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旅行記
           
アジア
香港・マカオ(平成10年3月10日脱稿)

   アジアの金融と物流センターとして21世紀を泳ぎ切れるか否か、世界が注目している香港。ついでにマカオにものこのこと出かけた。中国への返還行事を活用、マスコミも動員して観光客を呼び寄せ、英国の植民地経営の成功例の象徴とも絶賛させ、繁栄を極めていた筈の香港。

   しかし、我が視野に飛び込んだきた『人々の行動に溢れた、物心両面の貧しさ』には予期せぬ驚きを禁じ得ず、香港の民を正視するのは些かながら辛かった。
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はじめに

[1]節目の年

   我が家族にとって、本年は節目を迎える年だ。昭和43年3月21日に結婚して以来、満30年。3人姉弟の末っ子、昭和49年3月30日生まれの長男は名古屋大学大学院電気工学科修士課程を無事修了し、本年4月1日トヨタ自動車に就職予定。学費負担の重圧からもやっと解放される。

   万歳!。永い間、スズメの涙で我慢していた小遣いを3倍にしても大丈夫だ。しかし、それも束の間、昭和13年8月20日生まれの私は還暦と共に、9月1日トヨタ自動車を定年退職となる。

   『この機会に今春、リフレッシュ旅行に出かけないか?』と妻に持ち掛けたら、意外な返事が返ってきた。『この夏はご主人がイギリスに駐在中の友人を尋ねて、ノンビリ羽根を延ばす予定。3月は講師をしている学校(専門学校と公立中学校)の期末テストや年度末行事などで忙しいし、既に決まっている本年4月からの公立学校の異動に伴う歓送迎会や職員旅行で春休みは忙しく、海外旅行などに行く気も起きないわ』『じゃあ、イギリスに一緒に行くか?』『とんでもない。友達には迷惑千万!』
                                 
   仕方がない。妻が旅行済みの国の中から、候補地を探すことにした。『1度行った観光地には、余程魅力的なパック旅行でもない限り行きたくない』と言うのが妻の口癖だったからだ。

   旅行社は一度利用すると、カタログを毎月のように送ってくる。日本交通公社・近畿日本ツーリスト・新日本トラベル・国際ローターリー・日本旅行・阪急観光やHISが主なものだ。

   その中から、香港マカオ3泊4日で 65,480円(3月2〜5日・全食事・現地ガイド・送迎・名古屋空港発着・キャセイ航空・相部屋)と言う、手頃なパックが見つかった。しかし、1人部屋だと2万円追加。香港国際空港には海外出張などの乗り継ぎで何度も立ち寄ったが、街に出たことは未だなかったのだ。

   香港返還ブームが去った上、日本人客には部屋代を吊り上げていたとの報道も流れて人気も下降。しかも、昨年夏以来アジア各国通貨が暴落して一気に周辺国は不況に突入。その上、年末には死亡率がコレラ以上にも達すると言う、新型香港インフルエンザが発生して、とどめを刺された。

   なのに、香港ドルの対米ドル相場を変えないので、香港の物価は相対的に高くなり、買い物天国も今や昔と激変。結局、香港への日本人観光客は激減し、日本発パック料金が暴落したのだ。2年前、妻が友達と旅行したときの半値だ。

   相棒を発見すれば、ホテル代が安くなるだけではなく『旅は道連れ』となり、楽しさも倍増。文字通り『一石二鳥』だ。ゴルフやテニス友達の中から、暇そうな人、悠々自適を楽しんでいる人、『お金の楽しい使い道が発見出来ず、困っている』とこぼしながら、相続遺産を持て余している資産家などに手当たり次第、声を掛けた。

『昨年秋、香港で発生した、死亡率の高い新型インフルエンザが怖い。それに、6月には2人目の孫が生まれる予定なので落ち着かない』
『大学生2人分の仕送りで首が回らない。それに、儲ける積もりで買った株(NKK)があろう事か、1年もしない内に6割も下がった』
『洋上スクールの世話役として、香港には6回も行った』
『ゴルフは再開したが、メニエール症候群が完治せず今なお、まともには歩けない。迷惑を掛けたくはない』
『本年4月1日が定年。3月は歓送会などで忙しい』
『寝たきりの母が、何時危篤に陥ちるかも分からない』
『飛行機が嫌い』
『今回は遠慮したい』(一緒に旅行したこともない方なのに)
『一番安いパックですか?』⇒五万と企画されているパック旅行の全情報など集められる筈がない。それに、旅行品質の事前比較は不可能!。

   直接・間接、いろんな回答方法があるものだと驚く。『行く気がないのが真意だ』と解釈すべきなのだろうか?。荊妻は『行きたいのが本心でしょうけど、老い先長い生活防衛のため、相談するまでもなく奥様が反対される筈だと、初めから断定されていらっしゃるのでは?』と邪推した。

   11年前に似たような体験をした。加茂カントリー倶楽部の縁故募集(預かり金 600万円+入会金30万円)を知った時、仲間を誘った。『妻と相談してから回答する』と答えた人は、結局1人も入会しなかった。

   今一緒にゴルフを楽しんでいる大勢の人は、5分以内に入会を決心した人や『経営陣に関する黒い噂も流れているが、あの石松さんが買ったのなら、大丈夫だ』との噂を聞きつけて加入した人が殆どだ。変な分野で私に意外な信用があったことを知り、苦笑したものだ。

   運よく見つけたパックなのに諦めるべきか、とがっかりしていたら十何人目かにやっと賛同者を発見。ロイヤルカントリークラブのゴルフ仲間だ。『昨年夏、左腓骨(かかとの上にある骨)を骨折した上に脱臼したが、中断していたゴルフも4月からは再開出来そうだし、何とかなりそうだ。万一の場合はホテルで休養するからご心配なく。その週には先約があるけれど、相談の余地があるから、2,3日待って』とのありがた〜いご返事。

   『長男夫妻はアメリカで活躍中、長女は結婚済み。孫に会うのが何よりの楽しみ』と何時も口にされていた悠々自適中の『天』様だった。根気よく努力すれば何事も、人生道は開けるようだ。

[2]参加者

   全部で僅か9人だった。80歳でも元気な独り旅の老人、69歳の悠々自適中でインテリ風のお爺さんと奥さん、45歳にして既に孫がいると言う香港通と大学1年の伯父・甥のペア、OLの2人組と私達2人だった。

   OL2人は食事付きの団体行動には参加せず、自由行動。飛行機とホテル代だけでも今回のパックは安いと思っているのか?。それにしても、日本のOLも逞しくなったものだ。『二十四の瞳』では、児童にからかわれただけで泣き出したと、活写されていた新任の大石先生とは人種が違うほどだ。
             
   香港通は、20年以上も前に香港にきて病み付きになり、毎年1回はくるそうだ。独り旅のお爺さんは、英語も全く話せない方だったが、海外旅行には慣れているらしく、堂々たる振る舞いだった。地下鉄の切符売り場での両替など手慣れたものだった。

   69歳のお爺さんはパソコン通信を楽しむのが趣味。時々、昔の仲間が集まる懇親会に出るのも楽しみとか。お酒は飲めないそうだが『日本のDSで売っているウイスキーやブランデーの安い高級酒は売れ残りなのだ。古い酒はアルコールが蒸発した後に空気が入っているから、簡単に見分けが付く』との友人から聞いた珍説を自信たっぷりに紹介した。

   私は『その説には疑問がありますね。高級酒の栓に使われているコルクは、一見空気を通すように感じるが、実は通さないのですよ。ワインにコルクの栓を使うのは、ワインが生きているからだとの俗説がありますが、金属臭を避けるのが目的ですよ。                             

   コルクの栓を差し込むためには、圧縮代(しろ)としての空間が必須です。酒は非圧縮性流体ですので、口元まで酒を入れるとコルクの栓は挿入出来ません。王冠や外側からキャップを捩じ込む金属製の栓ならば、密閉も可能ですが、この方法の場合でもアルコールの蒸散は一切起こりません』と即座に反論。帰途、免税店で共同調査。結果は後述。
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地理・歴史

[1]外国理解への我が姿勢

   日本では人文地理と歴史は別々の科目として教えるが、今に至るまで奇妙な教育法だと疑問に思っている。数学的に定義すれば、人文地理とは地球誕生から今日までの歴史の積分値である。従って、両者には密接な関係があり、両者を有機的に把握せずして、一国の正しい理解はあり得ない。つまり、自然風土は少なくとも千万年、政治経済や国民生活は千年のスパンで鳥瞰して理解すべきだと、私は確信しているのだ。

   昨年夏、香港復帰前後のマスコミは単細胞的報道(アヘン戦争・香港の植民地化・99年租借・復帰後は1国2制度を50年間保証)に終始した。私は『いやしくも一国を訪問するからには、公私の目的の差異や旅費の多寡に関わらず、その国に関する事前勉強をしておくのは、旅が楽しくなるだけではなくエチケットだ』と、馬齢を重ねるに連れて、ますます深く確信するようになっていた。

   過去の体験から、旅の各種ガイドブックには物足りなさを感じていた。歴史の記述はホンの僅か。名所旧跡・名物料理・ホテル・店舗・特産品・遊び場所の写真や案内地図を羅列しているだけだ。こんな本を事前に読めば読むほど、現地での感動も弱くなる。真犯人を知らされて探偵小説を読むようなものだ。この程度のガイドブックで毒された先入観なら、持たない方がましだと考えるようになった。

   ポケットにも入る小さな本を探していたら、東京大学東洋文化研究所浜下武志教授の『香港…アジアのネットワーク都市・ちくま新書・初版 1996-9-20』を発見。5歳も年下の著者の本を読むのには、いささか抵抗感があったが(老害の象徴と認識しつつも、年下の著者の本を読んだり、同じく講演者の見解に耳を傾けるのが、近年ますます苦痛になってきた)我慢して読み進む内に、著者の年齢などすっかり忘れ、碩学の蘊蓄に引き摺り込まれてしまったのであった。
                                
   前書き冒頭に『本書は、20余年にわたる筆者の香港研究に関する中間レポートである。これまでの香港研究の中で多くの友人から学んだが、その友人たちに対する報告書でもある』と書かれている。

   香港大学の寮に住み込み、香港上海銀行の資料室にも通って古文書にも眼を通されただけあって、安価な新書版であるにも拘らず、厳密な考証に裏付けられた分厚い専門書のような本だった。香港に関して無知なる我が頭には、まさに最適な入門書だったのだ。

[2]浜下氏の著書を通じた香港理解

   @香港とは?

