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旅行記
           
ヨーロッパ
北欧(平成6年9月23日脱稿)
人生も残り少なくなって来た。現役時代から老後に向けて軟着陸すべく、徐々に生活のパターンを変え始めていた時も時、妻が友人達と北欧旅行を計画していたのを知り、急遽参加した。

予想以上に楽しかった。
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西欧・銀婚旅行(平成6年10月17日脱稿)
銀婚旅行(結婚…1968.3.21)を兼ねて定年旅行(ユートリップ)に出掛けた。『ぜひあそこに行きたい、といった特別の希望はなかった』ので、『ヨーロッパへ行きたい』との妻の提案のままにした。

海外旅行に慣れていない妻は久し振りに何故か従順だった。
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南・西欧(平成7年6月15日脱稿)
トルコへ出張した時、ギリシア・イギリス・ポルトガル・フランス・西ドイツ(当時)に幸いにも立ち寄るチャンスに恵まれた。

一瞬の時間ではあったが、深い感動を楽しむ事が出来た。
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イタリア(平成12年5月19日脱稿)
60歳代の友人達との会話に海外旅行談義が増えてきた。大抵の国には好き嫌い両者がいるが、イタリアについては『良かった』と例外なく語る。何故?。古代ではエジプトやギリシア、近世ではスペインやポルトガルが1回だけ輝いた。イタリアのように、人類史で2回も世界的な功績を残した国は少ない。                

ローマ帝国とルネッサンスはその誇りである。ヴァチカンはイタリアから独立しているが故に、欧米のキリスト教世界の、国家を越えた精神的権威を今尚保持している。

そうだ!。イタリアには、底浅き自称ハイテク日本が逆立ちしても、敵わない魅力がありそうだ!。
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独とベネルックス三国(平成12年10月1日脱稿)
7年振りに訪問したドイツは、マルクの暴落( 110⇒50円)などどこ吹く風、掠り傷にも感じられないほどの、繁栄の真っ最中だった。住宅地や大型の公園は相変わらず美しく維持されていた。安くて豊富な生活物資が店頭に溢れている旧市街は、年中歩行者天国となり人また人の洪水。人口と交通機関(鉄道・地下鉄・市電・国電・バス・自動車・自転車・徒歩・駐車場・駐輪場)のバランスも適度に保たれ、視界には快適な都市空間が広がっていた。           

廃墟の中から立ち上がった同じ敗戦国でありながら、日本とは対照的に感じる国土復興のこの違いは、一体何に由来するのであろうか?。ドイツを旅する日本人が例外なく感じる普遍的な疑問である。
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中欧(平成14年6月30日脱稿)
数百年近くもの長い間、周辺の大国に蹂躙され続け、遠くは30年戦争の近くは両大戦の発火点ともなっただけではなく、戦火にさらされながらも、民族のアイデンティティ(民族・宗教・言語・風俗習慣文化等)を頑ななまでに守り続けていた中欧諸国にも、待ちに待っていた『我が世の春』が、ソ連の崩壊を契機として遂にやってきた。                     

緑豊かな大自然に恵まれた郊外では、行き届いた国土への過剰とも思える手入れを感じる一方、各都市の中央広場は、廃墟にされた不幸な過去を忘れさせるかのように、美しく復元された中世の街並みに取り囲まれ、地域の老若男女が集う憩いの場としてだけではなく、海外からの観光客をも引きつける観光スポットとしても見事に復活。 

蕩々と流れるドナウ川と悠々たる時の流れに身を任せ、この世の幸せを満喫しているかのような人々の姿に接していると、眩しささえ時には感じられた。バブルが崩壊した結果、老後の不安に襲われているのか、世界に冠たる貯蓄を持ちながらも、心のゆとりを失いかけたかのような日本人とは、実に対照的にすら感じた。   
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ロシア(平成16年8月1日脱稿)

ロシアは世界最大の国土と天然資源だけではなく千年を超える歴史にも育まれ、世界に冠たる宇宙科学技術・軍事技術に加えて、文学・芸術・オリンピック等にも輝かしい実績を残しながら、国民の生活水準は今尚、発展途上国並のままであるのは、一体、何故なのか?

