3月の期末を切り目に、みんなで一緒にやってきた「里山塾」や「哺乳類研究会」などの活動から"年"を感じて身を引くことにしました。そこで、若干時間に余裕ができたことから、好きな釣りや仏像巡りに残りの時間を費やしていくことにしました。
 また、日頃思っていたり、感じたことをおもうままに書いて、「つれづれ記」として残していくことにしました。

 ぜひこのコーナーにも訪れて、みなさんの声を聞かせてください。

  「1 室生寺行」  「2 おもしろい数字1」  「3 鎌倉行」
  「4 おもしろい数字2」   「5 てくてくまっぷ-三重18」
  「6 おもしろい計算の話」


6 <おもしろい計算の話>

 今回はおもしろい計算について話をしましょう。
 私の子ども時代にはお祭りには屋台が並び、香具師(やし)と言われている人がおもしろい話をしながら物を売ったりしていました。そんな香具師の中に本を売る人がいました。人が集まってくると
「今から手品をします。そこのおねーさん、1から9までの中で好きな数選をんで覚えておいてください。今から私がその数を当ててみます。」そして「今覚えた好きな数に5を足してください。足しましたか、次にその数に2をかけてください。いくつになりましたか?」「22です」「あなたの好きな数は6ですね」おねーさんはうなずきました。「もう1回やりましょう。こんどはそこの中学生かな。君も1から9までの中で好きな数字を決めてください。こんどは紙と鉛筆を渡すから君の覚えた数字をこの紙に書いてみんなに見せてね。おじさんは後ろを見ているから」振り返ると「それでは君の覚えた数にこんどは8をかけてください。次にその数から5を引いてください。そして今計算した答えを2倍してください。いくつになったかな。」「54です」「君の好きな数は4だね」みんなから大きな拍手が起こりました。

「次にみんなと計算競争をしよう。おじさんは答えをこの紙に書きます。みんな計算ができたら手をあげてね。」
 「35かける35は?」
おじさんは紙に数字を書きました。しばらくして中学生ぐらいのお兄さんが手を上げました。
 「はい、君の答えは」
 「1225」
 おじさんお紙にも1225と書いてありました。
 「もう一つ問題を出そう。75かける75は?」
 みんなが計算に挑戦しやっと5625と答えを出したのですが、すぐに答えを書いたおじさんの紙にも5625と書いてありました。

 その後おじさんは本を取り出して
 「今までやった手品や計算方法は全部この本に書いてあるよ。定価は800円と書いてあるが今日は縁日だから700円、---えーい、もう残り30冊しかないから500円。早いもん勝ちだよ。」
 そんなことを言いながら、”本”といっても半紙にガリ版刷りで作った粗末な印刷物ですが、袋から取り出すとあっという間に売れてしまいました。私も欲しいと思いましたがそんなお金は持っていません。きっと親が一緒だったら買ってくれと駄々をこねたでしょう。

 さて、それから何年かして私は中学生になりました。変数というのを勉強しました。
 そして、35×35の計算のからくりが分かってしまったのです。
 35×35は 30×30 と 30×5が2つ と 5×5 を合わせたものです。
 この中の 30×5が2つ は 30×10 になります。30×30と30×10を合わせると
 30×(30+10) 30かける40 これは筆算では 3×(3+1) と計算することになりますね。だから、35×35は 3×4に5×5を合わせて 1225 とすればよいのです。
 もし、85×85 なら 8×(8+1)に5×5を合わせて7225とすればよいのです。
 変数では次のようになるのです。aは3や8と考えてもいいのです。また変数を使う場合は変数かける数や変数かける変数は×を省略することになっています。
 だから (10a+5)×(10a+5)=
10a×10a+10a×5×2+5×5=10a×10(a+1)+25
 =100×a×(a+1)+25  a=8 なら 8×9=72 で 7225 となるです。
 *このことは1の位が5でなくてもできるものがあります。どんな数の時か考えてみてください。

