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わが家の出来事
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   2016年12月の出来事
   11月30日、父の葬式を出した。91歳と4ヶ月、死亡診断書は老衰であった。少しづつ衰えが感じられるようになってから、兄弟で頻繁に父の元に通って、介護や野良仕事をした。そんな話をすると、喜び感謝され、元気になって畑仕事に復帰すると言うのが口癖だった。そんな夢も果たせないまま逝ってしまった。残念だったに違いない。もう一度だけでもクワを持たせ、一振りさせたかったと思う。 
                      (記 12/11/2016)
   
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12/31

平成29年
1/1

「亡父の年越しは泰阜で」 

 年越しは生まれ育った故郷でさせたいと、預かった位牌やお骨を連れて一旦泰阜に帰った。1月8日に四十九日法要をやる為、事前準備も兼ねていた。多治見の弟夫婦も協力してくれ、家の設備点検や障子の張替え、外回りや墓の清掃、剪定を遅くまでやった。夜は8日当日の段取りを確認した。














 次の平成29年1月1日は続きの作業をし、午後3時半ころ再び父を連れて解散した。年が変わったと云う気がしない不思議な一日だった。

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12/21
「次男家族が見学に」 

 もう豊田の下山地区は完全に冬だ。畑の表土は凍り、取り残した野菜が懸命に寒さに耐えている。そんな野菜を救うべく収穫をした。多くは成長が時季に間に合わなかったものだ。未完ながら味は良い。
 そんな折、次男一家が様子見に山の上まで上がって来た。16:00に我が家で待つように連絡してあったが、時間を持て余したようだ。”まどいの丘‟(市福祉センター)で孫を遊ばせて待つようにし、急いで片付けて、年末の挨拶もそこそこに合流して帰宅した。孫は広い場所で喜んでボール遊びに興じていたと云う。帰るのを嫌がったくらいだ。
















   ↑ 福祉センター正面で               ↑ おでん、牡蠣のボイルをメインに夕食

 腹一杯食べて満足し22:00頃帰って行った。嫁の麗恒は、26日、結婚して初めて家族を伴って中国に帰る。

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12/18
「今年最終のイベントの手伝いに」
 いつもお世話になっているナチュラルAのイベントの手伝いに 、昨日、今日の2日間妻が行った。
年4回あるイベントも今年の最終である。お客さんに毎回食事が無料で振る舞われると云う、地域密着型の催しで人気がある。
 今回は杵つきモチがメインだ。2升を6臼つき、あんこ、ダイコン、ユズ、ヨモギモチ等にした。それに豚汁、漬物をつけ振る舞われた。天気は良かったが、年末が近いせいか予想よりお客さんが少なかった。その分ゆっくり味わい、堪能できたのではないかと思う。
何れにせよ、裏方さんはいつも大変だ。無事に終わって「ヤレヤレ」と言って帰って来た。


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12/11




「父と」

 父の遺影、位牌、お骨など一式を祀り、毎日、仏膳椀のものを入れ替え妻と供養をしている。私がこちらに来てからもうすぐ50年なるが、この間で父が我が家に泊まったのは10回に満たないだろう。生活費を稼ぐため出稼ぎに忙しく、老いてからは家に入って百姓を真剣にやった。そんな人だった。死んでからでは遅すぎるが、ゆっくり我が家で過ごしてもらおうと思ってあずかって来た。先に亡くなった母に逢いたいかも知れない、いや、もう魂はそっちに行っているかもと思いながらも…。

 父の葬儀を出してから、至急やらねばならないことが幾つかあり今日になった。一周忌までは次々と仏さまに関係する行事があり気が抜けないが、予定を立てて進められるので介護を抱えていた時より有難い。徐々に生活のリズムを元に戻したいと思う。
 
 
 
  2016年11月の出来事 
   長雨の影響が尾を引いて、野菜の店頭価格がなかなか下がって来ない。消費者の野菜離れが加速しないか心配される。
 さて、ちょっと気掛かりなニュースが…。広島への原爆投下から71年、核実験を禁ずる条約はあるが、核兵器そのものを禁止する「核兵器禁止条約」の制定にやっと一歩を踏み出した。国連委員会は来春から交渉を始めるとの決議案を採択したが、日本は反対した。被爆国の日本が「核兵器禁止条約」には反対しながら、廃絶を訴えると云う投票行動は実に分かりにくいではないか。
          (記 11/3/2016)
 
