2019/12月以前のページ    バックナンバー   トップページ
-------------------------------------------------------------------------------------------                                                          

わが家の出来事
ライン
     画面サイズ:1024×768 文字サイズ:小(S)で最適化しています
   
 
   2020年6月の出来事
   6月になり、各メディアの新型コロナ報道のスタンスが若干変わった事を感じる。最重要案件として伝えられることには変わりないが、いつもの話題も少し含まれる様になりホットする。
 さてコロナの件だが、政府の緊急事態宣言が解除されてもウイルスへの警戒は全国どこでも怠れない。感染第2波に供え対策を急ぎたいところだ。ウイルスと共存せざるを得ない以上、社会経済活動と感染防止対策をどう両立させていくのかは、全国で抱える難しい課題である。アラート(警報)を出した東京に限らず、どの地域でもいつ感染が広がるか分からない。「誰でもいつでも感染しうる」と考え個々人もマスク着用や人との距離を取るなどの対策を徹底して防ぎたい。         
(記 6/7/2020)
   
 アイコン













6/26
/27


「梅雨の時期 好天に恵まれて」

6/26
 色々悩んだが、宿泊場所は香嵐渓の「ホテル 百年草」にした。一部屋2名で宿泊、夕食はシェフお勧めの地の食材を取り入れたフルコースディナー、朝食は和洋折衷で併設の「ZIZI工房」のハム・ウインナーと「バーバラはうす」の自家製パンが食べられて、今は割安料金が適用され、12.500円/人という魅力的な金額だった。
飯田の友人夫妻は一旦家に寄ってもらい、道案内をしてホテルに向かった。建物や設備はチョト古そうだったが、趣がありコンクリート工事は手抜きがない(友人談)との事であった。部屋は2階の和洋室2部屋が準備されていた。到着して1パイ、夕食は満足、でもチョッと足りないと部屋に戻って話をしながら1パイやりました。時節柄、丁度ホタルが見られると案内されたが、その時間帯に雨となり残念だった。写真:ホテル百年草の玄関にて
 今度の企画に泰阜の友人夫妻も誘ったが、「コロナが怖い!!」と乗りませんでした。
6/27
 翌朝ビールを飲み、朝食を美味しく頂いた後、我が家経由で愛知県緑化センターのバーベキュー場に向かった。そこには子供達と父兄が大勢訪れ、梅雨の合間のひと時を楽しんでいる様子が伺えた。ただ、「密」状態があちらこちらで見られ心配になった。
友に用意してもらったラム肉、五平餅、各種漬物など腹いっぱい、勿論ビ-ルも思う存分頂いた。友人の奥さんは料理が上手く、いつも手作り品を持ってきてくれるのだ。感謝!感謝!!だ。解散は14:30頃だった。帰りに肉や五平餅など頂き、翌日美味しく食べました。忙しい時に遠くまで足を運んでくれて、本当に有難う。今回も転んでしまい迷惑をかけた。通所型リハビリに週2度通っているが老化のスピードに間に合わないのか?悔しい。写真:愛知県緑化センター・バーベキュー場にて
 皆さんへ  脚を使えることは、健康を保つために何よりも大切なことだ。面倒がらずに歩こう。

                      
 アイコン









6/15

「プレゼントを持って」 

 一人で来てくれた。私の好きなビ-ルと妻には電動ブレンダーのプレゼントであった。妻は屋外で草木の手入れ中だったので、暫く立ち話しをして帰って行った。報道で言われるほど厳しくはないと受け止めているようで、親としては一安心と云いたいところだが、現実は分からない。
「こんな時は、休んでいいのに」と思うのだが、「どうも、ありがとう」と手を出してしまうあつかましい私もいる。「どうも、有難う」美味しく頂きます。便利に使わせて頂きます。

