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随想
           
謎の1セント硬貨の読後感(平成21年3月25日脱稿)

      私は60歳でトヨタ自動車を定年退職した後は、硬表紙の書籍を買ったり図書館から借りて読んだりしたことは殆ど無かった。

      現役時代とは異なり、勉強せざるを得ないニーズもなかったし、今更知識を増やして何になるのかとの拒絶反応も抑えられなかった。そんな読書よりも現役時代には時間的な制約から我慢していたスポーツ・国内外旅行や財テクに時間を割きたかったからでもあった。

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はじめに

   時々、知人や友人からの献本を受け始めた。人生も終わりに近づくと『自分史』や『旅行記』などを書く人が増える傾向にあるようだ。献本者へのおん礼にでもなればと、読後感を送るべく何とか読了しようと決意して読み始めるが、大抵は途中で挫折した。現役時代にまともな論文を書いた経験に乏しい人は、書く前に構想(言わば設計図)を十分吟味する習慣が身に付いていないのか、独りよがりの意味不明な叙述が多く、読み進めるに連れて疲れが溜まり付き合えないのだ。

   しかし、今回の向井様の献本は、我がホームページをふとした機会に読まれてメールを頂いた、未だお会いした事もないNTTファシリィティズの齋藤様⇒同じくお会いしたことも無い大学後輩の永松様経由で『向井様』から頂いた貴重な本であったからだけではなく、向井様は我が母校航空工学教室後輩の宇宙飛行士『若田』(会ったことは無いが・・・)とも宇宙飛行士の奥様を通じて繋がりのある方なので、何が何でも最後まで眼を通すべきだと決意して読み始めた。

蛇足

@ 著書の紹介

   『謎の1セント硬貨』・・・講談社・1300円・2009年2月20発行

                        

A 向井様ご夫妻

   インターネットからお二人の写真を無断でコピーした。

           

B  我がホームページへの永松様経由の向井様の感想 ⇒ 究極の褒め殺し!
   
   ビックリ仰天です。凄いとしか言いようのない方ですね。「エネルギーの塊」、「好奇心旺盛」、「知性充分」、「体力充分」・・・。癌にもめげず、年齢にもめげず、世界中を飛び回っているなんて。
   
   こういう方がトヨタにいたというだけでもトヨタの凄さがわかります。石松良彦氏のような方は、そうはいません。日本だけではなく世界でも。

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総評

   読み始めた途端に我が事前の予想は簡単に転覆してしまった。『かっぱえびせん』のコマーシャルそのもののように、そのあまりの面白さに引き込まれて久し振りに『やめられない、とめられない』を体験し、一気に読み終えた。

   面白さの誘発原因は、著者と私の物事への取り組み姿勢が余りにも似ていて共感・共鳴しただけではない。36年も前の昭和48年、最初の外国訪問になった米国(その後は出かけたことも無い国)出張時には全く気付かなかった話題の多さに感服したからでもあった。

   読後感からは脱線するところも多々あるが、我が海外旅行での印象との対比も含めての総括読後感としてご報告したい。

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インターネット検索

   現在はインターネット時代だが、36年前は未だ手紙時代。私は嘘も方便とばかり読んでもいない論文の著者に手紙を送った。向井様がインターネットで質問される時の冒頭の挨拶の一例
『私はアメリカの硬貨に興味を持っている日本人です』。もちろん、これは真っ赤な嘘・・・(16p)に何と似ていることか。

   我がホームページ(旅行記・アメリカ)からの転載(文字が青色部分)。

   僅かに3週間の出張ではあったが、土曜日の出発で日曜日の帰国、更に途中にアメリカの祭日『Good Friday』を含む3連休もあり、密かに『This is The USA』と報告出来るような観光情報収集計画も織り込んだのであった。

   Good Friday の由来が分からず、豊田市内の牧師に質問したが即答出来なかった。日本の暦とは直接の関係がないためか、牧師すら知らないことに若干の驚きを感じた。調べてみると『Easter直前の金曜日と定められているキリスト受難の記念日』だった。『Easterとは春分後の満月直後の日曜日』と決められている事もついでに知った。従って必ず『3連休』が保証されているのであった!
       
   祭日とは曜日に無関係な暦上の固定日と思い込んでいた私には、新鮮な驚きが感じられた。だがよくよく考えて見ると、日本にも『春分の日』や『秋分の日』のように、固定日ではない祭日がある事を迂闊にも忘れていたのだった。

   この出張の真の目的は『この貴重な機会を活用して国際的な見聞を広めると共に、広く先進技術を現地で直接調査する事にある』と格調も高く提案した。出張先の選定は私の随意と言われたが、アメリカのどこに行って何をすれば目的を果たせるのか、自分で提案をして置きながら無責任にも、当初は雲を掴むような不安すら感じていた。

   当時の私の担当業務は『CAD/CAM』の企画調査及びその開発にあった。ご他聞に漏れずこの技術分野でも、アメリカの大企業が世界の牽引車であったが、同国の業界トップ企業と雖も、経済界に於ける日本の台頭を強く意識し、日本人の技術調査には強力な紹介者を介さない限り、訪問許可すら与えない程の世知辛い時代に既に突入していたのであった。

   日本アイ・ビー・エム、日本シー・ディー・シー、日本バローズ、日本ユニバックなど、アメリカの代表的なコンピュータ・メーカーの日本法人のトヨタ担当者を通じて、希望の会社の見学許可を取ろうと打診したが、いずれも確約には至らなかった。CAD/CAMで著名な大企業は全て超大型コンピュータのユーザーであり、上記の紹介ルートならば、どこかに必ず接点がある筈だと考えたけれども、現実はかくも厳しかったのである。

   仕方がない!ダメ元と、独力で訪問許可を獲得する道を探すことにした。まず最初に訪問したい大会社を選び直した。技術的には有名でも中小企業には、一見の外国人の相手をするほどのゆとりはあるまいと考えて削除した。
         
