第13話 駒か否か

 震えるルージュを落とさないように抱えながら、非常用の通路を足早に通っていく。足音が響かないように歩くということは、相当の気を遣う。精神的にも疲れを感じてきた頃、ようやく外に出ることができた。明るさに安堵したのか、身体の力が抜けていく。
「大丈夫か?ルージュ」
『もちろんだよ。誰に向かって聞いてるのさ?』
 覗きこんで様子を窺うと、いまだ震える声ながらもいつもの調子で応じてくる。
「ここに来る途中に寄った町まで戻るか?疲れただろ?」
『セウスの服も、どうにかしないといけないしね。その格好じゃ、学都に入れてもらえないかもしれないし』
 セウスの格好と言えば、左袖は巨大な動物の爪で引っかかれた跡が残っている。右の袖にいたっては、肩から破れてどこかへ行ってしまっていた。このような姿のままでは、真面目な門衛に咎められることは、まず間違いないだろうが。
「左袖をこんなにしたのは、おまえじゃないか」
『えー?それって、なんのこと?」
「るうじゅー」
 あくまで白を切るルージュの名を、恨みを込めて呼ぶ。しかし内心では、普段の生意気でお調子者な彼に戻ってきたことに安心していた。
『ごめんってば。早くこんな所とはおさらばしちゃって、町に戻ろうよ』
 珍しく素直に謝ってきたルージュに少しばかり驚くが、すぐに笑顔を返した。
「そうだな。行こうか」
 今では定位置となりつつある右肩にルージュを乗せる。柔らかい毛並みを一撫でした時、頭の上を素早い何かが掠めていった。通り過ぎた影が、異様に大きい。
「うわっ、なんだ?」
 空を見上げると、1羽の鳥が舞っていた。世界中を探しても、これほどの大型は見ることができないのではないか、と思わせるほどの体長だ。しかし、宙を泳ぐ姿は重さを微塵も感じさせない。
「鳥?」
『あれは、グレイスが連れてる鳥だよっ』
「なんだって?」
 驚いている間にも、狙いを定められる。分かっているのに、動くことができない。右腕に、赤い筋が増えた。
「くそっ」
 仰ぎ見れば、既に滑降の準備に入っている。目を凝らして、どうにか避けようと身構えた。
「もういいわよ、シアン」
 背後に、女性の声がした。鳥は羽ばたいて、セウスの後方に向かう。振り返ると、女性の遥か上を旋回していた。
「はじめまして。あなたが、セウス君ね?」
 左隣に灰色の狼を侍らせた女性は、どことなくブライアンに似ていた。くせ毛の薄緑色の毛を揺らし、不敵な笑みを浮かべている。彼女が目を細めると、ルージュが再び震えだした。
「あんたが、グレイスか?」
「そうよ」
 グレイスは、視線をルージュに移す。
「あら、ルージュ。震えるだなんて、反抗的だったあなたらしくないこと。いいのよ、もう帰ってこなくても。その代わり、実験の成果を見せてくれないかしら?」
 横の毛を指に巻きつけながら話すグレイスを、セウスは睨みつけた。
「悪いが、俺達はもう帰るところなんだ」
「あら、つれないわね。せっかくここまで来たんだから、遊んでいきなさいよっ」
 グレイスが一度右手を挙げ、勢いよく振り下ろしながらセウスを指し示す。それが合図だったらしい。傍に控えていた狼と鳥が、一斉に向かってきた。
「うっ」
 狼の方はなんとか避けきったものの、鳥の爪が左肩を掠めていった。
「紹介してあげるわ。鳥はシアン。狼はグレイ。これ以上の巨大化はできないけど、そこそこ強いわよ」
 彼女の声は弾み、心の底から楽しんでいるようだった。2匹の獣は休む間もなく、攻撃を仕掛けてくる。
「くっ」
『早く笛を使いなよっ』
「笛は使わないっ」
 ルージュが焦れたように言うが、断固として拒否した。目の端に、グレイスの表情が不機嫌の色に染まるのが見えた。主人が右手を上げたためか、狼と鳥が動きを止める。
「それは、どういうことかしら?」
『そうだよ、セウスッ』
「こんなに震えてるのに、使えるわけないだろっ」
『セウス』
「なんて甘いのかしら。道具に気を遣うなんてね」
 高笑いをするグレイスに、怒りを覚えた。
「道具だって?」
「ええ、そうよ。それとも兵器、と言うべきかしら。なにを怒るの?消耗品なのに」
「ふざけるのも、いい加減にしろよっ。みんな生きてるんだぞっ」
「ふざけてなんかいないわ。生き物に、なんの価値があるって言うのよ?」
「存在にあるだろ?ルージュにも、そこの狼とかにも、あんたにだって」
 その瞬間に、グレイスの眉間に皺が寄った。目を見開き、すごい形相で睨まれる。
「私もですって?笑わせないでっ。私だって、ただの駒の一部だったのよっ」
 なにを言っているのだろう。駒の一部とは、どういうことか。
「そんなことは」
「ぬくぬく育ったお坊ちゃんには、解るわけがないわ。価値……そうね。動物兵器を作ることが、私の存在理由かもしれないわねっ」
 叫んだかと思うと、また2匹を仕掛けてくる。
「だから、なんでそうなるんだよっ」
 今回は、余裕を持って避けることができた。
『駄目だよ、セウス。なに言ったって、平行線だってば』
 まただ。2匹同時に襲ってきても、先よりは楽に避けられる。どういうことだろうか。
『僕は平気だから、早く巨大化させてよ。防戦一方じゃ、辛いでしょ?』