 
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11/26

12/3


「慌ただしく葬儀を終えた」

 26日午後10時30分頃、静寂を破り電話が鳴った。多治見の弟から「親父が10時05分に息を引き取った」との知らせであった。転んで診療所に収容されたとの話は聞いていたので、休みが明けたら見舞いに弟と行く予定だった。意外に早くこの世に別れを告げてしまった。
後に聞いた話だが、死に際に私の名前を何度も呼んで息を引き取ったと言う。今まで何度も話す機会があり、それなりに聞いては来たが、足りない事が有ったのか?今では、もう分らない。最期に立会えなかったのは申し訳なく思う。ただ、兄弟4人全員が、家族を伴ってこの1週間に会うことが出来たのは良かった。

【通夜から葬儀まで…11/29〜30】
















  29日が通夜、母親とは違い”JA虹のホール竜丘‟で行った 旅支度の最後に花で棺桶を埋め尽くした















 30日葬儀の日、出棺前に花束を捧げる 火葬場に出掛ける前に長年お世話になった近所の方に挨拶をする















 火葬場にてお骨にして頂き受け取る      告別式から葬儀へ粛々と進む(保寿寺住職様)
















 多くの方々に参列頂き、賑やかにお送り頂き有難うございました。故人もさぞかし喜んでいることと思います。


【12/1】 
 個別のお礼や後片付け、49日の相談(平成29年1月8日予定)を終え解散した。お骨は自宅に持ち帰り、49日の納骨の日まで安置しお勤めをする。










 
 父は4人の子供を抱え、苦しい家計を出稼ぎで長い間支えてくれた。70歳を過ぎても頼まれれば行っていた。部落で一番の働き者と言われ、老いてから日雇い賃金の下げを申し出たが仲間がそれを許さなかったと言う(他人から聞いた話)。
現役を退いてからも、好きな農業に真剣に取り組んでいた。現代のお父さんに見るような、孫と
遊ぶということがほとんどなかった。
 性格は温厚だが、オッチョコチョイの所があり入院を伴う大きなケガを何度かした。
4年前、母が他界してから段々気弱になったが、子供には迷惑を掛けたくないと、近所や親戚の方ヘルパーさんに助けられながらも、自分で出来ることは自分でやると言う信念は死ぬまで曲げなかった。そういう姿を見て、子供としては自慢でき有難いとも思った。
最後、充分な介護が出来ず申し訳なく思うが勘弁してほしい。
長い間本当にありがとう。母や仲間が待ってくれていると思う。どうぞ安らかに休んで下さい。


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11/22
/23

「様子に変化なく一安心」 

 あまり良くないとの情報があり、父の元に出掛けた。次男も休みを取り、家族と共に同行した。父はデイサービスに行けない日があったようだが、想像していたより元気で意識もはっきりして会話が出来ホッとした。初対面だった次男の家族を難なく受け入れくれた(写真:左下)。
 2日間、私と次男は道路に面した植栽の剪定を、女性はヘルパーさんを断って介護や掃除に努めた。父も喜んでくれた。大きな変化はないものの、細かな所で確実に弱っている。一ケ月前までは皆と一緒に食事が出来たのに、今はベットでとる。片肺となり頻繁に咳が出てタンが絡み苦しそうだ。高性能な加湿器を追加してみたが効果は? 















 帰りは薄暗くなった妻の実家の墓に寄りお参りをし(写真:右上)、我が家へ帰着が20:30、その後夕飯を取り23時頃次男一家は帰って行った。強行軍で疲れたろう。でも、離れた親を介護する(ほんの一端だが)と云うことは、そういう事だと分かって置いて欲しいと思う。

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11/15
「 獅虎(レオト)が2・3歩 歩いて見せた」















 獅虎は両手を使い立ち上がり、2〜3歩調子を取り歩いて見せてくれた。11/2我が家に来た時には未だ出来なかった事だ。この日の夕方には、なんと倍近い歩数を歩けるようになり驚きだ。

