本文へジャンプホームページ タイトル
随想
           
未来予測精度(平成16年11月1日脱稿)

   人間と猿との各3万個前後の遺伝子の内、異なっている遺伝子の数は全体の約1%(うろ覚え。ここで言いたいのは両者間で異なる遺伝子の数は極めて僅かの意)なのに、異なる遺伝子から発生した知能が、幸か不幸か何時も人類に未来を心配させ始めた。

   古代帝国の皇帝の多くは死後の世界まで心配し、手にした権力を駆使して壮大な墳墓を造営した。しかし、昨今の人間は古代人よりも少しだけ賢くなったのか、一国の独裁者であれ、世界に冠たる超大金持ちであれ、ささやかなお墓で満足するようになったようだ。

上に戻る
はじめに

   人が死後の幸福を追求するのを止めた反動だろうか、今度は逆に死ぬまでの一瞬の人生で如何にして貧困から免れるかに、人類は全能力を投入するようになった。100歳を越えて尚元気だった愛知県の『金さん、銀さん』姉妹は、『テレビの出演料は何に使われますか?』との、マスコミの不躾(ぶしつけ)極まる質問には打ち揃って『老後のために貯金します』と即答したとか!

   新聞に代表されるマスコミは、人間の未来に対する不安心理と、活字化されたものは正しい、と信じ勝ちな日本人の幼児性に付け込んでは、朝な夕なに飽きることも無く、根拠を明示することも無く、出任せ放題に近いような未来予測に関する解説記事を満載している。これらは紙などの資源や投入労力の単なる無駄遣いに終わるだけではなく、姿を変えた公害にすらなっている、と私には感じられてならない。

   胃がんと食道がんとを患った私は、他のがん患者のことはさておいても、我が余命は後何日なのかを知りたくて、主治医を初めとしてその道の識者らしい人達に何度も質問したが、論理的に納得できる回答には辿り付けなかった。
   
   世の中には無数と言えるほど無責任な未来予測が蔓延(はびこ)っているが、その予測期限が来るたびに賞味期限が切れた食べ物のように点検されることも無く、毎度の事ながら自動的に破棄されているようだ。しかし、正解が誰にも解らないこの種の難題は考える手間を省くために世の賢人に問うのではなく、自ら考察する方が楽しい話題だと気付いた。

   さて、世の中に溢れている未来予測を総点検すると、極めて正確に誰にでも予測できる分野から、どんなに有名な学者やその筋の権威者の予測であろうとも疑問溢れる分野まで、幅広く混在していることに、誰でも直ぐに気が付く。そこで、私個人に特別な関心があるだけの偏った分野ではあるが、それらについての考察結果を、生きている間に賢人各位に評価して頂きたくて、何時ものように押しかけメールとして発信することにした。
上に戻る
予測精度の極めて高い分野(99%以上)

@ 日食開始時刻の予想

   日食の的確な予言は天動説が支配していたギリシア時代から存在している。ミレトス(エーゲ海に面した現在のトルコ西部)のタレースはバビロニアに残されていた日食の記録表を元に計算して、BC585年5月28日の日食を予言したことで有名だ。
   
   日食が予言できたのは、タレースが日食は規則的に発生していることに気付いたからだ。天体運動が力学的に解明された現在では、電算機を使って1分前後の精度(直前にならないと、今でも秒単位では予測できないらしい!)で予想されるに至った。

   無限に近い数の天体間で同時に働いている万有引力の相互作用の影響を連立方程式で解く事は出来ない。それどころか3個の独立な天体の運動も解析的には解けないと証明されている(三体問題と言う。詳しくは、 http://pathfind.motion.ne.jp/santai.htm )ほどだ。では、何故それほどまでに日食の予想精度は高いのか。

   それは天体が持つ運動のエネルギーがその運動を攪乱させる要因に比べ、格段に大きいからである。第一宇宙速度(人工衛星の最低速度)は毎秒7.9Kmに過ぎないが、地球の平均公転速度は29.78Kmもあり、その運動のエネルギーは質量1g当たり、106Kcalもある。同じ重さの原油の何と十倍だ。地球の密度は5.52g/立法センチメートルなので、地球の運動のエネルギー(相対的に小さな自転のエネルギーは除く)は地球の体積の55倍もの原油が持つエネルギーに相当する。

   私だってこのひ弱な54Kgの肉体にドラム缶3本分の原油に相当する運動のエネルギーを持ってはいるが、それを取り出す手段が無いので、文字通り宝の持ち腐れになっている。

   一方、月の平均公転速度は毎秒1.023Kmに過ぎないので(これとてもジャンボジェット機の対地巡航速度よりも10%も速い。(勘違いだった。月はジャンボよりも約4倍も速い。下記の蛇足をご参照ください)、単位質量当たりの運動のエネルギーは地球の僅か0.12%に過ぎないように一見感じられるが、太陽を静止点とした場合の運動のエネルギーには地球と連動している公転分もベクトル加算されるので、地球よりもちょっぴりだが大きくなる。

____________________________________

                 蛇足(高校時代の友人のご指摘)

   「日食開始時刻の予想」:天体の動きはそれぞれの個体の持っているエネルギーが大きいので、慣性が短時間に変わることはなく、予想は易しい、との見解は納得できます。
  
   私は現役のころ、飛行中の日出、日没会合を計算するのが、楽しみでした。例えば、ホノルル便は成田を夜に出発し、ホノルルには日中に到着します。途中で日出に会合するのですが、何時何分日の出予定とキャビンクルーにいい、1分以内の誤差で的中すると、鼻を高くしたものです。

   このあとヨーロッパに旅行予定とのことですが、この季節のヨーロッパ便は成田を午後1時ころ発つと、途中のシベリア上空で日没となり、ウラル山脈を過ぎると西から日出となり、到着前に再度日没となります。西行きの場合は誤差が大きく、1分以内の精度では計算できませんが、5分以内ですと、日没・日出・日没を計算できました。

   成田発(JAL401,13:00発)ロンドン行き(15:40着)です。ロンドンでの11/16の日没時刻は16:10前後ですが、偏西風が吹きまくって延着するのを期待しつつ、今から日没・日出・再日没の観察&観賞が楽しみです。成層圏から見るご来光や日没の美しさは富士山頂からとは比べ物にならないくらい荘厳で美しく、私も機内から眺めるのが大好きでした。

   計算式は BASIC で作成し、カシオのポータブル・コンピューターに組込み、乗務カバンに入れて持ち歩いたものです。昔の航空士はチャートに線を引いて会合点を求めたものですが、私の計算式では、予想した会合点を挟む2点の緯度・経度と通過時間、飛行高度を Input することにより算出するものです。
  