   次にアメリカの地図にその所在地をプロットし、出来るだけ特色のある大都市にある会社から優先的に選んだ。アメリカの各地を観光したいがための作戦である。次にその会社のエンジニアが発表した技術論文を集めた。
                      
   その後、各論文執筆者に
『貴台の論文には強い興味を感じた。工場見学及び貴台との技術討論の機会を持てるようにご配慮願いたい』と論文を読む代わりに、お世辞を述べて、私の発表論文の要旨を添えた手紙を出した。照会には全てコンピュータ・メーカーを介した。『ギブ・アンド・テイク』の世界に時代は確実に入っていたと確信した結果だ。

   作戦成功!打診した全ての会社から訪問許可が下りた。誇り高きアメリカ人と雖もどうやら、台頭しつつあった日本の技術に若干の興味をそそられたらしい。

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興味が尽きなかった話題

@
謎の1セント硬貨(17p)

   第二次世界大戦前の日米の工業力は1:10だった。1セント硬貨の枚数が如何に多かろうと、材料の銅が不足し亜鉛メッキした鉄で代用していたとは想像すらしていなかった。日本の風船爆弾や竹槍戦法ほどではなくてもその苦労が偲ばれる。

   米国駐在体験がある何人かの友人に質問したが、この歴史的事実は知らなかった。

A 14という奇妙な数字

  
 『14年間に亘って合衆国住民でないものは大統領に選ばれる資格がない』(36p)との憲法にも驚いたが、その理由探しの向井様の根気にはもっと驚いた。

   私が『14』という数値のルーツとしての幾つかの可能性の報告の中で最も納得性を感じたのは、マタイ伝(アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代)からの借用ではないか、との氏の推定だった。

B 巨大な星条旗

   幾何学の世界とは異なり、世の中には例外は無数にあるものの、
アメリカ国内のトヨタ車販売店が一際大きな星条旗を立てている(47p)とのご指摘は想像すらしていなかったし、今まで聞いたこともなかった。私が出張でアメリカ国内を駆け巡った昭和48年とは様変わりの様子が伺える。当時の輸出主力車はRT40(三代目のコロナ)だったが未だ微々たる量だった。

   海外で発生した何度かの感情的な抗日暴動を乗り越え、輸出に活路を見出すべく全力を挙げて生き延びている今日の製造業の大手各社では、商品の最終的な購買者である夫々の国民に感謝しながら仕事をする態度がますます強くなってきた。

   向井様がトヨタ車販売店で感じられた印象はひとりアメリカだけではなく、世界各地のトヨタ車販売店で活躍している従業員の勤務態度からも普遍的に受け取られる筈と予想している。

   私は50歳代の頃、トルコ・パキスタン・ベトナム・中国などの発展途上国に、工場進出をする価値があるか、進出して成功する可能性はあるかなどの調査をしていた。そのときにはどのようなアプローチが適切かを常に念頭に置きながら、その国の関係者と必死になって議論を重ねていた。

   そのことに極端に触れた旅行記(懐かしのあの国、この国 ⇒ 定年の挨拶が目的だった海外出張の旅行記)から一部を引用。

トヨタサ(トルコ)

   トヨタサの工場は日本でも見掛けないほどの立派な工場だった。事務所・食堂・工場建屋・緑地帯など、いずれもユッタリとした配置。工場敷地内には、不幸にしてテロに倒れた故サバンチさんの銅像が建てられた日本庭園すらある。生産能力は高く、需要さえあれば増産は簡単だ。工場の食堂も昼食も立派なものだ。これならば、社長以下全員が同じメニューの昼食を食べていても、不満が出ない筈だ。しかし、一緒にFSをした駐在員の久さんからは予期せぬ事を聞かされた。

   『減産下の現在、減価償却費の負担は重いが、元を辿れば結局のところ石松さんの企画案に行き着く。故サバンチさんは、石松さんを心底尊敬し、石松さんの提案には一切の変更もせず、その実現に全力を注いだ。しかし、今日の苦境は石松さんの責任ではない。ある意味ではバブルの産物だ。TMC(トヨタ自動車)の役員も賛同したのだ。

   サバンチさんはヒルトンの予約でも、石松さんだけは特別扱いをした。私たちは実はその事には、不満を持っていたのですよ!』⇒知らなかった!そう言えば、私は何時も 185$のボスフォラス海峡が見える見晴らしの良い部屋、その上しばしばワイン・果物・チョコレート・お花の差し入れを受けていた。海外出張回数は数え切れないと言う久さんや同行者は 135$の見晴らしの悪い部屋だったが、経費節減のために自主的に協力しているのかと思っていたのだ。

   時にはホテルのマネジャーから『スイート・ルーム(長方形の建物の四隅にあり、窓は2面3ヶ所、床面積は2倍の角部屋。ワン・フロア50室につき4室しかない)が空いている。料金はスタンダード・ルームと同じにする。荷物はボーイに運ばせるから移らないか?』と言われ、物見高さから移ったこともあった。今にして思えば、トルコの大統領や首相などとも渡り合っていた、故サバンチさんの口利きだったのだ。

   トルコ側のFSグループとの懇談の席でも、私は驚かされた。私とサバンチさんが議論する時には、彼等が一切口を挟まなかったのを異様に思っていたが、彼等はその時のやり取りを必死になって聞いていたのだ。

   『石松さん。サイトの選択の話題の時にはこんな話もしていた』などと、私がすっかり忘れていたことまで、思い出させてくれた。当時、固唾を飲む思いで、やり取りを聞いていた証拠だった。さらに『石松さんの最初の挨拶文の中身は、私たちの誰一人として、忘れてはいませんよ』と付け加えた。サバンチさんの長男が初対面の時『挨拶文は詩のように素晴らしい、と父が語った』と言ったのを思い出す。

