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このページはこれまでの写真を「心に残る一枚」として一区切りにし、トップページの「今日の一枚」で新たにはじめましたのでよろしくお願いします
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日中友好協会の大会に東京に行った。会場の目の前が浅草神社。そこで三社祭りが最高潮に達していた。下町の町衆が総出で雨の中であったが見物人も多く、はじめて見たがすごかった。担ぎ棒が折れたり、けが人が続出したり、火事が発生したり騒然としていた。街中が歩行者天国になり、交通規制も重なってとにかく大変だった。このエネルギーが平和と友好につながる事を期待しつつ帰途へ。 06.5.21
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東京に「会議」があり出かけた時,目の前に東大の赤門がみえたのでキャンパスを見学した。その時「合格発表」の掲示板を偶然にも発見した。まずはおめでとう。最高学府だけに挑戦した若者たちには想像を絶するドラマがあるだろうとしみじみと考えさせられた。しかしこれから先,さらに大変だなーとも。06.2.19 |
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元水車ガラ紡、7年間撮り続けた豊田市内の「産業遺跡」 いまトヨタ・・・ 06.1.11. |

郷里の日南海岸のすばらしさを見てください
06.1、6 |

58年ぶりの大雪はわが家はこのようになり驚きました 05.12.19 |
 
豊田市内にある「海上の森」自然の楽園では 05.12.8 |
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この写真は中国で注意してみればどこにもある風景である。赤ちゃんがチンチンまる出し、すなわちオムツをする習慣が中国にはない。赤ちゃんの着るものはすべて、股が割れていて、自然に処理しつつ早期に中国風のトイレに慣れるのだろう。日本のように畳の上でなく、土間とベットでの生活である。これが中国人の美脚の秘密とか。05.8.26 |
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1937.7.7中国・北京郊外の盧溝橋で、日中全面戦争につながった軍事衝突が起きた。ひとりの日本兵が「行方不明」を口実に、日本軍が攻撃を仕掛けた。これを日本側は「支邦事変」と呼ぶ。しかしその兵士は部隊に帰ったのであるが、全面戦争となった。なぜ日本軍がそこにいたのか、関東軍の9・18柳条湖事件のデッチあげもそうであったように、またもデッチあげで戦争を拡大する。いまも世界各地でやられている。しかしこの獅子像は「歴史の生き証人」でもある。単なる獅子像ではない。傷だらけだが「価値ある戦争遺跡」盧溝橋の欄干の上にいまもある。05.8.26 |
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先日、私の近くで子どもたちを対象にポンツク大会があつた。田んぼに水をため、うなぎなどを放ち原則、網を使わずに魚に直接ふれることを願って、大人たちがプレゼントしたもの。となりには逢妻男川が流れているが上流が工業団地と住宅の排水が流れ込み水質は悪い。魚が住みにくくなることが元気に川で遊べない事に通じている。生活環境の悪化を考える子どもたちへ成長してほしいと願う日々である。05.8.3 |
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この出征のぼりは召集令状に対して[心から待ち望んで準備した]親族の長老が送ったものと思われる。今年の豊田戦争展に昨年に引きつづき展示したものです。いま9条を変えようとの動きは現在と将来の子どもたちに直接関わる事は明らかです。子どもたちを戦争へ送り出さないための大人の責任はいま問われている。05.7.29 |
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待っていたとばかり、夏休みの初日、巴川上流で元気な少年たちが川遊びに熱中していた。友人と自分たちの少年時代と重ねた思い出話にはなしが弾んだ。しかし上流にゴルフ場があり汚水が流れ込んでいるとも。自然環境に強い関心をもってと期待しつつ。05.7.21 |
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これは神風特攻隊員の遺書です。靖国神社の社務所前で誰もがまず必ずとおる場所にあります。毎月張り変えるのだそうです。徹頭徹尾戦争神社です。「私たちは忘れない、靖国で会おうと散って逝った若者のことを」という映画を常時上映している。あなたはどう考えますか。 05.7.12 |
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毎日の日課は持病で苦しむ奥さんの介護と。いわくお金もないし、ここへくれば時間が過ぎていくから、また畑仕事が大好きだからとも、しかし オートバイに乗って県道を17キロの道のりを走るのだが、交通事故にあわない事だけを祈る。05.6.17 |
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顔、なんともいえない風格がある。目を見れば優しさと鋭さが、しわからすれば苦労人、格好はきざっぽいが、誰もが親しみこめてお付き合いでき,信頼する私の友人である。05.6.10 |
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