第11話 未来視を持つ少女

 ハングは、ハイエロファントの教授室に戻るなり、『改造』の改造に取り掛かった。セウスを介して、ルージュから研究所の仕組みを聞いておいたおかげで、改変すること自体は苦も無くできたのだが。
「さて、これからどうするか、だな」
 画面を見ながら軽く息を吐くと、保護者が目を通していた資料から顔を上げる。
「どうやって読み込ませるのか、かい?」
 ハイエロファントの顔に、嫌悪感は見受けられなかった。機械嫌いではあるが自身の立場もあるので、計画を進めている時は協力的だ。今なら何を聞いても嫌な顔をせず、的確な答えを返してくることだろう。
「父さんなら、どうする?」
「私なら?そうだな」
 眉を寄せて考え込むような表情になるが、返答はすぐに返ってくる。一種の癖のようなものだ。
「私達ならコンピュータを操作するだけで読み込ませることはできるけど、まだ学都から出るわけにはいかない。ここは、今君が考えているだろうことを、実行してみるのが最良じゃないかな?私だったら、そうするね」
 彼に相談すると、背中を押すような回答をされることが多い。人が相談を求める時は、既に自分の中である程度の答えを持っていることが大半である、というのが持論らしい。彼がいくつかの選択肢を出す時は、考えが足りないと言っているのと同じなのだ。「もっとよく考えなさい」と直接口に出して言わないのは、彼らしいきつさなのだろう。気付かないようなら、その程度の相手だったのだと割り切ってしまう。
 相談を持ちかけた時以外でも、ハイエロファントからの合図はさり気ない行動の中に隠されている。親しい間柄でしか通用しない一種の遊びのようで、ハングは好きだった。問題に応えていく内に、信頼もより深まる。
「ふーん。じゃあ、そうするかな」
「まあ、やり始めるのもいいけど、きりが良いところで一度休憩にしないか?」
 再び画面に目を戻そうとするのを、制される。否定しようと口を開くが、ハイエロファントが立ち上がり、棚から取り出した茶器の数で言葉を変えた。
「お客様ですか?ファント教授」
 正解だったのだろう。柔らかい笑顔を浮かべて、扉の内鍵を開けにいった。
 彼が出した茶器の数は、四つ。「休憩しよう」と受け取るべきではない。「学生ハングに戻れ」と、暗に彼は言っていたのだから。
「ブライアン教授ですか?」
 この時間はまだ授業中の教室が多く、やってくるとしたら学都1やる気がない男しかいないだろう。そう決め付けて、戻ってきてお茶を用意し始めた彼に問うと、苦笑いをしている。なにか、まずい事でもあったのだろうか。
「そう。窓から、こっちの棟に向かってくるのが見えたから。もうすぐ、ここに来るはずだよ。この時間だと、お昼のお誘いかな。ただ、後ろに連れがいた」
 セウスを見送りに出た際に、北西門から入ってきた女を思い出す。
「グレイスですか?」
 ハイエロファントは、軽く首を横に振った。
「いや。黒髪の女子高生」
「黒髪の女子高生?その人って、まさか」
「そっ。ルエルちゃんだっよーん」
 部屋の住人に了承も得ずに勢いよく扉を開いたのは、一目見ただけでも明るい性格を思わせるような少女だった。
「ルエル。ブライアンじゃないんだから、人の部屋に入る時はまず戸を叩きなさいね」
「それ以前に、扉を少し開けてまで中の会話を盗み聞きするのは、どうかと思いますね。下手をすれば犯罪ですから、止めた方がいいですよ。ブライアン教授じゃないんですから」
 部屋の主と保護対象者の言葉に、ルエルは元気よく頷いた。
「なんだ、2人して。酷いじゃないか」
「そう思うんだったら、日頃の態度を改めろ」
 入ってくるなり不満そうに抗議するブライアンを、ハイエロファントが嗜める。軽く溜め息を吐いて2人を見ていると、ルエルが傍に寄ってきた。
「久し振りだね、ハング君」
 学都内にいても、生活する区域が異なれば顔を合わせることもない。約束を交わさなければ、せいぜい店で偶然出くわすくらいのものだ。それでも、確率としてはかなり低い。