   かつての中国政府が朝貢貿易でタイやマレーシアから現在の香港経由で香木を輸入していたことから、香港と名付けられた。香港は英国植民地化以前に貿易と金融基地としての役割を広州から引継ぎ、小規模ではあったが既に今日と同じ役割を果たしていた。

   英国による植民地化の有無にかかわらず、アジア周辺国に囲まれた地勢学上の地の利から、今日の香港の役割は自然に発生していたものであり、英国の果たした役割が、過大評価されているのは遺憾である。

   一方、アジアには香港と連携して発展した都市があった。かつてのマラッカは大航海時代以降、欧州〜中国の貿易中継地であった。希望峰経由の船はスンダ海峡(ジャワとスマトラ間の海峡名。この名をご存じの読者は人文地理に大変詳しい方である)を経由して、マラッカへと向かっていた。

   スエズ運河開通後、航路がマラッカ海峡経由、シンガポールへと短縮された結果、マラッカは一気に没落した。港の繁栄は立地条件に極度に左右されると言う歴史的証拠だ。

   貿易に伴う決済はシンガポールでは金、上海では銀。両都市を結ぶ香港は銀本位制を採用し、金銀の交換業務を取り込みながら金融機能を発展させた。その結果、アジア各地に散らばる2〜3千万人にも及ぶ華僑のお金は,シンガポールから香港経由で中国大陸の親族へと支障なく送られた。

   香港は華僑とのネットワークを強化しながら、中国と世界を結ぶ窓口として、自ら実力を蓄えたのである。

   A歴史

   南京条約で1842年に香港島が英領化され、ヴィクトリア市を建設。北京条約で1860年九龍市を英領化。1898年九龍半島と新界を99年間租借。つまり香港は島部・半島部・大陸部からなり、大陸部(新界)は広大な純農村地帯だ。

   香港は全体が1つの市になっているのではなく、複数の市で構成され、現在では面積も人口も東京都のほぼ半分に達する。

   英国に返還義務があるのは、租借地域だけだったが、もはや植民地時代ではなくなったとの認識から、一括返還になったものである。

   B市場経済

   英国は香港を繁栄させるために市場経済をいち早く導入したと宣伝しているが、真の動機は別にあった。香港返還前後、この視点に触れたマスコミ報道に、私は出会わなかった。世界各地に植民地を獲得した英国は管理コストを下げるために、小さな政府、つまり規制の少ない法治を採用したのだ。それが結果的に成功したに過ぎない。

   面積も人口も本国の15倍以上にも達する巨大な旧インド(現在のインド+スリランカ+パキスタン+バングラデシュ)の植民地経営で、インド支配のために在住した英国人は僅か千人だったと書かれていた本を読んだ記憶があるが、世界を効率的に支配した英国の知恵はさすがに奥深い。

   C1国2制度
   
   香港返還前後に突然、1国2制度案がマスコミを賑わせたが、このアイディアは台湾に対して中国政府が1978年に提案したものである。たまたま香港へ先に導入されたまでだ。
   
   次は1999年にポルトガルから返還されるマカオにも適用されるに違いない。この経緯をマスコミは必ずしも正しくは報道しなかった。その結果、円滑な香港返還対策として中英両国で考案された名案と、誤解している日本人も少なくない。

   Dアジアのネットワーク都市として生き残れるか?(私の見解)

   貿易に伴う物流基地は船が大型化すればするほど、集荷のために港のハブ化が進む。香港・シンガポール・ロッテルダムは、物流の主力終着地であるアメリカ・欧州各国及び日本各地の港には真似のできない繁栄が、地勢学上から保証されているようなものだ。旅客機の大型化と共に、空港のハブ化が進んだのと因果律は同じだ。

   しかし、電子決済時代を迎えた今後の金融センターは、世界のどこにあろうとも、地勢学上のハンディは今やなくなったのも同然だ。管理能力に疑問がもたれる香港が、ロンドン・ニューヨーク・東京との闘いに勝てるか否かは、私には大いに疑問だ。何しろ頼みとする香港ドルも中国元も、米ドル・ユーロ(新欧州通貨)・日本円に比べ、その価値への信頼性は格段に低いからだ。                                
   
   永い間、主役の1つだった中継貿易機能も曲がり角に来ている。取扱品の品質があまりにも悪い。主たる購買者であったアメリカの低所得者も、買い疲れを起こし荷動きが減ってきた。
   
   日本人はアジア各国や中国の低価格品を、何度か試し買いしたが結局は失望し、突然昔の品質第一主義へのUターンを始めた。欧米産のビールすら、幾ら値下げしても日本では売れなくなったのだ。私自身も世界に冠たるビール『バドワイザー』ですら、飲まなくなった。
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トピックスのあれこれ

[1]何時の間に、旅慣れていたのだろうか?

   @老夫妻のお世話

   名古屋出発時の機内で手荷物を上の収納棚に入れていたら突然、70歳近いお爺さんに声を掛けられた。『私たち夫婦は海外旅行は初めてです。遠州鉄道主催の香港旅行に応募したのは私たちだけでした。空港では現地のガイドが待っていると聞いてはいますが、心配で心配で堪りません。何とかお力添えを頂けませんか?』    
   
   ひょいと目を合わせたら、初旅の不安が全身に溢れている方だと、即座に判った。私も最初の頃はキット同じ目付きをしていたのだろうが、何時の間にか無意識の内に、いかにも旅慣れたような横着な振る舞いを、周囲に撒き散らしていたのだろう。『私も香港は初めてですが、ご心配は全く要りません。ガイドが待っている所までのご案内はお易いご用です。ご安心下さい』と即答した。       
   
   無事香港に到着。お2人は大型旅行カバンを預けられていた。旅支度は完璧だ。『天さん、お先にどうぞ』とお断りし、お2人の入国手続きと荷物の確認を済ませ、税関も無事通過した。  

   空港ビルの出口を潜り抜けた直後、こちらが質問もしないのに空港の職員が日本語で『右の方、6番』と指差す。『何故、私たちの行き先を知っているの?』『日本人の団体観光客は6番ホーム、香港人は1と2番ホームと決まっています』と言う。アジア人で溢れていても、日本人の見分け方は知っているようだ。

   遠州鉄道が手配していたガイドを直ぐに発見。老夫婦を無事お見送りしたものの、肝心の天さんがいない!。ほど無く、私と天さんを探していたガイドが現れた。            
                      
『皆さんはバスの中でお待ちです。お1人ですか?』
『天さんは?』
『まだです』
『おかしい。これこれの事情で別々に出てきました。探してくるから待って』
『出口を間違えられたんですよ。何時も1〜2割の人が間違えます。多分左側に行かれたんですよ。私が探してくるから、ここを動かないで』

   1番で天さんを、予想通り発見したそうだ。さすが辣腕の空港職員も、天さんを日本人と認識するのには失敗したようだ。空港の職員が日本人の誘導を親切にするのは、現地観光業者にキット頼まれているのだろうが、何故失敗したのだろうかと、改めて天さんをしげしげと観察した。             

   氏の風貌には大人物に共通した威厳がある。ベテランの空港職員もさすがに、気楽には声が掛けにくく『触らぬ神に祟なし』を決め込んで見逃したか?

   香港は狭い。散歩していたら街の中で何度か、例の初旅の老夫妻に出会った。マカオのカジノの中でもバッタリ出会っただけではない。帰りの飛行機も一緒だった。無事名古屋空港に到着。お礼を言われて恐縮してしまった。

   Aニックネームは添乗員!

