第14話 教皇の審判

「エステス」
「ハイエロファント兄さん、聞きたいことがあるの。ここには本当に、永遠の命の技術があるのね?」
 頷く彼には、まったくと言って良いほど覇気が感じられない。
 永遠の命の技術の全てが、階段の先にある。彼の目的である永遠の命の研究を絶つ術も、等しく眠っているはずだ。それなのに、何を迷っているのだろう。
「ねえ、兄さん。何を、そんなに迷っているの? デビルやジュニアのために、迷っているの? それとも、絶つこと自体に迷いがあるの?」
 兄は『絶つこと』に弾かれたように反応し、強く頭を振った。
「いや、それはない……それはないんだ」
『じゃ、何をそんなに迷っているんだい? ファント』
 自分と兄の間に割って入るようにして現れたのは、ジャッヂメントだった。映像である彼が、存在を自由に現したり消したりできるのは理解しているつもりだ。頭ではそう判断できても、つい驚いてしまう。ハイエロファントの方も、呆然としていた。
 今度の映像は、幼い頃の自分達が見知った、父親としての彼だったのだから。
「父さん」
『すまない、ファント。全てを知るということは、辛いことだね』
 父は、何を言っているのだろう。
 ジャッヂメントを見上げ、その奥にいるハイエロファントに視線を移した。彼は、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「何?どういうこと? まだ何か、この塔にはあるの?」
 振り向いたジャッヂメントは、よく子供の頃にしてくれたように頭を撫でたようだった。残念ながら、感覚は無かったが。
『エステスは、母さんに似ているね。いつも真っ直ぐで、どんなことにも目を逸らさない。ファントは、私似だな。もし同じ状況に立たされたなら、私も迷っているよ』
 その時、デスの悲鳴が聞こえた。
「デスッ」
 上を仰ぎ見る。ただ事では、なさそうだ。
 父も兄も今は放って、階段を駆け上がろうとする。しかし、兄に手首を強く捕らえられ、進むことができなかった。
「危険な目に遭っているわけじゃないんだ。ただ、相当な覚悟がエステスにも要る」
 振り向けば真摯な眼差しとぶつかり、戸惑う。
「どういうこと?」
『ここにあるのはね、エステス。永遠の命を絶つ方法だけだ。永遠の命の技術の全ては』
 ジャッヂメントは、ハイエロファントの頭を軽く叩いてみせた。さっきと同じく、兄は何も感じることができないだろう。
『永遠の命を絶つということは、その人の時の流れを呼び戻すということ。副作用が無くなるのと同時に、今まで止まっていた時間分を身体が取り戻そうとする。成長期が過ぎたエンペラーやデビルはまだしも、デスは短期間だったとはいえ苦痛を味わうことになるだろう』
 それを聞いて、言葉を発することができなかった。想像することすら難しい。今、この塔の内部にいる全ての人間が、永遠の命の呪縛から免れた後にどうなるかを知らないのだ。
『しかし、ファントが迷っているのは、これだけじゃない。いや、これではない。上に行けば、分かるよ』
「父さんっ」
 ハイエロファントが、抗議の声を上げる。ジャッヂメントは、ただ微笑むだけだった。
『行こう、ファント。君の鍵が必要だ』
 ジャッヂメントが、先に上り階段へと向かってしまう。一度、ハイエロファントと顔を見合わせ、彼の後ろに続いて階段に足を駆けた。1段1段が、非常に重いものに感じる。
「エステス……どうして、こんなに父さんが正確に私達と会話を成立させていけるのか、不思議に思わないか?」
「それ、デビルも言ってたけど……プログラムじゃないの?」
 あまり機械工学などに知識が無い自分は、簡単に片付けていたのだが。
「いや、それでは違和感が出る。ある種の組み合わせ次第では、立体的に再生することは可能だが、そういうのとは違う。ハングなら独自で、神経回路や記憶媒体などの研究をしていたようだが、父さんは」
 兄の言い回しがどこか曖昧なものに感じて、少し苛立ってしまう。まるで検討がつかない。
「だとしたら、どういうこと?」
 疑問の答えを兄の口から直接聞く機会は、永遠に失われた。
「最上階だよ、エステス」
 答えの代わりに得た言葉で顔を上げ、瞬時に兄の衣服を強く掴んだ。先に到着していたエンペラー達も、ただ呆然とその光景を見ている。
 腰まである鉄柵の向こうの壁に、半円球の玻璃が二つ張り付いている。深い緑色の液体の中には、それぞれ見知った人物が入れられていた。
「父さん……叔母さん」
 父と叔母が、安置されている。衣服をまとい、安らかにも見える顔は、眠っているようにも見えた。いや、実際にジャスティスは眠っているだけなのかもしれない。時々、泡が上に向かって流れていくのが見える。
「彼等は生きているんだよ、エステス。私が初めて知った時も、驚いた」
「生きてる? 母さんもワンド教授も、知っていたの?」
 少なくとも、仕掛けを作ったというストレングスは知っていたに違いない。彼女は、いや彼等は、どんな思いで隠してきたのだろう。どういうつもりで、ここまで導いてきたのだろう。
「ただ、生きている、と言うには語弊があるのだと、徐々に気付いた」
 見上げた兄の顔は、青褪めているように見えた。自分も、足から血の気が引いていく感じがしている。これは何度見ても、事実を知っていても、けして慣れる光景ではないだろう。
「皆が迷う心を持っていて、誰もが口を閉ざしていた。やがて塔が現れ、エステスが島に来、後に引けなくなってしまったが……半生半死なんだ。永遠の命が絶たれれば、彼等は生きていけない」
「なに……?」
 喉の奥が引きつる。視界が揺れる。こめかみの辺りで、自分の鼓動が大きく脈打った。
「これこそが、本来の技術だ。こんなものは、いらない……いらないが」
 兄が何に迷ってきたのかを、知る。ずっと抱えてきたのだ。1人で。
「兄さん、姉さん」
 ラバーズも、こちらに駆け寄ってきた。彼女は、大粒の涙を流している。抱き寄せると、白く細い腕が縋りつくように、自分の背に回された。
「俺、反対だよっ。せっかくお母さんに会えたのにっ」
 最後の鍵を守るように両手を広げて立つデスを、エンペラーが後ろから抱いて退けた。暴れる小さな身体をどうにか押さえながら、金色の眼だけをハイエロファントに据える。
「やれ、ファント。この状態は、生きている者達の醜い執着の表れに過ぎない。ここまで導いてきたジャッヂメントが、ジャスティスが、このままを望むわけがない」
 そう言うエンペラーも、実は辛いに違いない。大切な人には、やはり生きていて欲しいのだ。既に、父親の記憶が薄れかけてきてしまっている自分でさえ、そう思ってしまう。
 それでも、視線の先にいるジャッヂメントが笑って頷くから、震える手で兄の背を押した。