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終の棲家の建設後編

はじめに
基礎工事
生コンの打設
墓石加工
墓石に彫り込む文字列墓石への文字の彫刻
墓石の組み立て
おわりに
読後感

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随想
           
終の棲家の建設後編(平成24年1月31日脱稿)


  平成22年夏に『我が終の棲家』の建設計画を立てた。東日本大地震の発生前だ。文書で明示した設計条件は@近く予想される東南海大地震でも倒壊しない構造A骨壷10個が収容できる大きさのカロート(納骨室)B耐久性は100年、の僅か三点。外観のデザインは日本では半ば伝統と化している和型に拘る必然性は全くない。全てにわたり自由と強調した。

   墓石業者10社から独創的な設計図と見積りを集め、業者の選定は同年秋に終わった。そこまでの経緯は『終の棲家の建設前編』に纏めて、ホームページ(随想)で発表した。

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じめに
 

   後編の報告は平成23年6月に完成した基礎工事と同年12月に完成した墓石の組立作業までの経緯を纏めたもの。何よりも驚いたのは工事業者による職人の働かせ方の違いにあった。トヨタ自動車での現役時代、自動車関連の部品工場の技術調査は、内外合わせると1,000社程度になるが、これらは同一部品の反復連続生産の世界。

   一方、我が墓作りは私がリピータになるはずもない一回限りの別世界。相見積もりで大きく開いた価格差は機械の使い方と職人の働かせ方の巧拙にあった、と工事を見学するや否や即座に納得。最安値を提示した豊橋市の石寅とみよし市の打越土木とには、予め文書で明示していた通り契約金は一銭も支払わずに口頭約束で発注しただけだ。でも、業者の想定外の誠実な作業を目(ま)の当たりにすると、我が死後も感謝し続けたい、と思わずにはおれなかった。

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基礎工事



   我が墓地は3*3mの正方形。四辺は長さ40cmのコンクリートブロックに囲まれていた。墓地の手入れが造成後なされた形跡は全くなく、草茫々のままだった。墓地中央の白いT字形のプラスティック製の板には、場所を表す数字151が書かれているだけだった。左奥の白い袋には石寅の岩田店山崎店長が持参した清めの塩と清酒とが入っていた。



   工事に先立ち関係者と記念撮影。写真左端は山崎店長。左から三人目は基礎工事の社長・その隣で真っ白な新品の上下服を着ているのは社長の長男・右端の二人は同社の体力溢れる若手職人。工事に先立つ記念写真の撮影者は基礎工事業者を紹介してくれた、過去20年以上もリフォームなどでお付き合いが続いている元工務店社長梅村氏。



   工事の安全を祈念して山崎店長が、敷地中央部と四隅にお清めの塩を盛り、夫々に清酒を注いだ。



   我が墓地から15mの位置にある砂利道に中型ショベルカーを停め、操作は社長。中小企業では社長と雖も一人の職人として率先垂範して働く厳しい世界だ。





   長男はミニショベルカーによる土掘り。上の写真の右端でスコップを持っているのは梅村氏、80歳でも今尚元気なお爺さん。ミニショベルカーが掬い残している周辺の土は、お爺さんが墓地の壁面が垂直になるように底が平らなスコップで掘り出した。



   ミニショベルカーで掘り出した土は『猫車』と呼ばれている一輪車(2台同時に稼動)に載せ、2人の職人が15mの距離を、中型ショベルカーまで休む暇もなくピストン輸送。

車輪が1つのものは孤輪車(こりんしゃ)という[1]。また、単に一輪車(いちりんしゃ)ともいうが、乗車遊具の一輪車と区別するため工事用(こうじよう)あるいは農作業用(のうさぎょう)一輪車と呼ぶこともある。

さらに、猫車(ねこぐるま)、猫(ねこ)とも呼ばれる。理由としては、猫のように狭いところに入ることが出来ることから来ているという説もあれば、また猫のようにゴロゴロと音を立てることに起因するとする説、裏返した姿が猫の丸まっている姿に似ているからとする説もある。




   中型ショベルカーのバケットに投入した土はすぐ横に待機している中型ダンプに転載。中型ダンプに満載した土は社長が近くの廃土捨て場まで運んだ。土は掘ると体積が二倍近くに膨らみ、深さ50cmまで掘るとダンプ2台分になった。これら一連の同時作業に必要な職人の最適人数が4人だったことは一目瞭然。



   土掘り作業が終わると5Kwの携帯用ディーゼル発電機と連動する転圧機を使っていとも簡単に土固め。その上に約10cmの厚さに砕石(バラスト)を並べてまたもや転圧作業。その後に配筋作業とカロートを確保するための型枠工事。

   砕石を投入する目的は、地耐力に疑問のある盛り土への圧力の分散と水抜きにある。鉄道で枕木の下に敷く砕石と目的は同じだ。四隅に立てられたパイプは基礎上部の水(雨水)抜き用の配管。退屈した私は見学を中止して帰宅。


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生コンの打設

   生コンには『製造後90分以内に使わねばならない』という規則があるそうだ。墓地近くの業者がミキサー車で運んできた。いつもはトヨタ自動車の工場内の建設土木工事が主だが、東日本大地震の余波で暫くは暇らしい。生コンは1回では足りず2回に分けて運んだ。生コンの密度は意外に高く2.3前後。水分は蒸発するのではなく結晶水としてコンクリートの中に吸収される。その結果、生コンが固まっても密度は殆ど変わらないそうだ。


(ISA5308 8.4b)生コンクリートは、練混ぜを開始してから90分以内に荷卸しができるように運搬しなければならない。

生コンの密度(比重)は約2.3です。これは固まっていない状態のことです。ただ生コン会社によって、材料が違いますので密度2.2〜2.4が生コンの密度です。固まった状態の密度はほとんど変わりませんが、厳密にいうと固まったほうが若干軽いです。密度0.001ぐらいの差か?

