沖縄「普天間爆音訴訟」判決

低周波音被害については

「原告全員が等しく精神的苦痛を受けているとは認められない」


 2008/6/26「普天間爆音訴訟」の判決が出た。 ネットで解る報道では

 朝日新聞は「普天間騒音訴訟、国に賠償命令 全原告の被害認定」
 読売新聞は「普天間騒音で国に賠償命令、飛行差し止めは認めず
 毎日新聞は「普天間爆音訴訟:国に賠償命令 差し止めは棄却」
 琉球新報は「普天間爆音訴訟:国に賠償命令 差し止めは棄却」
 沖縄タイムスは「普天間爆音に賠償命令/国へ総額1億4000万円」

と言う見出しで報道していいる。この見出しの「騒音」「爆音」と言う言葉一つでも基地騒音に対する温度差が解る。私もそうであるが、実際にヘリやジェットが上空を飛んでいない人には「騒音」「爆音」「轟音」の差は解らないと思う。それは音と言う感覚に対する想像力を働かせようがないからである。参考までに、「普天間飛行場 騒音被害映像」をリンクしておく。

 各紙をまとめた判決の要旨としては、

@ヘリコプターなどの航空機騒音について、爆音による生活妨害や睡眠妨害に伴う精神的被害を認め、「高血圧や肩こりなどのストレスや生活妨害による精神的苦痛の原因になっている」と違法性を認定し、「普天間飛行場の設置、管理に瑕疵(かし)がある」として、国に計1億4672万円余の損害賠償を命じた。転居や防音工事実施のない場合の原告1人当たりの賠償額は、うるささ指数(W値)75以上で33万1870円、W値80以上で66万3740円。原告全員に慰謝料など約1億4600万円の賠償を命じた。過去の被害に対する賠償を認めたが、将来分の被害請求などを却下。

A差し止め請求については「国が同飛行場の活動を制限できる立場にない」として棄却。

B国の「騒音測定義務」は認めなかった。

Cヘリから出ている特殊な低周波による被害に関しては「イライラ感や不快感を受けている人が多数いると推認できるが、原告全員の共通した精神的苦痛とは言えない」として認めなかった。

等々であるらしい。

 判決を一言で言えば、新垣勉・原告弁護団長の「W値75以上の原告に賠償を認め、普天間飛行場では初の違法判断が出たことに意味がある。ヘリコプター特有の被害として強調して主張した低周波の共通被害が認定されなかったのは残念だ。」に尽きるであろう。


 部外者としては

@についてはこれは何年分の賠償であろうか?これまで全部の賠償なのであろうか。騒音被害の賠償額はいつも低く、日額に直すと数百円である。もちろん賠償金を取るためにそこにいるのではなく、そこにいるしか仕方なからそこにいるのだが…。

Aは謂わば国は居座りを続けられる大家のような立場の様なモノで、米軍に出ていけと言えば巨大な立ち退き費を要求される。金で済めば良いが、必ずしもそうでなく、別の意味では、相手にお願いして、いてもらうような状況もあり、強大で、傍若無人な用心棒がいて近所は多いに迷惑しているが、大家に言っても「どうしようもないのよ」と言う様なところであろう。

B大家は店子の監視義務はないと言うことであろう。

C低周波音関係の当サイトとしてはこれについて考えてみたい。


 低周波音に関しての報道部分は以下のようである。

C-@ヘリコプターが主力部隊となる普天間飛行場で、原告が航空機騒音と併せてヘリ機特有の低周波音の被害を訴えていたことには、「県調査の結果から多愁訴とW値との間には量反応関係がみられないことなどから、低周波音と航空機騒音が相まって不定愁訴の身体的被害を悪化させていると認めることはできない」と認定しなかった。

C-A基地騒音被害を巡る訴訟で初めて主張した低周波音については、「イライラ感や不快感の精神的苦痛を受けている人が多数いると推認できるが、原告全員が等しく精神的苦痛を受けているとは認められない」と判断して退けた。


C-@ W値については既に色々述べられており私もチョット述べているので、今更の感であるが、そもそも「(W値は)航空機騒音が人の生活に与える影響を評価する単位」なのだそうだが、「多愁訴とW値との間には量反応関係がみられない」という事は、

@「多愁訴」は”人の生活に影響を与えない”と考えるのか、それとも、
AW値の大小により愁訴の多寡と相関性が無いと言うことなのか、
B低周波音被害感覚とW値とに相関関係が無いと言うことであろうか

意味が解らないのだが、

@愁訴一つでも生活に影響はあり、
ABW値は元々騒音(可聴域音)を基準とした尺度であり、低周波音被害はいわゆる騒音被害ではないのであるから、聞こえる音の尺度であるW値を低周波音に当てる事自体が全く意味をなさないのであり、その延長上で被害の実態を計ろうとすること自体、低周波音被害が何たるかを認識していないと言うことである。

