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わが家の出来事
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  2015年12月の出来事 
   食の多様化や少子高齢化の影響で、国内のコメ消費は減り続けている。需要が減っても価格が下がらないよう、農水省は生産数量目標を設定して生産調整(減反)を続けている。減反が始まった1971年産以降初めて過剰作付けが解消されそうだとのこと。取引価格も60k当たり約1万3千円で前年比約千百円増となり安定に向かっている。政府は18年産から生産調整を廃止する方針と云う。こんな情報が米や野菜を作るようになってから気にかかる。
                    
(記 12/3/2015) 
   
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12/29
「冬ごもり」 

 年内の作業は今日で終わりにする。暫く姿を見せなかったイノシシが、御船の畑に来ていたのが足跡で確認された。周辺に餌となるものが少なくなったのだろうか? 今回は畑を掘るなどのイタズラは無かったが、今後が気に掛かるところだ。

 写真:左下 下山の畑=出荷出来なかったハクサイ、ダイコン等を自家消費したり知り合いに配ったりしたが、まだまだ沢山ある。春までおいて菜花で食べようかと思っている。それにしてもチョット多い。
 写真:右下 御船の畑=黒マルチがあるところは、サトイモを春まで保存している所だ。その他タマネギ、ダイコン、カブ、ホウレンソウ、ハクサイ、ニンニク、ソラマメ、エンドウ、ワケギ、プチベール等が植わっている。遅くまで暖かかったので、伸びすぎて冬を越せないものがあるのではないかと心配している。















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12/18

「この一年を感謝し皆でお茶を飲む」
 いつもの風景だがチョット違って来ている。年の瀬が迫り、畑には霜が降り氷も張っていて皆が厚着をしている。平地に比べ標高差で温度が3〜5℃低い。これからまだまだ低くなる厳しい土地柄だ。
 越冬させる作物は数が少ないので、週1回のペースで2月いっぱいは通い、圃場排水の改善をしようと考えている。

 この一年は春から秋口まで順調に出荷できたが、その後、主力受け入れ先の倒産で憂き目にあった。
この地で野菜を作り始めて2年、畑の土も大分良くなって来た。安心安全で美味しい野菜を食べて貰いたいので、来春までに何とか出荷先を探したいものだ。

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12/12
「一面に防御網を張る」

 水田をシカから守るため、一単位の広範な地主が集まり一緒に網を張り巡らせる作業をした。以前、地表から1mまではワイヤーメッシュが張ってあったが、シカには全く役立たなかった。私達は地主では無いものの、見て見ぬふりは出来ないので作業に参加した。傾斜地が多く網の設置は容易ではなかったが、午前8時に始まり午後2時半には大方の目途が付き、網の繋ぎや出入り口の工夫は各人でやることとし解散となった。近年この地域はイノシシよりシカの被害が大きく、効果を期待したいところだ。















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12/5
「籾殻燻炭作り…成瀬塾6期生」

 有志9名が豊田市山之中立町(町名通りの場所、人家がまばらで自然が豊か)に集い、燻炭作りをした。季節柄雪の心配もあったが、今年は暖かで、当日は風もなく燻炭作りには絶好であった。各自持ち寄った籾殻と燻炭器9基で、誰にも気兼ねなくモクモクと煙を出し作った。都市近郊に田畑を持つ人もいて、野菜作りに燻炭は良いことが分かっていても地元ではなかなか作り辛いのだ。
 昼食は女性が準備して下さり、自慢の手作りの品も添えて皆で頂いた。合間には情報交換や、会の今後の進め方も話し合えた。朝9時に始まり夕方暗くなる寸前までかかったが有意義な燻炭作りの一日であった。















   
  2015年11月の出来事 
   田圃や畑がTPP(環太平洋連携協定)に揺れている。田圃が荒れれば景観や食文化、
水環境も荒れていく。一律の補助金や土木予算では維持できない。「もう限界ですよ」と地域
農業の担い手の声が聞える。安倍首相は”守る農業から攻める農業への転換“を唱えて
いるが、攻めとは輸出と同義語だ。コメの輸出拡大は難しく、六次産業化もまゝならない。大
規模化で米豪と戦えるはずがない。また、コメの国内消費量は毎年八万トンずつ減っている
と云う。新設される輸入枠とほぼ同じ量である。この美しい日本の景観や食文化、水環境は
誰が守っていくのか?稲作文化を守る鍵は消費者が一つ握っていると思う。(記 11/1/2015)
   