長い間ロシア民族は極寒の自然環境と闘っただけではなく、異民族からは勿論のこと、あろうことかその時々の同朋の為政者による理不尽な支配にも苦渋させられ、時には何百万人もの餓死者すら発生し、ひたすら生き延びるだけの人生を送っていた。

ロシア革命でやっと掴んだかと思えた幸せは、為政者の弾圧下に一瞬にして吹き飛ばされただけではなく、独ソ戦やその後に発生した米ソ間の冷戦負担に、ロシア人は国力の総てを注ぎ込まされて来た。

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独仏墺(平成17年2月24日脱稿)
太陽は確かに西から昇った!
多重がんの治療後早くも2年が過ぎ、寛解のご託宣を主治医から貰ったとは言え、再発や転移の不安が脳裏から完全に払拭されたわけではない。がんが検査(X線・CT・PET・内視鏡・ルゴール染色法・生検・マーカー値)で見つからなかったことと、がんが完治したこととは別問題だからだ。                                    

最悪の場合を想定すると、余生は古希までの残す所僅か3年半。この貴重な時間に、やりたいことを厳選し、やれる時にやり尽くしておこうとの意志は日を追ってますます強くなってきた。最早、肉親からだろうが誰からだろうが、節酒などのアドバイスを受け入れる気持ちは完全に消滅。人は人、私は私。我が命は我が宝!          
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バルト三国とフィンランド(平成18年2月11日脱稿)
欧州で『バルト三国』と一括して呼称され始めたのは、高々100年前である。バルト三国の前身地域はハンザ同盟の一翼をなす弱小都市群に過ぎず、十字軍・ロシア・スウェーデン・デンマーク・ポーランド・ドイツ等の近隣列強に、1000年以上も圧迫され続けただけではなく、時には植民地化もされていた。

賢人各位、驚く勿れ! イスラーム諸国から聖地エルサレムを奪還するとの口実で、キリスト教国は自らの南下侵略戦争を十字軍の名の許に隠蔽していただけではない。蛮族を改宗させるとの口実まで使って、北欧にも十字軍を派遣していたのだ! 欧州に於ける最後発のキリスト教国とは、十字軍に改宗させられたリトアニアだったのだ。
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コーカサス3ヶ国(平成18年12月10日脱稿)
   コーカソイド(白人)発祥の地と称されているコーカサス地方は、44万平方Kmの比較的狭い山岳地帯に10もの小さな国がひしめきあっている。有史以来、当該地は周辺のアッシリア・ギリシア・ペルシア・ローマ・アラブ・モンゴル・トルコ・ロシアなどの列強に度々蹂躙されつつも、しぶとく生き延びてきた。

   コーカサス南部の3ヶ国(アゼルバイジャン・グルジア・アルメニア)はソ連邦の崩壊とともに独立したが、同時に独立したバルト3国や中央アジア5ヶ国とは性格を異にしていた。バルト3国は完全なる欧州、中央アジア5ヶ国は同じく完全なるアジアの国だったが、コーカサス3ヶ国は欧州と中央アジアの両方の性格を引きずっていた。
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バルカン6ヶ国(平成19年6月17日脱稿)
   定年退職時(1998年)に計画した海外旅行の目標(訪問国数>年齢)を今回のバルカン6ヶ国旅行で遂に達成した。

   計画時点では75歳の頃に達成できると想定していた。しかし、4年半前(2002年12月)に胃がんと食道がんとが相次いで発見された時に最早余命幾許(いくばく)もないと覚悟し、主治医による寛解のご託宣を機に海外旅行を加速させた。爾来新規訪問国は25ヶ国を数えた。