 
 アイコン














6/5
「トヨタ記念病院」と「豊田厚生病院」 1日で2つの基幹病院の世話になる

 午前中下山に行き、妻を助けようと畑の草取りをした。昼の食事をしようと休憩場へ戻る際、全く両脚に力が入らず立ち上がれなくなってしまった。妻と店員の女性の2人では何ともならず、ナチュラルAのオーナーとその息子さんに救助をお願いした。仕事が忙しい中、駆けつけてくれ救急車の要請までしてくれ助かった。前回も同じような経験があり、注意はしていたのだが…。この日の最高気温は名古屋で32度を超えていた。
救急車に乗ってから、いくつかの質問を受けた。その後、搬送されたが街の中心部と離れており40分ほど掛かったと思う。14:00頃トヨタ記念病院に到着、状況確認後生理食塩水が点滴され、何度かの撮影も行われた様だ。今回も軽い熱中症のことだ。家に戻ったのは18:00頃だった。

 暫くたって、次の問題は起こった。20:00に近い頃だった。食事の準備が出来たというので、支度を替えようと自室に入って、腰を下ろす時に使う運動用のベンチに手を掛けた途端にベンチが倒れた。私の体制も悪く、共に倒れ、ベンチの鉄製の部分に指が絡まり裂傷を負ってしまった。小指の付け根から血がビックリするほど出た。救急病院を問い合わせ豊田厚生病院に行った。担当医は専門医ではなくインターンらしかった。7針の縫合だったが、狭くて難しい場所は経験のある医者が担当してくれた。外傷では珍しい場所で針数も多いらしい。月曜日には必ず形成外科を受診するよう念を押された。翌1時の帰宅となった。
いずれも若いときの様に身体が反応してくれないのが問題だ。自分でも分かっているつもりだが、咄嗟の時に間に合わない。

 アイコン












6/2
/3
「下山の畑に野菜苗の定植に」

 6/2 嫁の仕事の終りを待って、出掛けて来てくれた。県内移動の自粛が解けたので、大手を振って来られたのだ。でも近所はまだ以前の様に静かだが…。
夕飯は妻が作り、嫁もすぐに加わり色々やってくれた。プレゼントもあり嬉しかった。何より嬉しいのは全身マッサージだ。嫁は小柄だが握力が強く、コリが大分解れ楽になる。マッサージの資格を持つ嫁、いつも楽しみにしている。

 6/3 今回は下山の畑にナス、トマト、オクラの苗を定植してもらった。今は広い所にパラパラで貧相に見えるが、順調に育てば緑一面になり格好がつく筈だ。それを楽しみに育てるのだ。それまでには何度も苦労がある。機会があればまた見せてやろうと思うのだが…。
農作業は早めに切り上げ、夕食を共にして22:00頃帰って行った。帰り際のマッサージも忘れなかった。本当に有難う。
写真:右 
 この度、次男家族の一員となりましたチィです。 よろしくね。
㋄生まれの雌猫です。縁あって孫に選ばれました。


写真:左
 畑で作業の様子





   
   2020年5月の出来事
   月が変わった。新型コロナは相変わらず猛威を振るい、終息の道筋すら見えてこない。日本では、「3密」をなくそうと、行動の自粛を呼びかけ必死になっている。専門家によると、感染者数が劇的に減ること、実行再生産数が1.0を下回ること等が緊急事態宣言解除の条件らしい。接触8割減は、現実かなり厳しいが、何とかしなければ終わらない。自粛要請は1ヶ月延長となりそうだ。日本中の人がジィーと我慢の時だ。世界的にも今1番の脅威であり、方法こそ違うところは見られるものの、コロナの対応に苦慮している。人類一丸となってこの困難に立ち向かうという感じがないのは残念だ。

 この問題が、小さな百姓をやっている我が家にも降り掛かっている。連休を当てにして、遅れている農作業の挽回を図ろうと、期間中2日間程手伝いを子供に頼む予定だったが「外出自粛」で出来なくなった。小さな百姓では、代替の手が無くどうしようもない。妻一人に負担が掛かり申し訳なく、最近体調を落している。やれるだけ精一杯やるしかないと思う。
百姓に生活を掛けている方の中には、人手(研修生が来日出来ず)不足でもっともっと辛い思いをしている方がいると聞く。そうも考えるが、今年が最後となる下山の畑は、良い想い出を残して終わりたかった……。
                     
