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健康
           
がんの治療体験の講演(平成20年2月24日脱稿)

   平成20年2月24日に福岡市の大博多ホールで、(財団法人)脳神経疾患研究所付属総合南東北病院が主催した陽子線市民公開講座でがんの陽子線治療の体験を講演した。

   そのときに使ったスライド20枚とその説明のための原稿を転載した。

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   多重がんの発見とその治療

[
1]受け続けた定期健診
   胃がんの告知
   食道がん2個の告知

[2]治療
   胃がん・・・胃の2/3を切除
   食道がん・・放射線照射治療

[3]経過観察
   新発食道がん3個の告知

[4]治療
   胸部食道がん2個・・内視鏡による剥離
   頚部食道がん1個・・陽子線照射治療

[5]現状
   経過観察中⇒元気回復


         
 (スライド1)

   ご紹介いただいた石松でございます。

   私はがん年齢に到達した40歳の時からがん関係の定期健診を受け続けてきました。64歳になった時に無自覚状態の胃がんと食道がんが発見されました。その治療の後も定期的に検診を受けていましたら、またもや無自覚状態で新発食道がんが発見されました。本日はそれらのがんの発見から寛解までの一連の体験を、ご報告いたします。

   最初の胃がんを告知された僅か二日後に、ここ博多のど真ん中、中州の飲み屋のママから日本を代表するような名医の紹介を受け、芋ずる式に次から次へと名医から名医の紹介を受け続け、とうとう最先端の医療技術である陽子線照射治療にまで辿り着き、このように元気になれました。

   しかし、このように元気になれたのは、各名医の的確な診断に基づく治療や私の耐えざる努力だけではなく、多くの友人達の励ましの賜物でもあった、と心から感謝しております。

       不断の定期健診

[1] 現役時代の40歳以降
     一年に1回の定期検査、時々自主的に追加
     胃のバリウムを使ったX線検査、肺がんのX線検査
     大腸がん検査、胃カメラ、血液検査など

[2] 定年退職した60歳以降
     一年に2回
     豊田市の集団検診と自主的に受けた簡易人間ドック
     胃のバリウムを使ったX線検査、肺がんのX線検査
     疑問時⇒胃カメラ、CT、MRI、MRA、血液検査など

       (スライド2)


   私はトヨタ自動車でエンジニアとして働いていました。がん年齢に到達した40歳以降は毎年定期的にトヨタ自動車社内で誕生月の8月に胃や肺などのがん検診を受けました。少しでも胃に異常があると認められた場合には胃カメラによる精密検査が追加されました。その時には、私はセカンドオピニオンを求めて、自己負担をもいとわずに愛知県がんセンターへ駆けつけました。

   定年退職後は豊田市の老人検診を毎年一回受けるだけではなく、それとは別に簡単な人間ドックも自主的に毎年1回受けていました。
  
   64歳の時でした。平成14年10月29日の検診で遂に、胃がんが疑われました。細胞検査の結果、11月28日には胃がんの告知を受けました。その時、私は我が人生もこれで終わりかと覚悟しました。しかし、母は38歳の時に乳がんを、73歳の時に皮膚がんの手術を受けたものの、明治・大正・昭和・平成に亘って93歳まで生き延びたことを思い出し、母を見習ってがんと闘う覚悟を決めました。
  
   
    名医との出会い

[1] 藤堂和子様
       中州の飲み屋『リンドバーグ』のママ

[2] 山村義孝医師
        愛知県がんセンター消化器外科部長
        平成19年度日本胃癌学会会長
        再検査⇒胸部食道がんの発見
        胃がん⇒外科手術⇒平成14年12月19日

[3] 不破信和医師
        愛知県がんセンター放射線治療部長
        食道がん⇒放射線照射⇒平成15年1月14日〜3月18日

          
(スライド3)

   がんの告知を受けた僅か二日後の11月30日には、前々から計画されていた10年ぶりの九大航空工学科卒業40周年記念の同期同窓会に出席しました。恩師の方々や同期の仲間に死ぬ前の挨拶をしたかったからです。その日の二次会では中州の飲み屋『リンドバーグ』に出かけました。10年前と20年前の同窓会の二次会と合わせても僅か3回目のリンドバーグでした。

『藤堂さん、二日前に胃がんの告知を受けたので、死ぬ前の挨拶に来ました』
『何処で手術するの、がんは一発勝負よ』
『豊田市地域医療センター』
『止めとき。もっと立派な病院があるでしょ。私は過去30年間、飲み屋のママを伊達にしていただけではないのよ。まかしとき』

   12月4日にママから『愛知県がんセンターの山村部長にお願いしてあります。12月9日が診察日です』との電話がありました。豊田市地域医療センターでコピーして貰った検診資料を山村先生にお見せしたら『消化器内科の専門医に内視鏡でもう一度念のために検査してもらいましょう』と発言されました。僅か三日後の12日には入院することになり、内視鏡の専門医による14日の検査では、何と食道がんが二つも見つかりました。

   その他の検査資料も克明に検討された結果山村先生は『最初に胃がんの手術をし、体力の回復を待って食道がんの治療をしましょう。食道がんも幸いにも初期なので放射線治療でも良いと思います。放射線治療部の不破部長にお願いすることにしましょう』との自信に満ちた診断を下されました。  
    
        治療方針

[1] 胃がん(12月19日に手術)
    執刀医・・・山村医師+助手の医師2名
    手術・・・・胃の2/3の切除

[2]胸部食道がん(1月14日〜3月18日)
    体外照射・・・X線⇒25回*2グレイ
    腔内照射・・・イリジウム⇒4回*3グレイ
    副作用・・・・食欲不振・嘔吐⇒入浴中に失神⇒緊急入院
    寛解のご託宣⇒6月30日

[3] 注
    1グレイ=1ジュール=0.24cal=自然放射能換算約1,000年分

       
 (スライド4)

   山村先生は1,000人を超える胃がん手術をされていた方でした。12月19日の手術では転移も発見されず、輸血もせずに終わりました。しかし、胃が小さくなったため一度に食べられる食事量が減り、とうとう体重が54Kgから46Kgにまで落ちてしまいました。
   
   食道がんの放射線照射治療は自宅から車で通院して受けました。最初の頃は体に何の異常も感じませんでしたが、途中から食欲が落ちただけではなく、嘔吐が頻発しました。一度嘔吐が発生すると5分から10分間隔で半日以上も続きました。 
   
   半日嘔吐が続くと、息を吸っても吐いても胸や腹部の筋肉が猛烈に痛みました。このときに私は、嘔吐とは全身運動だったのだと初めて気付きました。夜は洗面器を抱いて寝ていました。嘔吐が半日間止まったかと思うと又発生しました。嘔吐を数日間繰り返した後のある朝、急に嘔吐が止まったので風呂に入りました。
   