   移動中のバスの中では、ひっきりなしにガイドに質問した。同行の人に『私ばっかり質問して、申し訳ない。皆さんもどうぞ』と誘い水を掛けたら『石松さんとガイドのやり取りは、聞いているだけで面白いから、続けて』と逆に催促される始末。

   ガイドの日本語には特色があった。中国式日本語とでも名付けられそうだ。漢文(中国語)では語順の中に助詞の機能が含まれており、その感覚で喋るガイドの日本語には、助詞が殆ど省略されていた。『朝御飯、7時、3階食堂』の類いであるが、意味は十分に通じた。敗戦直後に流行ったパングリッシュ『パンパンガール(進駐軍米兵相手の娼婦)が日本語の語順で英単語を並べて喋る英語』よりはまともだ。

   質問をしている振りをして、自分の意見をあれこれ喋っていたら、ガイドに『添乗員さん』と渾名を付けられてしまい、最後まで名前では呼んでくれなくなってしまった。

[2]夜の散策

   バスが空港を出発したのは午後8時半頃だった。名前だけは特別立派な『九龍パンダホテル』まで約30分も掛かった。地下鉄の終点から1駅都心寄りの住宅街のど真ん中に聳える、30階建て千室の巨大ホテルだった。カマボコ板を垂直に立てたような建物の両端に貼り付けられた直径数メートルの竹の形をした円筒(内部は非常階段)には、竹に抱き付いた世界一大きなパンダの絵が画かれていた。

   1650香港ドル(1H$=約17円)の部屋代を 300H$に値下げした事情は、点灯している部屋数からも一目瞭然。ロビーの床や壁面にはカラー大理石がふんだんに使われ一見豪華だが、室内はCクラス。地下の『八百半』が撤退した空間はテナント不足でガラガラ。客も疎ら。

   ロビーに荷物を預け、ホテルの無料送迎バスで都心(ニュー・ワールド・センター)へ天さんと急ぐ。ドライバーに帰りの時刻を約束して散歩開始。周りの高層ビルから明りが漏れる窓は半分以下。しかし、全部点るよりは変化があって美しく感じる。夜はビルの壁面の汚れが見えないから、幻想的なほどに美しい。  

   センター内は専門店街だが、夜10時ともなると閑散としていて活気がない。東急百貨店は既に閉店時刻を過ぎていた。海岸に出て向かい側の香港島を眺めた。高層ビルの照明が美しい。香港の観光価値は夜景に尽きると納得。翌日、船(スターフェリー)から見た香港島の昼間のスカイラインよりも、遥かに見栄えがした。
 
   近くの大型高級ホテル(シャングリラだったか、シェラトンだったか、名前は忘れた)内の専門店街を歩いたが、客も少なく無味乾燥だったので、雑踏を目指して足早に移動。

   あった。あった!。正しくアジアの臭いが立ち込める喧騒の街だ。看板は縦より横向きが多い。右から読むのが正調中国語だと思っていたら、アルファベット表記との混在が増えたのか、左から読むものも少なくない。看板の密度は心なしか、かつての台北などよりも少ない。中国政府の方針で徐々に撤去させられているのではないかと邪推。ビルの屋上の巨大な看板も少ない。最新型の大型ビルには看板が殆どない。

   歩道を歩くと、ひっきりなしに『社長。偽物』と日本語で声を掛けられた。天さんよりも呼び掛けられる回数が断然多い。やっぱりそうか。私の方が日本人と認識され易いのだろうか?。それとも、リヒテンシュタインで買った赤いチロリアンハットが目立つせいなのか?。

   しかし、声を掛けられれば掛けられるほど寂しく感じてくる。この客引きの言葉にこそ、いかに多くの日本人が偽物と承知の上で、見せ掛けだけのブランド品を買いあさっていたかの、生きた証拠を感じ取るからだ。
   
   昭和20年代の前半、小学生の頃、偽物の卵焼きの噂話を聞いたことがある。我が家では地鳥を常時40羽位放し飼いにしていたので、卵だけはふんだんに食べていた。最大の学校行事となっていた秋季大運動会に『弁当の彩りを兼ねて、小麦粉に黄色い染料を混ぜて焼いた偽卵焼きを持ってくる人がいる』と聞いたのだ。『子供には肩身の狭い思いをさせたくない』との親心を察し、子供心にも胸を痛めた記憶が鮮やかに蘇る。           

   しかし、現代の日本人の偽物買いの心理は、偽卵焼き作りの目的とは明らかに異なる。遊び心にしては品位がない。余りにも高く売り付けるブランド品への当てつけなのだろうか?。

   かつて、肉眼では本物と区別出来ない、大粒の人造ダイア(ダイアモニア)が売り出されたことがある。屈折率が本物と僅かに違うだけなのに、庶民には売れなかったそうだ。

   たとい他人は騙せても、自分自身を騙すことはできない。まして『あの方、偽物なのに本物と人に思わせて、羨ましがられたいみたいよ』との噂には、虚栄心に生きる女心もさすがに耐えられなかったらしい。しかし、本物の大粒ダイアを持っている人は、外出用に気軽に買ったそうだ。    

   皇后陛下やエリザベス女王がお召しになれば、偽物と思う人はまさかいないだろうが、普通のおばさんの場合は、たとえ本物であっても大き過ぎると『偽物だろう』と噂するのが庶民の浅ましき性(さが)と言うものだ。どうやら、自他共に最初から偽物と分かるものにしか、買い手は付かないようだ。

   歩き疲れた頃、地元民でごった返している汚ならしい食堂に出食わした。天さんのご提案で庶民の味にチャレンジ。見本を見ながら鴨肉入り蕎麦を注文したら、ドンブリ一杯もの御飯が付いて来た。メニューを再確認したら『鴨髀肉飯』だった。メニューの最後に『飯』が付いている場合は定食だったのだ。長時間煮込んだ鴨らしく、柔らかくて美味しかったが、白米は一口食べただけ。柔らか過ぎる上に味もない。 

   地元産ビールは30H$。更にサービス料の10%が自動的に加算されていた。地元客は1人もビールを飲んでいなかった。美味しくもなかった缶ビールが結局、 560円もしたのだ。価格では世界に冠たる日本のゴルフ場の生ビールも顔負け。

   高い。高い!。パック料金に含まれている食事には、原則として飲み物が付いていない。案内されたどこのレストランでも地元産ビールですら35H$だった。観光客相手の商売の卑しさが見え見えの世界だ。
   
   コンビニを覗いたら地元産ビールは 6.5H$、輸入もののスーパードライが11H$。香港産の一番絞りが10H$。香港人が食堂で飲まないのも道理。早速数缶買い求め、部屋にあるミニバー(冷蔵庫)内のビールと入れ替えて、朝風呂後の楽しみのための準備は完了。名古屋空港でいつものように買ってきた睡眠薬代わりの『山崎』を、天さん差し入れのミネラルウオータで薄めてがぶ飲みし、バタン・キュー。

[3]観光コース

   何処に連れていかれても、我が心に時めきを与え、はるばる来た甲斐があったと感動した所は残念ながらなかった。上海やカラーチ(カラチ。現地ではカラーチと発音)などに代表される、近代になって急発展した商業都市の常だ。文化遺産はかつての大帝国の首都にのみ集積されていると言っても過言ではない。

   レパルス・ベイは香港島の南部の小さな海水浴場だった。南国とはいえ3月上旬は、香港人すらまだ長袖を着ているのに、既に泳いでいる人も僅かだがいた。冷水浴が健康に良いと信じている老人達だそうだ。眺望が良くてベランダがあるのが高級マンションだそうだ。入り江を眼下に見下ろす山肌には、それらしきマンションがデザインを競って聳えていた。

   アジア各地のマンションの特色、洗濯物の満艦飾が少ない。庶民のマンションも高層化し、ビル風で洗濯物が吹き飛ばされるからだ。砂浜には珍しくゴミを見掛けない。雇った清掃人の夜の仕事らしい。一角には由緒ある小さなお寺もある。香港のお寺は何故かどれも小さい。

   黄大仙寺院だったか、お参りの人が絶えないお寺を訪れた。寺院の正面広場には人々が座り込み、1から 100までの数字が書かれた割り箸みたいな棒(卦)を入れた円筒容器を斜めに持ち、一心不乱に揺すっている。閑居して不善をなす青少年の姿態を連想。飛び出した棒の番号とその時のお祈りの対象、例えば病気の回復などとセットにして、順番に紙に書き留めている。                 
   
   門前には、その祈願の解説をしてくれる専門家たちが待機している長屋風の建物もある。信者たちは子豚の丸焼きとか果物とかも持参しているが、寄進もせずに持ち帰るそうだ。それでも功徳が得られるのならば、ありがたい仏様だ。

   巨大な円錐状にとぐろ巻きされた線香が、廊下の天井からぶら下げられているお寺(天様から『マカオで見たお寺の記憶間違いですぞ』とのご指摘あり)もあった。直径は優に50cmもあり、1週間も燻り続けるそうだ。何十個も寄進されているのを見ると、超近代的なビル街に住み、生き馬の眼を抜くような打算一筋の人生観丸出しの香港人といえども、伝統ある中国文化との繋がりは断ち切れないのか、それとも人生の悩みが多過ぎて、最後にはお祈りの世界にまで救いを求めているのだろうか?。

   百万ドルの夜景と自慢する『ビクトリアピーク』にはケーブルカーで登った。暗い山肌を登っている内に高層ビルがどれも斜めに建っているように感じてきた。ケーブルカーの方が水平に移動しているような錯覚が起きたのだ。運悪く薄い靄が掛かり、やや寂しい。                           

   ガイドは『残念ながら今夜は、50万ドルの夜景』と言う。傍らにはパソコン使いの合成写真屋がいた。フラッシュを焚いて撮影した人物写真を、天気の良い夜に撮った夜景の中に、パソコンを使って嵌め込んで焼き付けるのだ。この技術を使えば雨降りで夜景が全く見えない場合でも、美しい背景と一緒に撮った写真であるかのように出来上がる。

   しかし『過ぎたるは、なお及ばざるがごとし』を、まさに地でいくような代物だった。長時間露光により撮影した夜景の不自然さには、殊の外驚いた。昼夜が同居しているような感じだ。どんなに視力のある人にも見える筈のない、海面のさざ波からビルの窓枠までクッキリと写っている。カメラの直前にいる人物像よりも、遠くの背景の方が明るい逆転写真のような見本もあった。           

   『写真を撮っても死後、持て余した家族が焼き捨てるだけ』と思った途端、写真への関心がすっかり薄れ、旅行にカメラも持参しなくなった私には、臨場感を欠くこんな奇妙な合成写真を、嬉しそうに買う人の気が知れなかった。

[4]ショッピング・コース

   一説によれば、日本の旅行社が現地旅行社への支払いを極端に切り詰めた結果、ショッピングヘの案内にガイドは一層、熱心になったそうだ。リベートが目当てらしい。

   @漢方薬店

   玄関を入ると広いロビーがあり、両側に説明室が6部屋もあった。しかし、我がグループ以外に客はいなかった。商品は9種類あった。流暢な日本語で薬の効能を説明してくれた。目の前には原材料の見本が整然と並べられている。

