第21話 ルージュと幼い自動人形

「学ぶ者に更なる英知を」
「教える者に大いなる感謝を」
 夜が明けて外に出てみると、あちらこちらで習ったばかりの挨拶が交わされていた。セウス達も中央広場に出るまでに数度足を止めて、やり取りを繰り返した。言う度に口の両端が上がるのが、自分でも分かる。
「気色悪いですね」
「私も、そういう頃がありましたよ」
 ハングが咎めるのを、カエサルが宥めた。その隣りで、サエリハが頷いている。彼も経験者の1人らしい。
「俺、あれが食べたい」
 出店の看板を指差すカナと鼻をひくつかせるルージュは、挨拶よりも食べることに一所懸命だ。昨日から、小さな身体のどこに入るのかと感心させられるほど、よく食べている。カエサルでなくても自動人形には見えない。1人と1匹に急かされるままに、セウスとハイエロファントは列の最後尾についた。カエサルの目の届く範囲内にいれば、教授も自由に行動ができるらしい。
「俺の金が。あんまり食べるなよ、ルージュ」
 正直に言うと、財布の中身が痛い。セウスとしても色々なものを買いたいのだが、現実を考えるとなかなか手が出せなかった。
「いいよ。私が祭りの間、奢るよ」
 悩むセウスの様子に見かねたのか、ハイエロファントが太っ腹なことを申し出る。
「え、でも」
「この間、臨時収入があってね。元は私の金ではないから、気にする必要はないよ。どうせなら、セウス君も学都祭を楽しんでいきたいだろ?ま、薬の時と同様、出世払いにしてくれてもいいけどね」
 結局は、ハイエロファントの笑顔に甘えることにした。しかし、臨時収入とはいったい何のことだろう。どうやらルエルを迎えに行く前はブライアン教授を賭け事に巻き込むつもりだったらしいから、似たようなことを普段からやっているものと思われる。ハングの話では、大抵はハイエロファントの1人勝ちになるという。「学都の教授が、賭博していいんですか?」と尋ねたところで笑顔で流されるだけだろうから、聞かないが。考えてみれば、笑顔とはすごい武器だ。
「でも、カナ君もルージュ君も、食べ過ぎるとおなかを壊してしまうからね。程々にしておくんだよ」
 注意され、1人と1匹は素直に頷いた。ルージュは分かるとしても、カナはおなかを壊すなどといったことはあるのだろうか。だいたい、人形が物を食べて益があるものなのか。
「カナは、食べた物はどこに行くんだ?」
「えー?セウスと同じだと思うけどな」
 セウスの疑問に、カナは首を傾げる。今まで考えたこともなかったらしい。
「食べなくても平気だけどね。現に、アルは食べないし。でも食べた方が、身体は動かしやすいんだよ」
 言いながら上げた腕が前に並んでいた人に当たり、振り向いた男性に素直に謝っている。これだけ賑わっていると、少し肩が触れたぐらいでは見向きもされないし、何を話していても気にされることもない。セウスにしても言葉の断片しか聞き取れないから、後ろの人が何を話しているのかなど分かりようがなかった。
「自動人形は、内部も人と同じ構造をしているという話だよ。消化液なんかは分泌されていないと思うけどね。昔、知人が所有していた人形に会ったことがあるけど、彼女もよく食べていたな」
 目を閉じ、過去の記憶を辿るハイエロファントは苦笑した。
「自動人形の原動力は、食べ物の栄養素を多少は欲するかもしれないけどね。だから、よく動き回る人形は、食べることが好きだろうね」
「原動力?」
「うまくは説明できないけど……まあ、菌類とか寄生虫の類かな。量は少ないけど、たぶんルージュ君の体内にもいるだろうね」
「えーっ、嫌だそんなのっ」
『えーっ、嫌だそんなのっ』
 カナとルージュが涙目で悲鳴を上げ、周りの人間の注目を集めた。駆け寄ってこようとするカエサルを、ハイエロファントが「なんでもないよ」と止める。彼が子供をからかったのだろう、と結論付けたらしい。周囲の人々も、各々の会話に戻っていった。
「あの、本当なんですか。その話」
「本当だよ」
 恐る恐る聞いてみると、あっさりと肯定の言葉が返ってきた。
「まあ、悪いものではないだろうけどね。どうやら悪性の細胞や老いた細胞を食べ、活性化に役立つものらしい。実際に過去の科学者の中には、わざと自分の体内に入れる人もいたみたいだしね」
