第20話 学都前夜祭

 この日の夜は、数日過ごすことで慣れてきた学都のどの夜とも違っていた。学都は夜中でも店が開いていたり、研究者が実験をしていたりして、人通りが多く賑やかい。しかし今夜は、賑やかさも人通りも灯りも、全てが普段の倍以上となっていた。
「すごいな」
『本当にねー』
 呆然としているセウスの肩に乗ったルージュは、既に辟易としている感じだ。どうやら彼は、気安い性格の割りに人ごみが苦手らしい。そう分析するセウスも人酔いしそうではあるが。
「僕も、家に残れば良かった」
 隣りの壁にもたれ掛かったハングは、うんざりしたように溜め息を吐いている。その手には紐が握られていた。先は、カナの腰にしっかりと巻かれている。彼なりの迷子防止策なのだろうが、愛情などというものは微塵も感じられない。
「しょーがないよ。リハはともかく、ルエルには逆らえないでしょ?」
 大きな四角いパイを頬張っているカナは、紐のことなど気にしていないようだ。たまに背伸びをして、パイの中身をルージュに分けている。
 学都祭は前夜祭も入れて、10日間にわたる一大行事だ。セウスが仕入れた噂では、王都の記念行事と並ぶほどの盛大さらしい。その間、店や施設は一般の人間にも開放され、学都の人間が主催する企画もある。中でも目玉の一つとなっているのが門衛や警備員達による行進で、前夜祭と5日目と最終日に行われるそうだ。その時はどうしても警護が薄くなるため、教授達は自宅や教授室に待機を強いられる。そのため、ハイエロファントはブライアンやフルールと共に、屋敷で留守番をしているのだ。
 行進目当ての場所取りに来た人間が大半なのだろう。壁に張り付いているセウス達のところからでは、警備員の頭くらいしか見えそうにないほどの人垣ができつつあった。そのような垣根を分けるようにしてサエリハが、後ろにルエルを従えてこちらにやって来る。手には戦利品とでも言おう、菓子やら飲み物やらが大量に抱えられていた。
「やっぱり、ファント教授の家に戻ろう?カエサル君は、ちょうどその前を通るんだって」
「わざわざ聞きに行っていたんですか?」
 ルエルは、首を横に振る。
「占い」
 ハングは顔をしかめた。占い嫌いなのか、もっと早く占えと思ったのかは定かではないが。ルエルが手に持つ菓子の山を引き受け踵を返したということは、とりあえずは了承したのだろう。セウス達も人にぶつかりながら、後を追ってハイエロファントの屋敷に向かったのだった。

 ◆◆◆

「すごい、お土産だね」
 笑顔で迎えてくれたハイエロファントの後方では、ブライアンの叫び声とフルールの笑い声がしている。既に、できあがっているようだ。カエサル達が屋敷の前を通るのだとルエルが説明すると、「それじゃ、2階に行くと良いかもしれないね」と促してくれた。ハングを先頭に2階に行くと、各々が好きな場所についた。ハングは行進に興味が無いのか疲れただけなのか、長椅子に腰を落ち着けた。ルエルとサエリハが窓に張り付いて、外の様子を窺う。
「うん。ここから、ちゃんと見えそうだよ」
 ルエルの言葉に誘われて、セウスも同じように窓に張り付いた。
『うわ、本当にすごい人だね』
 ルージュの言う通り、さっきまでセウス達がいた所は大勢の人で埋め尽くされていた。目を見張った直後に空砲が鳴ったのと、ハイエロファントが部屋に入ったのは、同時だったらしい。音に驚いて耳を塞いだルージュに気を取られ、「ああ、もう始まりだね」と耳にするまで、彼が傍にいることに気が付かなかった。ハイエロファントはルージュを撫でると、セウスの後ろから窓の外を覗き込む。腕の中にはカナがいた。
「前夜祭の行進は、各門から中央広場に向かって行われる。中央広場で一堂に会した警備員は、一斉に空砲を鳴らすんだ。それが、学都祭開催の合図になるんだよ。ほら、もうすぐ先頭が来るみたいだ」
