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わが家の出来事
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   2017年12月の出来事
   すっかり寒くなった。私が百姓で通っている下山地区は、気温が-3℃となることも度々で霜が降り辺り一面が真っ白だ。溜めた水には薄氷が張った。夏は涼しく天国であったが、これからは積雪情報が気になる。
 さて、国民の関心事の一つ、天皇の退位と即位だ。昨年8月に陛下がビデオメッセージを通じ、国民に向け退位のお気持ちを表明された。以降検討され、最終は皇室会議で陛下の退位は 2019年4月30日、皇太子さまは5月1日の即位、元号も改められる。諸儀式は国民の理解と共にありたいと思う。 
(記 12/1/2017)  ↑ 12月8日閣議決定し正式となった。
   
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12/31


「今年は大過なく過ごせたと言っていいだろう……すべてに感謝!!」

  次男一家が嫁の甥を連れて、年越しに我が家にやって来た。この地でゆっくり正月を迎えられるのは、初めてである。

(いつも2人暮らしの両親のことを案じての50年、毎、年末年始には帰郷していた。それも昨年の11月、父が亡くなって必ずしもこの時期に帰らねばならない理由がなくなった。)

 そんな訳で皆で買物をし、料理を手分けした。豪華さはないものの種類が多く美味しく、何より時間がゆったり流れ楽しかった。
甥の宮 夢(28歳)君は日本語が十分理解できなかったが、優しく面倒見の良い青年で、獅虎(孫のレオト)とよく遊んでくれた。

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12/25
「さすがセミプロ 上手に作る」 
 生芋を使って作るコンニャクが、今年は上手く出来ないと知人に教えを乞うことになった。講師は、野菜を一緒にナチュラルAに出している近所の方だ。その方の庭で作りながら教えて頂いた。経験豊かで何かと頼りになる。
妻の手順に違いはなかったが、苛性ソーダの量が少なく固まり難かったようだ。
出来上がったコンニャクを沢山頂き、家でサシミで食べたが、適度な軟らかさでとっても美味しかった。生芋で作るコンニャクは味が格別だ。
この秋、2度自宅で作ったが失敗して捨てた。次は自信をもって作れそうだと言うが?



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A







12/20

「今年もお世話になりました」 

 我々が出荷で世話になっている“ナチュラルA”が、今年最終の営業日となった。例年よりチョッと早めだが、年末のイベントが終わると客足が止まるのと今年は寒さが何時もより厳しいためと云う。近所の方が甘酒を差し入れ下さり、漬物もあって皆でご馳走になった。私は甘酒を飲むのは久し振りだったが、とっても美味しく、何よりも体が温まった。その後、寒風の中での作業が「トイレの用無し」には驚きだった。

 夕方にシクラメンなどの生花を温室のあるパイロットに車で上げ、今年の営業を終えた。店はこれから3月末まで長い冬眠に入る。

 そして、4年間一緒に畑をやってきた友も、隣の畑の夫婦も、健康上の理由で離れることになった。体を動かすことが健康維持の一つと考え百姓を選んだが、週3日、片道1時間の道のりを通うのは主婦の彼女にとっては厳しかったのかも知れない。でも、4年間本当によくやってくれた。楽しかった。ありがとう、今は感謝の言葉しかない。

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12/10

「天気が良く暖かでよかった!!」 
 この時期の天気は不安定で、例年、イベントの盛り上がりに欠けるが、予想に反して人出はマアマアであった。妻は前日から準備に駆り出され、私は当日午前8時からの組長会議の後から参加した。担当は、お汁粉と豚汁。慣れない手つきで恐るおそる具を投入、夫々大きなハソリ1パイ作った。味見をし「Good!」が出たので、来客に振舞った。口々に「美味しいよ!」と好評だったが、お汁粉の方は餅があった為甘いもの同士が競合し、半分ほどが残った。しかし、このレシピを作った方は「サスガ!」と感心した。大鍋に程よく作らせるのは大変難しいらしい。



