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わが家の出来事
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   2019年12月の出来事
   このところの2~3日を除いて順調に寒い冬に向かっている。畑には霜が降り、秋野菜は葉や茎を黒くし、揃ってうな垂れてしまった。単に収穫の遅れが原因だが、どうにもならない。
 11/29の朝刊(中日新聞)1面に、我らが故郷 「長野・泰阜村」 の話題が載っていた。「郵便局が役所窓口丸ごと代行」という見出しがついている。村の人口約千六百人、役場の南支所を廃止するに伴い、窓口業務のほぼ全てを郵便局に委託する取り組みが8月から行われているとのこと。一部の業務は多くの郵便局で扱っているが、包括的な委託は全国初。行政のスリム化や地域の活性化が期待でき、同じように人口減少問題を抱える全国の過疎自治体の、先進事例となりそうだと云う。自治体と連携した住民サービスを模索していた日本郵便と、思いが合致した。村は、南部唯一の金融機関の存続も図りたかったようだ。
 村も高齢化が今後益々進む。南支所の廃止は、苦しい中での決断だと思うが、住民サービスの低下にならないように、充分配慮願いたいものだ。 
   (記 12/1/2019)
 
   
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12/31

「少し良くなったから…1泊で」

 次男から訂正の電話があり、「31日に1泊で行く」という。妻は「賑やかになり嬉しいけれど、心配だから」 と言ったが、何でもと言うので了解した。
その日は、日の暮れる頃にやって来てマッサージの後、一緒に夕食の準備をしてくれた。全員いつもの元気がなく、宴も盛り上がりはなかった。

 今年一年を振り返ると、残念感が残る年だった。来年はもっといい年にしたいなぁ。





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12/29

「インフルエンザにかかってしまった!」

 次男から突然の電話。「行けなくなっちゃった。」 と。年末の12/30、31は、一緒に過ごす予定だったが理由は先述の通りだ。楽しみにしていた妻は、ガッカリしている様子で「仕方ないね。しっかり治してから来てね。」と電話を置いた。幼稚園児の孫が引き、それが嫁に移った様だ。楽しみが少し延びただけだと思うのだが。
 今回、ガラケーをスマホに変える為、これに詳しい次男のアドバイスを受けたいらしい。通常インフルエンザは、治るのに一週間位かかることと、この連休以外は次男が連休が取りずらい環境で絶好のチャンスだったとか。普通の病とは違うので、残念だが仕方あるまい。年末年始は初めて夫婦二人だけとなる。

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12/16


「妻がナチュラルAで受講」 
 
 例年実施ている「正月飾りの製作講習会」があり、妻が行って来た。
鉢だけ持参すれば松、竹、南天、葉ボタン、シクラメン、パンジー、プリムラ等いろいろ選べ、鉢砂も含めて配置のポイントもナチュラルAのオーナー浅井紀好さんが教えてくれた。特に竹の細工は要領が必要で、斜めに切ったところが笑い顔に見えるように既に作って支給された。「格安の受講料で、中々格好良いものが出来て嬉しかった。」と言っていた(写真:左)。








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A





12/8

「妻が協力した」
 毎年続けているイベントの「感謝祭」が開催の危機!!

 主催者側が用事で人手不足、サポーターも高齢化して参加できず等が重なり妻に協力の要請が出た。このイベントは年4回実施され、地元の方も楽しみにされているようだ。何せ、季節の野菜等が料理され、無料で昼食として振舞われる。冬はアンコロ餅、きな粉餅、ユズ餅に漬物、豚汁がメニューだ。一般の参加者にしてみれば、今時、こんな有難い話はそうは無い。
 
 今までは前日の準備だけお手伝いをしてきたが、今回は当日も頼まれた。事情は分かっているので協力した。人出が少なかったと言うが、結構忙しかった。無事終われてホッとした。