(記 5/1/2020)

 
   
 アイコン
















5/31
「安倍首相 「コロナほぼ収束」と!」

 25日の夜、政府対策本部会合で正式決定し、官報に公示した。外出やイベントを含めた社会経済活動を段階的に緩和する方針。感染者の増加スピードが高まれば、2度目の宣言発出の可能性もある。
 政府の宣言に呼応し、よく国民も耐えた。我が家もその一つで、出来る限り外出を控え不自由さを感じたが協力した。問題の下山の畑だが、期間中は思ったより晴の日が多く、「3密」が絶対に無い畑に通い、少し雑草が減ったと思う。これはひとえに妻の頑張りだ。定植は昨年に比べ半月遅れ、作付け密度は昨年の半分に近くになっているが、これは致し方の無いことと思う。
御船の畑は、時間は掛かるが元に戻したいと考えている。県内移動が可能になったら、子供達に助っ人を頼もう思う。

 ← 来年、お返しすることにした下山の畑の現況(やっと畑の土が見えるようになった)


 アイコン












5/16

「久しぶりに雨の一日だった」

 一日中雨が降ったというのは久し振りの気がする。明日も雨が残ると云う。本当は、遅れた農作業を少しでも取り戻したいところなのだが…。働き手は妻一人、コロナで子供の応援も頼めず!!

 写真は、我が家の雨の庭に咲く一輪のバラと、20年は経つデンドロビュームだ。だんだんと我が家の過酷な環境に慣れ、この頃やっと花が付けられる様になったものだ。

 さて、新型コロナウイルスの件だが、政府は14日、特別措置法に基づき全国に発令した緊急事態宣言の対象から39県を解除した。「特定警戒都道府県」だった愛知県もこの中に入った。ただ第2波を警戒して今月中は県をまたいだ移動を控えるなど、引き続き感染予防に取り組むよう求められた。自粛が長引き社会経済活動の再開を迫られた形だが、再流行への警戒を怠るわけにはいかない。
忘れてならないのは、緊急事態宣言の解除は「安全宣言」ではないということである。外出時のマスク着用、「三密」を避けるなどの感染予防策は、今後も順守することが肝要だ。

 我々も行動する時これらのことをいつも頭に置き、新型コロナウイルス問題を少しでも早く、収束から終息を向かえるよう(終わりには出来ないが、感染者数が低いレベルに抑えられる)にしたいものだ。




   
  2020年4月の出来事
   4月になっても目立った改善は見られないと自分では感じているが、インストラクターによると、入所当初に比べると少し良くなっていると見ている。早期に歩けるようにして、妻の農作業を手伝えるようにしたいと思うのだが…(私が主になって百姓をやることは、もう無理かもと覚悟している)。

 さて、新型コロナウイルスの件だが、1ヶ月経った今、益々猛威を振るい世界の人類の敵になった。各国が協力し、最終的にはワクチンまで造らなければ、コロナウイルスに勝ったとは言えないだろう。このウイルスで、志村けんさんが70歳の若さで召されてしまっだ。1970年代以来、ずっと世代を超えた笑顔を生み出してきた人だ。まだまだ活躍できたのに‼

 一方、国民が楽しみにしていた東京オリンピック・パラリンピックは、大会組織委員会とIOC/東京都と政府の四者間で1年延期の、2021年7月23日~8月8日、2021年8月24日~9月5日開催で合意した。これにより国内経済に更なる打撃を与える。官民共に膨大な調整を余儀なくされ、損失は計り知れない。雇用などへの波及も大であり、迅速な対応を求めたい。        
            
                       (記 4/1/2020)
 
