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下山村の阿蔵という集落で、黙々と仕事をしている人がいた。雨続きで根腐れで野菜が育たないと嘆いていた。このひとは小泉政治は弱いもの切捨てと怒っていた。イラクのことも許せないとも。
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この大根は、なぜ一本だけ残してあるのだろうと思いシャッターを切った。生き物はすべて寿命がある。食べられた方が幸せなのか、これからどうなるのかと、思いながら後にした。 |
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蒲郡市清田の大樟、この大クスは根回り13.6メートル、樹高22メートルもあり樹齢1千年とあった。国の指定天然記念物であり、中部地方第一位だそうだ。とにかく見ると元気が出る大木だ。 |
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岡崎市営の桑谷山荘の玄関で、この猫たちの歓迎を受けた。「なにこれっ、どうなっているの」とシャッターを切ったが、さらにそのままの姿だったので、友人にチャンスと告げたら即「解散」したとのこと。残念。 |
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久しぶりに広島の原爆ドームへ行った。平和を望む子供たちでいっぱいだった。この瞬間もアメリカは戦争を世界で仕掛けていた。友人はアメリカと言う国を、子供にどう説明したらいいのかと嘆いていた。 |
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沖縄の北部にある恩納村内にある風景である。米軍基地を住民の強い要求で返還させたところと聞いたが海辺は米軍使用の「基地」だそうだ。このきれいな海と沖縄には戦争の道具は似合わない。 |
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どこかで見たバス停、よく見ると「迷鉄バスおりば」となっている。さらに「いつまで待ってもバスは来ません」とわざわざ書いてある。過疎化で名鉄バス撤退へ抗議の声が反映している風にも。香嵐渓で有名な足助町葛沢(しずらさわ)にて |
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越前海岸をドライブ中に一人のおじいさんが店先で仕事をしていた。乾物屋さんである。見事に吊るしてある沢山の干し魚の状態は見ているだけで楽しい。おじさんと記念写真をとりおまけもしてもらった。 |
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琵琶湖のほとりで貴重で珍味な食べ物がある。「鮒ずし」というが好きという人は少ないかもしれない。いや食べたことがないかも。友人の在所で作っていた。人間の生活力と知恵を食べるのに等しいと実感。 |
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三谷温泉(蒲郡市)の弘法太子像である。20数メートルもある高さの像を見ていたら偶然にもはとが飛んできた。シャッターを切って焼き増ししたら、ちょうどお口のところへ鳩が、まさにシャッターチャンス。 |
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このいろりばたの風景は昭和30年代を思わせるものだが04年8月の事。友人らと会食したとき、しかも焚き火で友人の手料理をご馳走になった時のもの。九頭竜(福井県和泉村)へ行けば今もある。 |
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三河湾の無人島へ友人の船で潮干狩りに行った。たくさんの獲物が無料でとれ、雄大な海の景色を満喫し、日ごろの日常生活を忘れた楽しい一日だった。ダイナミックで大きな気持ちにも感謝。 |
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日本海・越前海岸をドライブ中、見た光景である。海鵜が一列に並んでいるでは。海岸べりに下りたらごみの中に朝鮮半島からの漁具の一部がたくさん流れ着いていた。「平和な海を」と祈った。 |
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福井県で日中関係のある会合で宿泊した朝、一晩でこんなに積雪があるのか、初めての体験であった。豪雪地帯の暮らしと生活は想像を絶する困難があることと思った。 |
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これは料理屋の店先にあった「看板」である。その年に獲れ、持ち込まれたものの一部で、イノシシの毛皮なのだ。ししなべが得意なお店だったが「これっ、たべるのっ」とお客さんは声を出していた。香嵐渓で |
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近代労働運動の発生の地を示す看板が香嵐渓で有名な足助町にある。江戸時代(1844)今でいう「運送代」をめぐって馬方がストライキを起こしたところである。役場隣の橋のすぐ北側左に立っている。 |
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三河山間部での田植え風景である。「気だけもんで」機械を使って田植えができないお年寄りが、「姉さんかぶり」でおしゃべりしながら若い衆の作業を見ていたところへ出会った。
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この道路は足助町と下山村を結ぶ、巴川沿いの県道である。二メートルもあるつららは、「冷凍庫」のなかを走るみたいで寒さはいっそう厳しく感じた。 |
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久しぶりに元気な農作業の姿で、田んぼに出ていた。腰と腕が痛いと前年は作業に出れずぼやいていたがこの笑顔は満足しているようだった。私までうれしくなってシャッターを切った。 |
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これは「避難民」ではありません。日当たりの少ない自宅から反対側5百メートルもある日向へ息子の分含めて蒲団を干して背負って帰宅するところである。80近いおばちゃんにとって重労働である。(1) |
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上の写真と同じところであるが、この写真は全国写真展(視点展)に入選した作品である。東京都美術館、愛知県美術館にも展示されためずらしい元気なおばあちゃんの生活ぶりが話題となった。(2) |
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「写真とるのかー」といっていい笑顔をしてくれた。戦争中、仲間が何百人も空襲(豊川海軍工廠)で殺された事など話していただきました。
「戦争しちゃいかん」を心底、実感した出会いのひとコマであった。 |
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なかよしのおばあちゃん達が今日もひなたぼっこで集まっていた。何の用もない、これといった仕事もないのに集まる。この犬も500メートルも離れた家の犬であるが「ひとりで」来たなかまである。 |
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このトンボは名前は分からないが静かな環境できれいな水が流れているところ、清流でなければ生存しない,かわいい生き物だ。くらがり渓谷という公園で撮影したが「暗がり警告」でなくてよかった。 |
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友人の案内で撮った写真。このような農山村の風景は少ない、災害日本、食糧自給率低下、過疎化と言われるなかでおいしいお米の生産に、関わるみなさんの役割は益々大きくなっているのでは。藁文化も貴重だ。
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ポンツク大会があった。池を干して魚を獲る行事のことである。大きな鯉などを大格闘の末、沢山つかみ、この子の目には感激か、大変だったのか涙が出ていた。忘れる事の出来ない思い出となったはずだ。 |
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下山村の知人宅を訪ねたら大騒ぎをしていた。野生のお猿さんの子どもが手の届くところにいるではないか。1メートル近くまで寄って来て、30分ぐらい私たち4人と遊んで山へ帰っていったが。その後は・・・・ |
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一心不乱に魚を追う姿はなかなか見れない。この少年は、このあたりに必ず魚がいる、その確信があったのだ。泥んこになって遊ぶ光景は自分の子どもの時代とダブって懐かしかった。 |
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豊田市と岡崎市の境界を流れる郡界川ほとりに水車を動力とした産業があった。ガラ紡と言われていた。いまトヨタを中心とした自動車産業だが、一時代前は「花形産業」であった。貴重な産業遺産では。 |
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豊田市の平戸橋近くに民芸館がある。機会があって穴窯による講習会があり参加。3日間ぐらい1100度ぐらいを炊きつづけると完成。取り出す寸前の作品が見える。この時の興奮した自分は忘れられない。 |
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誰もが、川で楽しく遊んだ経験はあると思う。矢作川の「ふっそ公園」での親子のたのしい遊び風景である。子どもたちが安全に川で楽しめる場所、魚とりなどが自由にできる空間が広がる事を期待しつつ。 |
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三河山間部には「花まつり」という郷土の祭りがある。年金者でツアーを組んで、東栄町の「月神社の花まつり」に参加した。小さな子どもまで含め一昼夜踊り続ける、村おこしにもと観光客を、当てにするのだが、まだまだ続く。 |