第19話 文学部教授の頼み事

 学都北西門に近付くと、数日前に訪れた時以上に内側が賑やかであることに気が付いた。門の付近でも、学都生達が忙しく走り回っている。立ち止まって見ていると、カエサルが「おかえりなさい、セウスさん」と声を掛けてきてくれた。
「学都祭があるって聞いて来たんですけど」
「今はまだ準備中ですよ。明後日が前夜祭、3日後からが本番なんです」
 そう答えたカエサルの声も、心なしか弾んでいるようだった。
「催し物をする人の中には、数ヶ月も前から準備をしている者もいるんですよ。ファント教授達も今年は傍観者に回られるようですが、昨年などは忙しくしておいででしたね」
「へえ。それって、ハングとかもですよね?」
 ハイエロファントやハングが催し物を自らするなんて意外だ。そう思いつつ尋ねたのだが、「ブライアン教授が、いらっしゃいますからね。ある時は、私まで巻き込まれてしまいましたよ」との言葉に、合点がいってしまった。巻き込まれていく様子まで容易に想像できてしまう。そうしている合間にも、門の飾り付けが速やかになされていった。
「そういえば学都祭の時は、誰でも入れるようになるんですか?」
 学都内だけでやるのなら、門の外側まで飾り付けることもないだろう。カエサルが巻き込まれたということは、門衛の人数がある程度削減されるはずだ。
「そうですね。誰でも、というわけにもいきませんが、出入りする人間の量が量ですので、甘くはなりますね。その代わり門衛を、巡回警備と教授方の警護に回します」
 確かに、そちらの方が効率的であるかもしれない。
「私は、ファント教授とブライアン教授に付かせて頂きます。もしセウスさんが学都祭を楽しんでいかれるのであれば、ご一緒させて頂くことになるかもしれませんね」
 後ろに控えていた門衛に呼ばれたカエサルは、「それでは」と敬礼すると、そちらの方へ行ってしまった。セウスもゆっくりと門をくぐる。ハング達に報告をした方がいいとは思うのだが、どこへ向かえばいいだろう。教授室が1番無難かもしれないが、今日のような状況では授業になりそうにない。家を訪ねた方がいいかもしれない。
 悩んでいる内に、分岐路に着いてしまった。視線を彷徨わせて、見知った人物に目を見開く。
「カナッ」
 顔を上げたカナは、セウスに気付くと駆け寄ってきた。
「どうして、カナがここに?ピエロは?」
「ピエロは、いないよ。俺は事故に遭って、一時的にここで預かってもらってるんだ」
「事故?」
「ホバーカーに乗ってた相手が、ここの生徒だったの。俺は自動人形の中でも回復力が低いから、しばらく様子見」
「そうだったのか。あ、そう言えば、ハング知らないか?」
「ハングなら、皆とファントの教授室にいるよ」
 カナは、渋い表情を作る。
「でも、気を付けなよ?今、すっごく緊迫してるから」
「また何かやったのか?」
「俺じゃないよっ」
 憤慨するカナに、「悪い」と謝った。
「ハングもね、色々抱えてるんだよ。1番迷いがあるのって、実はハングなのかも。大事なことから、わざと目を背けてる感じ」
「大事なこと?」
「うん」
 カナの声が、薄明るい廊下に響く。話しているうちに、文学部棟に着いたのだ。入って左手に設置されている掲示板に、『学都祭、開催!』という手書きの大きな広告が貼られている。こういうところを見ると、教室にあるという立体映像装置や地下鉄の存在が信じられなくなる。セウスにはこちらの方が親しみやすくて、好感度が高いが。
「電光掲示板じゃないだなんて、なんか意外だよね。もっとも、こんなの見なくても、そこらに設置してあるコンピュータで情報を見ることができるみたいだけど」
 セウスの目が掲示板で留まったことに気付いたのか、カナも立ち止まって見上げる。
「寮だと、個人に直接情報が来る仕組みになってるんだって。ルエルが言ってたよ」
