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わが家の出来事
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   2012年6月の出来事
  母が満89歳でこの世を去った。何時かはこういう時が来ると分かってはいたが、
それが現実となるとやはり淋しいものである。一男三女の末っ子だった母は、兄の戦死
により図らずも家を継ぐこととなった。働き者の父と結婚し、我ら男四人の兄弟を育てて
くれた。養蚕と干し柿の出荷に精を出し、農閑期には土木仕事にも携わり日銭を稼いだ。
今、兄弟四人とも人並みの暮らしが出来ているのも母のお陰と感謝している。
晩年は、仲間とゲートボールに興じ、宴会には歌謡曲を歌った。「だんなさま」が
十八番だったと聞く。末っ子ゆえの我がままが見え隠れするところはあったが、誰よりも
家族思いであった。直近の3年間は寝たきりとなったが、父の献身的な介護、地域や関係の
皆さんの心こもるサポートにより、生涯で一番心穏やかに過ごせた時期だったように思う。
安らかに眠って下さい。そして、皆さん「ありがとうございました」。    (記 6/4/2012) 
 
 
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6/30

「母が仏に」 

 保寿寺住職にお務め頂き、親戚の方々と共に四十九日法要と墓へ納骨をした。















 葬儀の時はバタバタしたので、今回は皆にゆっくりして頂きたく、会食まですべてを自宅で行った。

 さすがに女房連は前日の準備から大変だったようだが、好天にも恵まれ、所期の目的が達成できて、母も安心して極楽浄土へ行ったと思う。

 どの故人も、日ごろ会えない親戚・縁者を一同に集め、血や縁の大切さを再確認して欲しいと望んでいるのではないか?また、それをキチンと実現させることが、生きている者の責任ではないかと思う今日此の頃だ。


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6/29
「水ハケの大切さを実感」

   今回は、ジャガイモとキャベツの収穫、ナスの整枝・誘引、コギクの手入れ実習をした。

 収穫したジャガイモは、半数に腐敗が見られた。
水田の跡地を畑にした場所で栽培し、栄養成長期は良好な生育状況を見せていたので、生殖成長期に入っての雨が災いしたと思われる。

 我が家も先日、同品種の一部を掘り取ったが腐敗は無かった。畑は僅か傾斜しているが、地下水位が高いので畝を上げて栽培したことが良かったのではと思っている。
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6/28

「母の四十九日法要・納骨に供えたい」

 春先には茶色一色の殺風景だった畑も、最近、多くの野菜が育ち始め緑が多くなった。
特に畑の隅で栽培しているユリとコギクは、母が亡くなって以来墓に供えたいと力を入れて手入れをしてきた。

 真っ白なユリに、赤・白・黄色の6月咲きコギクの一部が丁度見頃になったので切り花にし持って行くつもりだ。
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6/18
「四郷と下山」 

 午前中は四郷町の農ライフ創生センターで、元、西尾実業高校々長の梅村季久先生から「野菜栽培と病害虫防除」の講義を受けた。実体験を織り込んだ筋立てが良く、大変分かり易かった。教職にあった方が講師を務められることが多いが、どなたも話が上手で聞き手を惹きつける点はさすがだと思う。




















 午後からビニールハウスのビニールを張り替える手伝いに下山研修所に移動した。蒸し暑かった四郷と違って空気が爽やかとさえ感じた。標高差400m弱もあるが木々の多さも影響しているかも。

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6/17
「地域一斉清掃とふれあい祭り」

 朝激しく降っていた雨が掃除開始時間の直前にピタリと止んだ。こんなことってあるのか?と思うほどのタイミングの良さだった。担当区域の清掃に汗を流し、その後「ふれあい祭り」が開催された。顔ぶれが、いつも同じなのは残念だ。

















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6/16
「課外研修」

  「komine farming college」の6期卒業生11名が久し振りに集まり、成瀬先生の農機具倉庫をお借りし有機肥料作り、その後、卒業生の梅村さん宅に移動しBBQと畑の見学をしました。

