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わが家の出来事
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  2018年12月の出来事 
   平成最後の師走となった。何かと気忙しく感じる今日この頃である。山の木々は紅葉を終えたものから風に身を任せ飛んで行く。午後5時を過ぎると急に辺りが暗くなり、畑の農具を見失うこともしばしばだ。
 さて、来年10月予定の消費税10%への話だが、中小店舗利用で五輪前9ケ月限定。キャシュレス決済時のポイント還元5%とする方針を政府が表明した。中小店限定ながら消費者は負担が減る。また、遅れているキャッシュレス化を進める。この引き上げは将来の財政や社会保障制度を考えてのはず。景気悪化は避けたいが、そのために二兆円を超える大盤振る舞いの対策は、かえって国の財布を傷つけ、何のための引き上げかという話にもなろう。

                         (記 12/2/2018)
 
 
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12/31
「次男家族と一緒に」 
 大晦日に次男家族が一緒に年取りをしたいとやってきた。昼食後、孫が遊びたいと言うので近所の公園で思う存分走らせたが、家に帰った途端にバタンキュウーと眠ってしまった。大人は、料理が広げられず手持ち無沙汰になってしまった時の1コマである。暫くして起きたので宴会は始められたが、子供は思わぬことをしてくれので面白い。料理は日常的には食べられないようなものが出て、美味しく満足した。
 足の捻挫は、治るまでには程遠いが、少しづつ良くなっているように思う。
来年こそ皆が健康で良い年になりますように!。



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12/29
「午前中舞った」
 この冬初めて雪が舞い、屋根や木の上に薄っすら積った。

 今年は暖かい日が遅くまで続き、秋が例年より短いような気がした。秋野菜に付く害虫を少しでも少なくするため、苗の植え付けを少しだけ遅らせたが、それが裏目に出て、時期に間に合わないもの(急に寒くなり生育期間が不足したまま凍った)が沢山出てしまった。
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12/27
「失敗したことがないと言う方に習う」 
 生芋で作るコンニャクが、どうも上手くできず最後にトロケて無くなってしまうので、今年もう一度丁寧に教えてもらう事になった。
コンニャクの生地を作る時、しっかり手でコネなければならないのに甘かったこと、苛性ソーダの量がチョット不足、生地を一晩くらい寝かせることが失敗しない秘訣のようだ。
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12/13

「チョットした不注意で」

 農作業中トイレに行きたくなって、いつもお借りしている店の仮設式(樹脂製で簡易水洗付)のトイレで用を足した。その後、中で体の向きを変えようとした時、バランスを崩しヘタリ込んでしまった。一旦ヘタリ込むと、狭いトイレの中で自分の脚の力だけでは体勢を戻せず(こんな事すら出来なくなったのかと愕然とした)、妻に助けを求めた。この間、20~30分位だったろうか?自分で何とかしようと思って色々やっている間に足首を捻ったようだ。最初は大したことはないと高を括っていたが、帰ってから痛みが激しくなり歩くことが出来ず、医者から貰った湿布薬を張り替え、今日まだ療養中だ。畑には寒さに耐えられない野菜が沢山残っているがどうしようもない。
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12/8
/9
「12/9 地元の防災訓練」
 3丁目の防災訓練とふれあいが行われ参加した。今回は非常に寒く、その場にいるのが辛かった。参加者はいつもより更に少ないように感じた。天候の悪さはどうしようもないか?。









「12/8 感謝祭の準備」

 常日頃お世話になっているナチュラルAの感謝祭の準備に行ってきた。翌日の9日が本番だが、掃除や豚汁に使う野菜を大量に切り準備をした。最近、以前のボランティアが歳を取り、協力が得られ難くなったため友人と参加した。人数が少なく、午後から始めた作業が夕暮れ近くまでかかった。無料で振舞われるメニューは豚汁に餅がメインだ。またきっと盛況になるだろう。 
   
   2018年11月の出来事
   イランとの核合意を離脱した米トランプ政権が、原油輸出を標的としたイランへの制裁を発動する。問題なのは、米国意外の第三国もイラン産原油を輸入すれば、米国の金融市場から締め出すなど制裁の対象としている点だ。トランプ大統領らしいどう渇だ。身勝手な外交で国際社会の平和と安定を損なうのはいい加減やめて欲しい。トランプ政権への評価を下す米中間選挙が実施される。分断を広げ、憎しみをあおる身勝手な外交をこのまま続けさせるのか?                   (記 11/2/2018)
   