   
   2019年11月の出来事
   10/31の早朝、何気なくつけた宿のテレビに首里城の火災が映し出されて目を疑った。
丘陵の上に建つ城が、真っ赤な炎に包まれ崩れ落ちる光景はあまりに衝撃的だった。なすすべもなく見上げる県民の中には、涙を流す姿も多く見られた。喪失感は計り知れないだろう。
 残念なのは、燃えやすい木造でありながら、防御策が手薄だった事だ。国宝、重文財は木造が9割以上と云う。歴史的建造物の防火対策に、この教訓を生かさねばならない。
 沖縄県民の願いは無論、早期の再建だ。政府も財政措置を含め全力を尽くす方針を示した。今も米軍基地の集中に苦しむ沖縄のため、県外に住む我らも出来ることを積極的にしたいと思う。              (記 11/1/2019)
 
   
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11/29

「介護保険制度を利用し手摺の取付け」
  門及び駐車場から玄関に至る部分に手摺をつけて頂いた。ここは毎日使う所で、途中、4段の階段がある。慎重に足を運ぶのだが、チョットした事で転んでしまう。脚が上がらないのが原因だが、擦り傷程度で済んでいるうちに何とかしたいと思っていた。今回介護保険が適用されることになり、何を置いても1番にお願いした。本当に有り難い事だ(費用:約22万円)。
提出書類が多く面倒だが、大抵のことは施工会社が代行してくれ、指示に従う事でOKだ。
 取付後確認してみたが、充分頼りできる物で歩行が楽に出来た。今迄、転倒が怖くて何も持って歩けなかったが、片手で手摺を掴み、一方で荷物が運べるようになったのが嬉しい。

              (施工:㈱トーカイ 職人さん1人、1日で完了した)

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11/13

「父母らの眠る保壽寺に行ってきた」 

 多治見の弟の誘いで、永代供養をお願いしている保壽寺を訪ね、お参りをしてくることにした。もっと早くに行くつもりだったが、私が昨年秋以来体調を崩し、車で長距離を移動することが難しくなった為躊躇していた。最近リハビリに行くようになったことと、次男一家も同行してくれるとのことで、安心感もあった。
 寺は14:00からだったので、その前に泰阜村金野の親戚や隣を訪ねた。皆さん、年相応に痛むところもあるが、頑張って暮らしているとのこと、安心した。特筆すべきは小林清美さんで、以前伺った時に比べ回復が著しく、近くを歩き回れるようになっていて驚いた(写真;左下 中央の男性)。私より余程歩くことがしっかりしていた。訪問リハビリを今も続けているそうで、私も頑張ってみようと思った。   (写真:右下中央 丸本清さん)
 生家も通りすがりに見たが、以前と変わりない様で安堵した(少しの間、借り手がついたらしい)。ただ、周りを取り巻く農地は荒れていた。この状態が続くと竹林になりそうだ(写真:中左)。
 















 次男一家は、我々が金野を回っている間に、妻の実家に向かい墓参りをした(写真:中 右)。 

 その後、天竜峡に戻って昼食をとり、龍江の保壽寺に向かった。晩秋の青空に紅葉が映え、何とも美しかった。長年、寺に通っているが、こんなに奇麗だと感じた事は無かった(写真:下3枚 保壽寺)。都度、要件を手早く済ませるのみで、周りを見る余裕が無かったのかも?
















 この寺は、泰山式が済んだばかりで世代交代をし若い和尚に変わっているが、今は高校に勤め留守とのこと、旧和尚が応対してくれた。檀家が減り、大変な時代になったと話があった。
お経をあげ,焼香をして終了となった。