   がんは寛解から更に前進し、主治医からは完治のご託宣。体重の復帰と連動したかのように体力も回復し、ゴルフの飛距離も仲間が驚くほどに復活。

      今回、所期の目標を達成したのを機に新たな目標を設定した。未訪問国のうちで私にとって魅力のある国は残り少なくなったので今後は数よりも質、年寿に合わせて白寿を目指すことにした。
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アジア
ベトナム(平成7年1月26日脱稿)
ベトナムには既に4回(H2&H6×3回)出張した。延べ1ヶ月を越えることになる。アジアの最貧国と言われるベトナムには、敗戦後の廃墟に立ち上がったかつての日本人に瓜2つの人々が溢れていた。おまけに人相までそっくりだ。

私企業の従業員であることも忘れ、ベトナムの発展に当社も何とか寄与出来ないものかと心底思った。
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トルコ(平成7年2月21日脱稿)
私に海外への関心を大触発してくれた国。トルコに出張したのは19871990年、6回延べ約半年に及ぶ。

既に5年が過ぎ去り忘却の彼方にあるが、個人としては大変想い出の深い国である。ここに仕事と人生の淡い記録として順不同ではあるが、筆の走るがままに書き綴る。
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パキスタン(平成7年3月8日脱稿)
私にとってパキスタンとはインドネシアやトルコで出会ったモスレムの人達と同じく、宗教や歴史の違いを越えて、心が通える事を再確認できた人達との貴重な出会いに溢れた国である。その後マレーシアのモスレムの人達に出会った時にも、全く同じ体験をした。                             

儒教(中国)や仏教(タイ)圏の人達よりも遥かに心が和むのは一体何故なのか、信仰への深さの違いなのか、今思い出しても不思議だ。
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中国(平成7年4月4日脱稿)
中国4000年の歴史の成果は、国語・日本史・世界史・書道の授業を通じて青少年時代にたっぷりと学ばされていた。その結果は深く私の人生観にすらも影響を与えていた。急に中国への出張が決まったとき、現地現物で確認できる喜びは隠し切れなかった。

ところが私の見た現実の中国は余りにも貧しかった。
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マレー半島(平成7年7月11日脱稿)
不潔な環境の中に貧困と雑踏が渦巻いていると、欧米人に長い間蔑視され続けていた我がアジアにも、いつの間にか緑溢れるガーデン・シティが実現していた。                   

政治家が良きリーダーシップを発揮し、国民もその期待に応えて実現した『シンガポール』と『クアラルンプール』の美しさに身を置くと、日本の哀れな実態が思い出されて心底悲しくなって来る。
台湾(平成7年9月29日脱稿)
台湾には1991年3月に出張で、1995年7月には旅行で訪問した。僅か4年間の間に、台北は目が覚めるほどに美しく変り、車の運転マナーも格段に良くなり、都心をぶらつく歩行者の振る舞いが、急速に欧米人に似て来たことに驚愕した。

日本人への恨みを既に乗り越え、親しく話しかけてくれる姿に接する度に、台湾人の心の広さに心底感動した。
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フィリピン・錫婚旅行(平成7年10月18日脱稿)
フィリピンがいかに近い国とは言え、夫婦揃って海外旅行に行ける時代がこんなに早く到来するとは、結婚した昭和43年の春には夢想だにしていなかった。
 
日本の生活水準が実質的にヨーロッパに追いついたのは、日本列島が沈没すると言われた石油ショックを、巧みに乗り越えた正に昭和50年代以降のことであった。岳父からはお礼の電話もあり、お金は掛かったがこの旅行に出掛けて良かったと改めて満足した。
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シンガポール(平成8年6月20日脱稿)
中学校時代からの親友・入氏が勤務先の『永年勤続旅行』で海外旅行に出掛けることになったそうだ。『一緒にシンガポールに出掛けないか』と竹馬会幹事の田氏に誘われ、ノコノコと付いて行くことにした。                  

