第11話 白い鳥

 デビルより更に前方にある黒い影が、徐々に近付いてくる。円盤に、羽と長い首と尾が付いている。その姿は、鳥と比喩されるのに相応しいものだった。
 薄い雲を抜け、研究所より幾分高く飛び上がる。地上からは黒くしか見えていなかったが、光の中で見ると大きな白鳥だ。
「こんなに、でかいのか」
 思わず、といったように呟いたテンパランスに、エンペラーが応じる。
「ああ、小規模の町と同じくらいの広さはあるな」
 広さもそうだが、きっと人数も施設も、一つの町に劣らないものを抱えているに違いない。その中で動き回るのは、苦労しそうだ。
 そんな感想を抱いている間にも、デビルが手引きをする中、フールが飛行機を研究所の中へと侵入させる。外では風圧がすごく、エンペラーはともかく、自分やテンパランスでは外に出ることさえ難しそうだったのだ。
「これからのことだけど」
 フールが飛行機の起動を止め、窓を開いたことを見計らったデビルが飛び上がり、中に声を掛ける。
「いくら研究熱心だからといって、静か過ぎる。フールはいつでも飛び立てるように、ここに残った方が良いと思う」
「そうだね。一応、これを渡しておこうか」
 フールは足元を探ると、後部にいた自分達にそれぞれ武器を投げて寄越してくれた。手の中のものは、冷たくて重い。
「エンペラーとエステスは、レーザー銃。ランスのは、レーザーナイフ。くれぐれも、飛行機の中で作動させないでくれよ」
 念を押されたテンパランスは、いそいそと飛行機を降りてから武器を起動させた。赤い光が、柄の中から現れる。
「ここは、中央棟の最上階。レンがいるのは、1階の左翼棟。くれぐれも、頭部には近付かないこと。中央棟の3階も、足早に抜けてくれ。ここに、ハングマンが篭っていることが多い」
 研究所の中は想像がつかないが、とりあえず強く頷く。デビルとエンペラーは、顔が割れてしまっている。自分達も、なるべく出くわさないに越したことはない。少なくとも自分には、新人だと偽れるだけの自信が無い。
「2人は、エンペラーか僕の指示に従うこと。大昔から、配置は変わってないからね。万が一のことがあっても、エンペラーに付いていけば逃げられるよ」
 その言葉は、聞き捨てならない。
「デビルは、どうするの?」
 軽く睨んでやると、彼は笑った。それが、何故かとても悔しい。
「僕は、ここの遣いだからね。いくらでも言い訳してやるさ。じゃ、行くよ」
 まだ憮然としている自分の手をデビルが取り、無理矢理走り出させることで決行となった。
 足音には構わず、狭い階段を駆け下りる。広い廊下に出る前に立ち止まったデビルが、辺りに人がいないことを確認すると、左に折れて更に走る。追い詰められる危険性が高い昇降機には乗らず、階段をひたすら下りる。中央棟を抜け、左翼に到達した頃には、すっかり息が上がっていた。運動不足には、正直辛い。
「これだけ静かだと、逆に不安だけど」
 テンパランスがぼやきながらも、走る。その声は足音と同等か、それ以下だった。
 彼の言うことは、もっともだ。これまで、白い壁と天井と床しか見ていない。研究員達が100人近くは存在しているはずなのに、1人として出くわしていないのだ。どう考えても、おかしい。
 少なくとも、最高責任者であるハングマンは、こちらの動きに気付いている可能性が高い。それなのに、打ち落とせるはずの飛行機は放っておき、ストレングスに近付いている自分達を捕まえようともしない。泳がせている、ということなのだろうか。考えが見えないだけに、少し怖いものがある。
 思案している間に、デビルがある部屋の前で立ち止まった。その部屋の入り口には、フールの屋敷の倉庫で見たものと同じような機械が付いている。
「パスワード製か」
「まいったな……これ、僕も知らないんだけど。こんなの、付いてたっけ?」
 首を傾げるデビルは、いまだに余裕といったように笑みを浮かべている。こんな時でさえ、彼は状況を面白がっている節がある。
「これって、間違ったらどうなるんだ?」
「開かないうえに、警報機が鳴るんじゃないかな? だから、わざわざ人を配置しておく必要がない? あいつも、悪趣味だよね」
 あいつとは、もちろんハングマンのことだろう。この機械で彼の考えを読んだ気になるのは、大きな間違いのように思うのだが。
「じゃ、壊したら?」
「開くけど、やっぱり警報機作動でしょ?」
「じゃ、壊した方が得じゃないか」
 驚くほど単純に結論を出したテンパランスは、皆が止めに入る前にレーザーナイフを起動させ、機械を壊してしまった。途端に、警報機が鳴り出す。
「うわー、なんだかすごく楽しいことになったね。なんで、後のことを考えないのかな?」
「だって、こっちの方が速いだろ」
 馬鹿にするデビルを、テンパランスは顔を赤くして睨みつけるが。
「これで人が来たら、上に行くにも一苦労ね」
