番外編 第1話 守護の定義

 学都祭は、実に様々なものを人にもたらす。それは物だったり、感情だったり、記憶だったりする。学都に慣れた青年でさえ、そう感じるのだから、初めて都の空気に触れた者には尚更なのだろう。
 カエサルは、隣りを歩く緑色の髪をした青年の話に、耳を傾けている。
 新鮮さ。興奮。
 学都に従事する人間にとって、それは嬉しい言葉だった。
「それでファントが、今度は体験入学においでって、言ってくれたんです」
 カエサルは前方にいるハイエロファントの背中を見、次いで嬉々として語るセウスを見た。
「興味が、おありですか?」
 問うと、何故かセウスは短く唸り声を発した。
「あると言えば、ありますけど。俺、馬鹿だしな」
 ため息を吐き、困ったように頭を掻く彼。それを苦笑するでもなく、嘲笑するでもなく、ただ相変わらずの生真面目な顔で、門衛は言った。
「馬鹿では、ないと思います」
 抑揚の無い静かな声に、セウスは目を丸くして彼の顔を見る。
「その……うまくは言えませんが、頭が悪いとか、そういう方にはお見受けしませんでした。数日間、ご一緒させて頂いただけなのですが」
 真摯な言葉は、そのまま真っ直ぐにセウスに伝わったようだった。
「そうかな。ありがとう御座います」
 はにかんだように笑い、小声で謝辞を述べる。
「学都の皆は、それぞれに夢があるみたいなんです。ハングはファントみたいな先生になりたいって言ってたし、リハは記者になりたいって。俺は、それを少し羨ましく思って」
「私も」
「え?」
 セウスが再度、カエサルを見上げる。
「私も、そんな頃がありました」
 彼の目は、懐かしそうに遠くを眺めながら、どこか切なそうな感じでもあった。
 その時、前方を歩いていた教授達が、露店に目をつけたカナを連れて見て来ると言ったため、2人は落ち着けるところを探して座った。あくまでカエサルは、教授達から目を放さないまま語り始める。
「私が生徒として学都に来たきっかけは、目の前で弟を事故で亡くしたことでした。半ば逃げるようにして、ここに入ったのです。周りの人々は夢を抱き、彼等の目は輝いていました。それが、私には耐えられなかった」
 一瞬だけ、彼は爆発事故現場がある北東へと視線を遣る。
「先日、セウスさんは学都の事故現場へ行ったそうですが。私も昔、そこに行ったことがあります。切羽詰った私は、そこへ向かったのです。罪を直視するためだったのか、懺悔を求めに行ったのか。今となっては忘れたことですが、両方だったとも思います。そんな時に出会ったのが、自治領主様でした」

   ◆◆◆

「こんにちは」
 その人の声は、瓦礫の山に似つかわしくない、柔らかいものだった。振り向いたカエサルは、壮年の男に軽く会釈する。元々この辺りの出身ではない彼は、よもや白銀の髪の男が自治領主であるとは、この時気付きもしなかった。ただ、着ている服が安物には見えなかったので、教授なのだろうかと思ったくらいだ。
「君は、焦っているね」
 出会った直後に図星を突かれ、カエサルは怒るよりも何よりも、まず驚きを覚えた。次いで疑問を抱いたが、それすら見通しているように男は微笑んだ。
「そういう人間を、よく知っているよ。例えば、昔の私とかね」
 肩を竦めておどけて見せると、カエサルと並び立つように足を踏み出した。校舎の残骸が一面に広がっているこの場所では、歩く度に石と石がぶつかり合う音がする。
「この場所で、私は幼馴染であり無二の親友でもある人間を亡くした」
 いざ隣りに立っても、彼は少年の域を僅かに抜けたばかりの学生の顔を、見ることをしなかった。
「その事故で、1人生き残った幼い少年がいたんだ。それを知った時、彼のために何かできないかと思った。だが結果的には、何もできず終いだ。何をして良いか分からず、何かをしなければならない衝動に駆られ、動けないでいる自分を恨み、何かをしている人達を妬んだ。焦っていたんだ。今の君のようにね」
 ようやく、彼はカエサルの顔を見た。声の質と同様に穏やかな顔をしているのかと思ったが、目が真剣にこちらに訴えようとしている強さがあった。それを見極めたカエサルは、彼の話を受け止めようと思ったのだった。
「落ち着いた時、初めて見えたものがある。人を守るということは、ただ使命感から来るものではない。人を思う心の強さこそが、人を守ることに繋がるんだよ」
 耳障りの良い声は、不思議とカエサルの中に浸透してくる。すると、徐々に肩の力が抜け、それまで見えていなかった答えが近付きつつあると、感じられるようになった。
「人を尊いと思うこと。周囲に思い遣りを持つこと。まず、それを学ぶことが大切だと今の私は思うし、学都自体がそういう場であって欲しいと願っているよ」
 素直に聞き入っていたカエサルは、しかし最後の言葉に引っ掛かりを感じた。教授として立派な言葉というのも当てはまるのだろうが、それだけではないような気がする。ここは、ぜひ尋ねておかなければならないように思ったのだ。
「あの……あなたは、いったい?」
 すると、男は声を出して笑った。皺が複数刻まれているはずの顔が、青年のそれに見える。
「この学都を作った者だよ」
 元々感情の起伏が激しい方ではないカエサルが、一生で1番驚いた日だった。

 ◆◆◆

「そうして、この都で学ぶ内に思いが強くなり、誓ったのです。いつか学都に戻り、この都と教えを守ろうと」
 そして今、立てた誓いの通り都に戻ってきた守護者は、セウスの隣りで和やかに話をしている。背筋を伸ばしたその凛々しい姿は誇らしげでもあり、やはりセウスには眩しい存在の一つだった。
「セウスさんにも、そういう思いを強く抱かれる時が、来るかもしれませんね」
 だから学都に来いという直接的な言葉を、門衛は口に出さない。人を見極めることも仕事の一つである彼は、勧誘するつもりも無ければ、人それぞれに生き方があるものだと解っているからだ。
 それでもセウスとしては、1番最初の問いに結び付けたらしい。それだけ気にして、迷っている証拠でもあった。
「俺……やっぱ、馬鹿だし」
 文字を読むことはできるものの、学問というものに接点が無かったことを、多少なりとも負い目に感じているのだろうか。思い立ったように頭を上げた後、すぐに項垂れてしまう。
 そんな彼が出した結論を、頭上から覆す人物がいた。
「別に、そういうわけではないでしょう」
 上を見ると、カナと教授達の用が済んだのか、はたまた飽きて1人勝手に避難してきたのか。ハングが呆れた顔をして、2人の傍に立っていた。
「セウスさんは先刻、ルエルと一緒に料理大会に出場されていました。必要だから覚えたことでしょう。セウスさんが住む村と、学都では、必要なものが少し違っているだけです。必要なことを覚えられるのですから、馬鹿ではありません」
 2人は、ただ呆然とハングの顔を見上げていた。言葉も無く視線を向けられ、居心地が悪くなったのだろうか。カナと教授達が店から出てくるなり、そちらの方へと足早に行ってしまう。
「セウスさんは、良いご友人をお持ちです」
 頷くセウスに、カエサルは微笑んだ。あの時以来、自分が自治領主に憧れの念を抱いているのと同様に、彼等もまた良い人間関係を築いていくのかもしれない。
「私達も行きましょうか」
 2人は立ち上がり、振り返って待っている仲間の元へと向かう。たまに行き交う人々を避けながら。