 ハイエロファントが指差した方向から、歓声と管楽器と太鼓の音の波が徐々にやって来ていることが分かる。興奮までもが、こちらに迫ってきている感じだ。赤い旗が振られる。その後ろで、銀の棒を片手に楽団の指揮を務めている人物がカエサルだった。
「毎年思うけど、いつの間に練習してるんだろうね」
「こんなに警備員って多かったんですね」
 感心したように言う文学部教授にの耳元に、口を近付けるようにして話す。普段より大きな声を出さなければ、歓声と楽団の音で消されてしまいそうだ。
「そうだね。各門だけでも1人ではないし、学部学科棟にも配属されているし。巡回している者ももちろんいるから、集めたら結構な人数になるね」
 会話をしている間にも、目の前を3列に組まれた音楽隊が横切っていこうとしている。カエサルはルエルとサエリハの声に顔を上げ、こちらに会釈をしていった。ルエルは手を振って応え、サエリハは小さな機械を覗いている。一瞬だけ光を放った後は、何も変わった様子がない。
「うまく撮れましたか?」
 後ろから尋ねたハングに、「ああ、たぶんな」とサエリハが機嫌良さそうに答えている。
「あれって、なんだ?」
 首を傾げると、なぜかルージュに驚かれた。
『え、セウス、写真機も知らないの?』
 なぜルージュは知っているのだろう。
「写真機って?」
「え……セウスさん、写真機もご存知じゃないんですか?」
「まあ、俺もここに来るまでは詳しく知らなかったからな。しょーがないんじゃない」
 純粋に驚くハングに、サエリハが写真機と呼ばれる機械を示した。
「俺の田舎には新聞も無かったからな。これを片手に記事書いて、田舎に新聞を広めるのが俺の夢」
 照れ笑いをするサエリハに、ハイエロファントが穏やかな笑顔を浮かべる。
「情報技術が失われてしまった所も多いからね。良い夢だと思うよ」
 先生としては、自分が教えたことが将来の役に立つことが嬉しいのかもしれない。何かを夢見ることなく生活してきたセウスには、サエリハの笑顔がなぜか羨ましく思えた。
「学都の人達って、みんな夢を持っていたりするのか?ハングやルエルは?」
 2人は少し考えるような仕草をしていたが。
「僕は……ファント教授のように、教える側もいいかなとは思ってますけど」
「えー、私は調理科に行って、お菓子を作れたらなって思うかな」
 ハングは照れ隠しなのか苦笑しながら答え、ルエルは首を傾げて困ったように笑った。そんな笑顔が、セウスには少し遠く見える。昔、獣医になりたいと言っていたクランケットの顔を思い出した。この頃も、羨ましいと思っていたような気がする。
 幼い頃を思い出している内に、列の最後尾が離れていこうとしていた。通り過ぎた場所から、人垣が崩れていく。
「これから空砲が鳴るまで、少し時間があるだろうね」
 「下に行くかい?」という文学部教授の言葉を、ハングが即座に否定した。セウスも階下にいる2人とは、あまり付き合いたいとは思わない。
「そう言えば、写真機で撮った後って、どうなるんですか?」
「現像して、写真になるんだよ」
「写真?本の中に載ってたりする?」
「そうだよ。私の部屋に来てごらん」
 ハイエロファントは手招くと、自室に案内してくれたのだった。
「うわ、すごい写真の数」
 サエリハが驚いた通り、棚や壁のあちらこちらに額に入れられた写真が飾られていた。料理本の見本写真より、ずっと大きいものもある。出窓には、セウスよりも小さい男子3人が写ったもの。中央で紙を広げているのがハイエロファントだろう。今よりもずっとあどけなく小さくても、面影があるためすぐに判った。かろうじて『卒業証書』の文字も読める。
「あ、これって去年のじゃない?」
 ルエルの視線の先にも、1枚の集合写真があった。よく見ると、カエサルも隅に写っているばかりか、全員しておかしな格好をしている。ハイエロファントやハングなどは、明らかに女性向けのドレスを着ていた。
