第7話 訪問者

 森の小屋に一晩世話になって、一つ感心したことがある。意外と、食事がおいしい。
 本当は、落ち着いている場合ではない。八方塞なのだから。
 それは分かっているが、やはり空腹には勝てない。隣りに座るテンパランスでさえ、昨日のことが無かったかのように、目の前の腸詰に夢中になっている。
「このスープ、おいしいわね。既製品じゃないの?」
「いや、昔にジャスティスが作っていたものを真似てみただけだ」
「おばさんが?」
 頷く彼の金色の瞳は、夕日のように柔らかくて温かい色に染まっている。まだ家族が揃っていた頃の記憶を、思い出しているのだろう。
「今度会った時に、作り方を教えよう。病人食にも向いている。デスも、これなら文句を言わずに食べるんだ」
 名前があがった彼の息子は、いまだに起きてこない。臥せっている人に対して敏感なエンプレスは、朝早くからずっと彼の枕元に座ったままだ。
「エンプレス」
 スープを飲み終えて立ち上がると、妹の傍へ行き、彼女の肩に手を添える。
「しばらく私が見てるから、スープだけでも飲んでくると良いわ。ね?」
 こう見えて、エンプレスは意固地になる面がある。なるべく無理強いはせず、あくまで促す形で声を掛けるよう努めた。
 だが、頷くことも否定することもせずに、彼女は一言告げる。
「誰か来るよ」
「え?」
「軽い足音……女の子だよ」
 足音と歩幅で察知したようだが、自分には気付けなかった。エンペラー達を振り返っても、何も聞こえないと言うように首を傾げる。
 そのまま小屋の出入り口に注目していると、やがて軽く戸を叩く音がした。
「エンペラー、いる?」
 甘く、可愛らしい声。
 エンペラーは戸惑いがちに応え、戸を開いた。すると、どうだろう。エンペレスの言葉通りに、女の子が立っている。
「久し振りね、元気だった? なに驚いているの?」
「いや」
 印象深い大きな目を瞬かせ、小首を傾げる。周りの空気に花を咲かせるような明るさと活発さを、惜しげもなく感じさせるような少女だ。真っ赤な生地に、たくさんのフリルが付いたワンピースは趣味を疑うものの、よく似合っている。
 彼女はおさげの髪を揺らして、エンペラーの脇からこちらを覗いた。途端に、目が合う。
「あら? お客様?」
「ああ、そうだ……が、気にしなくていい」
「端から気にしていないわ。むしろ、お客様がいることが前提だったもの」
 鈴を転がしたかのように笑う少女に、エンペラーは目を丸くした。
「何?」
「私、皆をお迎えに来たのよ」
 今度は、全員が驚く。皆と言うのは、もちろんエステスも含めて、ということだろう。
 しかし、何故ここにいることが分かったのか。何の用があると言うのか。
 その場にいる全員の疑問を悟ったかのように、彼女は小さな肩を竦めた。
「ホイールが言ったの。今から、エンペラーの家に行けって。そこにいる5人を連れて来いって」
「ホイールが?」
 エンペラーの声に、少女は一つ頷いた。
「副作用のせいで、占い師のマジシャンよりもホイールの方が、確実性があるのよ」
「……なるほど」
「副作用って?」
 エンペラーは納得できたようだが、自分にはさっぱり分からない。いかなる副作用かは知らないが、占い師よりも確実性があるとは、どういうことなのだろうか。
 その問いに答えたのはエンペラーでも少女でもなく、今まで眠っていたはずのデスだった。
「僕みたいなものだよ」
 起き上がったデスを見て、保護者と今までの経緯を知らないだろう少女以外の人間は慌てた。
「おい、まだ寝てないと駄目じゃないのか?」
「傷が開いちゃう」
「起き上がっちゃ駄目よ」
 三者三様の反応を示すもそれには構わず、デスは起き上がったばかりか、机の方へ歩き出した。
「まだちょっとおぼつかないけど、大丈夫だよ。これが、僕の『副作用』」
「……何?」
 完全に置いていかれているテンパランスに、デスは鼻を鳴らした。
「レンを抱えて、2階から飛び降りて、ここまで走ってきたんだよ? ホバーカーでも、追いつかないほどの速さでだよ? 普通、おかしいよね?」
 小さい身体で迫られ、テンパランスは上半身を引きながらも数回頷く。
「それ、ぜーんぶ『副作用』のおかげなのさ」
 得意気に胸を張るデスを、テンパランスはまじまじと眺める。
「でも、薬飲んでるようには見えないけど? な、エステス」
 急に話を振られ、内心では驚きながらも同意する。
「ま、健康には見えるわね」
「んー、今は元気だけどね」
 困りながら、デスはその場で跳躍してみせた。たいして力を使わずにやったそれは、そこらにいる子供と変わらない。
「薬も飲んでないし」
 次第に膝を使い、腕の振りを使い、全身を伸縮させて跳躍すると、その都度高度を上げていき、終いには天井に届くほどになった。驚いて言葉を出せないでいると、後ろからエンペラーの声が掛かる。
「『副作用』は、必ずしも出るとは限らない。が、出ている人間なら他にも知っているぞ? これの所有者とかな」
 自分とテンパランスはエンペラーを見、次いで彼の指の先にいる少女を見る。
「所有者?」
「私、こう見えて人形なの」
「は?」
「だから、作り物、なの」
 少女の言葉に、更に驚く。思わず触ろうとしたテンパランスの頭を、少女は笑顔で平手打ちした。まったくもって容赦のない音が響く。
 被害を被らなかったのを良いことに、少女の手に触れてみた。驚いた。
