな。そいつらは、どんな奴だった?」
「どんな奴も何も、あいつ、爆発したこと知ってるくせにっ。ルエルちゃんが巻き込まれたの知ってるくせにっ。何でも無さそうな顔で兄だって言ったんだっ」
「まさか、あいつがっ?」
 とんでもない相手が出てきて、驚く。幼いルエルを近所の誼で預かっていただけに、兄のドゥランセルのこともよく知っている。歳の離れた妹をとても大事に思う、優しい少年だった。ついこの間学都を訪れた時には、落ち着いた大人に見えたのだが。
「もう1人は?」
「たしかセウスが、アーベルって呼んでました。細腕で棚を叩き割……」
「待て待て待て」
 聞き捨てなら無い言葉に、思わずブライアンが止めに入る。彼女とは直接話したことは片手に満たないほどしか無いが、顔くらいは覚えている。
「アーベルのことも多少は知ってるが、幼い頃は病弱であまり外にも出ないような女の子だったんだぞ? それが叩き割るだって? 並みの男でもできる芸当じゃないだろ」
 正直、ブライアンをもってしても難しい。カエサルなら、材質によってはいけるのかもしれないが。
「それは分かってますけど、目の前で確かに見たんです。更に、教授室の窓から地上に飛び降りても平気な顔してました」
 そこまで聞いて、不意に思い当たることがあった。グレイスがアーベルを研究所に閉じ込めて、何かをしていたらしいのだ。もっと早く動いていればと思ったが、既に遅い。後悔するより、現状を打開する方が先決だ。
 だいたいの事情は分かった。アーベルの存在により、彼等は抵抗することもできなかったろう。ハイエロファントの性格からすると、自ら出て行ったと推測した方が良い。2人、いや3人組の目的は端から彼を連れ帰ることであり、爆発は云わば撹乱するためのものだったのだ。恐らく、グレイスは爆発の実行犯だ。ルエルを助けたのは気まぐれか、他の実行犯に対するせめてもの嫌がらせか何かか。さすがにそこまでは分からない。
「してやられた、か。計画の中でも、あいつは安全牌だと思ってたがな」
 溜め息を吐いて、持っていた携帯を握る。だから、ハイエロファントとも連絡が付かなかったのか。
「で、他の奴らはどうした?」
「ハングは、ファント教授を追いかけてるはずです。カナはルージュを連れて走ってくるのが見えたので、ハングと何か話したかもしれません」
「セウス君は?」
「分かりません」
 ブライアンは頭を掻くと、後ろにいた教授陣を振り返った。
「すみません。今から、文学部に情報探りに行ってきます」
 文学部だって、生物学部と同じような状況なのは教授達とて知っているだろうが、快く頷いてくれた。
「んじゃ、俺はファントの教授室に行ってくるわ」
「え?」
 てっきりルエルのいる医局に行くのだろうと思っていたらしいサエリハは、意外そうに聞き返す。
「ファントはハングが追ってるし、ルエルはとりあえず無事なんだろう? だったら、取り残されているかもしれないセウス君が可哀相じゃないか」
 頭は悪くないが、緊急事態の学都を歩き回れるほど街に慣れてはいないだろう。まだ思いも寄らない事態が隠れているかもしれないし、特殊能力持ちを1人で放っておくのも懸命ではない。最悪、グレイスが彼に目を付けるようなことがあれば、兄として申し訳が立たない。
「おまえは医局に行ってていいぞ。セウス君が落ち着いた後も、事故処理に追われるだろうからな」
 数日は忙殺されて、ルエルの見舞いには行けないに違いない。暗に、付いてこなくて良いと示唆したのだが。
「俺も行きます。1人だけ落ち着いてられませんっ」
 真っ直ぐな金色の瞳に、笑みが零れた。彼に出会って、どれほどブライアン達王都側の面々は救われてきただろう。
「よしっ、じゃあ、とことん付いて来いっ」
「はいっ」
 サエリハの返事と共に、ブライアンは走り出した。