   『それにしても久さん。工場の分厚い鉄骨の柱は過剰品質とは思いませんか?』『英国の建設会社から、トルコのような地震国ではこの位の柱を使わないと、安全は保証出来ないと脅かされたのですよ。岩盤が深い所にある沖積平野だったので、コールタールを塗った摩擦杭も10坪につき1本、何と延べ3600本も打ち込みました。逆に航空工学を専攻した石松さんにお尋ねしたいですよ。何と反論すれば良かったのかと』

   『設計者は耐震建築の設計法に無知だった以前に、高校生でも分る力学の初歩(とは言うものの、概念を真に把握している者は、工学部卒でも意外に少ない)すら理解していなかったのですよ!台風と異なり、地震が建物に与えるのは力ではなく、加速度だけですよ。ニュートンの運動の第2法則によれば、地震が建物に与える力は加速度に質量を掛けた値として計算されます。従って、どんな大規模地震でも、質量の小さな葦は1本すら倒せません。 
          
   建物が柱に与える地震力(外力)は、柱に加わっている屋根の質量と加速度の積で求められます。この工場は平屋なので屋根は軽く、地震力は微々たる値です。阪神大地震では、鉄筋コンクリート製マンションや百貨店が、自らの質量(俗に言えば重さ)から発生する地震力で破壊されましたが、あの安っぽいプレハブ住宅が1軒すらも壊れなかったのは、理の当然ですよ。地震学も耐震建築法も学んでいませんが、この程度の問題は私にだって即座に解けますよ。何と言う無駄!』と言ったものの後の祭り。

IMC(パキスタン)

  
 酒にも気持ち良く酔い、宴もたけなわ。さわやかな夜風に当たっていたら、つい調子に乗って、敬虔なモスレムを前に、恥ずかしさも忘れてコーランについて思い付くままに語ったのだ。

私の理解したコーラン

   コーランと聖書とを比較したら、コーランの言葉には異教徒の私にも強い納得性を感じる箇所が多い。アラビア語で書かれたコーランは他言語への翻訳が厳禁されているので、私は解説書を読んだに過ぎないが。

   ………コーランは『人は神の前に全て平等』と言う。フランス革命(1789年)の人権宣言よりも、1100年以上も古い。コーランの平等の観念は今日の欧米の平等思想よりも、更なる厳密さを求めている。例えばイスラムには、人の上に立つ聖職者は存在しない。また、メッカへの巡礼では皇帝も国王も国民も、全く同じ服装と行動を強制されている。

   ………モスレムの1日5回のお祈りは大変健康的だ。繰り返し大きく体を曲げながらのお祈りは、健康維持のための体操を兼ねている。また、お祈りの前には衣服から露出している体の全てを洗って清潔にしている。日本人はラジオ体操やストレッチ体操をしているが、1日5回も繰り返して運動する人はいない。日本人は風呂好きを根拠に清潔さを自慢しているが、1日に5回も入浴する人もいない。その意味ではモスレムの生活は日本人よりも遥かに健康的かつ衛生的である。

   ………お祈りの開始時間は厳密に決められている。したがってモスレムには時間を守ると言う、社会生活に有益な習慣が自然に身に付く。

   ………コーランは偶像崇拝を禁じている。キリスト教(モーゼの十戒の第2条:汝自己のために偶像を造りてこれを拝すべからず…とあるにも拘らず)も仏教もヒンドゥ教も今なお布教の手段に、絵画や彫刻を使っている。偶像は大昔、文盲の民への布教の手段として考え出されたものだ。言葉を通じて抽象的な概念(教義)を理解させる立場にたつ宗教は、どんなに賢い動物をも信者にすることはできない。偶像抜きにコーランを理解できるモスレムは、他宗徒よりも平均的には頭が良い証拠だ。

   ………コーランは4人までの妻帯を許しているが、本来の趣旨を踏み外した多妻主義者のモスレムがいるのは恥ずべき事だ。コーラン成立の頃は部族間の抗争が絶えず、結果として戦争未亡人が生活に困窮した。余力のある者は正妻の同意の許に、戦争未亡人の支援のため4人までの妻帯が許可される一方、それ以上の妻帯者には4人までと制限した上、全ての妻に全く同じ愛を注ぐ義務を課した。

   信号待ちをしていたら、今にも死にそうな乞食稼業の老女が車のドアを叩きました。多妻主義者の真のモスレムならば、第2婦人以降の結婚相手はあの方々の中で最も気の毒な方をこそ選び、若くて美しい正妻へと同じような愛を注いでいる筈。もしもそれが実行出来ないのならば、結局は一夫一婦制にならざるを得ない。その意味ではコーランの教えは、今なお通用する正しさを失わない。

   ………富める者は貧しき者に喜捨せよとの教えも素晴らしい。今日の国家は本人の意志とは無関係に税金を取り立てるが、喜捨で集める方が遥かに崇高である。

   ………禁酒の教えも素晴らしい。過度の飲酒は健康を害し、深酒は過ちを得てして起こし勝ちだ。

   ………断食は毒素と化す体内の滞留物を排除するので、禁酒以上に健康に益する。しかも、断食明けには天地の恵みに心底感謝する気持ちが生まれる。 
  
   私にはコーランに記された内容の大部分は、当時の人達が人生をより幸せに送れるようになるために、教祖ムハンマドが考え抜いたガイド・ブックのように思える。神の啓示をムハンマドを通じて、人間の言葉で表現させたコーランを信じることは、神を信じることに通じる。しかし、神を信じお祈りをする目的は、人生の難問を神に解決してもらうためではない。

   神を信じることの最大の価値は、神と共に生きる事にある。詰まりは生きている限り、神のお導きから逃れる事が出来ないと思えばこそ、他人の目の有無に関わらず、自律した人生を送るようになる点にこそある。

   スリさんが大変喜んだだけではなかった。別れ際に『IMC主催の夕食会に集まった仲間に、今のコーランの話をもう1回、語って欲しい』と頼まれた。

IMC主催の夕食会

   大きなホテルの屋上でバイキングをご馳走になった。見晴らしも良く、ビアガーデンのような雰囲気だった。酒類は一切なくて残念だったが、成り行きながらも私には心に染み渡るハイライトを、またもや迎えることになるとは知る由もなかった。 
                                 