 袖をまくって確かめずとも、鳥肌が立ったのが分かった。
「な、なんのために?」
「永遠の命のために、さ」
 ハイエロファントは呆れたように肩を竦めた。彼の態度には共感が持てる。たった一つの執着のために、よく気色悪いことができるものだ。
 やっと自分の番が回ってきたというのに、セウスは食欲が失せていた。楽しい気分が萎えてしまうくらいなら聞くべきではなかった、と後悔する。そんな彼とは対照的に、ルージュとカナは嬉しそうにブラックベリーチュロスにするかイエローベリーチュロスにするかで悩んでいた。
「結局、セウスさんは買ってこなかったんですか?」
 はしゃぐ1人と1匹に対して、祭りにはとても似合わない表情をしたセウスを不審に思ったのだろう。買い物を終えて戻るなり、ハングが尋ねてきた。
「ファントの話聞いたら、食べる気がしなくなったんだよ」
 甘い物が全般的に苦手なはずの文学部生もブルーベリーは好きなのか、カナに貰ったベリーチュロスの欠片を口に入れている。セウスの食欲喪失など、おかまいなしだ。
「なんて言って脅かしたんですか?」
「べつに。たいしたことじゃないよ」
 ハイエロファントは、困ったように笑うだけだった。もしこの場にブライアンがいたなら更にしつこく追求するところだが、あいにく彼はハイエロファントの家の中だ。二日酔いになり、一緒に飲んでいたはずのフルールに看病されている。
 列に並んでいる時になされた会話の内容については濁されたまま、再び中央広場へと向かうことになった。その間もまた、挨拶のために度々立ち止まる。やっと衝撃から立ち直ったセウスは、イエローベリーチュロスを分けてもらい、口の中に放り込んだ。ほのかな酸味が舌の上に広がる。
 ようやく着いた中央広場には、大人が数十人も乗れそうなほど大きな舞台ができていた。特設の舞台では、日替わりで企画を行うらしい。大きな貼り紙に視線をやる。今日は1日目だ。
「美少年、美少女コンテスト」
 セウスの声が聞こえたのか、視線の先に気が付いたのか。
「あー、ルエルちゃんが出たら絶対に優勝だったのに」
 悔しそうにサエリハが嘆いた。ルエルはといえば、「明日は高等学部の友達と回るから」と昨日のうちに寮に戻ってしまい、今日は姿も見ていない。今は目立つ羽もクランケットのところに預けたままだから、常以上の人混みの中では彼女を見つけ出すのは容易ではないだろう。サエリハは心底残念がっていたが、今日を除けば前夜祭から後夜祭まで付き合ってくれると言うのだから充分だと思える。かえって、ルエルの友達に悪いことをしてしまっているというのがセウスの心情だ。
「アリスちゃんと一緒にいるんだろ?出ないのかな、こういうの」
「さあ。出そうな気もしますが、あれは最終日の美男・美女コンテストの方を狙っているのではないかと」
 サエリハがカエサルに話を振ると、彼は眉をひそめた。
「カエサルさんの妹ですよ。性格は似てませんけどね」
 横から、ハングが小声で教えてくれる。
「そっか。まだ、そっちがあったっけ。ルエルちゃんに出てもらえば、優勝間違いなしだっ」
 それはどうかな、と思うが。ルエルは可愛らしい顔の造りではあるが、美人とは取りづらい。しかし、学都にはルエル信者がたくさんいるという話だから、いいところまでは行くのかもしれないが。
「ハング達は、出たことないのか?」
 彼等こそ、優勝候補だろう。
「僕は、そんなもの出ませんよ。ファント教授は一昨年に参加して、優勝してましたけどね」
「ブライアンに無理矢理エントリーさせられたんだけどね」
 ハングは興味がないと言わんばかりにため息を付き、ハイエロファントは少し照れたような困ったような笑顔をみせた。
「それから、ファント教授の人気が上がったんですよ。元々、人気のある教授ではありましたけどね」
 尊敬しているからだろう。カエサルが誇らしげに言うと、「なに言ってるんだい」と文学部教授が更に苦笑する。カエサルが砕けた笑みを浮かべるのは、セウスが知る限り初めてだ。
「さっすが、ファントだねっ」
 満面の笑みを浮かべたカナを、サエリハは見逃さなかった。
「そうだ。カナ、出てみたらどうだ?」
「え?」