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11/5
/6
「父の元へ模様替えに行く」 

 ケアマネジャーからの要請で、冬用の部屋にすべく多治見の弟夫婦と実家に帰った。枕元にあった箪笥を別部屋に、小家具を室内移動して介護用ベッドを寄せ、暖房機の置場を作った。介護度が進み最近はトイレまでベッドの脇に持ち込まなければならず6畳間では手狭だ。8畳間を提案したが「ここが良い」と言う。目張りや障子張りもした。特に障子は短期間で至る所穴だらけだ。よろけた時に杖が触るらしい。
 医者の見立てによると老衰の域まで来ており、もう薬が効かないと言う。本人は、頑張って直して百姓をやる気でいる。まだボケていないだけに哀れに思えてならない。















  ↑ベッドの移動に伴い蛍光灯の位置調整をする弟 ↑空いた時間に柿畑の草刈りを懸命にする

 家の周辺の草刈りは、年4〜5回(30人/年)やらなければならない重労働だ。今はまだ頑張れるが、これから先、何年続けられるのだろう。

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11/2


「夕食を一緒に」 
 次男一家と嫁のお母さんが我が家を訪れた。再来日の挨拶と云う。お互い自分の国の言葉しか分からず、嫁が橋渡しをしやっと意思疎通が…。7ヶ月振りとなるが元気で何よりだ。歳は妻と同じで、父上は既に他界。子供は4人で嫁は末っ子。

 夕の料理のメインは、大きな伊勢海老3尾と殻付きの牡蠣(カキ)だ。嫁の友達からの頂き物らしく、滅多に我が家ではお目に掛れない代物だ。有難く焼いて頂いてお腹一杯になった。
   
  2016年10月の出来事 
   先月(9月)は例年より雨の日が多かった。 野菜の成長が悪く収穫が思うように出来ず、出荷にも影響が及んだ。秋野菜の種を播くも水分過多で腐ったりもした。田圃の方も、時季には落水したが水が切れずに稲刈りに苦労している。所詮、自然相手の百姓はこんなものです。それでも諦めてはいません。少しでも良くなる工夫を!
 嬉しいニュースが入って来た。日本人25人目のノーベル賞が大隅良典氏(東京工業大学栄誉教授)に贈られることになったと云う。医学生理学賞で、細胞が自分で自分のタンパク質を分解してリサイクルするオートファジー(自食作用)の仕組みを解明し、パーキンソン病などの画期的な治療法の開発や老化防止への応用が期待されるらしい。凡人の私にはよく解からないが、同じ日本人として誇りに思う。                  
(記 10/3/2016)   
   
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10/24

「‟三河湖畔の民宿 やまびこ”で一緒に昼食を楽しむ」

 今年、特に稲作でお世話になった近所の方と一緒に「マツタケ釜飯」を楽しんだ。この”やまびこ”もその方の紹介だ。何から何までお世話になりっ放しで・・・。
松茸は今後一週間から10日は採れそうだと云う。マツタケご飯は正味1合あり、いつもは食べない女性も美味しくて、食べ切ったのには驚いた。帰りは三河湖畔を車で一周し案内してくれた。

 因みに米の出来は良く、うるち米8俵と、もち米3俵を得た。台風とイノシシ、鹿の影響が無かったことが幸いしたと思う。今後2家族で分配し、思い思いに使うつもりだ。


 
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10/12
13

「田舎(泰阜)に帰る」 

 「お爺さんの様子が芳しくない 微熱が続き、咳が出て、食事が喉を通らない様だ」と田舎の親戚より連絡があり急いで帰った。思いの外回復しており、その晩は焼肉とビール1本を飲めたので、ひと先ず安心した。

 ↓ 収穫の時期が近いのに、世話をしてもらえない柿が淋しそうにブラ下がっていた














  13日、朝は一緒に食事が出来、本人の希望でデイサービスに出掛けた。昼食後、咳込が酷くなり自宅に帰りたいと言うので、妻が迎えに行ってベットに寝かせてやっと落ち着いた。
少しばかり調子が良いと言っても今回は止めるべきだったかな? その後暫く様子を見て、午後8時半頃帰途に就いた。
まだまだ行き届かない所があるが、家の内外、周辺の草刈りなど二人で精一杯やって来た。15・16日には、多治見の弟夫婦が行ってくれる予定だ。

