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わが家の出来事
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   2005年12月の出来事


日中でも寒さを覚え、窓際に射す暖かな陽が嬉しい季節になりました。
庭のモミジも真っ赤になって、とってもきれいです。 (12/03/2005記)

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12/31

「いろいろあったけど」

 写真左:
次男夫婦による餅つき

最近にない美味しいお餅ができました

 ←年越しの挨拶をするおじいちゃん






 おじちゃんとおばちゃんは、暮れも押し迫った30日、おじいちゃんとおばあちゃんが待つ泰阜村に帰りました。例年より休みの始まりが遅かったのと、地域行事の都合によるものです。翌、31日には多治見のおじちゃん夫婦と次男家族が加わって、10人での和やかな年越しとなりました。20人を越える人が集まり賑やかな年もあったのですが、甥や姪が職を持つようになり年々一同に会する機会が少なくなっているようです。残念だったのは、おばあちゃんが庭で転んで足を痛めて動けず、元気がなかったこと。
私はいつものように炬燵に入って一人でお留守番をしていました。
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12/25
「キリスト教徒じゃないけれど」

 おばちゃんが休みに入ったので、久し振りに次男と孫達が我が家に来ました。お嫁さんは職場の忘年会で来られませんでしたが「お正月にはおじちゃん、おばちゃんの故郷で一緒に過ごせる」と楽しみにしているそうです。子供の成長は早いもので、また、一回り大きくなったようです。おばちゃんから、チョット遅い誕生日プレゼント+クリスマスプレゼントが二人に渡されました。
 いつも一緒に来るダックスフンドの「コウタ」は、今回お留守番をしているとか。仲良しではありませんが、来ないと「どうしているのかな?」と気になります。
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12/23
「オゥ! さむぅ!!」

 当地、けっこう寒さはきついのですが積雪の少ない所です。でも、この冬に限っては、もう二度目の雪景色となりました。雪質は春先に降るような湿り気の多いもので半日位で融けました。暖冬だと報じられ喜んでいたのですが、予報修正され1月いっぱいは例年より寒く、春は早いとのこと。お正月のお留守番が辛いなぁ~。
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12/10

11
「プロジェクト・ワイルド エデュケーター講習」に参加

 おばちゃんは、「豊田市自然観察の森」で開かれた「プロジェクト・ワイルド エデュケーター講習」に2日間参加し、修了証を頂いてきました。難しいことはよく解りませんが、米国環境教育協議会が開発した環境教育プログラムだそうで、修了証があると他人に教える時に役に立つそうな。
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12/10
「学芸発表会」













 チビ孫の学芸発表会があったとのことで、その写真です。このところ多忙で会う機会を作れずにいますが、大分、大人びたように見えます。チョット太めになったかも?
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12/1

「年末の交通安全立哨活動」

 今日から「年末の交通安全県民運動」が一斉に始まり、おじちゃんは会社出勤前に近くの交差点で立哨活動をしました。
愛知県内の交通事故死者数は、6月以降、全国ワースト1位という不名誉な状態が続いているそうです。

 あちらこちらから雪の便りが聞かれる今日この頃ですが、当地もこの冬一番の寒い朝で、おじちゃんは体が冷えきったと言って戻ってきました。
近くの山の木々も、冬の備えを進めています。

2005年/11月の出来事

朝晩めっきり冷えるようになりました。近くの山々も少しずつ衣を秋用に替えています。
私も冬に備えてマントを厚くしなくっちゃ!
(11/05/2005記)

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11/27


「香嵐渓」休日では今日が紅葉狩りのラストチャンスだった!

 おじちゃんは、今朝、暗いうちに家を出て香嵐渓に向かい、紅葉の様子をカメラに収めてきました。時期的には微妙に遅く、既に枯れてしまったモミジが目立ったとか。でも、人出の方は凄く、午前八時には近くの駐車場は満車になっていたそうです。名古屋方面からの道路には県外ナンバーの車も多く見受けられ、カメさんの行列状態。他人ごとながら、いつ駐車場に入れることやらと心配しながら戻ってきました。













