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わが家の出来事
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   2015年6月の出来事
  長年の国会審議を通じて積み重ねてきた集団的自衛権の行使を違憲とする憲法解釈を
一内閣の判断で変え、行使容認を反映した安保法制の成立を「夏までに」という米国との
約束を盾に強引に図ることは許されない。法律が憲法違反か否か、最終的に決定する
権限を持つのは最高裁ではあるのだが。                 (記 6/3/2015) 
   
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6/27
/28


「やすらぎの家へ入居」 

 父がやっと診療所を離れられる時が来た。2ヶ月に及ぶ入院治療、村の医療関係者や社協の方々の温かいサポートで、杖を使って10mほどの歩行が可能になった。次の「自宅で毎日暮らす」準備段階に入る。1ヶ月の予定で「やすらぎの家」に入居できることとなり、その手伝いに行って来た。














 入居の前日、父の希望で自宅で宿泊し親戚の方を招いて自分で出来なくなった畑の耕作をお願いし快諾頂いた(写真:左上)。
 28日、部屋に生活必需品をセッティングし、父を送り届けた(写真:右上)。風呂以外は生活に必要な設備が整えてあり自宅より安心して暮らせそうだ。風呂は週2度のデイサービスの日に入ると云う。

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6/14

/16
「地域活動を終え蓼科へ」 
 例年梅雨時に行われる環境美化活動に参加した(写真:左横)。いつもより男性の参加が増えたような気がする。定年退職者であろうか?何にしても地域社会にとっては嬉しいことであるが、30年以上近くに暮らしていて初めて見る顔とは?情けない。
その後、「ふれあい祭り」と称す地域の懇親会があったが今回は旅行のため失礼した。






















 畑を一緒にやっている友人夫妻が、二泊三日で蓼科方面の旅に誘ってくれたので連れて行ってもらった。女性達の希望で「テラス蓼科リゾート」を宿泊拠点に山野草を訪ねた。初日は宿泊場所について宴会で終わり。二日目、先ずゴンドラに乗り「入笠すずらん山野草公園」を散策(写真:左上)、入笠山へ登頂(写真:右上)1955m、下って山梨県の北杜市にある「美し森」のクリンソウ(写真:左横、バックにあるのがクリンソウ)を見た。女性の山野草に対する知識の深さには感心したが、我々男性は興味が薄く、何度名前を聞いても覚えられなかった。しかし、日常使わない筋肉を刺激し良い運動にはなった。最終日は八ヶ岳中央農業実践大学を訪ねた後、各地の道の駅に寄って土産を買いながら戻った。非日常な旅は気分転換になり本当に楽しかった。旅に誘ってくれ、往復とも車の運転までしてくれた夫妻に感謝したい。

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6/6
「御船:一年間手を抜いたツケは重く」
 先の一年間、下山で借りた畑を中心に野菜作りを懸命にやってきた。反面、家から反対側にある御船の畑が手薄になった。春先には気付かなかったが、暖かくなるにつれ畑全面にスギナが拡がっている事が判り対応に苦慮した。畑の上側の水路に酸性の水が湧き、土も若干酸性に傾いているというスギナにとっては絶好の条件なのだ。容易に見えない地下茎でつながっているので、不本意ながら今回は農薬を使うことにした。それでも退治することは簡単ではなさそうだ。

 そんなこんなで植付が出来たのは、サトイモ、コンニャク、キュウリ、ナス、キナウリ、カボチャ、ジャガイモ、スイカ、トマト、ハヤトウリ、ネギだ。

 
   
   2015年5月の出来事
   戦争とは、いかに取り返しのつかぬものか。その教訓が憲法九条となったのに、その一字
一句を変えぬまま、国会で実のある論議もせぬまま、これまでとは質の違う軍事協力を米
国に約束をする。とても筋が通った話には聞こえない。どうもこの国の政府は、米政府に
運命を大きく賭けたようだ。自衛隊が地球規模で米軍に協力することで、日本が危険に
巻き込まれる懸念も出てきた。                         (記 5/3/2015)
 