   3ページ4〜5行目の月の公転速度 1,023m/sec は現在のジャンボ・ジェット機の速度 33,000ft(10,000m) マッハ.84 (497kt)ですと、約4倍になります。

   ああ、オーミステークス!! 単位(m/秒とKm/時)を取り違えていました。最近の飛行機では機内情報サービスの一環としてリアルタイムに時速・飛行高度・外気温度などがモニターに表示され、ジャンボの飛行速度が900Km前後になっている記憶が鮮明に残っていました。その名目数値と、ついうっかり月の公転速度の1023mとを比較してしまったのでした。
   
   時間差3600だけではなく、Kmとmの差1000も間違えていたため、両者の名目数値が異常に接近し、一層錯覚しやすくなっていました。1023/900=1.13から、月はジャンボよりも1割速いと解釈していました。実際の速度差は正(まさ)しく貴台のご指摘 1.13*3.6=4.09 つまり月は約4倍も速いことになります。本当はコンコルド(マッハ2.2)よりも速かったのでした。
   
   日常生活では車の平均速度は40Kmで人の歩行速度の10倍など、と言うような情報がアナログ感覚でも記憶されていますが、非日常世界では私にはこの種の間違いは度々起こしています。そんな錯覚を避けるためにも学会などへ提出する論文を初めとして、一般に公開されるレポート類を書いたときには、親しい何人もの仲間に査読を頼んでいました。今回、査読を手抜きしたばっかりに、とんだ過ちを犯しました。
   
   でも、このご指摘は11月7日現在、貴台お一人です。流石はJALのジャンボの元機長、一瞬にしてこの間違いに気付かれたのは、貴台が長年にわたりマッハクラスの高速の世界に生きられていたからだと思いつつ、ご指摘をいただいたことに謹んで感謝申し上げます。

____________________________________

   太陽系は銀河(天の川)の中で何と毎秒220Km±10%もの速度で公転しているが、日食は太陽系内に於ける太陽と地球と月との相対運動で発生する光学的な現象なので、太陽系全体の銀河内での公転運動とは無関係である。

   太陽の周りでの地球と月の運動に影響を与える抵抗は超遠距離に存在する天体からの引力と暗黒物質などからなる宇宙塵のみだ。しかし、これらからの影響力は運動のエネルギーに比べれば無視し得る大きさに過ぎない。従って、太陽と地球と月との相互間に働くだけの万有引力を使って、それらの未来の相対的な位置関係を計算すれば、日食の予言は可能だ。

   ある時、FORTRAN(米国のIBM社が約半世紀前に提案した科学技術計算用の言語。40年前から我が使い慣れていた言語)が無料でインストールできると知り、ボケ防止対策の一つとして日食の予想計算を私もしてみむとて、インストールを試みたが未だ成功せず。来年になったら再チャレンジし、タレースよりも少しは精度を高くした1時間位の誤差を目標にしながら、我がパソコンで計算したいと思っている。
   
   地球の公転面と月の公転面とは少しずれていて同一平面内にはないが、簡略計算としてはその差を無視すると、楕円軌道計算だけになるので計算プロセスは大幅に簡略化される。この問題は天体力学の計算というよりも、解析幾何学の単なる初歩的な数値計算に過ぎない。
   
   勿論、地球や月の大きさも考慮し、ケプラーの法則を使い、楕円の一方の焦点を太陽の定点とし、面積速度一定の条件を使って地球の公転速度の変化も計算し、同時に地球を月の公転楕円の焦点に置き、月の公転の面積速度も一定との条件下で、月の公転速度も計算するくらいの手順は踏まざるを得ない。
   
   手元の平成14年版理科年表には『近時の日食』とのタイトルで、1998〜2016間は詳しく、その後は2035年の皆既日食だけだが記載されている。2000と2011年は4回、その他の1998〜2016年は毎年2回だ。我が計算プログラムの出来具合は直ぐにも評価が出来ることになる。


蛇足

   隕石が持つ運動のエネルギーも巨大だ! 隕石(平均密度3.5g/立法センチメートル)の地球への衝突速度が地球の公転速度に等しいと仮定すると、直径僅か10mの隕石(重量は1833トン。その体積は我が国の平均的な1戸建ち、延べ45坪の住宅クラス=524立方メートル/3.5m{屋根裏や床下も考慮した場合の天井の平均高さ}=150平米)でも、その運動のエネルギーは原油2万トンに匹敵する。TNT火薬の発熱量が原油の半分と仮定すると、何と広島型原爆の2倍だ!
   
   隕石は宇宙空間で爆薬により粉末状に破壊できても、運動のエネルギーはほぼ保存される(正確に言えば保存されているのは運動量 Σm*v であって、運動のエネルギー Σm*v*v/2 ではない)。しかし、粉末化された隕石でも高速で大気圏に突入する結果、大気との摩擦熱で蒸発し、実害は殆ど発生しない筈と予想されている。
   
   NASAは地球を救うと称して、地球に大接近する恐れのある大型の小惑星や彗星を、ご苦労なことに24時間体制で追跡し続けている。NASAの仕事も最近はジリ貧になったための、ボランティア活動だろうか?
   
   とは言え、現在の科学宇宙&軍事技術で、隕石を打ち落とす事は不可能に近い。隕石の移動速度に追いつけるミサイルは、まだ開発されていないので追尾は不可能である。従って、地球に突入してくる隕石を地上から迎え撃つしかないが、戦争で攻撃してくると予想されるミサイルに対してすら、100%の命中率はまだ確保できていないので、一個の隕石を目掛けて無数の迎撃ミサイルを乱射する以外に方法はない。結局の所、下手な鉄砲も何とやらに期待する他、全生物の救済手段は未だないようだ。

   台風と地震と隕石とでは被害の現われ方が異なる。台風の総エネルギーは巨大だがエネルギー密度が小さいため風害よりも水害。地震の場合は可振力による機械的破壊が主となる。一方、大気圏で蒸発し尽くせなかった大型隕石の場合は地球と衝突した瞬間、その運動のエネルギーは熱エネルギーに変わるので、火災だけではなく、周辺の空気の膨張に伴って発生する衝撃波による風害が大きい。その典型例は1908年、シベリアのツングースカで2000平方Kmもの広さにわたり、外周に向かって放射線状に原生林をなぎ倒した隕石だ。

  A 1分後の天気予報

   気象庁が保有する無数の観測データと超大型電算機を使わなくとも『1分後の天気は、現在と同じ』と予想するだけで、誰でも99%以上もの精度の天気予報が出せる。しかし、24時間以上先の気象庁の天気予報には何度も裏切られた。
   
   いわんや長期天気予報などは、夏は冬よりも暑く、冬は夏よりも寒いと言っているだけのようなものなので、私には気休めほどの価値も感じない。長期予報が外れやすい原因は、地球上の大気の運動が天体の運動に比べ、無数の予期せぬ現象によって遥かに攪乱させられやすいからである。
   
   従って、地球の大気圏をどんなに小さな升目に分割し、境界条件を計測値から与えて、ナビア・ストークス(Navier-Stokes)の粘性流体の運動方程式を、無限大の速度で計算できる電算機を投入して解いても、予測精度の向上率は小さい。少なくとも、来年の何月何日何時に太平洋のどの地点でどのくらいの強さの台風が発生する、と言った種類の予報は出来ない。

   私はテニスの予定日の朝、雨が予想される場合には午前7時に関係者全員に『本日のテニスは中止』とのメールを発信している。NHK・新聞・インターネットの天気予報を調べ、学生時代に学んだ航空気象学のへぼ知識も総動員して、8:00〜13:00の天気予想を熟慮しているが、これほどの近未来でも的確に当てるのは難しい!