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11/21

「次男の家に行く」

 嫁の母上が、来週、中国に帰るというのでお別れに行ってきた。振り返れば、半年はアッという間だった。この間に何度も我が家に来て手伝いもしてくれた。嫁も今はすっかり元気になり、病気だったことは忘れたかのように暮らしている。安心して帰ってもらえるのは嬉しいことだ。
帰り際に「又こちらに来たら出掛けて下さい」と言ったところ「もう来られないかも知れない」と言い、今度は皆で中国の方に来て欲しいと言った。痛いところが沢山あるらしい。無理もない、自分たちと同じ年代なのだからと思った。














 この日の孫だが、相変わらず元気で活発に動く。向こう見ずなことはやらなくなったのが良い。来年度は保育園に入園を希望しているが…。

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11/15
「家を訪ねてくれた・・・50余年ぶりに会えた!」

 前日の夜、考えてもいなかった事が突然起こった。豊川市に住む高校の同級生が我が家を訪ねてくれると云う。11月10日に飯田市で開催された同級会の欠席を伝えると共に、近況を書いて以前に送っておいた。それを見た仲間から「様子を見てこい」という話が持ち上がり、一番近くに住む彼が引き受けてくれたようだ。短い時間だったが、同級会の楽しい雰囲気が伝えられ、最新の住所録、写真、メッセージ等を届けてくれた。悲しい知らせもあった。同級生44人中6人がこの世を去っていた。そういう歳になったんだぁ~、自分も例外でなく、随分不自由な所が増えてきた。
 訪ねてくれた彼は、私と同じく長男で、卒業後暫くは地元で働いていたが、転出し縁あって自営業につき、今も現役で、すこぶる元気だ。近くに用事があり、ついでに寄ったと言っていたが、本当に元気をもらった気がした。ありがとう。(写真:最後列右端が訪ねてくれた豊川市に住む彼だ)

  
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11/12
/13


「泰阜北中 昭和39年度卒の同級会(妻)」 

 久し振りの同級会を安城で開き、13名が出席(写真:左下)した。今回はこの地区で開催の希望があり、間瀬むつみさんを中心に計画を進めた。50名に近い全員に通知し、この人数は少ないような気もするが、現役の人もいる(近況報告より)ことを考えれば仕方ないか。
 いつもの様に飲んで食べて、他愛もない話で夜が更けた。それでいて居心地がいい。同級生とは、そんなもんだ。
 次の朝、急いで帰る人、ゆっくりできる組は蒲郡のファンタジー館(写真:右下))を観て、豊橋駅で別れた。今回の間瀬さんの心遣い、気遣いには感謝したい。姉御肌の彼女は、事前の調整や各種手配までぬかりなく、楽しい時間が過ごせました。ほんとうに有難うございました。















「懸案事項」…現役で頑張る人達のことを考えると、土日に故郷で開催の方が出易いのかなと思った。参加したいが仕事が…と云う人が何人かいた。

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11/6
/7

「11/6〜7 次男一家が来る」
  11/6 昼に来た次男一家は一ヶ月振りだ。孫は風邪を引いたが今は元気だ。夜、殻付きカキの炭火焼とステーキを食べさせてくれた。久し振りで美味しかった。炭火はやっぱりいい(写真:左横)。
 
  11/7 妻は次男一家と行動を共にし、小原の四季桜と紅葉のコンビネーションを見て感嘆し、みどりの公園では、孫は精一杯遊んだ。子供は景観よりも遊具に魅力を感じるらしい(写真:下3枚)。夕飯は先回好評だった五平餅。タレを工夫したとか。腹一杯食べ満足した。多治見の弟夫婦も金野の帰りにより食べてくれた。
