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10/10
「地域の方にお世話になって」 

 この日世間は「体育の日」の祝日、休みの人が多い中、我々2家族は10月1日に刈り残した「もち米」を頑張って刈り取った。続き、今回は近所の「Oさん」と「kさん」が思いもよらぬ脱穀までやってくれ、午后4時には田圃の中が何もない状態に戻った。籾は車に載せ次の乾燥、籾摺りの所へ運んでくれた。
本当に助かりました。ありがとうございました。
















 ↑刈り取った「もち米」を稲架かけした全景    ↑協力者の2人(左側の2人)とお茶をする

 今回初めて「もち米」作りに挑戦した。刈取り段階になって「うるち米」より急にハードルが高くなることが分かった。自分で機械が持てない悲しさ!田圃の状況に合わせ作業が進められないことである。手刈りし、稲架かけ自然乾燥したもち米を手に入れることの難しさを知った。今度挑戦する機会があったなら、もう少し段取りよく進めようと思う。

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10/5
/6
「次男一家が…」

  10/2、御船の畑に行ったところイノシシに全面を荒らされていた。今回のイノシシは足跡が大きく、特別パワーが有りそうだ。道路から畑の中まで一面を掘り起こしてある。野菜の根元を掘るので成長がそこで止まったり、倒れたりする。これから収穫期を迎える主たるものは、コンニャクとサトイモだ。
 10/5、台風が過ぎて、吹き返しの風が心配される天候だったが「手伝ってもいいよ。」と言ってくれたのでコンニャクの堀取りの手伝いを頼んだ。例により次男が子守り、手伝いの中心は嫁だった。手際よくやってくれ夕方までには予定の場所が終わり、軽四で家に持ち帰ることが出来た。これから自然乾燥させ産直に出荷だ。妻が生芋から美味しいコンニャクを作る方法を嫁に教えるそうだ。

 ← 孫が今一番興味を示すのは、猫の「チヤ茶」である。撫でたくて恐る恐る手を伸ばすが、力加減が分からず叩いたり、背中を引っ張ることになってしまう。それでも「チヤ茶」は、じっと我慢をしている。大人が同じことをすれば怒るのに、幼児には寛大だ。利口なものだと感心した。

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10/1

「久し振りの作業で、翌日腰に激痛が走る」
 2家族と近所の方1名の計5名で、300㎡の田圃1枚(もち米)を手刈りして稲架(ハザ)掛けする決断をした。 9月中旬に落水したが、それ以降乾く間もなく、これからも暫くは望みなしの予報である。
 近所の方が見るに視かねて協力を申し出てくれた。この方が全ての稲架を作り、稲掛けを担当してくれた。私より10歳近く年上だが経験豊富で仕事が早い。見る見るうちに済んでいく。今思えばこの方が居なかったなら、予定の1/3も終わらなかったと思う。感謝!感謝!!だ。

 我々は刈取り、結束、稲架までの稲の運搬を担当した。ぬかるんだ田圃に足を取られ尻餅をついたり、着衣が泥だらけになったりしたが、めげずに頑張った。
台風が近づいているのでその日の内に決着したかったが、1/5ほどを残して作業を終えることにした。台風が過ぎたらまた頑張ろう!!
【今回の教訓】 次に「もち米」を作る機会があったなら、田圃の排水を良くし機械で刈れるようにしよう。手刈りはもうコリゴリだ。
   
  2016年9月の出来事 
   今日は台風12号の影響か、いつになく風が強く木々を揺らせている。九州の枕崎市、西北西約70㎞に中心があり、北北西にゆっくり進んでいる模様。小型で弱い台風ではあるが、作物に影響するので今後の進路に注視したい。
 さて、介護サービスの話だが、国は削減を検討している。介護の社会化を目指して2000年に始まった介護保険だが、給付費の急増を背景に、要介護Ⅰ、Ⅱの人が受けている生活援助サービスを制度の対象外にすることを検討している。その世代に足を踏み入れた我々は、どう暮らしていけばよいのか? 切実な問題だ。
          (記 9/4/2016) 
 
 
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9/25
/26


「秋の地域クリーン活動…9/25」 

 9/18予定の清掃活動が、雨で一週間延期になり25日に実施された。この日、子供の運動会と重なり参加者が少し減ったが、難なく予定時間内でやり遂げた。

「うるち米を作った田圃の稲刈り…9/.26」

 約700㎡に作った「うるち米」をコンバインで刈り取ってもらった。今年は防獣網を高く追加した効果なのかイノシシやシカによる食害は無く、カメムシの被害もほとんど見られなかった。台風による被害も皆無、稲が立った状態で刈取りを迎えられたことが最高に嬉しい!