あと補足ですが以前、生コンは比重という呼びかたをしていたのですが、今は密度と呼ぶように変わりました。



   生コンの打設作業は廃土作業の逆工程。墓地入り口の公道にミキサー車が停車⇒中型ダンプに小分け⇒150m運搬⇒我が墓から15m離れた位置に待機している中型ショベルカーのバケットに小分け⇒一輪車に小分け⇒一輪車2台でピストン輸送⇒バイブレータで攪拌。ここでも4人が同時に並行して作業。

   ある業者は公道のミキサー車からポンプ車を使って、墓地まで圧送する計画を提案。ポンプ車をレンタルで借りホースを繋ぎ、使用後にホースを洗浄。生コンの移送には便利だが、生コンが少量の場合には総費用が高くなるのは明白。

   バイブレータで生コンを攪拌すると液状化現象が発生するのか、流動性の乏しかった生コンが配筋の中を津波のようになって忽(たちま)ち広がった。バイブレータの第二の目的は生コンに含まれている空気を抜くことにある。




 
  生コンの投入は打設面の高さが異なる場合は一度にはできない。当初の生コンが固まる日までやむなく待った。



   カロートや墓誌の設置面の配筋と型枠工事は日を改めて実施した。中小業者の職人は多能工(特殊車の運転免許・玉掛け免許・配筋・型枠・大工・左官・バイブレータなどの道具類の習熟他・・・)だ。百種類の仕事があると称されるお百姓さんと同じだ。

百姓仕事=野良仕事、みたいなイメージがありますが、実際の百姓仕事は本当に幅広い分野に亘っています。

そもそも「百姓」の語源は「百の姓」。姓、つまり職業ですから、百個の仕事ができる人、という意味を持って「百姓」なのです。

 
  我が趣味のひとつである家庭菜園業務は『十姓仕事』か?
   


   
2回目の生コンの打設作業が終わった。



   生コンの投入体積からの概算で、基礎の重さは約10トン(0.5*9*2.3=10.35)になったと推定。

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墓石加工

  墓石加工とはミケランジェロほどではなくとも、典型的な熟練職人としての石工(いしく)の専売かと推定していたが、いつの間にか繊維産業や日用品の加工と同様、低賃金の中国に依存していた。我が発注先である石寅も墓石の荒加工は商社を介して中国の石屋に発注。山崎店長は毎月1回の打ち合わせに中国へと通勤していた。

   発注数ヶ月後に中国での粗加工が完了した。山崎店長は現物を目視検査した。『石目が合っていない』と判断し『こんな墓石をお客様に納品することは、いやしくも日本の墓石職人としてのプライドが許さない』と言って引き取りを拒否。私は模様合わせが必須となる紳士服の縫製ならばともかく、墓石にも『石目』があるなどとは夢想すらしていなかった。今や守銭奴と化している流石の中国人も、詳細な説明を聞いて納得したそうだ。

   墓石組み立ての折に『石目が合わない』とはどんな状態か、と年末の墓石組立作業の折に現物を見ながら質問。『墓はいくつかの部品から構成されるが、それぞれの接触面で石質が目視で異なっているように見える現象だ。同じ場所から掘り出した石でも経年変化と共に差が顕在化し、見苦しくなる』そうだ。市営墓地の墓を点検したら、石目の合っていない墓がごろごろ。

   中国での加工委託先の負担で新しく石を調達し、2ヶ月後にやっと粗加工が完了。日本の工場では当初からの予定通りの仕上げ加工。曲面の鏡面仕上げは難しいらしい。秋も深まった10月末になってやっと完成。

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墓石に彫り込む文字列



   和型の墓石の最上部に載せられている細長い直方体の石を『棹石(さおいし)』と呼び、市営墓地の殆どの墓は『***家の墓』、一部には『南無阿弥陀仏』『南無妙法蓮華経(な
みょうほうれんげきょう)』などとも掘られていた。『***家の墓』との表現では『馬の馬糞』と同じ。『***家の別荘』でもなければ『***家の邸宅』でもないことは明白。私は『石松家』で十分と判断した。馬鹿の真似は意地でもしたくはなかった。



   我が自作の戒名『世界百余国漫遊大居士』も墓誌に彫ることにした。我が死後に遺族が我が遺言を無視して、どこかの守銭奴住職に戒名を考えさせる可能性を排除するためだ。これらの文字列を生前に彫る場合はペンキで赤く塗るのがこの世界の習慣だそうだが、その行為に価値を感じない私はペンキを塗るのも拒否した。人様にとやかく言われる筋はないと考えたし、死後にペンキを塗り直す作業も無駄だ。

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墓石への文字の彫刻作業

   彫刻作業は鑿ではなくサンドブラストで実施。サンドブラストとは小さな硬い粒子を高速で噴射し、墓石を少しずつ削りとる作業だ。そのためには弾性体であるゴムのシートから文字の形を切り抜き、石に貼り付けて実施する。ゴムシートはサンドが衝突してもその下の石が削られないようにする保護膜だ。

サンドブラスト略説  

主に、コンプレッサーによる圧縮空気に研磨材を混ぜて吹き付けるが、細かい部品を加工する際には、より大量の研磨材を効率よく吹き付けるためにサンドブラスターという作業箱の中で加工する。

サンドブラストのサンドとは砂を意味するが、元々は砂(sand)が風(blast)で飛び、擦れて岩などが削れてゆく様を見て発明されたという説がある。

錆取り・塗装剥がし・下地処理のほか、近年では、回路・IC・電子・電気等の部品・配線加工などで使われる。また、鋳物・陶磁器・ガラス工芸品・石材などに表面処理・装飾・彫刻を施す為にも用いられる。

大型加工では、古いオートバイのエンジンブロックを丸ごとサンドブラストに掛け、新車当時の輝きを取り戻すサービスを提供する業者も存在する。

サンドブラストは、元々は硅砂などが多用されており、今日でも使用されているが、近年のサンドブラストに使われるサンド(研磨材)はアルミナやガラスビーズなどが多く使用されている他、ナイロンなどの樹脂系やクルミの殻や桃の種のなどの植物系などもあり、研磨材のバリエーションも多く、用途も多様化されている。 また、サンドブラストは「削る」「叩き落とす」などが最も多い処理であるが、近年では「磨く」という処理が可能なものもある。

ガラス工芸としては、表面彫刻・加飾の方法や加工後の擦りガラス状態等が、化学腐食のエッチングに似ていることから、20世紀になって用いられだした。 文字や絵柄を残したい部分のみマスキングを外し(もしくは掛け)、サンドブラストを行なうと、対象部分がすりガラスとなって残る。

グラスのような記念品等の名入れ等でも利用される。近年は、従来のフッ酸混合液(フッ化水素酸と硫酸の混合液)による腐食(エッチング)と比べて、安全性、生産性にすぐれ、設備の小型化も進んだことから個人でも導入可能な簡易性・加工性等もあり、サンドブラスト加工の品も「エッチング」と呼称されガラス工房や作家において普及している。