 11/7  一方私は、多治見の弟夫婦と一緒に家屋引き渡しの件で立会検査を受けに泰阜村に行った。
村の担当課長と職員が来られ、経過説明の中で村側と若干認識のズレがあったが、確かめて頂ければ解決することと思う。概ね良さそうだが(写真:左下…室内が引き渡す状態になった部屋の一部)、最終判断は現村長の横前氏が見てからと云うことになった。終了後も清掃などを日暮れまで続け(写真:右下…帰り際に点検する弟夫婦)、最後、火の始末をして帰途についた。今回、説明の中で弟が作ってあった忘備録が役立ち、スムーズに進んだ。元愛知県職員だった習慣が役立っていると感心し、嬉しくもあった。

11/6 気になる新聞記事「ケフィアの破産」

 「揺れる柿 解雇の寒風」 「ケフィア」破産 飯田に寒波」 「かぶちゃんファーム 収穫停止 賃金未払い」の記事が地方紙「中日新聞」の一面に載った。私も少額ながら趣旨に賛同し出資した一人だ。年金頼りでの生活で、失った金は痛いが少しでも故郷のためになればと云う思いもあったての投資だった。経営土台がしっかりしていないうちに、焦って事業を拡大しすぎた様に見えた。経営者は大いに反省し、儲けるだけでなく他人も幸せにできる経営を目指して欲しかった。地元でも多くの人が職を失ったと聞く。これから大変だが、これにめげずに頑張って欲しい。

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11/1

「細木と金野に寄る」 

 朝一番に細木(妻の実家)によって墓参りをした(写真:左横)。家の周りも草が刈られており景観が保たれてlいて安心した。長男夫婦の頑張りが分かる気がする。
 そして、金野へ移動し、実家の内外の点検・清掃をした。人が住まなくなっても埃は溜まり、雑草は伸びる。生前の父の苦労が偲ばれる。昼に鼎の弟夫婦が墓石撤去の確認(写真:右上…墓石が無くなった墓地址)に来た。昼休み無しでの働きで苦労を掛ける。少し話して急ぎ帰った。我々は夕刻、頼まれた柿を収穫し、梯子など運搬物を軽トラに積んで帰って来た。
   
  2018年10月の出来事 
   この9月は、何時になく雨が多い月だった。その締めが台風24号で、突風が吹き荒れた。先の21号の傷がやっと癒え、ナス、キュウリが小さな実を付け始めたところに、今回の強烈なパンチ。もう立ち直れそうもない。葉もの野菜や根菜類も芽が出たところを雨に叩かれ瀕死の状態だ。ナス、キュウリは、残念だが諦め支柱を崩し片付ける。その他のものは、追肥・土寄せで様子を見ようと思う。家では雨どいが2ヶ所吹き飛んだ。
 報道によると、次の台風25号が発生して徐々に大きくなっている模様。今後の進路を注視したい。早期の停電の解消、秋雨前線の消滅で平穏な日が来るよう祈りたい。
                        (記 10/2/2018)

 
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10/31
11/1


「いつもの隠れ家でバーベキュー、 そして定宿”左京の宿で”」

 午前10時に新野の道の駅に集合し、山を少し下り、何時ものバーベキュー場へ。友が既に準備を整えてあり、炭をおこして直ぐに食材を入れればよい状態にしてあった。訳を聞けば「仕事が忙しく、夕べはチョッと眠っただけ、朝早く来て準備をしといた。(写真:1段左)」とのこと。有難いやら申し訳ないやらであった。感謝しながら「俺達は71才になり、もう無理の効かん歳だぞ!」と言っておいた。
 この日は、天候も良く風も穏やかだったが、背が高くなった木に囲まれたバーベキュー場には陽が届かず寒さを覚えた。が、それを忘れさせるラム肉主体の焼肉、五平餅などを腹一杯ご馳走になりながら、昔話に花を咲かせた。




























 山を下り左京の宿に行く前に、車で林道を走り散策した。母村、泰阜村の一部が遠くに見えた。山また山である。それでも生まれた者にしか分からない良い所が沢山ある。
 左京の宿(写真:一段右〜二段目)ではいつも歓待してくれる。今回は、マツタケを中心に料理を準備してくれた。美味しくて残すのが申し訳なかったが、どうにも食べ切れなかった。翌朝7時に食事を済ませ解散したが、帰りがけに柿を採って持ち帰るよう話があり沢山頂いた。とっても甘く美味しかった。今回も皆さんのお陰で楽しい想い出が出来ました。本当にありがとう。