 所要時間は約2時間、刈取りの最後に籾を外部に吐き出せないというアクシデントがあり、コンバインに入れたまま持ち帰ることになったが、後で聞けば一つの操作を忘れていたとのこと。80歳に近い老オペレーター、無理もなかろうと思うと共に、安全だけは充分注意して欲しいと思った。
 残るは「もち米」だ。300㎡程作ったが、田圃に水があり機械が使えない。最悪、手刈りになりそうだ。

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9/21
/22
「我が家まで車を届けてくれた」
  我が家のセレナ、9年目の車検を通した。近頃、幾分疲れが出ているものの、乗り易く基本部分がしっかり作られていて良い車だと思う。もう少しの間頑張って貰いたいと、次男が勤める所に車検を依頼した。
先日の脱輪の影響もあり予定より費用が多く掛かったが、保険を使って直すより自費負担の方がトータル的に安上がりと考え、そちらを選択した。
車検を終え、次男一家は21日の午後車を届けがてら翌22日夜まで寛いで行った。我々は21日は下山で農作業、22日は雨で作業が出来ず丁度良い骨休めとなった。嫁が食事の支度を手伝ってくれ、孫との時間が出来た妻は喜んでいた。2週間ばかり前に会ったのに、孫の成長は早い。驚くばかりだ。

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9/6
/7
「下山の畑へ行く」

 妻が先日、側溝に車の車輪を落とし、レッカー作業で車体に傷をつけてしまい自動車保険で直すことにした。その状態の確認のため次男に頼んだところ、連休に一泊で来てくれた。
7日は我々に同行し、下山で野菜の収穫と出荷作業を手伝ってくれた。嫁は農業が好きらしく、自ら進んでやってくれ要領も良い。早めに帰って夕食の買物と準備もしてくれ、妻は大変喜んでいた。
  孫の獅虎(レオト)は掴まり立ちが出来るようになり極めて元気だ。猫が大好きで追い回していたが、猫にすれば大迷惑なことであろう。

(写真:いずれもナチュラルAの休憩所にて)





   
  2016年8月の出来事 
   注目の東京都知事選は31日投票、即日開票の結果、元防衛相の小池百合子氏が、増田氏、鳥越氏らに大差で初当選した。女性の都知事は初めてで、全国の知事では7人目と云う。
 小池百合子氏を後押ししたのは、初の女性都知事という新しさに加え、都議会の重鎮らが都政の意思決定に影響力を持つ旧弊を打破して欲しいという共感の広がりだ。今後、議会との対立も予想されるが、「東京大改革」に手腕を発揮して欲しい。
   (記 8/1/2016) 
 
 
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8/28

「こちらの孫達は、どんどん大人びて」

 
孫の都合で10日ほど遅れて今日となった。チョッと会わぬ間に見た目が変わっていく。道ですれ違っても当方では分からないかも知れないと思うほどだ。短大生になった孫は髪を染め、運転免許を取り軽四に乗っていた。学業もバイトも精一杯やっていると云う。高校生の孫の方は、もう少しゆっくり時間が流れているようだ。















(8/29 下山の畑の様子)
 
台風10号の影響が心配されたが、幸いこの地は中心が太平洋を進むため今回は免れそうだ。

 夏野菜の出荷が佳境に入った。キュウリ、ナス、トマト、ピーマン、キャベツ、インゲン、トウモロコシ、ニンジン、ゴボウ、ニラ、ネギ、オクラ、シシトウ、ゴーヤ、ミョウガ、フキ等々、狭い耕地に多くの野菜を植え育て出荷してきた。面白い反面、日常管理で苦労が絶えない。連作障害のこと、肥料や農薬のことなど、ついウッカリが許されない。物によっては一期(1年)棒に振ることになる。
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8/17