 ← 待月橋付近の様子 ↑
















 ↑ 飯盛山の散策道 →


            三州足助屋敷 ↓












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11/19

20
「伯父の七回忌」で泰阜へ












 伯父の、故、小林士朗さんの七回忌が金野生活改善センターで営まれ、おじちゃんとおばちゃんが出席しました。



 故人は、法事というご縁を通じ、普段は忙しくてなかなか会えない親戚の人を会わせ、互いの健康を確かめ喜び合う機会を用意してくれました。
感謝!感謝!!合掌。





 その後、天竜峡の「龍峡亭」に場を移して楽しいひと時を過ごしました。
(故人の次男、小林浩さんの第2の人生出発を祝って) ↓




 スナップ写真

  南信州
 秋の一コマ

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11/12
「郡上八幡」散策へ

 おばちゃんは、豊田スタジアム健康づくり教室主催の「郡上八幡散策ウオーク」に、近所の方々と参加しました。ここに流れる清流は底まで透き通り、鮎が銀鱗をひらめかすところが見えると言う。全国名水百選に選ばれている宗祇水の湧水で潤っている地。活気溢れる城下町を歩き、今昔の風情と文化を感じてきました。












  ↑慈恩護国禅寺のもみじ
  (じおんごこくぜんじ)
←郡上八幡城でご近所さんと
  ↓城から町を見下ろす














 「もみじまつり」の初日で、鉄砲隊による火縄銃の実演も見ることができました。
  スナップ写真   ここ
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11/6
「ランプシェードを作ろう」のお手伝いに

 おばちゃんは、愛知県緑化センターの野外教室で行われた「自然の素材を使ったランプシェード作り教室」に、水野先生のお手伝いで行ってきました。
 ツルや枝の自然な形を活かして骨組みを作ります。




 左:和紙をすいて風船に貼りランプを入れるカバーを作ります。

 ←白熱灯を入れ、点灯すると優しくこころよい”あかり”が!
 中に入れるランプの周りを、草木染した和紙で覆えば、季節ごとに色々な雰囲気のランプシェードが楽しめます。

2005年/10月の出来事

青空の下、トンボが気持ちよさそうに飛ぶ季節になり秋の訪れを感じます。
(10/10/2005記)

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10/30
「益富コミュニティーのふれあいまつりに」

 前日の雨もすっかり上がった日曜日、益富交流館とその周辺でふれあいまつりが開催されました。おじちゃんは自治区の広報担当としての写真撮影と役員仲間がお手伝いをしているので、激励に。今年のテーマは、「手を取り合ってみんなでつくろう地域の輪」。午前9時30分、五ヶ丘小学校生による「マツケンサンバ」でオープニング。地域の皆さんの作品展示、芸能発表、体験・交流コーナー、防災・防犯・環境PRまで会場いっぱいの多彩な催し物に地元の方々が大勢参加されました。おばちゃんはこの日、豊田市自然観察の森で「草木染教室」の講師を務めたため、こちらの行事には参加できませんでした。
                       スナップ写真   ここ
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10/25
「しらびそ高原~下栗の里」













 おばちゃんは、妹や幼馴染をさそって信州の上村へ紅葉狩りに行ってきました。前日、仕事が終わってから名古屋に住む幼馴染を乗せ泰阜村へ。その晩は、夫々の実家に泊まって、翌朝、妹の家により全員揃って目的地「しらびそ高原」を目指しました。お婆ちゃん達も同行することとなり、車2台の賑やかな道中だったようですが、紅葉は報道の通り一週間ほど遅れており、少し期待はずれに終わったようです。おじちゃんの好物、ジンギスカンや手作りコンニャクを土産に夜10時頃帰ってきました。     スナップ写真   ここ
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10/16
「五ヶ丘連合 秋のふれあいウオーク」

 自治区連合会の行事があり、おじちゃんは前日の準備と、当日、役員として協力しました。心配していた雨も朝には上がり、絶好のウオーク日和となり、大勢の住民参加のもと、スポーツの秋、楽しく健康つくりができました。

 スナップ写真   ここ
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10/9


「稲刈り その2・・・細木へ」













 細木のおばあちゃんの所に稲刈りの手伝いに行ってきました。おばちゃんの兄弟と、おばあちゃんの実家からも応援があり、泥まみれになりながらも大勢で楽しく作業ができました。おばあちゃんは「あきばれ」と言う品種を作っていますが今年の出来栄えはとっても良かったです。