  この日、来年度の自治会役員を選出する議題があった。私は,このところ体調が良くない為、選から外してもらう様申し入れた。もう一度は自治区の役に立ちたいと思っていたのだが、こんなに身体の自由が利かない様では仲間に迷惑を掛ける。残念だが諦める。自分の健康管理の悪さとは云え悔しい。
十数年後にまた機械が巡って来るが、もうその時は……。
 
 
   2017年11月の出来事
   秋の終わりが近づいている事を故郷に帰って感じた。熟し切った柿が沢山枝にぶら下がって寒風にさらされている。聞くところによると、生産農家の人が歳を取り収穫することが出来ないのと、出荷規格が厳しくなり対応出来ないと云うのだ。柿スダレが見られた昔を思うと淋しい限りだ。
 さて、71年前の11月3日、日本国憲法が公布された。それが先の衆院選で大勝した自民党に九条改憲論で揺さぶらている。平和主義がこの憲法の大価値観であることを忘れないで欲しい。                
(記 11/7/2017)
 
 
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11/23
/24
「年2回の開催…今年は叶った」

 お互いの都合をつけ、やっと定宿”左京の宿”で1パイ呑めた。今回は、午後4時集合の翌朝、朝食を済ませて解散という忙しいものだった。が、宿ではイノシシとマツタケが出て地元を感じ、友は相変わらず元気で何よりであった。ただ、ビールの量がかなり減ったのが若干の老いを感じる。来春、山菜が採れる頃、いつもの山に集まろうと誓った。














 時間に余裕があったので、実家の墓参りや清掃、従弟の病気見舞いも出来た。従弟(77歳)は実直で賢い人だが、この夏から下半身が動かなくなり自宅療養している。早く復活して欲しい。
自分たちが歳を重ねるだけでなく、周りも同じように老いていく。健康で寿命を迎えることの大切さをつくづく想う今日この頃である。
 
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11/11


「米袋70数袋の有機肥料を作る」
  当初の予定は、10月24日だったが台風の為2週間延期した。、今回の開催は、私も幹事だった。未明まで降っていた雨が止み、絶好の肥料作りの日となった。午前9時に集合し、少しの休憩と遅い昼食時間を除けば、殆ど肥料作りと袋詰めの作業に追われた。予定の変更で出席者が7名に減ったのか苦しくなった原因だ。女性軍まで肥料の作り手として加わってもらった、歳も歳だけに最後の方は口数が減ったが、最終の袋詰めが終わると「ヤッター」と安堵感を滲ませた。この後、一人当たり10袋の分配に喜んだ。これだけの量を一度に作ろうとすることは、この先にもないだろう。自分の肥料を受け取って、自宅に戻ると日が暮れた。記憶に残る一日であった。
 倉庫を作業場とし提供してくれた上に、肥料の材料まで調達するなど協力頂いた梅村さんに感謝したい。
写真上:僅かな休憩時間に談笑する仲間 今回は撮影する時間も惜しまれた

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11/4

/6

「最近では最も良い天気の日であった」

 11月5日に父の1周忌をやった。時の流れの速さを感じる一年だった。
11月4日 兄弟4人が全員集まり準備漏れがないかを点検をし、残り時間を草刈りに当てた。もう殆どの草は枯れ、硬く、思ったほど刈れなかった。














11月5日 保寿寺の若和尚様を迎え、お経を上げて頂き、お墓参りもした。その後、マイクロバスで飯田市千代の不動温泉佐和屋に移動し会食をした。出席者は20人、秋の終わりで忙しい時期、時間を割いて来てくれた。その折、献杯の発声をお願いした村議長が父の最後の頃の様子を話して下さり、淋しかったんだと申し訳ない思いがした。我々も精一杯父の要望に応えたつもりだったが…? 今は許してもらうしかない。
11月6日 使用した物を元に戻し、掃除、戸締りをして帰途に就いたのは午後3時だった。今回の一周忌は、多治見の弟が主体になってやってくれ有難かった。私も早く健康を取り戻さねばと思う。