 帰りは鼎を回り、買い物をして国道153号線をゆっくり帰ったが、すぐに暗くなり周りの景色は楽しめなかった。

 これで胸につかえていたものが1つ下りた気がする。元気になってまた行こうと思う。
1日同行してくれた皆のお陰で実現出来たことに感謝。有難う。


   
  2019年10月の出来事 
   9月26日、 伊勢湾台風の上陸から60年が経つ。東海地方などで、5千人以上が犠牲になった。
 私はその体験者(小学5年)の一人だ。生まれ育ったのは、長野県の泰阜村で、大きな災害にはあまり縁のない所だった。その父が、昼間に何時になく入念に戸締りをし、更に太い竹竿を何段にも渡して、柱と結んだ。暫くして強い風が吹き始め、暴風に変わり、烈風へと・・・。ゴゥォーと云う何とも表現出来ない音で、家にブチ当たりを繰り返す。家はその度にギシギシ、キイキイと大きな音で鳴く。初めのうちは、家族で家の中から戸の押さえ等をしていたが、危険を感じた父の命令で屋外のムロ(土に掘った横穴で普段は野菜の保存に使っていた)に避難し、台風の通過を待った。通過直後、奇麗な青空が見えたのが印象に残っている。家屋の被害は、平屋の母屋が南から北に傾いたが倒壊は免れた。瓦も多く破損した。この修復が後まで尾を引いて、雨の度に苦労した。近所も同じような程度で、倒壊や屋根が飛んだという情報は稀だったように記憶する。
 この時の名古屋を中心とした惨状は、後に知ることになる。あれから60年が経ち、災害に対する技術面の進歩はあるが、未経験の自然の猛威には打つ手無しだ。最近、世界規模で気象の異常が続くようになった。これらの恐怖から逃れるために、取り敢えず、自分達の住む町で安全な場所に退避するしか方法がない。   
(記 10/1/2019)
 
 
 
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「ミ
ニ」







10/30
/31


「一組の夫婦が体調不良で来られず残念!」 
 予定より2ヵ月遅れで「丑飼いの会(ミニ)」をやった。一組の夫婦が欠けると流石に寂しかった。でも、前日の雨が嘘のような青空となり、陽気もよくこの季節としては最高だった。愛知県緑化センターのBBQ場を借り、ラム肉と五平餅はリクエストし飯田から買って来て貰った。野菜やベニハルカ(さつまいも)も焼いて、ビールと共に美味しく頂いた。(写真:左)平日で淋しいかと思ったが、近所の保育園児であろうか?先生に連れられ、賑やかに遊んでいった。それを見ているだけで癒された気分になった。
 その後、豊田スタジアム、松平東照宮を案内し、「民宿やまびこ」へ向かった。到着は陽が落ちる寸前だった。料理は昼食とは違い、山の幸をフンダンに使った物で、鉢数も多く、松茸ご飯も出て満足のいくものだった(写真:左下)。













 翌朝は、霧に包まれた幻想的な風景になり暫く続いた。朝食は、美味しい米とアマゴの塩焼き等が出て、腹いっぱい食べられた。満足、満足。
帰りは、我が家の圃場を見てもらい、その後、足助まで道案内をして別れた。昼には帰れるので、午後から仕事をするそうだ。友は働き者だ。
 忙しいところ、私の都合で遠くまで来て頂き有難う。また来年、暖かくなった頃、計画しようと話をした。私はそれを励みに、リハビリに精を出そうと思う。

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10/22

 「身体が硬い」
 数ある中からAQUA高上店に世話になることを決めた。理由は、①最近開所したばかり(2019/9)で、まだ会員数が少なく、希望する日に通い易い。②自宅から車で10分の所にあり、送迎をしてくれる。③1プログラム3時間の半日型デイサービスで、週2度通える。
  「サービスを受けてみて」

 運動プログラムは、レッドコード(写真:左)と云う天井から吊るした器具を主としたものでこれにストレッチ等を加え、利用者毎に立てられる。このコードを手に巻き、体重の一部を預け、日常ではない姿勢をするのだ。これにより、体幹機能の強化、身体バランス能力の向上、関節可動域の拡張などが期待できるそうだ。自分の体が相当硬くなっているのには驚いた。
他にエアロバイク、立上り練習、またぎ動作など生活に直結したものもある。
一つ一つ確認すると、スムーズにやれないものがいくつもある。困ったものだが、今、訓練すれば少なくとも現状維持は可能で、上手くすれば前のレベルに戻せるかも?と言う。 少し継続して頑張ってみるしかないか? 


