第4話 同じ空の下で

 セウスと別れたハングは、昨日通った道を逆に辿る。
 まだ朝が早いためか、広い牧草地は霞が掛かっていて、ほのかに白い。その中で大型の動物が昨日と同じように草を食んでいるが、視界に入るその姿は薄れてしまっていた。そこら辺りの草や木の葉が朝露を含んでいるのだろう。微かな湿気を、肌が露出している部分に感じる。
 それらを横目で見ながら、彼は女医と門衛がいる森へと急いだ。計画の基盤となる機械の設置は順調に進んでいるだろうか、と思案しながら。
 機械操作には手馴れていない、とフルールは言った。バイクが趣味のカエサルならある程度扱いも心得ているだろうが、バイクとその機械の仕組みが似通っていようはずもない。一晩中、苦労しただろう。今も、苦心しているかもしれない。
 少々手荒く枝を掻き分けて無理に森の中へ入ると、門衛の背中が見えた。もう少し分け入ったところで、土が踏まれる音に気付いたのかカエサルが振り返った。
「お帰りなさい」
 日頃から言葉を荒げることなど珍しい彼が、更に声を抑えている。その気配りように、首を傾げた。
「今、眠っていらっしゃって」
 カエサルが、ホバーカーを指差す。踵を挙げ、少し首を伸ばすようにして中を覗いてみた。なるほど、後部座席にフルールが横たわっている。掛けられた黒いコートからは、赤い服がちらりと見える。その肩が上下する様から、穏やかに胡弓が繰り返されているようだ。深い眠りに入っていることが分かる。
「明け方に、交替したんですよ」
 苦笑するカエサルは慣れているのか、疲れた様子は見られない。それでも、ハングより目を閉じていた時間は少ないのかもしれなかった。
「設置自体は終わったのですが、設定がよく分からないんですよ」
 彼の言葉で機械を探してみると、通りすがりでは見つけづらい場所に四角い緑色の箱が設置されていた。学都から南方の地域は、比較的温暖で、晩秋でも緑が多い。フルールに話を持ち掛けてから数日の内に、彼女が自治領主に貰い受けてきただろうそれは、この辺りの環境によく溶け込んでいると言えた。
 開かれた上蓋から中を確認すれば、配線は終了しているらしい。あとは外部から繋げたコンピュータで、設定を施すだけの状態になっている。大陸全土に設置されつつあるそれを一度に動かすのに、とても重要な役割を担うものだ。プログラムはハングの、否、グドアールの得意分野でもある。
「これなら、僕で何とかなりそうですよ」
 カエサルと場所を入れ替えて、作業を引き継ぐ。打ち込みを始めると、画面にはみるみる文字が現れだした。その様子をハングの背後から見守りながら、カエサルが尋ねる。
「これは、放送器具か何かの類ですよね?ハングさんは、フール自治領主様が何をされるおつもりか、ご存知ですか?」
 設置している段階で、どのような用途で使用されるものなのかを彼は判断していたらしい。今になってハングに尋ねるということは、おおかたフルールにも尋ねてみたが濁されたのだろう。
 彼の想像は、半分正解で半分間違っている。放送器具ではある。ただ、フルールの言葉を正面から受け止めている彼ならそう思っても仕方ないが、自治領主が中心となって行っているというのは間違いだ。彼は別段、何をしているわけでもない。しているとすれば、物置場所の提供と『学ぶ都』という名の保護施設を造ったこと。それから、結託したハング達の動きを黙認していることだけだ。
 無論、この機械を使って何をするのかをハングは知っている。計画の中心人物の1人だから当然のことだが、それらを門衛に正直に言うつもりは始めから無い。今の段階で充分に巻き込みす過ぎだと、彼は思っている。
 ハングは肩を竦めて、あえて知らぬ振りをした。
「さあ。学都祭の新たな広域宣伝にでも、使うんですかね」