   何故か、原料は奇妙な形の動植物の干物ばかりだ。変な虫や奇妙な形をした植物の根の干物、猿の腰掛け、鹿やオットセイの睾丸付き陰茎などの類いだ。これらを因数分解すると、共通した原理が見えてくる。『希少物資には貴重な薬効がある筈』との信仰だ。

   蛇鞭粉(ペニス丸)の場合『勃起力の弱い、持続性のない早漏に特効があり、1時間前に2粒お酒で服用せよ』との、パンフレットを読んだ途端に、三つ子の魂が活動開始。『陰茎は何故精力剤になるの?』と得意とする質問を一発。『漢方薬の世界には“以形補形”と言う根本思想があります。うんぬん』と立て板に水のご講釈が続いた。    

   『では、目の悪い人のためには網膜付きの目玉、耳の不自由な人には鼓膜付きの耳朶、腹痛用には胃袋、頭の悪い人には猿の脳味噌などを用意したら売れるのでは?。私自身は頭が悪いのは、生まれつきと諦めています。従って、猿の脳味噌をこの年に至ってわざわざ食べ、猿並の知能にしていただくのも面倒だから、買う気はありませんが』と言ったら、あれほどの素晴らしい日本語使いが、聞こえなかった振りをして、返事もせずに同行者への売り込みへと、河岸を変えてしまった。

   どんなに立派な原料でも、口から食べる場合には胃腸で消化され、アミノ酸などの基本物質にまで分解されて吸収され、肝臓などで人体に必要な成分に再合成される。たとい自分の体を、蛸の真似をして、食料として食べても同じ経過を辿る。体内で必要とする材料になる食料こそが最良の食べ物だ。『イワシの頭も何とやら』の心理的効果はともかくとして、『以形補形』との根本思想が医学的に無意味なのは自明だ。  

   こんな言葉遊びが支配しているようでは、漢方薬への信頼はがた落ちだ。キニーネなどのように薬理成分の働きが病理学的に、少なくとも疫学的に確認されていなければ、薬としての意味はない。

   それ所か、怪しげな植物にはアルカロイドなどの有毒成分(これも薬理作用の一種)が忍び込んでいる危険性すらあり得る。漢方薬で医療事故が少ないのは、希少物資中心主義のために調達コストが高く付き、購入者も大量には買えず、摂取量が致死量に至らない場合が多いだけと推定。

   A絹製品専門店

   絹製品は木綿の応用分野の全てに進出している。ブリーフ・下着・パジャマ・ガウン・シャツ・ネクタイ・ジャケットが溢れる中、最近のヒット作はジャンパーらしい。視線が合うや否や、これを一番最初に売り付けたからだ。キット繊維使用量が多く単価が高くなるからだろう。

   『お客様。絹の良さは軽さにあります。皮ジャンは重くて肩凝りの原因になります』と言葉巧みに近寄る。実は20年前に、私は牛皮のジャンパーを買った。風を通さず冬の外出着には最適だが、重くて結局長続きしなかった。今ではスポーツ用のウィンドブレーカーを愛用している。そんな身には、ここの売り子の台詞に、つい相槌を打つ羽目になる。

   サイズ直しもするお針子さんが別室に大勢待機していた。しかし、しかし、余りにも多くの偽物の洪水を、既にあちこちで見ていたので、半額まで値引きしたが買わなかった。香港で買うくらいなら多少高くとも、豊田そごうの方が素人には安心と判断するようになったのだ。

   B革製品屋

   各種婦人カバン・ベルト・靴・キーホルダー・財布の類いだ。大きな店だったが『クロコダイル』のハンドバッグはなかった。『高級カバンの頂点に君臨するクロコダイルを置いていないようでは、一流の店とは見なし難い』と思った途端、買う気を演じて値引き交渉を楽しむのも、馬鹿ばかしくなってしまった。老化現象は無意識の内に進行中のようだ。

   C宝石店

   宝石くらいその真贋が私に区別できない商品も少ない。その上、量産されている工業製品と違い、原価の見積もりも私には全くできない。海外出張で過去何度か宝石らしき物を買ったが、妻にはその都度不評。今やどんなに掘り出し物と売り込まれても、買う気は全く起きなくなった。しかしその代わりでもないのに、商人はどの様にして観光客に衝動買いを誘発させるのか、その手練手管を観察するのが、何よりの楽しみになってしまった。

   予期した通り、形だけの研磨室にそれらしき職人を詰め込み、何やら一心に作業させている。産地直結で安いと感じさせる舞台装置だ。お客さんの通路と反対側の壁には全面に鏡を嵌め込み、広々とした部屋で大勢の職人が働いているかのように見せかけている。

   超高級品は1つも置いていない。どれもこれも小さな石だ。10万円以下の商品が殆どだ。読めた!。値引き交渉で巧みに客をあしらい、日本人客のお小遣いの範囲内で衝動買いを誘発させていたのだ。もともと原価数千円の屑ものを、数倍にして売っていたのだろう。

   結局、今回のグループは誰も買わなかった。低金利が続いた結果、堅実な生活態度に舞い戻った老人達の財布を開けさせるのは、香港商人といえども難しくなったようだ。ガイドの失望はありあり。

   DDFS(デューティ・フリー・ショッパーズ)

   世界の主要空港に食い込んでいる、ユダヤ人が経営していた(2年前に、世界的なブランド力を誇るルイ・ヴィトンに買収された。全世界での売上額の7割は日本人向け。欧州人は本国の方が安いので、香港では買わないそうだ)店である。

   最近は空港だけではなく市街地にも進出している。パスポートと出国用の航空券を確認した上で商品を売ると言うシステムは空港内店と同じだ。台北にもシンガポールにも大きな店が都心にあったが、ここも千坪近い大型店だ。

   免税店と言うからには、税金分がどれだけ削除されているのか、明細を明らかにするのが商人としてのエチケットと思うが、どこの店でもその表示は全くない。代わりにガイドが『ここの免税商品は酒とタバコだけです。香港ではその他の商品には課税されていないので、免税の意味はありません』と補足。ここの免税店はガイドにリベートを払っていないのかも知れない。

   店員に『この店の商品は質が良さそうだ。(本物と、勿論承知の上だが)ここで売っている偽物を買いたい』と言ったら『ここでは本物しか売っていません』と憮然とした表情。町の店には本物がない、と言わぬばかりだ。それだけに価格も、日本とさして変わらない。

   香港が買い物天国だったのは昔の話だ。香港ドルが3割下がらない限り、私には何の魅力もない。無料サービスのコーヒーを2杯飲み、お手洗いを汚して退散。長居は無用。

[5]夜店

   香港通が『夜店見物に出かけませんか?』と誘ってくれた。願ってもないことだ。同行者全員同じ気持ちだったようだ。ゾロゾロと付いて行った。『女人街』だった。名前からは夜の女性のサービス業街を連想したが、主として女性用品を扱う露店街だった。

   大通りを締切り、テントの露天商が5百メートルも向き合って続く。露店の両側に密集するビルの1階も店かレストランなので結局、4列縦隊にもなる賑やかな商店街だ。日本に数百か所もある『**銀座』と違い、シャッターを下ろした歯抜けの店は1つもない。

   香港通は慣れたものだ。『一人ひとりの関心は異なります。一緒に行動することは、過去の体験から絶対に無理だと断言できます。普通30分で終点に辿り着きます。終点で皆んなを待っていて下さい。終点はテントの店がなくなることで分かります』と取り仕切ってくれた。

   ありとあらゆると言いたくなるほどの、世界の雑貨、それも偽物が売られていた。時計・カメラ・宝石・カバン・衣料・ベルト・CDなどなど。私に『社長、偽物』と呼び掛けるのは、ここの売り子が最初に呼び掛ける台詞だ。余りにもしばしば同じ言葉を聞くと『お前は一見、本物の社長面をしているが、実際は社長なんかじゃない。偽物だろう』と叫んでいるようにも聞こえてくる。

   偽物には2種類あった。偽物と明かして売るものと、本物だと騙して売るものだ。偽物の競争力は低価格しかない。ロレックスだと本物の僅か1%の価格だ。こんな偽物を本物と信じて買う馬鹿もいないから、彼等は最初から偽物と広言して売り付けてくる。問題はアジアの象徴とも言える絹製品だ。絹30%の混紡でも百%の絹製品として売るのだ。                             
   
   日本では昭和33年春、鳴り物入りでテトロン(テはテイジン、トは東レの頭文字らしい。今ではポリエステルと呼称している)が売り出された時『天然繊維を10〜30%混紡するだけで得られる本物の肌触りと、化繊の強靭さがある上に洗濯機で洗っても皺が付かない究極の素材』と、あたかも本物以上に価値があるかのごとく宣伝していたのを思いだす。 

   大学1年の時だ。釣られて、空色も鮮やかな発売直後のカッターシャツをデパートで買った。下宿でタライと洗濯板を借りてごしごし洗ったら、色落ちしてしまった。天然繊維よりも化繊への染色は難しかったのだ。これに懲りた事もあって、今では靴下以外、余程気に入った製品に出会わない限り、化繊系は買わなくなった。
   
   当然の事ながら本物と同時に触り比べない限り、真偽は分からないほど偽物は本物に似ている。価格を本物の半額ぐらいにまで負ける所が彼等の究極の商法だ。お客さんに掘り出し物と思わせる手だ。買う気もないのに値下げ交渉を、あちこちの店で楽しんでいたら、30分が瞬く間に過ぎた。