   体を洗い終え、洗い場で立ち上がった瞬間に脳貧血を起こしたのか気絶し、鋳物ホーロー製の浴槽の淵に額を強打しました。それでも目が覚めず浴槽に上半身を突っ込んだままでした。物音に気づいた妻が駆けつけ背後から体を救い上げた時、やっと目が覚めました。間一髪で助かりました。鏡を見たら額から血がだらだらと流れ落ち、風呂の壁にも血が飛び散っていました。
   
   がん患者はこのようにして苦しみながら死んでいくのかと半ば諦めながらも、もう少し長生きしたいと思い、愛知県がんセンターに緊急入院し、嘔吐止めの点滴等の応急処置を受けた結果、事なきを得ました。
   
   放射線治療の後半には腔内照射を受けました。チューブを食道に挿入し、チューブの中にイリジウムを差込み、機械でゆっくりとイリジウムを引き上げながら、食道の内側から放射線を照射しました。
   
   食道全体にぴったりとチューブがはめ込まれていたため、唾液を飲み込むことも、胃液を吐き出すことも出来ず、その苦しさは胃カメラとは比べものになりませんでした。準備を含めて一回に付き40分くらい掛かりました。首を絞められて半殺しにされていたようなものでした。
   
   その放射線照射治療が3月18日に計画通りに終わったときには、ほっとしました。
   
   放射線照射治療は治療が終わっても、外科手術とは異なりがんが治ったか否かは直ぐには分かりません。がん細胞が消えるまでには3ヶ月近く、場合によっては半年も掛かるのだそうです。その間は定期的に検査を受けました。6月30日になってやっと待ち続けていた寛解のご託宣が出ました。

   寛解とは検査でがん細胞が見つからなかったという意味に過ぎず、完治とは異なります。でも、ほっとしました。

   放射線の量を表すグレイという単位は熱エネルギーとしては小さな単位ですが、自然放射能に換算すると1グレイでも約1000年分に相当します。

   私は体重こそは体力のバロメータと長い間確信していました。過去40年間変わらなかった54Kgの体重に戻すべく、毎日5回無理やり食べ続けた結果、年末までには体重の奪還にも遂に成功しました。

       経過観察

[1] 機械的な検査
   PET(陽電子断層撮影装置)⇒全身のがん検査
   CT(コンピュータ断層撮影装置)⇒肺がん
   PET-CT⇒PETとCTの新型複合検査機
   血液検査⇒マーカー値⇒がんの判定
       遺伝子検査⇒N/M型(ヘテロ接合体)⇒
       飲酒⇒食道がんに罹りやすい⇒節酒決意

[2] 人為的な検査
   内視鏡による目視観察⇒胃と食道
   ルゴール染色法⇒食道がんの有無
   細胞検査(生検)⇒がんの判定


        
(スライド5)

   寛解のご託宣が出されても、がんが転移したり再発したりする可能性は常に残っています。

   主治医不破先生のご指示により、いろいろな検査を定期的に受け続けました。4年後の昨年5月11日に受けた第7回目のPETでも異常は見つかりませんでした。しかし、6月1日の内視鏡によるルゴール染色法で、新しい食道がんが同時に3箇所も見つかりました。これは再発ではなく、新発がんと診断されました。食道がんは一度発生すると寛解後でも何度も発生する傾向があるのだそうです。

   『全身のがんが一度に発見できる』との鳴り物入りで10年位前に登場したPETにも、盲点があることが分かりました。私の食道がんのように面積は広くても限りなく薄く広がっているがんの発見は困難だったのでした。がんの種類別に特化している従来からの検査法の価値を、今回の体験で再認識しました。

    治療方法の選択

[1] 二度目の胸部食道がん
    放射線や粒子線⇒同じ部位には2回目は使えない
    ⇒内視鏡による剥離手術(6月27日)

[2] 初めての頚部食道がん
    放射線も陽子線も使える⇒放射線の副作用に懲りた
    ⇒陽子線を選択

[3] 兵庫県立粒子線医療センター
    食道がん患者第一号


        
(スライド6)

   放射線や粒子線で一度治療した場所にがんが再び発生した場合、放射線治療も粒子線治療も再度使うことは危険だといわれています。その部位の食道粘膜が劣化しており穴が開いたり出血したりするからだそうです。

   新しく出来た胸部食道がんの治療方法としては、食道の切り取り手術がありますが、これはすい臓がんの手術と並び称されるほどの10時間を越える大手術になります。しかし、今回は初期がんだったため、不破先生や内視鏡医との相談の結果、内視鏡による剥離手術を思い切って選択しました。万一失敗すれば食道の切り取り手術に突入する覚悟でした。50例以上の手術体験があった内視鏡医の腕は確かなものでした。幸い手術に成功しました。

   頚部食道がんは大きく広がりすぎていて内視鏡での剥離手術は難しいと診断されました。しかし、頚部食道は放射線照射治療を未だ受けていない部位だったため、4年前と同じ放射線治療でも寛解の可能性は高い、と不破先生は診断されました。

   私はインターネットで粒子線治療についての初歩的なことは既に勉強していました。粒子線治療センターは全国に6ヶ所あるものの、食道がん患者は何れも殆ど受け入れていないことは承知していました。粒子線には炭素の原子核を使う場合と、水素の原子核つまり陽子を使う場合の二種類がありますが、皮膚の薄い食道がんには強度が弱い陽子線が向いていることも理解していました。

   私は4年前の放射線治療の副作用の苦しさを思い出しました。不破先生は『放射線治療の副作用は個人差が大きいものの、通常は軽いのですがね』との経験を話されました。しかし、私は陽子線治療を引き受けてくれるところがあれば、全国何処のセンターであろうとも出かけたい、と強く希望しました。
   
   不破先生からは『何処かが引き受けてくれる可能性はありますよ。私が国立がんセンター東病院に送り込んだ患者さんは、東病院での食道がん患者第一号になりました。今度は兵庫県立粒子線医療センターに相談して見ます』との嬉しい回答を頂きました。

   兵庫県立粒子線医療センターの菱川院長と医療部長村上医師とは快く私の治療を引き受けてくれました。でも、此処では私が食道がん患者としての第一号になりました。食道がんが治療対象として今まで取り上げられなかった理由は、治療中に患者が呼吸すると食道の位置が移動するため、陽子をがんに正確に照射するのが難しい点にありました。

   華岡青洲の奥様が夫を信じて、世界最初の全身麻酔手術になった乳がんの手術に立ち向かった勇気に比べれば、私の場合は月とスッポンほどの差があります。失敗の可能性が残るとは言え、大げさに言えば私はモルモットになる決心を敢えて致しました。医療技術の進歩のためには、いつかは誰かがモルモットにならざるを得ません。
     