 前日から降り続いていた雨が、朝方上がったので稲刈りを強行することにしました。田の土がぬかるみ足を取られて大変な作業でしたが、みんな泥まみれになって頑張りました。作業は夕暮れ近くにやっと終了となりました。
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10/9

「チビ孫 運動会で頑張る」













 長男からチビ孫の運動会の写真が送られてきました。8日は「かけっこ」を終えたところで雨のため翌日に延期。9日は青空の下で楽しい運動会が出来たとのことでした。ちなみに「かけっこ」では一着だそうな。 

2005年/9月の出来事

朝夕は涼しさを覚える季節になりました。
でも、台風の襲来が心配な月でもあります。非常に強く大型の14号が近づいています。
(09/04/2005記)

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9/25


「孫と夕食」

 次男一家が久し振りに訪ねてきて一緒に夕食をとりました。最近お互い忙しく、なかなか都合が合わなかったのですが、孫達の誕生祝が延び延びになっていたので、今日は無理して合わせました。一ヶ月余り会わなかっただけなのに、結構背丈が伸びているなと感じました。
 チョット苦手なコウタ君も来たので、私は二階にジィ~と身を潜めていました。かわいそう。
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9/24
「おじちゃん 今週は金野へ」

 実りの秋の到来を告げる稲刈りの時期が来ました。おじちゃんは、午前6時に家を出発、一路金野へ。今回は、台風17号が接近中でその影響を心配しながらの作業でした。でも途中、30分程弱い雨に見舞われただけで順調に稲刈りが進み、正午少し過ぎに予定終了。


 通常は丸一日かかるのですが、今年は事前に小林さん夫妻が半分済ませておいてくれたお陰。
 シャワーで汗を流した後、チョット遅めの昼食兼収穫祭をバーベキューで。稲刈りより長い宴会でした。

 おじちゃんはその後、ひと寝入りし酔いを醒ましてからおじいちゃんの所をあとに。午後11時半、家に戻りました。

 おばちゃんは、地域の欠かすことのできない会議出席のため行けませんでした。
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9/18
「50日祭で左京へ」・・・ 関連の写真 ここ

 去る8月3日、83歳で亡くなった細木のおじいちゃんの50日祭が9月18日左京で行われ、おじちゃんとおばちゃんは前日からお手伝いに行きました。朝夕は涼しくなったと言うものの、日中はまだ30度を越える暑さだそうです。そんな中、草刈機を使い家やお墓の周囲を綺麗にしたようですが、機械の振動で腕に疲労が残り大変だったとか。好きなビールを飲むグラスが思うように口に運べなかったって笑っていました。日頃グラスより重い物は持ったことがなく、訓練ができていないから仕方がないネ。
 19日、帰る直前に山に行ってキノコの様子を見てきたそうです。マツタケにはチョット早いようで、マツタケの子供版を2本採って来ました。地元の人は「ハマツタケ」と呼んで匂いはマツタケその物なのですが。
 おじいちゃんの死に立ち会った妹が詠んだ歌の紹介が50日祭でありました。想いつくまま詠んだということですが、心打たれる歌なのでここに披露します。

①今生の別れになるや病む兄が 重く手を振る帰りの際に
②生まれたるこの家の部屋にわが兄は 静かに息を引きとりたまう
③知られざる葛藤いくつ乗り越えし 冷えてゆく兄蜩(ひぐらし)の鳴く
④焼き上げて炉に出でたまい整然と 崩れぬお骨兄の生きざま
⑤ふる里の兄逝きたまい存在の いかばかりかも梁の太き家
⑥こみあげて眼鏡外せど胸内は 亡き兄を追う哀しみばかり

                                 詠み人 天龍村平岡   鈴木みさお
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9/12
「神奈川のおばあちゃんの告別式へ」・・・ 関連の写真 ここ

