第8話 隠者の子供達

「……面白くないな」
 言葉の通り、心底つまらないといった顔をしたデビルが、地に立った。
「今の僕には、未来視が付いてるからね」
「……本当に、面白くないな」
 得意気にも見えるホイールの顔にますます機嫌を損ねたのか、遣い魔は憮然とした表情を浮かべる。そんな彼に、テンパランスが食って掛かった。
「おい、おまえっ。レンは、どうしたっ?」
 寸でのところでエンペラーが止めに入ったおかげで、デビルの胸倉を掴むことはなかったものの、興奮は収まらない。それを海原より冷たい青い瞳を細め、呆れたようにデビルは見やる。
「ジュニアの言った意味が、ちょっとだけ分かるよ」
「なんだとっ」
「ま、僕には羨ましい感情でもあるけど」
「へ?」
 溜め息と共に漏れた一言で、テンパランスの毒気は失われたようだった。
「ストレングスは、無事だよ。あの人がいるから、大丈夫だと思う」
 エンペラーと同じようなことを述べたデビルは、柔らかい笑顔をこちらに向けた。
 自分に、何かあるのだろうか?
 こちらの戸惑いなどお構いなしに、彼は玄関の方へと近付き、テンパランスを押し退けた。
「って、何すんだよっ」
 そんな抗議は無視し、中に入ってホイールの顔を見上げる。
「フール達が、坂の下まで来ているよ。マジシャンに遣いの役をやらせたのは、君?」
「うん、そうだよ」
「……ま、いいけどね」
「そんなことよりっ」
 突然、2人の会話をジュニアが遮る。ホイールの横で、さっきから落ち着かない様子だったのだ。
「お茶を出すから、みんな入ってよ」
 それだけを言い残すと、エンペラーの背中を両手で押しながら、さっさと奥へと行ってしまう。一番早く反応したのは、デスだった。
「お茶だって。行こう!」
 素直に喜んだかと思うと、エンプレスの手を取った。彼女は驚くこともなく、嬉しそうに頷いて、仲良く並んで歩いていく。その後ろ姿を見るのは、少なからず複雑な気もした。
「本当に、いつの間に仲良くなったのかしら……意外だわ」
 よほど、気が合うのだろうか。
 首を傾げている間に、デビルが傍らへと寄ってくる。
「エステスだって、人のこと言えないじゃない」
「何が?」
 思わず、彼の端正な顔を見上げる。
「覚えてないの?」
 その表情は、ほんの少しだけ哀しそうにも見えた。なんだか悪いような気がして、焦る。
 しかし、何事も無かったかのように自分の手を取って、彼は歩き出してしまった。
「ランスも、早く中に入りなよ。ホイールが気の毒だろ」
 振り返ってテンパランスに声を掛けた時には、哀しげな表情などどこにも見当たらない。
「は? え、悪いっ」
 テンパランスは、ずっとホイールが玄関の扉を支えて開けていてくれたことに、ようやく気付いたようだ。慌てて中に入ると、ホイールが苦笑しながら扉を閉めた。
 その一部始終を見届けてから、軽くデビルに手を引かれて奥へと入る。それから椅子に腰掛けるまでの間ずっと、繋がれた右手を見ていた。なんとなく懐かしい気もするが、それが彼なのか他の誰かなのかは判らなかった。
 ジュニアとホイールだけが、湯を沸かしたり、食器を準備したりと動き回っている。彼等はとても楽しそうで、仲の良い兄と妹のように思えて微笑ましい。
「人形には見えないんだけどな」
 呟いたテンパランスに、同意する。生き生きと動き、感情がある人形など、これまで見たことがない。
「下手な人間より、人間らしく見えるわ」
「それが、製作者がやりたかったことなんだ」
 こちらのやり取りが聞こえていたのか、ホイールが振り返る。
「だから僕の父は、科学者達をこの島に集めた……続きは、後で話すよ」
 彼はジュニアに続きを任せると、玄関に行ってしまった。
 しばらくして庭からホバーカーの空気が抜ける音、ややあって飛び石を細いかかとが踏む音が、かすかに聞こえる。賑やかな人の声から、人が複数いるのだと知れた。その中に、懐かしい声がしたような気がして、部屋の入り口を見据える。
 扉が開く音。徐々に近付く、廊下を歩く音。