    胸部食道がん

                                  

 
                             (スライド7)

   これは内視鏡で剥ぎ取られた胸部食道がんです。

         兵庫県立粒子線医療センター
  


                (スライド8)

   これは兵庫県立粒子線医療センターの航空写真です。兵庫県西部の静かな山の中に建てられています。病院内には一流ホテルに匹敵する快適さが維持されています。
   
        粒子加速装置



               (スライド9)
    
   この粒子加速装置は直径30mもある大きな装置です。兵庫県立粒子線医療センターの粒子線治療機は日本で唯一、水素の原子核も炭素の原子核も取り扱えるため設備費は128億円も掛かったそうです。
    
   粒子加速装置は安全確保のため、壁が1m天井が1.5mもの厚さの鉄筋コンクリートで作られた建物内に据え付けられています。
    
        治療中の石松

 
  
         
          (スライド10)

   患者は、患者一人ひとりの体の形にぴったり合わせて作られた硬質プラスティックス製のカバーによって、治療中に位置が変わらないようにベッドに固定されています。

   食道がんの治療の場合、この固定具の他にお腹の上に位置決めセンサーを取り付けられました。呼吸によってセンサーが動きますが、そのセンサーから発せられているレーザー光線をカメラがキャッチし、その移動量に連動して陽子線の照射深さを制御し、陽子ががん細胞にぴったりと届くようにできました。

   この治療を成功させるために私は、一定のリズムで一定の大きさの呼吸が出来るようになるまで、何度も何度も呼吸の訓練を受けました。私は必死になって猛練習しました。

         陽子線照射治療

[1] 治療期間
    平成19年7月24日〜9月13日の月〜金
    36回*2グレイ/回=72グレイ
    週末(金夕方〜月早朝)は帰宅

[2] 副作用
    食道に炎症発生⇒嚥下時に痛み⇒食事時間倍増
    食欲減退⇒体重2Kg減
    無気力状態⇒新聞やTVへの関心喪失
    性欲減退(回数半減)

[3] 副作用の消滅
    治療完了2週間後

                     (スライド11)


   陽子線照射治療に先立ち、患者一人ひとりに必要な道具の準備や諸検査を済ませた後、7月24日から毎日1回の照射治療が始まりました。途中機器の定期的な保守やお盆の短い休み等で治療の出来ない日もありましたが、ほぼ順調に治療は進み、9月13日には退院できました。

   土日は退屈だったので金曜日の夕方は自宅に戻り、早起きをして月曜日に病院に戻る生活をしました。

   放射線や陽子線の累積照射エネルギーには許容限界値があり、おおむね70グレイ前後といわれています。今回36回の照射で72グレイに達しましたが、この上限一杯まで照射してもがん細胞が消滅しなければ、最後に残された手段としては外科手術のみになることは覚悟していました。

   陽子線照射治療にも軽い副作用が発生しました。最初の一週間は何の影響も出ませんでしたが、徐々に食道の粘膜に軽い炎症が発生したのか、食べ物を飲み込むときに軽い痛みを感じるようになりました。そのため、食べ物を噛み砕く時間を倍増させ、流動食のようにして少しずつ飲み込みました。

   精神的には何となく無気力感に襲われ、病院に備え付けられているテレビを見たり、新聞を読む意欲が消えました。食欲も徐々に衰えたため、体重の減少を恐れ、売店で間食用に握りずしやチョコレートを買ってはカロリー不足を補ったものの、とうとう2Kgも体重が軽くなりました。しかし、治療完了後には僅か2週間で副作用も消滅し、年末までには体重も54Kgに戻りました。

   これらの陽子線照射治療に伴う副作用は、4年前に受けた放射線治療の副作用の強さに比べれば格段に小さなものでした。陽子線照射治療を選んでよかったと満足しました。 

           コリメータ

         がんの輪郭の形状をワイヤーカット放電加工機で
         真鍮の厚板から切り出したもの


         

           ボーラス

         がんに照射した陽子が止まる位置を決めるために
         三次元NCフライス盤でポリエステルのブロックから
         掘り出したもの。この空間にがんがぴったり嵌まり
         込む形になっている。


         

            (スライド12)
  
   コリメータやボーラスは、陽子線を個々の患者の体内のがんの位置とがんの形にぴったり合わせて照射できるようにするために、患者ごとに作成されるものです。

   このコリメータやボーラスは陽子線の照射通路に設置して、陽子線の流れを制御し、陽子ががんに正確に到達するようにするためのものです。

   これらの製作のために病院内には、三次元NCフライス盤やワイヤーカット型放電加工機等だけではなく、三次元測定器も導入された立派な工作室がありました。

      経過観察

[1] カルテの共有
    兵庫県立粒子線医療センター
    愛知県がんセンター

[2] 内視鏡による検査
    第一回目(11月5日)
    第二回目(12月7日)
    寛解のご託宣(12月10日)

                (スライド13)


   兵庫県立粒子線医療センターは、北は北海道から南は沖縄まで全国各地の病院から紹介された患者を受け入れています。粒子線治療を受けた患者の退院後の経過観察には地理的な事情もあり、紹介元の病院で実施してもらわざるを得ません。

   そのための対策として粒子線医療センターと紹介元の病院とは患者のカルテを共有する体制をとっています。粒子線医療センターを退院する時に、患者は夫々のカルテをコピーしたファイルを渡されます。退院後に紹介元の病院で検診を受けた場合にはカルテのコピーを受け取り、粒子線医療センターへ郵送することになっています。

   その結果、万一問題が発見された場合には、粒子線医療センターの医師と紹介元の病院の医師とが同じカルテを手元に置きながら、直接電話で対策を相談できます。私の場合は愛知県がんセンターの主治医が対応してくれています。

        第一回目の検査
   

          
                   (スライド14)

   
   この写真は11月5日に撮影した食道です。蛍光灯のグローランプのようなものが2個ありますが、がんの位置をX線透視のときに分かるようにするために埋め込まれている金属です。半年もすると自然に剥がれ落ち排泄されます。
   
   この写真を見て、主治医はまだ寛解していないと判断しましたが、12月7日の検査の写真を検討した結果、12月10日に寛解したとの診断を下しました。
      
         友人達の励まし

[1] 最後の晩餐会
     自宅(平成19年6月19日)

[2] 温泉旅行
     お見舞い・・有馬温泉(平成19年8月21日)
     退院祝い・・荊妻と尾瀬(平成19年10月1日)
     退院祝賀会・下呂温泉(平成19年11月21日)
     寛解祝賀会・強羅温泉(平成19年12月16日)
     お礼参り・参宮&伊勢志摩(平成20年1月6日)
   