 手品の方はもっと簡単です。実はこの手品は2つとも私が作ったものなのです。香具師のおじさんの手品も同じ方法で作っているのです。
 □に5を足します。その合計を2倍します。その答えが22ということは
 □の2倍と5×2=10を足したものが22ということです。
 だから好きな数は 22-10=12 12÷2=6 と分かるのです。
 次におじさんが当てた8をかけて5を引いて2倍する手品の見つけ方は自分で考えてみてください。これが理解できたら自分で手品を考えて友達の前で行うとみんな驚くと思います。
 なお、本の本当の金額は覚えていません。今ならこれぐらいだろうと推測して書いたものです。
 
 

5 <てくてくまっぷ蟹池・智積水コース
 
 近鉄の
ハイキング案内の中に「てくてくまっぷ」という名前の催事がある。
 近鉄の駅を起点に駅に備えられた地図を見ながら、その地域で今でも大切にされ守られている神社や寺、遺跡などをめぐりながら次の駅までをハイキングをするというものである。
 今回は湯ノ山温泉線の菰野駅から高角駅までを歩く蟹池・智積水コース>をめぐってみることにした。マップではコース距離は9km強となっている。3時間あれば完歩できるだろうと予測して、逆回りで高角駅から菰野駅に向かい、湯ノ山温泉によって温泉に入るという計画を立てた。

 11月26日晴れ。7時起床。8時20分の電車に乗る予定が間に合わず、8時
35分の電車に変更。9時30分近鉄名古屋駅到着。9時41分発松阪行き急行に乗車。四日市で乗り換えて高角駅についたのは10時41分であった。
 駅は無人で降りたのは私だけであった。駅の前は草が茂る小さな広場になっていて、隅に自販機が1機ぽつんと置いてあるだけの実に殺風景な駅であった。
 広場を抜けて踏切を渡ると一面に田んぼが広がっている。その田んぼの上に釜が岳と御在所が日を浴びてくっきりと浮かんでいた。
 最初の目的地「一生吹山」は山の上にある。駅から田んぼ中の一本道を1kmほど進むと急に道は細くなって坂道になった。道の両側は雑木林に変わり、九十九折になった道は日が差したり陰ったりを繰り返した。道を流れてくる風は、汗ばみはじめた肌にひんやりと気持ちよく、11月末であるのにまるで初夏のハイキングのような心地がした。
 峠に来ると大きな建物が現れた。地図を見ると配水池とのことである。一生吹山はこの配水池に沿って右に脇道を進むことになっている。ところがその道が見当たらない。配水池のフェンスに沿ってけもの道のような細い道らしいものがあるだけである。しばらく思案した後とりあえず行けるところまで行ってみようとけもの道をたどった。配水池のフェンスがつきるところまで来るとこんもりとした森が現れた。森の奥に小さな鳥居が見えた。鳥居の横には幟が立っていて、毘沙門天の文字が確認できた。鳥居をくぐると広場が現れ、左側に7つの小さな祠が並んでいた。祠の扉の上にそれぞれ七福神の名前が記されていた。七福神を過ぎたところにやや大きめの祠が見えた。これが一生吹山毘沙門天であった。
 次に向かうのは大師堂である。ところが境内のどこを探しても出口に当たる道が見つからない。うろうろしていると、運よくそこに地元の参拝者が現れた。早速地図を見せて大師堂への道を尋ねると、しばらく地図を眺めていて「分かった。ここに階段が書いてあるでしょう。ここを入ってすぐのところにに階段があって、しばらく進むと高速道路に出会う。その道路をくぐったところにこの祠がある」と教えてくれた。
 なるほど地図をよく見るとそこに階段らしきものが書かれていた。お礼を言って、示してくれた森のトンネルをくぐるとすぐに階段が現れた。急勾配の道はやがてなだらかになり車が通れるほどの広さになった。そこに高速道路があった。大師堂は高速道路のすぐ脇にあった。お堂の中には弘法大師が祀られていて由緒書きには水にまつわる話が書かれていた。
 大師堂からは道は平坦になった。民家の並ぶ間を川が流れていて、何度も曲がる道をたどりながら西勝寺に向かった。西勝寺は浄土宗の寺でどっしりとしたお堂と立派な門があり、門前にある石組みの中をきれいな水が流れていた。智積養水といって名水百選に選ばれた用水とのことである。用水の中を錦鯉や清流に棲むオイカワが泳いでいた。
 次に訪れるのは椿岸神社であったが、西勝寺の前が椿岸神社であった。入り口には立派な石造りの門柱があったが本殿はさほど大きくはなく、境内も広くなかった。
 椿岸神社から桜駅へ進んだところで前半は終わりになる。
 時計を見るとすでに12時半を回っていた。桜駅の前には湯ノ山温泉への県道が走っている。食事をする場所もいくつかあった。しかし、どの店もボリュームのある食べ物を提供する店ばかりで昨日から胸やけのある身には遠慮したい店ばかりである。
 サンドイッチかうどんの店を探そう。そう決めて県道を菰野に向かって歩くことにした。ところが行けども行けども店が見つからず、菰野町に入ってやっとなじみのある喫茶店に出会うことができた。喫茶店でサンドイッチとコーヒーを腹に納めると少し気持ちに余裕が出てきた。
 さて続きをどうしよう。地図を見ると菰野駅の北800mほど
のところに計画では最後の訪問地としていた五郎兵衛地蔵尊があることが分かった。
 すでに時計は1時半を過ぎていた。県道をまた西に向い、「菰野駅入口」の表示を左手に見ながらさらに道を進めると菰野高校への道案内が見えてきた。ここで県道を離れ北に1km弱進んだところに五郎兵衛地蔵尊はあった。それほど大きな祠ではなかったが、大きな木に囲まれてたたずんでいる祠には厳かな雰囲気があった。祠の前には小さな池があった。池には錦鯉が泳いでいた。池の真ん中に植栽があった。ここはマコモダケの発祥の地とある。きっとマコモの植栽なのだろうと勝手に推量した。
 菰野駅についた時はすでに2時20分を過ぎていた。計画ではこの後湯の山温泉に行くことになっていたが取り止め、駅を40分に出る四日市行に乗って帰宅の途に着いた。
 また行き当たりばったりの旅になったが、好天に恵まれ、疲れたが気持ちよく回ることができて楽しかった。このコースで印象に残ったのは至る所できれいな水に出合ったことである。御在所の恵みの素晴らしさを痛感した。



