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随想
           
同窓会

     還暦を機会にいろんな同窓会が開かれた。多くの幹事の尽力で久しぶりに楽しいひと時も過ごせた。

   幾つかの同窓会では挨拶もさせられた。その時の心境を書き留めていた原稿を読み直すと、我が心が化石のように蘇ってきた。
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浅木小学校百年史(昭和50年8月1日脱稿)

   原田綾子先生と24の瞳

■出会い

   原田綾子先生が初めて教壇に立たれたのは、昭和21年若干16歳の春でした。引揚者で人口が急増する一方生産力は回復せず、日本中が死線をさまよっていた年であった。経済的には敗戦の年よりも一層惨めですらあった。このことが教育の現場に影響しない筈が無かった。小さな活字で印刷された新聞紙大の紙切れが、唯一の教材国語の教科書であった。

   もともと教育には待ったが許されない。若き原田先生には何にも勝る教育への溢れる熱情と実行力とがあった。不足した教材はご自身で工夫され準備された。

   真の生きた教育はお金で買える教材を当てにした教育技術によってではなく、児童一人ひとりの理解力にぴったり合わせて、そのつど用意した教材に基づく授業にこそある、と気付いたのは後年のことだった。

■学芸会

   先生は学芸会の脚本すらご自分で創作された。ここに紹介するのは、音楽教育に偉才を発揮されていた先生の、芝居に歌と踊りを組み込まれた処女作に関する話題である。

   その粗筋は、苦しい社会情勢の中で戦災孤児(安部君と大和さん)が餓鬼大将に虐められながらも、豊かな緑の国土の中で元気一杯に生きていく姿を感動的に表現したものだった。

   極めて歌の上手な永野さんが『叱られて』を澄み切った声で熱唱した。山中さんと毛利さんとが『蝶ちょ』を先生苦心の振り付けにより、舞台を狭しと軽やかに舞った。可愛い梅田さんは鼻をつまんで子守り(永野さん)に『ああ、臭い!』という筈であったが、私が恥ずかしがる彼女にこんな調子でやれと演技を付けたところ、やぶへびとなり、その役が回された。

   今この記念写真(原田先生と出演者12名)を見るとき、これがあの貧困の年の姿であろうかと不思議に思う。農村の豊かさの象徴であろうか。

   この一枚の写真に特別の感慨を持つ人が他にもいた。卒業の春、石松光一先生のご指導のもとに、級友全員で『想い出』を編集した。毛利さんの『思い出』と題した小品を原文のまま紹介したい。

   『長い六ヵ年の生活も終わろうとしています。想い出のかずかずが頭の中をかけめぐっています。中でも受け持ちの先生のことが強く、いろいろ先生から習いましたが、特に原田先生と写った写真がなつかしくなります。たしか二年生の時でした。劇のあとに写したのですが、私達は笑っているのに先生だけにらみつけた目をしていなさった。その目は私のむねにやきついています』

   この孤独な視線にこそ、先生のまことの教育への真剣さが溢れ出ている。

■消息

   先生の愛の教育を受けた24の瞳の消息のうち、私が今日知っているのは僅かに男子のみとなってしまった。(注。その後の還暦行事で12名の内私を含む、9名が再会できた。原田先生は不幸にして既に永眠されていた。合掌)
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遠賀中学同期会(平成10年5月2日脱稿)

   本日は郷里にてご活躍中の矢野様を初め幹事の方々のご配慮で、還暦の意義あるお祝い会をご準備賜り誠にありがとうございました。何はさておき、心からおん礼申し上げます。

   昭和29年の春、夫々の人生行路に飛び出した、若鮎のように元気溌剌としていたはずの元少年少女もすっかり人生の晩秋を迎え、何があと何回楽しめるだろうかと予想しては、溜め息を尽いたとしても不思議でも何でもない爺さんや婆さんになってしまいました。それでも、ここに参加できた私達は幸せです。既に先立たれた一割近い同級生のご冥福を、皆様と共にお祈りしたいと存じます。

   さて、私は人生の7割は郷里を遠く離れた愛知県豊田市で過ごしました。学生時代までの友人たち、家族や親類とも別れた独身時代、寮の一人部屋に寝転んで天井を眺めていると、涙が止まらないほどの孤独感に襲われることもありました。そんな時、アルバムに残る故郷の景色や友人一人ひとりの顔をじっと眺めていたら、何時の間にか皆様から励まされたかのように落ち着いてきました。

   現実にお会いしていなくとも、皆様は私にとり宝のような価値ある存在でした。まして、盆と正月の帰省の折にお会いできたときは天にも上る喜びでした。一秒一刻がダイヤモンドのように貴重でした。いわんや、大勢の皆様とお会いできた本日は、人生で一番楽しい一時です。

   ご唱和をお願いします。

   還暦を乗り越え、人生を再出発する私たちの未来が一層輝く事を祈念して、乾杯!
                                                                  上に戻る                         
最終職場での定年の挨拶(平成10年8月31日脱稿)

   『人生は4コマ漫画に譬られる。漫画も人生も、3コマ目の出来具合に面白さが凝縮されている』とのテニス友達の発想に、私は痛く共鳴致しました。

   1コマ目では、社会や両親の庇護・支援に支えられながら人生の準備をし、2コマ目では社会で働いて恩返しをすると同時に、次の社会を支える子育てに没頭します。社会への借りも無くなった3コマ目では、自分の人生を好きなように楽しんだあと、4コマ目では、死を静かに迎え入れて人生と永久(とわ)に別れます。         
   
   さて、私の2コマ目は文字通り、光陰矢のごとく飛び去りました。30年前に仲間と共に心血を注いで開発した当社初の大型システム、名付けてTiNCAはニューヨークでの国際学会で論文として発表しましたが、その後ケーラムと名前を変えて、今や世界中で使われるに至りました。

   20年前に開発した、アルゴンレーザーを使った、総重量70トンにも達した世界最大規模のホログラフィ振動計測装置は、今なお生技共同棟内でびくともせずに活用されています。

   10年前から大勢の関係者と一緒に、相次いで取り組んだ、トルコ・パキスタン・ベトナムの、各新規プロジェクトも順調に立上がり、微力ながら社会への恩返しも、少しは出来たと自負しています。

   3人の子供たちは両親に似て、揃いも揃って2流だったがために、教育費の負担には悲鳴を上げました。しかし、夫々の能力に見合った大学に学び、全員トヨタ自動車に希望通り採用され、親としての義務は本年3月末、何とか完了致しました。

   短い期間ではありましたが、公私合せると35ヶ国、2百を越える市町村で、5百人以上もの外国人との出合いがありました。海外の大自然や壮大な歴史遺産との遭遇にも、心時めく感動を抑えることが出来ませんでしたが、静かに静かに回顧しますと、それぞれの生まれ故郷で懸命に人生と闘って生きている人達との、心の交流に勝る感動はありませんでした。

   結婚して満30年、2コマ目までの漫画の出来具合はイマイチでしたが、明日から始まる3コマ目の、我が人生のメインテーマも漸くにして定まりました。わがまま一杯な私を支えてくれた荊妻と共に『海外をより深く知り、顧みて日本の真の姿を見極める』と言うものです。今にして思えば、海生企画部では給料をもらいながら、結果として充実した老後への準備をさせて頂いたようなものでした。

   若さも能力も溢れる皆さんには、夫々の漫画を書き改める時間も、未だ十分過ぎるほどにあります。皆さんの一人ひとりが誰からも羨ましがられるような、個性豊かな面白い人生の漫画を、手抜きなど一切されることもなく、立派に描き上げられる筈だと確信しながら、お別れのご挨拶に代えさせていただきます。長い間お世話になり、誠にあり難うございました。
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遠賀中学関東地区同期会(平成10年10月4日脱稿)

   本日は『生き馬の目を抜く』とも言われる程に恐ろしい東京で、ご活躍中の皆様方と、人によっては44年半振りに、しかも花の銀座のど真ん中で再会でき、これ以上の喜びはございません。何はさておき、この記念すべき意義深い還暦の祝賀会を開くべく、ご尽力された田中誠様に、心からのおん礼を申し上げます。

   昭和29年の春、夫々の人生行路に飛び出した、若鮎のように元気溌剌としていたはずの元少年少女も、すっかり人生の晩秋を迎え『何があと何回楽しめるだろうか』と予想しては、溜め息を尽いたとしても、不思議でも何でもない、婆さんや爺さんになってしまいました。それでも、生き長らえて再会出来た私達は幸せです。既に先立たれた一割近い遠中同期生のご冥福を、皆様と共にお祈りしたいと存じます。

   さて、私は人生の6割は郷里を遠く離れた、愛知県豊田市で過ごしました。学生時代までの大勢の友達及び、家族や親類とも別れた独身時代に、寮の一人部屋に寝転んで天井を眺めていると、涙が止まらないほどの孤独感に、襲われることもありました。そんな時、アルバムに残る故郷の景色や、友人一人ひとりの顔をじっと眺めていたら、何時の間にか、皆様から励まされていたかのように、落ち着いてきました。現実にお会いしていなくとも、皆様は私にとり実は、宝のように価値ある存在でした。

   一方、本年は私には公私共々、大きな節目となりました。私は9月1日にトヨタ自動車を定年退職、長女は年末に初孫、次女は来月結婚、末っ子の長男は本年4月就職。12月からは、夫婦二人だけで細々と生きる、30年前の生活に戻ります。こんな小さな自己体験からだけではなく、大部分の方々の人生の過ごし方から考えても、還暦というのは実に深く考えられた、人生最大の区切りと、最近一層強く私は感じ始めました。      
   
   平均余命(よめい)から考えれば、残りの人生の方が短いのは当然です。しかし、やっと手にした自由時間の長さだけで比較すると、まさに中間点に当たります。週休2日に有給休暇を加えた、現役時代の休日数に比べれば、今後は3倍も休みがあります。詰まり、残りの人生の20年間は私にとり、過去60年間に匹敵する価値があります。

   人類の誕生以来、私達よりほんの1世代前までに生まれた人達には、幸せな老後に恵まれた人は極めて少なく、『老いては、子に従え』との厳しい処世訓の元、細々と余生(よせい)を送りながら、死を待つ以外に選択肢はありませんでした。しかし、この幸運に対する我が世代の貢献度は、微々たるものと思います。従って、今日に至るまで人生と闘いながら、一足先に虚しく死んでいかれた、世界中の先達(せんだつ)の弛まぬ努力から生まれた『貴重な贈り物』と思わざるを得ません。

   それ故にこそ、多くの方々に心底感謝しながら、残された貴重な人生は、乏しいお金と同じように一日一日を、熟慮しながら使い切りたいと切実に願っています。今後とも、体力と資金の許す限り、皆様とどこかで再会できる機会には、何はともあれ駆け付けたいと思っていますので今まで同様、末永くお付き合い頂きたく、心からお願いして、還暦のご挨拶に代えさせて頂きます。

   ご唱和をお願いします。
   
      還暦を乗り越え、人生を再出発する私達の未来が一層輝く事を祈念して、乾杯!
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筑高校同期還暦記念旅行(平成10年10月7日脱稿)

   ビールを前に貴重な時間を拝借して恐縮ですが、ご指名ですので3分間のお耳汚しを、我慢してお聴き頂くようにお願い致します。  

   本日は、全国に雄飛してご活躍中の皆様方と、人によっては41年半振りに、日本の象徴として君臨している、この懐かしの京都で再会でき、これ以上の喜びはございません。何はさておき、この記念すべき意義深い還暦旅行計画を開くべく、万難を排しながらご尽力された幹事の井手斌久様と末吉房代様に、心からのおん礼を申し上げます。

   昭和32年の春、夫々の人生行路に飛び出した、若鮎のように元気溌剌としていたはずの元美男美女も、すっかり人生の晩秋を迎え『何があと何回楽しめるだろうか』と予想しては、溜め息を突いたとしても、不思議でも何でもない、婆さんや爺さんになってしまいました。それでも、生き長らえて再会出来た私達は幸せです。既に先立たれた多くの同期生のご冥福を、皆様と共にお祈りしたいと存じます。