   スリさんが居並ぶ会社関係者に私を改めて紹介した。『ミスター・イシマツは丁度10年前の1988年8月に、TMCから初めてパキスタンにきたエンジニアだ。灼熱の暑さの中、私と一緒にカラーチとラホールの自動車部品会社を駆け巡り、延べ4時間ものビデオに撮り、TMCの関係者にパキスタンの実情を詳しく紹介してくれた。 
                                
   彼の努力の結果、IMCだけでも 600人にも及ぶ働きの場が生まれた云々…。石松さん。昨日のコーランの話はとても面白かった。もう1回、皆に聞かせて欲しいのですが!』。その時、田さんが『石松さんはIMCの父です』と大袈裟な紹介を追加した。

   『コーランに関する私の理解は……。以上が、私が信仰に生きる真のモスレムを心底、尊敬している所以です。しかし今回、IMCの従業員や社内で出会った人々からは、全く違った印象を受けました。

   清潔好きのモスレムの筈なのに、工場内の至る所にある、5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)を誓う場所を示す円内ですら、あろうことかゴミの山。神と共に生きている筈のモスレムが泥棒稼業を平気でするのか、鉄砲を持った30人ものガード・マンが工場内を巡回せざるを得ない始末。コーランの掟が忠実に守れるモスレムならば、部品棚に誤品を入れたり、作業標準違反者は出ない筈。

   本日の夕食会の集合時間に間に合ったのは私只一人。皆様が全員揃ったのは約束の30分後でした。ひょっとして皆様は、ご自分の時計が壊れていたのにお気付きにならなかったのでしょうか?念のために、時計を拝見させて下さい。
    
   敬虔なモスレムとしての日々の行動と今回直面した事実からは“あなた達の信仰は単なる見せ掛けに過ぎず、あなた達は揃いも揃って究極のエゴイストだ”と言う結論のみが自動的に誘導されるのですが…』

   ある参加者が『遅刻して申し訳なかった。しかし、私達がモスクに定刻に集まれるのには地理的な事情があるのですよ。モスクは歩いて行ける生活圏内にあり、予想もできない交通渋滞の影響を全く受けないからです。このホテルは都心にあり、家からも遠く、今日は渋滞に運悪く巻き込まれました』

   チャンス到来とばかりに、私は演説を開始した。『先程も申し上げましたが、偶像禁止に生きるモスレムの頭の良さと、そこから生まれた歴史的な実績は、世界的にも抜群だと思っています。かつて、ヨーロッパが暗黒の中世と言われた頃、ギリシア・ローマ時代の文化を引継ぎ発展させたのは正しくあなた方の先輩、中東のモスレムでした。

   あの輝かしい“ルネッサンス”はイスラム文化圏が存在していたからこそ、生み出された成果と言っても過言ではありません。今日でも使われている科学用語の中には、あなた方も知っているように、アラビア数字・アルカリ・アルカロイド・アルコール・アルジェブラ!など、無数のイスラム科学に由来する言葉が組み込まれています。

   今日の日本では、インダス文明(モヘンジョダロ)で既に実用化されていた下水道ですら、3000年以上経った今なお完成していません。インドで生まれた仏教はパキスタン⇒シルクロード⇒中国⇒朝鮮経由で日本に伝わりました。大昔のパキスタンから日本が受けた大きな恩恵に比べれば、日本人の返礼は誠に小さく、未だにパキスタンの人々には頭が上がりません。微力ながら私達もTMC(トヨタ自動車)を通じて貴方達に、何らかの貢献ができれば、これに優る喜びはありません。

   日本人は片手では5までしか数えられないが、パキスタン人は指の関節を使う事により15までも数える特技すら持っています。つまり数学的能力は3倍も高いとさえ言えます。長い間カラーチで生きていた頭の良いあなた達の場合には、過去の体験からこのホテルに定刻に来るためには、最悪の場合を考えて何分前に家を出れば十分かは、いとも簡単に推定できる筈だと思います。カラーチに来たばかりの、しかも頭の悪い典型的な日本人の私ですら、定刻に来れたのですぞ!』

   静かに聞いていたある参加者が堪え難くなったのか『勝負あり。石松さんの方が正しい』と言ったら堰を切ったように、別の人が続いて発言した。『石松さん。貴方のご指摘には、矢で心臓をその都度、突き刺される思いです。近い将来もう1回、IMCに来て下さい。改善をここに誓います』

   『はるばるIMCまで来て、眼で確認する必要はありません。巡回しているガード・マンの人数の減少度を聞けば、全ては分かります。それに、先程自己紹介しましたように、私は本年9月1日にTMCの定年を迎えます』

   やがて、お開きの時間になった。スリさんが円筒状に包装された品物を取り出しながら『石松さん。貴方はコーランに書き留められていた神の言葉を使って、私達モスレムを完膚なきまでに批判してくれました。貴方のご指摘は余りにも奥が深かった。コーランの教えを深く理解した上で、私達に語り掛けてくれた私が出会った唯一の日本人です。これは、私達IMC関係者からの感謝の印です』と言って、1畳大の手織りのパキスタン製絨毯(時価はワーカーの半年分の収入)を差し出された。

   驚いた私は日本人駐在員に『貴方達がスリさん達に出させたんじゃないの?』と詰問。『違います!スリさん達の本心です。TMCからの来訪者に、あんな立派な贈り物をしているのを見たのは初めてです。役員といえども、記念にもならないような御土産ばかりでした』と田さんが答えた。


ベトナム


   工場周辺には木が植えられていた。政府から植樹を求められ、従業員が植えたのだそうだ。これには思い当たる節があった。

   FSの頃、政府の意向をそれとなく探るために我が独断で、緑地帯を書き込んだ工場レイアウト図と基本構想(設備投資額1億米ドル・従業員1千人等)の私案を、当時(今も)の重工業省の副大臣チュアンさんに渡しながら『既存のベトナムの工場は設備が古いだけではなく、建物の中も外も余りにも汚い。従業員が誇りを持って働ける環境整備こそが、一番大切な品質向上運動を成功させる前提である』と強調したことがあった。

