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わが家の出来事
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   2010年6月の出来事

 梅雨入りが近くなり蒸し暑さが増してきました。農作業をしていると、
額を伝う汗が目に入り痛みを覚えることがしばしばです。
このところ雨が全く無く、畑の野菜はグッタリしていますが
雑草だけはヤケに元気です。(記 6/7/2010)
 
 
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地域の行事 「春の環境美化活動とふれあい祭り」 6/20

 梅雨の最中の行事でしたが、雨間にピッタリはまって無事終了しました。環境美化活動は夫婦揃って欠かさず出席していますが、その後行われる「ふれあい祭り」は諸所都合でここ数年顔出ししていませんでした。久し振りに参加してみると、高齢化が進み子供の数もかなり減っているように感じました。また、自分が役員をやっていた頃に比べ地域住民がふれあうという感覚が少なくなり、準備された料理や飲み物を個々に自宅へ持ち帰ってしまう姿が見られ残念に思いました。いつの時代もその主旨を理解してもらうことは難しいことではありますが。

 夕方、長男家族が「父の日プレゼント(大好きなビール)」を持って訪ねてくれ、孫主導で作ったカレーで夕食を共にしました。



















梅雨時の菜園 「野菜が育ち始め少し畑らしく」 6/19

 梅雨入りしてからは天気と相談しながら野菜の手入れ(主に支柱立てと除草)をしています。この時期、何の前ぶれも無く滝のような雨に見舞われ、車に駆け込めず一瞬にしてズブ濡れになってしまうことがあります。着替えを準備して行くことは欠かせません。

 いま我が家で旬の野菜は、キュウリ、ピーマン、トマト、ジャガイモ、クウシンサイです。ダイコン、ニンジンはチョッと大きくなり過ぎかな?


 
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6/6
「豊田市観察の森にて」 

 おばちゃんは、「豊田市自然観察の森」で開催されたネイチャーセンター(写真:左下)・オープニングイベント「森あるき」で、インタープリター(森の自然案内人)を務めました。案内に使う資料を二晩掛かりで頑張って準備したんです。 


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6/5
「採れたて野菜で食卓を囲む」

  今年になって最高気温を記録した5日、仕事だったおばちゃんの代わりに長男の応援を得てタマネギの収穫をしました。その数、850個余。早生種150個は既に人々により消費済み。暑かったことを除けば、乾燥した日が続いた後だったので取り込みには最高の日でした。作柄は赤タマは例年並み、保存用のタマネギは玉が太らず不作でした。

 ← 夜は労をねぎらって孫達も一緒に食事会をしました。冷たいビールが本当に美味しく、よく効きました。チョット飲み過ぎだったのかも?
   
  2010年5月の出来事 

 5月入りし、暖かいと言うよりは暑いと表現した方が合っている日が
続くようになりました。薄い緑だった草木も濃さを増し、道端の草は
一斉に成長を始めました。夏日を記録したという報道も出始め、段々と
農作業には不向きな季節に移りつつありあす。(記 5/6/2010)
   
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5/23
「静岡県立森林公園 バードピア浜北へ」

 おばちゃんは、ボランティア仲間40余名と伴に視察研修に参加しました。施設は215haと広大で、天然アカマツが林立する美しい所でした。中に「空の散歩道」という吊り橋があり、高さ50m、長さ150mでよく揺れました。迂回路が遠く、時間的にどうしても渡らなければならなかったため、高所恐怖症の方は命が縮む思いをされたようです。身近な自然素材を使った作品を展示する施設もあり、今後の体験活動にも生かせそうです

 
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5/15

/16

「今回は故郷で」

 丑年の妻を持つ同級生3人が夫婦で集まり、楽しい二日間を過ごしました。初日は「新野の道の駅」で10:30に待ち合わせ。その後、峰さんが所有する天龍村の山林に移動し、山菜狩りのあとバーベキューと山菜てんぷらに舌鼓。白樺もある新緑の中で、現地調達した食材のてんぷらは最高の贅沢で本当に美味しかったです。彼は空気も美味しいこの地に、一時間くらいの道のりを時々通っているのだそうです。



