「へえ」
「でも、結構こういう手作りが好きな人って多いよね。ここの人達も、ピエロも……俺も好きだよ」
 その言葉に、カナを見下ろす。彼は大人びた笑顔で、貼り紙を見上げていた。
「これ描いた人が、どれだけ学都祭を楽しみにしてるのかが分かるじゃない。温度が伝わってきて、いいよね」
「うん。俺も、そう思うよ」
 カナの頭を2、3度撫でて、昇降機の方へ歩き出す。カナも小走りに来て、セウスの横に並んだ。その手には、先ほどからずっと大切そうに本が抱えられている。
「その本は、どうしたんだ?」
 昇降機に乗り込み、最上階へのボタンをカナの代わりに押してやりながら尋ねた。扉が静かに閉まり、軽い浮遊感に襲われる。
「図書館から借りてきたに決まってるじゃないか」
 カナは呆れたように頬を膨らませたが、すぐに嬉しそうに顔をほころばせる。
「ファントが読んでくれるって約束してくれたの。ここに来て初めて本を読んだんだけど、すっごく面白いんだよ」
 満面の笑みではしゃぐカナに、それまで寝ていたルージュも目を瞬かせている。
『こうしてると、人形とは思えないよね』
「ああ」
 見下ろしていると、途端に笑うのを止めてしまった。
「でもねー」
 見上げてくるカナは、困ったと言うように眉尻を下げている。本当に、表情がよく変わる少年だ。
「科学とかの話をすると、ハングがすっごく怒るんだよ」
「ハングが?」
 するとルージュが、セウスの耳元で囁く。
『それだけ不機嫌だってことじゃないの?』
 セウスは想像しただけで、参ってしまった。しかし無情にも、昇降機はハイエロファントの教授室がある階に着いてしまったようだ。
「ほら、着いたよセウス。報告しなきゃいけないんでしょ?」
 降りるのを渋っているセウスの手を、カナが引っ張る。重い足を引きずりながら箱から降りると、教授室へ続く廊下を歩いたのだった。
 無駄な抵抗の後、ようやく開いた扉の内側の空気に、セウスは何をしに来たのかさえ忘れて逃げ帰ろうと思った。「おかえり、セウス君」と言ったハイエロファントの笑顔こそ爽やかだったものの、その周囲の沈黙のなんと重いことか。ハングはもちろんのこと、その正面に座っているブライアンもこちらを見ようとはしない。後者は、居た堪れない雰囲気のせいで動けずにいる、といった感じだ。
「ほら、2人共。呆けてないで、座りなさい」
 部屋の奥からする優しい声が、恨めしい。ブライアンが長椅子の隅に移動してくれたので、中央にカナ、端にセウスとルージュが腰を落ち着けた。
「おかえり。あー、どうだった。研究所は」
 ブライアンが、ようやくセウスに話しかけてくれた。その目はずっとハングを捉えようとはしていない。
「研究所には、アーベルが……クランケットのお姉さんがいました」
「アーベルが?」
 ハングがやっとセウスを見た。まだ不機嫌さは残っている様子だが、話を聞く気はあるようだ。
「いたと言うよりは、掴まってるって感じだけど。玻璃の中に入れられてたから」
「玻璃の中」
 ハングの眉が、不快だと言わんばかりに寄った。
「グレイスが管理してるみたいだったけど」
「グレイスに会ったのか?」
 今度は、ブライアンが反応する。
「グレイスはブライアンの妹なんだよ」
 すかさずハイエロファントが、補足を入れてくれた。
「グレイスは、強さを求めているみたいでした。全てを敵視してるっていうか」
「そうか」
 ブライアンは渋面を作り、なにやら考え始めてしまったようだ。
「途中で、ルエルに会ったでしょう?」
 ハングが話題を変えるように、切り出してくれる。
「ああ、あの時は助かったよ。妹にも会えたし。クランケットが倒れていた時は、驚いたけど」
 ハングは、目を丸くした。
「彼を見つけたんですかっ?」
「うん。正確には妹が、だけど。腰を打ってたみたいだから、妹の家に預けてきたんだ」