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10/9




19


10/12

「要支援2を頂く」

 「傍の目を気にするより、自分を優先させて考えたほうが良い。改善の余地がまだ残っていると思う。」 とトヨタ記念病院の医師から介護保険を使うよう提案を頂き 、その足で地域包括支援センター「益富の楽園」に寄って手続きをお願いした。あれから1ヶ月、皆さんの協力により”要支援2″のランクに決まった。「通所型運動リハビリステーションAQUA」に週2回、半日コースへ通うことを決めた。書類が多く面倒だと思ったが、介護用品の購入には相応の金額特典がある様だ。勉強不足で未だ分からないところが多いが、有効に活用して早く改善できればと思っている。


「甚大な被害を各地にもたらす」

 過去最大級の勢力を維持し関東地方に上陸した台風19号は、12日から13日にかけて、広い範囲に亘って記録的な暴風や豪雨による甚大な被害をもたらした。被害の全容はまだ明らかになっていないが報道等によると、17日までに12都県で亡くなった人は78人、行方不明16人を数えている。今回の被災は、日本の国土が自然災害に脆弱であることを改めて認識させた。今日の気象予報技術は昭和の時代とは違う。19号台風は上陸の数日前から、その進路や風雨の強さがほぼ正確に把握されていた。そして、避難勧告も適切に行われていた。にもかかわらず、78人に及ぶ死者が出たことは大変遺憾である。市街地の多くは危険な沖積平野、かつては水田が広がっていた湿地帯に築かれていることを忘れてはならない。今回のような災害に際しては、まず、身を守る行動が大切だ。自律的な避難行動ができるようにしたいものだ。

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10/9

 「瀬戸まで妻が行ってきた」

 朝5時起床、6時半出発」 この時間に動くことは滅多に無くなったが、今朝は孫の為に頑張った。通常は片道1時間の距離だが、通勤時間帯とガチ合うので少し早めに出掛けた。
始まりの9時までには余裕で間に合った。孫は年小の組で、背丈は大きいほうから2番目。色々やって見せたが、三輪車に乗る場面では、チョッと手こずったようだ。.皆と一緒にいる時はシッカリしているが、昼に家族の元に戻るといつものデレデレの甘えん坊になる。
来年は、もう少し自立した孫がみたいなぁ~。


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10/1
/2


「次男一家が畑仕事の手伝いに」 

10/1
 
 この日は、嫁が勤めを終えるのを待って、家族で来てくれた。マッサージ、夕飯作り、片付けの手伝いと忙しく働く嫁。よく頑張ってくれる。


10/2

 今回は、下山の畑でハクサイの定植をお願いした。30日ほど遅れてしまったが、年末までに出来ると嬉しい。他に空いた場所の耕耘もやってくれた(写真:右上)。孫も丸太を運んで一所懸命に手伝っているつもりかな?(写真:左上)
夕方、暗くなってから我が家に帰ってきた。その後、夕食を妻と作り、マッサージをやってくれ元気に帰っていった。何事にも積極的に挑戦し、覚えていこうという姿勢を頼もしく思う。今回も有難う。

   
   2019年9月の出来事
   JPCC(国連の気候変動に関する政府間バトル)の新たな特別報告書は、温暖化で農地が荒れて、遠からず、穀物の価格が高騰する(2050年には最大23%)恐れがあると、警告を発している。
 「日本の農業の現状」  成長戦略一辺倒の現政権は「競争力強化」の旗を大きく掲げ、高級産品の輸出拡大を念頭に、大規模集約化へと突き進んでいる。
 「今後」  日本の農政も、JPPCの警鐘と日本農業の現状を直視して、自給率向上にもっと力を注ぐべきだ。世界の食糧生産の8割は「小農」が担っていると言われる。これを再評価するとともに、我が国の農業の持続可能性を保つため、基礎体力の回復、すなわち小規模農家の振興も欠かせないと思う。
       (記 9/1/2019)
 
   
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9/24
25


「畑仕事の手伝いに来てくれた」 

 私の体調が一向に戻らないのを聞き付け、また,来てくれた。
今年の畑の作物は、過去最悪の出来で鳥獣害による影響が大きかった。この復旧や対策に手を取られ、時期が遅れて秋物野菜の場所の準備や苗の定植が全く出来なかった(時を同じくして、私も手脚が利かなくなり、妻が代わりに一人で一切をやらねばならなくなった)。
妻は懸命にやってはくれるが、どうしようもない状況だ。この現況を話した。

 9/24

 この日、一家は夕方の到着だった。いつもの様に息子の嫁がマッサージを1時間ほどしてくれ、その後夕食。
妻がもうすぐ70歳になるので、ケーキで祝ってくれた、何気なくサラッとやってくれる気遣いが有難く嬉しい(写真:左)。