 
 アイコン












4/27


「こちらも手のつけ様がない状態」
 久しぶりに畑に行った。冬の間、放置したままの畑は酷い状況だった。秋が来ても手間が無く収穫出来ないままのサトイモに、ビニールシートと土を掛けて冬越しさせた。そこを堀り返し芋を探した。今年は冬が暖かくそれが幸いしてか、半分ほどが生き残り芽を出していた。大きなものを選んで種芋として使うつもりだ。ハクサイも使い切れず、お花畑になっていた。これも近日中に刈り取って、片付けねばならない。
 それより何より、畑中に繁茂している一面の雑草の退治と周囲の草刈りだ。500㎡の畑は、こうして荒らしてみると広く見える。
妻一人の力では到底無理だ。今迄、有機栽培を旨としてきたが、化学肥料と消毒も使い「今年は出来るだけやるが、出荷レベルの物は出来そうもない。もう来年からは……」と、ナチュラルA側に申し出た。

 この農地をお借りしたのは6年前。こんなに早くお返ししなければならないとは、当初考えていなかった。もう5年位は行けるかと…。突然のケガで予想しない事態になり、歩くことが難しくなってしまい、その後のリハビリもまだまだ掛かりそうだ。「元の状態に戻すことは年齢もあり困難か?」とも言われ始めている。歳を取ってからのケガは命取りだと思う。
 オーナーとご家族には、大変お世話になった。苗選びから栽培方法、出荷のアドバイスまで、色々な新品種を栽培してみるのも楽しみであった。短い間ではありましたが、有難うございました。

 もう一方の「御船の畑」は、規模・栽培品目を見直し家庭菜園向けに暫く続ける予定だ。

 アイコン











4/11

4/15


「御船の畑と孫の様子」 
「4/14・15 次男一家が来てくれた」
 御船の畑でチョウチョを捕る

 孫の遊びも注意しなけれはならない。、新型コロナの影響で「外出の自粛」が叫ばれるようになり、人の集まる所には行けず、畑でチョウチョを捕ることにした。最近では稀な、風も少なく良い天気であった。本来は「よもぎ餅」を作るためのヨモギ摘みであったが、それでも満足したようだ。モンシロチョウ、シジミチョウなどが網に入り、観察後放してやった。、

 次の日は、紙飛行機を作り屋内で飛ばしだり、妻のスマートフォンの相手になってくれ、操作の練習を手助けしてくれた。孫はまだ4歳で、ゲームばかりやっていると思っていたが、結構、日常的に使うアプリの操作は見て覚えたらしく、達者な事に驚いた。妻も少しは理解が進んだようだ。
今回の訪問の目的は、マスクの無いことを心配して入手し届けてくれたものだった。ありがとう。

「4/11 御船の畑」
  この冬は月に一度、ハクサイ、タマネギ、ニラ、ネギ、コンニャクの収穫に来たくらいで、殆ど畑には寄り付けずだった。春になって入ってみると、畑では一面が草だらけ、農道や土手・法面も昨秋の長く伸びた枯草の残骸が立っていて、何処から手を付ければ良いか迷う。
 私も何か手伝いをしたいと道具を持ってみるが、直ぐ転んだりして足手まといになるだけだった。週2日のリハビリの効果は無しだ。
こうしてみると働き手は妻一人となり、現状維持は難しい(写真のように荒れてしまった)。

 今後どうするか?決めなければならない時期が来た。


   
  2020年3月の出来事
   4年に一度のサービスデイー(29日)も終わり、今日から三月だ。リハビリに通い始めてから4ヶ月経つが、効果を感じる迄はまだ行ってない。3月が来てしまったのに焦るなぁ~。
 世間を混乱させている新型コロナウイルス。特に高齢の死者が増えている。肺炎拡大防止対策で安倍首相は、全国の小中高校などに休校を要請した。これを受け、都道府県毎、期間など若干の差はあるが、概ね実施する。この時期、学校は行事が色々あり現場の先生方は大変だと思う。此れだけではない。この1週間で緊迫感が増した。消費税増税で打撃を受けた小売り、サービス業が、イベントの自粛や訪日外国人の減少で更なるパンチを浴びている格好だ。
中部経済の基盤たる製造業の現場もピリピリし始めた。「1人の職人が感染し濃厚接触者の出勤も禁じられて、ある小さな工場のラインが止まる。そこで作る部品の1つが届かないだけで、巨大サプライチェーンの動きが止まる。」無駄を省いた供給網がいつ直面してもおかしくない、そして絶対に避けたい恐怖のシナリオだ。感染経路が辿れなくなった今、業種に関係なく問われるのは感染者が出た後、上手く受け身を取る為の備えだと思う。この局面で国民の一人として、出来る事は協力しなければならない。政府には金銭面で必要なところに遅滞なく出して欲しい。