 夕方「左京の宿(写真:左)」に場所を移し、経営者心尽くしの肴で一杯やり一泊お世話になりました。素朴でお薦めできる宿です。

 翌日は早朝から酒盛りのあと村内めぐり。桜井さんが野菜を作っている農場にも立ち寄り、ワラビと野ブキを頂きました。トラクターやバックホーの大型農機、しっかりした農機舎、ビニールハウスがあり道楽の域を超えたヤル気を感じました。
 昼過ぎには「左京川百年公園(写真:最下段)」に戻ってアマゴ釣りを楽しんだ(キッチリ12匹釣りました)後、それを肴に又一杯やっちゃいました。満腹になったところで秋の再会を誓って解散。その後、両方の実家に立ち寄って21:30ころ家に戻りました。
 気のおけない友と、ただ酒を酌み交わし他愛もない話をしているだけの時間ですが、心が安らぎリフレッシュ出来ました。今回の企画をしてくれた二夫婦に感謝!!






















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5/8

/9
「故郷で懐かしい友と」

 
還暦を迎えた中学校の同級生が天竜峡の龍峡亭に集い楽しい時間を過ごしました。恩師の佐々木巌、梁取孝雄、佐藤信子先生方もご出席下さり、近況交換や昔話に夜が更けるのも忘れるほど花が咲きました。




































 ↑ 翌日は、今年3月に廃校になった泰阜村立泰阜北小学校を訪ねたり、新しく開校した統合小学校を見学してきました。自分達の学び舎が廃校になってしまったことは淋しいけれど、新しい学校に命が繋がっているという安堵と未来への期待を感じました。


 ← 嫁さんから母の日プレゼントを貰っちゃいました。
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5/2

/6

「いつも慌しく終わってしまいます」

 
今年の五月連休は好天に恵まれ慌ただしく過ぎました。畑仕事を進めた後、2日の夕方、多治見に住む弟夫婦と飯田市のスーパーで待ち合わせ、買い物をして実家に向かいました。母の状況は相変わらずで、在宅訪問介護に頼った生活を続けています。父の介護が良いのか顔がふっくらしてきましたが、各関節は硬くなる一方のようです。




















   ↑ ← 3日には孫の家族や甥の家族も合流し、いつも世話になっている従兄弟の小林さん夫妻と一緒に恒例のバーベキューを囲みました。その後、米一升五合を炊いて「五平餅」作りました。


 左下:長男が父の指導でタケノコ堀に挑戦





























 ↓ 4日は妻の実家に移動。今秋結婚をする姪のお相手と初対面をし、二日連続のバーベキューを楽しみました。とっても好青年で安心しました。その後義母を連れて豊田に戻りました。妻の実家で一人暮らしをする義母は、最近メッキリ脚が弱くなり豊田には来れませんでしたが、8日に妻の同級会(還暦を祝って)が故郷で開かれることになっているので、その時送り届ける予定です。



















↓ 5日 義母に夫婦で耕作している畑を見てもらいました。思っていたより広く耕作していることに驚いた様子でした。帰りにタマネギ、エンドウ、カブの抜き菜を収穫。夜は長男家族が訪れ、一緒に食卓を囲みました。



















 ↓ 6日は妻が可児市の花フェスタ記念公園を案内し、夜は次男家族と夕食を摂りながら歓談しました。
















   
  2010年4月の出来事

例年より少し早く咲き始めた桜も、その後続いた寒さに驚き
足踏み状態だったのですが、このところの暖かさで一斉に満開を
迎えました。お年寄りが竹林から掘り出したタケノコを嬉しそうに持ち
歩く姿を見掛けるようにもなり本格的な春の訪れを感じる今日この頃です。

(記 4/6/2010)
 