 ◆◆◆

 学都を大雑把に区分けしてみると、7区の要素から成り立っている。
 まず、個人の能力と学ぶ目的……基礎的なことを身に着けるために勉強するのか、はたまたある特定の分野について研究したいのかということになるが、それによって学部が分かれる。小等学部、中等学部、高等学部、最高等学部、研究部がそれだ。高くそびえる塀に沿って、それらの校舎や寮、教授棟などが並ぶ。
 同じくその並びの北東に過去の事故現場をそのまま残してある場所が存在するが、滅多に人が近付かない特異な区となっている。
 円形の都市の中心部には、居住区と商店街などがある。購買が大きく都市化したもので、許可を得た者は空き時間を利用して金を稼ぐことも可能だ。
 都市に住むほとんどの者は住み慣れた土地を離れ、塀の中で生活している。教授や商売をしている者、数は少ないが家族で越してきた者などは居住区で暮らしている。それでも生徒の約9割が、学部内の寮に入っていた。
 門衛のカエサルを兄に持つアリスは、学都の東側にある高等学部の女子寮で生活をしている。彼は彼で衛兵の宿舎を間借りしているし、兄妹が別個の寮に入ることも別段珍しいことではない。第一、彼女はここでの寮生活を気に入っていた。
 清潔感と開放感が備わっているし、女性同士での相談や会話も気兼ねなくできる。あの生真面目な兄は嫌いではないが、気軽に相談できるかと問われると少し疑問だ。それに2人1部屋の同居人は明るく話しやすい人物で、同じ教室で勉強する仲であり、しかも大切な友達の1人だ。強力な恋敵でもあるのだが。
 せっかくの連休。勉学を忘れ、遊ばない手はない。もっとも授業のある日でも放課後は遊びに出掛けることもあるが、それとこれとは話が別だ。
 アリスは鏡に向かって、髪を整える。兄とよく似た薄黄色い髪は真っ直ぐで硬質だが、気に病んだことはない。笑顔を作って、様々な角度から見られた時のことを想定して確認する。左右はもちろん、上下も忘れない。自己敬愛をしているわけではないが、それなりに誇りというものがある。最後に全身を映し、どこもおかしいところが無いか注意深く見回す。
 ようやく納得がいったところで、朝からいまだ姿を見ていない同居人を起こしにかかるため、彼女の寝室へと向かった。「もー、人がせっかく誘おうと思ってるのに」と、愚痴を零しながら。
 もっとも今朝起きて唐突に決めたことなので、相手が悪いわけではないのだが。
 彼女はいつもそうしているように、戸を叩かずにいきなり開いた。兄だったら怒るだろうが、彼女達はそういったことに無頓着だった。
「ルーエルッ。いつまで寝てるのよっ……ルエル?」
 勢いが削がれ、思わず疑問符が浮かぶ。彼女の姿は、既に部屋のどこにも無かった。
「あれ?どこ行っちゃったのかしら?」
 アリスは、困ったように頭を掻いた。

 ◆◆◆

 ハングと商店街で別れたセウスは、北へと向かう。
 正直に告白すると、彼はこの村へ来てから一度も村を出たことが無かった。特に必要も無ければ、出たいと思ったことも無い。生き別れた妹だけは心残りだったが、居場所を尋ねても教えてもらえたことは無かった。唯一、彼等は母親の2人の妹にそれぞれお預けられた、ということは分かっている。それでも両親を奪った者の手を恐れてか、両家族の間で連絡を取ることさえ無いのだった。
 住み慣れた土地だが、村を囲う森がこれほど広いとは思わなかった。荷馬車が頻繁に通るため、道幅は広く、舗装をなされているのは救いだ。森の中を道も無しに行けと言われれば、森の住人に聞きでもしなければ必ず迷ってしまうだろう。
 1時間は歩いていただろうか。森がようやく切れると、広大な大地が広がっていた。丈の短い草が生い茂り、ちらほらと木が生えている。子供の頃に一度ここを通ったはずなのだが、彼の記憶はあやふやで、このような景色は初めて見るに等しかった。草原と言えば、普段近付かないように心掛けている牧草地くらいしか見たことがない。木に囲まれた生活が当たり前だった彼にとって、この風景はどこか閑散としている。
 あまりの自分との生活の違いに、溜め息を吐きかけた時だった。
『どこへ行くの?』
 上空からの声に振り仰ぐと、小鳥が数羽はばたいている。彼等はよく家の庭まで遊びに来ており、セウスも顔馴染みだ。しかし、これほど彼等が遠出をしているなど、彼は知らなかった。その小さな翼で、大陸各地を転々としているのだろうか。
「北の研究所だよ」
 セウスが答えると、彼等は高い声で騒ぎ始める。
『もしかして、高いフェンスのある所?』
『だったら、僕等も行ったことがあるよ。大きな木が目印なんだ』
『僕等の後に付いておいでよ』
『そうしなよ。迷っちゃうでしょ?』
 その誘いは、非常にありがたいものだった。何を目標にして歩けば良いのか、どちらが北なのか、分からなかったのだ。かわいらしい道案内役に安堵したセウスは、彼等の好意に甘えることにした。
 青い空に、白い羽がよく映える。彼等は気を遣ってゆっくりと飛んでくれているが、そうでなくても見失わなくて済みそうなほどに。