「1人残っているフールも、気掛かりだな」
 自分とエンペラーの冷静な言葉に、彼はようやく青褪めた。
「うわー、ごめんっ。誰か、止めてくれよっ」
「そんな間も無かったわ」
「やってしまったものは、仕方がない。早く、レンを助けるぞ」
 実のところ、これで良かったのかもしれないとも思うのだ。むしろ、正しいパスワードを導き出した時こそ、散々な結果になっていただろう。面識は無いが、執着心が強く頭の良い彼のことだ。より単純な解決方法こそ、思い至らないと思われる。
 エンペラーも同じ考えなのか、部屋の中に飛び込む横顔には、少しも焦りが見えなかった。
「レン、大丈夫か?」
 ストレングスは、左の足首を鎖で壁に繋がれているものの、外傷などは無さそうだった。テンパランスが起動させたままのナイフを突き立て、鎖を切る。
「ありがとう、ランス。皆も。私は大丈夫よ」
 茶色の瞳を細めて、笑う。疲れが少し見えるものの、言葉に偽りは無さそうだ。ただ、いまだに鎖の切れ端を付けたままの左足は、重さで動かせそうにない。
「しかし、それでは走れんだろう。手荒で、すまん」
 一際体格の良いエンペラーは一言謝ると、軽々とストレングスを抱え上げた。大人の女性1人を楽に横抱きにしている彼に、テンパランスは何か言いたげだ。顔を赤くして、口を開いたり閉じたりしている。結局は何も言わず終いだったが、同じ男としての悔しさだとか、嫉妬だとかいった類の感情が波のように押し寄せているだろうことだけは、容易に想像できる。
「とりあえず、中央棟へ戻ろう」
 そんなものには無縁なのだろうか。飄々としているデビルの言葉で、再び走り出す。
 警報が耳に痛いほど鳴り響く白い廊下の中を、駆け抜ける。疲れてはいるが、弱音を言っていられない。
 中央棟に入り、エンペラー達が上へ向かおうとする中、デビルが頭部の方へと走り出した。
「どこへ行くのっ?」
「ちょっと細工をね」
 そう答えただけで、デビルは駆けていってしまう。制止させようと大声を出そうとするも、息が上がっていてままならない。
「……ランス、レン達をよろしく」
 迷ったものの、デビルに付いていくことに決めた。一度覚悟をしてしまえば、踊っていた心臓が少し落ち着きをみせるから不思議だ。
 驚くテンパランスを尻目に、いったん尾翼棟へ走る。さっき見た機械と同じようなものを見つけて、銃を放つ。新たに警報が鳴るのを確認してから、階段まで戻った。
「これで下の階は多少分散されると思うから、安心して上に行って。そっちの方が辛いのよ」
 それだけ残して、今度こそデビルが走っていった方へ向かう。幼い頃には、白い鳥を追うことができなかった。今度はどうしても、白い天の遣いを見失いたくない。
 重要拠点が多いのか、やたらと四角い機械が目に付く。銃を放っては走り、また止まっては銃を放つ。繰り返すには面倒な作業だが、デビルには存外楽に追いつくことができた。鳴り出した警報のあまりの多さに不審を抱き、思わず立ち止まって様子を窺っていたようだ。
「エステスッ。なんで、こっちに来たんだよ。それに、この警報は何?」
「何って、この方が分散できるじゃない」
「分散って……やり過ぎだよ。かえって怪しいじゃないか」
「だから、まだ私達は1階にいるって思わせられるでしょ?」
「ま、そりゃそうだけど」
 デビルは、まだ不満そうだったが。
「それより、何をしようとしてるの? 今度は、置いていかないでよ」
 詰め寄ると、自分の手を取り、繋いでくれた。
「ここまで来られちゃ、置いていけないよ。来て。見れば分かるさ」
 更に走って向かった先は、駆動室だった。様々な計器と、歯車と、ピストンが動いている。鉄の壁で覆われている部分もあれば、太く黒い線がむき出しになっているところもあった。廊下にいた時よりも、温度が高い。晩春に運動した後なんかに、感覚が似ている。
「いわば、鳥の心臓だね。エステス、あそこ狙って撃って」
 言われるがままに打ち抜いたのは、何の変哲もない鉄の壁だった。いや、故意に薄く貼ってあったらしい壁の中に、赤い丸ボタンがある。それをデビルが押すと、計器の合い間に隠れるようにしてあった液晶の画面が立ち上がった。
「……30?」
「あと30分後に、この部屋は爆発する」
「えっ」
 驚きの声を上げるが、それに構われることなく手を引っ張られる。確かに、このままここにいても爆発に巻き込まれるだけだ。自分の足で、しっかりと走り出した。
「どうして、あんなものがあるの? まさか」
 名前を言う前に、「違う、違う」と否定される。
「僕が仕掛けたわけじゃないよ。これを仕掛けたのは」
 デビルが口を閉じ、立ち止まる。数十歩先に、通路を塞ぐようにして研究員達が並んでいた。彼等の一歩前に、黒髪の男が立っている。その緑色の瞳には輝きが見えず、心の闇を感じさせた。
 小刻みに震える手を誤魔化すように、デビルの手を強く握った。