「そうですね。それにしても、今日はどうされたんですか?わざわざ、こちらに足を運ばれるなんて。それに高等学部は、まだこの時間だと授業中なのでは?」
「えっと。本日の占いによると、『嫌な時間は思い掛けないことで、消えてしまいますよ。そんな幸運のあなたは、少々の障害も軽く乗り越えられるでしょう。今日は年上の男性と仲良くしてみて。あなたの運命が変わる予感。今日の幸運の鍵は、お弁当。幸運の場所は、よく陽が入る北のお部屋』ってなってるの」
 ハングは、ルエルが嫌いだった。人間的に、というわけではない。占い狂いの部分のみが嫌なのだ。ルエルは起きるとすぐに、その日を占うことを日課としているらしい。以前なにかの機会があった時に一方的に話を聞かされたため、詳しく知ってしまったのだ。ついでに言うなら、彼女は占った結果を紙に書き、常に持ち歩いている。占い通りに行動するためのようだ。現に、弁当らしき大きな包みを重そうに抱えている。慌てて作ったのだろう。指が傷だらけだ。いつまでも持っていないで机にでも置けばいいのに、とまた溜め息が出てしまう。占いが好きな人間は男女問わずいるわけで、彼等を全て否定するわけではないが。ここまでくると、一種の病気と思われる。
 更に、占い狂いの娘には、もう一つ性質の悪いところがあった。
「それで、お弁当を自分で作ってこられたんですね?ここで僕達と食べようと」
「そうなのっ。年上の男の人がいて、学都内でも北の方にある南向きの部屋っていったら、ここしか思い当たらなかったんだもんっ」
「そうでしょうね。で、嫌な時間が無くなったり、少々の障害にあったりしたんですか?」
「あった、あった。あのね、なんでだか知らないけど、担当の先生が来た途端におなかが痛くなっちゃって。フルール先生のとこに運ばれちゃったから、突然自習になっちゃったの。大っ嫌いな歴史の時間だったし、抜け出して今ここにいられるんだから幸運なんだけどね」
 嬉しそうに笑うルエルに、授業を抜け出して悪いという思いは欠片も無いようだ。つまらない授業を抜け出したくなる気持ちは解るし、教授の身でありながらすぐにさぼりたがる男もいるのだから、その点については特に咎めるつもりはないが。
「あ、そうそう。障害の話だよね。あのね、えっと」
「俺の妹と鉢合わせて、妹がルエルに突っかかったんだよ」
「て、ことなの」
 さすがにルエルも、ブライアンの前では言いづらそうにする。彼女は純粋というか、良心の塊のような部分があり、美点にもなるのだろう。
「だからって訳じゃないんだけどね。ちょっと占いができちゃったから、教えてあげたの。『あなたは今、悪い運気に入りつつあります。今から徐々に悪くなっていくでしょう。特に周りの人や動物に気をつけて。そのままでは、あなたは孤独を味わいます』って。そしたら、なんか知らないけど、怒ったような驚いたような顔して帰っちゃった」
 これが、彼女の性質の悪いところだ。良いことも悪いことも裏表なく伝える彼女の辞書に、「言葉を選んで使う」といった言語は存在しない。それだけならまだ良いが、困ったことに彼女の占いはその枠を楽に越え、予知と言っても過言ではない領域にある。大げさに喩えると、そこらにいる占い師に「あなたは死にます」と言われたところで、どうせ占いだと聞き流しもできる。ところがルエルに言われると、そのまま死の宣告に繋がってしまうのだ。
 ルエルをよく知る者ほど、彼女の言葉を怖がる。帰る気持ちも納得できるというものだ。
「そんなことより、セウス君って人はどこ?ブライアン教授に聞いて、楽しみにしてきたのに」
「ああ、そう言えばいないな。資料見つけてくれた礼もしたかったんだが」
 ブライアンは口を動かすと同時に、ルエルから弁当を取り上げた。見かねたわけではなく、単に食べたかっただけらしい。室内に、おいしそうな匂いが漂い始めた。
「セウス君なら、もう出ていったよ」
「あーだったら、うちの妹と会っちまうかもな。まずいな」
「怒ってるしね」
「そりゃ、誰のせいだっての」
 卵焼きを口の中に放り込んで見下ろすブライアンに、ルエルは機嫌を損ねたようだ。
「なによ。元はと言えば、向こうが突っかかってくるのが悪いのに。それに私は、本当のこと言っただけだもん」