 .9/25

 秋めいて来たとは云うもの昼間はまだ暑い。
朝から御船の畑に出掛け、草刈り、耕耘、ホウレンソウの種蒔きをしてもらった。
孫がバアちゃんの手伝いが出来るようになり、今迄より手が掛からなくなって、楽になった様な気がする(写真:左)。
夜、夕食を済ませ「また来ます」と言って帰って行った。助かった、有難う。

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9/16

「トマトの支柱の片付けをお願いする」 

 チョット約束の時間には遅れたが、事前に連絡があった彼、F君と一緒に来てくれた。どうやら寝坊をしたらしい。家には寄らずに、直ぐ下山に出掛けて行った。道すがら、段々と淋しくなる周りに、何処へ行くのか心配になったそうだが、所要時間35分で現地に到着。
畑では、トマトの支柱の片付けをお願いした。実の収穫が終わり、地味な仕事だが次に繋ぐ大切な作業だ。二人とも体格が良く、楽々と支柱や古株を抜き、作業が進んだ(天気が良く、本当は暑くて大変たったと思う)。昼食に五平餅を食べ、これが美味しかったそうだ。午後、早めに区切りをつけ、作業を終えて午後4時半ころ家に戻ってきた。夫婦でやれば1日がかりの作業である。片付け時期も遅れており、本当に助かった。有難う。














        ↑ 草ボーボーの畑で                ↑ 近くの三河湖をバックに       
 初体験の仕事で疲れたが、良い経験になったと言い、又、来たいと言ってくれた。
シャワーを浴び夕食を取った。妻があり合わせの野菜を煮たり、焼いたり、炒めたりと料理を作った。幸いF君は、ナス好きで喜んで食べてくれた。チョコッと1パイもやり、午後8時半ころ帰って行った。帰り際に孫から「敬老の日」のプレゼントがあった。思いがけない事に感激した。優しい孫だ。幸せになって欲しいと願うばかりだ。

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9/4

「主治医 古井先生の紹介状を持って」

 8/31の夜、古井先生が自ら電話を下さり、9/4(水)10:30に予約をしたので行くようにとの事、早速受診してきた。忙しいのに、いつも親切にして下さる先生だ.。
 担当は、7年前に世話になった脳神経内科の西田先生を指名してくれた。最近の話を聞いてくれた後、MRIの撮影があり、その後、新旧の写真を見比べ、丁寧な説明を受けた。年齢相応の所もあるが、心配したような新しい欠損は見受けられないと言う事であった。
 所見は、自分で日頃感じている事と大きいく違うので戸惑ったが、昨年、12月半ばより足の捻挫で3ヶ月ほど歩けなかった事を考えれば、何となく納得できた。特に脚周りの筋肉が落ちてしまったのが原因で、頻繁に転ぶようになったと言うのだ。トヨタ記念病院にはリハビリの施設は無いが、ゆっくりだが元に戻せると言う。その他、介護申請を出してみたらどうか?との提案があった。運動機能を回復する目的の施設もある筈で、早めに出して恩恵に預かり、元気で長く居る方が良いのではないか、というのが先生の考え方のようだ。
 帰りに地域を担当する包括支援センターに寄って相談したところ、ケアマネージャーが11日に我が家を訪ねてくれることになった。

 先日のブログを見て、友や子供、孫までが心配し電話をくれた。有難いことだ。
友は「丑飼いの会」は、いつものコースでやろうと言ってくれ、子供や孫は農作業の手伝いに来てくれると言う。素直に、心遣いが嬉しい。

 
   
   2019年8月の出来事 
   7月もアッという間に過ぎ、盆月が来た。「丑飼いの会」の計画を立て、連絡をしなければと思っていた矢先、優しい友から電話があり、「豊田の方は35℃を超える毎日だそうで、暑くてたまらんで平均気温が30度を下回る頃計画してや。何なら何時もの天龍村コースでもいいよ。」と云う本当に有難い内容だった。
 5月の時は、段々暖かくなればもっと良くなれると、自分の身体に期待していたが、それに反して益々悪くなる一方だ。今は畑に付いて行くことすら難しくなってしまった。これが最後になるかも知れないので、私が定年以降どんな所で何をしているのかを見てもらいたくて、無理をしてでも来てもらおうと思ったのだが、この状況ではどうしようもないかな? 妻も懸命に協力してくれるが(妻が主力)、この無謀な計画に最近では呆れ顔だ。
                          (記 8/8/2019)
 