   
   2017年10月の出来事
   朝晩の風の冷たさに秋の深まりを感じる今日この頃だ。 巷で「マツタケを採った、食べた」と言う声が聞かれ、私にもそろそろ友から声が掛かるかなと楽しみにしている。
 さて。先月末”大儀なき解散”と言われながら衆院が解散した。公示まで一週間に迫った3日、安倍政権と希望、立憲民主の3極を中心とする対立の構図が固まった。政権選択選挙の色合いを濃くした衆院選は、公約なども我々には分かり辛い。できるだけ多くの機会を得て、主張を聞き納得して議員を選びたいものだ。
      (記 10/3/2017)  
   
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10/25
/26


「雨の中での作業は体に堪える」

 雨になることは分かっていたが強行した。11月5日に法事を行う為、もう少し早く予定していたのだが、雨や台風が続き、残りの日で2日間空けられる日が無くなってしまったのだ。
 我々と多治見の弟が一生懸命にお墓の掃除、家廻りや周辺道路脇の草刈、敷地の草むしりなどをやった。初日は一日中雨降りで、伸びた草が倒れて刈り辛く、作業効率が悪かった。2日目は好天に恵まれ、前日に刈った草の片付けが少し進んだ。弟は、長男の嫁の父上が危篤状態になったとの連絡が入り、昼過ぎに帰って行った。残った妻と二人で続きを夕方までやった。十分とは言えないが格好は付いた。父もこれ位で許してくれるだろう。

↑ 坂道の端の草も刈った。道下の、よろんだ稲が芽を出しはしないかと気になった。
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10/21
「マツタケ釜飯を食す」
 三河湖畔の民宿”やまびこ”でマツタケ釜飯”を頂いた。おりしも大型の台風21号が接近中。以前より前線が太平洋と陸地を行ったり来たりで10日間ほど雨が続いていた。でも、そんなことはお構いなしで、美味しい物には目がないのだ。百姓仲間5人で出かけ、舌鼓を打った。今年は天候が悪く、マツタケの出が極少ないらしい。予約をしておいたので、何とか取り置きしてくれたとか。ラッキーだった。






 
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10/16

「飯田市鼎のJA虹のホールへ」 
 飯田市野池の叔母が亡くなり、鼎のJA虹のホール別館「おもかげ」で葬儀が行われた。つい2ヶ月前、跡継ぎの長男を亡くし、後を追うように逝ってしまった。亡き父の妹で、心優しく他人の気持ちをいつも気遣う人だったと記憶する。参列者は20余名と少なかったが、心のこもった葬儀だったと思う。この世で苦しかった分、あの世で良い思いをして欲しい。どうぞ、安らかにお眠り下さい。

 終了後、金野へ寄り、父の一周忌に備えやらなければならない事の確認を妻とした。
家の中は綺麗だが、カビ臭い。周囲の草は盆にも刈ったが、相当伸びている。庭の草も多いことが分かった。来週1泊2日で金野に行って準備をしようと弟と相談しているところだ。 

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10/11
「夏秋野菜の収穫が終わりに近づく」

 この夏も暑かった。春植えた野菜が育ち、夏から秋にかけ収穫時期を迎え、懸命にこの作業にあたった。収穫は農作業の中で一番楽しい時であるが、出荷までとなると時間との勝負で、体力と注意力が要求される。それが、年々低下していることを感じる。













       ↑ 御船の畑                      ↑ 下山の畑

(御船) 隣の畑が耕作放棄地となり、荒れ放題。毎晩イノシシが現れるようだ。イノシシが嫌う作物しか栽培できず苦慮している。
(下山) 多種少量作る。出荷に手間がかかり大変。来期はすこし変えねばと考え中。現在、秋冬野菜に徐々に切れ替えている。
   