4 <おもしろい数字2>


 先回「おもしろい数字1」で
、数の規則性について2乗の計算の話をしましたが、3乗についてもおもしろい計算方法があるのです。

 
(1+2)2-(1))2=9-1=8=23 (1+2+3)2-(1+2)2=36-9=27=33 ---
 25の3乗は (1+2+---+25)2-(1+2+---+24)2=105625-90000=15625=253 
です。

 つまり、nの3乗を求めたいときは、1からnまでの和の2乗から1から(n-1)までの和の2乗を引けば求めることができるのです。おもしろいですね。でも実際には3乗を求めるにはそのまま3回かけた方が簡単ですよね。
 このように数に規則性があるため、いろいろおもしろい計算が出てくるのです。調べればまだまだおもしろい計算が見つかると思います。挑戦してみてください。
 
 数の中で「9」の次におもしろいと思うのは「0」です。
 5+0=5 24+0=24 --- 0+8=8 0+25=25 0に何を足しても変わらない。
 8-0=8 32-0=32 --- 0を引いても変わらない。
 0-8=-8 -8は0の場所から下へ8下がったところと考えその位置を-8と表すことにしているのです。逆に8上がったところは+8と表します。そうすると
 0+8=+8 0-8=-8 となり、0に何を足しても何を引いても変わらないことになるのです。
 次にかけ算はどうでしょう。
  6×0=0 28×0=0 ---、0×9=0 0×45=0 
つまり、6が一つもないから”ない”=0、何もないものが45個集まっても”ない”=0 なのです。
 割り算はどうでしょう。
 0÷8=0 0÷32=0 ないものをいくつに分けても”ない=0”になります。
 ただ割り算には困ったことが出てきます。
 5÷0=? 5の中に0(ものすごく小さい数)がいくつあるかと考えると”無限”となります。それでは 12÷0は これも無限になります。つまりみんな無限になってしまって区別ができない、つまり答えが得られない-計算できないということなのです。それで現在は0で割ることは禁止になっているのです。
 じゃ”0”なんていらない---?。そうでしょうか。
 0のなかった時代を想像してみましょう。
 次の計算をしてみてください。三千四百六たす二千八十五は? 難しいですね。
これが 3406+2085 とすればすぐ計算できますね。
 このように”0”が発明されたために計算が簡単になり、-8などの新しい数字が考え出されるなど、近代数学が急速に発展したと言ってもいいのです。