 
 
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5/23
「100kgを作る」 
 畑の仲間で作る有機肥料は3回目だ。大分慣れては来たが、携帯ガスコンロと鍋を忘れナチュラルAでお借りし難を免れた。

 我々の畑500㎡で年間300kgが必要なようだ。団地サイズの古い風呂桶2個を準備し、一つは直ぐに使える肥料を入れ、残りの一つには作ったばかりの物を入れて寝かせている。桶が空いたらすぐ次を作ると云う寸法だ。これで切れ目なく元肥や追肥が出来るようになった。費用も労賃を除けば市価の1/4程度ででき、年金暮らしの者にとっては嬉しい。



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5/16

「有機肥料作りと見学会」 

 半年ぶりに塾生が集まり、午前9時には有機肥料作りに取り掛かり、一人当たり米袋4袋(40kg)の配給分を汗だくで作った。ワイガヤで楽しく作業が進み50袋も2時間で終了させた(写真:左下)。
その後、下山に移動し昼食、見学会となった。我が圃場を見て頂き、後、ナチュラルAが運営する苗の生産現場を見せて頂いた(写真:右下)。休日にも拘らずオーナーの浅井さんが出て下さり、説明や経験談を聞かせて頂き有意義な時間を過ごす事が出来た。最後に店に寄って、車に載せ切らないほどの苗を買い喜んで帰った。















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5/14

「飯田市立病院に検査同行するため帰省」
  2週間経っても痛みが改善しないと言い、立つことすら出来ないので、診療所の医師に紹介状をもらい市立病院で診察を受けることにした。
レントゲンだけでは判定出来ず、CT検査で恥骨にヒビが入っている事が判明。手術の必要は無く、最低でも後2週間位経たないと痛みが引かないとのこと。少し我慢をしてでも動くようにとの指示があった。
今は何をやるにも他人頼み。このままでは寝たきりになると、父に伝えたつもりだが、本人は分かっているのかどうか?




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5/10
「花のプレゼント」 
 長男がカラー(花)を持って家を訪ねてくれた事を携帯電話で知った。玄関先に置いたと云う。
 この日、我々は遅くまで畑仕事をしていて、車で帰る途中だっので礼を言って電話を切った。
最近、お互い忙しく家族と会う機会が減って残念だ。













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5/8
「代かきから一週間が経ち」
 
田植の日がやって来た。今年も4条植えの田植機を借りた。小さな田圃で年一回、一時間ほど乗るだけなので、やっと慣れてきた頃はもうお仕舞だ。手直しが少ないよう上手くやろうと思うのだが、なかなか思い描いた通りには行かない。また来年に期待しよう!
← 一緒に田植えをやった仲間

 作業が機械化され中山間地でも農地整備が進んだお蔭で、高齢者や女性でも農業の中心を担うことが出来るようになった。しかし、その機械が高い!高過ぎる。1俵(60kg) 8,000
円の米や1袋数十円の野菜を作り、出荷してもわずかな金だ。償却など到底出来ない。
 この問題、どのように考えたら解決するのだろう? 特に効率が悪い中山間地の後継者問題は深刻だ。農業が好き!なだけでは農家を引き継げない事情がある。

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5/1

    
「さぁ、田植の準備だ!」 
 いざ”代かき“という直前、トラクターのダブルブッキングが分かり大慌てとなった。学校側のミスで、我々より先にもう一人の予約を受付けていたが、別の所に書いたので見落としたらしい。今日を逃すと7日まで機会がなく困っていたところ、別の先生個人所有の機械をオペレーター付きで特別に貸してくれることとなった。上級機で初心者には運転操作が難しいらしい。
2時間近くかかって付属している機能をフルに使い丁寧に平らにしてくれた。その運転操作は見事で見とれていた。