 新鮮で美味しい肉や野菜、五平餅に舌鼓を打ち全員が満足・満足!
でも、ビールは相変わらずノンアルコールだ。こいつだけは中々馴染めない。

 満腹になったところで竹林に移動しお土産のタケノコ(真竹)の収穫と畑の見学をしました。
 多くの種類の野菜が上手に栽培されており、会社勤めをしながら大したものだと感心しました。



















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6/15
「ナスの誘引を習う」 

 栽培の基本は主枝4本・V字仕立て。長期間休みなく収穫するために、1枝1果を必ず守り、ナスを収穫する度にナスの前後の葉をつけて茎まで切り取ること(一般的に言うと切り戻す作業)が大切なことを習いました。

 主枝とする4本をキチンと決められるか否かが成果を左右するようだが、4本目を決めるコツが理解できたとは言い難いナ。
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6/13
/14
「兄弟夫婦で墓掃除と庭木剪定」


 
早いもので、母がこの世を去ってからもう直ぐ四十九日。法要に関するお寺さんへの確認、JAへの手配、それにお墓の清掃などを兄弟夫婦が実家に集まりやってきました。

 老齢のため難しくなった庭木の剪定も、父のリクエストに応え素人ながら恰好をつけました。
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6/8
「夏に向かって畝間に敷き草」

 
土壌の乾燥防止と雑草の生育抑制を目的に、一週間前に刈った草を天日乾燥させ畝間に敷きこみ、その他刈払機による草刈り、殺虫剤散布の実習をしました。

 

















 ↑ 全員でキャベツについた害虫を補殺。気温の上昇が続く最近、モンシロチョウの飛来が多く見られるようになり幼虫の食害で葉っぱは穴だらけ。


← エンドウの収穫 特にスナックエンドウの塩ゆではビールのツマミに最高だ!
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6/5
「船渡の伯母の死」 

 義母の兄の連れ合いが、6月2日、81歳でこの世を去った。手術困難な場所に癌ができ、入退院を繰り返していたがとうとう負けてしまった。「アイホール阿南」でしめやかに葬儀が行われ参列しました。


















 花が大好きだった心優しい伯母は最後まで、残されることになる伯父のことを心配していたと聞く。死んでも死にきれない思いだったことを察するとあまりにも悲しい。
でも現実、残った者は命の続く限り生き続けなければならない。それを廻りがしっかりサポートするしかない。
我が家も例外ではないが、核家族・老齢化が進む中、本当に頭の痛い問題である。








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6/1
「作物と対話する」 

 今回は、小ギク400万本/年を生産している「下山高原生花生産組合(31戸)」の紹介と組合長の小ギク畑の見学、研修圃場周辺の草刈りと小ギクの整枝・消毒、アスパラの除草、ジャガイモの追肥を行いました。


















 この組合、小ギクの出荷額(1億2千万円/年)は愛知県1を誇り、花の色の鮮やかさも市場で好評とか。全国からの視察も多いそうです。ちなみに組合長の農業粗収入、年5千万円、憧れちゃうナ。

   
  2012年5月の出来事 
  連休にも帰省し、毎日、母を見舞った。時には薄く目を開けたり、左手を動かしたりの
反応が窺われる。が、担当医によると検査結果は必ずしも良くなく、むしろ悪い方向に
進んでいるとのことであった。発熱→薬の投与→下熱を繰り返し、だんだんと薬が効かない
状態であると。子として何もしてやることが出来ず歯痒いが、せめて痛みや苦しみを和らげる
治療はして欲しいと医師にお願いした。                    (記 5/7/2012)
 
   
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5/26
「小学校最後の運動会」

 チビ孫の参観要請を受け小学校へ行って来ました。 カラーガード部に所属する孫は、精いっぱい練習の成果を見せてくれました(写真:左)。

 組み体操は、しっかり土台をやってました。








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5/25
「悲しんでばかりいても、何も解決しない」

 面の木峠の草花の色々を学びました。ほとんどの植物は葉緑素を持っていて光合成を行うが、寄生植物や腐生植物は葉緑素を持たない。
 右の写真は腐生植物のギンリョウソウ(ツツジ科)で、地中にある球状の根塊で腐葉土から養分を得ているそうな。
 
















 ナスとカボチャの苗の植え付けを習う

  雑草防止のため研修では黒マルチを使用しますが、掛けてない部分はご覧の通り草原状態(写真:左)。肥料が効いているせいか我が家の畑より凄い勢いだよ!
