   『チュアンさんは“その通り”と言わぬばかりに頷いた。それを覚えていたのかも知れません。と言うのも、その後あちこちで出会った政府関係者が、あのレイアウト図に書き込んだ各種目標を反芻しながら、“あの通りに工場建設計画を正式に申請すれば、許可は直ぐに下りますよ”“早く出せ”と言わぬばかりに何度となく示唆されたからです』     

   『ところで上さん。私は今発言する立場にはありませんが、玄関前が荒れていますねえ。おまけに、日本人の通勤車が無秩序な駐車状態で玄関回りに置いてありますねえ。私には大変気になります。玄関前は工場の顔です。緑化を更に進め、車は工場の裏とか別の所に置いたらいかがですか?特権階級振りの振る舞いは、ベトナム人の心を傷付けますよ』『ご指摘の通り。直ちに移します』 

 
C 強制収容所

   
アメリカは国内の日系人だけではなく、南アメリカや中央アメリカなど他国にいた日系人までアメリカの強制収容所に入れた、(77p)との説明に驚いた。

   アメリカやソ連(シベリア抑留)の日本に対する傍若無人振りには怒りを今尚抑えきれないが、ナチスの暴挙、欧州人の奴隷狩りなど、いわれの無い優越人種観に起因する行動は薄れつつあるとは言え、完全に消滅したわけではない。

   その態度はノーベル賞の受賞者数にも現れている。

ホームページ(健康・多重がんの闘病記)からの引用。

世界最初、ウサギの耳に人工がんを発症(1915年・山極勝三郎東大教授)

   1915(大正4年)東大医学部教授の山極勝三郎と大学院生の市川厚一は世界初の発がん実験に成功した。ウサギの耳にコールタールを塗っては翌日拭き取り、また次の日同じ場所にコールタールを塗っては翌日拭き取る作業を繰り返した。その結果660日間で101匹のウサギのうち31匹に癌が発症した。海外での反響は大きく、実験成功の2年後にはロックフェラー研究所から野口英世も駆けつけた。

   この業績はノーベル賞選考委員会の目にもとまり、医学賞の受賞候補2点に残った。その時のライバルはデンマーク、コペンハーゲン大学教授のフィビゲルだった。

   彼はねずみの結核を研究している途中、ある3匹のねずみの胃の一部分に同じようながんを見つけた。顕微鏡でがん組織の中に寄生虫を発見した。その感染経路を調べた結果、寄生虫の中間宿主はゴキブリで、その筋肉の中に幼虫が潜み、それを食べたねずみの胃壁の中で成虫まで発育。
   
   そのとき、寄生虫の出す何らかの物質ががん化作用を持つと推論し、1913年ドイツのがん専門誌に堂々と80ページに及ぶ大論文として発表した。受賞委員会は、ある委員の
『東洋人にはまだノーベル賞は早い』との主張に同意し、世界で初めて人工がんに成功したとの理由で、フィビゲルは1926年にノーベル医学生理学賞を受賞した。
   
   ところが後年、数々の物言いがついた。アメリカのブルロックとローデンバークは、ねずみには単なる機械的刺激でも胃がんが発生しうると発表し、イギリスのパッシーはビタミンA欠乏食を食わせただけでねずみの肺にがんを起こすという重大証言を行い、フィビゲルの論文は否定された。日本人としては何とも無念な結末である。

   数年前にノーベル賞選考委員会の関係者が日本を訪れた。我が記憶では『来日の目的は日本政府に山極博士の件を詫びるため』と報道された。しかし、これはカモフラージュだったと今では推定している。当時彼らは島津製作所に田中耕一氏を訪ね、彼の業績を精査して帰国した。

   昨年、田中氏のノーベル化学賞受賞理由について選考委員会は『最初に門を開けた人にこそ、ノーベル賞は与えられる』と力説した。当時ドイツ人たちの功績が高いとの下馬評もあったが、選考委員会は田中氏に軍配を上げた。私は田中氏のノーベル賞の背後には、選考委員会の山極博士へのお詫びも込められていたと推定している。

D ホテルの風呂


   
『アメリカのホテルのバスルームではシャワーヘッドが壁に固定されていて使いにくい』(90p)とのご指摘に同感。

   実は私も国内外を問わず洋式ホテルの風呂の使いにくさには辟易して、旅行記でも何度か書いた記憶がある。

   ホテルのお風呂に入るたびに新しいお湯を入れ、湯船の中で石鹸を洗い流す贅沢さには私は一目置くものの、足の裏を洗うたびに苦労させられる不満が残った。日本の風呂では洗い場に椅子があり、椅子に座って体を洗えるのに、ホテルの風呂では立ったまま体を洗っているが、足の裏を洗うときの不安定さには不快感が残る。

   シャワーを使うときにはカーテンを引かせられるのも面倒な上に閉塞感も感じ、髭を剃るときにも鏡の位置が高く、丸腰のまま鏡に向わせられるのも不快。おまけに窓も無く外界とも遮断され開放感も感じられず、入る気がしない。

   日本の温泉観光ホテルでは大浴場に直行。室内の風呂を殆ど使わないのは同じ理由だ。アメリカのホテルは部屋も広く室内の調度品も立派なのに、どうして風呂の快適さを追求しないのか、不思議でならない。体さえ洗えればよいとの機能主義一点張り。ローマ時代の入浴による開放感や気分転換を味わう習慣が、どうして消滅したのか疑問のままだ。

E 地球は丸いと実感

   アメリカ大陸を車で走行するときに
『地球が丸いと実感できることがある。遥か彼方まで道路が一直線に続いているからだ』(124p)。

   私も日本では味わえないこの感覚に襲われると、旅行記(西アフリカ)に書かずにはおれなかった。

バンディアガラの断崖(世界遺産)