   すぐ近くに『男人街』もあった。趣向は『女人街』と同じだった。見物客には欧州系の外人だけでなく、インド系も多い。ごった返している。『香港にはスリが多い』とガイドに脅かされていたが、この辺りは安全な町だった。イスタンブールで言えば、定めしグランドバザールなのだろうが、こんな偽物市が香港の顔であるようでは、香港が世界の一流都市に仲間入りするのは何時の日のことかと、情けない。

[6]地下鉄

   香港の地下鉄のシステムは合理的だ。切符の自動販売機の前面には路線図が表示されており、路線図上に描かれた駅の位置を示す丸印を指で押せば切符が発行される。日本の各鉄道会社は金額表示形式を採用しているため、押し間違えも起こり得るが、こちらにはその心配が一切ない。

   切符には磁気カードが採用されており、出入りとも自動改札化されている。出口で回収された切符は自動販売機で再使用されている。日本での導入も技術的には簡単な筈だが、何故導入しないのだろうか?。

   パリの地下鉄は全線均一料金制のため、切符の発行と入り口の自動改札化は香港よりも更に簡単な設備で可能であり、不要となった出口の改札口は既に撤去されている。使用済みの切符は出口の大きな籠に投げ入れるようになってはいるが、真面目に入れる人が少ないのか、籠の周囲はゴミだらけになっていた。この程度の倫理観の持ち主を対象とするのなら、入り口での検札と同時に、切符を自動回収すれば済むのに。   

…………………………日本航空の友人からコメントが届いた…………………………

   パリの地下鉄は、路線によっては1等と2等とがある。2等の切符で1等に乗っていて見つかると、当然の事ながら罰金を取られる。従って、少なくとも1等の客は下車するまで、切符は捨てられない。

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   車両にも日本とは些か異なったアイディアが導入されていた。窓際の長椅子はクッションもない磨きステンレスの板貼りだった。冬がないのでお尻が冷たいとの不満もないだろうし、清潔で寿命も長い。

   しかし欠点が1つあった。摩擦の小さいステンレスでは、発停止に伴う加速度による乗客の横滑りは止めようがない。椅子の両端には乗客がこぼれ落ちないよう、アクリルの板が貼り付けてあったのがご愛嬌だ。
   
   所変われば品変わるとはこの事か!。立席用の吊り革の形もユニークだった。天井から30cm長さの撓みにくい紐を下げ、紐の周囲はステンレスのコイルで保護していた。電気器具のプラグから引き出されたコードの付け根を、長さ10cmくらいコイルバネで保護しているのと同じ目的だ。日本のように長くて撓みやすい吊り革の場合、発停止時の乗客の位置固定力が小さく、体が斜めに大きく倒れるのに比べ、使い易い。

   吊り革の先端の形は直径6〜7cmの球形をしていた。体操競技の吊り輪の形タイプとグリップ力はどちらが発揮し易いかは試すまでもなく明らか。球では掴みにくい。採用理由が分からなかった。

   狭い香港の筈なのに、広い道路を格子状に配置した都市計画の功徳か、地下鉄のカーブは緩やか。その結果、長い車両(25m?)が使え効率的だ。8両編成だったが日本(標準は20m)の10両編成を上回るような輸送力だ。

[7]生鮮食料品売り場

   海外に出かけた時の楽しみの1つは、生鮮食料品売り場の観察だ。それもデパートやスーパーよりも専門市場が私には取り分け面白い。その国ではどんな物がどんな状態で、どんな価格で得られているかを比較検証すれば、高級レストランの地元料理とは違った、その国の人達の日々の食文化と民度も連想できる。しかも、平均所得と商品との密接な関係を推理するのは、我が頭脳を全開させてくれる、今や業ともなっている趣味の1つだ。

   ガイドからは、ホテルの近くに香港最大の生鮮食料品マーケットがあることは既に聞いていた。住宅街のど真ん中のホテルに泊まった唯一の利点だ。ホテル専属の中年女性ガイドに場所を聞いても曖昧な返事をするだけで、地図も描かない。『私はそんな所に食料を買いに行く庶民とは階級が異なる』とでも言いたかったのか?。初老の男性御用聞きみたいな人に聞いたら、やっとそれらしき場所がわかった。
   
   『疲れたから、ホテルで休みたい』と言う、最長老のお爺さん以外は皆んな『私たちも行きたいけど、構いませんか?』『どうぞ、ご遠慮なく』1本道を歩いたら、10分も掛からなかった。

   総2階建て、延べ5000uと推定。上りだけだったが、エスカレーター付きの食品マーケットはアジアでは初体験だ。野菜・果物・肉・魚貝、それに僅かだったが日用雑貨品もあった。しかし、米や豆など乾物の穀類はなかった。ここはあくまで生鮮3品が専門なのだ。穀類はスーパーにあるそうだ。

   野菜の売り方は先進国に近付いている。土を洗い落とし、枯れ葉、虫食いの葉や根など食べられない部分は除去している。香港の農村地帯『新界』と生産地名が大書してある野菜もある。大部分が中国大陸産の中では、キット人気が高いのだろう。

   売られている野菜の種類は旬物が中心。取扱品目も売り場の雰囲気もベトナムの市場と瓜二つ。しかし、こちらが格段に清潔だ。葉菜中心。根菜や茎菜は種類が少ない。果菜は一層少ない。正味収穫量の少ない野菜は高価になるので、需要が少なくなるからだろうか?。

   日本ほどあれもこれもと1年中、旬を無視して何でも売っているような国には未だ出会えない。高層マンション暮らしの特色は、家の中に土間がなくなったこととトイレの水洗化にある。売り場も商品もきれいなのは、嫌でも清潔志向になる暮らしの波及効果の1つか?。

   肉売り場の迫力は期待通りだった。内臓が撤去された状態で四つ脚と頭付きの豚が売り場奥の土間で、大の字に仰向けに寝かされ解体されていた。でも、それほど凄惨な印象を持たなかったのは、血抜き済みだったからだろうか?。

   しかし、刃幅の広い大きな中華包丁を振り上げ、背骨に沿って枝肉を切り落とすのは、一種の修羅場だ。日本では見られぬ光景だ。大きなブロックに切り出した後、フックをさして物干し竿みたいな店頭の横棒にぶら下げている。冷蔵庫の類いはないが鮮度の心配は不要だ。鼻と耳朶が付いた頭が無造作に床に転がっていた。

   2〜3分間も手慣れた解体作業を見ていたら、数年前に大阪府で起きた愛犬家連続殺人事件(ほんの最近、大阪地裁で死刑判決が出た)を連想した。一定期間の飼育後に犬を高値で買い取るとの投資話で愛犬家に近付き、犬の買い戻しを求めて来た相手に筋肉弛緩剤を注射して絞殺し、肢体をバラバラに解体して山に埋めた事件である。殺人犯は肉牛の解体職人で関節の外し方も熟知していたそうだ。キットこの殺人犯は豚の解体職人のように、人間をいとも易々と解体したのだろう。

   食材としては豚ほどの人気がない牛肉の売り場は狭かった。豚とは色が違うから直ぐにそれと分かるが、霜降り肉はなかった。赤肉第一主義だ。鶏も鮮度第一主義に徹していた。ブロイラーは全く見掛けず、中国から輸入した生きた茶色い鶏を1羽単位でしかも計り売りだ。昨秋、鶏が発生源と騒がれた新型インフルエンザ騒ぎも既に収束したのか、売り場の籠には生きた鶏が鮨詰めにされていた。
                   
   しかし、鳴き声を殆ど上げないのは不思議だった。ほんの少量だったが解体した鶏の肉や、指の付いた足も販売していた。中には腹側中央部に小さな穴を開けて内臓を撤去し、急須のような形で売られている鶏もあった。腹に香菜などを詰めて調理するのだろうか?。

   魚売り場も肉売り場同様、特有の悪臭が少ない。閉店後、清掃を徹底しているのだろう。およそ半分は活魚だ。しかし、刺身は一切売られていない。海老・蟹・貝類は殆どが活だ。腐りやすいのだろうか?。

   日本では見掛けない魚が多い。食欲をそそるような美観を感じる魚が少ない。大きな貝柱の冷凍品が一山、その貝の活と一緒に売られていた。売れ残りを冷凍にしていたのだろうか?。このマーケットで見た唯一の冷凍品だ。

   大きな海老はアジア各国と同様、ここでも見掛けた。沖縄の公設市場でも見掛けた2〜4Kgの活海老を、日本本土ではデパートもスーパーもどうして売っていないのか不思議だ。私は真っ先に買いたいのに。魚の浮き袋は一際大事そうに売られていた。中華料理の貴重な食材なのだろうか?。内臓が撤去された大きな鯉のお腹に、膨らませた白い浮き袋を目立つように詰め込んで並べていた。日本の魚屋でも浮き袋を売ってくれるなら、是非試食したい。

   甲羅の直径が優に60cmはありそうな亀を解体して売っていた。傍らには無造作にひっくり返して置かれた、剥がした背側の甲羅があり、体部は4等分して腹側の甲羅の上に並べてあった。血で真っ赤な心臓はまだぴくぴくと動いていた。顔に表情のない鶏や魚と違い、亀の顔からは猿のように感情が読み取れるため、痛々しく、正視し難いものがある。動物愛護団体の関係者が何か一口言いたくなるような光景だ。

   中華料理の食材には干物も多い。フカヒレ・牡蠣・帆立ての貝柱などは日本からの輸入品が主力。大きく『日本』と特筆し、強調している。販売単位は『斤』である。1斤( 160匁)= 600gは日本と同じだ。日本では戦後暫くの間、砂糖の販売でのみ使われていたが、メートル法の導入(計量法の改正)のかなり前に消滅した。