「大丈夫だよ……ほら、さっきより動きが乱れてるから、簡単に避けられるし」
『でも、セウスだって息切れてるじゃないか』
「うるさいなっ。しょーがないだろ、こればっかりはっ」
『うるさいってことは、ないだろ?見てるこっちが辛いんだってば』
「なに言って」
 言い返そうと口を開くと、無理に笛を突っ込まれた。抗議するはずの声が、笛の音に変わってしまう。しまtった、と思った時には既に遅い。
『まったく、素直に使えば……』
 肩から飛び降りたルージュは、すぐに巨大化してしまった。
「ルージュッ」
 2匹の獣がルージュに飛び掛かるが、まったく相手にならない。狼はおろか鳥でさえ、彼の身体の半分も無いのだ。
「やっぱりルージュは、凄いわね」
 グレイスは満足そうに微笑んでいるが、セウスは焦りを感じた。笛を吹いた時の彼は、グレイスとの会話で苛立っていた。アーベルから聞いた通り、笛の吹いた者の心理状態によってルージュの様子は変わるようだ。現にセウスが呼ぶ声も、ルージュには届いていない。幸い、セウスの方は敵として認識されていないようだが。
「きゃあっ」
 グレイスが悲鳴を上げる。戦意を喪失して動かなくなった2匹から、彼女に矛先を変えたようだ。一撃目はグレイスの横に逸れたが、今度もそうだとは限らない。座り込んでいる彼女を目掛け、ルージュは右前脚を上げた。
「止めろ、ルージュッ」
 グレイスに駆け寄ろうとした時、ルージュの頭上で何かが爆発した。彼の巨体が、白い煙に包まれる。
「る、るーじゅ?」
「なんとか間に合ったね」
 呆然と立ち尽くすセウスの後方から、高く可愛らしい声がした。振り返ってみると、学都でも見かけた山吹色の服をまとった少女が立っている。背中には、黒髪と対照的の白い羽を背負っていた。
「君は、いったい」
「私?私は、ルエル。ハング君のお友達の女子高生だよ」
 セウスの質問に、ルエルは明るく笑う。ハングの友達とは、本当だろうか。どちらかと言えば、ブライアンと気が合いそうに見えるのだが。
「今のは、フルール先生に貰った眠り玉なの。先生が派手好きだからあんな風に爆発しちゃうけど、効果は眠らせるだけだから安心してね」
 ルエルが指差す方を見ると、白い煙はすっかり消えていた。巨大化したはずのルージュは元の姿に戻り、いびきを掻いている。
「ほらね」
「本当だ」
 幸せそうに寝ているルージュに少々呆れながらも、回収する。グレイスは、目の前に立ったルエルを力なく見上げた。
「ルエル」
「そんなことばっかりやってると、本当に占い通りになっちゃうよ」
 差し伸べられたルエルの手を、グレイスは「うるさいわね」と払いのけ、1人で立ち上がってしまった。
「放っておきなさい、小娘が。セウス君も、今度はこうはいかないわよ」
 グレイスは、重そうに狼を抱えた。鳥の方は、なんとか自力で飛べるらしい。彼女と知り合いであるらしいルエルは、声を掛けるでもなく1人と2匹の背中を見送った。
「さっきは、ありがとな。正直、助かったよ」
 声を掛けると、彼女は鞄から何かを取り出して振り向いた。
「気にしないで、いいよ。ついでだったしね」
 親指と人差し指で摘まれたものが、陽の光で輝く。薄い容器の中に、7色に煌く銀板が入っていた。ゲーム大会の時に、同じものを見た覚えがある。
「ディスク?」
「そう。ハング君が作ったの。これで今から、クランケット君を助けに行くんだよ」
 ブライアンでは埒が明かないため、ハングが自ら他の方法を考えたのか。ついでの意味は分かったが、研究所のことを思い出すと少し不安を覚える。目の前に立つ少女では、狼に太刀打ちできるとは思えない。
「そうだったのか。でも、女の子1人で大丈夫なのか?俺も付いてった方が」
「んー、そうだね」
 ルエルは人の顔を、じっと見つめてくる。ハングの警戒心の塊といった様子は見ているこちらも疲れてくるが、かと言ってここまで警戒心が無いというのも心配になってくる。
「やっぱり、1人で行ってくるよ。セウス君は、別に行く所があるから」
「行く所?」
「ここに来る途中に、町があったでしょ?その外れに、川が流れてるの。その川沿いの道を歩いてみてね。水難が出てるから」
「す、水難?」
 水難とは、普通は避けるべきものではないだろうか。
「でも、同時に思い掛けない出会いが待ってるから。笛の上手な使い方が分かるかもしれないしね」
「笛の使い方?」
「うん。巨大になったルージュって、攻撃するためのものだけじゃないと思うよ?ルージュも私も……グレイスもみんな、駒なんかじゃないから」
 「もちろん、セウス君もね」と言うルエルの笑顔に、重くなっていた心が救われたような気がした。
「そう、だよな。ありがとな、占い師さん」
 笑って礼を述べると、ルエルも満面の笑みを浮かべた。
「うんっ。それじゃ私、もう行くからね」
「え?でも、1人じゃ」
 「危険」と続けようとしたが、ルエルの姿に声が出なかった。羽が大きく開いて、彼女を浮かせている。
「だーいじょうぶ。そのための羽なんだもん。じゃあね。あ、幸運の時間帯は、夕方だからねー」
 影から両手を振り回していることが分かる彼女に、手を軽く振って応えておいた。顔を上げることは、はばかられる。空を飛ぶのなら、もう少し格好を考えてほしいものだ。