  B 30歳に達した人間の10年後の身長変化量

   人間の成長は遅くとも30歳までには止まり、以後は椎間板などが圧縮されて身長は徐々に低くなる。これは誰でも知っている老化現象だ。66歳の私は過去の最大身長162cmから残念ながら約0.5%(1cm)小さくなった。今や160cmを切るのも時間の問題だ。念のためにと我がスポーツ仲間のデータを確認したら、身長の短縮量は殆どが0〜1%だった。大きくなった人は一人もいなかった。
   
   30歳以降で110cmだった身長が30cmも伸びた『てなもんや三度傘』で有名な白木みのる氏は例外中の例外だ(テレビ番組・『徹子の部屋』で最近見た私の推定値)。従って、30歳に達した人の40歳時点での身長変化率は0〜3%の範囲と予想した場合、予測精度は99%以上と断言できる。
   
   子供の身長の成長曲線を延長して、この子は80歳になった時には4mにもなる等と予想する親が一人もいないのは、子供の時と大人の時とでは体質が変化することを誰でも知っているからだ。これは過去のデータが未来に向かって外挿できない典型例である。
   
   ところが、世の中には過去のデータが外挿出来るのか、出来ないのか不明な問題が無数にある。未来予測で最も重要な課題は、予測対象の過去の現象がそのまま未来へと外挿できる性格の問題か否かの検討だ。しかし、その難しさから逃げているのか、それをせずに過去が未来に自動的に延長できると独断している未来予測が、世間には何と多いことか! 日食の予言が当たるのは過去の延長に未来があり、天気予報が長期になるほど当たらなくなる本質的な理由は、未来が過去の外挿には必ずしもならない点にある。
   
   オックスフォード大学の教授が、100m走の男女の最速年間世界記録を過去100年間分グラフ用紙にプロットし、150年後には女性が男性を追い越すとの奇妙な論文を、今やギネスと並ぶほど有名になった英国の科学技術雑誌ネイチャーに、今秋発表した。何故女性の方が短距離のスピード向上率が高かったのか、の要因分析をせずに、外挿で遥か先の未来を予測しても何の価値も無い。彼は横軸に西暦を設定し縦軸に走行時間をプロットして右肩下がりの近似直線を引いただけだ。彼の予測直線をそのまま外挿すれば、何と横軸すら切ることになる!
   
   この予測法が成立するのであれば、私は66歳まで無事に生きてきたから、何時までも生き続けられる、と言えることにすらなる。本人の真意はイギリス式のジョークなのか、本気なのか、私には皆目見当もつかない。私が最も嫌いな人間とは、肩書きで装飾された賢者の仮面をかぶった、この種のぼんくらだ!
 上に戻る
予測精度の高い分野(90―99%)

  @ 選挙での当落予想
  
   選挙のつど、各マスコミが開票前に発表する候補者の当落予想が良く当たることに感嘆している。最近始まった出口調査の精度は信じがたいほど高くなってきた。総ての有権者が本心から信頼する立候補者を有し、変心することも無く、マスコミからの質問にも正直に答えてくれるのならば、500人も抜き取り調査をすれば、『大数の法則』が成立する限り、統計学上は95%以上の精度で当落を予測できるのは自明だ。

   しかし、日本でも地域とは利害関係の無い賃金労働者が激増すると共に浮動票が増えたので、投票日の気分次第で投票予定候補者を変える人が多い筈、と推定していた私は、選挙の当落予想は外れやすい、と愚かにも長い間確信していた。しかし、こんなに正確に当落予想が当たることがわかれば、事前の選挙運動や買収活動が激しくなるのは理の当然だ。

   一方、当落予想が当たり過ぎると、投票に出かける意義に疑問を感じる人が激増するのか、我が国ではインテリが相対的に集中している都市部での棄権率は高まる一方だ。選挙への国民的な関心を盛り上げて投票率を高め、国民の総意を政治に生かせるための最善策は、マスコミは勿論のこと、関係者全員に当落予想活動を禁止することではないかと、思いたくもなる。
   
           上に戻る
予測精度のやや低い分野(50―90%)

@ がん患者の余命

   胃がんの主治医に私の5年生存率を初対面で質問したら80%と答えた。食道がんの主治医にも初対面で食道がんのみを考えた場合の5年生存率を聞くと70%と回答。それぞれのがんは独立に発生した(がん細胞の種類が異なっていたので、一方からの転移ではなかった。がん細胞には転移先でも原発がんと同じ種類のがん細胞が増殖するとの性質があるので、抗がん剤でも原発がんの治療と同じ物を転移先のがんに使う)ので、私の5年生存率は両者の積である56%と覚悟していた。

   しかし、この数値を使って 5年*56%=2.8年 と計算しても2.8年は我が余命の推定値(統計学で使う期待値の意)にはならない。何故ならば仮に5年後の生存率が100%の場合、5*100%=5 との意味は、5年間は死なないというだけであり、5年以内に死ぬという余命の意味とは異なるからである。

   私が最初に入院した4人部屋の先客である3人の患者の内、既に2人が永眠した。私は我が主治医だけではなく、部屋へ毎日出入りしていた同室患者の主治医(患者の出入りは頻繁なので主治医の総人数は多い)を捕まえてはいろいろな質問をしたが、余命の推定法についての論理的な計算方法を答えた医師には出会えなかった。

   結局の所、生存率の計算と余命の推定とは別の概念である、とやっと気付いた。1年以上の余命が見込まれる患者にはまだ寛解の可能性も残っているから、生存率で議論する方が妥当だ。

   しかし、可能性のある総ての治療法を投入しても尚、病状に回復が見込まれないと診断された場合は、過去の事例から必ず死に至ると予想されるので、主治医は患者や家族に余命の宣告をしているようだ。