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11/18

「雨の中での散策」

 この頃、曇や雨の日が多くなってきた。今日も、朝のうちポツリポツリとしていた雨が昼過ぎには強くなり足元に跳ね上がる。それを押して次男家族と紅葉を見に出かけた。思いの外、人出が少なく駐車場も容易に探せ楽に見廻れた。多くの人が予定変更がきかない観光バスの客のようだった。今年目立ったことは、往来で外国語が飛び交っていた事だった。こんな所にまで”観光立国“の影響が!と驚いた。せっかくの機会なので、もう少し地元にお金を落としてもらう工夫が必要と思った。
 雨だったことを除けば、紅葉も綺麗で良かったし気温もまあまあであったが、乳呑み児連れだったので早めに切り上げた。















 
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11/11
「名古屋 ”はな・あーと“倒産の報」 

 東海地区の「好きな花屋さん」人気投票第一位の”はな・あーと“が倒産したと聞く。天白区元植田にあり、花に関することの販売を手広くやり、二階のオシャレなカフェも人気だと聞いていた。
 我々は昨年の春からだが、お店の一角に小さな産直のコーナーを置かせて頂き、旬の野菜を提供して来た。新鮮さとお手頃価格が支持され売れ残りが殆どなかった。今年からそれを意識し、有機肥料を主に、減農薬で少量、多種類を作り、少し軌道の乗ってきたところだった。ハクサイやカブ、ダイコンなど秋野菜が畑に並んで出荷を待っていたのだが、行き先を失ってしまった。残念だが地元だけではパイが小さく売り切れない。今年のところは、子供たちや友人、知人、隣近所に差し上げて、春までにナチュラルAさんと販路を探そうと思う。
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11/7

「有機肥料100kgを作る」
 立冬を明日に控え、有機肥料作りをした。もう少し暖かな時期が良いのだが、何かと忙しくこの日になってしまった。畑の中にブルーシートを広げ、その上で各種材料をよく混ぜ3時間ほどで完成した。それを風呂桶に詰め熟成を待つ。来年2月末ぐらいには使えるようになるだろう。
 その後、余った時間でサトイモの親芋の冬越しの準備、エンドウ藪の片付けをした。こうして冬の畑になっていく。今日は現役の旦那さんの協力が得られて、力仕事が一気に進んだ。感謝!感謝!!だ。
 ← 夕暮れに花の手入れをする真知子さん、奥は肥料作りの後片付けをする旦那さん 


 
 
   2015年10月の出来事
  安保法制が数の論理(?)で成立した。次なるは「アベノミクス」が第2ステージに入るのだ
そうだ。そのために矢も3本新たに用意されたと云う。「希望を生み出す強い経済」、「夢を
つむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」。内容空疎との見方もあるが、産んで増
やして総員生涯活躍。こうしてGDPを増やして国防費を増やし、外交安全保障政策の実現
につなげると云う目論見があるのではないか? くわばら、くわばら。  (記 10/3/2015)
 
 
 
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10/28

 
「”獅虎(レオト)“と命名」 

 
生まれて初めて我が家に来た。先日の検診で体重は5kgだったそうな。重た過ぎないか?と訊ねたところ担当医は問題無しとのこと。よく飲み、よく眠る子だ。母乳が溢れるほど出ることも嬉しい。嫁の母親も一緒に来て獅虎の誕生を祝った。















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10/24
/25

/26

「兄弟3人の家族で草刈に…10/24 /25」

  もう何も出来なくなってしまった父に代わって、家の周りの草刈に二日間行って来た。年一度しか手を入れられない部分もあり、大変であったが何とか格好はついた。
 父も気分が良かったのか外に出て草むしりをしていた。日課にしていた外回りの清掃は、以前より範囲が狭くなり父の体力の衰えを感じる。仕方のないことだが淋しいものだ。もっと淋しく情けなく感じているのは父自身かも知れない。

 夕食を一緒に取り、一月後に草を焼きに来ることを伝えて暇をした。

← 父も大好きなBBQで昼食

「下山の畑で…10/26」
 朝、下山の畑に行ったところ、サトイモの葉が黒く枯れている。霜が降りたのだ。来るものが来たという気がし、冬の準備を急がねばと思った。

 このところ好天が続き、昨年より順調に農作業は進んでいるが、二軒とも老齢の親がいて気になるところだ。最近、急に駆け付けなければならないことが増えてきた。事態によっては、長期に休まざるを得ないこともあるのが気掛かりだ。