[8]香港国際空港内免税店

   帰途、高級酒の見分け方を確認すべく、件(くだん)のお爺さんを連れて、いそいそと免税店に出かけた。我が予想通り全てのガラス瓶には上部に大きな隙間があった。しかし、高級酒に多い陶器製の容器の場合には中が見えない。

   棚に飾ってあった酒を勝手に手にし、逆さまにして耳に当てた。ボコボコと音がする。真空状態ではなく、空間には空気が入っていたのだ。他のはどうかと次々に試したら例外は1つもない。その時である!。

   『お客様、何をなさっているの?』
   『高級酒には空気が入っていないと聞いた。空気があれば酒が酸化され品質が劣化するからだ。空気が入っていない高級酒を買いたい』
   『お客様、どうぞこちらへ。これが当店で一番高価なお酒です』

   ガラス瓶の口元にはタップリと空気が入っていた。しかし、驚いたのは価格だった。H$58,888=百万円!。   

   『来月開かれる仲間内の懇親会で、今回の調査結果を報告したい』と、気の毒にもお爺さんはボソボソ。『空気の入っていない高級酒を買ってきてくれたら、購入価格の2倍で買い取るよ』と言ってみたらと、天さんが面白い知恵を授けていた。

[9]高層住宅の功罪

   香港の平均住宅高さは都市単位で比較すると世界一だ。今や1戸建ちは超大金持ちか、撤去直前の僅かな貧民街だけだ。ジャッキーチェンの母親の家すらマンションだった。

   住宅の平均階数の我が推定値は、香港30階、シンガポール20階、欧州10階未満、アメリカは都心を除けば1戸建てだ。聳え建つマンションが余りにも大きいので、家も広いのかと思ったら、平均15坪だそうだ。それでも、中国本土のマンションの2〜3倍はある。

   コンクリートがフランスで発明されて約百年。当初、期待も込めて寿命は半永久的と言われていたが、アルカリ反応による強度劣化の安価な防止策は未だ見つからず、意外に寿命が短いことも判明した。高々百年の寿命である。遅かれ早かれこのコンクリートマンション群にも破局が到来する。改築工事で難渋した後世の人から『悪魔の発明品』と断じられなければよいが。

   地域の住民全てが高層マンション暮らしを始めて、日は未だ浅い。人口密度が高くなり過ぎた窮余の一策ではあっても気の毒だ。日本流の建蔽率の法制度はあるのかないのか。余りにもくっつけて建てた結果、いかに香港が太陽高度の高い低緯度地方とはいえ、地上近くの家では、昼間でも電気を点けなければ新聞も読めないそうだ。

   さながら人間収容立体倉庫だ。難燃建築とは言っても火事が起きれば死亡率は必然的に高くなる。『事故死は運が悪かったのだ』と諦めて、飛行機にやむなく乗って海外へ出かけるような心境か。

   ホテルの近くに1万坪位の中国式庭園があった。帰国日の朝10時頃、最後の自由時間を生かして散歩に出かけた。木曜日なのに老人が竹藪のスズメのようにうようよいた。新聞を読んでいる人、雑談をしているグループ、形態は様々だ。キットこの方々の若き日は、貧民街で土と共に生きていたのだろう。今、高層マンションに詰め込まれて、息が詰まる思いをし、こうして朝から息抜きに脱出してきたのではなかろうか?。

   生まれ落ちたときからマンション暮らしを始めた新世代が、人生の最盛期をもう直ぐ迎える。彼等が一生を終える頃、高層暮らしをどの様に評価するのか。ガイドに『香港の象徴、自由と無法の象徴地帯と言われていた九龍城が撤去され、公園になったが寂しくないのか?』と質問したら予期せぬ返事が自信タップリに返ってきた。『皆んな喜んでいます。緑地の少ない香港では、公園は掛け替えのない貴重品です』

[10]生ビールが飲みたい!

   先進国ではどこでも、酵母菌が入っている本物の生ビールが飲める。アジアではシンガポールでのみ、飲んだことがある。香港にもマカオにも生ビールはなかった。香港製のビールは瓶か缶だった。なぜなのか不思議だ。衛生的な流通管理能力が欠けているのか?。

   生ビールの有無で評価すれば、一見立派なビル街があっても、香港は今なお発展途上国だ。

[11]食事

   世界に冠たる中華料理と雖も、本場で食べてすら最近は感動しなくなった。世界の何処に出かけても、食べ物に対する関心は何故か急低下する一方だ。これを老化と言うのだろうか?。

   中国式お粥の朝食、点心の昼食、マカオでのポルトガル料理、北京ダック付きの北京料理など、旅行社が知恵を絞って選んでくれた食事だったが、特別美味しいとも、珍しいとも思わなくなってしまった。日本の肉屋では売り物にならず廃棄処分しているアヒルの皮を、長時間炙って作り上げる北京ダックだって、そのアイディアと労力には敬意を払うものの、美味しいとは思わなくなった。

   日本で何回も体験する、会費1万円前後のホテルでの立食パーティにも、慣れるに連れて、心の時めきは感じなくなった。生きるために必要なものを食べれば十分と思うようになったのだ。

   そんな中で今なお、関心を失わない食べ物は握り寿司だ。主食と副食が同時に食べられて効率的だ。同じ趣旨でも、餃子やサンドウィッチより副食となるネタの種類が断然多い。その上、魚介類中心の健康食だ。しかも新鮮だ。1人分の量は決まっていない。一人ひとりの食欲に合わせられ、食べ残す心配もない。日本人が発明した世界一の食べ物だと思っているが、日本人相手のパック旅行なのに1回も出なかった。         

   『海外では、海外の特色ある食べ物を食べよう』と言うのは、勿論正論だ。しかし『たとい価格は高くとも、握り寿司の一皿くらい用意する旅行社は現れないものか』と、わが儘をつい口にするようになった。

[12]スポーツも勉強もしない子供達

   『香港最大の小中一体校』とガイドが誇らしげに紹介した学校の運動場は日本の幼稚園並だった。野球・サッカー・ラグビーなどある程度の面積が必要なスポーツには絶望的な狭さだ。市内の所々で、プールとテニスコートが散見されるだけだ。子供の体力作りの難しさが偲ばれる。

   『香港の子供はシンガポールのように受験勉強に追い立てられるのではなく、テレビゲームで暇潰しをした結果、眼鏡を掛けているのだ』とガイドは言う。百年以上も英国の植民地になっていたのに、英語が日本よりも通じない。偽物売り場では日本語の方が通じる始末。食品マーケットでは、英語も日本語も全く通じない。
  
   こんな状況では、香港の国際化は掛け声だけに終わりそうだ。中国本土との連携に活路を見出だすしか生きる道がないとしたら、香港の自立は揺らぎ悲劇的だ。

[13]究極のエコノミック・アニマルは香港人?

   香港の中産階級以上の家庭では育児はメードに任せて、母親も働く。母親の給料がメードの給料よりも高いからだ。タイ・インドネシア・フィリピンからメードを呼ぶ。英語を話すフィリピン人の給料が一番高く、色が黒いインドネシア人が一番安い。採用条件は『奥さんよりも不美人であること』だそうだ。

   学校への送迎途中の、子供を連れたメードをあちこちで見たが、育児よりもお金を優先する人生観の行き着く先が心配だ。究極の目的は同じでも、日本の教育ママも香港婦人のエコノミック・アニマル振りには勝てないのではないか。その違いの両極性に驚く。
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マカオあれこれ

[1]高速船

   マカオとその東に位置する香港は中国第4の大河『珠河』(長江・黄河・タリムの次。流域面積では黄河の2倍以上もある黒竜江は今やロシアの河)の河口の両側にある。香港からは、騒音も振動も少ない高速船『ターボジェット』で約1時間だった。

   ここもアジアの大河の例に漏れず、海水は泥水で濁っていた。帰国後の新聞で、マカオの中国側の隣町から香港への長大橋建設計画が紹介されていた。海上とは言っても河口なので、水深は浅く建設工事は簡単だ。

   天さんが『この船は水中翼船だろうか?』と呟かれた。私は『水中翼船だったら、速度が出るに連れて揚力が発生します。すると、揚力に同期して発生する上向きの加速度が体感できる筈です。しかし、全く感じなかったから違うと思いますよ』と言ったが、加速度が小さ過ぎて気が付かなかったのかも知れない。

   天さんは更に『ここのターボジェット船はターボジェット・エンジンの高速排気ガスをパイプで水中に誘導、そのまま噴出して推力に変えているのではないか?』と推論された。

   私は『原動機には自動車か航空機用の量産大型エンジンを採用し、ジェットポンプを駆動し、パイプから高速で海水を噴出しているのでは?』と推定。搭乗員に質問したが、イギリス製と言うだけで、推進原理は知らなかった。帰国後本屋にある観光案内書を立ち読みしたが、原理に触れた本はなく、未だ推進法は分からない。読者でご存じの方は教えて下さい。

…………………………日本航空の友人からコメントをもらった………………………
   
   名前は異なるが、ボーイングが開発した『ジェット・フォイル』と言う高速船がある。技術導入した川崎重工業製が、新潟〜佐渡島に就航している。

   佐渡出身の社員から『ジェットエンジンで駆動する(軸流?)タービンで加速された水流を尾部のノズルから噴出して推進力を得る。スピードが出ると船体は水中の翼の揚力で浮上(水中翼とその支柱のみ水没。水の噴流は支柱管路経由でノズルへ)、浮上高さと姿勢(傾き等)はセンサーで検知して、前後・左右の翼の迎角を自動調整している。燃焼ガスは殆ど回転力として回収している』と聞いた。