「良かった。王都の方まで飛んでいかなくて」
「なんで、それ」
 「飛んで」とは、クランケットが羽を背負っていたことを知っていたみたいではないか。
「最初は、ルエル1人でクランケットを助けに行ったんですけど。ルエル信者がいましてね」
「ルエル信者?」
 その時、けたたましく廊下を走ってくる音が聞こえた。留守を問う声も無く開かれた扉の先には、黒髪を逆立てた青年が立っていた。
「おい、ハング。手伝いに……て、え?お客さんですか?」
 呆然と立ち尽くしている彼を、ハングは笑顔で「彼が、ルエル信者です」と紹介してくれた。
「ルエルを迎えに行くと言い張るものですから、フルール先生のホバーカーで研究所まで行ったんですよ」
「で、その帰りに俺をひこうとしたってわけ」
「いや、別に故意でひこうとしたわけじゃ」
 立ち直った青年が、カナの言葉を慌てて否定する。一つ咳払いをすると、ハングの真横に立った。よほど信頼しているか、よほど鈍いかのどちらかだ。
「俺とためくらいに見えるけど、ハングの友達か?俺は、サエリハ。リハって呼んでくれよ」
 浅黒い顔に満面の笑みを浮かべる彼は、人懐こい人種らしい。ブライアンやルエルのように、ハングはこの手の人間が集まりやすいのかもしれない。
「俺はセウス。こっちはルージュ」
『よろしく』
 セウスの紹介に合わせて鳴いたルージュの声が理解できたわけではないだろうが、「おう、よろしくな」と、リハはまた笑ったのだった。
「悪いな。こいつ、ルエルちゃんを迎えに行った時から、機嫌が悪いんだよ」
 面白がっているのだろう。細めのつり目が、更に細くなった。
「ファント教授と遊ぶ予定が潰されたから、拗ねてるんだよな?」
 リハに顔を覗きこまれ、「ち、違いますよっ」と真っ赤になったハングが否定する。意外と仲が良いみたいだ、とセウスは判断した。
「ルエルの友達を手伝えって、誘いに来たんでしょう?」
「そうそう。友達のことにも一所懸命だからね。ブライアン教授も来てくださいよ。力仕事のできる奴も欲しいみたいですから」
「よし、分かった。ファントは、どうする?」
「私は残るよ。後で、カエサル君が学都祭のことで来るって言ってたし。カナ君との約束もあるからね」
 ハング達が立ち上がったと同時に、重々しかった空気も和らいだようだ。サエリハは、只者ではないらしい。
「セウスさんは、どうしますか?」
 ハングが振り向きざま、尋ねてくれた。部外者でも大丈夫なら手伝ってみたい。ルエルにも礼を言わないといけない、と強く思うのだが。
「あ、セウス君は残ってもらえるかな?話したいことがあるんだ」
 口を開く前に、ハイエロファントに先を越されてしまった。
「はい、分かりました」
「話が終わったら、参加してきても良いんだよ?」
 よほど残念そうに見えたのか、苦笑されてしまう。
「リハ君も、悪いけど残ってもらえるかな。セウス君じゃ場所が分からないだろうし、君にも聞いてもらいたい」
「え?あ、はい。分かりました」
 サエリハは困ったように頭を掻くと、ハングとブライアンに場所の説明をし始めたようだ。ハングは訝るように保護者を見ていたが、友人からの「拗ねてる」発言が効いたのか、ブライアンと共に出ていってしまった。2人の足音が遠のいてから、サエリハが口を開く。
「で、話ってなんですか?体験入学なら、ハングでも良さそうですけど」
 体験入学。セウスは意外な言葉だと思った。王都の人間以外には、寛大な都市のようだ。
「うん。セウス君が望むなら、それもさせてあげたいんだけどね」
 ハイエロファントは執務机の引き出しから、何かを取り出した。
「絵本、ですか?」
 サエリハの問いに、否定の言葉は無い。絵本ではあるのだろうが、セウスが知っているような薄いものではなかった。カナが手に抱えている児童書よりも少し薄いだけの、幼児の手には重過ぎる代物だ。