さらに、W値自体が絶対的なモノではないのは「基地騒音指標 温度差ぬぐう統一基準を」と言う、琉球新報の社説を参照してほしい。


 C-Aについて、「精神的苦痛を受けている人が多数いると推認できるが、原告全員が等しく精神的苦痛を受けているとは認められない」と言う点である。
因みに「推認とは、証明できない場合に使用される法律用語」であると言うことなのだが、この言葉は肯定的に解釈して良いのか、否定的なのか、私には解らない。

 この際だから言っておきたいのは「裁判員制度」である。一般人を無理矢理裁判の場に引きずり込もうとする制度を始めようとするなら、まずはこういった解ったようで、解らない法律用語を根絶すべきである。もちろん、「あなた方が参加するような裁判ではこう言ったような用語は出てきません」とでも言うのだろうが、その裏には「お前達は最終的に単に手を挙げるだけで良く、面倒なことをああだこうだと言う必要はない!」という、関係者の傲慢さが見え見えで、私はこの制度にはとてもじゃないが賛成できない。今回の判決の言葉を借りれば「現在の法律用語は裁判員全員が等しく理解できる言葉であるとは到底認められない」と言うことである。

 多分「推認」という言葉は、「推測」より強い意味あいなのだろうが、「原告全員が等しく精神的苦痛を受けているとは認められない」と言うことは、原告一人一人に「低周波音で苦しんでいますか?」と確認し、「私は低周波音は全然気になりません」と答えた人がいた、と言うところまでは確認していないと言うことであろう。
 もし、確認したのなら、時として「92dBを超え、最大では97.5dB」と言った状況下で、「精神的苦痛を受けていない」と答えた人は一体何人いたのであろうか。低周波音の長期暴露による被害発症の人体実験が、短期暴露の実験室と違い、当に現実の場で実際に行われているのであるから、"専門家"達が本当に真実を探究しようと考えるのなら、是非とも知りたいところであるはずであり、現地での調査をしないのは不思議としか言いようがない。矢張り低周波音被害は黙殺としか言いようがない。


 そもそもが、日常的な低周波音被害では「近隣で一軒だけ。家族で被害者は一人」と言う様な特異性があり、「全員」が苦痛を感じない場合が通常で、低周波音被害を訴える人はキチガイ扱いさえされる。しかし、風力発電施設による低周波空気振動による被害者の発生状況は、これまでの低周波音被害とは異なり「近隣で複数人。家族でも複数人」の場合があり、発症割合が高い。それは明らかに騒音源の音圧が大きいためであると「推認」できる。空港周辺での被害環境は騒音源の状態を考えると、ちょうどこの中間にあるのではと思われる。また、周辺の人口密度を考えると被害者数は比例的に多くなるはずである。

 さらに、「等しく」が苦痛の感じ方にあるとすれば、苦痛の感じ方には個人差があるのは当然であり、増して、「精神的苦痛」となれば、判断しようがないはずで、裁判所は何か独自の判断方法でも持っているのであろうか。あるなら是非とも公開してほしいモノである。

 これらの判断に対する合理的根拠を明確に示さず、「原告全員が等しく精神的苦痛を受けているとは認められない」と言う裁判所の判断は、全くの独断に過ぎないと言わざるを得ない。

 結論的には、現実的に、”現場検証を踏まえ、司法は低周波音について精神的苦痛を受けている住民が「多数いると推認できる」として、その問題点を認めたことは一歩前進だ。科学的に被害を明確にする契機にしたい。”という、琉球新報の社説が正論なのだろうが、低周波音被害者としては、矢張り、新垣勉・原告弁護団長の「ヘリコプター特有の被害として強調して主張した低周波の共通被害が認定されなかったのは残念だ。」と言う言葉は私の思いでもある。

 今回の公判は航空機騒音に紛れている低周波音を俎上に上げるのに絶好の機会であったに関わらず、それが精査されることはなかった。「科学的に被害を明確にする契機」はこれまでも何度もあったことだ。それらを悉く黙殺、否定、良くてその場凌ぎの処理を続けてきた日本の低周波音に於ける「科学」の態度に対して、既に私は信を置くことはできない。

 「もし」を言っても始まらないが、もし、「等しく」が原告達の被害状況にあるとするなら、今回の原告が「低周波音により精神的苦痛を受けている」という人たちだけにより構成されていたら、裁判所は低周波音被害を認めたのであろうか?

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2010/07/29 控訴審判決


最後まで読んでくれてありがとう。

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