   
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4/30
「とよたガーデニングフェスタ」



















 ↑ おばちゃんは、マメとの別れの悲しみに浸っている余裕もないほど忙しく、豊田スタジアムで行われた「とよたガーデニングフェスタ」の準備から当日の切りまわしまで頑張りました(開期:4/29〜5/1)。



 ← 畑の様子(ジャガイモの葉が伸び始めました)

収穫が始まった野菜:
タマネギ、エンドウ、アスパラ、ミョウガ

植付けが済んだ野菜:
ネギ、トマト、ナス、ピーマン、トウガラシ、サツマイモ、ヤマイモ、カボチャ、スイカ
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4/29
「今年は我が家で」

 今日から連休入りしました。恒例の屋外バーベキューはマメが亡くなるという悲しい出来事があり、今年はおばちゃんと孫達合作の手料理をならべての密やかな食事会となりました。今回ばかりは孫達もはしゃげなかったようです。 
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4/27
/28

「ありがとう そして さようなら」

 マメとの別れ 4/27
 予期していたこととは言え、マメとの悲しい別れの日が以外にも早く来てしまいました。おばちゃんの昼夜に渡る看病も空しく、2010年4月27日(火)18時10分、眠るように息を引取りました。夕方まで懸命に命をつないで私の帰りを待っていたとのことですが、2、3分の違いで最後の時には間に合いませんでした。でも、おばちゃんからのメールで昼休みに会社から一旦帰り、声を掛け、返事を聞けたのが良かったです。それがマメとの最後になりました。その後、18年間共に暮らした我が家からの旅立ちの支度をし、二人の枕元に寝かせて一晩を過ごしました。18歳のマメは、人(ひと)年齢で言えば90歳超に相当するそうで大往生になるようですが、家族の気持ちとしてはそう簡単に割り切れるものではなく、出来ることならもっともっと一緒に暮らしたかったです。





 葬儀 4/28


















 ↑ 18時から近くの東海動物霊苑「妙真寺」で葬儀をお願いしました。読経の中、焼香し最後の別れ。その後火葬へと進み、最後はおばちゃんと骨を拾い骨壷に入れて頂いて自宅に連れ帰り、
 ← マメが一番好きだった居間に安置しました。

 〈最後にマメへ〉
 マメはオスマシヤさんと甘えん坊な面を併せ持っていて、家族に癒しをくれました。平日は勿論、連休も一人で家にいて留守番をし、家族の車の音を聞き分け玄関で嬉しそうに出迎えてくれたことをつい昨日のことのように思い出します。酷く体調を崩してから2週間で天に召されてしまいましたが、人の気持ちが理解が出来たことで、おばちゃんの仕事の都合に合わせて命の幕引きをしたようにも思えます。向こうに行ったら、先に旅立ったタッチンやワックン(何れも猫)、モモ(フェレット)と仲良く暮らして欲しいです。おじちゃんやおばちゃん、そしてマメのファンだった人のことも忘れずに見守って下さい。マメのことも絶対忘れません。
最後に、「ありがとう そして さようなら」。
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4/26

「とうとう歩行不能に」

 今朝、病状が急変し、まったく歩行が出来なくなってしまいました。病院に連れて行き、点滴や注射を受け、今はそれだけで命をつないでいます。

 17日以降、嫌がる病院には行かないで看取ってやろうと思っていたのですが、あまりの激しい痛みように見るに耐えられなくなり、20日に血液検査と投薬を受けました。検査結果から、高齢も災いして臓器がかなり傷んでいるとのことで、効果的な手立てが無いようでした。それでも薬が効いたのか、痛がる回数もかなり減り、トイレにも自分で行けるまでになっていたので喜んでいた矢先のことでした。
 昨夕には屋外へ散歩に出たり、二階まで自分の足で上がり、いつものように手枕で一つの布団で一緒に眠ることが出来ていたのですが。