   2017年9月の出来事
   朝晩の涼しさに秋を感じる今日この頃である。週3日通って畑をやっている下山の地は、標高500m この辺りでは高い所だ。先週まで群れをなし飛んでいた赤とんぼが、今週に入り見かけなくなった。もう少し暖かな下の方に活動の拠点を移したのだろうか? 
 最近世界がにわかに騒がしくなった。北朝鮮が米本土も狙う大陸間弾道ミサイルに搭載する「水素爆弾」と主張する核実験を強行し、アジア・太平洋の安全保障環境は重大な岐路を迎えた。北朝鮮はなぜ核開発に固執し続けるのか?
 今の最大の危機は、米朝両国の軍事的緊張がエスカレートするもとで、偶発的な事態や誤算などによって軍事衝突が引き起こされる現実の可能性が生まれ、強まっているということだ。万が一にもそうした事態が引き起こされれば、その被害は日本にも深刻な形で及ぶ。おびただしい犠牲をもたらす軍事衝突は絶対に回避しなければならない。
                       
(記 9/4/2017)
   
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9/26
/27


「手伝い名目で来てくれたが…」 

 26日泊まって、27日に朝から下山の畑に出掛けた。いざ畑に入ると、中は溝や地面の凸凹が至る所にあり、2歳になったばかりの孫では危険極まりない。大人が作業に集中出来ないので、友人の計らいで田圃に落ちた栗を拾わせて貰うことになり、妻が案内人を半日務めた。
 その後、「まどいの丘」で一緒に昼食を取り、更に次男家族は3時まで遊具で遊ばせてもらった。
 予定していた畑仕事は残ってしまったが、妻は嫁に夕食を作ってもらったことが嬉しかったようだ。畑仕事を手伝ってやろう!と云う気持ちは有難いが子供が小さな間はなかなか難しそうだ。 

 孫は相変わらず乱暴者で、家に入ると手当たり次第に物を投げ付ける。力も強くなり、危険を感じる時がある(本人は、悪い事だと承知している)。それを注意しない息子と嫁も問題だと叱ってやったが…。

 ↑ 「まどいの丘」の滑り台で遊ぶ孫

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9/20














9/21


9/20 待望のサツマイモ掘りをしたが…」 
 はたけネズミとカナブンの幼虫であろうか?食害が酷い。至る所をカジってある。余程旨かったのであろう。
栽培したのは、「ベニハルカ」と云う美味しい品種である。せっかく良いイモが出来たのに売り物にならないのはチョッと悔しい。無農薬で挑戦してみたが無理だったようだ。来年は考えよう!








「9/21 交通安全を願って
 秋の交通安全週間の初日、近くの交差点に朝7時から立った。10余年前も、この交差点に4年間立った記憶が蘇って来た。
その頃と道路状況は余り変っていないのに、通行量が格段に増えている。皆さん、なぜか急いでいるように見える。愛知県の交通死亡件数は、都道府県別でワースト1である。もう少し運転に余裕が持てたら良いかもと思う。
また、高齢者が事故に遭う件数も多いとも云う。道路を横断中に撥ねられる。若い人に比べ、左側から来る車の読みが甘いとか。充分気を付けよう。



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9/17
「台風18号を気にしながら」 

 直前まで雨がポツリポツリと落ちていたが、決行を決め、持ち寄った道具で担当場所の草刈りや溝上げをした。終了時には、お茶を配り労をねぎらった。

 さて、今回の美化活動から雨天順延になっても担当する掃除場所に集まり、面着だけでもするようにした。
その理由は、我らの団地も高齢化が進み、独居老人が出てきたが、なかなかコミュニケーションをとる機会がない。そこでこの機会を利用して、キッカケを作ろうと云うのである。
 良い考えだと思ったが、足腰が弱くなってきてしまい、集合場所まで来られない人がいることが分かった。さて、どうしたものか?