   さて、私は人生の6割は郷里を遠く離れた、愛知県豊田市で過ごしました。学生時代までの大勢の友達及び、家族や親類とも別れた独身時代に、寮の一人部屋に寝転んで天井を眺めていると、涙が止まらないほどの孤独感に、襲われることもありました。そんな時はアルバムを開きました。

   たった1本でも不動の姿勢で、大地にそそり立つて頑張っているように感じられる母校の一本松や、友人一人ひとりの顔をじっと眺めていたら、何時の間にか、皆様から励まされていたかのように、落ち着いてきました。現実にお会いしていなくとも、皆様は私にとり実は、宝のように価値ある存在でした。
   
   一方、本年は私には公私共々、大きな節目となりました。私は9月1日にトヨタ自動車を定年退職、長女は年末に初孫、次女は来月結婚、末っ子の長男は本年4月就職。12月からは、夫婦二人だけで細々と生きる、30年前の生活に戻ります。こんな小さな自己体験からだけではなく、大部分の方々の人生の過ごし方から考えても、還暦というのは実に深く考えられた、人生最大の区切りと、最近一層強く私は感じ始めました。      

   平均余命(よめい)から考えれば、残りの人生の方が短いのは当然です。しかし、やっと手にした自由時間の長さだけで比較すると、まさに人生の中間点に当たります。週休2日に有給休暇を加えた、現役時代の休日数に比べれば、今後は3倍も休みがあります。詰まり、残りの人生の20年間は私にとり、過去60年間に匹敵する価値があります。

   人類の誕生以来、私達よりほんの1世代前までに生まれた人達には、幸せな老後に恵まれた人は極めて少なく、『老いては、子に従え』との厳しい処世訓の元、細々と余生(よせい)を送りながら、死を待つ以外に選択肢はありませんでした。しかし、この幸運に対する我が世代の貢献度は、微々たるものと思います。従って、今日に至るまで人生と闘いながら、一足先に虚しく死んでいかれた、世界中の先達(せんだつ)の弛まぬ努力から生まれた『貴重な贈り物』と思わざるを得ません。

   それ故にこそ、多くの方々に心底感謝しながら、残された貴重な人生は、乏しいお金と同じように一日一日を、熟慮しながら使い切りたいと切実に願っています。今後とも体力と資金の許す限り、皆様とどこかで再会できる機会には、何はともあれ駆け付けたいと思っていますので今まで同様、末永くお付き合い頂きたく、心からお願いして、還暦記念旅行のご挨拶に代えさせて頂きます。

   ご唱和をお願いします。

   還暦を乗り越え、人生を再出発する私達の未来が一層輝く事を祈念して、乾杯!  
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原会有志による定年祝賀会(平成10年11月5日脱稿)

   本日は渡辺さんを初め、松原会を代表するような大物の方々に、かくも盛大な定年歓送会を開いて頂き、誠に有り難うございました。発起人の広瀬さん、幹事の藤尾さん、事務局の吉村さんと溝部さんにも大変お世話になりました。

   この貴重な機会を借りて、松原会と私との若干の関わり、定年後の生活パターンや家族の現況についてのご報告を申し上げて、皆様のご厚意への感謝に代えさせて頂きたいと存じます。

   同窓会の運営について私は及ばずながら、名前付け・会費の銀行振り込み化・OB名簿の作成、と言う3つの提案を致しました。
                          
   同窓会の名称には、母校の象徴とも感じられる『松原』を借名すれば、全員の魂に響くのではないかと、当時の黒岩幹事長に総会で提案してもらったところ、出席者全員の賛同を即座に得ました。爾来、誰にも違和感を感じさせることもなく、九大会は『松原会』として再スタートしました。

   一方、社内の各インフォーマル・グループの会費集めに関して、時世の影響か、職場の女性達の協力が全社的に消え始めました。また、若い人の中には同窓会から脱会する人も現れるようになり、歴代幹事が集金に困り始めました。そこで私は、当時の三井銀行豊田支店お得意様係りと、会費の自動振り込みについて交渉し、何とか引き受けてもらいました。      

   3つ目の提案は、力およばず今なお心残りです。人事関係部の協力の下に、今では労せずして在籍者全員の一覧表は、人事データベースから簡単に発行できるようになりましたが、それと連動していたのか、OBは完全に削除されてしまいました。物故者までとは求めませんが、ぜひOBの名簿も整備し、年に一度の総会に、希望者には実費での参加もできるようにと、何度か歴代幹事に提案しました。しかし、面倒臭いためなのか、真の理由は分かりませんが、未だに実現しておりません。(注。現在ではこれらの課題は総て実現しています)

   さて、定年後の人生を楽しく生きるための準備は、20年ぐらい前から徐々に始めておりました。週、各1回のゴルフとテニスを楽しむために、仲間を集め続けました。今ではロイヤルカントリークラブに21名、加茂ゴルフ倶楽部に29名、名古屋グリーン・テニスに30名の仲間がおり、私の年間計画の百日に達する指定日には、毎回10人以上も集まるようになりました。いわゆるトヨタグループとは全く関係のない人、例えば米屋とか、材木店とか職業も多彩になってきました。
  
   定年後の今、土日は従来通り、仲間と共にゴルフとテニス、中日(なかび)の水曜日には15年振りに、田中町の松美ゴルフセンターで4,5時間、千発の練習をし、ハンディの更新を目指しています。そのあとリハビリを兼ねて、豊西の南、数百メートル地点で、数年前に開業したスーパー銭湯、スオミの湯のサウナや露天風呂で2リットルもの汗を流し、帰宅後はビールを飲んでぐっすりと昼寝をしています。週に1回は町へ出ています。豊田そごう・スーパー・豊田市図書館・本屋などを散歩がてら、半日はぶらぶらと歩き回り、今何が話題になっているのか流行を確認した後に、酒のつまみを買って帰ります。 

   週に1回だけですが、天気のよい日には外へ出て、果樹や庭の雑木・家庭菜園などの園芸と屋外の整理整頓を始めました。雨が降れば書斎など、屋内の整理整頓をすると共に、堀っ建て小屋の住み心地改善策として、障子の張り替えや水周り部品の交換、更には日曜大工にも手を出し始めました。生活空間を広くするために、粗大ゴミに近い家財道具は思い切って捨て始めました。屋上にはいずれ、大型の鉢植えで目隠しをした露天風呂も作る予定です。                     

   冬だけですが既に百匹以上は作った紅鮭の燻製作り、試行錯誤中の手作りうどんやそばに、手前味噌や期するところあっての甘酒作り、いずれはトンコツラーメンや生ハム作りにも、手を出したいと思っています。

   退職後の暇潰しには、健康に役立つもの、若い頃から好きだったもの、何としても手掛けたかったもの等、長続きするものに限っています。いわゆる読書は今や全く対象外になりました。図書館での暇潰しは観光ガイドブックや、購読中の朝日・日経・日経ビジネス以外の、新聞と雑誌の拾い読みに限っています。

   今年は定年以外にも、私には人生の大きな節目となりました。長女は年末に初孫の出産予定、今月末には次女が結婚、この4月には姉妹に続いて長男もトヨタに就職し、保護者としての義務は何とか完了しました。来月からは30年振りに夫婦2人だけの細々とした生活に戻ります。 
                  
   定年後にも働き口があれば、との希望だけは持っていましたが実力不足の結果、企業内失業者からとうとう本物の失業者に変わりました。僅か2ヶ月間の体験ですが『ものは考えようだ』との心境が芽生えてきました。例えば、自由時間の長さだけで人生を評価すれば、やっと折り返し点に辿り着いた計算になります。現役時代の休日数と比べれば、定年後は丁度3倍になります。従って今後の20年間は、自由時間では過去の60年間にも匹敵します。

   今後は健康状態に今まで以上の注意を払い、満18年目のクラウンロイヤルサルーンは売り払い、失業保険を唯一の財源にプログレを買い、過去を振り返らず、健康で楽しい余生(よせい)を送ることさえできれば満足、と思うに至りました。

   最後になりましたが、海外生産部門に異動後、白水さんを始め多くの方々のご配慮の下、世界一周5万Kmの最終海外出張を加えると、アジア・ヨーロッパ・南北アメリカ・アフリカ・オーストラリア、つまり五大陸の全てに出かけさせて頂き、公私合せると35ヶ国・2百都市以上にもなりました。海外に出かけて得られる最大の価値は、錆び付いていた脳味噌を、外国人との交流を通じて、労せずして磨いてくれることにあると、体験しました。今後も人生のリフレッシュを兼ねて、細々ではありますが、時々は荊妻と出かけるつもりです。

   本日は私ひとりのためにこんなにも盛大な祝賀会をご計画いただき、まことにありがとうございました。
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松原会総会(平成11年4月2日脱稿)

   本日は松原会の総会にお招き頂き、誠にありがとうございました。氷河を乗り越えて無事社会人となられた、私の末っ子よりも若い新会員の皆様おめでとうございます。この貴重な場を借りて、松原会と私との若干の関わり、定年後の生活や家族の現状についてご報告しながら、皆様のご厚意への感謝に代えたいと存じます。
  
   同窓会の運営について私は及ばずながら、名前付け・会費の銀行振り込み化・OB名簿の作成、と言う3つの提案を致しました。                          

   同窓会の名称には、母校の象徴とも感じられる『松原』を借名すれば、全員の魂に響くのではないかと、当時の黒岩幹事長に総会で提案してもらったところ、出席者全員の賛同を即座に得ました。爾来、誰にも違和感を感じさせることもなく、九大会は『松原会』として再スタートしました。

   一方、社内の各インフォーマル・グループの会費集めに関しては、時世の影響か、職場の女性達の協力が全社的に消え始めました。加えて、同窓会からの脱会希望者も現れ、歴代幹事も集金に困り始めました。そこで私は、嫌がるさくら銀行と、会費の自動振り込み化をしぶとく交渉し、何とか引き受けてもらいました。

   3つ目の提案は力およばず、昨年末でもまだ未完成でしたが、幹事のご努力が実り、本日こうして名簿も手にでき、提案し続けていた甲斐がありました。 

   さて、定年後の人生を楽しく生きるための準備は、20年ぐらい前から徐々に始めておりました。週、各1回のゴルフとテニスを楽しむために、仲間を集め続けました。今ではロイヤルカントリークラブに21名、加茂ゴルフ倶楽部に29名、名古屋グリーン・テニスに30名の仲間がおり、私の年間計画の百日に達する指定日には、毎回10人以上も集まるようになりました。              

   毎水曜日には1,200発のゴルフの練習後、スーパー銭湯でのリハビリ。天気の良い日には庭へ出て、16種類の果樹、常時10種類以上収穫中の家庭菜園の手入れもしています。堀っ建て小屋の住み心地改善策には、道具を買い求めて日曜大工も始めました。屋上にはいずれ大型の鉢植えで目隠しをした、露天風呂も作る予定です。また、紅鮭の燻製造り、うどんやそば、味噌や甘酒、石焼き芋等にも習熟しました。いずれ、トンコツラーメンや生ハム作りにも、手を出したいと思っています。

   定年と相前後して、人生の別の節目も迎えました。長女は1月に初孫娘を出産。昨年秋には次女が結婚。末っ子の長男も昨年姉妹同様トヨタに就職し、保護者としての義務は何とか完了。30年振りに夫婦2人だけの生活に戻りました。 

   今後は健康状態に今まで以上の注意を払い、満18年目に入ったクラウンロイヤルサルーンは、車検切れとなるこの7月に高値で売り払い、失業保険を唯一の財源にプログレを買い、過去を振り返らず、健康で楽しい余生(よせい)を送ることさえできれば満足、と思っています。

   最後になりましたが、常務の白水さんを始め多くの方々のご配慮の下、五大陸の全て、公私合せると35ヶ国・250都市以上にも出かける機会を得ました。海外で得られる最大の価値は、既に芯まで錆び付いていた脳味噌を、外国人との交流を通じて、労せずして磨いてくれることにあると、体験しました。今後も人生のリフレッシュを兼ねて、時たまではありますが、世界史と人文地理を復習しながら、未踏の世界を目指して荊妻と出かけるつもりです。