「獅虎(レオト) まだ歩けず」 
 子供も盆連休に入り、孫を連れて我が家に遊びに来たいと連絡があった。いつもの事ではあるが、盆は親の介護、親の代わりに行かねばならない新盆見舞いなど、短い期間に集中し調整が困難だ。もう長いことこの状況から抜け出せず、子供達には申し訳ないと思っている。

 それでも孫が小さい次男とは調整が出来、この日会うことが出来た。孫の獅虎は、ハイハイで前進できるようになったが、まだ捕まり立ちをしない。元気な声を出し、勢いよく這い回るので通路に障害物を置けない。先の孫が小さかった十数年前を思い出した。


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8/13

/15


「父の待つ田舎に帰る」 
 (8/13)

 父の姉、北澤ほずさんの新盆と1年忌、その夫、信男さんの10年忌が飯田市鼎であり、動けなくなった父に代わって出席した。懐かしい顔が並び在りし日のほずさんを偲んだ。
帰りに、富士の開拓で苦労した幹治さん(90歳 写真:前列左)が息子さん、娘さんを伴い、実家に寄って昔話をして行った。父(91歳 写真:前列右)の兄弟は多かったが、幹治さんとは一歳違いで心安く思っていたようだった。二人とも不自由な所はあるが、ボケてはいないので、最後の人生を心安らかに暮らして欲しいと思う。


(8/14)

 午前中は神奈川から来てくれた三男と草刈をした。2週間ほど前に刈った所も伸び、春先に刈った所は草丈2.5mにも達していた。特に畑の耕作を放棄した所がすごい勢いだ。時間が経つだけで少しの成果しか見られなかったのが疲れを増強させた。

 午後4時から平澤さわさん新盆と一年忌(写真:左)によばれていたので向かった。妻の妹の嫁ぎ先だ。お母さんの人柄を偲ばせるような、和やかな雰囲気で時が流れだ。


 (8/15)
 多治見の次男夫婦と鼎の四男夫婦の到着を待って、介護の交代をし畑に寄って野菜の手入れや収穫の後自宅に戻った。最近父はできることが極わずかになり、介護が無ければ一日とて暮らせない。特に年末年始、盆など長期連休の時、施設が休みとなり協力要請がある。日頃お世話になっているので、そんな時ぐらい協力しなければと考えているが、我らとてもう直ぐ70歳で体が不自由になってきた。夫婦どちらかが潰れてしまえば、田舎に通うこともまゝならなくなる。これからどう対処して行ったらよいのか? 子も年を重ね介護の悩みが尽きない。

 
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8/6

「久し振りに参加」 
 副組長として久し振りに妻が参加した。副組長は踊り連として輪に加わり、会場の雰囲気を盛り上げるのが役目だ。会場が運動場で広いせいもあるが、中心の踊りの輪が小さく淋しかった。が、その周囲には多くの家族連れがいて、思い思いに祭りを楽しんでいた。各自治区が出した夜店では、商品が早々に品切れとなり不満が出たようだ。10年ほど前とは参加する顔ぶれも変わり、顔見知りも少なくなって、世代交代を感じた夜だった。






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8/2
「イノシシとハクビシンが食い荒らす」 
 動物も生きるためとは言いながら、百姓をやっている者にとって畑を荒らされる事は辛いものだ。今年はイノシシから野菜を守ろうと、畑の周囲2/3に鉄筋を立て竹を廻らし柵を作った。残る1/3は垂直に近い勾配で、今までそこを駆け降りることは無かったので現状とした。
 春から様子を見ていたが問題なさそうなので、サツマイモ、スイカ、カボチャ、黄ナウリを植えた。それらが収穫の直前になった時、荒らされ無残な姿になった。実はことごとく食い千切られ、根は掘り起こしてある。一夜にして全滅だ。
今年からハクビシンが加わった。今までのイノシシ対策では通用しない。体が小さいため容易に柵は突破できるのだ。実を食い荒らすことはイノシシ以上、もう耕作を諦めるしかないのか?