 ホイールが出迎えた人物が中へ入ってくるのを、今か今かと待ち構える。これだけ緊張したのも久し振りかもしれない。胸が詰まり、鼓動が高まり、目頭が熱くなる。
 2番目に覗いた顔は、希望通りの人物のものだった。
「ラバーズッ」
「姉さんっ」
 立ち上がった拍子に倒れた椅子に構うことなく、もう1人の妹に抱きつく。最初は驚くだけだった彼女も、細い腕を自分の背に回してくれた。
「久し振り……ね。本当に、久し振り」
 お互いの身体を少し離して、顔をよく見る。勝気そうな自分に比べて、おっとりとした女性的な顔立ちの妹。長く顔を合わせなかった間に、よくも羨むほどの美人になったものだ。
 こんなにあっさりと再会することになるとは。今も信じられない気持ちはある。が、それよりも元気そうでいることの方が嬉しかった。
「ごめんなさい、姉さん。連絡もしないで、心配掛けて」
「ラバーズはね、攫われたところをフールに助けられたんだよ。ただ、やはり精神に大きな傷を負ってしまっていて、そのまま保護されたんだ」
 補足してくれるホイールの言葉に、耳にした名前があった。
「フールって……兄さんの友人じゃなかったかしら」
「今は、この島の自治領主よ」
 頬を染めたラバーズが、嬉しそうに笑う。恩人以上の想いを持っているようだ。
「それにしても、姉さんは綺麗になったわね。ただ、なんだか疲れてるみたいよ? そう言えば、母さんは?」
「試験があったから、寝不足が続いただけよ。母さんは……風邪をこじらせて入院しているの。でも、もう回復に向かってるから心配しないで」
「そう? なら、いいんだけど……エンプレスも、大きくなったわね」
 膝を付いたラバーズに、エンプレスが近付く。当時あまりに幼すぎた末の妹は、すぐ上の姉の顔をあまり覚えていないのかもしれない。自分に向ける笑顔とはまた違う、はにかむような表情を見せた。
「君達姉妹は、仲が良いんだね。ちょっと妬けるかな」
 いつの間にかラバーズの傍らに立っていた男性が、苦笑を浮かべている。大陸では珍しい赤い瞳をしたこの人が、フールだろうか。
「本来なら、すぐにでも無事だと知らせるべきだった。しかし、彼女は長い間精神喪失状態であり、攫った相手が相手だけに下手な連絡手段も取ることができなかった。もっとも警戒するまでもなく、居場所はとっくに割られていただろうが……君達には、本当に申し訳ないことをした」
「いいえ、色々とありがとうございました。それと、ラバーズがいつもお世話になっています」
「いや、こちらこそ助けてもらってるよ」
 頭を下げようとしたのを片手で制する仕草は、彼の立場から来るものだろうか。兄と同じくらいの歳ということは自分と少し離れているが、それにしても落ち着いている。うまくは言えないが、まとう空気もどこか違う気がした。
「3人とも、お疲れ様。みんな、お茶はいかが?」
 改めて招かれた全員が腰を落ち着けたところで、ジュニアが嬉しそうに茶を配る。ラバーズとフールを連れてきたらしい女性が手伝おうとするが、その前にエンペラーに呼び止められた。
「久し振りだな、マジシャン。これだけの人数を集めたのは、君の占いじゃないのか?」
 マジシャンと呼ばれた女性が、肩を竦める。背が高く、魅惑的な人物だ。
「違うわよ。最近じゃ私の占いより、彼の未来視の方が強力なのよ。商売あがったりだわ」
 派手な赤色の口紅を引いた唇は笑っていて、特に怒っている風ではなかった。
「マジシャンは占い師、ホイールは作家なんだよ」
 きっと2人のことを知らないだろうと気を回してくれたらしいデスの一言に、納得する。
「ああ、どこかで聞いた名前だと思ったら。何冊か読んだことがあるわ」
 話題の張本人から直接茶を受け取って、更に続ける。
「特に、『空』の連作が好きよ。主人公の行動力もかっこ良いし、展開も面白いのよね」
「ありがとう。今度は絵本にも手を出す予定で……と」
 語りだしそうになったところでマジシャンに頬を抓られ、我に返ったらしい。
「直接感想を聞くのは嬉しいけど、今は本題に入らないとね」