「体温もあるし、柔らかいんだけど」
「そうね。でも、作り物、なの」
 少女に触れていた手を取られ、彼女の両手に包まれる。
「私のところに、来て。塔が気になるなら尚更……『副作用』のことも、空飛ぶ研究所のことも、話してあげる」
 彼女の瞳は、吸い込まれそうなほど澄んだ碧色の瞳をしていた。
「行くか?」
 エンペラーの問いに、強く頷く。
「もちろんよ」
 そうと決まると、さっそくホバーカーを入れた倉庫へと向かい、6人で無理矢理乗り込む。運転手にエンペラー、助手席に案内役の少女。後部座席の自分とテンパランスは、それぞれの膝の上にエンプレスとデスを座らせる。デスは自分で行くと主張していたが、今まで寝ていたこともあり、特にテンパランスが許さなかったのだ。
 歩きならなんとか中を通り抜けられる森も、ホバーカーでは迂回しなければならない。しかも明らかに重量過多のホバーカーは、速度の遅さも高度の低さも、極端なものとなっている気がする。実際にテンパランスは終始不安そうにしていたし、少女が行きに歩いた時間の倍以上は掛かってしまっているようだ。
「子供なら良いと思ったが、甘かったか」
 エンペラーでさえぼやき始めた頃、ようやく小さな町が見えてきた。大陸ほどではないが、それなりの設備はあると少女は話す。
 町の中央の通りを行くと、両脇に多くの店が並んでいる。飲食店に小物屋。花屋に服屋。それは華やかなもので、状況を忘れてしまえれば楽しみしかないようなところだ。それに、人も多い。これは塔を目当てに来た観光客が砂漠で足止めをくって留まっているために、いつも以上の活気を見せているようだ。観光客にとっては痛手だが、店の主人としては思わぬ潤いに違いない。
 中央通りを抜け、ホバーカーは左折する。住宅街なのか、人通りはあまり無い。そのまま穏やかなカーブを抜け、坂を上りきると、茶色い石造りの立派な屋敷があった。門構えからして資金があるように見受けられるその家こそ、目的地だった。
 鉄の半円状の門をくぐると、塀の中は濃い緑の木々でいっぱいだ。庭の一角にホバーカーが止まり、6人はようやく土の上に立つ。
 事あるごとに教授の屋敷で世話になっている自分でも多少の気後れを感じるのだから、テンパランスは尚更なのだろう。挙動不審とも取れるくらい首を忙しく動かしているところを、デスに笑われている。彼の方は落ち着いたものだ。慣れを感じるほどには、ここを訪れているらしい。
「綺麗なお庭」
 幸せそうに溜め息を吐いたのは、弱視であるエンプレスだ。全くものが見えないわけではないが、庭の様子を全て把握できるほどの視力はもちろん無い。瞬きをしているデスを察したのか、エンプレスは彼の方を向いて笑った。
「音と匂いで分かるの。ここは、澄んだ空気が波紋を作っているみたい」
「ふうん」
 首を傾げたデスは、エンプレスを見習って目を伏せ、自然に預けるように身体の力を抜く。しばらくして何かを悟ったのか、目を開いてエンプレスに告げた。
「鳥がいるね、親子だよ。向こうっ」
 頬を上気させたデスが庭の奥を指差し、エンプレスも嬉しそうに同意した。
「子供は、仲良くなるのが早いなー」
「子供かどうかはともかく、デスが素直だから打ち解けやすいのね」
 感心するテンパランスに、妹の表裏を嫌う性格を汲み取ったうえで述べる。
「周りが大人ばかりだったもの。友達を作る良い機会だわ」
 妹の楽しげな様子を見守っていると、エンペラーに肩を軽く叩かれた。
「そろそろ中に入らないか?」
「きっと、ホイールがお待ちかねよ」
 可憐と言うにふさわしい笑顔に、頷いた。
 飛び石の上を歩き、玄関の前に立つ。少女が呼び鈴を鳴らす前に、内側から扉が開いた。そこから顔を出したのは、少女と少しだけ似た感じの青年だった。人の良さがにじみ出た、温和な微笑を浮かべている。
「やあジュニア、お疲れ様。エンペラーとデスは、久し振りだね」
 耳障りが非常に心地良い、落ち着いた声の持ち主だ。彼こそが、ホイールなのだろう。ジュニアと呼ばれた少女が、嬉しそうに彼の傍らに並ぶ。
「ホイールに言われた通り、連れてきたわ」
「うん。もうすぐマジシャンも戻ってくるはずだから、先に中へ入ってもらおう」
 エンペラーとデスに続いて、妹と共に中に入る。振り返ると、テンパランスは脇へ寄ったホイールの顔を見つめ、一向に入ってこようとしなかった。あれでは、ホイールも居心地が悪いに違いない。
「僕の顔に、何か付いてるかな?」
「あんたは、人形なのか?」
 不思議と思ったことを、聞かずにはいられない性格なのかもしれない。その直球な物言いに、ホイールは初めこそ呆けたように緑色の瞳を見ていたが、やがて楽しそうに笑った。
「いや、違うよ。僕は人間だ。ジュニアのことは……後で話すよ」
「ランスには、難しいかもしれないけどね」
 ホイールの腕に自分のそれを絡ませたジュニアが、意地の悪い笑みを浮かべている。逆上しやすいテンパランスは、瞬時に顔を赤くさせた。
「なっ、どういう意味だよ、それはっ」
「どういう意味も、そういう意味よ?」
 今にも口喧嘩になりそうな2人を、ホイールが慌てて止める。
「こら、やめなさい、ジュニア。ランスも抑えて、中に入ってくれ」
 そして、何故かテンパランスの肩越しに、庭を見た。
「……デビルもね」
 今度はその場にいた人間が、一斉に庭を見る。すると、空から白髪の青年が舞い降りた。