   皆様、永い間お世話になり、誠にありがとうございました。
                                                                  上に戻る
松原会総会(平成16年4月7日脱稿)

 
    新入社員の皆さん、社会人として晴れての船出、まことにおめでとうございました。

   しかし、この席をお借りして、一言希望を申し上げたいと存じます。何故なら、昨年胃がんと食道がんの治療を受け、余命いくばくも無くなった私に、老人の役割、つまり遺言を残せと、松原会幹事から期待されていると確信したからであります。

   皆さん、企業規模だけではなく、大学生の就職希望先としても、とうとう日本一になったトヨタ自動車に、昨今の不況の中であるにも拘らず、晴れて入社できたのは、自分自身に実力があったからこそ、当然の結果として選ばれたのだ、などと錯覚をしないで下さい。私が入社した昭和37年(1962年)の場合は、先輩はたったの4人、新人はこれまたたったの2人、新人占拠率は2%にも満たず、当社における九大の存在感はなきも同然でした。

   しかし、その後徐々に占拠率が上昇し、最近では6〜7%という、かつてを知る者にとっては、想像を絶するほどの大集団になりました。この変化は、本日の出席者を初めとした諸先輩の、永年にわたる不断の努力の成果が、衆目に認知された賜物である事は、今更言うまでもありません。つまり、西日本の英才集団たる九大卒ならば、その実力に当たり外れが少ない、との磐石の信頼を当社の関係者に植え付けたのは、皆さんではなく正しく諸先輩であります。

   言い換えれば、褒め称えられるべきは諸先輩であって、皆さんではありません。それどころか今日現在の所では、皆さんは諸先輩の実績の上に只乗りをしているだけではなく、入社後のこの1週間はといえば、穀潰しの日々を過ごして来たに過ぎません。
   
   明日からとは言わずこの瞬間から、つつがなく安らかに人生を閉じる日まで、この恩ある諸先輩に対しての感謝の気持ちを片時も忘れることなく、更には来年以降も続々と当社へ就職してくるはずの後輩達からは、感謝されるだけではなく尊敬される存在にもなるべく、社会人としての自らを厳しく律しながら、おのがじし人生の幸せをも同時に手にされることを切に希望致します。
   
   では最後に、皆さんの今後の人生を祝して、3,3,1拍の一本締めをお願いします。それでは皆さん、お手を拝借。よーぉっ。

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東海東筑会会報(平成16年11月1日脱稿)

                                  ・・・昔の光、今いずこ・・・

   今や誰でも希望さえすれば、何処かの大学には必ず入学できる時代が目前になった。『今後は大学が入学希望者を選ぶのではなく、受験生が大学を選ぶ時代なのだから受験地獄は無くなる』との教育関係者の予測は本当に正しいのだろうか? 高校は大学よりも一足先に全人入学時代に突入したのと、期を一にしたかのように大学区制が全国的に推進された結果、高校の選択肢は拡大したにも拘わらず、関係者の期待とは裏腹に、受験競争が緩和される兆しが今尚感じられないのは何故なのだろうか?

   1784年に設立された黒田藩の藩校にルーツを持つ修猷館高校は、明治3年藩立洋学校以来の歴史を持つ愛知県立旭丘高校に対応しているが、福岡県立中学第1号の東筑(明治31年設立)にも愛知県立岡崎高校(明治29年設立された愛知1中)と同格の歴史がある。東筑の同窓会名簿を紐解くと、明治時代の卒業生達の東大を初めとした一流大学への進学率は今日の比ではない。一方、岡崎高校が東大合格者数で愛知県内どころか、全国の都道府県立高校のトップに踊り出た理由は何だったのだろうか?

   人の人生を決めるのは高校時代の過ごし方にあるのは火を見るよりも明らかである。文系に進むのか理系に進むのか、最後の決断を迫られるのも高校時代だ。東筑は北九州市の拠点高校としての使命を帯びている筈、と私は思いたかったが、遥か後輩の小倉(明治41年設立)福岡(大正6年設立)筑紫丘(大正15年設立)高校に進学競争で負け続けているのが虚しくてならない。

   全国の俊英を掻き集め続けるトヨタ自動車の根拠地たる西三河や地方中核拠点都市としての繁栄を続ける福岡都市圏に比べ、新日鉄を中核としたかつての北九州工業地帯の没落が東筑衰退の主因なのだろうか? 東筑が福岡県一の難関高校に変身する名案はないものだろうか? 二兎すら追えるかのような理想に燃え立つ校是『文武両道』も、毎年のように実績で裏切られ続けると空々しく感じられるだけで、私には東筑出身者としてのかつての誇りも雲散霧消し、同窓会への愛着心も遠ざかる一方だ!
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東筑高校関東地区同期会(平成16年12月4日脱稿)

   ふとした機会に東京55期会の存在を知り、恒例となっていた懇親会への参加を希望しましたが、懇親会の準備をしていた幹事会から、理由すら明示されないまま、驚いたことに毎年のように参加を拒否され続けました。
   
   しかし、昨年の幹事である藤岡さん、引続いて今年の幹事である上杉さんのお力添えで、本日やっと参加させていただくことができました。

   皆さんの多くとは何と半世紀ぶり、実に47年目の再会となりましたが、これ以上の喜びはありません。この機会に、我が人生の一端をご報告して、『死ぬ前の挨拶』にさせていただきたいと希望します。

   築地さんのお薦めで3年半前にパソコンを買ったら、予期せぬことにリタイア後の人生が一変しました。それまでのゴルフとテニスや、時たまの旅行だけの限られた狭い生活から、一気に大宇宙へと飛び出したような激変でした。
   
   今では18グループ、延べ約250名の方々との、メール交換だけではなく、世界中に広がっているインターネットの世界を探索する楽しみが、毎日の生活の中にすっかり定着しました。築地さん、誠に有難うございました。

   18グループの一つが東筑東京55期会を中核にした、東筑同期生だけの小さな集まりです。遥かなる昔の受験生時代に、私から見れば正視出来ないほどの眩しさを感じていた天下の秀才藤岡浩一さんを初め、上杉さん、築地さん、重富さん、竹尾さんなど多くの方々とのメール交換が一斉に始まりました。
   
   実は丁度2年前の健康診断で、偶然にも見つかった胃がんと食道がんの治療で、12月9日から愛知県がんセンターに入院しましたが、皆様から頂いたメールは、時には気絶し、時には立ち上がる体力もなくなっていた私には、何にも勝る励ましとなりました。ここに謹んで、改めておん礼を申し上げます。

   さて、私は昭和37年にトヨタ自動車に就職し、昭和43年春に結婚。丁度30年前の昭和49年12月7日には終の棲家を新築して移転。平成10年9月1日にトヨタを定年退職し、細々と生きる年金生活者になりました。
   
   1男2女は何れも大学を卒業後トヨタ自動車に就職し、今年6月に末っ子の長男がやっと結婚した結果、保護者としての義務はつつがなく完了致しました。しかし、ホッとしたのも束の間のことでした。この7月には荊妻が、長嶋監督と同じ洞不全症候群と診断され、8月18には名古屋大学付属病院でペースメーカーの埋め込み手術を受け、何と身体障害者1級に変わり果てました。

   私の趣味は健康維持と交友を目的とした水土日のゴルフとテニス。ネコの額ほどの家庭菜園、時たまの国内・外旅行とパソコン遊びでしたが、2年前からの闘病生活を経て、新しいテーマが加わりました。それは他でもありません。『死ぬ準備』です。

   学生時代から溜まり続けていた本や資料を、一点ずつチェックしながら捨て始めました。子供達が残した無数の学用品や玩具は勿論のこと、今や全く使わなくなった家庭用品や古着なども捨て始めました。

   背広は夏・合い・冬服の3点、カッターシャツやネクタイなどもほんの少しを残して、残りは処分しました。それでも未だに処分対象は残っています。棺桶に入れる予定の品物を1,2点、最後に選んだら、我が身辺のゴミは我が死と共に、一斉に破棄するようにとの遺言を、子供達に残す予定です。

   今春からは、死ぬ前の挨拶も始めました。子供時代から今日にいたるまでの多くの友人や知人は、今や全国に散らばりました。彼らを尋ねる度ごとに、長期間にわたった交友に感謝しながら、人生でのお別れの挨拶をしています。

   『何時死んでも後悔せず』との覚悟も徐々に固まり始めました。死後の後始末に遺族が困らないようにと、写真などの処分も開始しました。もう少し経ったら、墓地の手配と葬式用の写真の準備もしておきたいと思っています。

   本日は私にとっては何よりも貴重な、記念ともなる人生の一こまです。皆さんのお一人おひとりから、過ぎし日の人生での取って置きの自慢話と、今後の楽しい余生の計画を、時間のある限りお聞かせいただきたいと希望します。

   最後になりましたが、本日は、伝統ある東京55期会の懇親会に参加させて頂いたことに対し、謹んでおん礼を申し上げます。
                                                                  上に戻る
九大教養部クラス会(平成17年1月1日脱稿)

補足。

以下の記述は、平成17年5月19日に阿蘇で開催された46年ぶりの九大教養部理科1年6組(冶金の一部・造船の全部・航空の一部の混合)のクラス会の配布資料として、クラス会幹事が指定した項目について、A4で6ページ以内且つ平成17年元旦現在で書かされた自己紹介書である。


      ・・・家族紹介・・・

[1] 本人 石松 良彦 
本籍地 福岡県遠賀郡遠賀町上別府1031番地。両親も永眠したので、現住所へ近く移す予定。
福岡県立東筑高校 昭和32年3月1日卒。第55期生。 isimatu@hm3.aitai.ne.jp
471-0038 愛知県豊田市宮上町2−28−4。0565-31-5862。携帯は断乎として不所持。
昭和37年4月1日トヨタ自動車工業に入社。CAD/CAMの開発。海外進出検討用の現地調査。
平成10年9月1日トヨタ自動車(在職中に社名が変わった)定年退職。爾来年金生活者。

[2]家族

妻子の要望により、平成23年12月18日に削除した。

[3]近況
   平成14年12月19日に愛知県がんセンターで胃がんの手術。翌1〜3月に食道がんの放射線照射治療。PET他3種類の方法で経過観察中。退院後はエジプト露独仏墺を旅行し、ピラミッドにも潜り込んだ! 昨年12月6日に完全寛解(Perfect Response)のご託宣!

[4] 遊び
   テニスを20歳代後半からぼちぼち。結婚後は毎週1回。現在は全土曜日と第1、第3、第5水曜日に4時間最低6セット。試合は総てダブルス。組み合わせは毎回変更。終了後は名古屋グリーンテニス(自宅から8km、コート26面)のクラブハウスで仲間と1時間前後、歓談しながらの飲食。その後サウナ&入浴。全身こむら返り10回弱⇒救急車発動!
   
   第1水曜日だけは愛知県大府市の温泉付き『愛知健康の森』でテニス。食堂・サウナ・露天風呂・千円床屋・JAの売店等もあり、仲間の人気も大。仲間は21名いるものの平均出席率は50%。旅行中など不在時以外、私は100%参加。お陰で肺活量は20歳代の5950ccから現在までに1000cc落ちただけ。過去10年間以上、風邪を引いた記憶が無い。

   ゴルフは40歳から累積千回突破。ロイヤルカントリークラブの仲間は25名。加茂ゴルフ倶楽部の仲間は22名。両グループとも年末には懇親会を開催。仲間の参加率は月に1回。第2(ロイヤル)第4水曜日(加茂)の全部と毎月3〜4回位のクラブ競技(総て日曜日)に参加。残りの日曜日は松坂屋豊田店やスーパーで酒の摘みはないかと珍味探し。私のハンディは24。クラブ競技(C級月例)で優勝1回。しかし、がんに罹り練習を中断したらグロス平均値は100から130前後に落ち、クラブ競技では何時も最下位近辺に転落!
   