「5/2 父転倒 様子を見に泰阜へ」
 4/30の夜、父が洗濯物を取り込もうとして転倒し、動けなくなったとの連絡を受けた。当面の対応は飯田市に住む4男夫婦が医師と相談し、ショートステイにお願いするところまではしてくれた。命に係わることではないので、代かきを済ませてから多治見の次男夫婦と様子を見に行って来た。父は思ったより元気で一安心したが、仰向きに倒れて肘や尻を強打しているため痛がっていた。頭や尾骶骨を打たなかったのが不幸中の幸いだった。医師にも会って様子を聴いた。7日に再度診察をして今後の対応を相談することとなった。それまで預かってくれるとのことだが、車椅子生活が続くと自立歩行が困難になりはしないか心配だ。
午後から、お世話になった近所の方にお礼を済ませ、時間の許す限り刈払機で草を刈ってから帰途に就いた。

   
   2015年4月の出来事
   第87回選抜高校野球大会は今日、甲子園球場で決勝が行われ敦賀気比(福井)が東海
大四(北海道)に3-1で競り勝ち初優勝した。春夏の甲子園大会で北陸勢が優勝するのは
初めて。高校野球100年の節目の年に新たな1ページが加わった。敦賀気比の松本哲幣
選手は甲子園では初と云う二打席連続本塁打を準決勝で、二試合連続本塁打を決勝で
放ち優勝をもたらした。ようやく咲き始めた北陸の桜より一足早く甲子園で選手たちの笑
顔が咲きそろった。 何とも鮮やかな満開の花だった。           (記 4/1/2015)
   
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4/24

「下山の畑を訪れる」
 「komine farming college」の同級生が、年に2度ほど計画する視察先に私たちの圃場が選ばれ、幹事を務める2名が下見に来た。ほとんどの人が市の平坦地で農業をやっているので、珍しさもあって選ばれたのだろう。中心部から1時間掛かるがその距離を感じさせず、環境の良さを羨ましがっていた。春も終わりに近いが、山には桜が残っており、天気も良く爽やかな風が吹いていた。視察は来月の16日に行われるがその日も良い天気であって欲しい。
 その後、いつも世話になっている産直のナチュラルAとパイロットも案内した。
 ← ナチュラルAで買い物をする二人

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4/18
「久し振りの晴れだ! 畑仕事を頑張る」
 4月に入って雨が多く、圃場に入り難い日が続いていた。雨間を見て、少しでも農作業を進めたいと遠い道を通っても成果がなく遅れている。天候に左右される農家の厳しさが分かった気がする今年の春である。
 そんな状況を心配してか、相手の旦那さんが助っ人とし来てくれた。近日中、1日だけの晴れの日らしい。育苗中の水稲を受け取り、田植えが出来る時期までに硬化苗にする準備、畑廻りの草刈り、芝桜植えをしてもらった。畑のコンディションは良いとは言えなかったが、我々は畝を二本作りマルチングをし、ミズナとレタスを植付けた。空いていた畑が少しづつ埋まっていくと嬉しいものだ。

 今の苗の多くはハウスで育てられるので天候に左右されることはなく、狙った時期に出荷されてくる。一方、それを使う農家は今年のようなことが有ると準備が遅れる。苗は売れずに老化する。準備が出来た頃には地元産の良い苗が無い。何れにとっても得な話はないのだ。

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4/1

「期間中雨が多く愛でる時なく」 
 御船の畑の帰り道、ちょっと前田公園に寄ってみた。この辺りでは桜の名所の一つとしても知られている。花はいつもの様に”観て下さい“と言わんばかりに揃って綺麗に咲いていたが、人出はチラホラで「桜まつり」を知らせる幟が淋しそうに立っていた。平日だったとは云え、天気さえよければこんな事は無い筈だ。
昼間なら青空をバックに、夕方からは連提灯がうっすら燈ると云うのが似合うのだが・・・残念。