この際、永年のご恩返しに多少なりともお役に立ちたいと、密かに自負もしていた『ビデオ撮影の腕』も披露することにした。それにしても今回の旅行が、こんなに楽しかった真因は何だったのだろうか? 
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西安・南京他(平成9年4月23日脱稿)

     僅か8年の間に中国は激変していた。高層ビルに溢れた町は美しく変わり、人々は自信に満ち紳士・淑女になっ た 。表情は豊かで明るく、清潔な服装に身を包み、革靴を履き颯爽と歩く。化粧した女性は若さに輝き、これがかつてと同じ中国人かと目を疑うほどだ。

   現地のガイドは素晴らしく綺麗な日本語を喋り、胸を張って名所旧跡を誇らしげに案内してくれ清々しかった。
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香港・マカオ(平成10年3月27日脱稿)
アジアの金融と物流センターとして21世紀を泳ぎ切れるか否か、世界が注目している香港。ついでにマカオにものこのこと出かけた。中国への返還行事を活用、マスコミも動員して観光客を呼び寄せ、英国の植民地経営の成功例の象徴とも絶賛させ、繁栄を極めていた筈の香港。

しかし、我が視野に飛び込んだきた『人々の行動に溢れた、物心両面の貧しさ』には予期せぬ驚きを禁じ得ず、香港の民を正視するのは些かながら辛かった。
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西(トルコ)南(パキスタン)東南アジア(ベトナム)(平成10年6月22日脱稿)
懐かしのあの国、この国

   海外進出の可能性を調査するチームの一員として東奔西走。その結果幸いにもトルコ・パキスタン・ベトナムに工場ができた。それらの合弁企業が当初の計画通り順調に発展しているか否かの総合評価を目的に、定年を間近に 控えた4月11〜25日に掛けて訪問する機会を得た。当時、苦楽を共にした現地の方々とも再会し、この上ない喜び を共有でき、楽しかった。                                                   

  中でもパキスタン人のトップ達から『私達の感謝の印』として、大きな絨毯をプレゼントされた時には、贈り物それ自体よりもその心に強く打たれた。

  一方、業務とは別に私個人としては『過去10年の間に各国で変化したもの、変化しなかったものは何だったのかを少しでも見極めたい』との楽しみも、心に秘めて出発した最後の出張のつもりでもあった。
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ムガール帝国(平成12年2月20日脱稿)
『そこに行けば人生観が変る』とまで言われるインドには、残念ながら公私共に長い間縁がなかった。

東南アジア各国の鉄筋コンクリート建築物が突然安っぽく感じられるほどに荘厳な、石造巨大建築物に接する一方、生死をさまよっているかのような夥しい数のホームレスや聖牛の群れに出会うと、歴代為政者や宗教家は国民の為に一体何をしてきたのだろうか、と考え込まずにはおれない。

『日本人に生まれて良かった、良かった』などと言いながら、呑気に昼間っから酒を飲んでいると罰が当たるのではないか、と考え込ませる迫力が、悠久の大国インドには確かにあった。
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韓国(平成13年1月31日脱稿)
韓国も台湾もほぼ同時期に日本の植民地となり、共に総督府の支配下で日本語教育を初めとした日本化が推し進められた。第二次世界大戦後日本からは解放されたものの、嫌日の韓国、親日の台湾と言われるようになったのは何故か?。産業の発展形態も大財閥牽引形の韓国、中小企業牽引形の台湾と大きく異なった事情は何に由来するのであろうか?。                                                        

隣国でありながら啀(いが)み合いが今尚続く日韓の現状は、イギリス(日)とアイルランド(韓)との関係に似ているとも言われるが、和解の道はないのだろうか?。

韓国人の本音は何なのか?。蟷螂(とうろう)の斧とは承知しつつも、その謎の根本を探り当てるのは私に取って、観光地巡りよりも遥かに興味深い積年の関心でもあった。
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華南(平成13年4月15日脱稿)
中国訪問は平成元年11〜12月、平成9年2月に次いで今回で3回目。訪問地こそ違えども大局的に見れば、その間の変化は判る筈だ、との確信が私にはあった。