ガラスエッチングと表記される事も多いが、エミール・ガレ等のそれとは歴史的にも技術的にも全くの別工法である。


石材加工にも応用されており、現在、墓石の文字入れは、彫らない表面をゴムシートで覆った上で、サンドブラストによって行うのが主流となっている。ゴムシートには、パソコン上でデザインをした文字をレーザーカッターなどで切り抜いておく。

    漢字の書き方には楷書・行書・草書・隷書・篆書(てんしょ)など種類はいろいろあるが、私は大好きな隷書を選択。石寅は岡崎市の有名な書家に実寸大の書を依頼した。1ヶ月以上経ってやっと完成。即座に実寸大のコピーを取り、速達で我が家に送られてきた。開けてびっくり玉手箱。書体は何と楷書だった。

   石寅に勘違いを連絡し『また1ヶ月待たされるの?』。『本日、今から書家を訪ね即座に書いてもらいます』。私は中国への墓石の調達依頼以来、工程ごとに1ヶ月単位で遅れてきたので、嫌な予感がしてきた。

   私は墓が完了すれば死ぬ準備の一つとして、パプアニューギニアに出かけ、高地で生活している先住民の酋長と2人だけのにこやかな記念写真を撮り、遺影にするのを楽しみにしていた。団体海外旅行の予約は通常3ヶ月以上も前にする場合が多い。墓工事にも立ち会いたかった私は海外旅行の確実な予定が組めず、遂に平成23年には海外旅行のチャンスを失った。


   
   私は今まで予定が延期される都度、墓石工事は私が死ぬ前までに完成すればよい、と言って鷹揚に構えては来たが遂に我慢できなくなった。建立月日は通常『**年 **月 吉日』と書くのだそうだが『平成24年 元旦』にするようにと指示。誠実一筋の山崎店長は墓石組み立て作業を12月26と27日に実施します、と連絡してきた。
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墓石の組み立て



   待望久しい12月26日は積雪量が10cmもの今年初めての大雪。モルタル工事には最も避けたかった寒い日に遭遇。この日の午前中は石寅の工場で墓石の最後の仕上げ作業。

・・・蛇足・・・

   
   我が居間から芝生の庭を眺めると、雪景色の写真で明らかなように美観が全く無いことに改めて気付きがっくり。実は昨秋、平成24年の我がテーマは『花咲爺さん事始』と決意していた。平成22年4月15日には露天風呂(ホームページ、随想編)を造った。爾来毎週一回の頻度で、微風(そよかぜ)にも当たりながらの入浴を楽しんでいた。最初は満足していた露天風呂も、庭の美観不足が目に付き始め苛立ちを感じ始めていた。

   我が家の家庭菜園と芝生の庭の高低差は約1m。そこに発生した約4坪の斜面には直径30cmの幹に育った枇杷や梅のほかに雑木も植えていたが、大きく成り過ぎて息苦しくなってきた。狭い庭でも勝手に大きくなる庭木は、剪定などの手入れも面倒に感じる私には不向きと悟った。

   昨秋には園芸工事店10社に、木を切り抜根し5段からなるひな壇となるような設計と見積もりを頼み、最安値を提示した業者と口頭契約をした。20年も前の我が長期海外出張中に荊妻が業者に依頼して、家庭菜園の擁壁と一階の車庫との間に造った細長い1坪の花壇の改装を、墓も完成した後の平成23年の年末に決行した。斑入りの笹の除去には延べ10時間もの悪戦苦闘。

   自宅前で宅地の造成工事をしていた業者の社長に自宅を指差しながら『私はここからも見えるあの家に住んでいます。花壇に使うから畑の土を1立方メートル売って欲しい』と相談したら『お金は要らん。明日届ける』とぶっきら棒な返事。小型ダンプでの配達時に『ビールをどうぞ』と、日ごろ愛飲しているサントリーの『ザ・プレミアム』を一缶差し出したら『貰ったら、直ぐに飲みたくなるから受け取れない』と断られて恐縮。

   改装した花壇にはツワブキを移植して満足。昨年初夏、自宅のツワブキで伽羅ブキを作ったら意外に好評。我がホームページ(随想、料理事始)を読んだゴルフ場の事務員・元トヨタOLにも所望され、ガラス製の空き瓶に詰めてプレゼント。ツワブキは北側の日陰向きの多年生の観葉植物。虫害にも強く、秋には黄色い花も咲く。英国のいわゆるイングリッシュガーデンでは観葉植物として引っ張りだこだそうだ。



   毎年2月にシルバーセンターのお爺さん4人組に庭木の剪定を依頼していたが、今年は一足早く2人で1月11日に実施。4人でも2人でも一日で完了したのが摩訶不思議。墓が完成したら斜面の改造に年明け直ぐにでも取り掛かりたかったが、園芸店の都合で1月25〜27日になった。ミニ千枚田の様なひな壇が完成した。

   その後私は老骨に鞭打って、貝塚伊吹に沿って幅50cmの土を少し除去し、完熟牛糞堆肥(2年前に購入した3立方メートルの牛糞が半分残っている)と培養土(家庭菜園用に購入したものが35袋も残っている)を投入し、花壇化する予定だ。
   
   老骨の肉体労働は一日2時間が限度。一週間に2日働いても半年は掛かりそうだ。細長い花壇と芝生との間には、廃棄処理に困っていたレンガやコンクリートブロックを境界線として埋め込む予定だ。

   あちこちの園芸店を回って事前勉強。半年間咲き続ける花の種類の多さに驚いた。夏秋用(サルビアなど)と冬春用(パンジーなど)の苗を交互に植え替えると、一年中花を楽しめることが解った。そのためにも墓の完成を、ますます急ぎたくなっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


   我が墓の棹石と墓誌とは、一部を鉄筋コンクリートの突起部に嵌め込む設計になっている。クレーンで吊り上げた石を正確な位置に下ろさなければ破損する可能性があり、和型の墓のように墓石の単なる積み重ね作業よりも難しくなるらしい。山崎店長は知人でもある静岡市の重量鳶もいる墓屋にその作業を依頼した。