   世界中何処にでもありそうな断崖に過ぎないのに、何故世界遺産に登録されたのか疑問を感じてインターネットで調べたら、それなりの理由を発見。

   バンディアガラの断崖は、マリ共和国のドゴン族居住地域となっている断崖。その壮観な自然環境と、マルセル・グリオールの紹介によって広く知られるようになったドゴン族の文化が保持されている地域であることから、ユネスコの世界遺産に登録されている。

   この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

   『特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている、ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落または土地利用の際立った例。ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの』
   
                

  私には世界遺産としての関心は湧かなかったが、断崖の上から眺めたアフリカの大平原の雄大さには心を奪われた。海岸の高い絶壁(石廊崎とか喜望峰のケープポイントとか)に立つと遙かかなたに丸くカーブしている水平線が眺められるが、此処では海面の代わりに大平原が、その先に大陸ならではの地平線が見られたのだ。

   中央アジアの大平原では周囲と同じ高さから眺めただけなので、この感覚には遂に出会えなかった。


F 4時間前には空港着

   どんなに遅くても離陸時刻の4時間前には空港に着いている。普通は6時間前(134p)。

   私は早朝離陸を除けば遅くとも2時間前には空港に着いている。国内外旅行を含めて空港に出かけるのは高々月に一回。早く空港に着いて失う人生は微々たるもの。早く着いて搭乗手続きを済ませ、ゴールドカードのラウンジでのんびりと只酒を飲みながら旅への期待感を膨らませるだけではない。

   飛行機に縁のなかった若いころは東京への出張の最大の楽しみは高島屋・三越・西武・伊勢丹などの大型デパート巡り。デパ地下は勿論のこと屋上に至るまで歩き回った。

   デパートは生きている現代の博物館。今何が最先端の流行の品なのか、今は買えなくともいつかは手を出したい品物は何か、必死になって情報収集。かつて豊田そごうの開店初日には開店から閉店までの間、店内を眺めつくしていた。

   空港のラウンジで一服した後はブランド品を売っているテナント巡り。品物の品質・価格の情報収集ほど楽しいものは無く、2時間などあっという間に過ぎ去っていく。

G シンデレラの暗号

 
  女房はアメリカで暮らしながら買い物の値段に関する詳細な観察と、呆れるような経験を続けていた(145p)。
   
   60歳で定年退職して以来、出張とも当然縁が無くなりデパート巡りも激減した。古希を越えた今では名古屋市の松坂屋・JR高島屋にも出かけなくなった。地元の松坂屋豊田店にも殆ど出かけなくなった。しかし、これは加齢と共に物への関心が激減したからに過ぎない。
   
   奥様が値札の下二桁が98セントで終わっている商品が75%引きだと気付かれたことからも、価格情報へのご関心の深さが分かる。
   
   実は日本でも同じような傾向があることに私も気付いた。お中元やお歳暮の価格は品番の中に埋設されている。5000円の品物の場合、何処かに50という数字がある。定価の判読法を知れば、野暮な質問を贈り主にせずに済む。
   
   エアコンの品番にも定格消費電力がさりげなく埋設されている。5KWの場合は何処かに50という数字がある。新聞のチラシに無数の商品が紹介されているものの、定格が記されていないことが多く、性能の比較が簡単には出来ないが、品番の付け方に上記のルールがあると分かった以降は困らなくなった。この種のルールは商品ごとに習慣が異なるようだ。
   
H マクドナルド

   
私は日本では、ハンバーガーを食べたいとは絶対に思わない(198p)。

   私もひき肉やハンバーガーなどのひき肉加工品は毛嫌いしていた。何が混在しているか判らないからである。ところが已む無くマクドナルドに手を出したことがある。

ホームページ(健康・多重がんの闘病記)からの引用。

体重減対策

   胃がんの手術後、見る間に体重が下がっていった。絶食しているから当然のこととは言え、逆算すると毎日500〜1000gもの減少速度だった。食欲不振の中、栄養のバランスよりもカロリーを補給しなくてはと思い、体積が小さくて、食欲が出て、カロリーが多い食品としてチョコレートを選択。病院の売店で板チョコを買っては毎日2〜3枚をバリバリ。

   退院後は荊妻に10時と15時のおやつを用意してもらっていたが段々面倒くさいようすがありあり。そこで方針を変更。一週間に一回、マクドナルドでハンバーガーを15個買ってきては冷凍保存。一個ずつ取り出しては電子レンジで解凍して食べた。ハンバーガーではでんぷんと蛋白質が補充されるので、カステラや菓子パンなどよりも栄養のバランスが取れる。
   
   おまけに使われているひき肉はオーストラリアの草原ビーフ。この牛肉は松阪牛のような霜降りではなく、脂肪はほとんど無いので一層健康的だ。ハンバーガーの中には玉ねぎなどの野菜もはさんであったが、量は僅かなので味付けくらいの意味にしか感じられなかった。流石は世界に冠たる加工食品。重量は1個100gピッタリの重さ。
   
   2ヶ月くらいはハンバーガーで間食を凌いだが、結局長続きはしなかった。致命的な欠点が2つあった。肉の筋抜き(注。肉屋では枝肉から骨を外したり、肉から筋をとったりする作業のことを、骨抜き、筋抜きと言う)をしないまま、ミンチにしているのか、時々肉をかんだ時に、筋を噛む事があり、嫌な食感となった。64歳に至るまで、虫歯1本無いのに、筋を噛むと嫌なのだった。第2の理由は、何故か肉に甘みが感じられないのだ。
   
   私には長い間、豊田そごうの肉の安売り日(毎月9,19,29日は肉の日と称して、定価の2割引だった)に、米沢牛の1枚160gのヒレ肉(成牛1頭のヒレ肉は6〜7kgなので、ヒレステーキはたったの40枚しか採れない!)を20枚(半頭分)買っては冷凍しつつ、少しずつ食べる習慣があった。和牛のヒレ肉と草原ビーフとを比較するのは公平ではないが、美味しくないものは結局願い下げになった。