前2回間、たったの7年間に起きた激変を知っているからだ。総括すれば『東洋の眠れる獅子も、とうとう目覚めたか!』に尽きる。

荘厳な華南の大自然を堪能できたからだけではない。『政府の政策さえよければ、人心はかくも急速に変化するものなのか!』との壮大な実験成果にも直接触れられて、中国の明るい未来を祝福できたことにも、満足を覚えた小旅行だった。
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大シリア(平成17年8月25日脱稿)
人類1万年の歴史でアラブの地ほど長期に亘って大きな影響力を他地域に与えた国々はない。遠い過去には四大文明の半分、世界最古のエジプトとメソポタミア文明を生み出し、アルファベットとアラビア数字を考案して人類の知識の進歩と蓄積に貢献しただけではなく、ユダヤ教・キリスト教・イスラームを生み、宗教を通じても今尚、人心を捉えて離さない。

更には、欧州が暗黒時代と言われていた頃、ギリシア・ローマの文明を引き継いで発展させ、ルネッサンスを育んだのもアラブの功績である。その後の産業革命を経て20世紀以降の石油と天然ガス時代の到来と共に、それら天然資源の最大の供給国としても、またもや人類の未来を左右しかねない程の存在になって歴史に再登場した。
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中央アジア5ヶ国(平成18年7月18日脱稿)
  
     ユーラシア大陸のど真ん中に横たわる広大なトルキスタン地域(トルコ系民族が主として住んでいる地域の意)では有史以来、先住民として自らも大帝国(パルティア帝国・大月氏国・カラハーン朝・ホレズム帝国・モンゴル帝国・ティムール帝国・ムガール帝国・ブハラ国・ヒヴァ国・コーカンド国など)を樹立していたが周辺列強との抗争が絶えず、各国とも長続きはしなかった。

   欧(マケドニアのアレキサンダー、近代の英国)東(中国の唐他)西(アケメネス朝ペルシア、ササン朝ペルシア、アラブのアッバース朝)南(インドのクシャン朝)北(ロシア)などによる争奪戦の後、天山山脈で分断されている東トルキスタンは中国に西トルキスタンはソ連に遂に併合された。

   しかし、誰もが予期していなかったソ連の崩壊と共に西トルキスタンから5ヶ国もの独立国が一気に誕生。ソ連時代には外国人には強く閉ざされていた世界だったが、今や観光客にも大きく門戸を開き始めた。多重がんを患ったとはいえ、生きていて良かった、よかった! 玄奘三蔵(三蔵とは経“釈迦の教え”、律“生活規範”、論“経と律の解釈”に精通している僧侶の意)ならずとも、私でも足を踏み入れることが出来たのだ。
   
   トルキスタンとは、東・西・南文明の交流と交易の場として、近年そのネーミングの冴えから一躍有名になったシルクロード中枢部の古称でもある。シルクロードと言う言葉はこの地域の歴史的な意義を象徴的に表せる言葉として、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンがその著書『シナ China』(第1巻、1877年)の中で使い始めたザイデンシュトラーセン(Seidenstrassen・ドイツ語・絹の道の意)に由来している。
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北アメリカ
アメリカ・初海外出張(平成7年12月19日脱稿)
石油ショック発生直前の昭和48年の春、人類の誕生この方最高の生活水準に到達していたアメリカの各地を訪問する機会に恵まれた。摩天楼・御殿のように豪華でかつ美しい民家の数々・雄大な自然・大型車の大群・巨大なロブスター。

円高ドル安が既に始まり、パックス・アメリカーナが揺らぎ始めていたとは言え、視野に飛び込んできたアメリカの豊かさには、ただただ驚くばかりであった。しかし、あれから僅か20年余で彼我の格差がかくも接近しようとは神ならぬ身の誰が予想し得たであろうか?
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中米7ヶ国(平成21年4月24日脱稿)

   全先進国へ出かけた訳でもないのに欧米などへの旅行にスッカリ飽きてしまった私は、新大陸やアフリカ等の大自然や古代遺跡を訪ねたいと次第に思い始めていた。欧米人の他民族に対して起こした残酷な歴史的証拠をあちこちでしばしば目撃した結果、徐々にではあるが心中に発生して来た嫌悪感に基づく反感なのだろうか?