   12月26日の午後、職人は墓石と共に墓の組み立てに必要な部材を墓地に運び込んだ。4人の職人は豊田市内のビジネスホテルに泊まるのだそうだ。私は彼らの熟睡の一助にもなればと、ジョニーウォーカを1本差し入れた。
   


   27日早朝から作業開始。墓地内の通路は砂利を使った簡易舗装。運搬車の轍(わだち)が残らないようにベニア板を敷いた。墓地の周辺に敷く縁石は推定重量750Kgの石。4本の縁石だけで約3トン。2人の職人が人力だけで運んだ体力には驚く。プロのスポーツマンのような体躯だ。肉体的な劣等感を払拭できずに、何とか73歳まで生き延びてきた私には、眩しく感じるほどに羨ましい。



   棹石などの組立作業に取り掛かる前に、別の職人がコンクリートの表面に粘度の高い白い液体を塗り始めた。その上から接着剤を兼ねたモルタルを盛り付けた。白い液体はモルタルの白華現象を防止する薬剤だそうだ。私は白華なる現象はこの時点まで全く知らなかったが、かつて流行した打ち放しコンクリート建築の表面に現れていることは目撃していた。
   
   我が家は現場打ち鉄筋コンクリート構造の三階建て。一部の梁や車庫の天井に露出している地中梁の目地にも、今にして思えば所々白華現象が現れていた。でも、美観維持を優先して、その上から防水樹脂で覆い隠しただけだった。
   
   10年前の夏にセントラルクーリング設備を撤去し、エアコンに切り替えた。東西南北の壁面に配管用の直径10cmの穴を開け円柱を取り出した。円柱の劣化状況を確認すべく金鎚で叩いた。でも、アルカリ反応などの劣化を何一つ発見できなかった。そのとき一安心した記憶が甦った。
   
   37年前に自宅を建てた頃に比べエアコンの性能は格段に向上した。今やセントラルヒーティングも正月などの子・孫の来宅時に使うだけ。全室のエアコンを同時に稼動させながら調理家電を使うと80Aの契約電力ではブレーカが落ちるからだ。
   
   極端な寒がり屋の私は在宅時、我が居間の冷暖房はエアコンで年中30度をキープ。暖房では熱効率が100%になる石油ストーブよりも、エアコンの電気代の方が今や安くなった時代だ。私には政府や電力会社の節電要請に協力する気持ちは全く起きない。私には何一つ落ち度が無いからだ。

白華(はっか)とは、コンクリートやモルタルの表面部分に浮き出る白い生成物のことである。これが浮き上がる現象を白華現象(エフロレッセンス[英]efflorescence)という。白華が生じたとしても、コンクリート構造物の強度には問題はなく、生成物も無害であるが、外見上の問題となることがある。

白華現象は、コンクリートのごく表面で生じる現象であり、アルカリ骨材反応のように強度が損なわれる問題ではないこと、また成分は、炭酸カルシウムなどであり、環境上の問題も生じることはない。

外見上の問題として、タイルや鉄平石の目地などに生じた小規模な場合には削る、もしくは塩酸を含むトイレ用洗剤などで落とすことができる。外壁などの大規模箇所、環境に配慮すべき場所に対しては、クエン酸を主成分とした洗浄剤が市販されている。


 移動式クレーン車は蜘蛛のような関節タイプの足を伸ばし、狭い通路に慎重に設置。縁石を徐々に吊り上げ始めた。
   


   基礎の上にモルタルを塗布。排水用のパイプの上面にモルタルが流れ込まないような保護幕(セメントを運んだ紙袋の一部)が被せてあった。





   基礎にはステンレス製のピンが嵌め込まれていた。縁石にはピンに対応する位置に穴が穿けられていた。ボルトとナットで締結するのかと思っていたのは我が誤解だった。ペルー(インカ帝国の世界遺産見物に荊妻と一緒に出かけた)で購入した帽子を被って遠くを眺めているのが私。

   私は工事を見ているだけでは退屈し始めた。おまけに余りの寒さにも耐えかね、山崎店長に工程ごとの写真撮影を依頼して帰宅。

   ここから後の写真は山崎店長が撮影した写真を借用した。私は不在のままだ。以下の説明が正しいか否かには自信がない。



   棹石を載せる台にもピンが埋め込まれていた。その周辺には接着剤としての樹脂が格子状に塗られている。


   
   縁石同士の接触面はL字形のステンレスの金具で固定され、墓誌には自作の戒名が彫られていた。


   
   基礎と縁石に囲まれた空間には砕石を投入し、全体を平らに均(なら)し、仕上げには那智黒もどきの磨かれた楕円体の石を積み重ねた。
   
   コンクリートの基礎の上にあるのは石のみ。土はなく、排水パイプも機能しており、常に乾燥状態が維持される。経年変化と共に若干の雑草が生えても大きく育つ筈が無いと推定。仮に生えても簡単に除草できると楽観。

   常時立ち会っていたお爺さんから午後三時には作業が完了しますと、午後二時過ぎに自宅へ連絡が入った。急遽現場に駆けつけた。


   
   芝生の雪も解けたころ、工事は完了。墓の前で記念撮影。左端は27日午前8時に現場へ駆けつけた山崎店長。カロートの前面には2本のステンレス製花瓶、カロートの入り口の蓋の下の空間には、ステンレス製の線香台と蝋燭立て。山崎店長の助言でステンレス製品は盗難を恐れて持ち帰った。




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おわりに

@ 耐震性

   地下街が地震に強いといわれる理由は、地震が発生しても地盤と構築物とが一体となって振動する結果、構築物には慣性力に起因する各種応力(圧縮・引っ張り・剪断・曲げ・捻り)が発生し難いからである。

   我が墓の基礎の内部に空間は無く、地盤に埋没している岩のようなものだ。低重心の棹石と墓誌とはピンと接着剤を介して基礎部と結合されているだけだ。棹石や墓誌は重量鉄骨造りの高層建築のような弾性体とは異なり、地震により揺れ動く心配は小さい。山岳地帯での大地震は山崩れこそ発生させても、岩石を直接破断させることがないのと同じ現象だ。

   横滑りの慣性力が万一発生すればピンに剪断力が働くが、基礎とモルタルを介して接触している面積はピンの断面積に比し遥かに広く、その分剪断力は反比例して小さくなる。経年変化で接着剤が劣化してピンが万一破断しても、接触面を再度研磨するだけの簡単な復旧工事で済むはずと、各種応用力学をいやしくも聞き齧った私は楽観している。