   テニスもゴルフも共に私が永久幹事。年間計画を前年に作り、当該日への参加計画を仲間に前年末までに提出させ、ゴルフ場への予約後、全員総当りの組み合わせ表を作成し、メールで仲間に連絡している。テニスコートの選択は先着順のルール。センターコートとその隣接コートは我が仲間が何時も独占状態。結果的にはテニスとゴルフの合計回数は年間100回前後。年間計画を立てても、旅行や冠婚葬祭でキャンセルする場合も多い。
   
[5]趣味その1。家庭菜園
   昭和49年12月7日に全館冷暖房完備の鉄筋3階建を新築。庭先の20坪を耕し家庭菜園。我が家庭菜園を宅地並み課税の農地として申請して1%の節税獲得。2年に1回、牧場から完熟牛糞堆肥を4立米購入。親子5人分の季節の野菜を確保。夫婦だけの今は年中過剰生産。肉体労働による健康管理だった目的も、昨今は癒し効果狙いへと心境が変化。
     
[6] 趣味その2。旅行
   国内旅行は偽物温泉が殆ど。末っ子の大学入学後は、家族全員参加の温泉旅行は時たま。夫婦での旅行も月に1回から年に数回へと激減。最近はゴルフ仲間8人と年3回温泉宿泊ゴルフ。山形と四国は未踏県。温泉地の観光ホテルの会席料理は食べきれず不満大!
   
   海外旅行は荊妻と年に2〜3回。今までに訪問した国の数は公私合わせて47ヶ国。訪問地は500ヶ所以上。目標国数は年齢の数字以上だが、再訪問国が増えるだけで、最近は伸び悩み状態。昨年末の目標達成率=47ヶ国/66歳=71%。4/1〜インカ帝国探訪予定。
   
[7] 趣味その3。メール
   平成13年3月にパソコンを初購入。爾来友人達とメール交換を開始。アドレス帳は18グループ約250人。我が管理限界数に到達したが、楽しくお付き合いさせて頂いている。

   旅行記や時の話題を書いては仲間に送りつけている。毎回10〜20%の仲間から読後感などの返信が来るが、総てを編集して全仲間にも転送。いわばパソコンによる現代版井戸端談義。私の押しかけメールを迷惑に感じる人はご連絡をと書いたら、10人弱から返信があり、アドレスを即座に抹消。最近の年賀状では『返信を書くのは荷が重いから失礼しているが、楽しく読んでいるからアドレスだけは削除しないで!』と書かれたものが続出。

[8]旅行記   
   ワープロの練習材料にと旅行記を書き始めた。第一作は平成6年9月23日に脱稿した『北欧旅行の追憶』。爾来29編894,232文字、源氏物語(877,365文字)を少しだけ越えた。脱稿の都度、メール仲間に発信。旅行記は結果的には『自分史』『遺言集』になった。

[9]面白かった本
   読書の趣味が全くないため、面白かった本もない。ハウツウ物は馬鹿ばかしくて全く読まない。過去10年、海外旅行のガイドブック以外では、がん関係の本を数冊読んだだけ。一番嫌いなものは作り話。従って小説は読まないし、テレビドラマの類も全く見ない。


       ・・・人生行路・・・

[1] 航空工学科を選択した理由
   受験時代に大好きで且つ得意だったのは数学と物理学。暗記科目の権化と思った英語は大嫌いだった。就職難を予想し理学部ではなく工学部に。旺文社の受験資料で工学部の各学科のカリキュラムを比較したら、航空工学は物理学と数学の重要度が一番高かった。比較競争力を重視し航空へ。飛行機そのものに対する関心は全くなかったし、今もない。

[2] 学生時代の思い出
   家から鹿児島本線遠賀川駅まで2kmを自転車で10分、博多駅まで44kmを旅客列車で1時間20分、六本松まで市内電車で20分。自宅通学すれば片道概算2時間だった。通学不可能な距離ではなかった(同郷の文系は通学するのが普通だった。西南経済の弟も)が、下宿生活と言うものを体験したかった。月に8000円の仕送りを父に頼んで下宿した。

   1年の時に選択科目の単位を殆ど取ったので、2年の前期は週5日の時間割にし、自宅からの通学に切り替えた。2年の後期から3年の後期までは箱崎に間借り(月額1400円)し、3食とも工学部本館地下の学生食堂。4年になったら授業科目数が減りまたもや週5日の時間割。楽になったからだけではなく、昭和36年4月から鹿児島本線にも交直両用電車が導入されて便利になり、自宅通学に変更。総ては父の負担を軽くするためだった。

   結局、4年間でいわゆる学費を50万円くらい父が負担。そのお金は両親の還暦とか古希とか何とかのお祝いとの口実を付け、10万円単位で結婚前に返済したが利子までは付けなかった。初任給の上昇率(20万円/1.45万円)で換算すると、現在の貨幣価値では700万円前後と推定。両親から返還請求を受けてではなく、感謝の気持ちを暗黙裡に表わしたかっただけ。そのため自家用車(カローラ)を買ったのは同期入社者には2〜3年遅れの昭和42年9月。爾来、コロナ⇒マークU⇒クラウンロイヤルサルーン⇒プログレに更新。
 
   我が子供達の大学時代の学費は概算3500万円(250万円/年人*14年人)に達するが子供達に返還請求をする気は全くない。遺産の生前贈与に過ぎないと考えているからだ。

[3] トヨタ自動車工業を選択した理由
   大学3年と4年の夏休みでは工場実習が必須だった。当時は3年の時の実習先が就職先になる可能性が高かった。航空工学科の成績上位者は新三菱重工業に就職する伝統があったので、あれこれ考えることも無く、新三菱重工業名古屋航空機製作所で4週間『構造用接着剤の性能評価実験』をした。謝礼千円では交通費の一部は自弁となり不満大! そのときの私の相談相手、いわば職場先輩は西岡喬(現在の三菱重工業会長)さんだった。

   『西岡さん、実習ではお世話になりました。しかし、私はトヨタ自動車工業に就職します。私は飛行機に特別の関心があるわけではありません。今後30〜40年間の勤務先としては、高い成長力が見込まれる産業に就職したいのです。航空関連では日本航空などの航空運輸業は伸びると思いますが、航空機製造業には夢が持てません』『私もそう思います。遠慮は要りませんよ』と、諸手を挙げて励ましてくれた西岡さんに、今でも感謝している。

   西岡さんは人格者だっただけではない。技術的な質問をすると学生時代のノートを取り出してきて、中身を再確認した後、回答された。そのノートを覗き込んだ時に、飛び上がるほどに驚いた。何と簡潔に、しかも解り易く書いてあったことか!

   かつて長女が小6の真夏、愛知県下で最も有名な南山大学(キリスト教系の私学。西南大学に酷似)付属女子中学校受験のための説明会に出かけた。参考資料として卒業した元才女達の素晴らしいノートが展示してあった。『ノートを見れば、頭の程度が解ります』との説明があった。その瞬間に奇しくも西岡さんのノートを見たときの感動が甦った。

[4] 結婚
   結婚は青春の一大テーマ。かつて昭和42年12月(当時29歳でまだ童貞だった!)、当時の女性社員の親睦会が発行していた月刊誌『輪』に、理想の女性像の寄稿を頼まれた。


     ・・・こんな女性に・・・
   
   『家つきカーつきババ抜き』と言う言葉がこれほど流行したのは、マスコミの影響のみでは説明出来ない何物かがあるからと思う。わが国ではこれに先立って、与謝野鉄幹の『妻を娶らば、才たけて見目麗しく情けあり』が久しい間、幅を利かせていたが、女性化時代を迎えたためか最近とみに影が薄くなって来た。

   さて、私には車と女性には共通するものがあるように感じられる。その意味を説き明かしつつ、ここらで1つキャッチ・フレーズのモデルチェンジを試みたい。名付けて3B作戦。
   
@ Brains
   Brain は脳味噌と言う意味を表すが、複数にすると脳味噌の働きと言う意味に転化する。さて、車はスタイルが素晴らしいと言うだけでは売れない。装飾品ではなく実用品であるからなのは論をまたない。女性もまた同じである。
   
   また、車はそれが作られている材料がいくら高級品であってもあまり意味はない。どの様に加工されたかが性能に影響するからである。女性もまた同じである。恵まれた素質に生み落とされただけでは不十分である。成長した結果、脳味噌がどのように働くようになったかが重要である。
   
A Body
   Bodyが悪かったばかりに売れ行きが落ちてしまった車がある。BeautyはBodyのほんの1属性に過ぎない。Bodyについて最も重要な事は車なら耐久力、女性なら生命力にある。さて、人間は哺乳類であることを、決して忘れてはならない。ダーウィンの進化論が正しいならば、母乳で子供を育てる方法が、何億年もの長い間、生命を試作した結果辿り着いた、最も優れた育児方法である。
   
   従って、乳房こそは生命力の1つの象徴であり、それが貧弱な女性は適者生存の原則から見放された、滅び行く運命にあるとも言える。Brain しか無い女性は生命の泉を捨てて、角やひずめや尻尾の原料としては最適に配合された牛乳を飲ませたりしているが、オオカミ少年を作っているようなものである。
   
   B Background
   私には、恋愛現象はBrainsとBodyの2つの条件で成立する確率が高いが、結婚現象には第3のパラメータが作用しているように、感じられる。例えば、評価の基準が流動的な特質については、人にはその子孫が民族の平均値に近付くように選ぶ傾向が見られる。      

   歴史的に見れば民族の平均値は、美の基準などに比べると格段に安定している。例えば、平安時代のウリザネ顔、江戸時代の柳腰、戦後のグラマーと変わって来た。いわんやツィッギーなどかげろうの命である。
   
      さて、物には平均値とバラツキがある。不確定性原理から説き起こさなくても、QCに弱い人にもそれは公知の現象である。従って、親子兄弟姉妹をよくよく観察しなければならない。バラツキが大きい場合には品質管理は極めて難しい。
   
   車もまた同じである。多量に生産されていてかつ重要な品質が安定していることこそ、何にも勝るセールス・ポイントである。ある時機会を得てお見合いをした。初めて会った人に話す話題も無く、単なる話の種の積もりで以上の話をした。即日破談になった。   いわく、『人間性に乏しい』と。
   
   今読み返しても、何の違和感もない。我が女性観には進歩が無いようだ。
   
[5] 会社生活の思い出
   20歳代後半から30歳代前半にかけては、当時勃興しつつあったCAD/CAMの応用プログラムの開発を担当し、アメリカが最も輝いていた頃の昭和48年4月(秋に石油ショックが勃発)にニューヨークでの学会で論文を発表後、米国各地を東奔西走。超一流会社(GM・フォード・クライスラー・IBM・UNIVAC・CDC・GE・ロッキードジョージア・ロッキードカリフォルニア・ジェネラルダイナミックス・ボーイング・シンシナティミラクロン他)の訪問視察ではVIP待遇を受け、論文の講演後にはCAD/CAMの情報交換もできて楽しかった。
   
   40歳代に担当した管理業務は退屈だったので、50歳代に海外関係の業務を希望して異動した。そこでは海外進出の尖兵となり、大型ビデオカメラを肩に右手で操作、マイクを左手に、ぶっつけ本番。カメラマン・シナリオライター・ナレーターの一人三役を同時にこなして情報収集。5大陸延べ500社くらいも駆け巡った。出張報告はダビングしたビデオの配布が主。社長にも自宅で見てもらった。海外旅行の楽しさに、そのとき目覚めた。
   
   私の現役時代(今はもっと極端だが)、トヨタ自動車は何時もあらゆる関係者(部品・素材・設備調達先、金融機関・政府官庁・大学等)から、敬意を持って接せられたので、楽しく仕事が出来た。自動車産業の最後の勝利者にトヨタがなると確信したのは、全従業員がひたすら真面目に仕事に取り組む態度を、大学4年の実習時代に目撃した時だった。
   
[6] 所感
   我が人生を総括すれば、ゲマインシャフト(共同社会)に育まれ、ゲゼルシャフト(利益社会)で齷齪(あくせく)と生き抜いた後、居心地のよいゲマインシャフトに舞い戻り、がんの再発を恐れながらも心穏やかに余生を過ごしているということになりそうだ。

   賢人各位からの感想・評価などを拝聴できれば、我が望外の喜びでもある・・・。]

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開発課懇親会での挨拶(平成20年10月10日脱稿)
    