      平成14年末から平成20年夏までの約6年間に胃がん(1)と食道がん(4)の治療で5回も入院した私は、余生が遂に限られて来たと認めざるを得なくなっていた。まごまごしている余裕はなくなったのだ。既に南米のインカ帝国は訪問したので、今回は北上して中米のマヤ文明を尋ねることにした。 

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南アメリカ
インカ帝国(平成17年6月13日脱稿)
JTBによれば中南米で日本人に最も人気の高い観光地はペルーだそうだ。

その魅力の根源は、アジア系の先住民が築き上げた南北5,000Kmにも達したインカ帝国が、狡猾なスペイン人に騙されて一瞬の内に滅ぼされた史実や、日系出身のフジモリ大統領の追放への判官贔屓(ほうがんびいき)、長さは世界一・高さはトランスヒマラヤやカラコルムなどアジアの大山脈に次ぐアンデス山脈に展開される、雄大な大自然に由来するものだけではなさそうだ。
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オセアニア
グアム(平成12年2月10日脱稿)
     『何時でも何処でも好きなだけ、夫婦で旅行ができる人生が始まる』と一日千秋の思いで待ち続けていた定年(平成10年9月1日)だったのに“好事魔多し”とばかり、急に決まった次女の結婚式(平成10年11月29日)や初孫の誕生(平成11年1月5日)に加えて一向に仕事を止めようとしない妻の都合にも阻まれ、年金生活開始後の第1回海外旅行(夫婦別々の旅行は除く)は延び延びになっていた。

  しかし、運よく溜まっていたマイレッジ・サービスの有効期限は、我が夫婦の勝手な希望など無視するかのように後2ヶ月と迫って来た。
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アフリカ
エジプト(平成16年2月1日脱稿)
先哲は『井の中の蛙、大海を知らず』と、良くぞ喝破したものだ。過去30年間、延べ45ヶ国、約500ヶ所を訪問した結果、世界一の神殿はアテネのパルテノンかローマのパンテオンだと深く信じ込んでいた。また、世界一の土木・建築事業は万里の長城であると確信すらもしていた。

しかし、ルクソールのカルナック大神殿を目(ま)の当たりにした時、その壮大さ・荘厳さには声も発せられないほどの感動を覚えた。
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西アフリカ8ヶ国(平成20年4月18日脱稿)
  
   昨春(平成19年)、南部アフリカ8ヶ国ツアー(9月26日出発)を予約していたが、6月1日のがん検診で5年半ぶりに新発食道がんが3個も発見され、治療に専念するべく無念にもキャンセルした。その内の2個は愛知県がんセンターで内視鏡による剥離手術で除去。残りの大きな1個は兵庫県立粒子線医療センターで陽子線照射治療を受け9月13日に退院。

   爾来、愛知県がんセンターで経過観察を継続。12月10日に主治医から待望久しい寛解のご託宣を聞いた瞬間、胸が高鳴った。『いよいよアフリカへ乗り込める』との積年の夢が遂に叶うからだ! 急遽、西アフリカ8ヶ国(平成20年1月15日〜2月1日)へと出かけた。!   
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南部アフリカ11ヶ国(平成21年10月31日脱稿)
          


      還暦時に我が元気な余生は僅か20年程度しかないと気付いた。その余生の折り返し点ともなる古稀すらも今や過ぎ去った。しかもその貴重な余生の前半の後半5年間は、多重がんとの闘いに明け暮れて無念にも雲散霧消した。

   死の直前まで人生を満喫したく、人類の原風景にヒントを求めて南部アフリカへと出かけた。日本人の平均所得の1%にも満たない最貧の国々なのに、自殺者が殆どいないと聞いて感嘆!