 【0は7世紀にインドで発明されたということです。】

 
3 <鎌倉行> 

 R5年11月9日晴れ
 8日に兄弟会で東京に行くのを機に、まだ行ったことのない鎌倉に行くことにしました。久しぶりの兄弟会で若い頃の思い出に花が咲き楽しく過ごした後、8日は川崎に住む弟の家に泊めてもらうことにしました。初めての鎌倉行で鎌倉へはどう行けばよいかも分かりませんでしたが、弟たちの分かりやすい説明と詳細なメモで大体の様子は分かりました。
 9日、まず弟の家から鎌倉へのアプローチが心配だからと、弟の嫁さんが最初の電車を付き添ってくれました。おかげでなんの苦も無く江ノ電に乗ることができました。
 さて、これからが昨日のメモの出番---と、ポケットを探りましたが、ありません。あわててカバンの中を調べましたがここにも何もありません。
 結局いつものように行き当たりばったりの旅をすることになってしまいました。
 ところで、さてどんな駅があってどこに下りたらよいのだろうか。ばったり旅に決定したもののどんな駅があってどこに下りればよいのか全く見当がつきません。必死になって電車の中を見まわすと、ありましたありました「江ノ島」「はせ」「鎌倉」。
 江の島はぜひ行くとよいと進めてくれたが、時間がかかるとも言っていたので時間があれば行ってみることにして、「はせ」「鎌倉」のどちらかを出発駅に決めて回ることにしました。
 「はせ」駅に着くと人のあふれる鎌倉と聞いていたのに意外に下りる人が少ないのにびっくりしました。「よし今回の旅はここから始めよう」そう決める急いで下車、今回の旅を長谷寺から始めることにしました。
 駅の前の道を案内表示に従って歩き始めると、全く予想に反して歩道には行く人帰る人でごった返し、歩道からはみ出ることもしばしばの状態です。「判断はずれも旅の楽しみの一つ」と、無理やり納得させながらぶらぶらと長谷寺に向かいました。
 15分余で長谷寺への交差点につきました。左が長谷寺右が大仏です。長谷寺から回ることにして道を左にとりました。
 シャクナゲの長谷寺の名の通り、寺はシャクナゲをはじめとして、寺全体が樹木に包まれたような寺でした。それぞれの堂はそれほど大きくはないが、山の周りにうまく配置されていて”まとまりのある美しい寺”の印象を受けました。そして、何よりも感銘を受けたのは本尊の十一面観音の美しさです。深い思いを胸に秘めて静かにたたずむその姿は、人の心の美しさ、人の心の深さを訴えているように
思え、思わず手を合わせました。
 長谷寺を出て10分ほどで高徳院の大仏に着きました。なるほど大仏と言われるだけあって大きな大仏です。東大寺の大仏と比べてどちらが大きいのだろうかとふと思ってしまいました。50円払うと体内に入れるということなので入ってみましたが、なんのことはない、銅でできた祠に入ったというだけで、かえって大仏が小さく感じてしまいました。
 長谷から鎌倉へはバスもあるようですが、もう一度電車で向かうことにしました。 駅に着くと驚いたことに「はせ」のホームは降りた時とは大きく異なり、あふれるような人の群れです。この様子では八幡宮の参道はテレビで見るように人であふれ歩くのもままならぬのだろうとちょっと心配になりました。
 鎌倉駅を出ると、またまた驚いたことには、あれほど多くいた乗客の群れが不思議なことに消えてしまっているのです。八幡宮に向かう真ん中の参道にはほとんど人の姿がなく、私の前には外国からの観光客だろうと思われる若い母子がいるだけでした。
 八幡宮前の鳥居をくぐると大きな広場になる。広場には屋台も出ていた。広場が尽きるところに立派な朱塗りの橋がある。この橋は神様が通る橋ということで参拝者はわきの橋を渡って本殿に向かう。
 橋を渡って小さな広場を進むと階段がありその先に朱塗りの立派な舞台がある。その昔静御前が義経のために舞った舞台ということである。
 舞台のわきを通ってさらに進むと広場の先に長い階段が立ちはだかる。階段のわきに若木のイチョウが見えてくる。ここは将軍実朝がイチョウの木に身を隠していた公暁によって暗殺された歴史的場所である。この今あるイチョウの木は公暁が身を隠したイチョウの木の子孫ということである。