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5/14

/19

「長い間ありがとう そして、さようなら・安らかに」

 約3年間、病に伏していた母が 5/14 6:30、満89歳で旅立った。担当医から「痛がることも苦しむこともなく、穏やかに逝かれましたよ」との報があり、悲しい中にも安堵感があった。

 遺体の引き取りに始まり、葬儀社との打ち合わせ、お寺さんや組合へのお願い、通夜、納棺、出棺、火葬、告別式、葬儀、精進落とし、お寺さんへのお礼、清算まで短期間に粛々と進めた。

 喪主を務めたが、地元を離れ40年余、慣習が分からず困ったが親戚の方の適切なアドバイスにより無難に母を送ることができ、絆の大切さを改めて感じた。㈱JAサービスの担当者・中山さんも親身になりお世話頂き、ありがとうございました。








































































































 家族思い、賑やかなことが大好き、おしゃべり好き、歌好きの母に相応しく大勢の方が見送りして下さった。きっと満足していると思う。ゆっくり休んで下さい。皆さんありがとうございました。

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5/13


「スナックエンドウとタマネギ」 

 今年初めて孫達が畑に入り、自分の手で野菜の収穫をしました。
「たくさんとれたよ~」って喜んでいましたが、実は冬の寒さ対策が不十分で例年の半分以下の収量です。イチゴは、鳥さんの“おやつ”になってます。まぁ、いいか!

















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5/11
「農業には欠かせないトラクターと刈払機」 

 5月に入って初めての研修。寒いうえ強風とあって、薄いヤッケを着ないと耐えられない環境でした。
今回はエンジン式刈払機の取り扱い説明と実技、トラクターによる水田の代掻きの実習が主な内容。
重大事故が多い刈払機の説明は入念でした。代掻きは、苗の植え付け面を水平にすることの難しさを実感。

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5/10
「山は春のはしりの季節」

 
 「とよた森林学校」が行う”森林の草花調べ講座“に参加。バスで茶臼山に行って来ました。

 植物は、それぞれ特有の生活史を持っていて、特に子孫を残すための工夫には素晴らしいものがある。その仕組みや活動を学びました。

← ホソバアマナの花が華麗に咲いていました
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5/7
「ありがとう」

 宅急便で嫁さんからカーネーションが届きました。ありがとう、今年こそ有機野菜が沢山届けられるよう頑張るからね!!



















 母の容態を気にしながら、手元が暗くなるまで夏野菜の植え付けをしています。播種や植え付け、追肥や土寄せの時期を間違えると、まともな物が採れないことを知ったからです。畑はほぼ満杯状態になりました。今からは、雑草と病害虫との長い戦いです。

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5/2

/4

「忙しい日々」 

「喜んだり悲しかったり 5/2」

 姪に女児が誕生したのでお祝いに行って来ました。整った顔立ちに大きな手足、体格のよい美女の予感(写真:左)。


 先月転院し、一見症状に変化が無いように見えますが、段々進んでいるとのこと。発熱のため経菅栄養の補給が止められていました(写真:右)。







「僕たち結婚します 5/3」

 甥から結婚相手の紹介がありました。自分の誕生日に合わせ5/9に入籍するとのこと、明るく可愛い娘で安心しました。末永く幸せに!!