      我が視界に真っ先に飛び込んできたのは、野生動物と同じような自給自足生活に挑戦しつつも人生を謳歌している先住民達だった。彼らの生き様に直覚させられた台詞とは、『細々と生きている年金生活者』である私には最も相応しい『足るを知れ!』だった。

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諸大陸
          
豪亜(平成7年5月17日脱稿)
海外生産の実態とは?、駐在員の苦労とは何か?

日本がいかに豊かな国になっていたか!。感動に溢れた異文化との出会いでもあった。
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地球は確かに丸かった・最終海外出張(平成11年2月11日脱稿)
西暦1519年8月乗組員 265名(5隻)と共にセビリア港を出発したマゼランはフィリピンのセブ島にて、志半ばで先住民に殺害されたが、1522年9月パロス港に仲間18名(1隻)が帰り着いた。人類初の快挙だ。当時の世界一周は今日の宇宙飛行に匹敵する国家的な事業だ。

それから僅か五百年で、名もなき私ですら『世界一周』がかくも簡単にできるとは、天国のマゼランですら夢にも思うまい。今から5百年後の人類は、誰でも気軽に宇宙旅行が楽しめるのだろうか?
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地中海・エーゲ海クルーズ(平成23年1月30日脱稿)
   死ぬ前に一度はクルーズを体験したくて、平成14年秋にカリブ海クルーズ(平成15年1月の催行予定)を申し込んだ。好事魔多し。平成14年11月28日に胃がんの宣告を受け、同年12月19日に手術を受けた。無念にもドタキャン。

   爾来、意気消沈していたが、8年後の平成22年夏に再びその気がむくむくと復活。各種コースの面白さを比較。荊妻の提案で『地中海・エーゲ海満喫クルーズ16日間』を選択した。カリブ海諸国は2009年に満喫した中米7ヶ国と類似しており、関心がすっかり消滅していたのだ。                                           
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日本


          
北海道(平成7年4月18日脱稿)
北海道への旅は生まれて初めてであった。そのため季節は何時でも構わなかった。雪に埋もれた北の大地を訪れ、童心に帰り流氷にも乗って遊んだ。

日本を代表するような温泉にも浸かり、久々に夫婦共々リフレッシュ出来た。
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沖縄(平成9年3月11日脱稿)
沖縄に関する記憶は、人生の出発点であった少年期の終着駅に閉じ込められていた。『沖縄の人々の悲劇』を思い出す度に、今なお涙が溢れるのは何故なのか?。                     

しかし、豊田市など物の数ではないほどに、繁栄している那覇市を目の当たりにすると、ホッとすると共に、私の過去を反芻しながら『合掌』する旅にもなった。
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東北(平成9年9月1日脱稿)
平成9年8月20日、とうとう59歳になった。定年も1年後に迫ってきた。末っ子である長男も姉妹同様トヨタに内定し、親としての義務は99%完了。

人生の節目と感じたこの機会に、緑滴る大自然が溢れる我が未踏の地東北へとリフレッシュに出かけた。原生林の美しさを満喫した久方振りの国内小旅行であった
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四国(平成19年2月20日脱稿)
           
   私にとって地理に関する勉強は中学1年の社会科が最後だった。社会科は教頭の兼任。校務で忙しかったのか授業の半分は休講。宿題ばかりでまともな授業を受けた記憶は無い。

   でも私は旅行が趣味だった父の影響で、人文地理への異常な関心が芽生えていたためか、旺文社の大学受験用参考書『人文地理の研究(上・下)』を古本屋で買い求めて勉強した。

   中学生用の教科書はデータが少なく内容があまりにも貧弱だったからだ。 
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九州中部(平成19年3月30日脱稿)
     21世紀に入った頃からか、各旅行社から送られてくる国内旅行の募集で『ミステリーツアー』を目にする頻度が何故か高まった。

