審議会うまみ漬け

「御用学者・評論家」増えるワケ

 08/10/31の中日新聞(関東地方では「東京新聞」)に、拙サイトにも度々出現する"専門家"とは一体どういった類の存在であるかを、解りやすく説明してくれている記事が”「御用学者・評論家」増えるワケ”と題して掲載されていた。低周波音問題は将にこういった存在と闘っています。まー、こちらが勝手にそのつもりでいるだけで、相手にとっては毛ほどの存在ではないでしょうが…。

 低周波音問題に限らず、最近は大抵の問題に、政府が直ぐ「審議会」なるモノを設立し、専門家なるモノが、尤もらしい「答申」をします。こちらもよく解らない問題については、「そうかなー」くらいで、スルーしてしまうのですが、自分が現実の状況を少しでも知っているような場合には、そうそう簡単にはスルーできないもので、まー、この場合には、被害の現実を知っている様な低周波音問題についてだが、「そうじゃないだろ」と言うことになります。

 この問題に限らず、解決困難な問題の関係者、と言っても被害者側にとっては、これまでも当然ながらその行く手を大きく阻む存在の一つにと言うより、3つに、「産官学の癒着」の存在があり、問題を常に政府寄りに答申する専門家である「学」、即ち一連の御用学者の存在があります。彼らはあくまで政府が期待する答申をし、国も予定通り、「ね、そうでしょ。専門家もそう言っているのだからそうなんですよ」とその”お答え”を標榜します。それもそのはず”期待通り”の答申をする人しか選んでないのだから当然の話で、ハッキリ言うまでもなく、出来レースです。

 まして、低周波音問題の様に、死者も出ず、知る人の少ない非常にマイナーな問題では、こうした存在が決定的な支配権を持つ。しかしながら、なぜかそれらは「科学的知見」とはならず、「因果関係に関する科学的知見が無い」とし、政府はこの問題を延々と「注視する」だけで、「苦情者」が諦める、or死に果てるのを待つので有る。そして、機会があれば、これらの"専門家"を使って、問題の存在さえ否定する。

 参考までに風車騒音問題に関し、御用学者であろうと思われる人々により行われている最近の政府レベルのお話し会はどんなモノか、以下の議事録を読めるモノなら読んで見ましょう。頭がくらくらしてきます。しかし、読んで見ると、その中で、「これで良いね」と、いとも簡単に被害に関する根本的なところ、例えば「風車には低周波音問題は無い」とか、「静かな地域の風車騒音の問題は道路の騒音だ」とか、「そここそしっかり調べろ」という点が手品のごとく、いとも簡単に削除、否定されていきます。

 平成27年度第2回(第5回)風力発電施設から発生する騒音等の評価手法に関する検討会議事録

 この議事録の肝はこちら参照。そして、現実の低周波音被害者は救われることのない専門家の書類に元ずく机上の空論的見解が出され、被害はその存在さえ否定されます。こうした現状に、彼ら"専門家"の心は全く痛まないのでしょうね。

 新聞記事の転載は著作権の侵害に当たることを承知の上で、新聞をご覧になられなかった方は、サイト上では非常に見にくい状態ですが、是非ご一読を。


 こうした状況が科学専門家の意識を一向に変えないのであろう。竹内薫の科学・時事放談」科学は誰のものか


審議会は御用学者の…


081101


 言うまでもないことだが、こうした癒着と言うより、国家的システムが招いた国家としての危機的な結果の一つが、今般の原発事故であり、こうしたシステムが相当に白日の下に曝されるであろう。そして、その結果少なくとも”原発むら”は一時的に影を潜めるであろうが、長きにわたり理工系の英知を集めてきた学会であり、それを支援してきた業界と国家である、そうそう簡単に消え去ることは無く、不死鳥の如く甦ることであろう。


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