「それが悪いんだって」
 ハングですら頷きかけた言葉を告げたブライアンを、ルエルは瞬きせずに見つめる。彼女をよく知る人間には、おそらく苦痛に感じる時間のはずだ。証拠として「な、なんだ?ルエル」と言ったブライアンの額には、汗が浮かんでいる。おまけに逃げ腰だ。
「『あなたは今から、かわいい少女のために飲み物を買いに行きます。帰ってきた頃には、問題が綺麗さっぱり解決していることでしょう』。ほら、早く街に行ってらっしゃい。『トゥルーカフェ』のブルーベリーティーじゃなきゃ、嫌だからね」
「え、かわいい少女って、ルエルか?『トゥルーカフェ』って、この辺りじゃ人気店じゃないか。ていうか、その前に持ち帰りできたのか、あそこ?」
 『トゥルーカフェ』とは、お茶と焼き菓子の専門店で、特に女性からの支持が高い。休日には行列ができて当たり前、というほどだ。甘いものが得意ではないハングでさえ、ルエルや同期の生徒に何度か付き合わされたことがある。下の学部は終わったばかりということもあり、今から行けば並んで半刻といったところか。
 しかし、ルエルなら甘味料と乳製品を大量に入れたお茶とは名ばかりの恐ろしい代物を頼みそうなものだが、ハング好みのブルーベリーティーを選ぶとは、どういう風の吹き回しだろうか。
 怪訝に思っている間にも、ルエルはよく働く口で言い返していた。
「かわいい少女って、あったりまえじゃない。ハング君やファント教授が『かわいい少女』のわけないじゃないの。『トゥルーカフェ』だって、今から走っていけば半刻も並ばないくらいだってば。持ち帰りについては、自分でなんとかする。教授やってるんだから、頭いーはずでしょっ」
「だったら、あいつらでもいーじゃないか。ファントは俺よりできるし、ハングはファントの使い走りだぞ」
 無茶なことを早口でまくしたてるルエルに、ブライアンがこちらを指差してとんでもないことを喚いた。「使い走り」とは聞き捨てならず、ハングは口を挟みはしないものの心中は穏やかでない。
「私はね、綺麗でかっこいい人の味方なのっ」
 興奮したルエルの一言で、ブライアンは衝撃のあまり固まってしまった。
「とどめだな」
 ハングの横で、ハイエロファントが低い声で呟く。大きな声ではなかったが、ブライアンの耳には届いたのだろうか。立ち上がると、項垂れたまま部屋を出ていってしまった。
 扉が閉まってブライアンが部屋から離れたことを確認したところで、ルエルが口を開く。
「あのね、2人にお願いがあるんだけど」
 今までのは演技だったのだろうか。機関銃のように喋っていたのが嘘のように落ち着いた彼女は、上目遣いで申し訳無さそうにしている。
「言ってごらん」
 ハイエロファントが優しく微笑むと、彼女は一つ頷いた。
「クランケット君がいる研究所に、プログラムを流すんでしょ?あれ、私にやらせてほしいの」
「ルエルに?」
「私だったら、ここから気にせず出られるよ?グレイスとも関係無いし。ね、ね、お願い」
「しかし」
 ハイエロファントが口ごもるのも無理はない。ルエルは元々向こう側の人間だったが、ブライアンに連れられて学都に入ってきた。監視している様子もなければ、ブライアンの妹であるグレイスとも仲が悪いのだが、油断はできない。彼女は、ハングの正体だって知っているのだから。
「信用できんな」
 つい、厳しい言葉が出てしまっても仕方がないだろう。ハングとしても、女子供相手に攻撃を仕掛ける趣味は持ち合わせていないのだが。
「グドアール博士が私を信用しきれないのは、解るよ。私も、計画の一部なんだもん。でもね、嫌なの。計画の一部っていうのが」
 彼女の茶色の瞳が、潤んでいく。
「何かあったのか?」
「あのね、お兄ちゃんの未来が読めなくなってきてるの。ファント教授みたいに、全く見えないんじゃないの。お兄ちゃんの気配が徐々に消えてきてて、代わりに闇が大きくなってきてるの。すごく怖いよっ」
 怯えるルエルを抱き寄せたハイエロファントと、顔を見合わせる。彼女の兄は王都にいるはずだが、遠距離でも人の気配が感じられるものだろうか。特殊能力を持ち合わせていない彼等には、未来視の感覚がよく分からない。