 恒例のBBQ。母が入院中で若干盛り上がりに欠けましたが、19名集まり久し振りに近況交換が出来ました(写真:下)。


























  「タケノコ掘り体験 5/4」

 例年5月連休のタケノコは、時季外れとなるのですが、今年は季節の進みが遅く、丁度良かったです。傾斜がきつい竹林で、重い鍬を振り上げ、沢山収穫出来ました。アク抜きをしてお持ち帰り。










   
   2012年4月の出来事
  歩行困難で自宅介護を受け生活していた母が、脳梗塞と肺炎を併発し入院生活を送っている。
はや1ヶ月だが、言葉も呼び掛けに対する反応も失って「もう元に戻ることはない」と医師に
宣告された。治療を尽くしても回復の見込みがない老人の終末期ということだ。
医療技術が急速に進歩している現在でも、死を絶対的に約束された存在が人間である。
死にゆくことは自然の則であり、この則を人為的に阻止しようとすれば、無用な苦痛を母に
与えてしまうことになるかも知れない。たとえその延命治療をやったとしても、経済的な
理由から生命体の基本に立ち戻らなければならない時が必ず来ると思うと、いつ、何を
根拠に、どう結論を出したらよいのか迷う今日この頃である。     (記 4/1/2012)
   
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4/27
「小菊のピンチ」

 季節が進み、野山の緑がハッキリしてきました。今回の実習は、ジャガイモ畑の除草、小菊の定植用畝のマルチングとネット張り、それにピンチ(脇芽を出すため葉の先端を指で摘み取る作業)、春キャベツの定植でした。

 
















 ジャガイモを植える時、同じ圃場で芽を上向きのものと下向きのものにして比較しましたが、発芽は2~3日遅れるものの、強い芽だけが出る下向き植えの方が管理面で優位だと感じました。

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4/26

「余平町へ山桜見物に」

  「komine farming college」の成瀬先生にお誘い頂き、塾生、近藤さんが住む余平町を訪ねました。山桜を見に出かけたのですが、このところ急に上がった気温のためか葉桜状態でした。それでも一面に咲いたニリンソウが可愛らしく、川が住宅の直下に流れ、とっても素敵な住環境でした。


















 帰路に「しだれ桃」で有名な上中町に廻りましたが、満開を知らせる記事が朝刊の一面に写真入りで載ったせいか、酷い渋滞で近づけず見物は諦めて戻りました。
 
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4/21
「komine farming college」春の研修会へ

 「komine farming college」で学び、農業への同じ志を持つ者30名が小峯町に集まり同窓会が開催されました。成瀬先生から春夏野菜の栽培からTPPに関する農業の変化まで、広範囲の講義があり学ぶことの多い内容でした。各人も自己紹介を兼ね取り組み状況と成果報告をしました。

 















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4/20
「8月盆用小菊の植え付け」

  小雨模様の中、管理機を使い畝立て、黒のシートでマルチング。そこに菊が転倒しないように網を掛けマルチに12cm間隔で穴をあけて8月出荷用の菊苗を植えました。

 この近辺は、8月盆が多いので菊の切り花の需要があるそうです。
研修生など10名いたので作業は容易でしたが、1反歩(300坪)を夫婦だけだったら大変だろうな?って思いました。
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4/16
「農業やるなら基本中の基本」

  今日はエダマメ、スイートコーン、カボチャの栽培について要点を習いました。
 野菜栽培に共通することですが、夫々が属する科を知り、原産地を知って無駄な努力をしないよう教えて頂きました。多くの野菜は連作を嫌うためキチンと栽培記録を残し、連作にならないように栽培計画を立てることが必要なようです。空けなければならない期間も様々で難しい。

 ←休憩時間中も相談に乗って下さる教官は有難く心強い
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4/15
「岐阜県 八百津の蘇水峡へ」













 気分転換にと、丸山ダムとその下流にある名勝・蘇水峡を訪ねました。木曽三川三十六景のひとつにもなっており、木曽川の浸食でできた峡谷は高いところで百数十メートル。谷を覗くと一瞬、クラッ~としました。
 春の中でも一番よい時で、道中も目的地も桜が満開でしたが気分は?走行距離160km超。