    
私は昭和37年にトヨタ自動車に入社し、最初に配属された生産技術部開発課の職場懇親会が当時の在籍者を対象として46年ぶりに突然開かれた。当然のことながら我が同期生が最年少だった。既に何人かは不幸にも亡くなられていた。そのときのスピーチを転載した。


 
石松でございます。定年退職後の近況報告を致します。

私は6年前の定期健診で胃がんが、その後の精密検査で食道がんも発見されました。がん治療のため今年の6月までに5回も入院し、余生も後僅かになりました。

死神に追いかけられ始めると人生観も少し変りました。友人や知人とのお付き合いは必要最小限に留め、趣味は本当にやりたいことだけに絞りました。水土日はゴルフかテニス。合計しても年間たったの100回です。かつての職場先輩だった中川さんは、今やゴルフとテニスの大先生です。海外には78ヶ国、500箇所程度でかけました。2年半前にはホームページを開設し、約100テーマ、源氏物語の二倍半に当たる200万字のレポートを載せた結果、平均すれば毎日200人の読者が現れました。

余生が短くなり、死ぬ準備も始めました。仏壇置き場の確保、葬式の合い見積りの取得、墓地・墓石・お寺・仏壇・戒名などの情報収集も始めました。残っている主なものは葬儀用の写真撮影と死亡連絡先の住所録作りです。

我が人生はどの程度幸福だったのか、健康・育児・余生の財源の視点から人生の総括も試みました。夫婦ともども平均寿命まで元気に生き延びれば満足ですが、今年70歳になったがん患者の私には、79歳まで生き延びるのは限りなく難しくなりました。数年前にペースメーカを埋め込み、身体障害者1級に転落した64歳の妻も、86歳は夢のような目標です。

3人の子供達の一人ひとりが進学・就職・結婚・育児において、親並の人生を送れる見通しが立てば満足です。親が子供に親以上の人生を期待すると、親子共々ストレスから惨めな結果を招きかねません。放し飼い同然だった我が子供達は全員トヨタ自動車に就職し、娘二人は共に東大卒、息子は産婦人科医師と結婚し、夫々子供二人の育児の真っ最中です。

定年退職時に余生を心安らかに過ごすには、年金以外に金融資産がどの程度あれば十分ですか、と先輩10人に個別に質問しました。『1億円』と期せずして同じ数値を即答されました。たったの1億円で十分との見通しを聞いて、実はほっとしました。

過ぎし日の我が人生をたったの三要素で総括すれば、丸丸三角となり70点くらいでしょうか。目出度くもあり、目出度くもなし、と評価しています。

今日は今尚若々しい幹事の高木さんからお声を掛けていただき、誠に有難うございました。

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第2回開発課懇親会(平成21年10月7日脱稿)

 



▼昨年の懇親会で余生は後僅かと報告しましたが、幸か不幸か予想が外れて1年間も惰性で生き続けました。でも、死ぬ準備だけは着々と進めています。がん検診・海外旅行・戒名・墓石についての中間報告を、今尚お元気な皆様に申し上げられるのが最大の喜びです。

 

▼昨年6月に愛知県がんセンターで食道がんの摘出手術を受けた後、過酷な5種類もの精密検査を3ヶ月間隔で5回も受け続けました。直近の検査は9/4でした。9/14に主治医からは『怪しげなところは無数にあるが、未だがんとは断定できない。もう少し成長するまで経過観察を続ける。次回のCTの予約は12/113/5にした』と告げられました。

 

▼検査の合間を縫うようにして、今年の寒い冬にはコスタリカなど、暖かい中央アメリカ7ヶ国、暑い夏には、ナミビアなど涼しい南部アフリカ11ヶ国の旅に出かけた結果、累積95ヶ国の訪問になり、今後出かけたい国は約20ヶ国にまで激減しました。

 

▼世界の仏教界で戒名があるのは日本だけ。戒名を授けられると極楽浄土に行けるそうですが、私は今生きているこの世こそが極楽浄土だと確信しており、戒名は不要と判断しました。中世のカトリック教会が発行した免罪符と並んでこの戒名付与ほど我が仏教界が敬虔な信者を愚弄し、詐欺犯も顔負けの守銭奴ぶりを発揮している蛮行は他にはありません。

 

私は何処かのお寺の檀家になる気持ちは今や完全に無くなり、4年前に準備した一畳ほどの仏壇置き場には、50インチのプラズマテレビ・250GBの録画再生装置・VHSDVDの録画再生装置・カラオケマイク・35Kgの大形スピーカ2台とアンプが程よく納まりました。

 

▼いよいよ死が近づいたと判断した私は、毎年9月にある豊田市営古瀬間墓地の分譲に応募しました。市営墓地の申し込みには納骨があるのが条件です。私は化石のような古い人骨を、墓地の管理人である兄から借りる法的手続きを済ませました。私の死後遺族が遺骨を返却します。私が選んだ9平米の見晴らし抜群の場所の倍率は3倍になったので、10/14に籤引き(当選した!⇒永代使用料=459,000円)があります。墓は三代100年間の寿命があれば十分と判断。でもその間に東南海大地震などの発生があると予想し、籤に当たれば耐震構造の墓の設計に取り掛かります。

 

とは言いながらも、我が墓石がのっぺらぼうのままでは些か様にならないので馬子にも衣装をと、勝手に作った戒名『世界百余国漫遊大居士』を彫り込むことにしました。わざわざお参りに来てくれた遺族には、我が生き甲斐の一つを感知させる効果もあります。

 

▼本日は高木様他幹事の方々に大変お世話になり、まことに有難うございました。


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■東京東筑会55期同期会(平成21年6月6日脱稿)

         私の健康法 
   
   4人の幹事から提案されたスピーチのテーマの候補は三つありましたが、古希を超えた老人に共通する普遍的な話題として『私の健康法』を選びました。肉体と精神の健康法とに分け、夫々について取り組み始めた順番に合計5テーマをご報告致します。最後に蛇足として、幹事の上杉様のご指示でがんの定期検査の詳細を付け加えました。

[1] 肉体の健康法

@ スポーツ
   
   40歳の時に決意してから30年間も、下手なゴルフとテニスを続けています。そのために名古屋グリーンテニスクラブ・ロイヤルカントリークラブ・加茂カントリー倶楽部の会員権を買いました。今では夫々のクラブに約20名の仲間がいます。
   
   毎年秋に私は翌年の水土日1年分のプレイ計画を立て、仲間に連絡して参加予定を提出させ、全員の計画を表に纏めてメールで連絡しています。テニスコートの確保とボールの準備やゴルフの予約は全部私が引き受けています。私は年間100回前後プレイしています。腕はちっとも上達しませんが、健康維持には大変役立っています。仲間の口癖は『口では敵わないが、腕では負けないからな!』と言うものです。

A がん対策
   
   過去6年半の間に胃がんと食道がんの治療で5回も入院しました。爾来3ヶ月間隔で死ぬまで検査を続ける予定です。愛知県がんセンターで半日もかけて検査し、主治医が診断するだけではなく、全検査資料とカルテのコピーを兵庫県立粒子線医療センターに宅配便で送り、医療センターの医師陣にもセカンドオピニオンとしての診断を仰いでいます。直近では5/29に検査しました。結果はあさって(6/8)告知されます。⇒
異常なしだった!
   
   胃がんや食道がんの治療で入院すると、手術後の絶食で4〜8Kgも体重が減少します。私は結婚以来40年間も、体重は54Kgに維持管理していました。しかし、昨年夏の手術後からは管理体重を58kgに増やしました。次回の手術に備えての痩せ代相当分4kgの確保のためです。

[2] 精神の健康法

@ 家庭菜園

   私は遠賀町の農家に生まれました。国民学校1年生の時に田植えを手伝いました。それ以降トヨタ自動車へ就職するまでの17年間、初夏から秋にかけて農作業を手伝いました。私は農作業では苦しさよりも親子が一緒になって働ける楽しさを子供心にも感じていました。
   
   35年前に家を建てた時、真っ先に取り組んだのは家庭菜園でした。節税を兼ねて庭先の一角20坪の地目は宅地から農地に変更しました。そこでは親子5人分の季節の減農薬野菜が収穫できました。家庭菜園は健康に資しただけではなく心の癒しにも大変役立ち、子供達が独立した今でも取り組んでいます。

A 海外旅行

   22年前に、生産技術部門から海外生産部門へと希望して異動しました。爾来、60歳で定年退職するまで、海外生産工場の建設計画の立案などのために世界各地に出張する機会を得ました。定年直前の春と夏には、定年の挨拶も兼ねて2回に亘り6ヶ国に出張しました。最後の出張では世界一周5万キロに及んだ大名旅行を満喫しました。
   
   定年5ヶ月前の平成10年4月に長男も娘達に続いてトヨタに就職し、学費負担もなくなり、待望久しかった自由の身になれました。そのとき何とか頑張れば、年齢の数だけの国へ旅行できる筈とふと気付き、今でも海外旅行を楽しみながらストレスを解消しています。来る7/31には南部アフリカ11ヶ国周遊の長旅に出かけると累積95ヶ国になります。

B ホームページ

 http://www.hm3.aitai.ne.jp/~isimatu/

   14年前にワープロを購入して以来、海外出張を材料に旅行記を書いては知人や友人に読んで貰っていました。程ほどに褒めてくれることにも励まされ、定年後も旅行記は書き続け、200万字を突破しました。

   上杉様のアドバイスでホームページを3年前の4月に開設し、旅行記を天下に公開しました。当初の読者は従来からのメール仲間などほんの僅かな人に限られていましたが、1年後に読者が突然急増し、今では年間5万人を数えるほどになりました。全く知らない方々からの読後感のメールも飛び込むようになり、ホームページの維持・更新がいつの間にか私には大きな励みとなり、心の健康法の一つとして定着しました。
   
[3] 蛇足。定期的に受けている3種類の検査について補足いたします。

@ 血液採取
   
   がんに罹ると、夫々のがんに特有な蛋白質が血液中に放出されます。私は食道がんと肺がんのマーカー値を追跡しています。食道がんから肺への転移を怖れているからです。そのために小さな容器で2本分採血しています。マーカー値とはがんの進行度の代用特性に過ぎませんが、前立腺がんのPSAは有名です。
   
A CT撮影
   
   肺がんの診断に最も役立つのはCTです。普通のCTを最初に受け、検査ベッドに寝たまま『造影剤』を100cc静脈注射され、再度CTを受けます。356*432mmの半切りサイズのフイルム3枚に名刺大の写真が80から90枚撮影されます。2種類の写真の濃淡を照合すると疑わしい場所が、がんか否かの判定が出来ます。

B 内視鏡検査
   
   胃の中の泡消し薬をコップ一杯飲んだ後、咽頭部を麻痺させるドロンとした薬が口の奥に噴射され、上を向いて5分間維持させられます。しかし、私はこの薬の臭いへの拒絶反応が強くなり、2年前からは麻痺剤を噴射された瞬間、嘔吐するようになりました。

   その代替薬としてサラサラとした液状の薬を口の奥に噴射されています。この薬は噴霧後20秒以内に咽頭部を麻痺させる即効性があります。大変苦い薬ですが私は我慢しています。

   咽頭部が麻痺させられても内視鏡挿入時の苦痛性は残ります。2年前からセルシンという大変痛い注射を選択しました。導眠剤・鎮痛剤・麻酔剤を兼ねています。注射後10秒で意識はなくなります。

   内視鏡による目視検査とルゴール染色剤を噴射して食道の粘膜の色の変化を目視しつつ、合計50枚以上の写真も撮ります。20分程度で検査は完了し、ベッドに乗せられたまま回復室へ搬送され、一時間後に覚醒します。でも足元はフラフラなので車の運転は出来ません。ルゴール染色法とはヨード反応を利用したものです。正常な食道粘膜にはブドウ糖が残っていますが、ブドウ糖の消費量が高いがん細胞付近にはブドウ糖が残っていないために色で患部が特定できます。

C PETの限界
   
   全身のがんが一度に発見できるとの鳴り物入りの宣伝と共に10年位前に登場し、全国にPETが普及してきましたが、その限界が徐々に分かってきました。私は6年前から昨年までに9回もPETによる検査を受けたものの、一度もがんは疑われませんでした。
   