   
   2015年3月の出来事
  また3月11日がやって来る。あの大震災が起きて、今年で丸4年になる。被災地の
復興は徐々に進んでいるようだが、福島第1原発の事故で、今も12万近くの人が避難
生活を余儀なくされ、仮設住宅は3万戸あると云う。原発事故の深刻さをあらためて見せ
つける。一方で政府は、原発を「重要なベスロード電源」と定め、再稼働への道が開かれ
ようとしている。こうした動きに、経済を重んじ過ぎて、事故への反省や、人を大事にする
思いが希薄になってきてはいないかと心配する。経済は大事と云えど、私たちにとって
本当の豊かさとは何だろう。もう一度考えてみる必要がある。     (記 3/3/2015)
 
   
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3/31

「イジワルしてゴメン!」 
、 御船の畑に3年前からイノシシが訪れ始めた。初めの頃は被害が気にならい程度だったので放置していた。それが悪かったのかイノシシが成長したのかは分からないが、作物が殆ど採れない程毎日のように荒らされる様になった。足跡を観察すると1頭で現れ畑を掘り起こす。自然薯が大好物で30本程作っていた物が全部食べられた。30m離して2か所に分けて作ったが、探して掘り当てた。見事としか言いようがない。
好物ではないようだがタマネギ、ネギ、ハクサイ等秋から春まで畑にある野菜も鼻で突っつき足で蹴散らす。たまったものではない。

 時機を失した感はあるが、重い腰を上げることにした。義弟から鉄筋を譲り受け、1m間隔に立て竹で柵を40m、妻と二日掛かりで作った。四方を囲もうとすると、もう80mやらねばならないが圃場が農道より1m高い所にあるので段差を期待して、これで様子を見る事にした。ワイヤーメッシュや電気柵を使う方法があることは知っているが、何せ費用対効果を考えると・・・。
 これで何とかイノシシ君が来るのを諦めて欲しいと願っているのだが。

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3/22
「優しかった義母を思い出す」 














 穏やかで暖かかったこの日、義母の一年祭が左京で行われ行って来た。所縁の二十数名が集まり、義母を偲んだ。一年が経つのは早いものだ。ついこの間、義母の笑顔を見たような気がするのだが・・・。
 霊祭の後、飯田市千代の不動温泉・佐和屋で直会の席が設けられた。
こういう行事を重ねることで、人は段々と悲しみから立ち直って行くのだろうか?

 前日、父の所によってキュウイフルーツの剪定をした。ちょっと時期が遅く、樹液がかなり出たが問題ないかな。


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3/17
「柿農家 豊橋の鈴木さんに習う」

  塾生と有志20数名がマイクロバスで圃場を訪れ、次郎柿の”呼び接ぎ“を教えて頂いた。
この例は自木の徒長枝を用い、実のなる枝を補強することを目的とし、台風等から守るとのこと。柿の木は折れ易く、下から支柱で支えている所は見たが、この方法なら接ぎ木の失敗も少なく良い。さすが柿農家だと感心した。
また、樹形の仕立て方や剪定方法も参考になった。






 同日、ふるさと泰阜村(やすおかむら)の中学校3年生18名が、天竜ライン下りを楽しんだと云う記事が中日新聞の朝刊に載ったので紹介しておく ↓














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寿







3/16
「運よく福寿草を見ることが出来た!」 

 福寿草の花言葉は「幸を招く」

 今日の天気予報は「曇のち雨」だったが、妻と友人は、「今後、開花期間中には予定がつかない」と思い切って出掛けた。この地域で福寿草と云えば、恵那市上矢作町の達原・大平地区だ。
 この花は、晴れていないと綺麗な姿が見られないとのことだったが、運よく向かう途中、一時的に陽が差し、開いた状態を保ってとても美しいところが見られたそうな。
現地は約40aに渡り自生地(在来種と園芸種)がある。標高差もあり1ヶ月間楽しめるようだ。