 
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4/13
「トラクターや大型耕運機の操作を習う」 

 今回は、土を扱う大規模農業には欠かせない基本的な機械、トラクターと大型耕運機の操作を習いました。私が生まれた頃(60数年前)、田畑の耕運は牛の力に頼っていました。


















 まだトラクターが珍しかった40年前ごろ、運転を習ったことがありましたが、進歩は著しく、ボタンやレバー一つで多彩なことができビックリしました。
 平坦な校庭で行った基礎的なことは容易に出来ましたが、圃場に入ると凸凹があり思いのほか難しく、慣れるには経験を積まないと道具として使いこなせないと感じました。
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4/12

「満開」

 このところ一気に暖かさが増し、新聞の”桜だより“は「水源公園の桜が満開」を告げていました。いつものようにカメラを持ち出し、農作業の帰りに矢作川の東側からパノラマ撮影をして来ました。
場内には音楽が流れ、去年と変らぬ美しさで川に沿って帯状に桜が咲いていました。大勢の花見客がいるように見えましたが、何となく淋しそうに感じました。それは、桜が咲いても今までのように自分が華やいだ気持ちになれない所為なのでしょう。
 









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4/6
「シイタケの菌打ち実習など」

 4月とは思えない寒さの中、200本準備されたクヌギにシイタケ菌を打つ実習と小菊の管理実習をしました。シイタケは菌がうまく廻れば秋からの収穫が望めるとか。ハウスは、先日の春の嵐でビニールが破れ、無残にもアバラ骨状態になっていました。でも、小菊の苗は根を出し、カボチャや茶マメは元気に芽を出していました。
 















   
  2012年3月の出来事 
  退職してから、はや1ヶ月。経済至上主義の競争社会から離れ、第二の人生は、人間に
備わった自然の移ろいを感じ慈しむことができる”農“ の道に大きく舵をきりました。
農のおもしろさ、楽しさ、自然や生命の多様性と巧みさ、不思議さ、偉大さを肌で感じ
次の世代に伝えることができる者のひとりになりたいと願っています。(記 3/1/2012)
   
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3/30
「人生終焉の報に悲しみ」

 父からの突然の知らせに悲しみと人生の儚さを感じました。実家の隣のご主人、竹本浩実さんが51歳の若さで癌に命を奪われました。発見から僅か2ヶ月の出来事だったとか。
 ご一家で父母のことを日ごろ気に掛けて下さっていたのでいつも感謝していました。大黒柱を失ったご家族のことを思うと、慰めの言葉も見当たりません。


  
















 脚が不自由になった父の代理として、3/27の葬儀の事前打ち合わせと、3/30の葬儀は組合の一員として妻と役割を務めました。

 現役で逝去されたこともあり、故郷の葬儀では類を見ない大勢の方がお別れに来られました。
 ご家族は勿論ですが、地域にとっても大切なリーダー的存在を失って痛手のようです。
ご冥福をお祈り申し上げます。










 終了後、飯田市立病院に寄り入院中の母を見舞いました。病状が安定して以降、経菅栄養補給を受け呼吸は続けていますが、目を閉じたままで呼びかけにも何の反応もしません。

 地域の救急患者を受け入れる使命の市立病院側から、病状が安定したので他の病院に転院するか、専門施設へ早急に移るよう指示がありました。それも、患者家族で見つけなければならず、医療ネットワークの不備を感じました。これからますます増える終末期医療、弱い立場に立った患者側に寄り添う仕組みが欲しいです。
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3/26
「野菜栽培の基礎」

 初めての座学で、野菜の分類と原産地、種子と発芽について、健全な育成と環境、土壌管理と施肥、土壌改良剤と肥料についてなど70名の同志と一緒に基礎的なことを学びました。昨年「komine farming college」で学んだことの復習的な内容でもあり理解し易かったです。