 長い階段を上ると目の前にそびえているのが本殿で
ある。本殿前の広場が狭いので扁額は仰ぐようにして見なければならない。額には金で縁取られた大きく堂々とした「八幡宮」の文字が書かれていた。
 八幡宮の見学で今日のメインの予定は終わったが時計を見るとまだ1時ちょっと過ぎであった。帰るにはちょっと早いようだ。思案しているとちょうど神社入り口の常夜灯脇に「建長寺まで15分」と書いた看板が目に留まった。15分で行けるなら寄ってみようということで歩き始めると、なんと昨日教えてくれた干物の店があるではないか。道々探しながら歩いてきたのに見つからず、諦めていたのにこんなところに店あったとは。早速覗いてみるとおいしそうな干物がずらっと並んでいる。早速、弟の家と自宅あてに詰め合わせを送ってもらうようにした。
 建長寺は坂を少し上ったところにあった。総門をくぐり受付をすませて中に入ると運動場のような広場に出る。広場の少し右寄りに背の高い豪華な作りの三門が立っている。門と言われても周りには遮るものがなにもない広場の真ん中にあるのでまるで木造の楼閣の観があった。
 門の右には鐘楼があり国宝と説明があったので写真に収めた。
 仏殿の地蔵菩薩は広い豪華な部屋の中にまるで如来になったように座って参拝者に微笑みかけていた。
 法堂の中は広く千手観音が小さく見えました。ここで一番胸を打たれたのは釈迦苦行像です。骨と皮ばかりになった痛々しい体、苦悩にゆがむ顔、でもしばらくするとその顔の中になんとなくほっとした表情が見えてくるのです。
 見学を終えて戻ろうとしたら門前の案内に鎌倉駅20分、北鎌倉駅15分とありました。
戻るより近くて新しい道を歩く方が楽しいだろう、そう思って坂を上る道を進むことにしました。
 峠の頂上あたりに「銭洗い弁天」の案内表示が出ていました。案内地図から予想した場所とは違っているのに驚きました。昨日の話ではかなり距離があるということであったのでここは省略することにしました。
 さらに進むと道沿いに「東慶寺」の表示が出ていました。昨日の話し合いでは「何もない寺」ということで省略する予定の寺でしたが、道路のすぐ上が入り口なのでちょっと寄ってみる気になりました。階段の上の枝折戸をくぐると道の両側に花木がいっぱい植えられていて、咲いている花もありました。お堂は入り口から数歩のところにありました。お堂の前の小さな庭には苔が広がっておりその間に可憐なリンドウの花がいくつも顔を見せていました。「寺内すべて撮影禁止」がとても残念に思いました。お堂はそれほど大きくはなく、寺全体がこじんまりまとまっていて”雅人の別荘”そんな印象を受けました。
 東慶寺を出てしばらく進むと電車の線路が見えるところに出ました。そこに「明月院」と「円覚寺」の案内が出ていた。円覚寺は昨日の話の中にも行くことができたら行くとよいと勧められていた寺である。明月院の話も出たが、どうも右手の奥の方にあるようなのでこれは省略することにした。
 円覚寺を目指して進むと行く手に駅が現れました。駅の山側が目的の円覚寺でした。円覚寺の入り口は踏切を渡ったところにあり、「円覚寺」「北条時宗御廟所」と書いた石柱の間を通り総門を抜けると目の前に大きな三門が現れます。三門は建長寺の三門とよく似ていて、脇に鐘楼のあるのも同じです。この鐘も国宝に指定され鐘は関東一の大きさいうことでした。
 三門の広場を抜けると急に道は細くなり山道になります。山道の両側に仏殿、大方丈、佛日庵など多くのお堂が並んでいます。佛碑庵は北条時宗の墓所ということでした。もっとじっくり見たかったがそろそろ4時ということで駆け足見学になってしまいました。
 北鎌倉はJRの駅です。それ故、在来線、新幹線と乗り継いで豊橋へ出ることができました。豊橋からは名鉄に乗り継いで自宅に帰りました。
 今回の旅で、行き当たりばったりの旅も楽しいが、円覚寺や建長寺など大きな寺などは事前にインターネット等で十分下調べをして見学することが、より充実した旅になることを痛感しました。