   推定される余命期間としては、何故か1,3,6,12ヶ月が良く使われていた。5や7は聞かなかった。工学の世界では『標準数』の概念で無数の標準規格が作られているが、医学の世界でもある種の標準数が自然発生的に使われているのだろうか? 余命として使われる数列に、ふと標準数の匂いを感じたのだが・・・。
   
   
   蛇足
   
   標準数とは、例えば白熱電球には20W,60W,100Wなどはあるが、70W,90Wなどが無いように、それぞれの分野で使いやすくて覚えやすいと考えられた数列。物理的な意味は無く、整数論に出てくる特殊な数(例えば素数、双子素数、6などの完全数ほか)とも無関係。テレビのブラウン管のサイズ、ネジの規格、紙幣の額面など、その世界に特有なものとして設定された数列。厳密な定義はない。
   
   
   食欲が無くなった寝たきりがん患者の余命は大変短い。点滴のみでは長期的な体力の維持は難しいからだ。余命が主治医の口から出てくるようになったら、患者間の個人差が大きい余命の数値には最早然したる意味は無く、患者に向かって『貴方は必ず死ぬ』との宣告をしているのと同義であることに気付いた。

   我が同室の50歳代の胃がん患者に、主治医は本人には後1年、奥様と一人娘のお嬢さんには半年と告げた。開腹後に多臓器への転移を発見した主治医は家族の了解のもとに手術を中止し、本人には微(かすか)ではあっても希望を与え、家族には真実を伝えたのは明らかだ。『仕方が無い』との本人の悲痛な言葉が痛々しく思い出される。

   振り返ってみると、我が主治医達は揃いも揃って私に余命は後いくらとは今尚、宣告していないことにふと気付いた!
   
   
蛇足。

   平成16年10月21日に久しぶりに通い慣れた愛知県がんセンターに出かけて、食道がんの主治医の診察を受けた。胃がんの主治医からは我が退院時に『私の仕事はもうありません。今後は放射線治療部長の不破先生が石松さんの主治医です。私に用がある時は不破先生が私に連絡されるから、ご心配なく』と言われていた。

『先生、自覚症状も体調の変化も全くありませんが、治療後1年半たったので、そろそろ再発や肺への転移があるのではないかと心配しています』
『貴方の場合、心配だったのは治療後、半年〜1年のころでした。もう山は越えたと思います。過去4回のマーカー値にも異常はありません。念のために首周りのリンパ節を触診でチェックしましょう。あ、ここにも異常がありませんね』
『異常が無くても、腫瘍マーカー・内視鏡・ルゴール染色法・PETによる検査は受け続けたいと希望します』
『腫瘍マーカーは然して当てにもならないし、最早その検査は不要と思います。食道がんの再発確認は内視鏡での直視とルゴール染色法で十分です。肺がんの検査はCTとPETの併用がベストですね。内視鏡の検査で都合が良いのは何時頃ですか?』
『11/16〜12/2には欧州へ行くため、その前後で、スポーツ日の水土日以外は何時でも構いません』
『では12/6(月)を予約します。医師は誰でも良いですか?』
『いえいえ! 最も経験年数の長い方を希望します。医者とは職人と思っているからです』
『それでは、今までいつもお願いしていた澤木先生(日本消化器内視鏡学会評議員)に頼みましょう』と言って、澤木消化器内科医長に電話されたが不在で、連絡は取れなかった。
『予約は確実に出来たのでしょうか?』
『パソコンで予約したから、大丈夫です。出張の可能性もあるから、念のために確認しようと思っただけです』
『ところで、内視鏡検査のときに全身麻酔注射を希望しますか? 私は先日、麻酔注射をする内視鏡検査を初めて受けましたが、大変楽でした。検査終了後直ぐに目覚めて歩けました』
『今まで、愛知県がんセンターでは麻酔を掛けると、内視鏡使用時に医師の操作ミスが万一起きた場合、患者が発する生体反応が確認できず危険だから、昔ながらの喉の麻酔だけ、と聞いていましたが』
『何かの聞き間違いです。どの医師の場合でも、患者は好きな方式を選択できます。喉だけの麻酔方式では、操作ミスが起きると患者が暴れて却って危険です。麻酔注射の方が安全ですよ』
『放射線治療の腔内照射に先立つ食道へのチューブの挿入は地獄の責め苦のようなものでした。あの苦しさに比べれば、従来の内視鏡検査でも楽チンそのものですが、それでも最近普及し始めた麻酔注射方式を希望します』との経緯で、無意識下の内視鏡検査は初体験になる。ああ、やっとあの苦しさから開放されることになった! 
『12/6日は8:30から検査、その検査結果を11:00に聞いた後、CTとPETの予約をします。ピンポイントの精密検査は来年になってからでも充分間に合います。ところで、欧州はどちらへ?』
『独・仏・オーストリアです。長女一家が5年の駐在を終えて来年1月に帰国するための、駆け込み旅行です』
『羨ましいですね。私達にはそんな時間は取れませんね』
『年金生活者だからですよ。お金はありませんが、時間はたっぷりとあります』
『それにしても、石松さんは元気ですね!』との言葉がごく自然に出てきた。
『先生たちのお蔭で元気になり、今年はロシアにも行ってきました。有難うございました』

   診察室の前の廊下は待合室を兼ねており、壁際に長椅子が置いてある。其処で見かける患者は、痩せこけてよろよろしながら歩くか、点滴スタンドを杖代わりにしながら力なくとぼとぼと歩くか、看護師か付き添いの家族に車椅子で連れてこられるか、一見して本物の重病人と解る人が多い。私は何時の間にか自らが場違いな存在に思えてきて、居心地が悪くなり始めた。しかし、主治医の『元気ですね』との一言が嬉しかった。

   何時の間にか、主治医と私との会話には、今後の生存率や余命論議は消滅していた。今回の15分間くらいの診察費は、たったの220円だった。

 A 人口増減率

   日本で少人化論議が始まって既に久しい。ある人口学者は現在の出生率が維持されると、何年後とかには日本の人口はゼロになる、との単なる機械的な数値計算結果を恥ずかしげも無く発表している。

   人口は無限に増殖する筈も無ければ、無限に減少することも無い。出生率はその時々の社会環境で変わってきた。歴史的に見れば、人口は戦争・飢饉・伝染病で調整を繰り返えされてきた。人口が減れば必然的に増加政策が投入されるから、何れは反転する。

   総人口は社会全体が快適と感じる数に収束するだけのことだが、この超過密日本では幾らが快適人口か誰にも分からない。技術の進歩によって快適な適正人口も変わるからだ。私自身は現在から半減すれば、日本も随分と住み心地がよくなると思ってはいるが・・・