 
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3/24
/25

「姪が結婚しました」 

 南足柄市に住む弟の次女”ゆかり”の結婚式並びに披露宴が、厚木市森の里”アマンダン ヒルズ”で行われ出席しました。直前まで降っていた雨も、開始時間に合わせるように止み2人の将来を祝っているような。百人を超えるお客様からの祝福を受け、結婚生活をスタートしました。笑顔が素敵な娘なので、きっといい家庭を築いていけると思います。



















 緊張気味の二人、嬉しそうな二人、色々な顔を見せてもらいました。

































 夜は箱根の湯本に宿泊、翌日は弟夫婦の案内で箱根散策と洒落ました。肌寒い気温でしたが、早咲きの桜なのか満開の木も見られ春を感じました。帰りは高速道路が予想外に渋滞し、帰着が午後8時半を回りました。嬉しいお酒を沢山頂き、久し振りに心地よい旅でした。

















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3/23
「やっと実感できる今日この頃」

  第2回の実技研修に下山に行きました。小雨が降る中、園芸ハウス内で小菊の挿し芽用土作りと前回に続く挿し芽の実習、消毒液の作り方と背負式動噴による撒布実習を主にしました。


















 今回も女性群が優勢で賑やかな実習でした。
 
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3/19
/20
「陽射し濃く暖かに」

 

















 お墓参りと入院中の母を見舞いに泰阜を訪ねました。

 細木の母は、今年の厳しい寒さに体調を崩し一時入院しましたが、今は家に戻り、暖かさが増すと共に元気を取り戻している様子で安心しました。

 一方、金野の母は生命の危機的状況を脱し安定していました。植物人間状態は変わらないものの、顔のむくみがとれ、鼻から胃に入ったチューブから栄養補給を受けていました。医師から、「もう元に戻ることはない」と宣告されていますが、看護師さんの耳元での呼び掛けに一瞬瞼を開けたことに驚き、生きていることを実感しました。
 病院に行く足のない父も、親戚や近所の方々のご厚意で、母の様子を見に時々行っています。皆さんに感謝していました。本当に有難いことです。

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3/16

「実技研修始まる」

 山間営農科の実技研修所は、我が家から車で40分ほど離れた高地にあり春はもう少し先のようです。朝、蛇口にホースを繋いで水を使おうとしましたがホース内の水が凍って使用不能状態。昼まで太陽に当てても駄目。真冬の通学が今から心配される場所のようです。



















  今日は、ジャガイモの植え付け、盆用の小菊の挿し目、カボチャと茶マメの種蒔を勉強しました。女性が多く、手より口が多く動いていたように思いますが、結構和気あいあいの雰囲気で進みました。

  
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3/9

3/12
「植物人間状態で悲しい」

  在宅介護で頑張っていた母の異常を父が見つけ救急車で病院に搬送しましたが、脳梗塞で左脳が駄目になり肺炎も起こして、人間として大切な機能を失ってしまいました。呼んでも応えず、表情の変化もなく、身動き一つしません。ただ息をプープーとしているだけでした。
話好きな母だっただけに可哀そうでなりません。

 入院3日目に満89歳を迎えた母ですが、高齢ゆえ手術をしても回復の見込みがなく、身体に負担を掛けるのみとのことで、父が辛い決断をしました。延命治療もせず自然に任せる医療を受けることに。
悲しいけれど、その時が残された母の体力で決まります。

 ← 別れを覚悟し母の髪を整える父(3/10)




「実技研修の地、下山研修所へ(3/9)」

 母のことを気にしながらも初めてだったので出席しました。午前中で終了、急いで母のもとに向かいました。
















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3/3
「足助 第14回中馬のおひなさん」へ

  足助は江戸時代に、飯田街道の中継地点で、三河湾からの塩、信州からの米やタバコなど山の産物が集まり交易の地として栄えた。今もその時代の面影を大切に残す中で行われる「おひなさん」の展示。
 個人や商店が所有する自慢の人形が飾られており、心ゆくまで鑑賞させて頂きました。