                       (記 3/1/2020)
 
 
 
 アイコン










3/25

「水源公園で散歩を試みる」 
 妻の誘いで10分ほど(車)の「水源公園(緑地)」を歩いてみた。この日は天気が良く暖かったのに、公園内は人が疎らでビックリした。この時節、平日でもこんな事は無かったが…。
新型コロナウイルスによる首都外出自粛を小池東京都知事が要請したのを聞いて感化されたか、それとも桜が咲いていないせいかが分からなかったが…。この話題で世界中、大変なことになっているのは確かだ。この地域にまだ感染者の情報はなく、切迫感はない様に思うが、我等が当面できることは「3蜜」だそうで、「密閉」、「密集」、「密接」した所は避けよう。

←写真:左 しだれ桜が咲いた。多くのソメイヨシノは蕾が膨らんできた。

 さて、歩いた感触だが、歩が前に進まなかった。練習でカナリやったつもりだったが、足も上がらず年寄り特有のチョコチョコ、フラフラ歩きだ。50m弱歩いて断念した。車道を走る車の横を歩くのが怖い、平らでやる練習と違い、たった10㎝の縁石が怖い、チョットしたスロープが、芝生の凸凹が怖い等々。転ぶことが一番怖いのだ。若いときはなにも気にしなかったことが今は出来ないのだ。全く情けない。
亡父が90歳を過ぎてから時々漏らした言葉だったと記憶する。もう少し優しくしてやれば良かったと、今、後悔する。

アイコン 









3/11
「病院へ行途中で」
 飯田市に住む親友が、名古屋市の“はちや整形外科病院”に診察に行き掛け(午前10:30)に寄ってくれた。片方の脚に若干違和感を覚えるも痛い所は無くなったと、元気を取り戻した様だ。今は、細かなことをして息子さんの仕事を助けているそうだ。ホッと一安心した。今度の診察で、お酒の解禁になれば更に嬉しいが…。
 今度来るに当たり、手作り弁当を4人分持参してくれた。忙しいところ申し訳なかった。奥さんの味付は優しく本当に上手かった。診察時間が迫り12:15頃医者に向かった。短い時間だったが直接顔を見、話すことが出来有意義だった。
新型コロナウイルス問題が下火になったら、また皆で1パイやろう。


 アイコン










3/9

「春らしく暖かく穏やかな日だった」
 人間で云う初七日。猫の世界にあるのかどうか分からないが、取り敢えず午後からお参りに行って来た。ちゃ茶の後ろに11本の名札が掛かっていた。5日の間に11体以上の葬儀を合同葬で営んだと云うことだ。
堂の内部には、お参りに必要なものが全部準備され、掃除も行き届いていた。我々は線香からマッチ、花に至るまで用意して行ったのでそれを供えた。

 前日の雨・嵐の様な天候が一変し、春本番を感じさせる一日だった。ちゃ茶には「仲間に仲良くしてもらえ!」 「我らが元気に暮らせるように見守って!!」と頼んだ。何の返事もなかったが…。


← お参りをした六角堂




アイコン








3/4
「東海動物霊園にて」 

 二晩、家で寝かせて毎回食事も一緒に取った。もう、ちゃ茶は食べてはくれないけれど、好きだった物を準備して枕元に供えた。旅立ちの朝、食事後に妻が庭の花を沢山摘んで周りに入れた(写真:上段)。その後、東海動物霊園(写真:下段右)に連れて行き合同葬で送ってもらった。二人の僧侶(写真:下段左)がお経を、丁寧に上げてくれ、納骨堂も案内されて終った。定期法要が3年間あり、個別には何時でもお参りが可能と言われた。
