 ◆◆◆

 都市を囲う壁よりも更に高い屋根に、1人の少女が座っている。肩までの黒い髪を風に遊ばせ、足の上に置かれた薄型のコンピュータを開いている。場所と背中にあるものを覗けば、どこにでもいるような小柄な少女だった。その背には、何物にも染まらない白い羽。
 透明感のある桜色のコンピュータの画面に、機械的な文字が流れ出す。もう1年以上も会っていない友人からの通信だった。
《おはようございます。ご機嫌は、いかがかしら。計画進行図は、もう見まして?だいぶ進んでいるでしょう?南の方は、まだこれからといった所もありますが……そう言えば、私が知らないうちに一つ設置されたようですわね。どなたが設定したものなのかしら。ルエルは知っていて?》
 その内容に、ルエルは計画進行図を立ち上げる。先日、医務室でフルールがハングに見せたものと同じものだった。ただ、その時は南の村に無かった点が、今朝は点灯している。もちろん医務室にルエルはいなかったが、彼女は毎夜自分の部屋で確認している。離れた友人の様子を窺うのに、最適なものだからだ。昨晩ももちろん見たが、その時にはまだ点が無かったのだから、朝の早いうちに起動されたのだろう。
「あ、ほんとだ」
 誰の仕業なのか、ルエルは分かっている。本人から直接聞いたわけではない。本人の周りの人の、特に近しい人の空気を読み取って、だいたいの行動を把握することが可能だ。近い未来すら読み取れてしまう、彼女の能力の賜物だった。
 彼女は、いそいそと文字を打ち込み始める。
《おはよう!私は元気だよ。みんな頑張ってるんだね。南の村は、博士がフルール女医と門衛のカエサルさんを連れていったから、その時一緒に設置したんだと思うよ。今日には、学都に帰ってくると思うんだけど》
 送信すると、少しの合間を置いて返事が来る。現在、相手もコンピュータを手にしていて、ルエルと同じように画面を見、文字を打っているのだということが分かった。
《あら、そうですか。では、今日のところはゆっくりと南下をすることにしますわ。今、ちょうど学都の近くまで来ておりますのよ。もしあなたが上空を飛んでいたら、見えますかしら?でも、私としては……あいつも、そうなのでしょうけど……あなたにはもうしばらく、そちらでおとなしくしていただけると安心なのですけどね》
 誰を意識して南下をもう少し見送ろうとするのかを、ルエルは知っている。相手の返答が分かっていながらも、彼女はこう送信した。
《そうなんだ。だったら、学都に寄っていけばいいのに》
《まあ、ルエル。冗談じゃありませんわ。あいつが帰ってくるかもしれない所に行くなど、お断りですわよ……もちろん、あなたにはお会いしたいですけれど》
 想像通りの返答。まるで目の前で相手が話しているかのように、文章の端々に表情が窺える。よほど顔を合わせるのが嫌なのだろうか、と笑いが込み上げてくる。と同時に、最後に気遣いを忘れない相手に感謝した。直接会って話したいのが、本心だからだ。
《連れがうるさいので、今日のところはこれで失礼致しますわ。それでは、元気で》
 連れの顔が思い浮かぶ。彼女達の道中は、とても賑やかなのだろう。
 ルエルは笑ってコンピュータの電源を落とすと、一度大きく伸びをした。あの言葉を最後に、しばらくは言葉が送信されてくることは無いのだろう。相手は、計画進行へと戻ったのだから。