   
  2016年7月の出来事 
   (身近な話題) 地元、JAあいち豊田が「赤とんぼ米」の名で今秋に初めて市販する米作りが進んでいる。激減した赤とんぼが再びたくさん空を舞うような、環境に優しく安全安心(減農薬で環境配慮)なブランド米を作り、豊田の代表的な米にしたい。地域で支える仕組みを作り、中山間の農業の持続にも繋げたいと…。
品種はミネアサヒ、地元豊田では魚沼産コシヒカリと肩を並べる高額で取引される人気米だ。準備期間を経て、栽培条件を徹底した米作りが始まった。同じ米を作っている一人とし応援したい。             
(記 7/4/2016)
 
 
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7/23
/24


「暑さでヘトヘトに! 泰阜とて暑い時は暑い」 

 
盆までにはチョット間があるが、我々の都合で今回の日を選んだ。学校が夏休みに入ると、盆までの期間中は地域でも行事が計画されており、副組長の出番に協力しなければならない。
多治見の弟夫婦に事情を話し、この日に来てもらい一緒に草刈りをした。5月連休に刈り、その後、鼎の弟家族も少し手を入れてくれたが、予想以上に草が伸びていて手を焼いた。
 特に24日は薄日が差し、風もなくなり
本当に辛かった。急傾斜地を体のバランスを保ちながら這い回り、刈払機で草を刈る。朝5時半から緊張の連続だ。昼に作業は終了としたが、弟は日頃この様な場面がなく暑さと緊張で熱中症状態だった。とにかく懸命に草を刈ったが、5月実績の半分以下の面積に終わった。
 父の様子は強いて言えば、暑くなったので少し食欲が落ちたかな? と感じる程度であまり変化はなく安心した。
帰り際、今年2か所ある新盆見舞いの対応や、ご先祖様の座る祭壇や迎え火・送り火の担当について相談し決めた。

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7/19

「どうもおかしい ! 〜 2ヶ月」

 パソコンの調子が5月中頃から変だ。インターネットの検索、閲覧、入力作業にミスが目立って安心して使えない。一般アプリも同様だ。私の多くの情報源は、パソコンから得ており問題は深刻である。
特に今年は「丑飼いの会」を当地で開催する事にしており困った事態だ。パソコン一式買い替えれば話は簡単だが、年金生活の身ではそうは行かない。百姓の合間をぬって考えられる原因を少しずつ潰してきた。が、この18日の夜、パソコンにログインする事すら不能になった。色々調査し考えたが、キーボードの電池の液漏れが原因で徐々に拡大し今日に至ったと結論付けた。
これで万事休すかと思ったが、win10はタッチパネルを装備している事が分かり試した。慣れないせいか本当に進まない。この記事もタッチパネルを使い作っているが全く嫌になる。
 これから最も安価な方法で機器を入れ替え、元の状態に戻し「丑飼いの会」の開催にこぎつけたい。
 当地も昨日梅雨が明けたようだが、これからを考えると私の心は晴れない。
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7/10

/15

「元気に過ごせて良かった」
 次男が研修で家を空けることになり、その間、嫁と孫が我が家で一緒に暮らした。百姓が忙しい時期、わずか五泊六日と云う短い期間であったが楽しく過ごす事が出来た。

特に妻は、食事の準備や後片付けを一緒にやって貰えたのが何より嬉しかった様だ。それに、今まで出来なかった話が出来たとも。

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7/8
「出荷可能な野菜が少しずつ採れだした」
 外葉がヤケに大きくなったキャベツ5個が収穫出来た(写真:左)。中身は柔らかくて美味しそうだ。畑に植えてからは一度も農薬を使わず、防虫網で覆って大切に育てたものだ。でも、今の相場は一個100円に満たない。消費者にしてみれば、一個は一個、大きくて虫が齧った跡などない方が良いに決まっている。残念だけれどこれが現実だ。

 我々は、自分たちの食べる野菜と同じものを産直に出している。手間暇かかるが有機肥料を主体に使い、虫が出れば捕殺し、病気にかかればそこを切除して農薬の使用は最低限にしている。産直が始まった当初の精神は忘れられ、見た目重視に走っているように思う。消費者がそれを望んでいるからと云えば、それもそうなのだが…。
 今までにタマネギ、ニンニク、ニラ、ミョウガ、ズッキーニ、キュウリ、ニンジン、ゴボウ、レタス、チシャ、ジャガイモが採れ少しずつ出荷した。
   

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