 ◆◆◆

 町に着く頃になって、ようやくルージュは目を覚ました。
『あっれー?ここ、どこ?どうなってるの?』
 首を捻るルージュに、ルエルが現れてからのことを全て話した。すると彼は、意地の悪い笑みを浮かべる。
『へー、水難ね。楽しみだね、セウス君』
「楽しくなんかないっ」
 すっかり元気を取り戻し他人事のように笑うルージュに叫ぶと、周りの視線を集めてしまった。最近は、動物と話す時に人の目を気にしなくても済んでいたため、失念していたのだ。自分が異端であることを。
『なに、1人で笑ってるのさ?セウス』
「笑ってた?」
『笑ってたって言うより、にやついてた』
 ルージュのしらけたような視線が痛く、思わず目を反らす。
「多いかもなって、思ったんだよ」
『は?』
「俺の味方。身内だけじゃなくて、クランケットとかルエルとか、ハングとかファント教授とかさ。俺の能力を自然に受け入れてくれる人、意外に多いのかもなって」
『気にしてたんだ?』
 ルージュに目を向けると、上目遣いでこちらを窺っている。
「一応な」
『ふーん』
 笑顔で言うと、興味があるのか無いのか分からないような返事が返ってきた。
『それで、行くの?夕方』
「ああ。占いを完全に信じるわけでもないけど、なんか気になるんだ。町をふらついてれば、時間も潰せそうだし」
『ついでに、新しい服買えば?』
 ルージュの言葉に、自分の姿を見下ろす。どう見ても、この服は再起不能だろう。これでは能力の有無に関わらず、注目の的になってしまう。
「そう、だな」


 ◆◆◆

 空も川も、夕暮れ色に染まっている。セウスは、舗装されていない道を歩いていた。右手に続く土手からする虫の音と、ルージュの愚痴を聞きながら。
『まったく。少しは僕のことも考えてよねっ。潰されるわ、耳やしっぽを引っ張られるわで、散々だったんだからっ』
 目を潤ませて語るルージュの尾や耳は、疲れ果てたかのように垂れていた。服屋の特売品置場で、もみくちゃにされたからだ。おまけに毛皮と間違えられて、あちらこちらから引っ張られたようだ。
「だから、悪かったって言ってるだろ?仕方ないだろ、ああいう所じゃ血が騒ぐんだから。上着も安く手に入れられたしさ」
『そりゃ、そーだけどさ。でもさ』
 ああ、これはまだしばらく続きそうだ。人もまばらになってきたとは言え、迷惑そうに眉を寄せた顔に耐えるのも嫌になってきている。
 大きく溜め息を吐くと、突然背後から少女の悲鳴と水が降ってきた。
「きゃあ、ごめんなさいっ」
 頭を何度も下げて謝るわりには、わざとらしくなかっただろうか。横を見ると、同じようにずぶ濡れになったルージュが呆けている。とりあえず、黙らせることには成功したようだ。
 相変わらず「ごめんなさい」を連呼する少女に振り返って、「大丈夫だ」と一言告げようとして、時が止まった。水が降ってきたからなのか、その少女にか、ルエルの占いが本当だったことになのか。自分が今、何に1番驚いているのか分からなかった。
 生き別れた妹が、そこにいた。