 
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10/15
「琉球藍を使って”ナチュラルA“で染め教室」
 ナチュラルAの温室で大切に育てた琉球藍を使って生葉染め教室をやった。琉球藍は、この地の気候に合わず育てるのに苦労したようだが、秋口に入って元気を取り戻し、何とか受講者10名分の染液を得ることが出来ホッとした。
 琉球藍(写真:左横)の生葉染めは、草木染の中で最も簡単で、生葉を煮出して染液を作り、希望する色のところで温度をキープして染め上げるという単純なものだ。 草木染めの初心者には、大掛かりな支度もいらず、短時間で体験できワクワク感もある。二度と同じ色合いが出ないところも面白い。
参加者夫々が楽しんでやってくれた。


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10/11
「三河湖の湖畔の民宿“やまびこ”にて」

 今年も友達に誘って頂き、マツタケ釜飯を食べに行って来た。私が畑をやっている所から更に山に入り込んだ場所で、家から車で小一時間かかる。1合の米に松茸を炊き込んだもので充分満足した。昨年より松茸が多かったような…、釜飯もだが、刺身コンニャクは絶品だった。
 その後、三河湖園地を訪ねた。初めての場所だったが。整備が行き届き散策も気持ちが良かった。春、夏、秋の3シーズン、穴場として楽しめそうだ。5年以上この地に通っているのに、今まで知らなかったのは残念に思う。
















 
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10/6

10/8


「父母の3・7回忌と墓じまいまで」 































 10月7日
 親戚の代表を招き、父の3回忌と母の7回忌を一緒にやった(写真:上段)。それから、先祖一同の供養をし、田舎の家を閉じるにあたり、仏壇の性抜き(写真:中段左)、墓の性抜き(写真:中段右)へと進んだ。
父母が苦労し大金を掛けて整備した墓は、残して置くという選択はあったが、近い将来、私達がこの地に通って来れなくなる事が容易に想像できる。墓をなくすのは誠に申し訳なく忍びなかったが、将来を考えると保寿寺で永代供養して頂くのが一番良い方法だと思い決心した。
 最後になる食事会(写真:下段)をしたが、冒頭の挨拶で、私は何と云うことなしに、悲しく淋しい想いになり涙声になってしまった。
歓談する中で、長老から今までに聞いたことがないような話が出て、有意義だった。それに「こっちに帰ったら必ず顔を見せてくれ。泊まる場所もあるから。」と云う暖かい言葉を全員が何度も何度も掛けてくれ嬉しかった。

 前日の6日は、多治見の弟夫婦と翌日の準備をし、夕方、当日都合で出席できなかった飯田の親戚を招き、歓談の席を設けた。
 当日は、体調が悪かった三男の嫁さんを除き、予定者全員が出席してくれた。
翌8日は多治見の夫婦と、病気療養中の従弟を見舞い、次の工事の打合せ、気になる処の清掃など慌ただしく済ませて正午に帰途についた。

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10/2


 
「泰阜村へ行ってくれた」

 墓じまいを7日に控え、次男一家が父母の眠る泰阜村にお参りに行ってくれた。妻の在所にも寄ってお墓参りをしてきた(写真:左下)と云う。日頃思ってはいても、なかなか実行できないことである。有難く、嬉しく思った。暗くなりかかった午後6時、我が家によって夕食を共にし(写真:右下)帰って行った。

 














   
  2018年9月の出来事
   尋常でない暑さが続いた今年の8月が終わった。岐阜市の「Y&M藤掛第一病院」で、熱中症の疑いで高齢の入院患者五人が亡くなった。酷暑が続く中での惨事で、故障したエアコンが修理されなかったためとも見られる。家族らは病院を信頼して入院させている。一時的にエアコンの利く他の部屋への移動、あるいは他の冷房のある病院に移すなど手立ては無かったのか。高温多湿の怖さを、尊い命を預かっていることの怖さを病院側が感じていたのか疑問で、裏切られた思いが募るのではないか。
 最近、雨が降った後は秋の訪れを感じられるようになり、赤トンボが群れで優雅に空を舞う。秋が深まるにつれ、段々と里に下りるのであろう。そんな中、台風21号が東海地方も通過しそうだ。今迄とは比べものにならない強さで、被害が心配される。暫くは台風情報を注視しながら、農作物や家の風雨対策をしたい。
   (記 9/2/2018)
 