   PET検査ではミニサイクロトロンでブドウ糖に陽電子を付加した薬剤3ccを静脈注射し、一時間安静状態で検査を待ちます。がん細胞はブドウ糖消費量が正常な細胞の数倍から7,8倍もあり、陽電子と陰電子が出会うとガンマー線が発生します。そのガンマー線をカメラで撮影して得た濃淡でがんの判定をするものです。
   
   心臓や脳細胞もブドウ糖の消費量が多くがんとの区別は出来ません。また、この薬剤は排泄が早いため、腎臓・尿管・膀胱にも薬剤が集積し、これらの部位もがんか否かの判定は出来ません。
   
   結局、PETで発見できるがんとは、がん細胞の密度が高い固まりになったがんと分かりました。私の食道がんは、面積は広いものの限りなく薄く広がっていたため検出できませんでした。その結果、PETによる検診は無意味と判断し、今年からは止めました。
   
   本日は遠隔地に住む私の希望を考慮されたのか、懇親会を昼間に設定していただき、まことに有難うございました。

                                                                                                                                  上に戻る



平成241110

石松良彦

昭和37年航空工学科卒業生各位

山崎先生机下(ご参考)

航空工学教室設立75周年記念行事と同期懇親会のミニ報告


はじめに


   今回の記念行事と同期させて同期記念懇親会を企画し、同期生各位に呼びかけたものの参加者は卒業生24名のうち1/4のたった6人。4人の物故者を除いても僅かに3割の参加率。でも、この参加率は実は珍しくはない。

 

   トヨタ同期生は物故者11人を除いて83人。10/23-24に奥飛騨温泉郷で50周年懇親会を開いたが、参加者は27名だった。似たような参加率だ。長野県出身の幹事の尻を引っぱたいたがこれだけしか集まらなかったのだ。

 

   実施日は遥か以前に連絡してあるから、参加したくないとの本心を素直に回答すれば解りやすい。でも、キャンセルできないほど重要な先約がある(具体的な中身を明かさないのがその特徴!)と、メールに長々と書く同期生の挙動は全く同じだ。しかし、参加者同士での会話は共に弾んで私には楽しかったのも同じ。

 

航空工学科卒業50周年記念懇親会(11/2)

 

   同期の懇親会でいつも大変お世話になっていたのは、在福の柴戸氏と平井氏。今回は不幸にも『すい臓がん』を疑われ(病理検査はせず、CTによる医師の診断)、既に死を覚悟され手術は拒否されている柴戸氏も参加され、実質最後の晩餐会になった。すい臓がんは単なる定期健診での発見は大変難しいらしく、自覚症状後に発見された場合の5年生存率は限りなくゼロに近い。手術は食道がんと並んで10時間も掛かるがんの横綱。体力を落とし早死にすら誘発しかねない。

 

   氏は先月来食欲が急減し体重も49Kg弱。我が近辺のがん患者の実績では健常時の体重の半分になると危篤。会う直前に豊田市から電話で健康状態を聞いたときは大変心細かったが、会って話をしている間に見る見る元気になられたのが不思議だった。

 

   平井氏に予約していただいた博多駅前の西鉄インは503室もある巨大ビジネスホテル。シングルとは言え広い部屋にはキングサイズのベッド。1Fの大浴場は温泉観光地の有名ホテルに匹敵する快適さ。自販機での缶ビールの安さ、500cc/330円、350cc/250円にはびっくり。レストランはなく、見かけた従業員はフロントの女性が主。経費節減努力が徹底している。

 

   ロビー横の通用門から直行できる居酒屋『つぼ八』が、西鉄インが契約している朝食会場。懇親会はこの居酒屋で開いた。飲み会会場みたいなものだが安上がりで済んだ。つぼ八従業員の接客態度にも拍手喝采!! 生ビールの泡は不用だから捨て去り、現れた空間には液体のビールを追加するようにとの我が注文は、追加注文時にも忘れずに守ってくれた。

 

参加者は柴戸・平井・森下・井上・田中氏と石松。メール連絡ができない柴戸氏と井上氏には無断のまま、全費用は5人で割勘にすると私は事前に提案していた。柴戸氏は強く辞退されたが、無視。

 

   柴戸氏は今や死ぬ準備に突進中。とは言え、やりたいことは極力やり尽くしたい主義とかで11/1はゴルフ。そのほかにも趣味のマージャンと囲碁にも没頭中とか。ゴルフがやれれば大丈夫。私の勝手な予想では楽観的に見れば余命1年、悲観的に見ても6ヶ月。香典を預けるわけにもいかず・・・。抗がん剤効果が長続きするのをひたすら祈るのみ。

 

   井上氏(大腸がん)と石松(胃がんと食道がん)はがん体験者。田中氏は冠動脈(心筋への血液供給血管)など4本もの血管付け替えの大手術。かつてのイケメンも横顔には老人性のシミがちらほら。氏の手首が女性のように細かったのを発見してびっくり。

 

元気なのは平井氏と森下氏。中でも森下氏の元気さには驚愕。豊富な黒髪の中にほんの僅かな白髪。何よりも艶やかな皮膚が綺麗。平井氏は元気とは言え、前歯が一部分抜け落ち犬歯が目立つだけではなく超肥満体。歯が足りないと発音も不明瞭。でも、再会できて嬉しかった。

 

   森下氏は在京の仲間に11/19、今回の懇親会の様子を報告されるそうだ。私も出掛けたかったが11/15-2299ヶ国目となるスリランカへ旅行中。昨年末完成した総重量15トンの墓の墓誌に彫り込んだ自作の戒名『世界百余国漫遊大居士』に追い着くべく努力中。生きておれば来年には辿り着けるミニ目標に過ぎないが・・・。

 

   JAFの会報ジャフメイト11月号32ページ全面を使って同期の『林義正』氏の元気な近況が写真とエンジン付きで掲載されていた。氏は昔の体型を維持し、僅かな白髪が現れているとは言うものの黒髪はふさふさ。学生を率いル・マンに参戦。レースに教育的価値を見出し『スピリット・マン賞』受賞。日産⇒東海大学教授は今年3月退任。爾来メールアドレスが不明。

 

   今後は独自技術のハイブリッドカーでル・マン参戦予定だそうだ。資金調達能力に拍手喝采!! でも、世界の大手自動車会社はトヨタのハイブリッド関連特許網をすり抜けるのに難航しているのか、本格的な進出はできないまま。林氏のハイブリッド車は市販さえしなければ、トヨタの特許に抵触しても許されるのか??

 

航空工学教室設立75周年記念行事(11/3)

 

   記念行事の参加者は卒業生や新旧教職員を含めて僅か163人。柴戸氏は欠席された。私は恩師全員が逝去されている現在、知らない人だらけの懇親会は欠席し、11/3の夜は遠賀町の実弟の家に。近くの生家に住むがん患者(治療中)の実兄も呼んで3人で酒盛り。10年前までは生家に泊まっていたが兄嫁が腰痛(階段の上り下りが出来ないとか)を患い自粛。

 

実弟の嫁にはビール代(いつも嫌がられるが、無理やり渡すのが長い付き合いでの秘訣)と称して1万円、実兄には両親の墓守代の名目で1万円を帰省の度に手渡し続けている。今回は特別に中国産の冷凍マツタケ3Kgを業者から実弟に直送済。更に、中部国際空港内の売店で見つけた、愛知県では超有名な『空』の生酒(720cc/3,330円)と伊勢名物『赤福』(単一商品で年商100億円は御土産銘菓日本一)も持参。

 

   今回の記念行事にはがっかり。記念講演会会場の『総合学習プラザ大講義室』の音響効果の悪さには辟易。前列近くの椅子に陣取っていたものの音声が聞き取りにくい。いまどきこんな建物に出会ったのは久しぶり。工事業者に改装させるべき。壁面に吸音材を貼るだけで解決するのだ。

 

@ 若田光一氏の講演

   ヒューストンからの講演30分と質疑応答10分。通信技術の進歩の賜物。氏も元気だった。講演にも慣れているのか、解りやすかった。氏が体型管理に最大限の注意を払っているのが感じられて嬉しかった。太りすぎず痩せすぎず・・・。

 

A       宮地氏(宇宙航空研究開発機構勤務)の講演

   『宇宙航空研究開発機構の活動について』と題した講演だったが、スライドの造り方に配慮が足りない。小さな文字がびっしり。何を伝えたいのか焦点惚け。この年になってもスライド造りの体験も乏しいのか書き込みすぎ。それを音響効果が極端に悪い会場なのに早口でしゃべられ、聞き続ける根気も雲散霧消。

 

B       藤本氏(三菱航空機元常務)の講演

   スライド造りの無配慮振りは宮地氏といい勝負。MRJの自慢話に終始。私はいらいらして講演後、質問に遂に立ち上がった。

   

   質問・・・

 

   ブラジルやカナダの現行ライバル機に対し、後発機であるMRJが比較優位に立つのは当たり前。ライバル機も当然MRJと市場で競争できる新鋭機を開発中のはず。その新鋭機に対しても比較優位に立っているのですか? オプションを含めても受注残はたったの230機しかない理由は何でしょうか? 価格ですか? 絵に描いた餅であるためですか?

 

   回答・・・

 

   具体的な根拠も示さずに、か細い声で『勝っていると思います』。

   馬鹿らしくなった私は『頑張ってね』と一言。

 

   我が評価・・・発言はしなかったが・・・

 

   エンジンはP&W製。快適性は胴体の断面積を大きくして確保しただけ。うたい文句は炭素繊維を使った複合材料による軽量化⇒燃費改善程度。しかし、この技術はB787でも採用されている既存の技術に過ぎず、三菱航空機としての開発技術ではない。これとても東レの繊維と樹脂を大きな釜で焼成しているだけの三菱重工の有り触れた生産技術。

 

  MRJが爆発的に売れる要素は一つも感じられずさびしい限り。価格が40億円と推定しても230機ではたったの1兆円。トヨタの僅か2週間分程度の売上げ。ああ、情けない。

 

C       各研究室の見学・・・がっかり

   倉庫かと勘違いするような整理整頓すらも出来ていない、ごみごみとした場所での実験装置とその実験材料を見学し、その説明のためのポスターを使った説明を拝聴。壁面に天井まで積み上げられているダンボール箱や実験装置の地震対策も見かけず、安全対策は無視したまま。心配で、心配で・・・。

   

   実験内容は民間会社から委託された下請けかと勘違いするような印象。研究費不足を補うためらしいが、アルバイト程度の実験データでまともな博士や修士論文が書けるのか摩訶不思議。途中で嫌になり同行の田中氏と相談の結果、遠隔地にある先進航空宇宙工学実験棟は割愛して博多駅へ。名古屋市に住む田中氏はそのまま新幹線で帰宅。

 

   最近のマスコミ情報や大学ランキング各種情報では九大の存在感の薄さが気になっていたが、今回の記念行事にも熱気が感じられず、がっかり。

 

おわりに(蛇足)

   

日本の技術系のトップクラスは今やトヨタに集中。私は戦後の正規入社ではトヨタの九大2期生。当時の先輩はたったの4人(戦前の2人は故人・昭和36年入社の1人も故人)。九大卒は少数民族だった。しかし今や、今年4/1の在籍者ランキングでは名古屋・早稲田・大阪・慶応に次いで5位に躍進。以下、京都・名古屋工業・東北・東京・東京工業・北海道の順。結局、旧帝大と早慶中心。地元の名古屋工業はいずれベストテン落ちか??

 

技術系の今年の入社ランキングでは東工大(33)・名古屋(25)・大阪(22)・九州(21)だそうだ。東工大躍進の理由は大学と同窓会挙げての就職活動の成果とか。但し、今年からトヨタ自動車九州に技術部が新設され、技術系が18人も雪崩れ込んだそうだ。多少給料が安くなっても名大同様地元志向は大変強く、トヨタ本体での九大のランキングは徐々に下落か??