                (スライド15)

   
   私は64歳の時に初めてがんの治療を受けて以来、常にがんの再発や転移、新しいがんの発生の可能性を考えながら、不安な日々を過ごしていました。幾ら月日が経ってもこの不安はなくなりませんでした。そんな不安が消え去らなくても、次第に心が落付いてきたのは、親しい友人達や家族の励ましの賜物でした。

   昨年6月1日に新しい食道がんが見つかった後、私は粒子線医療センターに入院する前に、過去20年以上もの長い間ゴルフを一緒に楽しんできたトヨタの先輩・同期生・後輩を、6月19日に自宅にお招きして最後の晩餐会を開きました。

   入院中の8月21日には晩餐会に参加していただいた仲間達が豊田市から4時間もかけてお見舞いに来てくれただけではなく、その夜には病院から程近い有馬温泉に私を招き、励ましのひと時を準備してくれました。

   10月1日には、長い間私を支えてくれた妻に感謝すべく群馬県の尾瀬に出かけ、草紅葉を見ながら静かなひと時を心安らかに過ごしました。

   11月21日には何時ものゴルフ仲間達が岐阜県の下呂温泉にまたもや私を招き、心から退院を祝ってくれました

   
   12月16日にはトヨタ同期の親友達が箱根の東にある強羅温泉に私を招き、寛解を祝ってくれました。
   
   引き続いて1月6日には、別のゴルフ仲間達が寛解を祝って伊勢神宮へのお参りを提案しただけではなく、伊勢志摩への旅行にも誘ってくれました。
   
   私ががんとの闘いを、本日こうして心穏やかにご報告できるのは医療関係者のご尽力だけではなく、多くの友人や家族の励ましの賜物でもあったことも付け加えたいと思います。
   
        余生を満喫

[1] 寛解のご託宣(12月10日)

[2] 西アフリカ8ヶ国漫遊旅行
    申込書の到着締め切り(12月3日)
    私の申し込み日(12月11日)
    旅行期間(平成20年1月15日〜2月1日)
   
              (スライド16)

   
   12月10日に寛解のご託宣を聞いた途端に胸が高鳴りました。他でもありません。以前から出かけたいと思っていたのは、サハラ沙漠の南、ブラックアフリカといわれている西アフリカでした。
   
   旅行社(旅のデザインルーム)への旅行申し込み書類到着期限を既に一週間超過していましたが、強引に申し込んだら引き受けてくれました。今回の旅行ではビザ申請のため、銀行預金の残高証明書とかイエローカードとか400ドルのトラベラーズチェックの添付とか奇妙な条件が付いていましたが、あちこち走り回って準備しました。
   
   
     ドゴン族の仮面踊り
      

   
             (スライド17)
   
   ドゴン族の若者達による元気溌剌とした仮面舞踏会を眺めていたら、がんの不安など吹き飛ばされてしまいました。私は中央部に写っています。
   
                泥で築かれたモスク
   

   
                 (スライド18)
      
   泥で作られた世界最大の規模を誇るジェンネの巨大なモスクからは、信仰に生きる人たちの団結力の凄さに驚嘆させられ、がんの悩み如きはすっかり忘れて、私もまだ何か出来るのではないか、との気概を受け取りました。
   
                  バオバウの大木
   

   
                 (スライド19)
   
   アフリカの過酷な大地に、どっしりと何百年にも亘って聳え立つバオバウの大木からは、これまたがんを吹き飛ばすような元気を貰い受けました。
   
       まとめ

[1] がんを怖れず、されど侮らず

[2] 早期発見・早期治療
   ⇒がんに勝つ王道

   
   
           (スライド20)
   
   皆様、がんを徒に怖れる必要はありません。でも油断大敵、あなどることも出来ません。
   
   定期的に検診を受け続けて自覚症状が出る前にがんを発見し、最新の医療技術を駆使しての早期治療に徹すれば海外旅行に限らず、一秒一刻がますます貴重に感じられる余生をもっともっと長く満喫することが出来ます。その生き証人の1人が私です。

   
   ご静聴、有難うございました。

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原稿案のご査読をお願いした方々からのご返信

大変、詳細な内容で多くの聴衆の満足を得られるものと確信します。

@ 財団法人 脳神経疾患研究所 附属 総合南東北病院がん陽子線治療センター長

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気がついた点が1点ありました。スライド6の説明の2行目

「その部位の皮膚が劣化」の皮膚は間違いです。「その部位の食道粘膜が劣化」にされたほうが良いです。(注。ご指摘のとおりに、原稿は訂正しました)

A 兵庫県立粒子線医療センター院長

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ご講演原稿を拝読いたしました。

最後の「皆様、がんを徒に怖れる必要はありません。でも油断大敵、あなどることも出来ません」という言葉は、医療者が話しする何倍もの重みがあります。

早期発見、早期治療が良い結果をもたらすことは、みな頭で理解していても、実践するには努力も必要だということがよくわかります。石松良彦様のご講演が聴衆の幾人かを救命することになるだろうと思いました。

アフリカの画像も新鮮で良かったです。

B兵庫県立粒子線医療センター医療部長

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非常に立派。時間が足らないと思うので、原稿も印刷して配布したらいい。要旨だけではもったいない。老人聴衆なのでインターネット配信は無理だろう。

C トヨタ同期・工&経・私大教授

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公開講座の原稿を拝読。今まで断片的に聞いておりましたが、今回通読して改めて、石松さんが癌患者のお手本の感を深くしました。

石松さんは昔から弱音を吐かず、我慢強い人ですが、胸部食道がんのX線治療の副作用は余程苦しかったんですね。想像に余りがあります。

2回目の食道がん(頚部食道がん)の治療に際し、主治医が放射線治療を勧めたのに対し、4年前の放射線治療の副作用を思い出し、インターネットで知った陽子線治療を申し出たとのこと。主治医は了承し結果オーライでしたが・・・

しかし、放射線治療の副作用が石松さんに強いのであれば、主治医は「個人差がある」と人事みたいなことを言わず代案を提示すべきです。その中から患者が選択すれば患者の精神的負担が少ない。患者の勉強による提案を受身で採用するのは心もとなく、医師としての前向きの姿勢に欠けるように思います。

主治医は名医で立派な人だと聞いていますが、この点だけが気になりました。

石松さんが、リンドバーグのママのアドバイスやインターネットなど医師以外の外部の情報も総動員して、治療法選択の岐路ごとに的確な判断を下されたのは、強靭な意志と度胸が有ったからこそと敬服しました。

D トヨタ先輩・工・ゴルフ&テニス仲間

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講演原稿を拝読しました。経過、内容等分かり易く表現されており、聴く方々にも何かの示唆を与えること多いと思いました。