 
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9/19
/20


「次男一家が来た」 

 最近は天候が定まらず、畑仕事が遅れている。春から育てていた野菜が終わった為、その場を片付け、耕耘、施肥をし、次の秋・冬採り野菜の種蒔きや苗の植付けをしなければならない。秋は気温が日に日に低くなり、日照時間も短くなる為生育が遅い。1日の遅れが収穫時期になると、何倍もの遅れになってしまい気が気ではない。

  9/19 
 そんな環境の中で、次男一家が夕方やってきて嫁が夕飯を作り、下山に出掛けた我々の帰りを待っていてくれた。中華料理が得意な嫁は、中々味付けが上手で美味しく頂いた。妻は大喜びで、孫の相手を、日にちが変わる頃までしていた。
  9/20 
 朝から雨が降り始め一日続く予報だったので、次男が「南知多ビーチランドに行こう」と誘ってくれ、妻が供をした。人気の「イルカとアシカのショー」(写真:左横)や水族館(写真:右横)を観たり、おもちゃの広場で遊んだ。孫は疲れて帰りの車で眠ってしまったようだ。
 夕飯は五平餅を主にした料理だった。家で作ったのは初めてだったが、売っている物に引けを取らない出来映えで、とっても美味しく出来た。今回で道具も揃い、客が来た時の我が家の定番になりそうだ。

 
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9/2


「旧・上九一色村で生きる道を探した」 

  南都留郡富士河口湖町富士ケ嶺が現在の住所だ。叔父は私の亡父(柿本幸平)の弟で、昭和初期に開拓で富士に入り、人には語れないほどの苦労をして現在の生活を手に入れた。父とは歳も近く(2歳下?)多くの兄弟がいる中では心安かったようだ。今までに数回お会いしただけだが、当時としては体格が良く、声も大きくいつも明るい話題だった。私は苦労話を聞いたことがない。記憶力は抜群で、泰阜で暮らした時のことを懐かしそうに話していたのを想い出す。「誠実で豪快な人」と云うのが私の思う富士の叔父である。
「長い間お疲れさまでした。どうぞゆっくりお休み下さい。」

 葬儀は9月4日、富士吉田市松山の「シティーホール 富士吉田」で営まれるとのこと、連絡を受けたので南足柄市に住む三男に出席を頼んだ。会場まで車で片道一時間半ぐらいだそうだが、台風による通行止めが気になる。
   
  2018年8月の出来事 
   この夏は、日本中が異常に暑い。私が百姓に通ている下山地区も例外ではない。連日のように35℃を超える(平地では-3〜4℃高い)。灌水設備がない畑では、野菜も成長どころではなく、やっと生きている。キュウリ、ナス、トマト、サトイモが私の主に作っている野菜だが、いずれも下葉を枯らし持ちこたえている。何とか助けたいとバケツで頻繁に水を運ぶが、焼け石に水状態で耐え切れなかったものが死んでいく。それが途轍もなく早く、2〜3時間の間にである。こんな経験は初めてだ。
 先月末に台風12号が通過した。降雨を期待していたが見事裏切られた。雨も風もほんの僅かで、乾いた畑を潤すまで行かなかった。この状態が続くようなら、安価で少し効率の良い給水を考えねばならないと思っている。     
(記 8/6/2018)  
 
 
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8/14

8/16

「実家で迎えられる盆はこれが最後」 

 
と思うと淋しい。家を離れて半世紀になる。この間、盆、正月は父母を想い淋しがらせない様にと必ず帰っていたし、老齢になってからは、これまで以上に時間を作り頻繁に手伝いに通った地だ。手放して決して嬉しい訳はない。自分達も高齢になり地元の人に迷惑は掛けられないのだ。
幸い役場で面倒を観てもらえる話が持ち上がり、お願いすることとなった。色々方法はあるが、一番安心できる選択だと思っている。しっかり活用して欲しい。