…………………………………………………………………………………………………
  
   マカオは今なおポルトガル領で中国への返還は1999年。正味たった半日の観光ではあっても、入出国手続きを要求され煩わしい。雨が強くなった。船を降りたら早速傘売りのおばさん達に取り囲まれた。『5百円。30H$!』と大声で叫ぶ。どんな御ぼろ傘でも濡れるよりはましだ。しかし、人の弱みに付け込んでくる物売りから、言い値で買うのは癪だ。              
              
   10H$を渡して傘を取り上げたら『傘を返せ!』と泣きそうな表情。やむなく更に10H$を追加。様子を見ていた同行の仲間が、私の度胸にびっくり。使用済みの傘は香港のガイドに『マイクロバス用の置き傘にしてくれれば、誰かが助かる』とプレゼント。

   マカオからの帰途、天さんが暇潰しの話題を提供された。『パナマ運河で船を多段階に持ち上げるための、運河の閘門(こうもん)の構造はどうなっていると思う?』『う〜ん』と考え込む。久し振りに、水力学・構造力学・機械力学・機構学・流体力学等の諸概念が頭に浮かぶ。

   『バーミンガムの郊外で見た運河の閘門は、ハンドル付きの増力装置を使い、船頭が人力で開けていたが、運河の幅は3m位だった。パナマ運河のように幅が百メートルもあると、1枚の扉で運河を遮断するのは、強度的に無理だ。観音扉にし、水圧が掛れば掛かるほど、ロックされる構造がベターと思う』天さんが『長江の葛州覇ダムで観音扉が開くのを見た事がある。問題はどんな機構を採用して短時間に水圧を落とすかだ。可動部に掛かる水圧は膨大だ』

   私は『閘門前後の水位を同じにした後でなければ、扉の開閉は不可能と思う。従って、運河本体とは別に、10m幅位の狭い給排水用の導水路があり、その中に取り付けられた堰のシャッターを上下に開閉する構造になっているのでは?。排水時間を短縮するためには、同じ構造の導水路を複列作れば済む』などと口角泡を飛ばし、ない知恵を出しあっている内に香港に着いた。『帰国後、自宅にある35年前に買った平凡社の世界大百科事典で調べて報告します。キッと構想図が載っていると思います』と約束。

……………………………………調査結果は以下の通り…………………………………

   扉は確かに観音式だった。ドックの中央部には太平洋行きと大西洋行きの2つの通路を分離するための分厚い隔壁があった。ドックの底部には等間隔に開けられた無数の穴があり、ドックの両側壁及び中央隔壁下に埋設してある直径 5.5mの導水管、合計3本に繋がっていた。導水管内のシャッターの開閉(機構の説明図が残念ながらなかった)により給排水していたのだ。

   底部からの給排水は水圧がフルに生かせるだけではない。水位が下がると有効断面積も小さくなる開口部のある給排水路に比べ、断面効率が最後まで低下しない。1時間の推論にしてはまあまあ、と自己満足。実績では24時間で28隻の通過能力があるそうだ。

…………………………日本航空の友人からコメントを頂いた…………………………
  
   パリ郊外のセーヌ河で、平底の小型荷船が堰を越えるための閘門つき水路が、堰に平行して設置されているのを見たことがある。更に後日、パナマ運河に関する手書きの推定構想図(正解に近かった!)もFAXにて送って頂いたが、パソコンとは異なり、私のワープロでは表現できないので残念ながら割愛。                                   

…………………………………………………………………………………………………

[2]日本人ガイド

   日本人でマカオに住む30代の独身女性ガイドが勿体ぶっていろんな事を言う。『マカオは税金が安く、預金金利が高く、物価が安い。1千万円持ってくれば、利子だけで遊んで暮らせる』とマカオの生活天国振りを吹聴。

   市内をバスから眺めると、汚い古い町並が続く。旧市街はポルトガルのポルトで見た景観に似ている。石造りの小さな古いビルが密集している。ポルトガル人は固まって住んでいるらしく、繁華街では見掛けなかった。

   こんな所に住むくらいなら、似たようなコストで住めるエーゲ海沿岸都市の方がはるかに快適だ。古来、金利が高い通貨の価値は下がるのが常だ。その他、皮相的な経済知識を振り回す。まともに聞き続ける根気が失せた。

   今度は話題を変えて『中国を侵略した日本軍は香港を攻撃してもマカオは攻撃しなかった。ポルトガルの元植民地ブラジルで、日本人が敵討ちに会うのを避けるためだった』と言う。私には初耳だ。ありそうにも思える。

   図に乗って『今なお、中国人は日本人の残虐行為を恨んでいます。言動にご注意を』とお説教。誰かが『日本は何度も詫びている。中国政府は何回詫びさせれば気が済むのか?』と詰問。『天皇陛下が詫びていないからだ』と反撃。

   私は『それを言うのなら、元冦の役を仕掛けた中国が日本にまず詫びねばならぬ。それをしない限り、アラブとイスラエルのように3千年経っても解決はしない』と言ったら『その前に、倭冦が中国を荒らした』と言う。『倭冦は室町時代以降の海賊だ』と反論。ガイドは『私はガイドの免許を取るために、歴史を猛勉強した』と言っただけで、黙りこんでしまった。                         

   海外にいる現地日本人ガイドは、普通の観光客が知らない事をほんのちょっと知っているだけで、権威者振って威張り腐る馬鹿が多く、いつもの事ながら不愉快千万だ。その点では、その国出身のガイドは清々しい。彼等には生活がかかっているが、日本人は行き詰まれば帰国の道もあるためか、その甘えが態度に現れるようだ。

[3]トピックス

   マカオの生活水準は香港よりも若干低いように感じたが、それでも隣接する中国との格差は覆い難い。国境に沿って鉄条網が張り巡らされているが、草茫々の中、鉄線が切れているところもある。中国人の密出国が防げているのか疑問だ。

   マカオ人は中国に入れるが、中国人はマカオに来れない。マカオ人の担ぎ屋は中国に雑貨を持ち込んで売り、そのお金で農産物を買い込んだ後、マカオで売ることも許されている。マカオは香港島と異なり、半島だが大変狭く、中心部の面積は皇居並。食料や水は実質的に中国に依存している。人間用と物流用トラックのゲートが別の場所にあった。

   中国にとって、僅かばかりの生活必需品の販売先以外に、マカオにどんな価値があるのか、結局分らなかった。香港のような商社・金融・物流機能はどこにもない。しかし、お荷物にはなっていないようだ。マカオへの経済支援は不要のようだ。マカオを実質的に支援しているのは、結局のところ意図せぬ散財に終わる観光客だ。

   中心街には香港のような高層ビルもない。百年以上も経つ石造りの汚れた建物は未だに健在だ。ポルト(ポルトガルの旧首都)の雰囲気が漂い、マカオがポルトガルの植民地であることに気付かされる。市内には坂道と石畳みが多く、この点でもポルトに近い。

   商店に香港程の賑わいもないが、買いたくなるものも見掛けず、ガイドにいくらそそのかされても、長居は無用の町と評価。

[4]観光コース

   ポルトガルがマカオに居住権を獲得したのは1557年、440年以上も前のことであり、イギリスの香港支配よりも3倍も長い。しかし、植民地を育てる努力はさして行わず、アジア各地へのキリスト教の布教のための単なる中継基地として利用しただけなのか壮大な遺構は1つもない。それでも鎖国時代の欧州情報はこの小さなマカオ経由で日本に入っていたのだ。

   丘の斜面に焼け落ちたままの『セントポール寺院』の、頂部が三角形になった正面の壁が残っていた。厚い壁の中に人物の彫刻像が嵌め込まれていたが、アジアの教会では珍しい。しかし、ローマ帝国領内の教会では普遍的に見られる作り方だ。この教会の敷地内には、人骨が保存された収納庫があった。古い人骨は木片みたいで生々しさに欠け、猟奇感も受けない。

   海が見える別の丘の上には2百人は入れそうな大きな教会があった。内部では帽子を脱がされた。今時、珍しく電気照明は一切なく、夜間の不便さを我慢する理由が知りたかった。

   近くの斜面には南欧風の高級住宅が点在していた。明るい茶色の屋根瓦、真っ白い壁、美しい花木を植えた庭、立派な門扉と車庫。住民は中国人の筈なのに、中国式に特有な暗いお屋敷のイメージは全くない。どんな人相の人が住んでいるかと探したが、結局それらしき住民は見つからず残念。

[5]カジノ

   巨大な独占私企業カジノが納める税金がマカオ政府の財源を支えるだけではない。そのおこぼれで住民への税金が安いそうだ。従業員だけで8千人と言うが、信じ難いほどの人数だ。年中無休で24時間操業。賭博は真剣勝負なので、慣れてはいても長時間の高密度な労働は無理。

   従業員も3交替どころではあるまい。その結果が8千人か?。従業員が客と結託して不正を働くのを防止するための、マカオ住民羨望の的である高給も、結局はマカオを潤す。       

   カジノは巨大ビルの3フロアに跨がっていた。今までに見たカジノはいくら大きくても1フロア止まりだった。特別常連客のために一層豪華な内装にした『ロイヤル・ルーム』もいくつかあった。

   ガイドが一番簡単なゲームのルールを説明した。サイコロ3個の目の合計値が(小=4〜10)か(大=11〜17)のいずれかに賭け、賭けた側の目が出れば、賭け金の2倍が戻り、外れた側の賭け金と(3か18)の場合の全賭け金がカジノ側の取り分だ。誰かが勝率を質問したが、同行者にはこの場合程度の簡単な計算もできないようだ。

   『サイコロの目の組み合わせは6×6×6、つまり 216通りある。その内、和が3か18になるのは各1回だから、胴元には2/ 216=1/ 108=1%弱の確率で所場賃が落ちる。残りの確率の半分ずつを胴元と客が分けるのだから、客から見た勝率は 107/216となり、続ければ続けるほど負ける』と私が説明した。
              
