第22話 占い師のジレンマ

 学都祭2日目。ブライアンやフルール、ルエルといった昨日不在だった人が仲間に加わり、とても賑やかだ。中でもサエリハが1番張り切っていることは、誰の目から見ても明らかだが。
 ハイエロファントの家を出発したセウス達は、トゥルーカフェを目指していた。なんでも学都祭の時でしか味わえない料理があるのだとか。限定品という言葉に弱いのは、なにもセウスだけではないらしい。常より浮ついている彼等の元へ、1人の少女が駆け寄ってきた。
「あ、アリスちゃん」
 ルエルの声に、カエサルも顔を向けた。
「ルエルちゃんっ」
 セウス達の前で止まったアリスは、聞いていた通りカエサルとあまり似ていない。髪や目の色が同じだから兄妹と言われれば、ああそうなのかと納得する程度だ。目の輝きと吊りあがった眉が印象的であるせいか、妹の方が勝気そうに見える。
「悪いけど、サエリハ先輩貸してもらえない?」
「えっ」
 アリスの言葉に真っ先に反応したのは、サエリハだった。先手を打たれて言葉が出ないルエルに代わり、ハングがアリスに尋ねる。
「それは、どういうことですか?」
「私達が演劇をやることは、ご存知ですよね?1人が体調を崩して出られないので、代役が必要なんです」
 フルールが、「ああ、そう言えば」と声を漏らす。朝に急患があったようだ。集合場所に遅刻してきたことを、セウスは思い出す。
「それなら、なにもサエリハさんでなくても」
 口を開いたカエサルを、アリスは睨みつけた。
「そう言って、去年の劇を忘れたと言うの?兄さんは散々だったし、ファント教授が劇に出たらセウス君まで拘束することになるじゃないの」
 端からハングを外した人選は妥当だ。カエサルは何も言い返すことができず、言葉を詰まらせた。それを尻目に、アリスはさっさとルエルに矛先を変えてしまう。
「そういうわけだから、サエリハ先輩を貸して。ね、お願い」
「うん、いいよ」
 手を合わせるアリスに、無慈悲な言葉が迷いなくルエルから出される。
「ありがと、ルエルちゃん」
「ルエルちゃ」
 片腕をしっかりとアリスに捕らわれたサエリハは、縋るような目でルエルを見たのだが。
「頑張ってね。劇、成功するといいね」
 ルエルは、気付かなかったのだろうか。哀れなサエリハは無情の言葉と共に、送り出されてしまったのだった。
「アリスちゃんはね。リハ君のことが好きなんだよ」
 見送るルエルが、誰に言うでもなく呟いた。セウスからは背中しか見えず、表情まで判らなかったのだが。
「でも、なんで私に聞いたんだろうね」
 振り返った彼女は、笑顔ではあったのだが。
「もしかして、怒ってませんか?」
 セウスと同様に違和感を覚えたらしいフルールが尋ねると、ルエルは大きな目で2度瞬きをした後、小首を傾げた。
「え?別に、怒ってないよ?」
「んじゃ、あいつらの劇、観に行ってみっか?」
「行かないっ」
 やっぱり怒ってるじゃないか。
 その場にいた全員が思ったようだが、あえて誰も突っ込むことはしなかった。サエリハの件は終わらせ、当初の目的通りトゥルーカフェに向かうことにしたのだった。