2 <おもしろい数について 1 >


 「数」 ”かず”と読んだり”すう”と言ったりします。音読みと訓読みの違い・・・・といえばそれまでですが、一般に”かず”というのは正の整数をいう場合が多いのですが、「すう」の方は小数、分数、はては虚数など”数学”の中で産み出されたものすべてをさすようになってきました。そしてこの数の拡張こそが数学のおもしろさでもあるのです。
 数の面白さの1つに”規則性”があります。
 例えば奇数では1を先頭に2づつ増加していく、当たり前のことですが
 1+3=4 1+3+5=9 1+3+5+7=16 ・・・・など 2の2乗、3の2乗、4の2乗・などのように奇数列の総和は規則的に奇数順番の2乗に変化していくのです。
 規則性にいては、後に数学者、物理学者として世界的に大きな功績を残したガウスは、7歳のとき先生の提出した「1から100までを足すといくつになるか」の問題に対して
 1+2+3+・・・+100は(1+100)+(2+99)+(3+98)+・・・・+(100+1)を2で割ればよいことを発見し
 101×100÷2=5050
と解答したというエピソードが残っています。
 数の中で最もおもしろい規則を持っているのは”9”ですね。九九表を見てください。
9の段の答えの10の位の数と1の位の数を足すと、
 9×1=9 9×2=18 9×3=27 ・・・・ 9×9=81 この1+8=9 2+7=9 ・・・・ 8+1=9
すべて9になります。さらに 274×9=2466 のように大きな数についても
 2+4+6+6=18 1+8=9 のように9になります。このことは逆に数の和が9になれば9で割ることができるということにもなるのです。
 ほかにも”すう”には、おもしろいものがいっぱいあります。自分でもいろいろ調べてみてください。
 なおまだ規則が分かっていない数の並びもあります。
 それは”素数”といって「1と自分自身でしか割れない数」 1 2 3 5 7 11 13 ・・・・この数の並び方に規則を見つけたら世界の数学界の大発見になります。

 ”す”うにはまだまだ面白いものがいっぱいあります。これからもここに披露していく予定ですが、みなさんもぜひおもしろい数、おもしろい規則なだを見つけてみてください。



1 <室生寺行>

 
「近鉄沿線・もみじ」 でインターネット検索をしたところ奈良の案内の中に「室生寺」が出てきた。室生寺には50年ほど前に一度訪れたことがある、が記憶にのこっているのは”川沿い”にあったということと室生寺という名前だけである。そこで今回の近鉄の旅は室生寺にすることにした。
 早速駅探でルートを調べてみると、越戸駅を7時21分に出発する電車か、8時5分に出る電車に乗ると室生寺口から室生寺へ行くバスの都合がよいことが分かった。
 昨今毎日が日曜日の身であるため、日々起きる時間がばらばらである。出たとこ、いや起きたとこ勝負で電車を決めることにした。

 11月15日金曜日。起床5時40分。まるで遠足の日の子どものように早く目が覚めた。前日の予報通り雲一つない快晴である。早く起きることができたので余裕をもって7時5分越戸駅出発の電車で行くことにした。

 名鉄三河線は通勤通学の人たちで8割乗車の状態であった。次の梅坪駅で豊田新線に乗り換えである。梅坪駅のホームは三河線に乗る人と豊田新線に乗る人でごった返していた。
 幸い豊田新線は空席も残っていたため座って伏見まで行くことができた。伏見から名古屋駅までは1駅である。伏見駅のホームはラッシュ時で長い列ができていた。乗れたのは2本目の電車であった。
 
 近鉄はホームの中でも特急券を買うことができる。名張までの特急券を購入し特急専用ホームに向かった。
 
 電車は定刻通りに発車した。津まではところどころ主要な駅には停まっていたが、津から名張まではノンストップで駆けていく。なるほど、伊勢方面との分岐点を過ぎたあたりから急に家並がまばらになり、しばらくすると電車は山の中を走っていた。トンネルをくぐることも度々であった。
 名張につくとホームの反対側にすでに急行が待っていた。名張より3つ目の駅が室生口である。