   香港通が『負けたら賭け金をその都度2倍にし、勝った時に止めれば必ず儲かる』と解説。『数学的に言えば、無限に賭け金があるならば正しい。しかし、賭けに勝ったとしても、その時の儲けは僅かに最初の賭け金(最低掛け金は50H$)と同額です。

   N回目に勝った時の収入は、最初の賭け金×2のN乗、支出(累積賭け金)は最初の賭け金×(2のN乗−1)になります。20回続けて負けたときの賭け金は、最初の百万倍(最低の賭け金でスタートしても、8億5千万円)にもなりますよ。リスクに比べ儲けは少ない』と、つい余計な水を差した。        
   
   誰かが『石松さん。パチンコとこのゲームはどちらが勝率は高いですか?』と質問。『パチンコは数学的な意味での厳密な確率計算はできません。しかし、還元率と言う概念はあります。全国平均では約8割と言われています。このゲームは倍返しなので、還元率は実に99%強(2× 107/216)にもなります。従って、カジノの方がパチンコよりも客が儲かる確率は、断然高くなっています』        
   
   誰かが『それならば、カジノの練習をしてくれば良かった』とこぼすので、また余計な事を言ってしまった。『カジノにはパチンコと違い、練習効果はあり得ません』念のため、後で仲間に尋ねたら、勝った人は1人もいなかった。

   私には賭け事への趣味はないものの、人間の欲望が渦巻くカジノの生態観察は、時の経つのも忘れるほどに面白かった。本能丸出しの人間の姿態はポルノもかくやと思わせる迫力がある。イスタンブールのヒルトンのカジノではアルコールや軽食の無料サービスがあったのに、ここのけちなカジノには一切なくてがっくり。 
   
   このカジノがロシアから、完成度7割時点で建造が中止され、武器が撤去された航空母艦を2500万ドルで買い取ったとのニュースを、帰国後の新聞で知る。海上カジノにするらしい。マカオに来なければ見落としていた報道だ。                                
   
   それにしても、自由放任主義の殿堂を自負する香港にカジノがないのは不思議だ。ガイドに聞いても分らなかった。マカオとの共存共栄のためだろうか?。

[6]DFS

   同じビル内にある免税店(DFS)のレジで、長男への御土産用に、香港のお札をマカオのコインと交換した。通貨の対ドル交換率は同じ。しかも、共に両国で使える。レジの女性には英語が全く通じなかった。

   コインの全種類が欲しいのにその意味が伝わらず、同じ金額のコインばかり揃える。カジノの客の両替かと早とちりしたようだ。仕方がない。レジの引き出しから強盗のように、コインを1個ずつ拾い上げたら、やっと意図を理解した。

   この店でポルトガルの片鱗を発見。ポルトガルには鶏に関わる伝説があり、鶏をテーマにした置物や彫刻品が、東北地方のこけしのように溢れていた。またポルトガルは世界的なコルクの大産地だ。コルクの栓を抜き取った後に残る屑からできた集成材は、ゴムのように弾力のある木材だ。軽くて歪まない民芸風のコルク製品はポルトガルの象徴だ。杉や檜の柾目とは違った美しさがある。

[7]宝石店

   例によって20坪位の宝石店に案内された。男子店員がうようよいる。ショーケースを覗いていると、直ぐに4〜5人がワッと集まってきて、売り込みの口上を流暢な日本語で述べ始める。天さんは『これだけもの人件費をどの様にして払えるのだろうか?』と不思議がられる。

   香港通は『あんなに大勢の店員に取り囲まれると、恐ろしくなる』と言う。私は『大会社の社長にでもなったかのように、ふん反り返っていると、贅沢な気分を味わえるから楽しいですよ』とお勧めしたが、同行者は半ば逃げ腰だった。

   『これを見せて』と言った途端に何と『9割引きでいい』と言う。値段の付け方のでたらめさ加減もここまで来たかと、究極のマカオ商法に開いた口が締まらない。試しにそこから値引き交渉をすると、直ぐに更に半額にした。宝石の真贋を見極め、妥当な価格が推定できない者には危険だ。

   あの店員の数から逆算すると、偽物を本物として売っているとしか思えないほどだ。結局、ここでも誰も何も買わなかった。リベートを楽しみにしていたと思われるマカオのガイドも当てが外れたか?。

[8]カステラ

   長崎のカステラのルーツはマカオだそうだ。当時のカステラを復元したと称するお菓子をガイドがバスの中で売り始めた。『試食してから、買うか買わないか考えたい』と要求したが、断られた。ガイドへのチップ代わりにもなればと、話の種に1箱買った。高級チョコレート並の値段だ。
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おわりに

[1]それぞれの21世紀は?

   @悠々自適の天さん

   天さんと旅行して思い掛けぬ収穫を得た。楽しい旅行以上に価値があった。『悠々自適』の中に、素晴らしい人生の目標を見つけている方が振り撒く、年齢を感じさせない生き生きとした若さを発見。珍しいサンプルだ。         
   
   天さんは老後を見越して買われていた自宅近くの山林3百坪のうち、50坪を、果樹園と家庭菜園に作り替えるそうだ。とはいえ、我が体験(家庭菜園20坪・果樹15種20坪)と、あの張り切り振りから推定すると、夫婦2人暮らしの消費量位では、余剰農産物の後始末で最後にお困りにならねばよいがと、つい余計な心配もしてしまった。

   終戦直後、我が生家から僅か2Km地点にある標高2百メートルの、なだらかな尾倉山の国有林に開拓村ができた。ラジオからは連続ドラマの主題歌(菊田一夫作詞)『鐘の鳴る丘:緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台。鐘が鳴りますキンコンカン。メーメー、子山羊も鳴いてます。風がそ〜よそよ、丘の上。丸いお窓はおいらの家よ』と共に、戦後復興の高らかな響きが聞こえてきた。飢餓との闘いだった開拓作業と同じ肉体労働であっても、天地の差がある。ブルドーザを導入されては興ざめだ。
  
  A香港は没落中か?

   香港の繁華街を散歩して驚いた。行き交う人の表情が大変暗く、とぼとぼと歩いている。元気が感じられない。同じ中国系の人なのに、去年訪れた西安・蘇州・無錫・南京・上海で見掛けた人々とは、人種が違うほどに人相が悪い。これは一体どうしたというのだ?                          

   ガイドに我が印象を伝え、同意の有無を尋ねると、言下に『添乗員さん、嘘付き』と助詞抜きの日本語で反論。誤解ならばこれに過ぎるものはないが…。

   B香港の未来は?

   昨年からのアジア各国の通貨の暴落は、ジワジワと香港経済に悪い影響を浸透させているようだ。香港通貨の米ドルとの交換比率を維持するため、政府はやむなく金利を上げた。その結果、香港人が資産の大部分をつぎ込んでいると言われる株と不動産が3割以上も暴落。日本人と異なり、安全志向の銀行預金よりも投機が大好きな香港人の行動に裏目が出てしまった。

   一方、香港通貨高がアジア各国に比べ、相対的な物価高を誘発し、買い物天国も今は昔となって、日本からの観光客を激減させただけではない。輸出競争力も同時に落ち、香港の大黒柱でもある商社機能を直撃。不況のどん底へと転落した。人相が悪くなったのも理の当然か?。

   残りの1つは地勢学上の優位性を生かした、コンテナ積み替え実績世界一の港湾基地機能だが、アジア経済の不況突入に伴う荷動きの減少に連動して、こちらにも活気がない。シンガポールとの競争も熾烈化の一方だ。

   命綱ともいえる中国本土からの輸出入の窓口機能も、中国元がドル連動性を死守している結果、荷動きが落ち始めて昔日の勢いがない。所詮、メンツを捨てて、H$も中国元も市場価格に見合ったレベルまで切り下げて、出直しを計らざるを得ないと推定している。                           
   
   Cマカオの未来は?

   4百年以上もポルトガルの植民地としての歴史があるといくら強調しても、めぼしい観光遺産はないに等しい。景観美は紺碧の海と白砂に輝く地中海沿岸の観光都市の足元にも及ばない。単独では集客力が全くないマカオは、従来通り香港旅行客の日帰りを当てにするしかない。ならば香港と共に沈没するのだろうか?。

   ラスベガスすらカジノだけで生きてはいない。総合娯楽都市に体質改善されている。独占企業のカジノのサービス改善だけではなく、香港にない観光の目玉を開拓しない限り、リピート客は見込めず、未来は暗い。我が予想を覆して欲しいものだ。                    

   D東南アジアは大丈夫か?

   10日前後の標準的な激安海外旅行では、航空運賃が全旅費に占める割合は、既に半分を切っている。今や、香港も欧州旅行も日当たりの費用は2万円前後に暴落し、大差はなくなった。香港に限らず、近場で海外旅行気分が味わえるのが唯一のセールスポイントだった、東南アジア各国の観光産業の苦戦が始まったようだ。

   一度、新大陸の大自然や、中東の世界遺産を目の当たりに体験した者には、東南アジア各国の俄か作りの観光地からは感動を味わえないのだ。日本人のアジア飛ばしが始まらなければよいがと、気に掛かる。

[2]むすび

   3泊4日と言っても、現地での正味観光時間は2日半に過ぎない。しかし、旅はいつものように、芯から私をリフレッシュさせてくれた上に、本探しから追憶記の完成まで足掛け1ヶ月も楽しませてくれるのだ。更には、この駄文を読んでくれる友達との会話も断続する。暫くの間、我が頭の中は香港とマカオで一杯だ。

   来る4月11日から25日まで、最後の海外出張に出かける予定。10年来の念願だった未訪問地も含まれる。題して『懐かしのあの国、この国』乞う、ご期待。
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