 

   愛知県内の大学でトヨタに入社できる男子は名古屋と名古屋工業のみ。長男が通った地元の一学年11クラスのマンモス中学の卒業生でトヨタに入社できたのは長男だけ。名大電気系大学院定員80人のトヨタ枠は3人だったそうだ。一方定員30人の九大航空からは毎年3〜4人も入社しているのが不思議。

 

   断捨離生活に突進中の私は各種懇親会とは全て訣別していたのに、今年の新入社員歓迎会に松原会(九大卒の懇親会)会長から呼び出された。後輩に松原会命名の由来を紹介して欲しいのだそうだ。講演料をくれるどころか、懇親会への参加費1万円を徴収された。

 

松原会の由来(平成2445日脱稿)

 

私がトヨタに就職したのは丁度半世紀前の昭和37年でした。先輩はたったの4人。3人は既に亡くなられ、若いと思っていた私もいつの間にか長老になりました。

 

当社は今もそうですがいわゆる学閥の色合いが薄いとはいえ、九大も同窓生が適宜集まり懇親会を開いてはいました。そのうちに自然発生的に九大会と呼ぶようになりました。

 

でも、周りを見ると各大学とも同窓会の名称に学校名を使ってはいないことに気づきました。御器所会とか三田会とか、青葉会と称していました。

 

かれこれ25年位前だったと思います。卒業生の魂に響くような名称を提案するのは、老人の役割と自然に考えるようになりました。私の脳裏には、仲間と一緒に歌った『松原に』という学生歌がごく自然に甦りました。

 

ご承知のように母校は箱崎海岸の松原を切り開いて101年前の明治44年に開学されました。校章も松葉に由来していました。そこで私は当時の黒岩幹事長他関係者の賛同を得て、九大会を松原会に改称したいとの提案を九大会総会でしてもらいました。満場一致で瞬時に承認されました。提案者としては大変嬉しく感じました。

 

さて、この機会に私の近況報告と、皆さんへの遺言を申し上げたいと思います。

 

過去10年間に胃がんと食道がんで5回も入院した私は、死ぬ準備の一つとして昨年末には、豊田市営古瀬間墓地に総重量15トンの墓も造り、墓誌には『世界百余国漫遊大居士』との自作の戒名を彫り込みました。

 

私は5年前に『石松良彦の海外旅行記』というタイトルのホームページを開設しました。累積クリック数は30万件を、いつの間にか超えました。今ではホームページの更新が生き甲斐の一つにまで育ちました。

 

最後に、新入社員の皆様への遺言を、一言申し上げます。

 

新入社員の皆様は自分が優秀だから就活もせずに採用されたのだ、などと呑気に錯覚しないでください。ここに集まっているあなた達の先輩一人ひとりの、輝かしい業績に只乗りをしているだけに過ぎません。諸先輩に負けないような実績を後輩達のためにも残されるように、お墓の中からも忘れずに強く希望し続けています。

 

ご静聴、ありがとうございました。

 

   久しぶりに岩田屋の食品売り場を散歩。毎月1回は出掛けている松坂屋豊田店との格差に愕然!! 大好きなイベリコの生ハム(生ハムでは世界一の評価)があった。鶏卵ほどの大きさの栗を発見してびっくり。超大型の殻つきホタテ(私は北海道の野付半島の魚屋から宅配で入手)・刺身に出来る尾頭付き鮭・紅鮭の燻製・1本ずつ包装している下仁田ネギ・1本5,000円の国産マツタケ(今年は異常天気で価格が暴騰した)・・・。

 

   天神地下街では超大型の牡蠣もある回転寿司を発見。一皿食べて余りにも美味しかったので更に一皿追加。毎月2回は出掛けている売り上げ日本一の回転寿司『スシロー』とは別世界。

 

   消費者の購買力の差は商品に現れる。幸い豊田市では今でも小さいながらも戸建て住宅を、無理をすれば現場の作業員でも買える。一方福岡市は政令指定都市では平野部が最も狭く、マンション化率(総世帯に占める分譲マンション戸数の割合)がトップ(2008年・27.76%弱)。結局、持ち家コストが低くなり、高価な食料品も買えるのか? ホワイトカラーは恵まれているのか?

 

   久しぶりの帰省だったが、がんで入院5回・闘病生活10年の私は体力の低下を身に沁みて感じた。定例化している2ヶ月に1回のテニス仲間との温泉旅行では、仲間の車に便乗して移動しながら車中(私は運転したことがない)ではビール三昧を楽しんでいたためか、体力の低下を然して気にしなかったが、一人旅になると弱点が顕在化。文字通り『疾風に勁草を知る』の真逆を体験。 人生、諦めが肝心か??

 

同期生各位、今回の報告はホームページには載せませんが、読後感を賜れば望外の喜びです。


読後感


航空75周年記念行事とS37年卒の同期会のご報告 有難うございます。

 

遊び(川柳大会で選者を仰せつかって)とはいえ日程が合わず、貴重な機会を逃したことは残念です。航空教室百周年には万難を排して出席をと思っております???

 

血糖値がいっこうに下がらず、ガンの発見はまだですが、視力の衰えなども酷く、家内や物故四氏との再会が心ならずも早くに叶いそうな気配です。

 

先ずは御礼まで

 

@       高塚氏

 

 

久し振りのお便り、有り難うございました。 記念行事の報告書も拝読しました。52年後の同期会のようなものでしょうか。

 

こちらのほうでは昨日11月10日に東京東筑会が品川のGOOSホテル(元のパシフィックホテル)で開催され、727名の、過去最多の参加者でした。しかし、同期55期からは、築地さん、増田さん、中平さんと私の4名のみでした。9月に行った同期会では21名が参加してくれたのですが、今回は同期は少なかったですね。 当番期は82期で、頑張ってくれました。

 

東筑は明治31年創立で、今年で110年になるのですね。我々は55期ですから、ちょうど真ん中になります。会長の北村憲雄氏は59期で、現在トヨタ自動車の顧問(旧トヨタ自動車販売に入社・お会いしたこともない方)をされているそうですから、貴兄もご存じではないでしょうか。

 

当日配布された東筑の歴史を記載したDVDのコピーを明日にでもお送りしましょう。11/15からスリランカとのこと、ご無事でのご帰還を祈っています。

 

A       上杉氏(高校同期・元ジャンボ機長)

 

 

二通の同期会の様子拝読させていただき有難うございました。自分はこうした催しに出席できるだけでも幸せと感じていますし、出来ない方も止むを得ないご事情がおありでしょうね。

 

トヨタ同期会でのやりとり、貴兄の鋭さ全く衰えていませんね。同期の方々の反応が知りたく・・・。

 

九大同期会の記、母校への批評も貴兄らしく視線が上なのに敬服。我がトヨタへの警鐘もお有りではと思いつつ居ります。

 

スリランカの旅、楽しいものであるよう祈っています。

 

B       天野康彦氏(トヨタ先輩・ゴルフ仲間)

 

 

九大航空工学教室創立75週年とのことだが、これは戦後の中断期間(航空工学科⇒工業力学科⇒応用力学科⇒航空工学科と看板は変ったが学生の募集定員が縮小されただけで、教職員はそのまま残留し、研究と教育に中断はなかった)も入れてのことだが、それはOKらしい。しかし、教室が現存しての創立記念行事だろう。

 

わが母校の東大船舶工学科はすでに壊滅して久しい。明治に創設以来、東大航空学科の母体になり、戦艦大和以下多くの帝国海軍艦艇建造にも多大の貢献をした歴史があるが、自滅では創立記念行事もできない。トヨタの野口正秋専務(故人)も船舶卒⇒愛知航空機?⇒戦後トヨタへ。旧制高校同窓会、同期会はあっても、旧制高校創立記念行事はないだろう。生きていてこその誕生祝いだ。

 

さて、同窓会、同期会は集まりが悪いのが通例だね。どうしてだろう。わが船舶工学科でも、私は昨年から本年の卒業50年クラス会を開くように幹事に催促していたが、結局開かれない。もう同窓会を開く気力もないのだろう。旧軍戦友会はもはや壊滅だが、昭和37年船舶卒業生も「死に体」状態らしい。でも10年前の前回会合は半分くらい来たね。

 

東大経済学部同窓会の「経友会」は、これまた勝ち組の世界。立食だがメインテーブルの学部長、有力教授を取り囲めるのは、海外の日本人会と同様、主要官庁、主要経団連企業の出世コースのメンバーだね。トヨタ社員も今は立派な有資格者だろう。

 

私も一度だけ、出席したが「壁の花」。新日鉄のリストラ組と「同病憐れむ」で友人になった。それ以来欠席。でもこれは昔の話、今はもっと相対的に大物に私もなった。もう少し下の成績不良者では、同窓生に頼って生きている落ちこぼれ組が会場で自薦活動。

 

ところで、今回の福岡会合、6人とはさみしいね。旧軍のパイロットの少年飛行兵の戦友会が、戦死者9割で戦後はずっと少人数会合だった。しかし、航空学科首席卒業の石松富豪の凱旋帰福が西鉄インとはいかがなものか?クラス会だから平等もいいだろう。つぼ八懇親会も学生気分に戻るならいいが、過日、「ビールの泡もビールの内という、戦前の大審院判決」を教えてあげたのに、さもしいね。石松秀才の実家は遠賀郡の豪農のはずだが。

 

世界百余国漫遊とはすばらしい。百余国とは101以上だが、上限は199、149?「百余」とはいくつまで?(志倭人伝からのパクリだが文脈から推定すると、百よりちょっと上。109で十分)「近いうちに」とは同じだ。

 

弟の嫁に1万円、プラス、マツタケ、「空」、赤福と意外に気配りだね。1万円だけでは足らないが、2万円になると多すぎる、かえって敷居がお互いに高くなる。現物支給併用が妥当だ。

 

説明文章の多すぎるPPT(パソコンから投影できるスライド作成用ソフト・パワーポイント)は私も嫌いだ。MRJも売れるかどうか?

 

愛知県にも大学は沢山ある。豊田新線沿線にも各駅に大学があるはずだが、名大と名工大だけが有資格大学とはすごいね。準一流の、名古屋市立、南山、愛知大でもだめですか?名工大の順位が下がったのは単科大学で卒業生も少ないからでしょう。

 

九州が自動車生産基地になっているらしい。ラホールのホンダの工場の日本人は九州出身者が多かった。

 

岩田屋と松坂屋豊田店では格が違うでしょう。イベリコは柏高島屋にあるかどうか知らない。海産物も福岡が上でしょう。

 

私の頭の中には、1食40円の第二本館トヨタ社員食堂、20円(50%)自己負担で毎月25日で500円自己負担だった。お茶は刑務所用並とか。当時東大の学生食堂は定食は55円と65円だった。最近東大の学生食堂に行ったが質素だね。中国、米国の学生食堂に比べて恐ろしく質素。何しろ東大教官食堂の定食(上限)が600円だから。日本人の食生活はまずしいね。

 

C 西ヶ谷氏(トヨタ同期・1年で依願退職⇒波乱万丈の人生)

 

 






平成241112

石松良彦

トヨタ同期入社者各位

入社50周年記念懇親会(10/23-24)

はじめに

 

がんで5回も入院治療を受けている私は闘病生活も10年。余命いくばくもないと覚悟し、数年前から断捨離生活を中心に死ぬ準備に突進中。各種懇親会とは全て訣別。昨年末には総重量15トンの墓も完成。仏教界とも訣別した私は墓誌に自作の戒名『世界百余国漫遊大居士』と彫り込んだ。来る11/15-2299ヶ国目となるスリランカ。百余国の最小値は101。何とか生き延びて戒名との矛盾を解決したいと思いつつ・・・。

 

でも、今年は入社50周年。一泊旅行を企画してくれるならば、生き延びておれば参加したいと歴代の幹事には数年前から連絡していた。節目の年だから生存者(83人)の半分は参加すると予想していたが、何とたったの27人。でも、暫く会っていなかった同期生との雑談は楽しかった。

 

今回の主幹事は長野県出身の光沢氏。奥飛騨にも流石に大変詳しい。氏のように熱心に幹事業務と取り組まれた方に出会ったのは生まれて初めて。メール時代の便利さを活用されての刻々の情報提供には感動・・・。究極のエゴイストを自認している私には到底真似ができない。心から感謝。