 9日の朝、神奈川のおばあちゃんが亡くなったと言う悲しい知らせが届きました。その後、火葬場の都合から葬儀は12日に行うとの連絡があり、おじちゃんとおばちゃんは当日の早朝、5時15分に多治見の弟夫婦と相乗りし我が家を出掛けて行きました。東海環状自動車道の松平インターから乗り入れ東名高速道の大井松田インターまで二度の休憩をとり、南足柄市にあるおばあちゃんの家に到着したのが9時半。告別式から納骨、精進おとしまで出席し、帰りはおばちゃんの運転で午後8時半ころ帰宅しました。
 金野の両親や鼎の弟夫婦は、前日、小田原市内に宿を取っており会場で一緒になりました。先方の組合の方々に親切にして頂き、立派な葬儀が滞りなく終了したことに感謝致します。
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9/4
「防鳥ネットができた!」

 わが自治区のゴミステーションにもカラス君が出没するようになり、防鳥ネットを設置することにしました。先週フレームを組立て、今日午前中、組長の協力を得てネットの取り付けを行いました。これで野良猫君もシャットアウトできそうです。台風の影響か、真夏の太陽が影を潜めこの時期としては比較的楽な作業でした。

2005年/8月の出来事

悲しい出来事があり、このHP更新が遅れました。
細木のおじいちゃん(おばちゃんのお父さん)83歳が8月3日に帰らぬ人となりました。

(08/09/2005記)

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8/27
/28
「防鳥ネットの設置」

 わが自治区のゴミステーションにもカラス君が出没するようになり、防鳥ネットを設置することにしました。8月27日には、フレームの組立て方を集会所前のゴミステーションで勉強。翌28日には4ヶ所、フレームの設置をしました。ネットの取り付けは、柱をコンクリートで固めたため乾くのを待って、来週の日曜日に行う予定です。素人集団なので柱の垂直度や梁の直角を出すのに苦労しました。暑い中大変でしたが、こういう連帯作業を通じ地域の輪(和)が築かれていくことを感じました。
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8/13

8/15


「暑い夏、でも寂しい夏でもありました」

 おじちゃんは、いつもの年より早い11日に泰阜村に帰りました。8月に入って、ず~と左京にいたおばちゃんと金野で合流し、草刈や野菜の出荷を手伝いながら家の中の掃除をし、盆に帰省する皆を待ちました。




 写真上:皆が心待ちにしているバーベキューを13日午後4時から特設の会場でやりました。泰阜の夏もけっこう暑かったですが、この日は直前に雷雨があり、過ごし易い気温になってよかったです。今回は親族21人が集まり、近況報告するなど楽しいいひと時を過ごしました。暗くなってからは子供達と花火に興じました。


 ← 墓参り後の集合写真(8/14)








 ← 14日の午後、左京にお邪魔しました。
早速の集合写真。入院していた優季も職場復帰を果たせたとのことで元気な姿がありました。
 いつもならこの中におじいちゃんがいたのですが、今は右後方の墓の中に眠っています。

 写真下左:こちらでも美味しいバーベキューをご馳走になりました。この時は12人。










 ← 14日には百年公園であまご釣りをしました。昼食のおかずの一品に加えられるよう一人一匹充てゲット!!








 ← 昼食を済ませ、墓参りをしてお暇。
 途中、道の駅「新野」などに立ち寄り土産を買ったりしながら帰ってきました。Uターンラッシュに巻き込まれてしまい帰着は午後6時近くになりました。



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8/6

8/7
「五ヶ丘連合 夏まつり」













 悲しい出来事があった直後でしたが、おじちゃんは墓直しを済ませ昼食もとらずに急ぎ豊田へ引き返しました。年度計画に入っている「五ヶ丘連合夏祭り」の準備のためです。
 午前7時からの櫓(やぐら)設置の係りでしたが、こちらは時間的に無理なため事前に区長にお断りしておき、午後3時からの模擬店設置から参加しました。こんな時、自治区役員とは結構辛いものです。
 気分が乗らない2日間でしたが、なんとか役割を果たしました。当自治区担当の生ビールとジュース類の売り上げは2日間で70万円になりました。
 孫達には事前に話してあり、楽しみにしていたようなので2日間とも来ていいよって伝えました。おばちゃんがいない分、いつもの元気はなかったですが模擬店でおもちゃやたべものを買って満足して帰りました。
 8日は午前半日、汗だくになって片付けをしました。3日間好天に恵まれ、近年では最高の祭だったと思います。
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8/3