 少女は今、北の方角に身体を向けている。壁の向こう、遥か遠い都には、自分の兄がいる。
 北風が、彼女の頬を撫でていく。
「ルエルちゃーん」
 聞き慣れた呼び声に弾かれるようにして見ると、遥か下にある通りにサエリハが立っていた。文学部で、ハングと同期。ハイエロファントともブライアンとも顔見知りの彼は、ルエルとも親交がある。常に明るく、それでいて気遣いができる彼は、非常に好感の持てる人物だった。
 ルエルはコンピュータを脇に抱え、羽を起動させてサエリハの傍らに下り立つ。
「おはよう、リハ君」
 背が低いルエルと、人並みかそれより高い身長のサエリハでは、どうしても並んで立てば差が生まれる。ルエルが見上げて笑うと、「おはよう、ルエルちゃん」と彼も笑顔を返した。
 いつもは髪を全体的に逆立てているサエリハだが、この日は珍しく髪を下ろしていた。学都は丘陵地に存在し、最高等学部は都で最も高い位置にある。より北を見ようとそこまでやって来たルエルを彼が寮の窓から目聡く発見し、慌ててここまで来たのだということを彼女は知らない。せいぜい、「息が切れてるけど、どうしたの?」と問うくらいで留まった。
「え、いや、何でもないよ」
 それでも、サエリハを動揺させる効果はあったが。
「それより、せっかくこっちまで来たんだから、ブライアン教授のところに遊びに行こう」
 彼は取り繕うように笑うと、一つの案を出した。
 教授と少女は同時期に学都に来たことに加え、仲も良い。2人が前にいた街で近所に住んでいたということも、後にハイエロファントから聞いて知っている。ルエルが無条件に甘える対象であることも、これまでの付き合いでサエリハは察していた。それは、保護者と言っても過言ではないほど深いものなのだ。
「うん、いいよ」
 彼の想像通り、ルエルは笑顔で承諾する。もっとも、彼女が断ったことなど一度も無いが。それが悔しいのだと、サエリハは思った。
 ブライアンが住む居住区に下りようと歩きだしたルエルに、彼は声を掛ける。
「ルエルちゃん」
 振り返る彼女に、首を横に振った。
「ごめん、何でもないよ」
 はっきりとしない様子に首を傾げたルエルだったが、背を向け再び歩きだす。サエリハも、その後を付いていく。離れないように。見守るように。
 ハングと友人になり、彼等との距離が縮まるにつれ、おかしなことに気付き始めた。どうして不必要なまでに、学都の壁は高いのか。出る時より、入る時の方が厳しいのか。王都の人間を入れようとしないのは、何故なのか。
 それから王都と北方を結び付け、ルエルという少女に注目するようになるまでに、たいして時間は掛からなかった。明るく振舞うその裏の、陰の部分。時折、北を見ては寂しそうな目をしている。怒っていても、泣いていても、人が傍にいれば笑顔に切り替わる。その笑顔が悔しいのだと、サエリハは思う。
 人の未来を見るという彼女に、自分の心が伝われば良い。
 彼等が厭う王都には、何があるというのだろう。
 同じ空の下にいるのに、彼等との距離がこうも遠いのはどうしてだろう。
 自分が甘えられる対象になりたいのだと、支えたいのだと、彼女の心に伝われば良い。

 ◆◆◆

 前を歩いていたルエルの頬が不意に赤く染まったのは、彼女だけの秘密。