 ホイールはその場にいる全員の顔を一通り見回すと、茶を持っていない方の手を上げた。
「僕は、『未来視』という力を持っている。塔が建つことも、エステスがこの島に来ることも、レンが連れ去られることも知っていた。今日、みんなに集まってもらったのは必要があると感じたからでもあるし……もしかしたら、これも未来視の延長上なのかもしれない」
 未来を視る目を持つということは、複雑な感情をもたらすのかもしれない。本人でさえ、これが導かれたものなのか、自ら行動を起こしているものなのかを把握しきれず、混乱しているのかもしれない。
 穏やかな表情の内側を、ほんの少しだけ垣間見たような気がした。
「僕の未来は、ある日を境に見えなくなっている。これがどういう意味を示すのかは分からないけど、もしも暗いものであるならば、その前に伝えておこうと思ったんだ。その上で、空にいる彼等に対峙してほしいと」
「空にいる彼等」
「科学者に対峙しろって? 僕も?」
 自身を指差すデビルに、彼は頷いた。
「もちろん。君は、純粋な空飛ぶ研究所の遣い魔ではないだろ? な、フール」
 見透かしたような言葉に、フールは目を見開き、デビルは心底嫌そうな顔をする。
「だから、面白くないってば。で?」
 彼は不満を言いたそうなのを我慢して、ホイールに先を譲った。
「君達は、ここに来るまでの間だけでも、知りたいことが増えたはずだ。レンが攫われた理由。自在に動く人形。空飛ぶ研究所とは? 副作用とは? 塔とは?」
 彼は真っ直ぐに、自分の目を見た。同じ色の瞳のはずなのに、底知れない何かがある気がして少し怯む。
「そもそも、君達の父親は何故、家族を連れてこの島から出たんだろう?」
「それは」
 理由なんて、いまだに知らない。慌てるようにして、当時大陸で助教授職に就いていたワンドの元へ越したことだけが記憶にある。自分はまだ幼く、状況をよく把握していなかったのだ。自分達は幸せだと思っていたが、裏では何かよくない理由があったのだろうか。
 混乱しかけている自分の手を、優しく握る者がいる。顔を上げると、デビルの顔があった。手の感触とは裏腹に、彼は厳しい顔をしてホイールを見返している。
「エステスを苛めるなら、容赦しないよ?」
 さっき、すぐに沸騰するテンパランスを「羨ましい」と言った彼が、氷より冷たい色の内に熱いものを秘めた瞳でホイールを見ている。それは明らかに怒りの感情で、彼は確かに自分のために心を動かしている。
 それを目の当たりにして、思わず泣きたくなった。哀しいのか、嬉しいのか。それは分からないが、やはり彼を懐かしく思うことだけは事実だ。
 机の上に置かれた食器が、細かく揺れている。こんな時に地震かと思ったが、そうではないのだと砂糖が浮いた時点で気付いた。デビルが浮かすことができるのは、なにも自身の身体だけではないのだ。
「駄目よ、デビル。私なら大丈夫だから」
 袖を引いて抑止すると、たちまち彼の顔から怒りが解けた。揺れが収まり、砂糖が茶の中に落ちて水滴を飛ばす。
「ごめん、ごめん。ちょっと言い過ぎたかな? でも、全ては1人の人間から繋がっていることなんだよ」
「当然だ」
 謝るホイールに、横からフールの声が掛かる。
「そうでなければ、僕とて容赦はしない」
「僕もだよ」
 見ると、フールはラバーズを、デスはエンプレスを守るようにしていた。感情の度合いはどうあれ、2人とも怒りを露にしている。対して、ホイールは「やっぱり言い過ぎたかな?」と再度呟いて、苦笑した。そんな彼を、エンペラーとマジシャンが呆れたように見上げている。
「ね、ランス」
 痛々しいほどの空気を破ったのは、ジュニアの可愛らしい声だった。
「この島の名前、当然知ってるわよね?」
「知ってるもなにも、ハミット島だろ?」
 馬鹿にされたと思ったのか、テンパランスが憮然とする。そこへ「よくできましたー」とジュニアが手を叩いて喜ぶものだから、ますます彼は不機嫌になった。顔の造りはおろか、本人には悪気はなくても無意識の内に人の神経を逆撫でするところまで、ホイールとジュニアは似ているようだ。
