地 域 紹 介
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 若林は天喜2(1054)年18軒に始まり、若林小左衛門が一村を管理したという。若林の名は、この若林小左衛門の若林から起こったとされている。また、碧海郡誌には「此の地村閭を挟んで南北皆椒丘松翠、碧露滴る或は是れに基きしものなるべきか」とある。小左衛門の住まいは向屋敷と言って今の浄照寺の地であった。
 明応5(1496)年本多四郎左衛門、八幡宮に観請して開拓を始めた。永正12(1515)年千葉三十郎の領有するところとなり、のちに三十郎の子、都築小三郎が管理して代々相つぎ、元和2(1616)年水野忠清の領地となって苅谷藩に属した。その後たびたび領主の変遷があって、明治4(1871)年廃藩置県となって額田県に入り、また愛知県の所管となり、明治26(1893)年町村制実施によって花園・吉原・中根と合併して花園村となり、明治39(1906)年5月1日、高岡村に編入となる。
<「高岡町誌」より引用>