「嘘じゃないよっ。私、理由が知りたいの。お願い、お願いっ」
 彼女は常日頃から人の未来を視ている分、窺えない時に恐怖感を覚えるようだ。ハイエロファントについては詳しく知らないルエルは、一度軽い気分で彼の未来を占い、何も視えなかった時にも混乱しかけた。当時は、そういう人間もいるということで済ませることができた。だが今回は、身近な人間のため、そうもいかないのだろう。
「ルエル。ゲームは、できるか?」
 ルエルは顔を上げ、不思議そうにこちらに目を向ける。本当はハング達に助けを求め、疑問をぶつけたいのを我慢しているだろう彼女の目は、真っ赤だった。
「できる、よ?友達といつもやってるもん……あ、『改造』。解った。それ自体を、別のプログラムにしちゃうんでしょ?」
「ご名答。君はブライアンよりも、よほど優秀だ」
 ハイエロファントが怖いと言ったのは、この点だ。一見するだけでは『改造』という名のゲームでしかない。しかし、コンピュータで裏の空き容量を探り、いじってやることによって悪性のプログラムに早代わりする。もっとも、ハングほどとは言わないが学都でも主席級の頭脳を持った人間でなければ、闇の機能があること自体に気づかないだろうが。
 先ほどハングが保護者に相談していたのは、闇の部分をコンピュータに入り込ませる方法だ。この手のディスクを扱う場合、方法は2つある。長文に渡る暗号のようなものを自らの指で打ち込んでいくか。ゲームを完璧に終了させたと同時に発動させるか。ただし後者は、あらかじめゲームと闇の機能とを融合させておく必要がある。
「長文を間違えずに打ち込める自信は無いけど、ゲームなら大丈夫。『改造』は何度も作成者紹介まで見ちゃってるくらいだから、ばっちりだよ」
「上等だ。10分で融合させてやる。それまで弁当でも食べて、待っていろ」
 指で摘んで、おかずの一つを口の中に放り込む。甘辛い味が絶妙だ。
「ふん。なかなか、いけるな」
 笑いかけてやると、ルエルは満面の笑みを零す。
「でしょ?調理実習で上手にできてから、お料理にはまっちゃったの。お休みの日なんかに、友達と練習してるのだよ」
 一度夢中になると、自分のものにするまで努力し続けるのが彼女の良いところだ。近いうちに、占いと同じくらいの腕前になるに違いない。
「うん、確かにいい味だね。これなら、そこらの料理人にも引けをとらないな」
「本当?ファント教授」
 7種類用意されたおかずを一通り食べて頷くハイエロファントに、ルエルは素直に喜んだ。その頭を、ディスクが入った薄い入れ物で軽く小突いてやる。
「ほら、できたぞ。持ってけ」
「7分28秒。早すぎだよ、博士」
 彼女は両頬を膨らませながらも受け取り、立ち上がった。
「じゃあ、私も行くね。できるなら、グレイスとセウス君ってこが会うのを阻止したいし。ファント教授、私の出席」
 上目遣いで甘える女子高生に、文学部教授は苦笑する。
「分かってる。誤魔化しておくよ」
「おい、待て。ブルーベリーティーは、どうするんだ?」
 礼をして出ていこうとする彼女を、慌てて呼び止める。
「あれは、元からハング君のだよ。機嫌悪そうにしながらも、いつも美味しそうに飲んでるんだもん。じゃ、いってきまーす」
 振り返って手を振ると、扉を閉めてしまった。微かに走っていく足音が耳に届く。
「だから嫌なんだよ、未来視は。元から『僕』のためだって?」
 眉間に皺を寄せるハングに、ハイエロファントは愉快そうに笑った。
「ブルーベリーティーが好きだなんて、さすがに私も知らなかったよ。入れ方を覚えて、出してあげようか?」
「砂糖なしでな」
「承知してるよ」
 正直に言うと、ルエルの妹のように感じられる部分は嫌いではない。が、冷めたブルーベリーティーを持ってきたブライアンの足を、彼はさり気なく踏んだ。今日のところは、これくらいで機嫌を直しておこうといった行為だが、生物学部教授には迷惑な話だ。
 しかし、ルエルの兄のことは気になる。
 お茶を口にしながら、ハングは1人考えていた。