← ホウレンソウの手入れをする




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10/9
「畑の様子・・・秋冬野菜に移る」

 暑かった夏が終わり、畑も秋・冬の野菜へと装いを変えていく。最近は晴れる日が続き、圃場の残り物の片付けや次に向けての施肥・耕耘、種蒔きや定植に毎日夕暮れまで忙しい。
下の写真は、左が御船の畑、右が下山の畑の現況である。土の色が出ている所がスイカ、カボチャ、ウリ類、サツマイモ、ピーナツ、トマト等が終わり耕耘した跡だ。この後エンドウ、ソラマメ、タマネギ、イチゴ等を植える予定だ。下山の圃場は土中にモグラや虫が多く生息するため、燻炭を多目に入れるつもりだ。燻炭器2基を買い足し、この日から作り始めた(写真:右下)。















 
   
  2015年9月の出来事 
   2020年東京五輪の主会場となる新国立競技場建設案に続き、今度は大会の顔、公式
エンブレムも白紙撤回される異例の事態が発生した。日本の信用を失墜させる前代未聞
の不祥事だ。いづれも情報公開と説明が不十分で、国民と共に五輪を作り上げると云う
意識が決定的に欠けていると言わざるを得ない。五輪は特定の業界に利益をもたらすた
めに開くのではない。国民の思いを大切にする姿勢で臨んで欲しい。
   (記 9/3/2015)
 
 
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9/29

「収量が昨年の1/2以下に!」
 収穫間近になって鹿が入った為、10月4日予定であったコンバイン作業を一週間弱早め9月29日に実施した。 結果は予想より悪く、収量が昨年の半分以下の模様だ。
鹿の影響も然る事ながら、刈り取るオペレーターの腕が衰えていた。私が用事で目を離した隙に、畝に沿わない斜め刈りをしてしまい稲の1/4を踏み倒し泥の中に埋めてしまったのだ。発見した時はすでに遅く、どうにもならない状況だった。小さな田圃に地区で一番大きな機械を入れたのと、歳も80才とのことで無理なお願いだったのかと反省している。
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9/19

「健やかに育て」
 予定より早く生まれ母子ともに元気だと次男から連絡を受け、翌日、瀬戸の病院まで会いに行って来た。体重3640g、最近の乳児では大きい方だと云う。帝王切開で生まれた。手足が大きく、髪も生え人間らしいのには驚いた。自分の子供は、もっとサルのように見え髪も薄かったような記憶が。
 身も心も健やかに育って欲しいと願っている。








 「田圃に鹿が入った」

 刈取り間近な田圃に鹿が入り、運動場のように走り回り荒らされた。余りの酷さに声も出ない。今まで少し気配が感じられたので、杭を全面に立てロープを2mの高さまで4段張った。しばらくは効果があったが、この2〜3日の間に弱い所を探し当て入り込んだようだ。全面にロープを張るのも善し悪しで、鹿が出口を探すまで走り回り一面稲が踏みこまれてしまうようだ。更に悪いことに留まる時間が長いせいか糞をして、その匂いが稲穂について収穫できない。鹿を完全にシャットアウト出来ないなら柵の一部は開放しておいた方が良いのかもしれない。
 稲はまだ青い部分が多く残っているが、刈時期を早め少しでも人間が食べられるところを多くするしかないのかと考えている。鹿は見た目は可愛いが、農業や林業をする者にとっては全く厄介者である。

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9/12

「納棺から直会まで」

 父の姉”北澤ほず“さんが享年93歳で亡くなり、葬儀の連絡があったので夫婦で代理出席した。
父のすぐ上の姉であったが、近年は付き合いがなく、私の記憶では体格が良く働き者だった。人生、紆余曲折があったが、晩年は穏やかで幸せな生活を送ったと聞く。
連絡が遅かったので、前夜の通夜には参列できなかったが、7日朝7時からの出棺から直会の席まで務めた。「身内のみで葬儀を」との喪主の希望だったが、93歳まで年を重ねると結構身内も大勢になることに驚かされた。
どうぞ安らかにお眠り下さい!
 終了後父の所に寄って報告し、夕方まで草刈をして帰路に就いた。



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9/6
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「ありがとう そして、安らかにお眠り下さい」

 妻の妹の嫁ぎ先の姑である”平澤きわ“さんが行年90歳亡くなった。晩年、体調を崩し入退院を繰り返していたが残念ながら力尽きた。温厚な人柄で妹にも優しく、妹は勤めながら介護もなんとか出来ていた。若いころ夫婦で龍江に永住の地を構え、苦労してこつこつ買い足し今の平澤家の礎を築いたと聞く。私の子供2人が幼少の頃、幾日か泊めて頂いたことが有った。その折、花火大会に連れて行って頂き、流行りの”舐め猫“を買って貰い大いに喜んだ。その想い出の品が今も我が家にある。本当に優しいご夫婦であった。旦那様は早くに亡くなったが、きわさんの死顔も穏やかで、人生を物語っているようであった。
 夫婦で6日の通夜・納棺・通夜振る舞い、7日の出棺・火葬・告別式・葬儀・初七日・精進落しまでの全プログラムに参列し帰路に就いた。




