 動物は天性の勘が鋭いそうで、今考えれば自分が動ける間に最後にしたいことをしたのかも知れません。現在は自分の力で寝がえりすら出来ず、おばちゃんが寄り添ってマメの面倒をみています。
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4/18
「潮干狩り」
 
 以前からの孫との約束で、マメの健康を気遣いながらも一色町の衣崎海岸へ潮干狩りに行って来ました。晴天に恵まれ、いつもより風が弱くて潮干狩り日和でしたが収穫は今一つ。一ヶ月前の半分ほどでした。
 写真は潮干狩り場に入る前の腹ごしらえの様子です。おにぎりだけでは淋しいかな?と思い携帯コンロとフライパンを持参し焼きソバを作ったのですが、屋外の食事は楽しいそうで子供たちの食欲には驚きました。4時過ぎにはまたお腹が空いたと、コンビニで食料を調達し車内で食べながら家路につきました。
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4/17
「我が家の看板娘マメ(18歳)の命が風前の灯か?」

 この春18歳を迎えた我が家のアイドル、マメが数日前から頻繁に全身痙攣(ひきつけ)をおこすようになり、併せて失禁(おしっこを漏らす)してしまい心配しています。仰向け状態で脚4本をバタつかせ、眼を剥いて口からはヨダレを垂らし恐ろしい形相で苦しがる様子は見るに耐えられません。そんな時、我々は「マメ・マメ」と名前を呼んで身体をさすってやること位しか出来ないのが歯がゆいです。一旦痙攣が始まると一分弱続きますが、体力を相当消耗するらしく呼吸が正常に戻るには短くても30分が必要です。
 病院に連れて行くことも検討しましたが、マメは車に乗ること、医者が大嫌いなので高齢も考慮すると、無理に嫌がるようなことをせず、家で最後まで看取ってやろうと相談がまとまりました。
 今は3〜4時間おきに痙攣がおき、カーペットや布団類を汚すので取り換えと洗濯に目が回るような忙しさです。でも、マメは家族の一員、一緒に暮らせて良かったと思ってもらえるように、命の灯が消え旅発つ日まで精一杯面倒みようと思っています。 
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4/5
「さくら バスウォーク」

 おばちゃんは、地域の高橋スポーツクラブが主催する「花見・バスウォーク」に近所の友達と3名で参加。場所は三重県津市の君ケ野ダム湖畔コース、10kmを3時間ほど掛けて歩きました。ダムの両側に植えられた桜が満開で、水面に映る桜もとっても綺麗。心身ともに癒さた気がしたそうです。



















 小雨もあるとの予報だったのですが、幸運にも一日天気が持ってくれました。秋もまた良しで紅葉がダムを彩るのだそうです。 
 
 
  2010年3月の出来事

吹く風も優しく、春本番を思わせる暖かな日が続くようになりました。
さて、17日間に渡って行われたバンクーバー冬季五輪も熱戦の幕を下ろし、
日本は銀3、銅2のメダル5個を獲得し、金1個で終わった前回のトリノ大会から
巻き返しました。日本の期待を背負って一心に頑張った選手の皆さん、
また関係者に「ご苦労さま」の言葉を送って労いたいと思います。
女子フィギュア界で最高難度のトリプルアクセルを2度成功させた浅田真央ちゃんも
金には届かず残念でした。4年後、ロシアのソチで開かれる第22回冬季五輪に
期待したいです。    (記 3/2/2010)

 
 
 
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3/27
「掛川花鳥園と御前崎灯台を見学」

 孫達の家族と一緒に小旅行を楽しみました。”舘山寺の桜は満開近し”の報に、静岡はもっと温かなのだろうと喜んで出掛けたのですが、当日は晴天なるも気温は日中でも真冬並み。しかも強風が吹いた一日とあって、温室の中で見学出来た花鳥園は天国だったのですが、御前崎は外に立っているのが辛かったです。日常的に風の強い所なのでしょうか?海岸沿いには多くの風力発電用の風車が見えました。





































