猿投のまちの紹介
平戸橋公園
 矢作川 
 愛知県の最高峰茶臼山より流れ出て県の中心を貫いて三河湾に注ぐ。
 豊田市の真ん中を流れ、飲み水、灌漑用水、漁業等、いろいろな面で利用されている。昔は物資の運搬にも利用された。
 猿投のまちは豊田市の北部にある。猿投山の麓に広がる台地に、古くから陶器と農業・林業を中心に栄えた町である。
家の近くの風景
畑が広がっています。
鳥もやってきます。
 猿投山
 豊田市の北にある市のシンボルとなっている山。ほとんどの小中学校の校歌に歌われている。
 古くは鷲取山と呼ばれていた。
 景行天皇が伊勢に在るとき1匹の猿をそばにおいて可愛がっていた。天皇が京へ還るとき猿の穢があって、これを海に投げた。やがて猿は鷲取山に隠れた。
 日本武尊が東征のとき、三河より壮士が参加した。この壮士こそ景行天皇が愛した猿であった。日本武尊が東を平定した後、この猿を報恩し、鷲取山を猿投山と称するようにした。
                (猿投町史より)


 猿投神社(旧県社)
 仲哀天皇創建
 景行天皇 垂仁天皇 大碓命を祀る
 景行天皇第一皇子大碓命が猿投山に登り蛇に噛まれて死、山上に葬る。
 山上に墓あり。
枝下(しだれ)用水沿いの桜

そ の 他
豊田市民芸館
陶器や民具が展示してある。
陶器作りもできます。
いそ神さん
おちんちんの神様です

 灰宝神社(旧村社)
 「灰の宝」とあるように陶器の神様埴安姫命を祀る。
 すぐ下の矢作川に越戸港があり、ここから陶器などの物資を送り出したとのことである。
 境内に航海安全を守る津島神社もある。 
猿投神社
大碓命墓