 カナの動きが止まる。自動人形である彼は、自分がコンテストに参加するなど思いも寄らないのだろう。
「でも、俺」
「大丈夫。よし、そうと決まったら行くぞっ」
 困惑するカナに無責任なことを言ったサエリハは、誰も出るとは言っていないにも関わらず幼い少年の手を引いて、受付へと行ってしまった。
「将来、ブライアンのようにならないといいけどね」
 サエリハに向けられたハイエロファントの言葉に、その場に取り残されたセウスは心の中で頷いた。

 ◆◆◆

 舞台上に並んだ子供達に、歓声が上がる。学都生まれだという幼い子からルエルと同世代くらいの子と年齢層が広く、学都生に加え一般参加者もいるから人数も多い。特に親や友人だと思われる人達からの声がすごい。サエリハもカナを呼んでいるが、カナの方がこちらを見ようとしない。いつもの元気さはどこへ行ってしまったのか、ずっと困ったように下を向いたままだ。
「大丈夫でしょうか」
 カナを苦手としているカエサルも、この時ばかりは心配そうだ。
「人前に出ることに、慣れていないだろうしね」
 ハイエロファントも同様に舞台を見守っている。ハングは既に、この場にはいない。人混みが嫌いなのもあるだろうが、もう見ていられないという感じでもあった。
 美少年・美少女コンテストは舞台で自己紹介をした後、掲示板に各々の顔写真が貼り出され、一般審査員としてセウス達も投票できる仕組みらしい。夕刻に参加者がもう一度集まると、結果発表されるそうだ。
 しかし、カナの様子では自己紹介などできそうにない。いったい、どうなってしまうのだろうか。そう思った矢先のことだった。
『僕、カナのところまで行ってくるよ』
 いたたまれなくなったルージュが、セウスの肩を飛び降りていた。
「え、おい、ルージュッ」
 声を掛けた時には、ルージュは人々の足元をすり抜けようとしていた。聞いていないのか振り向きもせず、人垣の中へと消えていってしまう。
「何しに行ったんだよ、あいつ」
 セウスの疑問は、カナの出番になった時に解明された。おずおずと1歩前に出たカナに目掛け、ルージュが飛びついたのだ。
「ルージュッ」
 カナの驚いた声が、少し離れたセウス達の耳まで届く。己を抱きとめたカナに、ルージュは安心しろとでも言うように擦り寄る。カナは嬉しそうに笑った。それは、最高の紹介となったようだった。
「動物療法、というやつだね」
 ハイエロファントは安心したように声を漏らした。
「動物療法?」
「動物の姿を見たり触れたりすると、可愛らしさや温もりで人の心が癒されたりするそうだ。古くからある治療法の一つだよ」
 そんなものがあるのか、とセウスは感心する。動物を毛嫌いしているピエロのような人間には、効果が期待できないが。
 しかし、動物から癒しをもらうと言うのなら。
「俺達が動物の心を癒す、てことはないのかな」
「あると願いたいよね」
 呟いた言葉に、ハイエロファントは優しく微笑みかけてくれた。
 自己紹介が終わると、1度解散となる。観客達も、自分の子供を迎えに行ったり掲示板を見に行ったりと、あらゆる方向に移動し始める。セウス達は1度、1人は慣れたところで待っていたハングの所に行き、人が空くのを見計らって投票しに行くことにした。
 人の流れを眺めていると、掻き分けるようにしてルージュを抱いたカナが現れ、セウス達を見つけるなり駆け寄ってきた。
「すっごく良かったぞ」
「最初は、どうなることかと思いましたけどね」
 サエリハが歓迎し、カエサルも安堵の溜め息を漏らした。
『僕のおかげでしょ』
 小さな腕の中で胸を反らしたルージュに、カナが首を傾げる。
「そういえば、さっきなんて言ったの?」
『大丈夫。僕がずっと傍にいるよ、て言ったんだよ』
 それは絵本にあった台詞と同じもので、訳を聞いたカナはルージュを強く抱き締めた。教授室の机の引き出しの中にしまわれた彼等の姿そのものだ。
 人が多少引き始めたため、ハングとカナをその場に残して投票所に向かった。ルージュもカナに入れると言い張るが、字が書けない。組織票と思われないようにと祈りつつ、2枚の紙を箱の中に入れた。一般の人でも良いように、昔ながらの形式であるのがセウスには助かる。
 そして、夕方。カナは、見事に優勝した。