   過密人口状態だからとの理由で、元気に生まれてきた子供を昔のように間引く(日本での間引きの習慣は、昭和初期の世界大恐慌の頃まで続き、東北地方の農村部を最後に消滅したが、気楽に中絶する悪習は残念ながら依然として今尚残っている)事は許されないので、快適人口数に収束するのは、何世代もの時間が掛かるプロセスになる。

   出生率の変化の長期予測は、物理学の世界ではないので理論的な方程式も存在せず、誰にもわからないが、国民の価値観の変化には慣性の法則が働くので急変は起り難い。従って10年後まで位の人口変化率は高い精度で予想できる。
                               上に戻る
予測精度の低い分野(10―50%)

  @ 経済成長率

   毎年、新年には銀行を初めとしてあちこちに乱立している自称経済研究所が、当年の経済成長率を発表しているが、継続して当て続けるほどの超能力を感じさせるような研究所の例は寡聞にして聞かない。外れるのが当たり前だからだ。これらの研究所にどんな存在意義があるのだろうか? 溺れる者への藁くらいの価値はあるのだろうか? 私には穀(ごく)つぶしに思えるだけだが・・・。

   彼らはそれぞれが開発した国民経済モデルを使って経済指標のいくつかを予測しているが、国民経済モデルと尤もらしく名付けても、過去の経済現象を数式で近似した単なる多元線形連立方程式に過ぎない。未来が過去と同じ経済現象の延長にあれば予測精度は必然的に高まるが、経済現象は自然現象と異なり、人為的な影響を受けやすい。

   彼らの予想結果が毎年のように外れるのは、石油ショック・戦争・テロ・税制など未来の未知なる大事件や政策変更を、予め経済モデルに組み込んだ上で、その影響まで考慮に入れて計算を実施することは原理的に不可能だからだ。その点では、天気予報の精度ほどにも達しない。

   彼らは常にコンピュータで計算したと称して、恰も正しい計算をしたかのように装って発表するのが常だ。彼らは正に『コンピュータの衣を着た狐』の現代版だ。

   過去の国民経済モデルを如何に正確に構築したとしても、為替レート、公定歩合の変更、賃上げ率、原油価格など大変重要ではあるが確定していない未知数も何とか無理矢理仮定して計算せざるを得ない。私にとってはシミュレーション結果としての、経済成長率や貿易収支額などの経済指標よりも、彼らが個々の未知数を幾らと仮定したのか、何故そのように仮定したのかをこそ、聞きたいのだが・・・

  A 株価

   毎日のニュースには必ず株価の報道がある。長い間マスコミは日経平均株価を平均株価と呼んで日経新聞社の宣伝になるのを避けていたが、何の風の吹き回しか現在では管理者たる日経の名前も冠するようになった。

   これほど国民的な関心がある株価情報であっても、的確に未来を常に予想できる人はいない。世の中には掃いても捨て切れないほどの著名なアナリスト、経済学者、金融関係者、証券関係者などが溢れ、あちこちで株式講演会が開かれているのに! 私はこの種の講演会には行かないことにしている。未来が真に予見できると豪語する先生ならば超大金持ちになれる筈なので、せめて馬子にも衣装の出で立ちで演壇に颯爽と登場して欲しいのに、貧相な顔つきと安っぽい背広姿で現われるとがっかりするからだ。

   大型ヘッジファンド『ロング・ターム・キャピタル・マネジメント』は1997年にノーベル経済学賞を受賞したスタンフォード大学のマイロン・ショールズ教授とハーバード大学のロバート・マートン教授の2人をブレーンに雇って、一種の信用取引に乗り出し、1998年8月に起きたロシアの通貨危機で48億ドルの資産を一瞬の内に6億ドルに激減させて破綻した。
   
   このとき、財テクの神様として一時は有名だったジョージ・ソロスも自ら運用していたファンドで20億ドルの損失を出した。低成長時代を迎えた世界経済での株式市場はゼロサム・ゲームに近いが、一体誰が大儲けをしているのだろうか?
   
   彼らの敗因は過去の経済変動と同じ性格の経済変動が未来にも現われるとの立場を取ったことにあった、と後講釈されている。ルーブルの大暴落は過去のデータからは予想できなかったのだ。そうだとすれば株式市場の性格に関しては、明らかに無知蒙昧だったことになる。

   近代経済学を創始したケインズ(1883〜1946)にも株価の予想が出来ず、苦し紛れに『株価の決定プロセスは美人投票と同じだ』との名台詞をこそ吐いたが、これでは『株を買う人が多ければ、その株価は上がる』と言っているだけで、ノウハウにも値せず、投資家(投機家?)には何の役にも立たない。

  B 為替レート

   株価と同じように為替レートも連日リアルタイムで報道されている。戦後1ドル=360円の固定相場が設定された頃、今日ほどの円高を予想できた人は一人もいなかった。我が記憶に寄れば、何れ円高になると予想したのは松下幸之助氏が最初だ。円は何れ2割は高くなると氏は予想したが、何とその一年後くらいに1ドル=308円になった。経営の神様の名に恥じない方だ。

   海外旅行は勿論のこと、海外出張にも無縁だった頃、アメリカ帰りの経験者がアメリカの物価高に驚いて1ドルの価値は日本での100円の価値しかないと報告する例が流行していた。旅行者が米国でお金を使う対象としてはホテル代や食事代などサービス業が中心となり、それらの物価指数は、基本的には人件費のウェイトが高くなるから彼らの実感は当然の結果でもある。

   しかし、日本の人件費も急上昇した現在では、日本の消費者物価も暴騰し、購買力平価説(消費者物価指数に近い)で計算すれば、1ドル=130〜150円になるとの説までも横行している。米国人から見れば昔は1ドルが日本に来れば360円の価値があったのに、今や半分ほどの価値もないと嘆くことになる。
   
   我が外国人の友人達に日本に遊びに来るようにと誘っても『日本の物価は信じがたいほど高い。日本に行くという事は、お金をどぶに捨てに行くようなものだ。同じお金を使うのなら、別の国に行きたい』と、異口同音。これでは政府が観光立国を幾ら叫んでも、外国人観光客数が年間1000万人を突破するのはいつのことやら!

   為替レートは貿易財(卸売物価指数に近い)の労働生産性を基礎におく国際競争力で概ね決まり、サービス物価の比重が高い消費者物価指数は賃金指数に影響されるのは理の当然だが、日米の賃金指数も貿易財の労働生産性も接近した現在では、日本のサービス業への規制緩和が進めば進むほど、購買力平価説でも徐々に貿易財の交換レートに収束するのは時間の問題だ。

   我がある友人は毎月配当金が出るタイプの米国の投資信託を買った。利回りが数%もあったらしく、年金が毎月10万円増えたようなものだ、と言って喜んでいたのも束の間のこと。急激な円高に見舞われ、元金の目減りと円とドルとの往復の変換手数料負担もあり、何の意味も無かったとぼやいた。

   米国の国際収支は万年赤字、日本政府の国債残高は激増の一途の中で、官民の関係者はあれこれと為替レートの根拠無き未来予測を繰り返しているが、果たして信用している人がどれほどいるのだろうか? 
   