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3/10

「畑の準備遅れる」
 今季12個目となる爆弾低気圧(中心気圧が24時間で24hpa以上低下する温帯低気圧)が北海道に停滞し、その影響で10日は当地も暴風雪となった。若狭方面から来たであろう黒い雲が空を覆った。日中、降った雪は直後に殆ど溶けたが強風が吹き荒れた。脚立を使って庭木の剪定をしていたが、風に飛ばされそうで怖くて早々に中止した程だ。
← (翌朝、庭木の上に僅かに載っていた雪)

 このところ2〜3日おきに雨が降る。
私が借りた畑は粘土質のため、雨が降った直後に耕すと土が固まってしまい、作物の植付けや種蒔きが困難となる。晴れた日が5日以上続いた時に土の改善に取り組みたいが、それもままならないので焦りが出てきた。

 雨上がり後の2〜3日は、畑がぬかるんで入ることが出来ないので周辺の草刈をする。その面積足るや畑の数倍だ。急勾配で足場が悪く、刈払機が使えないので鎌で手刈りだ。少しづつ刈っては干し、焼いて始末する事の繰り返しだ。もう3ヶ月に及ぶが、やっと先が見えてきた。

 先日、隣の畑の持主(80歳くらいの爺さん)が娘さんと顔を見せた。秋頃から出会わなくなったので心配していたが、老人施設に入ったと云う。認知症も始まったと聞く。
それまでは、作物は作らないが雑草防止のためトラクターで時々耕し、境界の草は刈ってくれた。しかし、もう出来ないから自分で必要な所は刈って欲しいと言う。地の利の悪い農家は、この様な話ばかりだ。人助けだと思い、私の借りている間はそうすることを了承した。
 
 
  2015年2月の出来事 
  もうすぐ田起こしが始まる。土を砕き、細かく切った稲藁と籾殻を焼いた燻炭を漉き
込む荒起こしが始まるのだ。やがて春、田んぼから食卓へと巡る命がその土に宿る。 
コメ作りの世界では、田を集める集約化、大規模化が進んでいる。大型機械を入れて
作業効率を高め、輸入米に対抗するためだ。しかし、中山間地は条件不利地が多い。
田んぼと田んぼの段差がきつく、畦の管理が難しい。大きな機械は入れられない。
獣害もたくさんある。水利も不便など効率化とは正反対だ。私のように家族が食べら
れるだけ取れればよいと言う者は、若干高くついても農地を守るという意味で協力でき
るが、生業にしようとする人は難しかろう。                 (記 2/5/2015)
 
   
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2/27
/28

「柿の剪定に帰る」 

 春が近くなり、木の芽も膨らみを見せている。父の要請に応え柿(写真:左下)とブドウ(写真:2段目)の剪定に行ってきた。多治見に住む弟夫婦も協力してくれた。27日は陽もなく寒い一日だった。午後5時を過ぎると手袋をした手がかじかみ、感覚が失われた。無理もない、私が借りている豊田市下山地区より200mほど標高が高いのだ。当日は予定の半分が出来た。















 翌日は、穏やかな天候になり朝早くから取り掛かることが出来た。でも、地面は凍っている。予定に無かった木の焼却(写真:右上)もし、午後2時には終った。父が大変喜んだ。が、増々脚が弱くなり、時々転んでしまって自分では何もできないと嘆いていた。仲良しだった同級生が、最近、相次いで亡くなったのもショックな様で気落ちしているのが気に掛かる。来月も顔を出すからと元気づけ、我が家への帰途についた。






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2/19
/20
「同窓会開かる」 

 二年間一緒に学んだ山間営農9期生の同窓会が、豊田市新盛町の里山くらし体験館「すげの里」(写真:右下)で開かれ参加した。日ごろ個々には連絡を取り合っているものの、一同に会すのは一年振りだ。恩師と生徒6名が集い、積もる話や農ライフに期待することなど、話に花が咲いた楽しいひと時だった(写真:左下)。女性陣は午後8時過ぎ帰宅の途に就き、男性4名はその後12時まで呑んで寝た。














