彗星の絵本

 ボクがやるしかないことを、本当は解っているんだ。
 でも、仕方ないだろう? 足はどうしたって竦むんだから。「なんでだ?」って言うなら、一度その場に立ってみればいいじゃないか。
 みんなだって、震えるんだ。
 おまえだって、怖いんだ。
 大きく迫る『アレ』が。
 それに、ボクは目立つのも好きじゃない。
 本当に厄介なものが今、迫りつつある。ボクが100年生きたってすれ違うかどうか分からない人達さえ、一気に飲み込もうとしている。溶かすような光と痛いような熱をまとって、落ちてきている。今も、ボクの足の下にいる愛しい彼女は導いている。早く早くと手招いている。そんなに『アレ』が恋しいのかと、嫉妬を覚えてしまうほどに。
 残念ながら、君達を会わせるわけにはいかない。織姫と彦星を別れさせた天帝様の代わりに、ボクは今からならないと。
 だって、ボクだけが手段を持っている。
 天に向かって、あるものを開く。薄さのわりに表面は凶器になり得るほど硬く、光沢を放ち油断すると指が切れるような紙がある、真っ白な本だ。
 腕が悲鳴を上げるぎりぎりの高さで掲げる。普段、体育でしか身体を動かさないから、きっとすぐに痺れがくるだろう。その前に、ケリをつけなければならない。
 どうしたって竦むんだ。
 怖いんだ。
 おまけに目立つのも好きじゃない。
 でも、死ぬのもイヤなんだ。
 だから、ありったけの声で叫ぶんだ。『アレ』を封じ込める呪文を。
「−−−−−−ッ!」
 天の白が膨れ上がり、周りの色を溶かしていく。本の下にだけ影が残り、やがて消えた。
 光より更に眩しい世界。
 音の無い世界。
 ボクは胸に鈍い圧迫を感じて。
 そして、世界は暗転する。

 ◆◆◆

 目を覚ましたボクが最初に見たものは、掲げた両手と見慣れた天井だった。
 恥ずかしい。
 そう知覚すると、すぐに頬が熱くなった。半目になって腕を下ろす前に、圧迫感の正体を知る。
「重いよ、タコヤキ」
 右手でしっぽの付け根よりやや上を軽く押すと、しぶしぶといったようにデブ猫は床へと退いた。茶色くて丸くて、本当にタコヤキみたいだ。とても、おいしそうには見えないけれど。
 上半身を起こして、あくびをしながら右手で頭を掻く。空いた左手は、昨日枕元に置いたはずのものを探し当てた。薄手の本は、実行しなくたって攻撃力があると分かる。図書館で魅かれるようにして借りた『彗星の絵本』は、今日が返却の期限だ。
 伸びをして窓の外を見ると、朝日と真逆の方角に白い点があった。年に1ミリメートルにも程遠い直径で大きくなっている『アレ』。肉眼では確認できないが、確実にこちらに迫っている。夢の中と違い、今のボクには阻む手段が何も無い。
 だけど100年生きるより早く、天帝様の代わりになってみせるんだ。
 待ってろ、恋敵!