 「ちゃ茶」(推定13歳)の死は、今考えれば2018年の5月の手術が、上手くなかったかな?。その時は治って良かったと思ったが、それは見かけだけで以降、頻繁に医者通いが続いた。勇気をもって医者を替えてみることも必要だった気がする。医者と患者の相性がきっとある。「ちゃ茶」には可哀そうなことをした。上手く行けば、もう少し長生きできたし、本人も居心地が良くて、それを望んでいたに違いない。ゴメンちゃ茶、辛かったネ。
年老いた我らが猫を飼うことはもう無いが…。


 アイコン














3/2
「3/2 11:30突然の別れ」

 ちゃ茶との別れが突然きた。11:00頃から いつもと変わった苦しそうな素振りを見せるようになった。.少し収まった所に妻が買物から帰った。それを見届け、一気に痙攣し倒れた。11:30、それが最後であった。

 彼女(猫)は、私が定年の頃やって来た。それまでは家の軽トラの荷台を1年程ネグラにしていた。出掛ける時は、彼女を起こしてから行ったものだ。そうこうしている間に顔馴染みになり、家猫として飼うことにした。幼少の頃は生活環境が悪く屋外で暮らし、エサもあまり食べられなかった様だ。身体はキャシャで、骨も細かった。ただ、性格は良く優しく、行儀が良かった。お客さんにも可愛がられた。甘えん坊だが、人間との距離感が非常に上手く、付き合っても疲れないので心地よかった。そんな彼女が召されてしまい残念で仕方ない。妻も大いに落胆している。死顔も左の写真の通り穏やかだ。もう5年は一緒に暮らせると思ったのに、呆気なかったナァ~。

 ありがとう、ちゃ茶!! 大好きだったヨ~。
ゆっくり寝てネ。      合掌


   2020年2月の出来事 
   一月もアット云う間に終わり二月に入った。暖冬と言われているが朝晩はやっぱり寒い。
AQUA通いの朝は、8時半に運動施設の若い方が迎えに来てくれる。それから施設で健康チエックから始まり体操、終了時のチエック迄をスタッフ4~5名でこなす。結構大変だと思う。会員は私の様な不自由な処のある人が殆どだが、スタッフの皆さん気配りが良く、安心して任せられる。チームワークも良い。12時に全て終了し、12時半ころまでには家に送ってくれる。効果を早く出したいところだが…。

 このところ、新聞の第1面を賑わわせているのは新型肺炎(コロナウイルス)だ。世界で患者数も死者数も増え続けている。今はワクチンも無い。「WHO 緊急事態宣言」とか「政府 中国へ渡航自粛を」、「湖北滞在外国人 入国拒否」、「国内感染17人に」等の見出しが躍る。感染が拡大する中、危機管理を強める各国は既に自国民退避などに乗り出しており、WHOの判断が遅すぎたと思う。
予防策だが、テレビやラジオ、新聞等のメディアで盛んに取り上げている。今のところ、これと云った確実なものはなさそうだが、識者の言う事を聞いて実行しよう。
                      
(記 2/1/2020)
 
 
 アイコン






2/23

「9/16 以来の顔見せだ! 社会人になったら時間がとれないらしい」
 
 彼女(孫)は苦労人だ。学生時代は学費から小遣いまでバイトで稼ぎやり繰りし、社会人になってからは、こども園(豊田市職員)で最幼少の子供たちを預かり頑張っている。
 今回も彼氏と一緒に来た。昼に一杯飲んでから、スマホの操作について妻に教えてくれた。今のスマホはなかなか便利なようだ。だが、一度に聞いても覚えられないと、電話とメールの受発信、写真を撮る送るの基本的な処を文書に残してくれた。彼も気さくで思いやりもあり、いい男だ。似合いのカップル、このままゴールまで行けると良いのだがと思う。
18時頃、彼のお母さんの誕生日祝いの席があるとの事で帰って行った。
また、都合が付けば手伝いに来てくれるらしい。有難いことだ。