 ◆◆◆

 目映いほどの日差しが降り注ぐ窓辺で、幼いセウスが泣いていた。自分の頭を見下ろすというのも、なんだかおかしな気分だった。複雑な思いを胸に、少年の奥を見る。自分にも覚えがある光景だった。当時でも難しいと思っていたグドアールの言葉は、成長後に聞いてもいまだ小難しく、とても子供に話すような内容ではないと思う。
「ある意味、不親切だよな。昔から」
 文句を言っても、どうせ相手には聞こえていない。ただひたすらハングの記憶を再生しているだけの夢なのだ。夢であるのに、溜め息が出る。どうしても、ハングとグドアールが同一人物だと結び付かない。
 首を横に振っている間に、短い邂逅は終わったらしい。幼いセウスを残して去っていくハングを、慌てて追いかける。角を曲がったところで女性に声を掛けられ、ハングと同時にセウスも驚いて声を上げた。もっとも声の大きさも長さもセウスの方が上で、なんとなく負けた気分になる。
「ありがとう、グドアール君。私達じゃ、あんな言葉は掛けられないから」
 「言葉が難しくて、あまり理解してない顔をしてたけど」と付け足した顔は、笑いながらも泣きそうな顔をしていた。母のこんな表情は、初めて見た。ずっと強い人だと思っていたが、折れそうになったことも幾度もあったかもしれない。
「すみません、うまい言葉が思いつかなくて」
「謝ることはないの。本当に、感謝してるのよ。私達には、資格が無いから」
「そんなことは……」
 彼が否定する前に、セイロンは横に首を振った。心持ち肩が下がり、寂しそうだった。
「後悔、してるんですか?」
 ハングの問いに、彼女は苦笑する。
「嫌な性でね……母親としての私は、とても後悔してる。でも、研究者としての私は、まるで後悔していないの。自分の子供を研究の一端として利用していることに」
 一瞬、セウスは自分の耳を疑った。今、母親はなんて言ったのか。だいたい、なんの研究だろうか。
「同じ血を分けた兄妹で、同じ能力が出るかどうか……でしたっけ」
 別段セウスの意図を汲んだわけではないだろうが、グドアールが確認を取るように口にした。
「軽蔑する?」
 頷く代わりに疑問を口にしたセイロンに、グドアールは首を横に振る。それを見て、彼女はおかしそうに笑った。
「グドアール君は、嘘が下手ね。本当は、生命科学そのものが嫌いなくせに」
「本当に、軽蔑はしてません。俺も、同じことに手を染めている1人です」
 「頑なね」とセイロンは笑って、人差し指をグドアールの鼻先に突きつけた。
「でも、今度やる研究は、悪いけど外れてもらうから」
「え? でも」
「今度の企画は、私達が進める。その間に、グドアール君と他2名は今行っている微生物と周波数の関連性についての測定を引き続きやってもらうから……て、昨日サーストン班長が夕飯で言ってたわ」
「幼い子供もいる夕飯時に、そんなこと話してるんですか」
「たまにね。今日の班会議でも、説明があると思うから」
 夕飯は比較的家族揃って食べることが多かった。そう言えば、時折両親は難しいことを楽しそうに話していた気がする。研究内容や実験結果について話していたのだろうか。
「行き詰ったら協力を頼むかもしれないけど、極力今回は君には泣きつかないつもり。その代わり、よいこで待っていたら、素晴らしいご褒美がきっと待ってるから」
「ご褒美?」
「ええ、とっておきの。楽しみにしておいて」
 いたずら好きの子供のように笑う母親の顔も、初めて見るものだった。セウスの知らない両親を、グドアールはたくさん見てきたのだということも、この時初めて知ったのだった。

 ◆◆◆

 紫色の大きな瞳が、これでもかと言うほど輝いている。ルージュは、見上げながらも少し不安だった。どこか人とずれているセウスの妹は、動物の視点から見ても危なっかしい人間なのだ。
「お兄ちゃんの寝顔見るの、これで3回目よ」
 とても嬉しそうだ。さっきまで、息も絶え絶えといった感じだったのに。ルージュは呆れた。
 白い羽を抱えたサリアは、懸命にルージュの後を追ってきた。サリアもルージュも昇降機は使いこなせないため、4階まで非常階段から上ってきたのだ。階段が不慣れなサリアが何度も何度も足を止めるので、ルージュも後ろを振り返っては行ったり戻ったりを繰り返した。これならセウスに付いていた方が、いくらかましだった。
 ルージュ達が戻ってきた時には人だかりができていた教授室も、今は静かなものだった。倒れている人間の妹が現れたので、とりあえず離れて様子を窺うことにしたらしい。
『どうせ何もできないんだから、どっか行ってくれればいいのに』
 いくら毒を吐いたところで、彼等には理解できない。人間の相手はこれだから疲れる、とばかりに耳の後ろを掻いた。
「ねえ、ルージュちゃん」
 呼ばれて、再びサリアの顔を見る。彼女の表情は、兄以上に変わるのが早い。今度は、途方に暮れたような顔をしていた。
「どうやったら、お兄ちゃん起きるのかしら?」
 そんなこと聞かれたって、自分に分かるわけないじゃないか。
 ルージュは、勢いよく鼻から息を吐いた。