 途中、知人の五平餅店「ぬたざわ屋」に寄って購入(するつもりだったのですが頂いちゃいました)し、食べながら街道を歩きました。他店にはない古代米が使われており、秘伝のタレと相まってとっても美味しかったです(写真:最下段左)。










































        川原ではネコヤナギが暖かな陽を浴び、大きくなっていて春を感じさせてくれました。 ↑

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3/1
「農作物栽培技術の習得を目指して開講式に臨む」

 四郷町にある豊田市所有の「農ライフ創生センター」で開催された開講式に出席しました。57名の同志が入学し、その4割強を女性が占めることにビックリ。式典の後、研修日程や施設案内などオリエンテーションがありました。私は山間営農科を選択したので、座学はセンターに通い、実技研修は下山研修所で受けます。この科は男3女7、女性優位の構成で、力仕事になると負担が大きくなりそう。でも2年間だけだから健康に気をつけてしっかり勉強します。
 
   
  2012年2月の出来事 
   『この国は、今を生きる私たちだけのものではない。未来に向かって永遠の時間を
生きていく将来の世代もまた、私たちが守るべき「国民」だ。この国を築き、守り、
繁栄を導いてきた先人たちも、国の行く末に深く思いを寄せてきた。私たちは、
長い長い「歴史のたすき」を継ぎ、次の世代へと渡していかなければならない
(1月24日 第180回国会における野田内閣総理大臣施政方針演説より)。』・・・
国民誰もが同じ思いでいると思うのだが。            (記 2/1/2012)
 
   
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2/28
「イノシシとの共生は難しく」 

 昨年の晩秋、イノシシが畑で遊んだ形跡を見つけ足跡をたどったところ、畑の前の笹ヤブを通って来ていることが分かりました。幸いなことに野菜に直接的な被害はありませんでしたが、一大決心、手で笹を刈り取ることにしました。今年に入って、天気の良い日は作業に励んでいます。
 長年放置状態だったようで、笹の中には野バラが茂り、金属ゴミなども投棄されているので思うように進みません。既に長靴2足に穴が開いてパーになっちゃいました。
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2/18
「寒い一日」

 未明に雪が降り、道路や屋根にうっすら積もりました。早朝の道路は凍結しており、車の事故を見掛けました。 

 「農業の知恵と技術を学ぶ講座」を修了した6期生が、先生の農機具倉庫に集まり、春に向けての有機肥料つくりと、8ヶ月間世話になった教室の台所を清掃しました。終日手がかじかむ気温でしたが、有機肥料作りは材料の混合がかなりの重労働で汗をかきました。












 豊田市自然観察の森にも雪が積もっていました。でも、生き物たちからは春の兆しを感じることができました。ウラギンシジミ(成虫で冬を越す)が葉の後ろで寒さに耐え、春を待っていました。












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2/14
「カキ酢作りに初挑戦」

  8ヶ月に及ぶ「農業の知恵と技術を学ぶ講座」の最後の方で習った”カキ酢作り“を実践しました。

 仕込んだのは、柿が色着いた昨年11月半ば。無農薬の山柿を20ℓのステンレス製寸胴鍋に入れ、時々かき回しながら待つこと3ヶ月。酢の香りが漂ってきたので、ステンレス製のザルとストレーナーを準備し、重力方式で酢を取り出しました。約4ℓの酢が採れました。
 寝かせるとまろやかな味になるようなので、常温の冷暗所で保存します。料理に上手く活かせるとよいのですが。妻の手腕に期待!!
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2/9

/12

「カキの木の伐採」
 
 父が丹精して育ててきたカキの木を、3兄弟夫婦が集まり伐採し焼却しました。
 老齢で脚を思うように運べなくなった父は、継続して管理をしてくれる人を探したようですが、老齢化の進んだ地域なので引き受け手が無く、涙ながらに本数を減らすことを決心しました。
 これから良いカキが収穫できる樹齢10年位のものが多く、ショックが大きかったようです。
 山間地農業の伝承の難しさを身近に感じる今日この頃です。
煙と共に父が苦労した時代が忘れ去られるかと思うと、可愛そうな気がしました。

 家に帰る前に義母を見舞いました。上手くいけば近々退院できそうとのことで、嬉しかったです。


 
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2/5
「病気見舞いに行って来ました」

 ”細木のばあちゃんが救急車で” の報を受け、飯田市の健和会病院に見舞いに行って来ました。呼吸が酷く苦しく、村医の判断で入院が決まり、救急車で病院に運ばれたようです。予想以上に元気な様子にホッとしました。関係者の素早い連係プレーに感謝!!



