「父二度目の転倒で入院 → 退院」
9/6 
この日、父の退院は鼎に住む弟夫婦に頼んでいて問題なかったが、龍江に葬儀が出来たので早めに行き、入院の時お世話になった方へのお礼や、父の様子を見ることにした。
  幸い尻が痛むと云うものの、以前のような酷いことはなくホッとした。原因は、禁止していたラクーターに乗り近所に行ったことで、転倒し入院につながった。皆に迷惑をかけたくないと思ったらしいが結果、転倒で大勢の方に迷惑をかけた。そのことをよく理解してもらい、キーを預かることにした。
 一件落着し、昼には父の好きな焼肉で退院を祝った。弟夫婦の子供や孫も一緒で久し振りに賑やかだった。


 
 
  2015年8月の出来事 
  話はちょっと前になるが、人気お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんの「火花」が芥川
賞に選ばれた。芸人活動をする中で時間を見つけて作家活動を続けてこられた地道な
努力が花を咲かせた。活字文化が衰退しそうな現代で、その作品の反響は普段あまり
本を読まない人をも振り向かせた功績は大きい。累計発行部数が百二十万部を突破し
歴史に残るミリオンセラーになったと聞く。                 (記 8/3/2015)
 
 
 
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8/29

「農業の知恵と技術を学ぶ… すげの里に集う」

 成瀬塾の卒業生30余名が”すげの里“で会し合同研修会が開かれた。成瀬先生はまだまだお元気で、有用菌液の作り方や生育の各ステージと施肥のベストタイミング・石灰質肥料の上手な使い方など分かり易く有意義なお話が聞けた(写真:左下)。その後、各人の取り組み状況や失敗談などがあり、予定を一時間超過した午後1時からBBQが始まった(写真:右下)。肉類に持ち寄った野菜を加え美味しかった。また、女性の方々が作った漬物やデザートが振舞われ、空いたお腹が一杯になって皆んな満足!!













   会の在り方など今後の問題も若干残ったが、また会うことを約束して解散となった。

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8/26


「10月には男子誕生 おめでとう!」 
 やっと時間が合って瀬戸市に住む次男夫婦宅を訪ねることができた。仕事の関係で、水曜日が定休日なので我々と都合が合わなかった。
 嫁さんは元気で、胎児も順調らしい。僕らが御船で作った野菜を持って行くと喜んでくれた。孫は今まで女の子ばかりだったが、今回は男の子が授かった。楽しみである。母子ともに無事で生まれて欲しいと願っている。







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湿






8/23

「”あべまきの会“の勉強会で」 
 森の案内人仲間、二十数名が中型バスを仕立てて豊橋市岩崎町の葦毛湿原を訪ねた。
近くの石巻山周辺の山域とともに県立公園に指定されている。別名「東海のミニ尾瀬」とも言われている所で標高60〜75mの小高い山の緩やかな斜面にあり、広さは約5ha、湿性植物250種位がある。植物が堆積して水を蓄える尾瀬とは異なり、チャートの基盤岩上にあり、渇水の季節には水枯れのようになるらしい。
 豊田の矢並湿地とは広さが違い見応えがあった。




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TV








8/18

「地元のケーブルテレビ”ひまわりネットワーク“が」 

 クルー4名が一時間ほど取材に訪れ、畑で野菜を収穫をしている様子やインタビューをしていった(写真:左下)。この時期は、春夏野菜も終盤となり撮影場所を選ぶのに苦労した。その後、いつもお世話になっているナチュラルAも取材を受けた(写真:右下)。編集され、この様子は8月31日から1週間、「とよたNOW」で放送されると云う。登場するのは、ほんの一瞬だそうだ。














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8/13

/15

「父を看に帰る…忙しい毎日」

 いつも世話になっているヘルパーさんが盆休みと云うので、その間我々兄弟が交代で父を看る。盆の間は日常の介護の他に墓の掃除(写真:左下)、先祖に関する行事、親戚や父の友人の新盆見舞いに行ったり家の周りの草刈をしたりと大忙しで休む間もない。15日の昼過ぎで弟に引き継いだ。