 翌朝、車は霜で真っ白になっていたのには驚かされた。施設内は薪ストーブや薪ボイラーがあって床暖房完備で気付かなかったが、流石、新盛地区、噂通りの寒い所であった。

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2/4

「暖かな日を選んで」

 このところ風が強く寒さも厳しい。冬の間にやっておいた方が良いことがあるが、なかなか出掛けるのには勇気がいる。
幸い今日は最高気温が豊田の平地で10℃を上回り、風も穏やかとの予報だったので、下山の水田に出掛け籾殻を焼いて入れた。この時期の農作業は楽しみながらゆっくりできる。暖かさに誘われてか近所の方達も姿を見せていた。田圃周辺の枯草や木を焼いて片付けをしている。聞くと、朝8時半の気温は-4℃だったそうな。「何時もの事だから平気だよ」と私よりず〜と薄着だ。




   
   2015年1月の出来事
  今年は戦後70年。節目の年に国の舵取りを担う安倍晋三首相には、先人たちが営々と
築いてきた「平和主義」を後世に引き継ぐ責任がある。冷戦構造や日米安保条約体制が

あったとは云え、70年間に亘って戦火を交えない歴史は、近現代史では極めてまれだ。 
戦後日本の平和主義は、過去の反省の上に立った国際的な宣言だ。それが日本国民や
国家に対する評価と尊敬を勝ち得る源になってきた。    今を生きる
私たちには、この
「資産」を後世に引き継ぐ責任がある。          
          (記 1/5/2015)
   
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「下山…1/16」

 
下山の畑の仕事始めは16日となった。こちらは元々稲作をやっていた所を畑に転換したのだが、1年やってみて土がまだ畑仕様になっておらず野菜作りには不向きなことが分かった。そこで今年は、籾殻や籾殻炭を多目に入れ周囲の溝を深くして水捌けを良くするつもりだ。仕事始めは2家族で燻炭(写真:右下)と有機肥料100kgを作った(写真:左下)。














「御船…1/10」 

 御船(ミフネ)の畑は、竹藪に戻っていた所を再度開墾して野菜作りを始めてから六年目に入った。土は赤土で粘土質、地下水が高くしかも酸性の水が湧くという野菜作りには全く向かない土地だ。
それでも畑の高い側に溝を廻らせ水抜きを図ったり、毎年有機物を入れて土作りをした。その甲斐あって昨年からやっと食べられる野菜が少しづつ出来るようになった。
 
 今年も仕事始めに籾殻やそれを焼いた籾殻炭を作り入れた。こうすることで固まった土も少しほぐれ、有機肥料も利き易くなる筈だ。



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「孫たちが来た・・・1/4」

 
昼に来て2食を共にし、”トランプ“や”かるた“で遊んで、夜8時には野菜を持って喜んで帰っていった。日頃は部活で忙しくなかなか来られないらしい。社会人の長女は仕事で来られなかった。それにしてもチョット見ぬ間に大人になっていく。先頃まで身なりのことはあまり気にしていなかったのだが今は違う。ビシッと決めて綺麗だ。話の端々に子供らしさが残っているのが可愛いが…。このまま素直に育って欲しいと思う。














 
「今年こそ良い年でありますように!…1/1」

 父が元気で平成27年の新春を迎えられて何より嬉しい。我々は昨年末30日に田舎に帰り、清掃や年越し、新年を迎える準備をした。綺麗好きな父だが、細かな所に目が届いていないので、その辺を重点的に掃除をしたり、日用品の不足分を調べ買い足した。正月は2日の昼過ぎまで居て、多治見の弟夫婦に引き継いだ。その後、鼎の弟夫婦と交代することになっている。2月末ころ柿の剪定に来ることを伝えて暇をした。

















   

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