 
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8/22

 
「トヨタ記念病院の救急科に搬送・処置を受けた」

 御船の畑に定植したナスとキュウリが収穫できると云う妻からの情報で、、私も車で連れて行ってもらった。今思えば、そこで止めれば良かったものを、一寸でも早く作業を済まそうと収穫の手伝いに畑に入った。
 この日も暑い日で、ジリジリと太陽が照り付けていた。ナスを10個ほと取った所で身体がフラツキ倒れた。妻が必死に抱え畑の端まで連れて行ってくれ、車がある3m上までよじ登ろうとしたが、腕や脚が全く動かず、色々試みるも断念。近くで働いている人も見当たらないため、助けを求める事も出来ず、止む無く119番通報をし救急車を要請した。
 救急隊(救急車と消防工作車のセット)は近くまでは直ぐ来たが、現場を探すまでに少し時間が掛かったようだ。担架に乗せられ、軽四(自分の車)で救急車まで運ばれ、病院に搬送された。この間、氏名、生年月日、住所、病歴、作業状況などが聞かれた。病院までの経路は、仰向けに寝かされていたので見えなかった。車内では身体へのミストの噴射と送風機による冷却が常時行われた。暫くして(20分くらかな?)トヨタ記念病院の救急科に引き継がれた。
 そこには医師や関係者がズラーリ待っていて、再確認だと思うが、救急隊と同じような質問があった。その後、全裸にされ尿、血液、タンの採取と胸部撮影、コンピューター断層診断、CT撮影が手際よく行われた。検査結果が1時間ほどで出るというので待ち、その間、生理食塩水が注入された。血圧は最初、上が200弱、下が140強で、帰る頃には140強と90弱で体温も平常に戻りつつあった。検査結果の詳しい説明はなかったので、救急科としては大きな問題は見つからず、熱中症の判断ではなかったかと思う。次から次に救急車が入り、担当医に会うことも出来ないまま、その辺にいたスタッフに挨拶しただけで救急科を後にした。その後、会計を済ませ家路についた。

 今回の直接的原因、身体がフラツキ頻繁に転ぶという原因究明をお願いしなければと思う。担当課の選択は、主治医の古井先生の指示に従いたい。

 この一件で、今回の「丑飼いの会」の豊田開催は更に難しくなった。友に訳を話して、延期してもらおうと考えている。

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8/12

/14


「畑仕事の遅れを心配して」

 「手伝いに行くよ。」と声を掛けてくれた。折角の連休なのに申し訳ないと思いながらも、已むに已まれずお願いした。
 夫婦でゆっくりやれば出来る量(作付け)を計画し進めたが、途中で私の脚が立たなくなり、妻一人に負担を強いることになってしまった。計画変更するも、時すでに遅く、早いものは既に収穫期に入っていた。その時見放すと云う選択肢もあったが、自分達が好きで始めた事だけに、其れはしなかった。
 また最近特に、獣(イノシシ・シカ・サル)が耕作地に入り込み作物を荒らされ、やる気を削ぐ。あんな事、こんな事が重なってベタ遅れだ。

 8/12
 3日連続で農作業の手伝いは辛かろうと、妻の提案で岡崎市の駒立ぶどう園に出掛けた。連休に入っていたので混雑していた。料金は1700円/人で1日食べ放題(土産なし)巨峰もありを選んだ。
 孫は、園内の遊具に夢中でブドウには関心を示さなっかったそうだ。もう少し早く出掛ければ良かったと反省。
 