 ↑掛川花鳥園にて(可愛いフクロウさんが沢山いて印象に残りました)   ↓海鮮 なぶら市場にて昼食





































 ←↑ 御前崎灯台にて

  当日のコース

 我が家を出発8:30 → 東海環状 → 東名 → 掛川IC → 掛川花鳥園 → 海鮮なぶら市場(昼食) → 御前崎灯台 → 東名が渋滞の報で一般道(主にR1号線)を帰る → 道の駅「潮見坂」 → 我が家着20:30 → 夕食(旅の途中で買い求めた新鮮な魚や野菜で軽い宴会) → 解散22:30

 孫達を伴っての旅は久し振りで、とっても楽しかったです。
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3/20
「もうすぐ多忙に」

 ← 例会の様子

 春の訪れ、新ネイチャーセンターの完成ももうすぐになりました。おばちゃんが所属する「あべまきの会」がボランティアで行う「豊田市自然観察の森」の案内も忙しくなります。それらに向け、真剣な討議が行われました。
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3/19
「仰げば尊し我が師の恩 ← これはかなり古いかも?」

 「光陰矢のごとし」月日が経つのは早いもので、中孫が小学校を卒業しました。



















 
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3/15
「フラワードーム 2010」へ

 おばちゃんは近所の友達2人に誘われてナゴヤドームで開催されている「あいち花フェスタ・名古屋国際蘭展」に行って来ました。 場内は魅力的な花が一杯で華やか。明るく、つい時間が過ぎるを忘れてしまう雰囲気だったとか。開期は17日(水)まで。















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3/13
/14
「初めてJAFの世話になりました」

 畑にジャガイモを植え付け、家に戻ろうとしたところ僅かな勾配の農道を車が登れない!! 農具を持ち出し、おじちゃんとおばちゃんは2時間以上農道の整備に悪戦苦闘。何度かトライするも、舗装道路まで残り10メートルの所でスリップ。とうとう諦めてJAFに応援要請し一緒に押して舗装道路まで上げてもらいました。長い間JAF会員になっていますが、初めて有難さを実感しました。(3/13 写真:左下)



















 3/14 今年初めての潮干狩りに一色町の衣崎海岸へ行って来ました。粒はやや小さいものの、、量、味はほぼ満足。中身はこれから更に成長すると思います。砂出し用の海水汲み場(写真:右)が近くに準備されいるのが嬉しいです。子供達や近所にお裾分けが出来ました。 
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3/3

「ひな二人がお手伝い」



















 ↑雛まつりの日、次男家族が我が家を訪れ、おばちゃんと一緒にちらし寿司などを作りプチパーティーをしました。最近は孫達がすすんで食事作りの手伝いをしてくれるようになり、おばちゃんはとっても喜んでいます。
 

  2010年2月の出来事 

立春を過ぎたというのに外は強風が吹き、雪荒れがしています。
この冬、最強の寒気が北から来ているとか。でも、最近は
それも長続きすることがないので、こうして寒暖を繰り返しながら
本格的な春に季節を移していくのだと思います。
道端の枯れ草に目をやると、根元には次の緑が芽吹いています。
(記 2/5/2010)
   
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2/27
/28
「2ヶ月遅れの今年も宜しく!」 



















 ↑年末、年始は金野のおばあちゃんの介護でおばちゃんの実家に寄れなかったので、一人暮らしで頑張っている細木のおばあちゃんを訪ねました。龍江に住む妹夫妻も合流し夕食を共にしました。久し振りに男二人で午前2時半までお酒を飲んじゃいました。翌朝少し頭がボ〜ッと。


 ← 翌日の午後、金野のおばあちゃんを見舞いました。相変わらず話の噛み合わないところは多いものの、正月頃と余り変わったところは見られませんでした。寝たきりなので仕方がありませんが、関節は確実に固さが増しているようです。
 夕食を一緒にしてから帰ってきました。