   私は1ドル=360円の固定相場の発足以来、対円で切りあがった海外の通貨は一つも無いので、ここは過去のデータが未来を予測できる分野と自己都合で解釈し、外貨預金は幾ら人に勧められても一切せずにきた。海外旅行でも最小限の外貨しか持ち歩かず、纏まった買い物は総てカードで処理した。余命いくばくもなくなると、為替レートまで考える人生には関心がなくなったのも一因だが・・・


蛇足

   ケインズは為替投機で失敗した。以下はインターネットからの検索記事。

   ケインズは、経済情勢の分析に非常に自信を持っていて、当時の情勢としては、ドルが上昇してマルクが下落すると確信していたため、『ドル買い、マルク売り』という方針で為替投機に臨んだ。先行きの見通しはズバリと当たり、ドルは上昇し、マルクは下落したのにも関わらず、ケインズは失敗した。

   失敗の理由は信用取引で相場を張ったことにあった、相場が一時的に『ドル安、マルク高』に戻す動きになった時に、一気に窮地に陥ってしまった。両親に尻拭いをしてもらい、破産はまぬがれたが・・・
   
                               上に戻る
予測精度の極めて悪い分野(0―10%)

  @ 東南海地震の発生日

   地震の発生原理は既に解明されている。地震とは、プレートの移動によって引きずられて行く地殻に圧縮エネルギーが蓄積され続け、地殻に降伏点を超える応力が発生するとせん断破壊されて弾性エネルギーが機械的エネルギーとして放出される結果、地殻が振動する自然現象だ。

   プレートの移動は地震発生後も不断に続いているため、弾性エネルギーが地殻の破断と共に解放され一時的には消滅しても、また蓄積される結果、地震は間歇的に発生することになる。従って東南海地震も必ず再発する筈だが、地殻の構造は均一ではないため、プレートの移動は天体の運動に比べれば遥かに不規則になる。従って地震の周期は毎回少しずつ異なるし、統計学だけでは日食のような精度の高い予測はできない。

   材質が均一な物質の破断試験すら、降伏点の応力測定にはばらつきが発生している。いわんや均一物質とは無縁な、各種物質の混合からなる地殻の破断時期の予想は、現在の材料強弱学や地震学の知見だけでは無理、と私は断定している。地震の高精度な予知が可能となる画期的な原理の発見が求められている世界だ。

   地震学者は地震の予兆が発見できる筈と強弁して、全国的な観測網を百姓仕事(耕地面積が一定の場合、投入労力を増やせば増やすほど労働生産性は落ちるにも拘らず、時間があるからとの理由で闇雲に働くような仕事の進め方の意。真面目だが知恵の足りない人が衆目の評価を気にするがあまり、苦肉の策として得てして採用しがちな仕事や研究の進め方。何処でも馬鹿ほど、忙しい、忙しいと言うのが常)のように張り巡らせているが、本質的な成果は未だに挙げていない。
   
   精密な無数の地震計のお陰で微々たる地震も検知されるようにはなったが、『何処其処で、これこれの地震が発生しました。津波の心配はありません』とのメッセージを毎回、自動的にテレビで字幕放映するだけだ。無害結果の報道だけなら邪魔臭いだけで、意味のある成果とは評価しがたい。
   
   とは言え、地震計をあちこちに設置した結果、富士山で冬に発生する地震の原因が分かったそうだ。朝日新聞のホームページに寄れば『富士山で毎年冬、謎の地震が発生する。山頂に立つ人も気付かないほど微小な揺れ。発生の詳しい仕組みや震源は分かっていなかったが、山頂直下で水分が急に凍って膨張し、岩石を破壊するのが原因と見られることが気象研究所などの解析でわかった。本年10/19に静岡市で始まった日本火山学会秋季大会で発表される』。
   
   私は地震予知対策としては、活断層がある場所を重点的に選んで、国土地理院が設置している三角点のような多数の観測点を設定し、高精度なGPSでその経年移動量を三次元で計測すると、有意な情報が得られるのではないかと思っている。地下のプレートの移動に引きずられて、観測点が少しずつ移動し、ある臨界点(降伏点)に達したら地震が発生すると考えられるからである。
   
   当然のことながら、こんな百姓仕事に過ぎないへぼ提案は既に実施されていると思ってはいるが、実情は知らないままだ。それにしても米国異存のために軍事機密の網を被せられ、GPSの貴重な精度をわざわざ落とされているのが情けない。約20年前、原材料や部品の搬送のために無人搬送車を導入すべくGPSの活用を検討したが、利用可能な精度が悪く、工事費が掛かる電磁誘導方式で我慢せざるを得なかったが、他力異存の虚しさを痛感したものだ。
   
   臨界点に達するのは地下の震源地なのだから、地表の観測点はその代用に過ぎず、予知の精度は落ちるが、cmレベルでの三次元的な移動量を可視化すれば、人間の直感も働きやすいのではないかと思ってはいるが・・・

   勿論、仮に地震の大きさ&強さや発生日時が予測できても、地震による破壊力を減少させる事はできない。せいぜい掘っ立て小屋から脱出して安全地帯に逃げ、人命損傷を少なくするのが関の山だ。結局の所は地震が起きても破壊されない強度のある家屋やインフラを構築するのが、現在取り得る最善の道だ。そうすれば地震など何ら怖くも無い。

   丁度30年前に我が家を建てるとき(昭和49年12月7日竣工)に、鉄筋と生コンは当時発表されていた日本公団住宅の設計基準の2倍を使うようにと一級建築士に指示した。建築士は『無駄!』と言ったが、『お金を払うのは私だ!』と言って断行した。その後、建築基準法の耐震基準が見直され、大幅に強化された。我が判断は正しかったのだ!