 8/13
 連日暑さが続く中、刈払機を使い農道の草刈りをしてくれた。昼ご飯を遅くし、キリの良い所まで刈り、熱中症が心配だったので作業は終了とした。
なんせ二人はそれぞれ涼しい場所で仕事をしており、抵抗力はないと思うから。捕獲したクワガタも、夕方までに昇天してしまった暑さっだった。
 今回は暑い盛りの手伝いで、本当にありがとう。助けになったヨ。また宜しく頼みたい。
私は今回、何も手を出すことが出来なく、申し訳なく思っている。今月末から来月には、主治医から基幹病院へ紹介状を頂く事になっている。精密検査を希望するからだ。結果はどうなるか分からないが、今のままでは納得できず、この先困るからだ。
 今回も嫁が、全身マッサージを2晩続けてしてくれた。本当に良く効き有難い。近くの治療院よりも、私の体質にあってか?良いと思う。

 8/14
 朝もゆっくり起き、昼間もゆっくり出来ると思いきや、そうは問屋が卸さなかった。孫が狭い家の中を走り回り、暑さが増幅されるような気がした。それでも元気があったほうが良いと…保育園に行って4ヶ月、チャンと教育してくれている所も垣間見られ、安心した。今回は何時もより早い午後3時ころ帰って行った。

   
  2019年7月の出来事 
   この齢になると1年経つのが早い。もう今年の半分は、過去のものとして済んでしまったが、半分は残っている。残りの半分で何とか体調を元に戻したい。
今年の梅雨は、チョッと手強い。中盤になって豪雨をもたらし、雨間を作らないので農作業がなかなか進まない。妻が一人で悩んでいるが、今の私は手助けしようが無い。

 6/30 米朝首脳(米トランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長)会談が板門店で開かれた。今回の一歩が政治的パフォーマンスに終わらず、非核化に向けた実質的な交渉に繋げて欲しい。
7/4 参院選挙きょう公示、21日投開票。改憲が攻防か? 参院選は百二十四議席を争う。地方候補者ひとり一人の主張を聞きたいと思うが…?。     
(記 7/4/2019)
 
   
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7/31

「洗濯機・冷蔵庫の買い替え」 

 白物家電の代表、洗濯機と冷蔵庫の調子が最近になって悪くなり、買い替えが必要になった。洗濯機は、ドラムの回転がスムーズでなく異音がし出した。冷蔵庫は、氷が出来なくなり、何処からか、水漏れがする。15年間、毎日働いて貰った。もうこの辺で暇を出そうと思った。長い間ありがとう…と。
 洗濯機は、横型ドラム式を従来の縦型ドラムに戻し、容量は前機と同じ10kgタイプとした。冷蔵庫は、500L×6ドアータイプとした。最新の物は、新技術が織り込まれ省スペースにもなっている。価格は従来と変わっていないような気がする。つまり、お買い得になっている。メーカーは、いずれもパナソニックを選んだ。今迄、色々なメーカーを使って来たが ここに落ち着いた。2つで50万円弱となり、年金頼りの我が家では大変辛いものがある。だが、毎日使わねばならない物だけに無視できない。また他にも購入時期が同じ物がある。エアコン4台に、テレビだ。一度に壊れる事が無いように願っている。

7/28 やっと東海地方にも梅雨明け宣言が出た。昨年より19日遅れだ。我が畑は、水か切れずに根が腐って養分が吸えず、野菜が伸びれないまま止まっている。復活できるだろうか?

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7/13

「ナチュラルA 周年祭の準備に妻が行く」 
 いつもお世話になっているナチュラルAが、周年祭を今年も明14日(日)に開く。食事が無料で振舞われ、かき氷も付くため好評で皆さんが楽しみにしている。その準備に妻が出掛けた。明日の天気がチョット気になるところだが? 今まで雨に降られて困ったと云った事がないそうだ。

 ← 産直広場でブルーシートを張るオーナーとその息子




「7/9 下山の畑の様子」
 全般に苗の植え付けが遅れて、その後も天候不順、日照不足が続き成長が悪い。そんな中で、タマネギとジャガイモは近年にない出来だった。ナスは新しい品種で、農ライフで勉強した「1枝1果式」にチャレンジしているが結果はどうか?

 私の脚が立てない状態になり、妻が困惑しながらも頑張っている。今年だけでも百姓を乗り切れるか心配の毎日である。
「最近の出来事」も、妻に用事を頼むしかなく話題が極端に減った。こんな事では、いかんと思うのだが。




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