   南氷洋に浮かんでいる氷山がどんな強風を受けても転覆しないのは、海面下の質量が海上部に飛び出している氷よりも格段に大きいからである。我が墓が今後の歴史的な大地震に運悪く遭遇しても倒壊しないと想定しているのは、氷山と大局的には同じになるからだ。

A 分骨



   我が生家(福岡県遠賀町)から300mの山頂には100年以上も前に曽祖父が購入した我が一族の300坪の墓地がある。眺めの良い南面の一角に父が大きなカロートがある墓を造った。私は豊田市営墓地と郷里の墓地に分骨埋葬するようにと遺言を残す予定だ。私には郷里の墓に納骨して貰いたいという願望は全く無いが、父の生前の遺志に添いたいからである。

   仏教界と訣別している私は自宅に位牌を保管する仏壇を設置する意志は全く無い。骨壷の保管場所としてお墓を造っただけだ。世間や仏教界には分骨に反対する人もいるが、価値の無い見解だ。お釈迦様の遺骨は関係者による分捕り合戦に翻弄され、バラバラに分骨された。

   仏陀(ガウタマ・シッダールタ)入滅の後、その遺骸はマルラ族の手によって火葬された。当時、釈迦に帰依していた八大国の王たちは、仏陀の遺骨仏舎利を得ようとマルラ族に遺骨の分与を乞うたが、これを拒否された。

   そのため、遺骨の分配について争いが起きたが、ドーナ(dona、香姓)バラモンの調停を得て舎利は八分され、遅れて来たマウリヤ族の代表は灰を得て灰塔を建てた。ちなみに、その八大国とは、

1. クシナーラーのマルラ族
2. マガダ国のアジャタシャトゥル王
3. ベーシャーリーのリッチャビ族
4. カビラヴァストフのシャーキャ族
5. アッラカッパのプリ族
6. ラーマガーマのコーリャ族
7. ヴェータデーバのバラモン
8. バーヴァーのマルラ族

である。

 
  代表的な仏教国でありながら仏教が伝来して以来千数百年間、仏陀の骨のひとかけらも無かった日本には、明治33年にシャム国(現在のタイ王国)皇帝から贈られた釈迦の遺骨を奉安するために、名古屋市の覚王山に日泰寺が明治37 年に創建された。この骨が本物か否かを鑑識する価値は全く無い。しかし、関係者にとっては最高の宝物である。

   今や覚王山日泰寺は、東海地区の財界をはじめ有名人の葬儀が執り行われる超別格の寺院になった。

B 蛇足・・・総費用=172.9万円

   永代使用料・・・・5.1*9=45.9万円
   基礎工事費・・・・ ・・・ 25万円
   墓石工事費・・・・・・・ 100万円
   梅村爺さんへの謝礼・・・・2万円

   かくして、私の『死ぬ準備』は着々と進んでいく・・・。  
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読後感

先日は墓石工事を完了させて頂きまして誠に有難うございます。石松様からのメールを拝読致しました。先ず最初に、石松様に改めてお詫びを申し上げます。

墓石の完成が当初の予定より大幅に遅れましたことをお許し下さい。パプアニューギニアへのご旅行を予定されていらっしゃったとのこと、本当に申し訳ございませんでした。また、文字見本(書体)の間違いにつきましても重ねてお詫び申し上げます。これらの粗相につきましては全て私が原因であり、己の出来の悪さを恥じております。

頂戴いたしましたメールの内容
(メールに添付した今回の原稿)につきまして申し上げます。石屋、石屋でない方、どちらの方々が読まれても興味深い内容だと思います。特に、@耐震性のご説明には感服いたしました。

横滑りの慣性力が万一発生すればピンに剪断力が働くが、基礎と接触している面積はピンの断面積に比し遥かに広く、その分剪断力は反比例して小さくなる。

経年変化で接着剤が劣化してピンが万一破断しても、接触面を再度研磨するだけの簡単な復旧工事で済むはずと、各種応用力学をいやしくも聞き齧った私は楽観している。


私には上記のような難しい表現はできませんが、石松様のご指摘の通りです。将来地震などの事態が発生しても石松家の墓石は損傷が少ない上に、修繕などを含む復旧工事は時間と費用が最小限で済むように設計されております(少なくともそのつもりです)。これは修繕する必要が生じた場合、次の代の方々における経済的な負担を少しでも軽減させて頂きたいという弊社の勝手な発想です。

ただ私の場合は応用力学などの難しい事は分かりませんので、ベテラン職人からの助言と自分の乏しい経験からの勘だけで図面を作成しております。勘などと書きましてご気分を害されましたら申し訳ございません。しかし石松様のように専門的な教育をお受けになり、高度な知識をお持ちの方からすると、弊社のような石屋の作業などは《勘》のレベルに過ぎないと痛感しております。

少々長くなりますが、私の率直な思いを書かせて頂きます。

実は私は、今回の墓石工事のご契約は弊社には頂けないものと考えておりました。私が約20年の間にお会いしたどのお客様より、石松様は高度な要求をされるお方だったからです。それは技術的な問題だけではなく、お墓としての本質的な面も含まれます。私は当初から石松様のご要望に怖気付いていたことを告白致します。

例えて申し上げれば、宮廷で振舞われる料理を町の大衆食堂の店主に依頼されるような印象を受けました。素材の良し悪しや料理の味だけではなく、その料理を食するにあたっての背景やそれに関わる思いなども、併せてお尋ねになられたような気がしたからです。

今回の工事は外部の者に助けを求めるなど、弊社と致しましては異例中の異例なケースでした。本来であれば、異業種からの参入者ではない昔ながらの石屋としては、とても恥ずかしいことなのです。この事実を知れば、弊社を笑う業者もいるだろうと推測いたします。

しかし、美観・耐久性・建立後のメンテナンスの容易性などを維持して石松様のご要望にお応えするには、この方法しか思い浮かびませんでした。これは経費を抑えるという類の話ではございません。石松様からのご要望にお応えするには、弊社単独では限界があるかもしれないという情けないお話です。私の提案に弊社の経営者も当初は迷いがあったほどです。

私は大衆食堂の料理人のレベルですから自力で出来ることの限界を理解しております。石松様が要求されるレベルのお墓を完成させて頂くために、私は自分の得意なことだけに専念することに致しました。