   そのときに心配したのは地震ではなく、酸性雨によるコンクリートの劣化とアルカリ反応によるコンクリートの膨張破裂だった。前者は壁面に防水モルタルを塗布後、防水リシンを吹き付けて防衛。後者は中部地方の山砂では発生事例が少ない、との情報を信じる以外に対策は取れなかった。

   2年前にリフォームした折に、セントラル冷房を撤去し、エアコンを取り付けた折に各部屋の壁面に直径10cmの孔を開けた。そのときに取り出した円柱状のコンクリートのどの塊にも劣化の後は全く発見できなかった。やれやれ! 個人的な未来予測を確認するために、30年近くも掛かってしまった。


蛇足。

   平成16年10月23日17時56分過ぎに、新潟県中越地方で直下型地震が発生し、上越新幹線では200Kmで走行中の列車の一部が脱線、一部の車両は30度も傾いた。上越新幹線では20Km間隔に地震計が16基設置され、設定値以上の地震を感知すると送電を自動的に停止し、非常ブレーキを掛けるという安全対策が採用されている。
   
   この安全対策の考え方には根本的な欠陥が含まれている。地震の予知ができないからと言って、地震の発生を検知した後に対策を取るのでは、手遅れになる可能性があるからだ。震源地が遠い場合にはブレーキは間に合うが、走行中の車両の直下で大地震が発生すれば、ブレーキが間に合わないのは火を見るよりも明らかなのは、今回の脱線事故でも証明された。
   
   阪神淡路大地震では格納庫内で停車中の新幹線車両でも脱線が発生した。仮に地震を感知して車両を止め得ても、脱線対策としては完璧ではない。それでも走行中の列車を全部停止できれば、反対方向から来る車両との衝突を防止できるという、別種の大きな価値だけは残っているから、総てが無駄と言うわけではないが・・・。今回は幸にも対向列車も停止し、最悪の惨事を招く正面衝突だけは避けられた。
   
   根本的な安全対策とは、想定される最大級の地震が発生しても、走行を停止する必要のない鉄道技術の開発にある。大地震のない英国で生まれた、レールの上で回転する車輪が車両を牽引する、という現行鉄道システムの概念そのものに根本的な欠陥が含まれているように、私には思えてならない。
   
   地下街が地震に対して地上部よりも相対的に安全なのは、地盤と地下街とが一体となって振動するために、地下街の構造体の破壊に繋がる慣性力が作用し難いためである。地上の建物の場合は、地上部の構築物の上部は自由端となり、周囲に拘束されることも無く慣性力で自由に振動できるため、建物への破壊力が発生している。それ故に高架鉄道の軌道面の振動は、地上部を走る鉄道よりも当然の結果として大きくなると推定されるのが自然だ。
   
   車両に上下動として980ガル(=1G、重力の加速度に同じ)以上の加速度が作用すると、瞬間的には車輪とレールとが離れる現象の発生を否定できない。両者が構造上連結されていないからだ。今回のように2515ガル(山口町)もの最大加速度が発生したにも拘らず(阪神淡路大地震では818ガル)死者が出なかったのは、直線部分での走行時に地震が発生した天佑による所が大きい。曲線部だったら大惨事になったと予想せざるを得ない。
   
   レールの断面を現在よりも大きくし、車体からぶら下げた腕の先端に案内用の補助車を取り付け、レールの垂直部分を補助車で挟みながら運行すれば、地震が発生しても、車両とレールとが離れず、格段に安全になる。レールを挟む車には駆動力は不要だし、車体の重量を支える必要もない。安全のために取り付けるだけの車だ。
   
   しかし、壮大なインフラシステムはひとたび建設されれば、この程度のへぼアイディアで再構築するのは勿論不可能だ。脱線防止のために補助レールを取り付ける案は、大昔から提案されてはいるが未だに採用されていないのには、どんな問題が含まれているからなのだろうか?

   今回、後部の車両に脱線が多発した原因としては、ブレーキの掛け方にも疑問が感じられる。非常ブレーキと雖も、先頭車両には軽く後部車両ほど相対的にブレーキの作動力を高めるような傾斜システムは不可避だ。そうすれば、編成車両全体には引っ張り力が発生するが、その逆の場合は、前部の車両よりも相対的に大きくなる後部車両の慣性力のために圧縮力が働き、中間の車両を左右にはみ出させる力が発生する。挫屈に似た現象だ。

   10月31日現在、地震の発生後に列車が脱線した時刻、運転手が非常ブレーキを掛けた時刻、送電を停止した時刻、JRご自慢の安全システムが非常ブレーキを掛けた時刻すら発表されていない。大組織の中で新幹線神話に40年も埋没していると、人は井の中の蛙に退化するようだ。外の世界で貴重な安全技術が使われていても、見向きもしなくなるのだろうか?

   航空機にはフライトレコーダーが搭載されている。航空機事故が発生する都度、フライトレコーダーが事故解析にどんなに役立ち、航空機の改良に役立ってきたことか! 地震計では設置された場所だけの情報しか取れないが、フライトレコーダーでは走行中の3次元の加速度成分を初めとして、移動中の無数の情報が連続的に全部記録されるのに。大型車だってタコメーターが取り付けられているこの時勢に、JRの関係者の安全対策意識への鈍感さが情けない!


  A 人間(生物)の進化

   ダーウィンの進化論は地球での生命誕生以来の、生物の変化の原因を尤もらしく説明しているだけだ。これこそ、結果論の最たるものだ。結果論は殆どの場合、未来論とは無関係だ。進化論は10億年先の生物の姿を論理的に予測できないだけではない。1秒先の生命の変化も予測できない。沈黙しているだけだ。

   人類は過去数百万年の間に、猿人・原人・旧人・新人へと変化してきたが、次の世代の新・新人とはどんな人類なのか。適者生存の原則が働いて、次世代の人類は病気への抵抗力が強くて長生きはするが、ぼんくらになるのか、その逆になるのかすらも、進化論は何一つ的確には答えられない!

   今年、ドイツで怪力幼児が写真付きで報道された。遺伝子に異常があり、蛋白質の量が2倍になったのだそうだ。母親が東ドイツで筋肉増強剤を飲んでいる間に、遺伝子が狂ったとも言われている。アメリカでは筋肉の量が2倍もある牛が発見されたそうだ。

   いずれ、怪力人間が生き残るのだろうか? 
   