   試行錯誤した結果、間食の用意は中止し、3度の食事を昔の通りに戻すことに落ち着いた。胃が小さくなっているので、一度に全部を食べることは出来ない。そこで副食は少しずつ残した。2〜3時間経つとお腹が空くので、保存していた残飯を電子レンジで暖めて食べた。その結果、荊妻の負担増加は無くなった。

   蛇足

   昨年(平成20年)夏には第5回目のがん治療のために愛知県がんセンターに9日間入院した。食道がんの内視鏡による剥離手術だった。食道保護のため術後は絶食。脱水予防を兼ねて点滴を受けたが体重はあっという間に3Kg減少。

   何れ近い将来に起こりうる手術に備え、過去40年間近く維持してきた54Kgの体重に手術による痩せ代3Kgを予め準備することを決意。自宅近くに回転寿司が開業したのを機会に、すし屋に出かけた都度、持ち帰り寿司を40貫注文した。

   寿司は冷蔵庫で3日間、食味は落ちるものの保存は可能だ。胃がんの手術で胃の2/3を切除したため、残念ながら食い溜めが出来ない。在宅日はおやつ代わりに握りずしを1,2個単位で刻々と食べ続けた。

   寿司はネタの種類が多いのが魅力だ。やっと3Kg体重が増えた。お陰でズボンのベルトも不要になった。これ以上の体重増には衣類の更新が必須なので中止した。幸い、マクドナルドのハンバーガーよりも長続きしている。

I 20mものキリストの白い巨像(246p)

   仏教界には奈良の大仏など子供に思えるほどの、お釈迦様の巨像が世界各地の岩山に彫られたり、建造されたりしているが、キリスト教界には何故か稀有である。私が出会った唯一のキリストの巨像はリオデジャネイロのコルコバードの丘の上に建っている像だけだ。

ホームページ(旅行記・地球は確かに丸かった)からの引用。

コルコバードの丘

   標高 710mの丘の頂上には両手を広げたキリストの像が建立されている。中東やアジア各国には仏像や神々の像を始め、国王などの巨大な彫刻が至る所にあるが、欧米ではキリストの像だけではなく、人物像でも大型の彫刻像は何故か見掛けなかった。ニューヨークの自由の女神像は唯一の例外だ。

   しかし、同じキリスト教国でもブラジルは変な伝統に束縛されなかったのだろうか?独立 100年記念事業として1931年に、高さ30m、両手の差し渡し28m、掌と頭の高さ3m、重さ1145トンの痩せたキリスト像を建立。今までは満艦飾の薄暗い教会内に飾られている、干物のようなキリストの像を見慣れていたので、頭が小さく見える10頭身のコンクリートの固まりをいくら熱心に眺めても、あり難みが感じられない。いかにも知恵が詰まっているなあ〜と感じる頭でっかちで、しかもふくよかに肥えた奈良や鎌倉の大仏に魅力を感じるのは、身びいきのせいだろうか?


   向井様がアーカンソー州の20mもの白いキリストの巨像に注目されたのも不思議ではない。私は見る機会こそ無かったが、もしも出会ったならば同じような驚きを感じたに違いない。
   
J パルテノン神殿・エッフェル塔・・・(264p)

   コロンブス以降のアメリカには旧大陸各地にあるような歴史的な建造物は無きに等しい。しかし今ではアメリカの各地で、世界的に有名な建築物であるパルテノン神殿・エッフェル塔・ピラミッドなどを真似た張りぼてのような建造物が各地に作られ続けているそうだ。

   しかし、こんな偽物がアメリカ人の心をどれだけ捉えるのか、私には疑問だ。エンパイヤステートビル・ゴールデンブリッジなどのように、その時点での技術の粋を投入し、歴史に残り世界各国が真似したくなるような努力をこそ私は望みたい。
   
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おわりに

   著者の万起男氏は宇宙飛行士千秋氏の支援活動をしながら、母校慶応大学病院の病理診断部部長兼医学部准教授の要職にも着かれている。本職では研究・教育・診療の業務で超ご多忙のはずなのに、日米を頻繁に往来し、米国ではドライブ旅行を楽しまれる時間と旅費にどうして不自由されないのか、不思議でならない。

   私の現役時代の体験からは、この本に書かれている人生が真実ならば何か本書には書かれていない裏話がある、と想像せざるを得ない。隠されたスポンサーがいるのでは? 母校の仕事は殆どされていないのでは?との疑問を払拭することは残念ながら出来ない。

   本書にはご子息の消息が全く出てこない。育児負担が無ければ時間と旅費の負担は急に軽くなる。とすれば、人生をこのように謳歌するのも一つの選択肢とは思うが・・・。

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読後感

初めまして。・・・“褒め殺し”の向井です。
 
読後感、拝読しました。大感激です。本を読み始めて“カッパエビセン状態”になるというのは著者にとってサイコーに嬉しいことです。

ホームページに載せられるとのことですが、何の問題もありません。でも、一つだけ気になることがあります。私はきちんと夏休みと冬休みをとって渡米しているだけで、本業はきちんとしています。いや、きちんとしているどころか、世間一般の方々の想像を超えた超過密労働をしています。

また、スポンサーなんていません。すべて自前のお金で渡米しています。この点に関してだけは誤解されています。

@ 著者・医・未だお会いした事もない方

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このたびは向井様の読後感ありがとうございました。

小生の3週間の海外経験では、貴殿と同じところはデパートめぐり(帰省時には必ず福岡市内のデパートを・・・・)ぐらいですが、さすが先輩と脱帽です。是非小生も貴殿書評コピーさせていただくことご了承ください。

なお、向井ご夫妻は、「君について行こう」の処女作をお読み願えれば、(お子様の時間がなかった?)がご理解いただける?? また、向井様は本業も過密のなか、(千秋宇宙飛行士)奥様が宇宙へ行かれる折は、休暇をあるいは留学を兼ねて孤軍奮闘だと小生理解しています。