しかしこの中で、名医にたどりつく術等難しいと思う自分と同じような方も多いのでは、とも感じました。

寛解後早速海外旅行された紹介は、患者の方々にも希望を与えるでしょうね。

これも貴兄の素晴らしさの一端で、この際それを知っていただくためにもホームページを紹介されたら良いと思いました。

E トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間

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原稿、一読しました。がん治療の経過が検診に始まり、治療医師・医療機関・治療方法の決まるまで、さらに治療が始まり副作用がおきたがおさまり寛解するまで。 再発し再治療が行われ再寛解し、現在に至るまで客観的に要領よく説明されよくわかります。明快な講演です。

慾を言えば、私の意見は次のとうりです。

最善の医師・医療機関の紹介・最適の治療法の決定、治療が始まりよい結果が出るまで、幸運、幸運幸運の連続です。深みに欠けるハッピーストーリに終始しています。もっと人間的苦しみの面も表に出して訴えた方が、聴衆に訴える力が強くなるとおもわれます。

がんの宣告を受けて落ち込んだ気持ち、治療法の選択にあたり迷いに迷ったことなど、心の部分も述べた方が石松さんの人間味が出て、講演に深みが加わると思います。 

F トヨタ先輩・経・ゴルフ仲間・前立腺がん患者⇒寛解

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石松さんのご講演の貴重な資料を多分誰よりも先に見させていただけたこと光栄です。

講評はおこがましいのですが、綺麗に纏められすぎて・・・。壮絶な癌との闘いが多分言葉で補われる事と思っておりますが。凡人には3度も癌を克服するなんて考えられません。

其の精神力の強さが何処から来るのか、もらってくるのかを話していただけると、我々は石松さんを昔から知っており、また克明な癌との戦い、海外旅行記、等でなんとなく解る気がしますが、初めて講演を聞く人には理解しづらいのでは。

お母様が癌を克服されて、長生きされた事初めて知りましたが、このことが石松さんを勇気付けた大きな一つと今わかりました。2月24日のご講演の成功祈っております。

G トヨタ後輩・工・ゴルフ仲間


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大変貴重な資料を有難う御座います。

今迄に貴兄からお聞きしていた内容がほとんどですが、石松さんの痛烈な苦しみが余りにもさらりと表現されており、びっくりです。

大変分かり易くまとめられていますが、苦痛表情たっぷりに話されると、素晴らしい講演になることでしょう。(最後は笑顔で)

今のところ、小生の個人的な意見ですが、37年度会の同窓会(注。トヨタ同期生の年一回の懇親会)のときにお願いできると、皆さん大変勉強になると思いますが、如何ですか?。

益々のご活躍を祈ります。

H トヨタ同期・工・ゴルフ&テニス仲間


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読後感

講演の原稿拝読させていただきました。

ご講演は2月24日ですから、まだですよね。たくさんの方々から感想が届いているようで、私の感想は遅くて申し訳ありません。大変わかりやすく、簡潔にまとめられており、これまでの各段階での詳細なご報告よりもよく理解できました。これだけの段階の積み重ねの実体験講演は、他にはないことであろうと存じます。

気になることが少しあります。

1つ目は、幸運であったとの話がとても印象に残りました。でも、これまで石松さんのご奮闘を拝見させていただいた私には、少し違うのでは、との印象も持ちました。

端的に申し上げますと、幸運を呼び込むための努力、日頃からの心掛け、さらに、手元に引き寄せるまでの諦めない徹底的な粘り、がお有りのように思います。藤堂さんのご縁も、石松さんのいろんな方々とのご縁を大切にする努力の結果だと思います。普段はさして縁の無いスナックのママに対しても縁を大事にする努力です。

これは誰にも今からでも遅くないですから、薦められて、直ぐやることがガン克服の一つであると言えないでしょうか。

名医についても、セカンドオピニオンを信念としてお持ちだから、そのうちに名医に辿り着くのではないでしょうか。このような、石松さんの努力が表現されず、幸運だと強調されますと聞いている方としては、石松さんの成果の一端でも手に入れようという努力の道を閉ざされるように感じます。石松さんの幸運を手に入れるヒントを追加しながらお話いただけると、嬉しいかと・・・。

2つ目は、やはり知識レベルの高い方のお話で、目線が少し高いのではと感じます。私も仕事柄よく講演をしますが、いつもお叱りを受けます。聞いていただく方々のレベルに目線を下げ、語彙と言い回しを下げることの難しさにいつも苦労です。

術語は、かな使いに変えられないか、トヨタ用語が入っていないか、変な横文字は判り易い話し言葉に変えられないか、などなど。今回はがんの治療と言うことで、その関係の専門用語は聴衆の方々も理解されるとは思いますが、聴衆は必ずしも知識階級とは限らないような気がしまして・・・。

大先輩にこのような暴言の失礼の段、お許しください。

今回は、大変判り易い講演資料をいただき厚くお礼申し上げます。それと、藤堂ママの言葉がすごい! 「がんの治療は一発勝負よ!」。これもいただきます。ゆめゆめ外すまじ、と噛みしめて指針としたいと思います。

@ トヨタ・大学後輩・工・技術士・無数の会社の技術指導に大活躍中

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並みの人物ではありえない場所での講演とその内容に感服・感動しました。

事前に原稿をチェックしていただいた方々のコメントにすべてが網羅されていて、私から補足できることは何もありません。ただ、講演開催の日付を除いては。

A トヨタ先輩・工・死ぬ準備は完了⇒固定資産は総て売却し動産化⇒借家暮らしを満喫

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アフリカのエネルギーはすごいなあ、と感心してます。

私も講演に粒子線治療後アフリカで楽しんでいる方がいると話しています。今後の旅行をも楽しみにしています。

B お世話になった兵庫県立粒子線医療センター院長

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『陽子線市民公開講座』でのご講演原稿を拝見しました。引き込まれるように読みました。

なによりも、石松さんの生きることへの不屈の強い意志に感動すると同時に、私自身がこれからの生きていく上での励ましになりました。有難うございました。

私は4月27日名古屋国際会議場で開催される講座には、今のところ参加させていただくつもりです。

C トヨタ後輩・工・元仕事仲間

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2月24日の講演原稿を読ませていただきました。癌との闘いに勝利された体験として、多くの方々に勇気を与えられる内容です。完治されたのは石松さんの不屈の精神力とご家族、友人たちの励ましだと思います。

内容を読んで治療の専門的なことは分からないことばかりですが、いままでの経過をホームページを通して知っていますので、ほぼ理解できる内容でした。

初めて講演を聴かれる方々は医療関係者ばかりで無いようですので、どなたかのアドバイスにもありますように、講演時間の関係も有るでしょうが、目線を下げてお話されると良いかと感じています。