図面・原石の選定・中国作業場での加工のチェック・国内作業場での加工のチェック・補強の方法・施工前の下準備や施工法の指示(製品底部の撥水処理や白華対策など)だけです。基礎工事は専門業者様、加工は共同作業(中国と石寅)、施工は静岡の精鋭チーム。特に静岡のチームの能力は本当に素晴らしいのですが、彼等は図面を見るなり今回の工事に興味を持ってくれました。

「腕が鳴るな!」「是非やってみたい工事だ!」と快諾してくれたことは一生忘れません。皆様のご協力が無ければ、今回のお墓をあのレベルでは完成できなかったかもしれません。私の存在意義など本当に希薄なものです。弱気なことばかり書きましたが、10社の中からご指名を頂きました責任を感じておりましたことは事実です。

入札に参加した他社が完成した墓石を見て「あの程度なら俺たちの方がもっと良い墓をつくれる!」と言われることを今でも恐れています。恐れていました、と過去形で書くことが出来ない理由は、石屋の仕事は工事が完了したら終わり、ではないからです。決して石松様に心配をお掛けする意図はございませんが、建立後の錆びなどの発生は約0.1〜0.3%の確率で起こります。

私は良い原石を必死で選びました。それに偽りはございませんが、それでも絶対に錆などの問題が発生しないと断言することはできません。原石の選定も科学的な根拠に基づくものではなく、経験による勘だけが頼りだからです。恥ずかしながら申し上げますが、これが石屋の現実であり限界なのです。

取り敢えず今後30年間何も問題が発生しなければ今回の墓石工事が成功だった、と考えることにしております。それまでは現地にて建立後の点検を時々させて頂きたいと存じます。駄文にて申し訳ございませんが、私の率直な思いです。

あってはなりませんが万一問題が発生した時を考慮して、以前にお約束を致しました無期限の保証書を発行させて頂きます。口約束では次の代の方々にお約束が守れない可能性がございますので、書類に仕上げてお渡ししたいと思います。今月中に建立後の点検をさせて頂いた後に石松様のご自宅にお届けを致します。

最後になりますが、墓石加工の項目で『目地が合わない』とあります
(本文に最初書いた目地は、ご指摘を受けて石目に書き換えました)が、これは私の言い間違いです。大変申し訳ございません。

初回に加工・廃棄した製品は各部材の石目の流れと色合いが合っていないということを申し上げるつもりでしたが、私の不注意で石松様に目地と表現してしまいましたことをお詫び致します。正確には『石目が合わない』或いは『石目の流れと色合いが合わない』です。私の誤った発言に対する訂正とお詫びを申し上げます。

@ ホームページに原稿を転載する前に、石寅の山崎様にご査読をお願いしたとき、即日頂いたご返信

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興味深く読ませて頂きました。校正とはいえ重箱の隅をつつくだけ、多少とも参考になれば幸いです。

石松さんの本文は勿論ですが、
石屋さんのメールの内容・表現の素晴らしさ、及び滲みだすお人柄に感動を覚えました。さすがプロですね。

厳しいだけではない施主と石男の意気が響き合ったということでしょう。

A 大学級友・工・いつも査読をお願いしている方

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寅の山崎店長の読後感と合わせて拝読。

工事開始時の関係者の記念撮影を見た。請負業者の社長、店長、基礎工事担当会社の社長、工務店長等が居並ぶ。大邸宅の着工かと思いきや高がお墓。

動員された建設機械は、中型ショベルカー、ミニショベルカー、中型ダンプカー、ディーゼル発電機、転圧機、バイブレーター、移動クレーン車・・・請負業者は基礎工事など専門分野の仕事は他県の精鋭チームに。自社のみならず他社の力も動員した。おまけにホテル住まいで作業をしたとか。

基礎工事の鉄筋の張り方は3階建てのビルでも建てるの?過剰品質では?墓石の粗加工の段階で石目の色合いが合っていないとかで造り直したとか!私なら「自然の石はこんなもんですよ!工業製品じゃないんだから!」と誤魔化すよ。

墓の建設は一生一代の仕事、リピーターがいないのは当然。造って納めりゃお終いよ。なのに無期限保証とは!ちなみに私は十数年前に和型の墓を建設。保証期間は3年でした。ここまで聞けば建設費は数百万円の上のほうでは? ところが安くてびっくり。赤字じゃないの?
 
山崎店長さんへ;

石松さんからの請負仕事でクレームをつけられなかったから二重丸。「業者の想定外の誠実な作業を目の当たりにすると、我が死後も感謝し続けたい」と言わしめた。ギネスブックに載るほどの快挙です。脱帽。

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読後感の中でご質問を頂きました、石松様の大先輩様へのお手紙を書かせて頂きました。とても恥ずかしいのですが正直に書きましたので、差し支えなければご転送かホームページ内への掲載をお願いできますでしょうか。問題があるようでしたら破棄して下さい。 
 
読後感の中に、山ア店長さんへ、とお書き頂いた方がいらっしゃいました。僭越ではございますが、お答え出来る範囲でお返事を書かせて頂きます。
 
赤字ではないのか?というご質問がございましたが、決して赤字ではございません。

その理由は下記の通りです。事実のみを端的に書かせて頂きます。
 
@ 弊社では図面作成などの屋内作業(肉体労働以外の全て)における人件費は基本的に計算しておりません。

 一部の消耗品と机や椅子などを除きまして、鉛筆からパソコンまで各自持ち込みです。 加工と施工と墓文字の書を除く、全ての作業を担当者が行えば、少なくとも外部に支払いは発生しません。 弊社では経営者も新人も基本的に同じことをします。 零細企業の典型的な内容です。
 
A 加工や施工につきましては、弊社では残業代や休日出勤などの手当ては一切ございません。

請け負った仕事に対する歩合のみです(事務員は除く)。
能力の低いものは時間で補うということが経営者の方針だからです。 つまり会社側が負担する余分な人件費は発生しません。
 
B 石屋のプライドにはこだわらないように自制する努力をしております。

自社内で行わない方が効率も良く、結果的に安価になる場合もあります。仕上がりが同程度であれば、後ろめたさを感じつつも安価な手段を選択することもあります。 仕上がりが弊社以上であれば、敗北感を味わいながらも躊躇無く選択して学ばせて頂きます (今回の工事は後者のケースです)
  