8/5
「細木のおじいちゃんと永久の別れ」・・・ 葬儀ドキュメント ここ

 細木のおじいちゃんの様子を心配して8月1日から泰阜村の実家に帰っていたおばちゃんから「あぶない」と言う電話連絡に続いて「今、息を引き取った」と悲しい知らせがありました。前夜、メールに添付されたおじいちゃんの様子から、おじちゃんは会社を休んで見舞いに行こうと支度をしていた時のことでした。日帰りから宿泊可能な支度に変更し、急いで泰阜村に向かいました。

 8月3日午前7時43分、83歳。決して若くはありませんが、まだまだ長生きして欲しかったと思います。でも、病院で最期を迎える人が多い中、自宅で妻と二人の娘に看取られて旅立てたことは、人生最後の締めくくりとして最高なのでしょうか。
 病気療養中は、診療所の先生をはじめ村の関係者、ご近所の皆様には一方ならぬお世話になりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 おじいちゃんは、若い頃、北支(中国の北、ロシアとの境)で戦争を経験し、戻ってからは農業一筋でおばちゃんと協力して、子供3人を育て上げました。働き者、若干頑固で律儀、機械いじりとカメラを趣味としていました。おかげで想い出となる写真を沢山残してくれました。また、晩年に自動車運転免許を取得し、おばあちゃんと一緒に「しらびそ高原」や我が家に来るのを楽しみにしていました。バイタリティー溢れるおじいちゃんも、80歳を過ぎた頃から急激に体力の衰えを見せ、アット言う間に私たちの元を旅立ってしまいました。働き者だったおじいちゃん、長い間お疲れさま。有難うございました。これからは、ゆっくり休んで私たちを見守って下さい。

 葬儀は、8月5日「JA虹のホール阿南」で神式により、しめやかに取り行われ多くの方に見送って頂きました。


2005年/7月の出来事

当初、空梅雨ではないかと心配していましたが雨の日が続くようになりました。
丁度良いというのは無く、水害に見舞われている地域もあるようで心が痛みます。
(07/09/2005記)

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7/31
「花火大会」

 豊田おいでんまつりのフィナーレを飾る花火大会が矢作川河川敷一帯で開かれ15,000発の花火が夏の夜空を彩りました。
 おじちゃんとおばちゃんは、孫たち家族と共に出掛け、会場で「ちゃるま」の仕事仲間の家族と一緒に楽しく花火見物をしました。
最大の目玉は花火と音楽をシンクロさせたメロディ花火。その他にも勇壮な手筒花火や実力のある花火業者による創作花火1分勝負、550mに及ぶナイアガラ大瀑布とワイルドスターマイン(5基同時打ち)の一体化などが行われました。
 会場には夕方から大勢の家族連れや浴衣姿のカップルなどが詰めかけ、花火が打ち上げられると大きな拍手や歓声を上げていました。





 ←まつりを閉めるナイアガラ大瀑布
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7/29
「豊田おいでんまつり」始まる

 名鉄豊田市駅前で午後5時30分すぎからオープニングイベントがあり、挨拶に立った鈴木公平市長は、国土交通省からご当地ナンバーとして「豊田」を認可するとの発表がこの朝、あったことを報告。拍手の中で「皆さんが元気な町づくりに取り組んだ成果です。きょうも存分に楽しんで元気を見せてください」と話しました。
 昨年のまつりの優秀賞に輝いた踊り連(グループ)の旗返還後、踊り連の代表者が「今年は愛・地球博(愛知万博)が開催された記念の年。力の限り踊り、祭りを盛り上げます」と宣誓、開幕しました。「おいでん、みりん、踊ろまい(来てよ、見てよ、踊ろうよ)」という三河言葉のテーマ曲に乗せて12,000人余による「おいでん総踊り」が始まると、祭りは最高潮に。手作りのユニークな衣装に身を包んだ参加者らが、中心市街地で踊りました。ことし4月に豊田市と合併した旧町村部からも多くの参加者が集まり、「新・豊田市」の一体感をアピールしました。また総踊りに先立ち、手作りの張りぼてみこしがパレード。アニメキャラクターや万博マスコットのモリゾー、キッコロなどが練り歩き、周囲から大きな拍手を浴びていました。
 30日は475連・17,600人が総踊りに参加、40連・3,700人が踊る幼稚園・保育園単位のリトルおいでんもあります。31日午後7時10分から9時10分までは、矢作川河畔(白浜公園)で花火大会。1万5000発の打ち上げ花火が夏の夜空を焦がします。
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7/27
「急遽 泰阜へ」