アフリカ旅行も元気で行って来れたとのこと、また元気を貰って帰国できたとのこと、喜びひとしおです。講演のご成功をお祈りします。
                                                                                                      
D 荊妻の知人・奥様はがんで永眠・中小企業経営コンサルタント                    


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壮絶な戦いの跡が生々しく感じられました。

小生は気が小さく貴兄のように冷静になれないように感じています。今は残りの人生を楽しく有意義に過ごすことのみ考えております。

益々のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

E ゴルフ仲間・ハンディ10・全国行脚で経営監査&指導に活躍中

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大変遅くなりましたが講演予定の原稿を拝読しました。石松さんの細部にわたる記録の経過報告と、本人しか理解できないであろう闘病時の多大な努力の報告は、聴衆の多くの方々に深い感銘を与えるとものと推察いたします。

私は最初の胃がん発見のときからのメールを連続して拝読しておりましたが、今回の原稿を拝読して、闘病時に体力が弱って風呂場で倒れて一時的に気を失われ大変だったことを初めて知り、石松さんの努力を改めて認識しました。

F トヨタ後輩・工・ゴルフ仲間・ハンディ11

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その1。

昨日(2/24)のご講演を成功裏に終えられ、寛いでおられることと思います。

医学・医療の発展並びにその啓蒙のためにご尽力しておられる石松さんのボランティア精神に敬服しております。

その2。

読後感の一端の思いも込めて、前回 メール致しました。再度との事ですので、蛇足を下記します。

これまでの経緯を その都度 お知らせいただいていた我々としては、今回の原稿は全体を通しておさらいをするものであり、簡潔で分かり易いものでした。また、石松さんの言われたいメッセージも、しっかり伝わると思われます。

敢えて申し上げるならば、患者代表として講演されるお立場から、一般市民や名医との名声を未だ得ておられない一般の医療従事者が大半と思われる聴衆の皆さんに、更に強くアピールするために 石松さんの事例は『特殊解』であるとのイメージを薄める工夫が必要ではないでしょうか?
 
たまたま会話を交わしたママの人脈をフルに活用する、その道の第一人者に治療してもらう、年に数回ガン検診を受ける、その検診も高度のものをフルに活用する等々、その通りと思いながらも何となく自分とは別の世界の話と受けとめられることは石松さんの本意ではないと考えます。

もう少し『一般解』の味付けを工夫されると、聴衆である普通の皆さんが自分のこととして素直に受け入れて、明日からの生活の中で行動に移してくれるように思います。

石松さんの場合も、定期の成人病検診で異常が発見されたのが元々の発端であることを考えれば、聴衆の皆さんに石松さんの事例は『一般解』であるとの印象を味付けする事は十分可能と思います。

4月の名古屋での講演も、このままで十分と思いながらも 再度のメール呼び掛けからとりとめの無い事を長々と記しました。もし、それもそうかと思われるところが少しでもあれば、話し方のニュアンスの中で 味付けいただければ幸いです。

G トヨタ同期・工・30万円のPETコースを受けて無罪放免された方。

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西日本新聞(平成20年2月28日)

   福岡県の有力地方新聞『西日本新聞』に『地域医療を考える』という連載解説記事があった。その第6部は『がんに挑む』だった。その第五回目(平成20年2月28日版)で今回の公開講座が紹介された。講演終了後に担当記者から別室で質問を受けた。

   『指宿市では九州で初めてとなる陽子線治療施設を町おこしの目玉にしようと期待していますが、起爆剤になると思いますか?』
   
   『残念ながら町おこしにはつながらないと思います。治療費は300万円もしますが、年間の患者数は高々500人。そのお金は治療施設の収入にはなりますが、その殆どは設備の償却費と稼動費なので地元には落ちません。センターで働く地元の従業員は医師や看護師など医療関係者と医療事務の派遣社員とか、入院患者の給食関係者が主で少人数です。患者やそのお見舞い客が指宿温泉で連日豪遊するとは考えられません』と答えざるを得なかった。
   
   今回の記事を読んだ在郷の何人かの知人が西日本新聞に私の名前が出ていると知らせてきた。担当記者から記事をFAXにて急遽取り寄せた。その全文を勝手に我がホームページに転載した。
   
   細々と生きている年金生活者に取り、自分の名前が地方紙とは言え顔を出すとは夢想だにしていなかった。何しろ69年間の人生で新聞に名前が載ったのは、九州大学航空工学科(一番有名な後輩は宇宙飛行士・工学博士若田光一氏)を卒業した翌日(46年前の昭和37年3月28日)に西日本新聞で報道された『航空学術賞(副賞は腕時計)』の授賞記事以来たったの二回目だったからでもある。

 放射線療法 夢の施設で町おこし

   放射線の一種、粒子線を照射するがん治療が脚光を浴びている。通常の放射線療法で用いるエックス線やガンマ線が、がん細胞の周囲にある正常な組織にもダメージを与えるのに対して、強力なエネルギーをがんに集中させるのが最大の特徴という。

   副作用が少なく『夢のがん治療』ともいわれるが、装置を持つ施設は国内では本州に6カ所しかない。九州第一号となる予定地は、砂蒸し温泉で知られる鹿児島県・指宿海岸を見晴らす山の上にある。

   赤字がかさんで廃棄した大規模年金保養基地グリーンピア指宿の跡地。薬品開発支援の会社が買い取って再開したホテルの横で、重機がうなりを上げていた。グリーンピアを買収した会社の社長で2011年開業を目指す粒子線治療施設の理事長永田良一医師は、他の施設で前立腺がんの粒子線治療を受けた父(81)の元気な姿を見ても、その威力を疑わない。『切らずに治す乳がん治療も手掛けたい』と意気込む。

   地元の期待も熱い。国民の半数ががんになる時代、国は放射線治療の強化を掲げる。指宿市にとって最先端の施設は町おこしの起爆剤に映る。『人を呼び込むランドマークになる』。佐賀県や福岡市でも、百億円規模の施設誘致の検討が進む。

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   従来のエックス線による治療も革命的に進歩した。がんによっては手術と同等の成績といわれる。

   左肺の機能を結核で失った北九州市の男性(72)の右肺にがんが見つかった。体の負担を考えると手術は出来ない。九州大学病院(福岡市)の医師は、がん以外の組織への被爆を最小限に抑えるため、腫瘍の位置をコンピュータで正確に測り、横から斜めからピンポイント照射した。20日間の入院で4回の治療。軽い肺炎を併発したものの食欲不振などの副作用はなかった。