 アイコン












2/22
「豊田市自然観察の森での講師若い方に引き継ぐ」 

 14年間、ボランティアで続けてきた「豊田市自然観察の森」の”草木染め”講師。妻の最後の講座となった。後任探しも自分でやり、古希になってしまったが、やっと肩の荷が下りた感じだ。長い間、ご苦労様。当初は準備が大変で私も何度か手を貸したが、後に「あべまきの会」が結成され協力が得られ助かった。有難う御座いました。後任者も宜しくご支援下さい。













 さて、今回だが午前中は「あべまきの会」の20名弱が、午後は一般の方20名が”ビワの葉‟を使っての講習を受けてくれた。ピンクがかったアズキ色が綺麗に発色し、皆さん満足そうだった。妻が最後だと聞きつけ、わざわざ会いに来てくれた方もあり嬉しかった。今回の講習会で草木染に興味を持った方は、もう少し情報を集め”染液”くらいは自分で作れると一層はまると思う。

 アイコン






2/11
/12
「旭高原元気村へ雪を求めて」 
 11日の晩来て一泊し、次の日、旭高原元気村に行った。近郊には自然の雪がある筈もなく、ネットで探しスノーマシーンを持ち、当日営業をしているここを選んだ。
 以前に行ったことがあり、勝手も知っていて、幼児を遊ばせるには良い所だ。ところが現地に着くと、肝心な孫が前回の様に喜んで遊ばないのだ。ソリに恐怖心を覚えたのかも知れない。保育園の仲間内では一番大きな身体をしており、丈夫そうに見えるのだが、案外気が小さいのかも? と可愛く思った(妻談)。
 帰りに家電量販店によって携帯電話を替えてもらった。我が家はまだガラケーと言われる以前のタイプを使っていた。使えなくなる日が段々迫ってくると言い 案内が頻繁に来るので思い切った。次男が面倒を見てくれ助かった。私も細かな事は分からないが、随分色々な事ができパソコンより便利らしい。妻は拒否反応を見せており、使えるようになるには時間が掛かりそうだ。 また、次男が敷えに来てくれるとか。

 アイコン














2/5
「我が家に寄ってくれた」

 1/19彼の元に行くつもりだったが、迷子になり行けなかった話は既に報告済み。その友が、土産を沢山持って我が家を訪ねてくれた。診察の都合で若干遅れたが、難なく着いたらしい。
 すこぶる元気な様子で色々話をしてくれた。顔を見ることができ、私も安心でき嬉しかった。ただ、もう少しの間、制限が有る様だ。飲酒や仕事の強度等だ。これも何れ解けよう。本当に良かった。
 今回は、ビール一滴たりとも口にしなかった。そんな事とは思わず、ノンアルコールは準備してなかったが、気を利かせて自分で買って来てくれた。何時もの彼からすると、考えられない事だ。本気度を知り、勧められなかった。煮物、漬物は奥さんが上手で今回も沢山頂いたが、その中に一品、彼が作ったというダイコンの煮物があった。上手く煮てあり感心した。楽しい2時間もアッと云う間に過ぎ、帰って行った。

 アイコン










2/3

「早く元気になれ!!」
 1/10 
入院、緊急手術 1/14退院 以降頻繁に通院をしていた「ちゃ茶」が、やっと病院に通わなくてもよくなった。
 一時は、食べ物を全く受け付けなくなり、水だけを飲んで吐き戻すという状況になり、死を覚悟したくらいだ。先生のお陰で命を繋ぎ留められたと感謝している。
 体のあちらこちらに写真の様な体毛を剃った所があり格好は悪いが、命あってのものだねだ。猫も老年になっているので回復は容易でないが、もう少し一緒に暮らせそうだ。