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9/7


「草刈りの手伝いに来てくれたが、あいにくの雨」 
 
 事前の連絡が悪く、次男家族が畑に来たのが昼近くになってしまった。それまで何とか持っていた曇り空から、予報より早く大粒の雨が落ち始めた為仕事を断念し昼食を買って家に戻った。
それから夜10時まで、食事をしたり遊んだりの時間をすごした。孫は相変わらず元気で、我が家に来ると特に興奮するらしい。今回は障子2本に大きな穴を空けた。もうそろそろ事の良し悪しは教えていかねばと思った。





   
   2017年8月の出来事
   迷走を続けていた強い台風5号は、いま鹿児島県の屋久島の南でほとんど停滞。台風の速度が遅いため、奄美地方では非常に激しい雨が降り続き、記録的な大雨になるおそれがあるとの情報。今後の気象情報から目が離せない。
 一方政治に目をやると、第三次安倍改造内閣が3日の認証式を経て発足した。信頼回復へ安定布陣を引き、「結果本位の仕事人内閣だ」と胸を張る。「信頼回復に向けて一歩一歩努力をを重ねていく」とも言った。本当にそうあって欲しいと思う。
                      
(記 8/4/2017)
   
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8/23

「長い間有難う」 
 次男の嫁の姉が、3か月の滞在期間を終え中国に戻ると云うので挨拶に来た。姉の子供も日本で働いており、盆休みに会えたそうだ。日本の印象はどうだったろうか? 気になる所だったが、外国語が全くダメな私は、聞いてみることが出来なかった。
 昼食、夕食を共に楽しんだ。夕食の一品に餃子を作ってくれたが、皮から手際よく作り、味も大変良かった。嫁も上手いが、更に上をいくと感心した。また、3か月の間に簡単な挨拶は、日本語で出来るようになっていた。帰り際に、中国にも遊びに来て下さいとも、…これは嫁が通訳した。



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8/13

/16


「今は誰も住まない実家で初盆を迎えた」 

 8/13 早朝に田舎へ帰り、お盆様の設置、買物、草刈りなどを手分けし準備を進めた。4人兄弟夫婦が全員集まり手際よくやれた。日頃会えることは少ないが、夫々の都合で実家を訪れ、時季に応じた作業をやっている事がこんな時に役立つ。夕方、迎え火を焚き盆提灯に火を灯した。

 8/14 昼近くに保寿寺の和尚さんが来てお経を上げてくれた。午後4時から親族が集まりお墓参りの後、会食をした。父の姉弟も少くなり、生きていてもう来れないと云う。次の世代が出てくれたが、あんなに元気だった叔父・叔母のことを思うと淋しくなる。
  今回は、私の長男、次男の嫁さんがエプロン持参で来てくれ、台所仕事を手際よく手伝ってくれた。兄弟の嫁さん達にも受けが良く、万一の時には頼りになりそうで心強く思った。





























  8/15 一夜明け雨の中、4人で草を刈った。午後、雨脚が強くなり、急傾斜地での作業は危険なため中止した。多治見が帰り、鼎が帰って行った。

 8/16 朝、7:30神奈川が帰って、その後お盆様を送り、仏壇にご先祖の位牌を戻した。全てを終え、帰り支度が整ったのが夕方だった。弟夫婦の協力があって、一先ず8月のイベントが終わった。次は、1周忌だ。

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8/7
「飯田市鼎のJA虹のホールで」 

 それは全く予期していなかった出来事だった。飯田市野池に住む伯母の一人息子が亡くなったとの知らせと、葬儀の連絡が田舎の親戚からあった。私とは従弟となる間柄だが、日頃の付き合いはなく、葬儀の時に見かける程度だった。が、家を継いでおり、ただの従弟と違うので自分が行くしかないと決めて、その旨を多治見の弟に連絡した。もうこの時、祭りの疲れで体はクタクタだった(8/5)。
 私が元気がないのに気付き、代行を買って出てくれた。台風が来るのも承知の上で受けてくれ、大変有り難くお願いした(8/6)。
 葬儀は十余名で行われ、田舎としては質素なものだったと云う。認知症で入院中の叔母には知らせずに葬儀は済ませたようだ。少人数ではあったが、心がこもったお別れが出来、それはそれで良かったのではないかと思う。ただ、若くして逝ったのは心残りが多かろう(8/7)。