 室生口の駅は高台にあり、駅員はいなくて、女の人が一人掃除をしたり観光の案内をしたりしていた。
 
 室生寺往きのバスは駅の下の広場に停車していた。電車から降りた人は10名ほどであったのに発車時刻になるといつの間にか満員になっていた。
 終点の室生寺ではバスは町の外れに止まった。そこから川沿いに5分ほど歩くと、左手に赤い橋が見えてくる。モミジの名所と案内にあるように、朱塗りの橋を抱え込むように枝を広げた紅葉した楓の木が出迎えてくれた。橋を渡ると立派な門に突き当たる。ここからが室生寺の境内である

 門の前の道を右手に進むと受付がある。ここで入場料を払って境内に入る。
 仁王門をくぐると池のある広場に出る。広場では赤や黄色に着飾った木々が遠来の客を出迎えてくれる。広場を抜けると階段がある。階段を上がったところでまず最初に出会うお堂が金堂である。
 ご本尊は釈迦如来で、右に薬師如来 地蔵菩薩、左に文殊菩薩十一面観音菩薩、そしてその前に十二神将が並んでいる。
 いつもそうであるが、一見くすんで朽ちかけたような古い木造の彫り物であるのに、じっと眺めているとそのしぐさ表情が次第に命を帯びてきて何かを問いかけているように思えてくる。
 金堂の左手には弥勒堂があり弥勒菩薩と釈迦如来が安置されている。
 
 さらに階段を上ったところに本堂がある。実は金堂が本堂であると思ったのに、堂の前にある「本堂」という表示を見て一瞬意外に思った。案内には真言密教のもっとも大切な法儀である灌頂を行う堂であり、したがって室生寺の中心となる堂、即ち本堂ということであった。ここには室生寺の本尊如意輪観音菩薩が安置されていた。
 
 本堂からさらに階段を上ったところに五重塔がある。五重塔としては若干小柄ながら、木々の中にたたずむ朱も鮮やかに整った姿はしばし感動を覚える。

 五重塔を右に見てさらに階段を進むと「奥の院」の案内表示に出くわす。奥の院への道は最初は珍しくなだらかな道が続く。左にカーブする道をしばし進むとやがて目の前に手すりのついた幅の狭い急な登り階段が現れてくる。上を見るが階段しか見えない。階段をやっとのことで登り切ったのに、また階段が現れる。どこまで登れば奥の院にたどり着くのだろうか、とちょっと後悔を始めたところにちらっと建物が見えてきた。あと少しと喜んだのだが、急階段はさらに続く。
 へとへとになってたどり着いた奥の院・御影堂は、建物は立派だが中は広い板の間になっていて、その周りに位牌が並んでいる、なんとも殺風景なお堂であった。案内には弘法大使の像が安置してあるとのことであったが、なんど見回しても姿を見つけることはできなかった。
 
 奥の院からの戻りは急階段を下ることになる。階段の幅が狭く1つ1つの踏み石の角度が異なっているのでバランスを崩しやすい。手すりにつかまって歩こうかとも思ったが、年寄りに見られたくない(実際には年寄りなのに)という気持ちが働いて真ん中を歩いた。時々ふらっとすることもあったが、なんとか無事に降りてくることができた、とほっとしたところで最後の段を踏み外して転倒。やはり自分は年寄りであった。

 室生寺が女人高野と言われる所以は、女性にも開放された真言密教の寺であるからと説明書にある。それ故か、どのお堂の前にもお参りするときに唱える真言が記してあった。
 また、この険しい山、そして急な階段、この寺が真言宗の厳しい修行の寺であるということもうなずくことができた。
 
 室生寺見学の後、時間も十分あるので近くにある龍穴神社によった。訪れる人もほとんどなく、広い森の中にひっそりとたたずむその姿に神のやどる森、神苑を感じ思わず頭をたれ手を合わせた。
 昼が少し過ぎていたが、それから名張によって昼食をとり、名張の街を少し散策してから帰路についた。
 



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涛魚先生のつれづれ記