C  経費だけではなく利幅も抑えます。

 墓石の価格設定は業者次第です。  全く同じ石種・型式・大きさの墓石でも業者によっては倍ほどの価格差がある場合もございます。

 当然のことですが、経費が多い業者の墓石価格は高額に設定しなくては経営が成り立ちません。
経費を削減したら、あとは利幅を削るしか単価を抑える方法はないと思います。

記は弊社の経営者から私が怒鳴られた時の言葉です。
  
  「お前の偽善的な笑顔や言葉より、1円でも安いほうがお客様に喜ばれるのが分からんのか?」  「お前は卑怯だ!口先だけで格好良いことを言っても、他社より高ければ一体何に努力や誠意を感じるんだ?」  「お前の誠意は口先だけだ!本当に誠意があるなら、今日から完成日まではビールをやめて発泡酒か焼酎にしろ!
それで浮いた金を花代や線香代として石松さんにお渡ししろ!その時がきたら自分の手で石松さんのお骨を納骨して差し上げろ!それが誠意だ!」
  
一部に不適切で乱暴な表現がございますが、決してふざけている訳ではございません。実際に経営者が私を罵倒した言葉をそのまま記しました。

石松様のホームページをお読みの有識者の方々には、不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
経営者の真意は皆様のご判断に委ねさせて頂きますが、弊社は経営者の独自の見解によりまして利幅を抑える努力はしているつもりです。
 
D  金銭だけを利益とは考えておりません。

 この度の墓石建立では学ばせて頂いたことが多々ございます。  加工や施工、価格設定につきましても盲点があったと認識させて頂きました。

 詳細につきましては長くなりますので省略させて頂きますが、信仰や墓石建立の意義が大きく変化しつつあることを実感致しました。

実は石松様のように新たな価値観の基に墓石を建立したい、というご相談だけは日々増えております。
しかし、まだまだ新しい一歩を踏み出せる方は皆無と申し上げても過言ではございません。

そのような方々の先駆者とも言える石松様の墓石工事に携わらせて頂いたことは、石屋にとりまして大変貴重な経験です。 同じ方向性での墓石建立を希望されるお客様に、弊社の実体験として具体的なご提案をさせて頂くことが可能になりました。
  
最後にこれだけは書かせて下さい。

弊社だけではなく、全ての石材店は良い墓石をなるべくお値打ちに建立させて頂きたいと考えております。そのための努力は皆がしているはずです。

弊社より優れた墓石を建立できる石屋は全国に多数存在します。
弊社より安価な墓石を建立できる石屋も全国には多数存在します。入札に参加した業者の中には、弊社よりも事業規模の大きな石材店が何社もありました。弊社よりも創業年数の長い石材店も何社かありました。その上、担当の私は手先が不器用で現場から販売に飛ばされた半端者。それでも石松様は弊社をご指名下さいました。

通常では経験することがない新しいコンセプトの工事です。石松様は弊社と私に貴重な機会を与えて下さったのです。石屋なら皆がそのように感じる工事です。

赤字どころか大黒字です。
石松様には本当に感謝しています。駄文にて失礼を致しました。

そのA

(株)石寅の経営哲学を拝読しました。

屋内作業など間接業務はコスト原価に不算入。加工・施工についても残業代や休日出勤手当を含めず請け負った仕事に対する歩合のみをコストとするなど。この方針のもとでは良いものをどんどん安く作り、ひいては客に安い商品を提供できる。まさにお客様本位の経営です。(結果として会社が繁栄するのは云うに及ばず)

この眞逆が東京電力。すべての経費を積算し、それに利益を上乗せして売価とする。今回の原発事故で火力発電に代替したが、火力発電用の油代を積み上げ電気料金の値上げを申請した。西沢社長は「電気料金の値上げは電気事業者の権利だ」、とのたもうた。

石寅 山崎店長のメールを見せてやりたい! 眼の鱗を落とすような相手ではないが。
 
B 査読をお願いしたトヨタ先輩・工・ゴルフ・テニス・温泉旅行仲間

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終の棲家完成おめでとうございます。石松さんらしいコンセプトの墓石を拝見しました。三河の地の石松家が末永く安泰であるよう願います。

最近は、工夫を凝らした墓石も目立ちます。碑銘も絆とか、夢とか。しかし、家名がすっきりして、分かり易く素晴らしいと思いました。

こちらも、そろそろ終活も考えるころですが、未着手です。

C 未だお会いしたこともないトヨタOB・B29の情報収集家⇒民間では日本一??

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早くも2月になりました、石松様らしい素敵な棲み屋ですね、着々と準備されて自分のシナリオをセットアップされる計画性に感服です。

小生のほうは、お陰さまで風邪を引くこともなく元気にて春の来るのを待つ今日この頃です、平穏無事を念じて新年を迎えるのですが、今年も早くも北の地方での大雪災害が起きています。

多事多難な幕開けの気がします。まだまだ何かが起きそうですね。巷の不況も気にせずにマイペ-スで暮らしたいものです。自分に最も気分の良いことを選択してストレスを溜めずにお暮らしください。

D いつも励ましのご返信をいただける方。10年ものリハビリで人生の危機を脱出された方

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石松家の立派な立派な墓を拝見。近く発生が予想される東海・東南海地震でも倒壊しない墓とのことですが、基礎の土台の鉄筋や墓石からみれば500年も1,000年も、もつようですね。よほど大雨で近隣の墓全体が流されないかぎり。

私は、昨年の3月11日上野の近くの谷中霊園で地震にあいました。徳川慶喜の墓の近くにいたときです。この時のこの地方の震度は5強だったんですが揺れの時間が長く、墓石はだんだんずれてきて2割近く倒壊したようです。

ただ、この霊園は明治や大正時代のものが多く、墓石の高さも2〜3メートルものも見られました。また、高い松の木があり、枝が途中で折れて落ちてくるものが有りました。

E トヨタ・大学後輩・経・定年退職後子供のいる東京へ移住

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貴殿の随筆というかドキュメントというか、長編が多くてなかなか読めませんが今回は一気に読みました。もっとも読み側のこちらの環境がよかったせいでもあります。例年のごとく避寒のため南の国を今放浪一人旅中で、今日はマレーシアKLのホテルでのんびりしてましたので。 