 天候の悪い中、草刈り、刈った草を集め焼却準備、備品の選別等で暇なく働いた。唯一、時間がゆっくり流れたのは、鼎の家族とした焼肉タイム(写真:右上)だった。
我々は、14日から16日が割当てだった。昼ごろ帰る予定だったが、遅くなり、夕闇に細木の墓(写真:左横)に寄ってお参りをし、家に帰りついたのは午後10時を回っていた。
 今回、私の役割で重要だった「実家に祭っている神々にお帰り願う儀式」を執り行う日を宮司と調整することであったが無事出来た。9月16日に決まり、四男夫婦が立会てくれることとなった。




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8/12

「金野の墓参りの帰りに我が家に寄る」

 突然の電話で、「今から寄って、焼肉をやって帰りたい。」と言う。近くに来てから電話をしたらしく直ぐに現れた。妻は買物で不在、準備の間がなく一緒に必要な物を探したり、買い足し、焼肉を始めた。その日は、私の実家、泰阜村金野の墓参りに行ってくれた様だ。私の「墓じまいの情報」を覚えていて、今回が最後のチャンスと思ったようだ。意外に信心深く、感心し嬉しくもあった。
 ラム肉を腹一杯ご馳走になり満足した。嫁はパートで、孫はバイトで頑張り、ディズニーシーに行くことを楽しみにしているそうだ。
何れにしても、「健康が第一」、これに勝るものは無いと考えている。


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寿





8/5

「実家の墓地を閉じ、永代供養をして頂く手順と費用などについて伺う」  

 多治見と鼎の弟と3人で午前10時に伺った。予め用件は伝えてあったので、住職も準備をして下さりスムーズに話が進んだ。
 ①永代供養について…先祖の個別に預かっている位牌を、○○家と一つにし、寺が存在す限り供養する。それに掛る年会費や管理費は、以降不要、離檀料も費用に含まれる。以後、お寺での参拝は可能。
 ②魂抜き法要に関して…無名墓を含む墓地及び仏壇で、法要と解体を同一日で計画しても良い。遺骨は、墓地に深穴を掘り、埋骨埋め戻しで良い。
但し、仏壇や位牌の処理はJAに、墓石の処分は石屋に依頼すること(いずれも費用別途)。
魂抜き法要と解体を同一日にする場合、時間的に問題ないか検討要。
 ③3,7回忌法要について…墓解体前の早い時期に行うのは問題ない。
 ④神棚等の処理について…家にお迎えしている神様については、宮司と相談して欲しい(費用別途)。
 ⑤墓じまいにかかる文書手続き…必要なところは、住職が協力して書いて下さる。
 以上の話が聞け、保寿寺に支払う額が百万円弱である。寺で出来ないところがあり、この金額が高いのか安いのか分からないが、長く付き合ってきた住職の言う事であり信用するしかない。
 昼には実家に帰り、昼食を取りながら盆対応の話をし、午後から仕事だと鼎の弟は帰って行った。盆に備え墓廻りの草を刈払機で多治見の弟が刈り、私は手刈りで屋敷廻りを夕方まで刈って帰途についた。私の今回の行き来は、多治見の弟がしてくれ大いに助かった。有難う。

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8/1
 /2


「次男が御船の畑の農道部分を刈る」 

 本年中で一番の気温ではなかろうかと思われた8月2日の日中、御船の農道の草刈りをしてくれた。私の体調が悪く、まだ一度しか刈ってない所で、車の通行にも支障をきたし気になっていた所だ。、次男は刈払機を持つのは、今回が2度目で嫁は初めてだった。お世辞にも上手に刈ったとは言えないが、格好はついた。嫁の母上も孫の寝た隙に手伝ってくれた(写真:左横)。有難う。閊えていたものが少し下りた気がした。
切が良い所で終わり、マックで遅い昼食を買い、矢作川の川辺に下りて食べたり水遊びをした(写真:左下)。孫は満足したようだが、私は暑気にやられダウンした。
















   
  2018年7月の出来事 
   梅雨明けが近いことを知らせる強い雨が連日のように降り続いている。これに関する災害が頻繁に報道される。もう長いこと予兆から対策までが言い続けられ、十分に解っている筈なのに、何故か実行に移されることが少ない。日頃暮らす環境を考えつつ、今回も大丈夫だと甘い判断をしてしまう自分がいるのだ。人間とは勝手なもので、自分が直面しないと本気になれないモノなのだろうか?
 自分のことはさて置き、田舎にある実家は、家が建つ直ぐ後ろ20m位の高さに畑や人家が出来、雨がまとまり易い。父が存命の頃は、雨期の前に溝さらいをし、屋敷に水が落ちない様に努めていたので事故は無かったが、無管理状態の今は一番の心配事である。
                       