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8/5
「第30回 五ヶ丘連合夏祭りに参加」

 今回は組長として祭りに参加した。当日の午前8時15分からのテント設営に始まり、模擬店の出店(我々の組は、生ビールやジュース類の飲料販売)、交通監視員を担当し、終了後の片付けまでをした。午後10時を過ぎ、完全にバテた。10年以上前になろうか?組長より大変な自治区役員を3年間務めた時、平気で出来たことが今は体力が続かず出来ないのだ。どうしよもない体の衰えを感じた日であった.。













 天候も良く、祭りの参加者は多かった。何事もなく無事終えたことは、関係者の努力の賜物と思う。翌朝も8時からテントや机・椅子の運搬をし、所定の場所に収納して祭りの全てを終えた。
   
   2017年7月の出来事
   注目の東京都議選が終わり、二日夜開票され決着した。小池百合子知事が率いる「都民ファーストの会(地域政党)」が第一党となり、公明党などを合わせた支持勢力で過半数を制した。この結果は、国政を担う自民党の安倍一強体制への大きな打撃となり、首相の求心力低下は必至だ。
「古い議会を新しくしていこう!」をスローガンに戦った小池知事。特に多くの女性を都議会に導いたことに「都政をを大きく変える原動力になる」と胸を張る。選挙結果を受けて、都政改革、そして日本の改革に邁進して欲しいと願う。
                        (記 7/3/2017)
                        
   
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7/21


「野菜の出荷やネギの草取りを手伝ってくれた」

  小学校が夏休みに入った21日、畑を一緒にやっている真知子さんの孫が来て、野菜の出荷やネギの草取りを手伝ってくれた。午前中は、真知子さんと田んぼに入ってヒエを抜いたと云う。体が細く体力が無さそうに見えたので、すぐに嫌になるだろうと思っていたが、予想に反して午後5時までキッチリ手伝ってくれた。草が伸び放題だった場所がスッキリし、ネギが気持ち良さそうだった。
 小3にしては、説明したことの呑み込みが良く、色々なことに興味を持つことも良い。さすがに虫は嫌いなようだが極端ではない。このまま育てば、お婆ちゃんに似て自然が大好きな人になるだろう。末が楽しみな子供だ。

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7/19

「気象庁が、東海地方も梅雨が明けたとみられると発表」 

 「梅雨明け10日はよい天気が続く」と言われるような状況ではないが、これからが夏本番と思わせる。
今年の梅雨明けは、太平洋高気圧の勢力が弱く、南に下がって存在が不明瞭になったことによるものと説明されている。今後しばらくの間は曇の多い日が続くが、気温は30℃を超えるようだ。熱中症には充分注意したい。
因みに東海地方では平年より2日、昨年より9日早い梅雨明けだ。梅雨入りは平年より1日早かった。降水量は、一部で局地的豪雨に見舞われたが、平年より少なかった。
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(亡)








7/12
「飯田市龍江の保寿寺へ」

 年に一度のお盆会を迎えるに当たり、「報恩謝徳の新亡施餓鬼供養をなされるように」との案内を頂いたの保寿寺に出向いた。次男家族と四男が同席した。午前10時、9名の坊さんにより読経で始まった供養は、1時間半ほどで終了した。その後、昼食を頂き順次解散となった。

 折角の機会なので12日、13日の両日、草刈をしようと準備を整え実家に向かったが、午後から降り出した雷雨に阻まれ、夕暮れの2時間しか出来なかった、
 翌日の天気予報を確認するも、朝まで強い雨とのことで計画は断念するしかなく、帰るしかなかった。こんな些細なことの変更に、困っていては九州豪雨の被災者に申し訳ない。新聞報道によると、死者29人、被災家屋690棟を数え、更に被害拡大の恐れありと伝えている。最近「想定外の・・・。」と云う言葉をよく耳にするが、もう過去の歴史は参考にならないほど環境が変わっているのではないかと思うが。

 その後、新盆の細部まで確認し夕飯を食べずに帰途に就いた。帰着22:00長い1日だった。


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