「これって」
「去年は、みんなで劇をやったんだよな。ブライアン教授が突然、台本持ってきてさ」
「配役は、くじ引きでしたよね。あの時は、迷惑を掛けさせられました」
 たしかにハングはくじ運が無さそうだ、とセウスは思った。この面子で劇をやれば、きっと大勢の人が集まるに違いない。
「本番の時は、王子様役のブライアン教授が遅刻して、裏じゃ大騒ぎだったよな」
「登場した直後に、大道具壊しちゃうしね」
「カエサル君も、途中で台詞忘れてしまっていたよね」
「ルエルも、舞台の中央で転んでいたじゃないですか」
「だって、裾が長いんだもーん」
「真面目な話のはずだったのに、最後は喜劇になってたよな」
「一昨年のだって、最終的には大騒動になってたじゃないですか」
 口々に思い出話を語る彼等は、本当に楽しそうだ。ハングも渋々参加する割には、口を出す回数が多かったのではないだろうか。
 一昨年の学都祭の話で言い合っている間に、セウスとルージュは部屋の写真を見回した。教授仲間で撮ったらしい写真で、少なくとも数年前から変わらぬブライアンの性格が分かる。幼い頃のハイエロファントと彼に似た優しそうな両親、くせ毛の小さな女の子が写っているものは、セウスに子供の頃を思い出させた。隣りにあるものは、3人の女性と写っている。容姿から、親族に違いない。
 ハイエロファントの部屋は、彼の思い出がたくさん詰まっているようだった。本当に写真が好きなのだろう。中でも、ハングと思われる少年の写真が一番多い。普段は何を言っていようと、結局はハングを大切に思っていることが分かる。少しあどけない顔で、不機嫌さを隠そうともしない少年に笑えた。
『ねえ、セウス。あの人って、ファントの恋人かな?』
 小さな前脚の先は、枕元に向けられていた。棚の上に、二つの額がある。一つは伏せられているが、もう一つは1人の女性が写っていた。水色に近い銀糸の髪を持つ女性は、涼やかな印象をもたらす。しかし、笑顔は穏やかだ。自分の枕元に置くくらいだから、大切な人に間違いないだろう。
「あの人は、ソードと言います」
 セウスとルージュが一つの写真に注目していることに気付いたハングが、思い出話の輪から離れて小声で教えてくれた。
「ファントの恋人、なのか?」
「だいぶ前に亡くなった人ですけどね」
 そう告げたハングも、痛みに耐えるような笑顔を浮かべていた。親しくしていたことが分かる。
「ごめん」
「謝ることはないですよ。抱えた過去があるのは、みんな同じことですし」
「そう……」
 返事をしようとした時、地に響くような音が一斉に鳴った。実際に窓が震えて音を立てる。ルージュは耳に残る発砲音を振り払うように、頭を横に振った。
「学ぶ者に更なる英知を」
「教える者に大いなる感謝を」
 ハイエロファントの声に、3人が返した。セウスとファントに抱かれたカナは、訳が分からず首を廻らせてしまう。
「学都祭の間の挨拶だよ。昔からの習慣なんだ」
 文学部教授が教えてくれる。
「周辺の住民もやってくるから、先生方は誰にでもそういう挨拶をして回る。そうしたら、さっきみたいに返すんだ」
「俺もですか?」
「そうだよ」
 ハイエロファントが笑うと、階下から騒々しく上がってくる足音が聞こえた。
「ここかあ?」
 乱暴に開けられた扉の間から、赤くなったブライアンの顔が現れる。
「ブライアン」
 友人が呆れたようにたしなめるが、ブライアンは気にすることなく豪快に笑う。傍に寄ったら、強烈に酒の匂いがしそうだ。
「学ぶ者に更なる英知を」
「教える者に大いなる感謝を」
 今度はセウスもカナもルージュも、ハング達に合わせて言うことができた。口にすることで、学都の住民と一体になれた気がするから不思議だ。
 こうして楽しい、しかし各々に苦い思い出を残す学都祭は始まったのだった。