   照射するエネルギーに強弱をつける強度変調放射線治療(IMRT)や放射線同位元素のカプセルを患部に埋め込む小線源治療など、がんを高精度でたたく治療は九州でも普及してきた。『今ある治療法を応用すれば十分。粒子線の施設が九州に三つも四つもできたら、それこそ第二のグリーンピアになる』(熊本市の放射線科医)。そんな声も上がる。

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   24日、福岡市であった公開講座のテーマは粒子線治療だった。体験談を語ったのは福岡出身で愛知県に住む石松良彦さん(69)。兵庫県の施設で昨年夏から秋にかけて食道がんを治療した。一回百秒の照射を、間隔を置いて36回。家から遠いので入院し週末ごとに帰宅した。

   年末にはがんが確認できなくなり、年明け早々アフリカを旅するなどの充実した生活ぶりを、200人近い聴衆は熱心に聴き入った。次に放射線科医が登場した。『九州に施設ができるまでは、ぜひうちにお越しください』。

   実はこの講座、福島県に十月オープンする粒子線治療施設が、宣伝のため全国30カ所ほどを巡回する初日だった。開業を準備する指宿のスタッフも偵察に訪れていた。

   終了後『患者の分捕り合戦が起きそうですね』と石松さんは笑った。自己負担が300万円ほどというから限られた人しか恩恵にあずかれないが、保険が利くエックス線ともども、手術の次の選択肢といわれたかつての放射線のイメージはそこにはない。

                  囲み記事(粒子線治療)

   粒子線治療に使われるのは陽子線または炭素イオン線。炭素の方がより強い治療効果が出ると期待されるが、研究途上で設備が百数十億円と高額なこともあり、九州では陽子線の導入検討が先行する。

   粒子線治療が適用しにくいがんも少なくないため、専門家は『九州には陽子線が南北に一カ所ずつ、炭素線が一カ所あれば十分』との意見が多い。保険適用がなく治療に300万円かかるほか、エネルギーが強く使い方を誤れば重大な事故につながるだけに人材育成も課題だ。

                  写真(割愛)の解説

   粒子線施設の建設予定地で造成工事が進む。かつてのグリーンピア指宿のホテル(後方)は改修され一角にはクリニックもある=鹿児島県指宿市

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読後感その2

体験講演も盛況であった様子おめでとうございます。

指宿町おこしの為粒子線治療の導入に対する見解も冷静で感心しました。しかし建設が決定している様子に対し敢えて記者が質問した真意は何だろうかと考えました。

がん治療の権威として益々活躍されることを期待しています。

@ トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間

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福岡で講演するなら時間を取って拝聴に行けたのですが。しかし大したお方です。頑張ってください。

A 大学教養部級友・工・元高専教授

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早読み読後感!

何よりも石松さんが元気になり、治療が終るとともに温泉三昧に脱帽です。東京周辺にお越しの際は、お会いして、この眼で確認したいです。

講演の最後にドゴン族と一体となっている姿と、陽子線治療だけでなく、その話があるのは流石石松さんです。

海外旅行が復活したのが何より、今後も旅行記を楽しみにしています。

B インカ帝国旅行で出合った旅の鉄人・外資系金融機関で優雅な人生を満喫

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                                上に戻る
中州通信

    私の命の恩人、福岡市中洲の飲み屋『リンドバーグ』のママ藤堂和子様は月刊『中州通信』を発行され、一冊500円で全国の有名書店にて販売もされている。

    発行累積No.261号、2008年4月号が3月7日に拙宅へ郵送されてきた。(私には何故か初対面の26年前から無料で贈られている)。いつも真っ先に読むのは『藤堂和子のジャンケンポン』。見開きの2ページにわたり、時流にあったキーワードをタイトルにして、藤堂様の日常体験を題材にしたコラムになっている。

    4月号を読んで驚いた。私との出会いに関する話題が取り上げられていたからだ。そこで本人の了解を頂くこともせず、此処に全文を転載させていただいた。飲み屋のカウンターでの短い立ち話だったし、メモを取られていたわけでも無いのにその記憶力の凄さに驚いた。この号のテーマは『感謝』だった。

    ほんの僅かのご記憶間違いがあるものの、修正するほどの問題では無いので、仮名遣い・句読点を含めて原文のママで転載することにした。


                     感謝



   この仕事をして来たおかげで、いろいろな職業の方達とお知り合いになることが出来ました。その結びつきがいかに、かけがえのないものか、健康がどれだけ大切かということも含めて、改めて実感し、深く感謝------。そんな出来事がありました。

   5年半ほど前、九州大学工学部卒業のある方が、久しぶりにお見えになった時のこと------。そのごあいさつが『私、ガンを宣告されまして、お別れにきました』というものでした。そして『どういうことなのですか』と聞くと『いや実は来月、今住んでいる家の近くの病院で手術をすることになりました。それで、もしものことがあったらいけないので・・・・』と、とても不安そうな表情です。

   私もびっくりして『ちょっと待ってください。あなたの手術が成功するように、私の方で先生をさがしてみますから-----』といって、いろいろと友人に聞いたところ、やっと一人の先生に行き当たりました。さらに、その先生をよく知っている人に電話し、事情を話すと気持ちよく引き受けてくださって、直接先生に頼んで無事にご承諾をいただくことが出来たので、早速その方に電話し、『吉報です』とお知らせすることが出来ました。

   あとは先生の持つ力と、彼の回復力を信じるのみ。そんなことがあって手術が終わり、その方から電話やお手紙などで経過報告をいただくようになりました。その『だんだんと体調が良くなって来ました』という、うれしいニュースに私もやっとひと安心・・・、頼んだかいがありました。

   そして、5年以上ぐらい経った最近のこと、私がお店のカウンターの奥にいると『藤堂和子さんはいらっしゃいますか』という元気な声が聞こえたので、ふり向くとそこに5年前よりも元気になられたその方が、キョロキョロとあたりを見回していました。私はすぐにわかったので、うれしくなって『いらっしゃいませ』と声をかけると、『今日はお客としてではなく、お許しと、お知らせがあって参りました。実はこのたび、福島県の郡山にある私立病院の主催で、私が講演をすることになりました。どうやってガンを克服したかというテーマで・・・・』と。

   その話を聞いて、どうして私に許しを・・・・とたずねると、その講演の中で私の名前を使わせてほしいとのこと。『もし、この方の助言と協力がなかったとしたら、今の自分はなかったかもしれない』という話をしたいとのことでした。『それは、別にかまいません』と答えたけれど、そんな話よりも元気になられたので、紹介していただいた先生にも鼻が高いのが何よりもうれしく、『いつまでも、元気でいてくださいね』といったのですが、彼がいうにはまた2ヶ所にガンが再発したとのことでした。