      各百貨店の初売りでの定番商品『福袋』商法がますます盛んになっているのに似た現象だ。

   バブル崩壊後の長い不況に苦しんでいる国民が、ささやかな夢を求めている何よりの証拠だ。
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屋久島(平成20年5月8日脱稿)

平成20年4月7日〜10日に屋久島に出かけた。我が故恩師『真鍋大覚』先生が樹齢7,200年と推定された縄文杉に会うためだった。

縄文時代から今日までの日本の歴史を見守り、縄文土器のような皴だらけの樹皮になってもどっしりと聳え立ち、拝観者に生命力を惜しみなく与えてくれている縄文杉が聖地に息づく神木に思えた。
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温泉旅行事始(平成22年4月25日脱稿)
平成21年夏(7/31〜8/20)に南部アフリカ11ヶ国の旅に出かけ、先住民の日常生活に接し、彼らの満ち足りた人生の過ごし方に強い感銘を受けた。

その真似をすべく帰国後『知足生活に突進』(ホームページ⇒随想⇒知足生活に突進)へと人生の舵を徐々に切り替え始めた。
                                                                    平成22年4月15日、自宅のテラスに完成した露天風呂。 



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温泉旅行平成23年(平成23年11月30日脱稿)

   平成21年の秋、テレビ番組の特集で観光ホテルや旅館のクーポン(宿泊券)を格安で売り出しているトクー(http://www.tocoo.jp/detail/basicInfo/150)を発見。早速年会費5,000*1.05(5,250)を支払って会員になり、トクーが契約している約3,000ヶ所のホテルや旅館と、魅力ある観光地の組み合わせを捜しては安上がりな温泉旅行を再開。

 

   平成22年の夏からトクーは『フラッシュマーケット』にも参入し、通常価格の半額以下でクーポンの販売を開始。旅行の都度、旅行記に纏めてはホームページに転載した。でも、旅行地は毎回異なっていても温泉観光ホテルの趣向(会席料理かバイキング・源泉掛け流しの大浴場と露天風呂)や周辺の観光地の雰囲気は大同小異。個々の特色を抽出して書き表すのが次第に面倒と感じ始め、翌年の平成23年からは旅行記の執筆は遂に凍結。

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温泉旅行平成24年(平成24年2月20日脱稿)
        海外旅行も96ヶ国に出かけたら、疲れただけではなく遂に飽きてきた。無数の世界文化遺産を眺めると、人間の知恵など浅そうで深く、深そうで浅く感じただけ。その価値とは見る者の洞察力次第と悟るに至った。がん治療による5回もの入院に加齢も加わり体力が落ちたとの自覚もあってか、大げさに言えば我が帰巣本能が徐々に覚醒し、国内旅行へと関心が移り始めた。

   今までも新年会や忘年会などに仲間を誘っては時々近隣の温泉に出かけてはいたが、長期を見据えた計画性には乏しかった。毎週のように顔を合わせるテニス仲間のうち、国内旅行に関心のありそうな人に声を掛けて、3年前から試行開始。平成21年の体験をホームページの旅行記編に『温泉旅行事始』のタイトルで報告。引き続いて平成22年の体験は『温泉旅行平成23年』のタイトルで、同じくホームページに報告した。

   今後も元気な間は国内温泉旅行を続ける価値があると思うに至り、仲間の要望も組み込み、2ヶ月間隔・一泊または連泊を基本パターンにし、1台の車で出かけられる地域の温泉郷を選ぶことにした。おおよそ片道500Km圏内だ。それでも数え切れないほどの温泉郷がある。

   日本の地理・歴史に関しては大学入試(昭和33年)後、まともに勉強したことは無かった。この際、旅行の都度情報も集めながら旅行記に纏め、ホームページに報告することにした。読者の我が祖国への関心を少しでも高め、寂れつつある温泉観光地へ出掛ける動機になることも多少は期待しつつ・・・。



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