 ◆◆◆

 グドアールとセウスの前を、背丈の2倍くらいある円筒形の水槽が運ばれていく。今は布で覆われているが、中が何かはセウスにもすぐに分かった。幼いハングとセウスが、共に背中を預けたものだ。
「やはり目立ちますね」
 側にやってきたサーストンにグドアールが声を掛けると、それまで忙しそうに部下に指示をしていた彼は「ああ」と応対した。
「これだけでかいと、さすがに誤魔化すこともできんな」
「彼等には、既に情報が行ってるでしょうね」
「まあ、隠そうが隠さなかろうが、いずれ知れることだ。奴等との距離を開けるためにも、中身のためにも、なるべく短時間で出発しないとな」
 「班長」と呼ばれるのに、「今行く」とサーストンが応じる。
「おまえの時間稼ぎ、期待している」
「それは困ります」
「そう返す阿呆が、どこにいるっ」
 サーストンが笑いながら、グドアールの頭を掻き回した。絡んでしまった金糸の頭に、大きな手が軽く乗せられる。
「悪いな、連れていけなくて」
「いえ。中のもの……よろしくお願いします」
 真摯な顔をしたサーストンに、グドアールは震える声で答えた。拳は硬く握られ、心に穴が開いたような頼りなさ気な顔をしている。
「そんな顔するなよ。また落ち着いたら会えるさ」
 細い肩を叩いたところで、「班長ー。うちの優等生、壊さないでくださいよー」という声が掛かった。今までに、何度もあった揶揄の一つらしい。「悪い、悪い」と応じる班長は、ちっとも悪気を感じているように見えない。
「じゃ、グドアール。またな」
 サーストンは歩きかけて、振り返った。
「おまえのことは、本当の弟のように思っている」
 グドアールの目を点にさせた男は、駆け足で仲間の元へ戻っていくと、すぐに指示を出し始めた。
「なに……言ってるんですか。あの人は」
 憮然とした表情で、手にした機械を見下ろす。照れているのだと、セウスにはすぐに分かった。隣りで笑っていても、反論が返ってこないのが少し寂しい。学生ハングになら、こんなにも懐いていたのに。
 また、目の前を布を掛けられた荷物が通過していった。今度は目線よりも少し低い位置でまとめられている。布の合間から覗く線があることから、小型の機械類であることはセウスにも分かった。
 不意に、グドアールが顔を上げる。手にした機械から、笛の高音のような音が小さく続いていた。
「そこの荷物、少し確認させてもらっても良いですか?」
「ああ、いいけど。忘れ物か? 珍しいな」
 優秀だが年少のグドアールは、班員から可愛がられていたらしい。急いでいるにも関わらず、荷物を引いていた男は笑顔で布を取り除いた。それに短く礼を言ったグドアールは、露になった小型の機器に手にした機械を近づけて、なぞるように手を動かす。音が一際大きくなったところで、躊躇なく空いた方の手を突っ込んだ。
「これですか」
 合間から引っこ抜いたのは、黒い板だった。板は、先からグドアールが手にしている機械の半分ほどの大きさしかない。
「すみません。もう大丈夫です」
 荷物が離れていってから、グドアールは黒い板を地面に投げ捨てた。おもむろに胸ポケットからレーザー銃を取り出し、地面に向かって撃ち放つ。板はすぐに砕け散った。
「もう筒抜けかもしれないわね」
 グドアールとセウスが同時に振り返ると、セイロンが立っていた。脇には、幼いセウスとサリアがいる。不貞腐れた顔を見せるセウスの前に、グドアールはしゃがみ込んだ。幼い子供の目線に合わせるなど、彼がするとは意外だった。
「クランケット少年との冒険は、どうだった?」
 現在のセウスと幼いセウスは、同時にグドアールの顔を見た。逃げ出すように王都を去った記憶はあるのに、グドアールにこうして声を掛けられたことは完全に忘れてしまっていた。
「楽しかった。会わせてくれて、ありがとう」
 見る間に、幼いセウスの顔が歪んでいく。
「もう会えないなんて、嫌だよお」
 泣き始めた子供の頭を、グドアールは手を置いた。さっきのサーストンと同じように、ぎこちなくも優しい手だ。
「会えないかどうかは、自分次第だ」
「え?」
 顔を上げたセウスの目からは、いまだに涙が零れていた。頬を赤くし、鼻を流し、我ながら情けない顔だと、もう1人のセウスは思った。
「向こうに着いたら、たくさん冒険してくるといい。次に会った時は、さっきの礼と冒険譚を聞かせてやってくれ」
 頷くと、サーストンがセウスとサリアを呼ぶ。嬉しそうにサリアが駆けていくのに続いて、セウスもあっさりとグドアールに背を向けて走っていった。グドアールは息を吐くと、立ち上がる。自然と、セイロンと向かい合う形になった。
「それじゃ、私達は行くわ。後のこと、任せたから」
 頷いたグドアールに、セイロンは笑いかける。
「2年前にした話、覚えてる?」
「2年前? もしかして、ご褒美のことですか?」
「そう。研究の途中になっちゃってるけど、向こうに行ったら、ちゃんと完成させるから」
 セウスにとっては少し前の、グドアールにとっては2年前と同じ笑顔を、セイロンは見せた。
「次に会う時まで、楽しみにしておいて」
「分かりました」
 返事をしたグドアールは、これ以上にないほど柔らかい顔で笑っていた。