  上に戻る
おわりに
 
  昨秋、長男の婚約者の父ががんで永眠した。法事の席で奥様から、『医師でもあった主人は死が免れないと悟った時、生前お世話になっていた知人や友人を元気なうちに訪ねて、死ぬ前の挨拶をしました』と報告され、飛び上がるほどの驚きと感動を禁じ得なかった。がんを患って以来の私は『死ぬ準備』は開始していたが、『死ぬ前の挨拶』をする等とは思いついてもいなかったからである。

   早速、私は長男の義父の真似を始めた。今までに

@ 小・中学校の友達グループ(名前は竹馬会・8名)
A 中学校の、@とは別の友達グループ
B 中学時代、ラジオの組み立て方を教えて貰った近所の大先輩
C 高校の友達グループ
D 中・高校の同期+後輩グループ
E 九大教養部のクラスの友達グループ
F 九大航空工学科内の友達グループ
G 命の大恩人。胃がんの名医を紹介してくれた福岡市中洲の飲み屋『リンドバーグ』のママ、藤堂和子様
H 東海地区在住の出身高校同窓会
I トヨタ自動車内の九大同窓会
J トヨタ同期入社の37年度会(昭和37年に入社したの意)
K 両親の親戚(叔父・叔母一家の子孫、つまり従兄弟や従姉妹)

への挨拶は取りあえず完了した。これらのグループの会合には、今後は気が向いたときだけの不定期参加に変更することにした。

   しかし、まだまだ、死ぬ前の挨拶をしなければならないと思っている方々やグループはあちこちに残っているが、懇親会などが計画される度に押しかけては、挨拶を済ませる予定である。行き当たりばったりの自分勝手な計画だ。
   
   その中には思い出すだけでも、下記のグループがある。その一つひとつとの出会いのたびに死ぬ前の挨拶が済んだ後は、お付き合いの範囲を車での日帰り可能圏内に徐々に縮小する予定である。

@ トルコでの企業化調査で苦楽を共にしたトルコ人のエンジニア・5名
A インターネットの掲示板で知り合った静岡県の会社社長とその友人達・数名
B インターネットの掲示板で知り合いになり、メール交換はしているものの、まだ会ったこともない大分県のビジネスホテルの社長。小学校高学年の社会化の教科書に氏のボランティア活躍が顔写真入で紹介されている方
C 単独参加のロシア旅行の相部屋で交互に寝食を共にした仲間・2名
D ロイヤル石松会のゴルフ仲間24名・死ぬ前の挨拶は、暫くは保留
E 加茂石会のゴルフ仲間25名・・・・暫くは保留
F 温泉ゴルフ年3回の仲間8名・・・・暫くは保留(名前だけでもと、賢人会)
G ナイスプレイテニスの仲間21名・・暫くは保留
H 小学校同期同窓会・・・・・・・・・平成17年
I 中学校同期同窓会・・・・・・・・・平成18年(今年は結婚式と重なり欠席)
J 関東地区出身中学同期会・・・・・・平成17年
K 関東地区出身高校同期会・・・・・・平成16年12月4日
L 九大教養部クラス会・・・・・・・・平成17年5月(阿蘇で懇親会&ゴルフ)
M 九大航空工学科同期会・・・・・・・平成17年5月(懇親会&万博見物)
N 小学校〜大学までの一部の恩師・・・帰省の折々に
O 現役時代の社内外の仕事仲間・・・・ほんの少人数!
P トヨタ自動車内の九大OB会・・・・暫くは保留
Q トヨタ同期内の親しいグループ・・・全員が古希を迎えた時(名前はスター・ダスト=宇宙の塵みたいな些細な存在の意・8名)
R 隣組の懇親会・・・・・・・・・・・暫くは保留
S 私達夫婦と子供達の親戚・・・・・・暫くは保留
   
   トヨタ先輩のあるテニス仲間は『死ぬ前の挨拶を、趣味にしているの?』と私に質問したが、多重がんを患った私は冗談で実施しているのではなく、真剣そのものなのだ。ここまで挨拶を済ませてきたら、人生の肩の荷が何とは無く軽くなってきたように感じてきた。

   上記のリストを作りながら、我が人生で最も長い間、しかも真剣に過ごした筈の社内外の仕事仲間である『ゲゼルシャフト(利益社会)』には、死ぬ前の挨拶の対象者が少ないことに気付いた。現役時代、毎年100〜200枚は名刺交換をしていたから累積すれば社外にも数千人の関係者がいたことになる。しかし、その時々の仕事が完了するたびに殆どの方々とは疎遠になり、名刺も廃棄した。現在ではほんの少数の方々と年賀状の交換が続いているだけだ。

   今後もお付き合いを続ける仲間は、時間の経過と共に下記のような『ゲマインシャフト(共同社会)』に収束しそうだ。これが、人生と言うものか! 世界には63億人もいると言うのに、人生の貴重な一瞬一瞬を対面しながら、同じ目的で時間を共有している方々は下記の@AB。合計しても高々100人。多分、原始時代や縄文・弥生時代と然して変わらない人数だ。人それぞれ、気持ち良くお付き合いができる人数には上限がありそうだ。

   今更ながら、人間社会をゲゼルシャフトとゲマインシャフトに分類した、ドイツの社会学者『テンニース』の偉大さに驚いた。

@ 趣味としてのスポーツ仲間
A 細くではあっても長い間、お付き合いが続いている少数の友人
B 近所の方々や親戚など、地縁と血縁の世界


C 年賀状仲間(一部はメール仲間と重複している)
D メール仲間

   年賀状に毛筆で謹賀新年、と床の間を背に正座して一日がかりで書き続ける作業も段々と負担に感じてきたので、運良く古希まで生き延びられたら、そのときに発信枚数は半減する予定。最後まで続いた年賀状仲間への死ぬ前の挨拶は省略し、遺族が発信する『喪中の葉書』で代用。

   メール仲間にはお会いした上での挨拶は省略し、元気なときに充分に推敲した『死ぬ前の挨拶』をパソコンに保存し、死の直前、文字通り余命1ヶ月との宣告を受けたら、全メール仲間にワンタッチで挨拶文を発信しようと思っている。  

   今回、長女一家の呼びかけで、ドイツへ11/16〜12/2まで、死ぬ前の旅行に出かける予定だが、荊妻は12/10に帰国する予定。私は12/4に銀座で開かれる出身高校の関東地区の同期会で、何としてでも死ぬ前の挨拶をしたいと思い、一足先に帰国することにした。爽やかな笑顔で挨拶をしたいがために、時差の解消も兼ねて僅かに1日だけだが前日に休養日も確保した。

   我が余命はどの程度あるのかと模索しているうちに、未来予測精度に関心が移り、その対象分野への我が考察を取りまとめ終えたら、何時の間にかまた我が余生の過ごし方へと、関心はブーメランのように舞い戻ってきた。とうとう、吹雪の中で道に迷った挙句、堂々巡りをしている迷子に似てきた。
   
   とは言え、迷いながらも死ぬ準備の一環作業として、死ぬ前の挨拶計画までも出来上がってしまった。結局の所、我が人生を総括すれば、ゲマインシャフトに育まれ、ゲゼルシャフトで齷齪(あくせく)しながら生き延び、最後は意心地のよいゲマインシャフトに舞い戻ったことになる。
   
   でも、我が人生の今後だって、世に溢れる未来予測の例外になり得る筈はあるまい。完璧を期した筈の死ぬ準備にも多くの予測違いが発生する筈、いや狂わせて見せる、と微かな期待と決意も新たにしながら、ぼんくらレポートの筆を措く。
   
   賢人各位、よい年をお迎えください。
   
                               上に戻る