石松様へのお願い。失礼かと思いますが当初から気になっていますことをあえて申し上げます。

細々と生きている年金生活者 石松良彦
上記斜線部分はなんとかしていただきたいのですが・・・・・・・・・。

A 大学後輩・元銀行員・向井万起男氏を紹介していただいたものの、未だお会いした事もない方

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石松さんのものの見方、考え方などを向井さんの記述と対比させながら、記載されており、いろいろな知識をいつも教えていただきありがとうございます。

宇宙飛行士の若田さんは石松さんの大学学部の後輩ですね。向井万起男さんの本を早速図書館へ行き探してみます。

がんの再発所見なしとのこと良かったです。今日は寒いですが、あと少しで桜も満開の日が来ます。石松さんのご健康を祈りつつ・・・。

B 中小企業の経営コンサルタントとしてご活躍中

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「謎の1セント硬貨」“真実は細部に宿る in USA”の読後感を拝見しました。どうやら、未知のものに対する好奇心の旺盛さに関しては、向井夫妻も石松さんに遜色ないのでしょうね。ただ、石松さんとは違って向井夫妻にはアメリカ合衆国の機械文明と科学技術力に対する強い共感があるのだろうと思います。

私は、1970年にシカゴショーの視察で出張して以降、訪問の都度その社会の裏側にばかり目が行くようになり、アメリカ嫌いになった人間です。欧州の仕事上のパートナーから「長い歴史と伝統文化に育まれた日本に、ブンカとクイモノのないアメリカ合衆国に憧れる人が居るのかい」と聞かれたことも影響していると思いますが、今はサブプライムローン破綻とオバマ大統領が、少しは好きな国に変わってくれる切っ掛けにならないかと期待しています。

ところで、定期健診では異常なしの診断だそうで何よりです。先日、保健師から「70歳を過ぎると免疫力が高まって癌は怖くなくなります」と聞かされました。それがどれほどの根拠のある説か知りませんが、私も定期健診で注意だけは怠らないようにしようと思います。

C トヨタ先輩・工・若くして依願退職⇒郷里の会社で大活躍された方・発明考案200件以上

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向井さんと石松さんは、お互いの文章の上で知性、体験、思想等々の共鳴し合う誠に素晴らしい出会いをされたものですね。

今回、石松さんが過去にお書きになった文章から引用されている内容の一部は私の貧弱な脳みその片隅に残っておりましたが、このように対比した形で読み直して、改めて貴兄の本質を見抜く洞察力と誰に対しても忌憚のない意見具申を実行する勇気に感嘆を禁じえませんでした。

とくに、イスラムのコーランの先見性に関する見解と崇拝の念に基づく現地社員の堕落ぶりの痛烈な批判が反感を招くことなく、真摯な反省と自戒への決意に繋がったくだりには感動しました。

外国人との会話の“べからず集”に必ず強調されている宗教に関する話題の忌避も、石松さんには通用しないタブーでしかなかったのです。

それにしても、他言語に翻訳が禁じられているコーランの本質を解説書を見ただけであそこまで深く解釈し、お互いに自国語ではない多分英語で伝えながら、理解させ納得させえた石松さんの言葉遣いの素晴らしさにも驚きを禁じえませんでした。

ところで、石松さんはゴルフやテニスのあとで、ハイレベルな会話を楽しむ多くの友人知人に恵まれていますが、どちらにも縁のない私は同席する機会がありません。仮に同席したとしても話題の中に一言も割り込むことが出来ないでしょう。

ただひとつ、私が貢献し得たのではないかと感じるのは、海外経験の豊かな瀬戸市のNさん、袋井市のKさんを紹介して石松さんの熱心なコメンテーターになっていただいたこと、そして面談を提案して肝胆あい照らす仲にまで進展したことです。向井万起男さんも直接お会いになる機会があれば、きっと昔からの知己のようなお付き合いに繋がるのではないかと推察します。

***************** 細々と生きている年金生活者 石松良彦******************** 

向井さんを紹介されたという大学後輩の方が指摘されているように、この表記はまったく相応しくなく今後はぜひ改めてください。

D トヨタ先輩・工・遺産相続で分割が不便な不動産は動産に換え、交通至便な横浜の賃貸マンションで暮らしながら、定年後の余生を謳歌中の方

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私のホームページの健康編に載せた『多重がんの闘病記』が専門業者のホームページ(http://lifepalette.jp/palette_book/show/484/131)で読むことが出来る本として紹介された経緯がDのトヨタ先輩からの下記のメールで分かりました。

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因みに私と同い年のトヨタOB石松さんは「石松良彦の海外旅行記」というホームページに彼の年齢を超える70数カ国を旅した紀行文のみでなく、多くの既往症の体験記、随想などを載せていて、そのいずれにも極めてユニークな見方、考え方、解析結果などが示されています。

昨秋、私に届いたメルマガだったか偶然見かけた出版社のサイトかで「あなたの書いた文章を本にしてみませんか。自費出版を原則としますが、内容次第では当社の全額負担により一般の書店で発売する市販本とさせていただく可能性もあります。まずはあなたが書き溜めた原稿を見せてください」というような趣旨の勧誘文を見かけました。

それに対して、「私自身の文章ではありませんが、私の友人がホームページに紀行文や胃癌をはじめ多くの病気の体験を詳しく公開しています。彼は多くの知人・友人にメールで全文を送っていましたが、ひとつの旅行記が40〜50ページにも及ぶ場合が多く、写真や地図など視覚情報が皆無だったので、私はホームページ化することを薦めて、メールは更新情報のみとするようにアドバイスしました。……」というようなメールを届けておきました。

数日後に「ご提案ありがとうございました。後日検討結果をお知らせします」という連絡がありましたが、毎日100通以上届くメールの中に紛れて私が見逃したのか、以後のやりとりはないまま今日に至っています。

http://lifepalette.jp/palette_book/show/484/131

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