(記 7/6/2018)
   
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寿







7/29
「台風12号 異例の進路で接近中」 

 
墓地解体(墓じまい)に関する住職との打合せを7/29(日)に予定していたが、台風12号の影響で8/5(日)に延期をお願いした。
 気象庁によると
、統計がある1951年以降、東海、近畿、中国を東から西に向かって横断した台風は無いとの事、しかも、今回は中心付近だけでなく周囲に巨大な雨雲を従えているのが特徴で、予報がかなり難しいようだ。
何れにしても、大きな被害が出ないように祈るしかない。
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7/17


「大正・昭和‣平成を生きた人(渡邊 茂さん)」 

 すぐ下の弟の連れ合いの父上が15日の朝亡くなった。17日に葬儀との事で弟二人にも連絡し、美濃加茂市の「グリーンホール 山手」に行って来た。享年95歳と云う。この時代を生きた人達は、ちょっと頑固だが、実直で働き者、自分のためより家族のために!と考える傾向にあると云うのが私の見方である。お会いする機会は少なかったが、それにピッタリ当てはまる人だったと今でも思う。最後の頃は、病に倒れ入院生活が長かったと聞く。どうぞゆっくりお休み下さい。













 私の実家と同じ宗派で葬儀が執り行われたが、式の順序に若干の違いが見られた。地域によるものなのであろう。
 
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7/12


「飯田市龍江 保寿寺に行く」 
   (宗旨は禅宗・臨済宗・妙心寺派 本山は京都花園・正法山妙心寺)

 年に一度のお盆会を迎えるにあたり、「報恩謝徳の年回施餓鬼供養をされよ」と案内を寺より頂いたので、兄弟を代表して妻と二人で出掛けた。今年は、耕雲幸植信士=亡父 3回忌 殊山恵明信女=亡母 7回忌にあたるため、水向料2万円と供物をお願いし、あわせて平成30年度維持費等の1万円を支払った。午前9時半に受付が始まり、正午前には昼食を含む予定全てが終了した。
 余談だが寺は来年度、40〜50年に一度の大行事、晋山式がある。現住職が退任して隠居し、新住職(息子)が拝命着任する世代交代の儀式だ。大変めでたい事だが、檀信徒としては大変なことでもある。


 実家に移動してすぐに支度を整え、家の中や周り、墓、道路周辺を点検した。この2か月近く訪れていなっかったので草が茂って目立った。やらねばならない所が多くあったが、今回は人手がなく、優先順位をつけ作業にかかった。家の中の掃除機掛け、表の草引き、庭木の切断、道路両脇の草刈り、墓の草引き等休む暇なくやった。午後6時頃突然の夕立が来て中断、止んでから手元が見えなくなるまで続けた。最後に墓に線香や花を供え、お参りをして帰途についた。実家は心配していた災害もなく安堵した。帰着午後10時半。

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7/4
「アクア・トトぎふへ」 

 瀬戸市に住む次男一家が、農作業を手伝ってくれると云うのでお願いした。自分の体調不良で仕事が遅れていたので、梅雨が末期となり不安はあったが御船の草刈を予定し期待した。が、期待は見ごと裏切られ、前日曇りで当日雨だった。 
草刈は後日と云うことで、世界淡水魚園「アクア・ととぎふ」(岐阜県各務原市川島笠田町1453
)へ行って来た。予想に反して平日なのに結構客がいたのには驚いた。孫は魚に興味があるらしく喜んだ。そうそう、言葉もこちらが理解できるような単語いくつかと「オシッコ」が言えるようになった。













 帰りに雨の中、御船の畑にキュウリを採りに寄ったが1本もなかった。地面に沢山食べカスが落ちていたようだ。ハクビシンの様な小動物の仕業であろう。2〜3日おきに10本位は順調にとれていたのに残念だ。一度覚えると無くなるまで通うのが彼らの習性で、網をかけてもよじ登ったり破ったりするので手に負えない。他の作物まで荒らすようになると困るが?

   

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