「元々、ハミットというのは人の名前だ。名前も建物も、何も無かったこの島に科学者達を集めた人物の名前が、ハミット」
 兄と妹のようなこの2人では話が進まない、と思ったのだろうか。呼ばれた側のはずであるエンペラーが、口を出した。
「ハミットは、元はずっと東の国……今でも工業が盛んな国だったと思うが、そこの出身だ。事業に成功した彼は、そこに座っている自治領主なんかよりも遥かに金持ちだった」
「ああ、間違いないが……そこまで、はっきり言わなくても」
 引き合いに出されたフールの眉間に、皺が寄った。そのままの表情で、彼の立場ならではの証言をする。
「ハミット卿は、この辺りでも有名ではあったかな。社交界からお呼びが掛かるほど伸し上がっていたから、スプレッド朝の現王でもご存知かもしれない」
「そんな人が、どうしてこんな所に科学者を集める必要があったのかしら」
 まだデビルに手を添えられたままだが、先のことを引きずったりはしない。フールを見、次いでホイールの目をしっかりと見る。彼は「強いな」と漏らして、微笑んだ。
「彼は事業には成功したが、家庭というものには失敗した。失った後で、彼はその大きさに気付いた。よくある話だ。彼はとても後悔して、残った娘をそれはそれは大切に可愛がった。大きな屋敷に娘と2人暮らしでも、彼は寂しくなかったんだ」
「でも、それも長くは続かなかったの」
 今まで無邪気な様子を見せていたジュニアが、瞳を伏せ、神妙そうな面持ちで話し出す。
「ある日、その娘は友達と出掛けると言って、家を出たの。それは楽しそうにしていて、ハミットも嬉しかったでしょう。しかし、快く送り出したはずの娘は、とうとう戻ってこなかった」
「なんで?」
 首を傾げるデスを見たホイールは、低く唸りながら頭を掻いた。
「この辺りではあまり馴染みがないから、分からないかもしれないが……交通事故だったんだ。その国では、今でも率が高いんだよ」
「交通事故って……昨日の、あれ?」
 純粋そうな顔をして、こちらを振り向かれても困る。
「私は、ひいてないわよ」
「あれは、交通事故とは言わないよ。車とぶつからなきゃ。でも、あの場合、被害者はエステスの方だよね」
 悪びれもせず笑うデビルに、デスが頬を膨らませた。
「なんだよっ、元はデビルが悪いんじゃないかっ」
「そんなの忘れたね。僕は、楽しいことしか記憶しない主義なんだ」
「なんだとっ」
 一触即発になりそうなところを、エンプレスが必死にデスの服を引っ張ることでなんとか食い止める。
「今は、喧嘩しちゃ駄目っ」
「今はってことは、後なら……と、ま、とにかく娘が帰ってこず、当然ハミットは落ち込んだわけだ」
 揚げ足を取ろうとしたところをマジシャンに睨まれ、ホイールは咳払いを一つして続ける。
「孤独になった彼は、闇の中で考えた。不老不死の人間は、できないものか」
「無理よ」
 考えるより先に、つい口が出てしまった。
 しかし実際に、太古の昔から繰り返されてきた遺伝子が受け継がれていく流れを留めようとするなど、不可能に近い。それに、倫理観からも大きく外れている。少なくとも、自分はそう信じている。
 が、それは正常者だから言えることだと言うように、ホイールは首を横に振った。
「絶望的な境地に立たされた彼は、否定的な考え方をしなかったんだね。優秀な科学者やその卵達を、この島に集めた。当時、本当に何も無かったこの島は土地代も安かったし、人もさほどいなかったから好都合だったんだ」
「土地代……てことは、元々研究所は地上にあったってことか?」
「その通り。意外と賢いところがあるね」
「『意外』は、余計だ」
 彼の性格を目の当たりにして諦めたのか、さすがにテンパランスも渋い顔をするだけで留めた。
「当初、研究所は砂漠の中にあった。と言っても、昔は砂漠ではなかったんだけどね」
「……砂漠になった原因も、研究所にあるってこと?」
「そこに、君達お父さんが大陸へ越した理由がある」
「え?」
 思わず、姉妹で顔を見合わせた。