   でも、『今度、手術を受けます。大丈夫なので心配しないでください』と、これは5年前に見えた時の声のトーンとはまったく違って、とても元気なようです。そこでくわしく事情を聞くと、2月24日の日曜日に郡山の病院の主催による講演会があり、九大の卒業生3人(そのうち2人は医師)で話をするとのこと。そこに招かれて医者は医者としての話、私の友人は患者としての立場から話すのだということが、やっとわかりました。その日、私は金沢にいるので聞きにいけないのが残念だったけれど・・・・。

   私達の仕事柄、全国の先生達がよくいらっしゃるので、心強く思っています。いろいろなお客様からも、『こういう病気で困っているのだけれど、今は地元にいるわけではないので、どこの病院に行けばいいのか教えてほしい』など、ご相談を受けることがよくあります。

   そんな時、私もすぐにはわからないので、いろいろな友人を頼りに調べてもらったり、また厚かましく、何か目先の問題であってもよく相談に乗ってもらっています。

   近頃は、そうした周りの友人までが病気になったので、すぐに『どなたか、こういう人をご存知ないでしょうか』と------。また、私自身のせっかちな性格なので人の迷惑も考えず、何とか力になろうと考えると、たとえ一度しか会っていない方でも、お願いするようなことも続けています。

   とはいっても、他人のことは頼みやすいのですが、なかなか自分や身内のこととなると、後回しになってしまうのが不思議なものです。何か困ったことが起き、時間が経ってようやく頼んだ時などは、『なぜもっと早く言わないのですか』と叱られることも時々あります。

   『真の友達は不幸に出会った時に初めてわかる』と、イソップの『寓話』では述べています。逆境に陥った時に頼られ、また信じて頼れる存在を持つことがどれだけ貴重か、改めて知ることが出来ました。

   そして、この仕事をして来たおかげで、いろいろな職業の方達とお知り合いになることが出来て本当に幸せだと、このお付き合いを大切にしなければと心から思います。

   今回、5年半前の方に治療を受けてお目にかかり、今の明るさを見ると、お元気になって良かった、いいことが出来て良かったという思いでいっぱいです。

   今日まで築き上げてきた、そしてこれからも続いていく人の結び付きに、もう一度感謝を・・・・。

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名古屋国際会議場での講演(4/27)への感想

本日はご苦労様でした。素晴らしいスピーチだと感服しました。私も人前で話す機会が多かったことと、話すこと自身嫌いではなかったので、絶えず話には工夫を凝らす努力をしてきました。

恐らく専門的な話をされた2名だけのお話では、難しい面白くない講演会に終わったでしょうが、石松さんの話はワサビ以上の効果があったと思います。

@ トヨタ後輩・工・ゴルフ仲間・名工大非常勤講師

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本日の講演は大変勉強になりました。

石松さんの講演は圧巻。みんなも私も目を見開き、食入るように真剣に聞きました。

古平先生、不破先生の話も勉強になりました。

講演を聴講し、粒子線治療施設が、なぜ、この金持ちの愛知県には無いのか、大変、疑問に思いました。

もし、その理由が、不破先生が仰った「愛知万博が赤字になるといけないので」ということが本当なら、愛知万博はとんでもなく悪いイベントだったと思います。私も大いに協力した立場ですが。

この度は、勉強になる機会をいただき有難うございました。

A トヨタ後輩・工・元仕事仲間

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『食道がんの陽子線治療を受けて』を拝聴しました。石松様の話の纏め方および話し方に感動しました。

20分間の短い時間内にぴったり収まるように要点をついた、ムダな部分のない纏め方に敬服しました。

貴重な体験談を拝聴する機会にめぐり合い、本当に良かったと思っています。ありがとうございました。 

B 工・ゴルフ仲間

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昨日は有り難うございました。多くの聴衆が来られましたが、石松様の話には共感されたことと思います。

C 元主治医・南東北がん陽子線治療センター長

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石松先生 27日は熱意あふれる講演をされ、ご苦労さまでした。私も末席で聴講いたしました。近年まれにみる有益な講演会でした。

古平先生の{放射線治療}の講演、不和先生の{陽子線治療}の講演は新しい知識を学んだり、これまでの知識を整理したりするのに、大変役立ちました。

しかし、石松先生の{陽子線治療をうけて}は格段に素晴らしく、聴講者に勇気を与えるものでした。力強い口調、明快な言葉、わかりやすいストーリーで講演をされ、聴講者全員が熱心に聞き入っていました。

それぞれの話はこれまでに石松先生から断片的には聞いていましたが、一貫したストーリーであらためて聞くと迫力があり、感動的でした。

名医に巡り合い、最高の治療を受けることができ、それにもかかわらず、きつい副作用に見舞われ、それに負けず、前向きに立ち向かう姿、そして寛解の知らせまで、そうした話の中に医師たちや、取次ぎをしてくれた人々への感謝の気持ちが滲み出ていて、すがすがしく聴きました。

また、言葉には出さぬ教訓もいろいろありました。30年にわたり、金と時間を惜しまずに最高レベルの検診を受けながら、がんは見つからず、しかし石松先生はその検診を責めたりはせず、現実をそのままに受け止め、自己の医学知識をもとに、医師と対等に議論して最善の治療法に辿り着くその合理的で前向きな姿勢には敬服しました。

最後に、家人や友人に対する感謝の言葉ー最後の晩餐、有馬温泉ツアー、下呂温泉ツアー、強羅温泉ツアーがありましたが、私は最初石松先生の外交辞令と受け止めていました。最後まで聞いて石松先生の気持ちそのままとわかり、石松先生の人柄の素晴らしさを感じ取りました。

石松先生は私にとって、人生の先達です。蓄財法だけでなく、人生の歩み方ー合理的思考と判断{特に癌に向き合う姿勢など}学ぶことばかりです。今後とも試練を乗り越えて、力強く歩み続けていただきたく、私も後に続きたいと思っています。

D 喜寿近いトヨタ大先輩・経・ゴルフ仲間・平成19年前立腺がん⇒放射線照射⇒寛解(主治医不破先生)・超勉強家⇒3部屋に溢れる蔵書で床が抜け落ちることを奥様がご心配!

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遅ればせながら先日はご苦労さまでした。

貴重な体験談を分かりやすく迫真な語りで、盛況な会場の皆が聞き入っていました。結びの『がんを徒に怖れる必要はありません。でも油断大敵、侮ることもできません』。肝に銘じておきます。

入手した50枚の入場整理券も残り数枚になるほどの好評さでした。後続して開催された東筑会総会も、お陰さまで格調高いものになり新会員も加わり盛況で終えることができました。

お疲れ様でした。

E 高校同期・経・東海東筑会世話役・年一回の総会&親睦会を今回のがん講演視聴後に開催できるように、同じ会場のレストランを借り切って企画していただいた方。感謝。