 細木のおじいちゃんの認知症が急激に進み困っているとの連絡を受け、おばちゃんが急遽実家に向かいました。おじいちゃんやおばちゃんの兄弟が集まり、医師を交えて今後の対応を相談したそうです。当面、ヘルパーさんの協力を得て、おばあちゃんが自宅で面倒を看ることにしたそうです。認知症特有の状況が見られ、それにお付き合いをしているおばあちゃんの疲労もピークにあり、倒れはしないかと心配です。おばちゃんは、実家で夕食をとり午前1時頃家に戻ってきました。8月に入れば仕事が休みになるので手伝いに行くと言っています。おじいちゃんは、少し前から時々変だな?と感じさせることはありましたが、今は、以前とその時間が逆転し、偶にしかまともなことを言わなくなってしまったようです。悲しいことですが現実をしっかり受け止め、心安らかに暮らせるように周りの者が手助けするしかありません。人間、最後をどう生きるか?自分の意思で決められないだけに難しいと感じます。
 そんなおじいちゃんが1年ほど前から気にしていることのひとつ。上の写真をおばちゃんが預かってきました。ミョウガに咲いた赤い花?通常は、白~淡い黄色なのですが。調べたところ、これはミョウガの実(果実)だそうです。この果実ができるのは結構珍しいとのことで、2004年は夏が大変暑く、その影響で結実したのではないかとのことです。早速知らせようと思います。
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7/23
「花火の見物席取り」に頑張る
 おじちゃんとおばちゃんは朝4時に起きて、「豊田おいでんまつり」のフィナーレを飾る花火大会の見物席確保に出掛けました。早いと思ったのに大勢の人がいてビックリ!!

 6時の合図とともに場所取り合戦。河川敷の芝の所を狙って一応確保できたのですが、40名ほどの団体さんが思うように場所取りができなかったとのことで、そこを譲ることにし階段部分に変更したそうです。
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7/18
「祭座ニッポン」を見物

  愛・地球博(愛知万博)に合わせて北海道のYOSAKOIソーランから沖縄県のエイサーまで、全国の祭りを豊田スタジアムに集めた「祭座『ニッポン』」がフィナーレを迎えた18日、おばちゃんは仕事仲間と見物に行ってきました。

 この日も、ねぶた(青森県)竿灯(かんとう)(秋田県)郡上踊り(岐阜県)阿波おどり(徳島県)などが次々と登場。地元豊田市からは、おいでん総踊りが元気よく踊りを披露しました。普段は一緒には見られない壮大な祭りの競演に、酔いしれたそうな。






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7/16

「自然観察の森へ」

 インタープリターの例会があり、おばちゃんが参加しました。とっても蒸し暑い日でしたが、森に入ってカブトムシやクワガタを捕獲するための仕掛けの取り付けを見学したそうです。
 写真中:先に仕掛けた所には、カブトムシが寄っていました。
 写真右:「トンボの池」には、「ヒメミクリ」が白く可愛い花を付けていました。
 写真は載せませんが、森の中には多くの種類のキノコが沢山生えていてビックリしました。キノコは秋の物と思っていたのですが。
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7/11

「夏の交通安全立哨活動」

 おじやんは、仕事に出掛ける前に自治区役員仲間や組長さん達と、近くの交差点に立ち、交通安全を呼びかけました。
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7/10
「幼稚園の夏祭り」

 おじちゃんとおばちゃんは、チビ孫の要請に応えて幼稚園の夏祭りに行ってきました。

「世界中花音頭」を元気よく踊って見せてくれたそうです。
昨日高熱を出し、まだ今日も残っていたようでしたが、そんなことはまったく感じさせない踊りっぷりだったって。
少々のことにはへこたれない強さに拍手!!



















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7/8
「飯田市立病院へ」

 飯田市龍江に住む姪が市立病院に入院したとの連絡を受け、おばちゃんがお見舞いに行ってきました。
結構元気で、もう10日もすれば退院できそうだと聞き安心しました。
 ついでに、両親の様子を見るため実家に寄って夕食を一緒にとり、帰ってきました。
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