「まさか、ハングが好きだったとか?」
「あーうん、好きだったかもね」
「あいつが、こんなに可愛らしいものが好きだったとはね」
 サエリハの笑いに、セウスも釣られそうになったのだが。
『ねえ、よく見てみなよ、あの表紙。僕にそっくりじゃない?』
「なんだって?」
 身を乗り出して見てみると、確かに少年と大きくなったルージュに似た動物が柔らかい絵柄で描かれていた。
「本当だ。ルージュ、そっくり」
「ルージュ君にそっくりと言うよりは、ルージュ君の仲間にそっくりなんだけどね」
「え?」
「前に、ブライアンに聞いてみたんだ。この動物は、数年前まで絶滅危惧種だった。近年、その姿は目撃されていない」
「絶滅しちゃったってこと?」
 カナが首を傾げる。自分の種族のことだからか。セウスの足に乗っているルージュの身体が、硬くなった。
「目撃されていないというだけかもしれないし、その辺りは専門家じゃないから分からないけどね。ただ、ルージュ君の能力は、この絵本が元になっているんだよ」
『え?』
「それって、どういうことなんですか?」
 凶暴化はグレイスの、制御方法はクランケットの、そして伸縮自在の能力はセウスの母達が施したことだというのは、今日までの道のりで分かってきたが。
「私が言っているのは、伸縮自在の能力のことだよ。そうだね、この本を読んであげようか」
 ややあって、優しい声で物語は語られ始めた。ある日のこと、主人公の少年が出会ったのは、変わった毛色の可愛らしい動物。小さくも大きくもなる動物。可愛がり、助けられたりして、やがて彼等は親友となっていく。
 よくある手の童話だと思うのだが、カナは目を輝かせて聞いている。ルージュも、真剣に耳を傾けているらしかった。ハイエロファントが読み終わり本を閉じると、1人と1匹は拍手を送った。
「これで、おしまい。ほら、ルージュ君の能力と似ているだろう」
 セウスは素直に頷いた。
「あの、俺、つい最近思い出したことがあって。この笛」
 銀色に輝く笛を、皆に見せるように取り出した。
「預かり物だから返して欲しいって、母さんに言われてたんです。本当の持ち主が誰かは分からないけど。もしかしたら、この持ち主の人に親友を作ってあげたかったのかもしれない」
 視線を集めることが急に気恥ずかしくなり、「もしかしたらだけど」と小さく呟いた。
「いや、きっとそうだと思うよ。そうだな……もし笛を返す日が来たら、この絵本を一緒に渡してみるのもいいかもしれないね。この引き出しに入れておくよ。いつでも持っていっていいからね」
 ハイエロファントは絵本を執務机の一番上の引き出しに入れ、鍵を掛ける。小さな鍵は、「見付かるといいね」という言葉と共に、セウスに渡された。なにもそこまでとも思ったが、好意は素直に受け入れることにする。
「話は、それで終わりなんですか?」
 サエリハが、口を挟んだ。絵本とルージュの関係はセウス達には重要なものだとしても、サエリハには関係が無い。これでは彼に残ってもらった意味が無い。後でルエルがいる場所に連れて行ってもらうにしても、ハングやブライアンでも構わないはずだ。もっとも今のハングは機嫌が悪く、童話を最後まで聞く雰囲気にはならなかっただろうが。
「いや。君達に一つ、頼み事があるんだ」
 ハイエロファントは首を横に振ると、今まで見たこともないような沈痛な面持ちになった。
「私に何かあったら、ハングのことをよろしく頼みたいんだ」
「え?」
「ファント?」
『それって?』
 一様に驚いて、ハイエロファントの顔を見る。眉間に皺を寄せ、苦痛とも取れる表情にクランケットの言葉が思い起こされる。
『ルエルが、嫌な予感がすると言っていた。祭りの日は、危険だと』
 ありがたい預言者の言葉も、今度ばかりは外れてほしいと強く思った。