 ◆◆◆

「今年は、占いはしないのかい?」
 石畳を歩いていく途中で、ルエルに声を掛ける女性がいた。花屋の店番だ。小さな商店街はルエルがよく訪れるらしく、馴染みの店員も多いのだとブライアンが小声で教えてくれる。
「うん。今年は、ちょっとね」
 ルエルは言葉を濁し、短く返した。
「俺のせい?」
 花屋から離れたところで尋ねてみる。もし自分に気を遣ってくれているなら、なんだか申し訳がないとセウスは思ったのだ。
 しかし、ルエルは首を横に振る。
「ううん、違うの。あ」
 顔を不意に上げた彼女は、木造の建物を指差した。
「あれが、トゥルーカフェだよ」
 セウスの村では見かけない可愛らしい外見の建物は、女の子を引き寄せるのに充分な効果があるだろう。ブライアンを先頭に、厚みのある木の板を踏んで店内に入った。
「今日は空いてて良かったね」
 台詞に反して、長い机が一つしか空いていない。首を傾げるセウスだが、普段はかなり並ぶのだと聞いて納得する。ここは、田舎とは違うのだ。
 ハングはセウスの横をすり抜けて、席を取りに行ってしまった。付き合いはするものの、まるで興味がないのだ。甘い物が苦手なのだから仕方ない。カナはハイエロファントに、ベリータルトをせがんでいる。ルージュは、玻璃の中にある色とりどりの焼き菓子に釘付けだ。ルエルは既に注文するものが決まっているのか、棚を見ることなく店員と話し始めた。
「あれ、ください」
 ルエルが指差す『あれ』の写真を見る。セウス達がここへ来る目的だった『学都祭限定商品』と書かれていた。どうやら、ふんだんにベリーが乗せられた菓子のようだ。パフェと呼ばれる食べ物らしいが、セウスは写真でしか見たことがない。
「俺も、あれにしようかな」
「え、駄目ですよ」
「やめとけ。ありゃ、まっとうな人間の食い物じゃねえ」
「おなか壊して、また苦い薬を飲みたいんですか?」
 セウスの呟きは、背後で見守っていた3人から却下された。カエサルはおろか、ブライアンまでが真剣な表情をしているのだ。怯まざるを得ない。戸惑うセウスの斜め後ろから、「お待たせ致しました」という店員の言葉に続いて、「ありがとう」と嬉しそうに礼を言うルエルの声がする。振り向いて、ルエルが手にしようとしているものに驚いた。
「え、なんだそれっ」
「何って、ミラクルベリーパフェだよ?」
 笑顔で答えたルエルは、重たそうにパフェを持ち上げた。サエリハがいれば素早く手伝いに入るのだが、残念ながら貸し出し中だ。危なっかしい様子を披露しながら、ハングが座る長机へと持っていくしかない。小柄な身体に不釣合いな器なのだ。重いと感じて当たり前だった。
「あれって、3人前ですか?」
 見かねたハングが手伝いに入るところを見届けながら尋ねる。
「いや。あれで1人前だ」
 恐ろしい答えが、ブライアンから返ってきた。注文しなくて良かった、とセウスは3人に感謝する。
 セウス達は結局のところ、飲み物こそ違うが、同じようにベリータルトを買った。席に着いた時には、既にルエルはパフェの攻略に取り掛かっていた。透明な器の中にはベリーシロップが重ねられているのか、青や黄や赤など美しい色が踊っている。これで2周りは小さければ、見ているだけで胸焼けを起こすということにもならないのだが。
 セウスは、なるべくルエルを視界に入れないようにしながらベリータルトを食べる。甘い物、酸味のある物。様々なベリーが乗っているのに喧嘩をしていない。タルトというのも料理本で見かけただけで実際に食べたことはなかったが、しっとりとしていながら小気味良い不思議な歯触りがなんとも面白かった。
 セウス達が食べている間、甘い物が苦手なハングは机の上の物を見ないよう、ずっと窓の外を眺めている。同じように窓の外に視線をやると、多くの人々が笑顔で行き交っていた。窓を大きく取っているため、内に入っても光の洪水。白木が、とてもよく映える。ここが、セウスには非日常の世界なのだと思い出される。それでいて、グドアールを探していることが嘘のようだ。
「平和、だな」
「うん、そうだね。穏やかで愛しい」
 漏れた声に我に返ったセウスに、ハイエロファントが微笑んだ。
「あれ、ルエルちゃん。今年は、のんびりしてていいの?」
 各々が温かい空気に浸っている時、頭の上から声がした。
「占いを楽しみにしてたんだけど」
 男女6人の集団も、ルエル信者のようだ。ルエルは苦笑を漏らした。
「ごめんね。今年は、遊びまわることにしたんだ」
 そのまま2、3ほど言葉を交わし、男女を見送った。
「やっぱ、俺?」
 彼等が店を出るのを見計らって尋ねると、ルエルは先と同じように否定した。
「セウス君のせいじゃないよ。今年は占い師の出し物をしないって、もう数日前から決めていたことなの」
「どうしてですか?」
 ハングが先を促す。
「うまく言えないけど……今、すごく不安定な状態なんだ。3日後より先が真っ暗で、何も見えないの」
「真っ暗?」
 聞き返したブライアンに、ルエルは俯き加減のまま頷く。
「元々、近い未来しか見えなかったりするんだけど」
 彼女の瞳には、いつものような輝きが無かった。クランケットから聞いた、学都祭での予言に関係のあることだろうか。だとすると、何が起きるというのだろう。
 しばらくの間、沈黙が落ちた。それぞれが発言の意味を考えているのだろう。ルエルも明るく振舞っている内側で、不安が渦巻いているに違いなかった。
 やがて、ハングが深く溜め息を吐く。
「それで自分は無力だと、1人責めているんですか」
 それは、解決策でも慰めでもなかった。
「だって」
 項垂れていたルエルが顔を上げ、ハングに言い返そうと口を開く。しかし、言葉が出てこないようだった。
「兄妹喧嘩かよ。珍しい」
 睨みあう2人に、ブライアンが呟いた。カナとカエサルは心配そうに見守り、ルージュは『大丈夫なの?あの2人』と耳元で声を漏らす。ハイエロファントに目を遣ると、「大丈夫だよ」と言うように微かに頷いてくれたので、黙っていることにした。
「確かに、3日後より先が見ることができれば、解決策も取れるでしょう。だから不安定な自分の力に、苛立ちや無力感を抱いていると。暗いその先が不安なのだと。そう言うのでしょう?」
 机の上に置かれたままのルエルの手に、力が入った。おおかた肯定しているのだろう。ハングの言い方は厳しいものがあるが、ルエルに対して怒っているわけではなさそうだった。
「そんなあなたを支えられない僕達は、もっと無力ですね」
 自身に苛立っているハングは、それだけ言うとルエルから目を反らしてしまった。
「ハング君」
「それ、早く食べないと溶けてしまうんじゃないですか?」
「え?あっ」
 放っておかれたままのミラクルベリーパフェに気付いたルエルは、慌てて器を引き寄せた。
「ありがとう、ハング君」
 外を向いたままのハングに一言礼を言うと、彼女は再びパフェを攻略し始めた。赤いベリーを口に入れ、甘酸っぱさにぐっと目を閉じている。豊かな表情からは、少し前の暗さを感じることはできなかった。
「そうだ、セウス君」
 パフェと格闘していたルエルは不意に顔を上げて、セウスを見た。
「セウス君て、お料理できるんだよね」
 確認を取る彼女に、頷いてみせた。
「明日、料理コンテストがあるんだよ。2人1組だから、もしよかったら私と出てくれないかな?」
 願っても無い誘いの言葉だった。しかし、友人が多いルエルには他に組む人もいそうだし、うるさい信者も1人いるなずだが。
「気にすることはないですよ。彼は戦力外ですから、ルエルの足を引っ張りかねません」
 ここにはいない彼の友人であるハングが言うのだから、甘えても大丈夫だろうか。
「ルエルが構わないなら、出させてもらおうかな」
「うん。よろしくね、セウス君」
 セウスの一言に、ルエルは少女らしい満面の笑顔を見せたのだった。