 

   今年はいろんな節目の年。東大の次に昭和12年に設立された母校九大の航空工学教室は75周年。11/3には設立記念行事があり、それに参加すべく同期懇親会を11/2に開催。でも参加者はたったの6人。同期の卒業生は20(内物故者は既に4人)+留年生4人。在庫一層セールのように一緒に卒業した留年組は何と全員欠席。

 

   テニスやゴルフ仲間も老齢化や膝故障者が頻発し、どんどんリタイア。生き残り競争どころか、一足お先に私が旅立つのか??・・・。

   

奥飛騨温泉

 

@       往路

 

   サロン付きバスの採用はグッドアイディア。後部座席の一角が対面式の椅子群で取り巻かれ、中央部には長方形のテーブル。持ち込んだ飲み物類と摘みをテーブルに並べての歓談。話し疲れれば各自の席へと移動して交代するシステム。いつも賑わっていた。何しろ夕食時の懇親会の時間よりも移動中のバス内の経過時間の方が長いのだから、積もる話の交換には大変便利だ。

 

   昼食は長野名物の蕎麦屋。何を食べたか忘れた。記憶力がすっかり衰えた。

 

   平湯大滝公園に立ち寄る。奥飛騨の雄大な自然と落差64メートルの大瀑布が売り。この種の自然現象はテレビの映像では、立体感も風圧や水飛沫も味わえず本物に限る。

 

   イグアス・ヴィクトリア・ナイアガラの三大瀑布とは比較すべきではない。三大瀑布は眺めるだけだったが、この程度の大きさの滝ならば滝つぼに入り、水圧を味わいたい。愛知県下のスーパー銭湯にはこの種の滝を真似た打たせ湯があるが、イマイチ臨場感が沸かない。

 

   死ぬまでに一度は深山幽谷の小さな滝を尋ね、白装束を着込んで短時間の修行の真似事をしてみたいと思いつつ、実現しないままだ。冷たい水は避けたいので真夏の一瞬を狙いたいが、滝を探すのが面倒なまま未体験の世界だ。

 

A       夕食

 

   私にはいつものことながら食べきれない料理の山。3年まえから日本でも流行り始めたクーポン発行会社の一つに『トクー』がある。トクーは各地の旅館やホテルと事前に交渉し、平常価格の1/2以下でクーポンを販売し、利用日は購入者が旅館などと相談するシステムだ。

 

過去の実績と比較すると今回のホテルは平常価格一泊二食15,000円クラスに匹敵する。私の温泉旅行の殆どはトクー経由だ。去る10/29には伊勢志摩の民宿に出掛けたが、4,500円の超安値。でも鯛のシャブシャブを初め食べきれないほどの海鮮料理に超満足した。

 

座席順に一人3分程度の近況とか趣味の話題提供。今回の出席者は流石に多芸多能・趣味満開の人生の勝ち組。死ぬ準備に突進中の私から見れば、夢多き青春時代に舞い戻った翁の世界だ。羨んでも始まらないが・・・。強く印象に残った方々の何人かに触れたい。順不同。

 

A氏。

   ゴルフは年間120回前後。我がゴルフ仲間でも最高値は100回。私の実績は元気な頃でも5060回。とても敵わない。豊富な髪の毛が真っ黒。鬘(かつら)・植毛・自毛・染色の何れかも解らず、遂に本人に質問・・・。

 

B氏。

   詩吟を初披露。声帯を取り替えたのではないかと疑いたくなるほどの美声に驚愕。声は翁でも訓練すれば様になるどころか、こんなに上手くなるとは! 藤山一郎は死ぬまで毎朝の発声練習は怠らなかったとか。一方、島倉千代子は何故声が悪くなったのか、疑問が解けない。

 

C氏。

   仏像彫刻の上手さにびっくり。ミケランジェロは大理石の中に埋もれている立体を彫りだしているだけだと言ったとか。考古学者が古い地層から化石を掘り出しているのと同じことだと言わぬばかり。

 

30年前の1982年、三越本店でガンダーラの仏像が20億円で売り出されたが、贋作とわかり岡田社長は恥を掻いた。でもC氏の仏像は本物。少し汚して、これは奈良の遺跡からの発掘品だと言って、100万円の価格で売り出したら売れるのではないかと思いつつ・・・。

 

D氏。

   独身寮時代、胃下垂とかで長くて白い晒しの布を下腹部に何重にも、入浴後に巻いていた。今回、脱皮したかのような筋骨隆々たる裸体を大浴場で発見。体重は10kg以上も増加していると見積もった。偶々バスで隣り合わせになったとき、私は氏の大腿部の堅さを指で確認。その変身振りに拍手喝采。

 

E氏。

   胸の筋肉が盛り上がっていた。関取を連想した。四足動物の場合、脚は腕よりも筋肉が発達している。空を飛ぶ鳥の脚は四足動物とは逆にか細く、羽を動かす筋肉(前脚)が発達している。

 

   人は飛べない鳥の代表である鶏やダチョウと同じように前脚は貧弱だ。でも、D氏は鳥のように手が発育していた。積年の筋トレの成果だ。引退後ジム通いをしていると言う人に屡出会うが、風呂で胸を観察すると、口先だけのジム通いは直ちに峻別できる。

  

B       お風呂

 

   温泉やゴルフに出掛けた折には大浴場に入るのが常。そのとき暇つぶしを兼ねて、入浴者の背中の観察をするのが楽しい。

 

   多くの翁は垂れ尻が酷く、しかも臀部の底面に茶色の色素が沈着している。しかし、今回の同期生の場合は同年齢の一般人と比較して、垂れ尻が少ない。元気な証拠だ。しかも、臀部の底面に色素が定着している人は殆どいなかった。不思議だ。人生行路のどのような差が影響しているのか、皆目見当が付かない。

 

C       新穂高

 

   絶好の好天に恵まれた。第1ロープウェイ(長さ573m、高低差188m)⇒第2ロープウエイ(2,598m,845m)を乗り継ぐと海抜2,156m。ゴンドラから眺めた紅葉にうっとり。

 

   第2ロープウェイは2階建て。ゴンドラを安定させるために2本のロープで吊るしている。でも、南アのテーブルマウンテン(ケープタウン)に掛かるスイス製ゴンドラのように吊るされたままでの回転運動は出来ない。回転すればどの位置に乗ろうとも、乗客は平等に景色を楽しめるのに。

 

木村猛志氏からは素晴らしい雪景色の写真を拝受。



写真の貼り付けがどうしても出来ず残念

 

   この写真に匹敵する美しい我が山の写真は、今春モロッコ南部で撮影したアトラス山脈だ。こんなに美しい大山脈を見たのは初体験。

 

写真の貼り付けがどうしても出来ず残念

 

紺碧の空・白銀に輝く雪・草木も生えない山・今にも崩壊しそうな岩・緑滴るオアシスの樹木。五色が織り成す美しさに見とれた。かつて間近に見たアララット山・アンデス山脈や天山山脈・氷河が流れるアルプスよりも美しかった。でも、我が日本でも運がよければ素晴らしい光景に出会えるのだ。幹事にまたもや感謝。

 

D       帰途

 

   昼食は珍しいことにラーメンのヴァイキング。小さな丼でラーメンが運ばれてきた。いろんな種類のラーメンを食べ比べられるのかと楽しみにしていた。最初のラーメンは美味しくなかった。がっかりして次のラーメンを注文した。何と同じものが運ばれてきた。再度がっくり。

 

   私はここ数年の間に食への嗜好が変化。かつては大好きだったラーメンからも遠ざかり始めた。地元の『寿がきやラーメン』は特に好きだったのに、食べる度にがっかり。荊妻が旅行中には、お気に入りのインスタント味噌汁で満足していたのに、物足りなくなった。運悪く一人暮らしになったときに、どのようにすれば満足して三度の食事にありつけるか、本気で心配し始めた。

 

   私が尊敬しているゴルフ仲間の超勉強家『間島速雄様・81歳』は、一人暮らしのシミュレーションとして『ワタミ』などの宅配夕食を何社か試行して、お気に入りを探したいそうだが、賢人各位の対策は??

 

おわりに

 

   たったの一泊二日の懇親会だったが久しぶりに同期の元気な人たちに出会えて楽しかった。

 

   統計によればいわゆる頭のよい人の子供の8割は親よりも頭が悪く、逆に頭が悪い人の子供の8割は親よりも頭がよいそうだ。田辺家(男女共に現役で東大合格)のような残りの2割は、親子の相関性が高い例外だ。

 

   今回の参加者は頭がよい人生の勝ち組だ。そこで質問をしてみた。

 

   『頭がよい皆さんは育児に苦労したのではありませんか? 頭の悪い私の育児方針は放し飼い。大局的に見れば子供は所詮DNA同士の生存競争の中で成長するだけだ。育児に親が努力する価値は乏しい』。我が予想は当たっているようでもあり、外れたようでもあって面白かった。

 

   幹事のご努力に感謝し且つは、各位のご健勝を祈念しつつ・・・。

 

蛇足

 

   尚、今回の簡略旅行記は関係者以外には関心も薄いと判断し、本日(11/12)節目の35万クリックに到達した我がホームページに転載する予定はありません。それでも、読後感を賜れば望外の喜びです。

 

読後感

二通の同期会の様子拝読させていただき有難うございました。自分はこうした催しに出席できるだけでも幸せと感じていますし、出来ない方も止むを得ないご事情がおありでしょうね。

 

トヨタ同期会でのやりとり、貴兄の鋭さ全く衰えていませんね。同期の方々の反応が知りたく・・・。

 

九大同期会の記、母校への批評も貴兄らしく視線が上なのに敬服。我がトヨタへの警鐘もお有りではと思いつつ居ります。

 

スリランカの旅、楽しいものであるよう祈っています。

 

@       天野康彦氏(トヨタ先輩・ゴルフ仲間)

 

 

懇親会の簡易旅行記拝読しました。何時もながらのちょっぴりサビの利いた記録、楽しく読ませて貰いました。

 

最近余り返信して居らず恐縮していますが、小生の事らしい記事を読みましたので、返信してみました。

 

それにしても大兄の眼は、何時も何処を見ているのですかね。記憶力の素晴らしさにも感心しています。

 

正直なところもっと違う道を歩まれたら、世間を大いに騒がす存在になっていたのではと思っていますが! 感謝(ハギ)

 

A       萩原氏

 

 

トヨタにずっといれば、いろいろ会社の歩みにも参加して入社50年とはずっと過去のことになるのだろうが、私にとっては第二豊和寮生活もついこの間のようにも思えるし、時間感覚ははっきりしない。

 

同期生はたしか90人台だったはずだが、今や生存者83人。郷里の中学校の運動会の「自転車おそ乗り競争」のようだね。必死に倒れないように努力していると、だんだんまわりが減ってゆく。83人の中にも故障者もいるだろう。でもまだ70歳代前半だ。旧軍戦友会では80台後半でまだ元気な人も多い。

 

それにしても、27人参加とは少ないね。私はJICAのパキスタン出張とぶつかって欠席したが、これは例外。暇があって、体力があって、旅費があって、三条件そろっても、同期会には出られない人もいる。

 

奥飛騨には行ったことない、平湯大滝も知らない。風景は現物に限るね。テレビ画像では寒さなどの実感がない。いつかは行ってみたい。サロンバスは好きだ。1回乗ったことある。奥飛騨のゴンドラにも乗ってみたい。ゴンドラが回転しないとは知恵がないね。日本製品によくある事例。お客を楽しませるという発想がない。

 

また「トクー」の話が出てきた。半額でも、食堂の隔離席で一皿削減料理ではね。伊勢志摩の鯛シャブ、一泊二食4500円とは安いが、業者がかわいそうだ。でも私はデフレ大歓迎。

 

勝ち組諸氏の3分間自己紹介、誰だか一人も特定できない。皆さん大したものだ。私は無芸の極み。「勉強、仕事、病気」で人生終わり。でも長寿の家系なので「石松氏+15年の延命目標」は達成したい。

 

B       トヨタ同期(1年で依願退職⇒波乱万丈の人生)