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2/20

2/21

「陽気に誘われて」

 ← 春から夏に向けて野菜を育てる畑の準備が整いました。月が替わったら遅霜の予報を確認しながら、先ずはジャガイモの植え付けをしようと思っています。

 ↓ おばちゃんの腰痛が治らないので今週は農作業をお休みし、鳥羽の浦村に焼きガキを食べに行って来ました。東海環状→伊勢湾岸→伊勢自動車道→伊勢二見鳥羽ライン→R42経由パールロードで、行きは若干の渋滞で3時間。帰りはしっかり40キロの渋滞にはまってナント5時間掛っちゃいました。焼きたてのカキはとっても美味しく、お腹いっぱいで幸せな気分になったけど、帰りの渋滞にはウンザリ。もう二度と日帰りでは行きたくないと思いました。






 
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2/7
「今日も自宅で静養」 

 休日でも滅多に家にいないおじちゃんとおばちゃんですが、今回に限ってはどうしようもなく、久し振りに孫と一緒に家で過ごしました。今日は「お好み焼き」とヨモギをを使った「だんご」作りに孫たちが挑戦。特にだんごは、ヨモギを採り、あんは小豆から作る本格派。とっても美味しく出来ました(写真)。夜、孫たちの家族も集まって夕食を共にしました。
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2/6
「おばちゃんがギックリ腰に」

 おばちゃんが仕事で腰を痛めて家事が不自由になったので、孫二人が手伝いに来てくれました。おばちゃんの指示で、風呂掃除と炊事を頑張ってくれました。夕食は、手作りハンバーグ、ホウレンソウの和え物、ダイコンの煮物、アサリ汁など二人で協力して、美味しく作ってくれました。その後、押し入れから布団を出して寝場所の確保もチャンとしたんだよ!

← 二人から、おじちゃんにバースデイカードがプレゼントされました)。一週間程前が誕生日だったのですが、孫は胃腸風邪が酷く、その週は学校を休んでいて連絡できなかったって。 
   
2010年1月の出来事

雪荒れで新年が明け、厳しい寒さが続いています。
山の木々もじ〜っと寒さに耐え、春の訪れを待っているようです。

そんな中でも雑草は、茶色に枯れた下から、もう緑を覗かせ
生命力の強さを見せています。   (記 1/10/2010)

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1/31

「容易じゃないよ」

 おばあちゃんの様子を気にしながら、暇を見つけて少しずつ畑の引っ越しを進めています。農具を収納する小屋(写真:右)を建てました。昨年、おばちゃんの実家から貰った稲藁も移しました。
 

















 ↑ 写真左:旧の畑の整理も進めています。残っている野菜はダイコン、ハクサイ、ネギ、ホウレンソウ。もう少し先に収穫予定のコウタイサイ、エンドウ、タマネギは今育てています。エンドウは、冬越しの段階で成長し過ぎていて霜に傷められています。先週、イチゴにマルチを被せました。タマネギの収穫を最後にこの畑ともお別れです。
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「畑へのアクセスが叶う」 

 畑の横まで車で入りたいと、半年掛かりで進めてきた農道の整備がやっと終わり、車を通すことが出来ました。無管理でジャングル状態だった農道の草を何度も刈り、乾燥させ、焼却しました。赤道(無舗装)で車は汚れますが、農業資材の運搬には欠かせません。春以降はこの農道の雑草と戦わなければなりません。

 ← 手前が整備を終えた農道 後方に見える車の横が畑です
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1/1

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「今年も泰阜から」

 寅年を象徴するような、雪荒れで年が明けました。























































 ↑ 3日には飯田市鼎に住むおじちゃんの弟家族が来て、久しぶりに「五平餅」を作ってみました。夕方から、いつも世話になっている従兄の小林さん夫妻を招いて新年会をしました。今年はおばあちゃんの介護もあり、おばちゃんの実家には行けませんでした。

 ↓ 9日夜は我が家で新年会、孫のマジックの披露もありました。


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