 帰り際に妻の実家に寄り墓参りをし(写真:右上)、その後、畑に回って野菜に水やりをして帰った。3日間の留守で瀕死の状態、帰着は午後10時に近かった。

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8/10
「それでも畑が待っている」 

 7月24日以来、雨らしい雨が降っていない。畑はカラカラ状態で作物は悲鳴を上げている。大規模な農家は灌水設備があり問題ないが、家庭菜園程度の畑で野菜を作っている者は大きな投資が出来ず天に任せるしかないのが現状だ。水をやろうと色々試みるが焼け石に水だ。ここにきて野菜が精彩を欠いているのは、苗を植えた当初、雨が続き根が伸びていないことも原因のようだ。














 ↑ そんなことをグチリながら皆で飲むお茶が美味しい(ナチュラルAの休憩所 写真:左上)。
  水不足の中、育ってくれた貴重な作物を名古屋に出荷している(写真:右上)。
 
 
   2015年7月の出来事
  「日本国民は、恒久の平和を祈念し」で始まり「全力をあげてこの崇高な理想と目的を
達成することを誓ふ」と云うのが憲法の前文だ。武力に頼らず、国際社会の問題を解決
するよう不断の努力を求めているのが、この前文と九条なのだ。現在の安保法制案の
議論では、憲法が時代遅れになったと云う認識が前提にあるようだが…果たして。   
(記 7/3/2015)
 
   
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7/29
/30
「やすらぎの家の退去が叶う」
  入院以来、父の望みは一日も早く家に帰り、一人暮らしが出来るようになることであった。その願いがやっと叶った。診療所の医師の許可が出たのだ。この2か月間は本当に痛く辛い日々が続いたようだ。
 その一人暮らしを再度始めるに当たり、村でバックアップして下さる方の代表者が一堂に会し、介護支援のやり方、用具に至るまで確認がなされた。以前と違い、支援して頂かなくてはならないことが大幅に増えた。3度の食事から後片付け、掃除や洗濯、ゴミ出し、排泄物の処理など日常的に発生することの全てにわたる。やって見て、本人の希望に出来るだけ沿うように改善してくれると云う。日頃離れて暮らす子供らにとっては、頼りになりこの上なく有難いことだ。
 その後、父を連れ生活用品を車2台に詰め込んで戻った。翌日は早朝から墓周辺の草刈をし、診療所の先生への挨拶、役場職員による部屋の確認などを済ませた後、父の食事を翌朝分まで作って夕方帰路についた。

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7/15
/16
「3組の夫婦が元気に集まる」 

 「丑飼いの会」を開いてくれると云うので、田舎へ行って来た。本来なら私の方面で開催する予定だったが、友の一人の体調が悪いと聞き今回の計画となった。
 心配しながら出掛けたが思いのほか元気で、酒も一緒に飲むことが出来本当に嬉しかった。この調子を維持できれば、また一緒に旅をすることも可能だろう。














  15日は梅雨時にあって久し振りの晴天に恵まれ、山でラム肉を主体のBBQ(写真:左上)、その後、定宿の「左京の宿」に場を移して料理と酒でまたいっぱい。何の目的がある訳でもなく、昔話に花が咲く。時がゆっくり流れる…。本当に心身が休まるひと時であった。
 16日は台風11号の影響で雨が強くなってきたので朝食をとって解散した。また元気で会おう!

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7/8
「効率は悪いが面白い!」 
 こちらは、借りて2年目になる下山の畑だ。我々が手を入れる前は、しばらく耕作せずに放置されていた所だ。昨年は、野菜を作りながら地力を確かめる一年だった。ほとんどの場所の土に力がなく、標準的な施肥では物が出来なかった。冬のうちに籾殻炭や堆肥を沢山入れ、有機肥料を施してやっと野菜らしい物が出来るようになってきた。

 今は、種類を多くし少しずつ作ることに情熱を燃やしている。管理が面倒で販売量もごく僅かであるが結構楽しんでやっている。ナチュラルのオーナーに頼まれて新品種の地域適合性を確認するために作ったりもする。


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7/7
「梅雨らしくなり…そして南の海上には台風が3つ並ぶ」

 最近雨の日が多く、計画通りに農作業が進まない。梅雨時は、週3日雨が降ると云うことで天気予報を見ながら計画を立てるのだが…。

 左の写真は今日の御船の畑だ。雨が続くと中に入れない。粘土質の赤土で、靴底に何層にもくっついて自分の身長が伸びたかと勘違いするくらいだ。
 そこで、今回は畑の周辺の草を刈ることにした、。が、12時には雨が強くなリ予定の半分を残して終わらせざるを得なかった。
昨日も下山の田圃に行ったが、同じような状況だった。
 草刈は、中山間地の農業と環境を守る大切な作業だ。正直言うと、年に数回やらねばならず辛い作業だが、また早いうちに計画して少しずつ進めようと思う。

   

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