 
   2020年1月の出来事
   新年明けましておめでとうございます。皆様お揃いで、よい年をお迎えのこととお喜びを申しあげます。 本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 「昨年の暮れに足首の捻挫をしてしまい、トイレに行くのがヤットで、妻に迷惑をかけた。少しづつ良くなっているような気がするので、3月に向けリハビリに頑張りたい。」と書いたのが昨年の年始の挨拶文にあるが、これが思わぬ長引き現在に至っている。更に当時より悪くなり、歩くのが不自由になって、今は介護の恩恵に預かっている始末だ。全く情けないが、現状を受け入れ少しでも改善するように、努力するしかない。通所型運動系プログラムを専門とする施設に、半日、週2回通ってリハビリに頑張ってみようと思う。
                        (記 1/1/2020)
 
   
アイコン










1/19 
「親友を見舞おうと出掛けるも」

 名古屋市千種区にある「はちや整形外科病院」に 、飯田市に住む友がヘルニアで再入院した事を知り、早速、見舞いに妻の運転で行った。前日に地図で系路を下調べし、昔通った事がある場所だったので大丈夫と思い下道を選択した。豊田市からみよし市、東郷町、日進市は順調に通り過ぎた。名古屋市に入り平針で道を間違えたようだ。通ったと言っても10年以上も前のことだ。景色が変わっていた。後は全く闇に入ってしまい、ナビも役に立たなかった。平針→東山動物園→東山通→広小路通→末盛通→病院の予定だった。分からないまま暫く走って見慣れた国道1号線に出たので、スゴスゴと帰ってきた。午前10時半に出発し、昼食も取らずに帰ったのは午後4時だった。この日は、携帯も家に忘れて出掛けたため友に連絡を取ったのはそれからだった。不始末を詫び様子を聞いた。手術後膿が出て再入院したが、今は快方に向かっているとの事、また医者に来なければならず、その時に我が家を訪ねてくれると言う。有難い言葉だった。今回はこれに甘えようと思う。

1/25 友から「今日、医者の許可が出て退院できたよ。」と、嬉しい知らせが電話であった。本当に良かった。仕事が気になるだろうが息子さんに任せて、少しゆっくりしてしてからにして欲しいと思う。次は、2月5日に病院に来るそうで、帰りに私の家に寄ってナ。

アイコン 












1/10

/14


「入院・手術になった」

1/10
 正月早々縁起でもないと思ったが、「悪い時は仕方ない、早いほうが良い」と思い直し動物病院に連れて行った。レントゲン検査の結果「内臓があるべき位置にない」事が解り、緊急手術が必要となった。医者に後のことを頼み帰ってきた。
 ←病院のケージに入れられた”ちゃ茶“

1/11 医者の話によると、大切な臓器が腹部になく背中に貼り付いていたとのことで、全部を元に戻し、穴も開いていたので縫ったとの事であった。原因は不明だが、臓器を保護する骨が弱く、何らかの衝撃で容易に移動した。今後も心配されるので、移動しないように糸で止めたと云う。
ちゃ茶は野良出身で、家に来た時小さな猫であった。栄養状態も良くなかったのだろう。

1/14 元気はなかったが、退院の許可が出たので連れて帰った。身が更に小さくなり、骨と皮ばかりになってしまった。暫くは通院が続きそうだ。

1/26 猫版の骨皮筋衛門になった「ちゃ茶」が、抜糸(手術の際、開けたところを縫い合わせた糸を抜く)が出来る状態までなり、実施した。時間は掛かるが、脚と腹の毛を剃った所と肉を元に戻そう。

 アイコン
 








1/2
「家族揃って来られるのは年二度かな?」
 
距離は車で30分の所に住むが、なかなか3人の都合が合わず来られないらしい。長男は仕事帰りに時々顔を見せる。
 今回は年始とあって一緒に来た。孫は大人っぽくなり、随分奇麗(身内が言うのも可笑しな話だが)になっていた。来年は早いもので成人式だという。学業にもシッカリ励んで欲しいと思うのだが。









アイコン













1/1

「まさに寝正月」
いつも元気な嫁が、今日はグッタリだ。食事は、時間になれば妻と協力して出してくれるが、それ以外は炬燵で寝たきりだった。無理して来てくれたのであろう。孫をはじめ、全員が程度こそ違うものの不調で静かな一日だった。長い間にはこんなこともあろう。











トップページヘ                                  2019/12月以前のページを見る