 左京に廻って昼食後、おばあちゃん一人では手が付けられなかった掃除や障子張りを兄妹で夕方までして解散しました。おばあちゃん、退院して家に戻ったら驚くかな?

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2/2
「東海地方にも雪が」 

 昨年末から記録的な大雪と寒波が北日本と西日本の日本海側を襲っています。当地も昨夜未明から降り始めた雪が積もり、慣れない雪に交通が混乱しています。この冬2度目の積雪です。

 ← 午前6時の様子

 ↓ 午前10時には積雪8cmになりました











   
  2012年1月の出来事 
  2012年は辰年。辰は十二支のなかで唯一、実在しない想像上の動物である。
辰の本来の意味は、龍・竜(りゅう)で変幻自在な霊力を持つ瑞兆の古代中国の
架空動物と言われる。できることなら、その霊力に頼りたい世相だが、そうは
行くまい。一人ひとりが現実を冷静に見つめ、判断し、行動するしか開ける道は
無いように思う。                           (記 1/5/2012) 
   
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1/27
「農作物栽培技術の習得を目指して研修生に」

 我が国の「食の安全,食料自給率の低下」などが話題になって久しく,歴史に残る大惨事「東日本大震災・原発事故」の発生やTPP参加の議論が進む中,いっそう農業のあり方が注目されています。
 現在,日本の農業が抱えている問題点は,(1)ビジネスモデルの未成熟さ,(2)担い手不足,(3)農業支援機能不足,の3つ。この課題を解決することで,日本の農業の明るい未来が見える気がします。

 定年を過ぎ残された時間は多くはありませんが,自ら渦中に飛び込み,若者に負けない情熱で農業の魅力を引き出し,次の世代に引き継ぐ役を担いたいと思い研修に応募しました。幸い,豊田市から受け入れる旨の通知を頂きましたので,3月から2年間頑張ります。
 先人から教えられた「命の糧をつくる者は神の次に大切な仕事をしている」という言葉に農業従事者として本当の意味で自信と誇りが持てるように!!
  

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「豊田市小呂町・大谷山へ」 

 ← 太陽の暖かさと風邪の穏やかさに誘い出されて、通称「ぼんぼ岩」と呼ばれる大谷山展望台を訪ねました。入口の少し広い場所に路肩駐車して登ること15分、展望台に到着しました。360度のパノラマ展望は素晴らしかったです。道中は有志の方により整備されていて、切り株に注意が必要なものの歩き易くなっています。さすがにこの時期、お会いしたのは一人のみ。桜の花の季節にもう一度訪ねたいと思います。 
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「挙母(ころも)神社へ詣と新年会」 

 ← 古いお札を納め、新しいお札をお迎えしました。神社では定例の八日市が立っており賑わっていました。



 夜は子供家族も集まり新年会。久し振りに全員が顔を揃えることができました。チビ孫二人は、冬休みの宿題を心配しながらも一泊して帰りました。 ↓



























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「2012年 泰阜村でスタート」

 ↓ 1/1 朝から新年宴会をして遅めの朝食      母も穏やかに正月を迎えることができ感謝! ↓


















← 1/2 両親がいつも世話になっている従兄の小林さん夫婦と、竜江に住む妹夫婦が偶然一緒になり、またまた宴会。



































 ↑ 1/3 鼎の弟夫婦が来て一緒に食事        1/4 雪が舞う中、細木に寄って新年の挨拶 ↑
   

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