無宗教でお寺さん大嫌いな貴殿が、どうしてお墓にこんなに拘られるのかがよく理解できません。そのことはすでにどこかに述べられているのかもしれないが。

妻子孫の『信教の自由』に干渉する気は全くありません。彼らの負担を軽くするために墓を造りました。この墓に各自の遺骨を収納するか否かは彼らの自由です。

私が日本の仏教界と訣別した理由は何の付加価値も生まずに伝統に胡坐をかいている、盆暗守銭奴僧侶達の存在に意義を感じなくなったからです。

私の印象では『俺が死んだら遺骨なんてそこらに散骨してくれ』と言いそうな石松さんと思っていました。それが172.9万円の大金をかけて大地震が来ても絶対に壊れない、何代にもわたるお墓を作られたことが不思議に思われます。

各種応用力学を齧った私は墓を造るからには、頭を少しは使った構造にしたかったからに過ぎません。

興味深く『終の棲家の建設 後編』を読ませていただきました。

石寅の山崎さんの建設後のコメントは立派です。中小企業でやって居られる人の中にこういう人がおられるのが日本の本当の強み。大企業のトヨタにこれほどの信念を持って仕事している人が、どのくらいいるか数えてみたいものです。

戒名を生前自分で作られた人は私の周りで石松さんが3人目です。それにしても大居士なんて終わりにつけると仏教くさいではないですか。世界百余国漫遊というのは石松さんの人生の中で終わりの方で少しやられたことで、石松さんの人生とか生き方をあまり反映してないように思いますがいかがでしょうか。

戒名に価値があるとは思っていません。墓石の単なる飾りと考えたものの、新しい形式を考えるのが面倒になり、伝統を真似ただけです。それどころか、百余国は魏志倭人伝から、漫遊は水戸黄門漫遊記から、大居士は家康の戒名からのパクリです。

すべての妥協を許さず一つことを徹底的に、時には依怙地と思われる執念で生きて来られたのだから、それに相応しい戒名の方がよかったのではないですか。例えば『無宗教無妥協諸事貫徹大居士』とか、戒名には字数の制限があったのかな。

少し詳細な疑問ですが墓誌には没年を入れられると思うのですが、没年の年月日はいつどのように入れられるのですか。もちろん奥さんか子供さんが手配されると思いますが、現場でショットピーリングのハンデイーな道具があるのですか。

石寅の解答⇒墓誌への追加彫刻は、墓誌を基礎から外して工場で実施可能な構造になっています。墓地でも可能です。墓誌の基礎への据付にはピンと簡単に剥離できる接着剤を使っています。

石松⇒ショットピーニングに関する誤解があります⇒インターネットからの引用です。

ショットピーニング (Shot Peening) とはショット・ブラストを利用した表面処理の形式のひとつで、主に鉄鋼表面に対して、塑性変形による加工硬化、表面応力の均一化及び残留圧縮応力の付与を図る処理である。

サンドブラストは主に表面研削や付着物除去を目的としており、表面硬化等を目的に特化したものではないためショットピーニングとは区別している。

年号を平成で入れられたが100年後のご子孫では、丁度我々が明治や大正の年号が簡単に勘定できなくて戸惑うような事にはなりませんか。

一度お墓を見学に行きたいものです。折角こんな立派な変わったお墓をつくられたのだから、石寅のPRを兼ねてオープンハウスならぬオープングレーブ(グレーヴ=Grave=墓)を企画されたらどうでしょうか。提案します⇒何時でもご案内します。

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その2

例によってすぐ返事、しかも青字で疑問点まで回答されていて感服です。ショットピーリングとサンドブラストを混同していたようです。ご指摘ありがとうございました。


私の紹介のところで自工とあります(誤解です。トヨタ先輩・工と記した工は卒業した学部の略称。経済学部ならば経と記しています)が旧トヨタ自販S35年入社です。学校は名大工学部機械科出身で一応エンジニアの卵でした。途中(合併)から大変身⇒事務屋の中枢人事部に、そのあとはヤクザ稼業のような不動産屋(トヨタ住宅)をやらされました。

日本の仏教の檀家制度は今もかなりしっかりしており、私のところは三河の百姓5代目ですが、寺役も回ってきて金銭のみならず時間まで取られます。檀家寺の坊主とはケンカはしませんが協力的でないのはわかっているので、
檀家衆の中できっと評判は良くないはずです。

多分息子たちは私の遺骨をこの寺の先祖代々の墓に納めるでしょうが、学校卒業以来東京の方に行って仕事しているし、ここに帰らなければ孫の代になればすぐ無縁仏の墓になり処理されるでしょう。

私は裕福でもなんでもありません。今は自分が稼いだ金は死ぬまでに上手に使っていこうと思っているだけです。死ぬ時がわかってないので難しいことですが・・・・・そこで添付のごとき宮沢賢治の『雨ニモマケズ』をもじってつくった『21世紀の老人の生き方』がパロデイ大賞だと言って篆刻をやる先輩が彫刻してくれました。ご笑覧ください。



F トヨタ先輩・工・奥様逝去後は独身貴族・お寺の改築に100万円寄贈された富裕族・海外駐在20年以上の国際人

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今回はご指示どおり「石寅の山崎店長」の読後感から」先に読ませていただきました。そして読後感を最初に拝読しましたのは正解でした。そうでしたか。山崎店長のプロ意識と石松様との呼吸が、そして石松様の鋭い現場のまなざしになれるまでは山崎様のご苦労を勝手に想像していました。

石松流の問いに「わしらは勘でやるんじゃー」という心の叫びにどの時点でお互いを認め信頼がうまれたのか、と思いました。

さすが石松大先輩のご判断は2点(勿論私見・・・・小生には耐震性など理論はよくわかりませんので)

@「石松家のお墓」でなく「石松家」
A赤字でなくそのまま・・・・・・合理的 

一度お墓参りをしたく思います。 住所と大体の場所・位置を教えてください。現存の方のお墓参りをするのは初めてですが、否お墓見学ですかね。

先週土曜日は元銀行職場の役員様が80歳で昨年ゴルフ引退されたので、第1回食事会を開催しました。その場所で大先輩の88歳のお祝いの会が開催されており、当人から「まだ月2回のゴルフを楽しんでいる」と聞かされました。

「石松様のお墓完成おめでとうございます」と申し上げますが、まだまだお入りいただくのは天国での手続きが整備されてないとのことです。また、益々のご健勝を祈念し、新しい情報を期待しています。

G 大学後輩・経・元銀行員

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