本文へジャンプホームページ タイトル
旅行記
           
日本

温泉旅行事始(平成22年4月25日脱稿)

   平成21年夏(7/31~8/20)に南部アフリカ11ヶ国の旅に出かけ、先住民の日常生活に接し、彼らの満ち足りた人生の過ごし方に強い感銘を受けた。

       その真似をすべく帰国後『知足生活に突進』(ホームページ⇒随想⇒知足生活に突進)へと人生の舵を徐々に切り替え始めた。

上に戻る
はじめに

   平成21年12月、ふとした折にテレビで『トクー!トラベル』の存在を知り、早速1年会員になった。平成22年は試行期間と考えて毎月第3月曜日に近辺の一泊温泉旅行に出かけるべく、善は急げとメールで仲間を集めてささやかな温泉旅行を開始した。
                                                                                                                                                             上に戻る
仲間の募集

平成22年1月2日
                                                                                             石松良彦

ロイヤル石松会
加茂石会
ナイスプレイテニス


        温泉旅行希望者の募集


[1] はじめに


   私は昨秋より『知足余生』へと突進開始。今年からは日曜のゴルフ(今まではクラブ競技やメンバーズタイムとか、色んな仲間に誘われて2-3回/月)は中止し、ゴルフとテニスは全ての水土のみ、しかも12-2月のゴルフは寒さ回避から止めました。

   その結果得られたゆとり時間は東海・甲信越を中心に快適で且つ安価な温泉に出かけて、賢人各位とのおしゃべり・飲食・温泉を楽しむことにしました。

   それだけではまだ不満なので自宅には露天風呂を作るべく業者と相談中です。露天風呂の入浴長時間記録はパムッカレ(トルコ)の2時間ですが、自宅だとビールも飲みながら極楽浄土の極みとばかりに、3時間はのんびり余生を楽しみながら過ごせるのではないかと・・・。
   
[2] トクートラベル

   昨年12月のワイドスクランブル(昼間のテレビ番組)でトクートラベルを知り、直ちに一年会員になりました。しかし、私は未だ未体験です。

http://www.tocoo.jp/UserUI/do/uTop010Init.aspx?asp_id=0

   現在の会員数は90万人(目標は200万人)、契約ホテルや旅館は3,000軒(目標は1万軒)。1年間の限定会費(継続は勿論可能)は5,250円。従業員50人程度のミニ会社ですが約10年の間に業績は急上昇中だとか。

特徴
① 契約宿泊業者は宿泊日が接近するにつれて、通常価格を値下げし宿泊当日になると20-70%引き。予約は会員がトクートラベル経由で実施。手数料は不用。会員一名につき2部屋まで。同行者も宿泊料金は会員と同じ。

② 宿泊料はトクートラベルに届出済みの私のクレジットカードによる一括払いが主。

③ 宿泊業者はトクートラベルには紹介手数料は一切支払わない。部屋を遊ばせるよりも安売りした方が助かるとはいうものの、安売りする部屋数は1-3部屋程度。収入減少分はリピータ期待の宣伝費と考えているとか。

私の解釈⇒部屋代はクリーニング代やアメニティ(歯ブラシとか・・)以外は実質無料。食費(原材料費、調理代)に関する従業員の増加人件費はゼロとの経営判断??

[3] 旅行日と募集法

   
旅行日は毎月第3月曜日に固定。

   旅行日を固定したのは各位が年間旅行計画を立てるのに便利、参加したい月は予め空けて置いていただけると考えたからです。

   当日の朝8時に私からメールで宿泊業者名・料金・集合場所(水源クラブか元町工場の時計台前か、笹戸温泉などの近距離の場合は現地直行を想定)をご連絡します。参加希望者は9時までにメールで石松までご連絡下さい。
先着3名と私の4名(5人だと車内が窮屈)で出かけます。男二人旅は苦痛なので中止。集合場所や集合時刻は10時までに参加者に連絡します。交通費や持込の酒や摘み類は割り勘。

   なるべく2時間以内に到着できる場所、毎回違った旅館やホテルを選ぶつもりです。二食付宿泊料金は7,000-8,000円
(交通費込み一万円前後)あたりを捜します。通常15:00チェックインなので午後の出発を想定。翌日の観光計画は臨機応変。

   前日予約よりも当日予約の方が安くなるため、当日連絡になります。業者の選択は相談する時間がないため私にお任せいただくことになります。でも、行きたいところがあれば事前にご連絡下さい。1,000円程度高くても希望に沿いたいと思います。1-3月は雪道を避けるため愛知県などの太平洋岸の温泉(加温温泉が多いのは我慢)を予定しています。

[4]おわりに

   第一回目(1/18)の参加者(本日現在)は仲間の募集相談以前に声を掛けた中川賢二様・中村弘夫様と私の三人です。賢人各位の追加ご参加も期待しつつ・・・。

   トクー経由で温泉旅館を予約した場合には其の体験談を報告する義務があるらしい(報告をしなければ割引をしないらしい)。第2回目の旅行から帰宅したら、メールによる報告依頼が来ていた。今後もこの依頼は続くと想定し、初年度12回分の報告書を書き続けるべく書式も整えた。其の序に旅仲間にもトクー!への報告書をメールで送信することにした。

   5月以降の旅行記は各月末までに纏め、遂次ホームページに転載。年末には一年間の試行体験の総括を『おわりに』に書く予定。賢人各位の読後感は随時ホームページに転載。

             試行での検討課題

① 予約条件の選択


[残り1]

[即時予約可能]な残室数です。

[リクエスト予約]です。申込後宿からの返答をお待ち下さい。

空室メール

現在空室はありませんが[空室お知らせメール]の登録ができます。
空室がでたらメールでお知らせいたします。

×

[満室]です

ご予約

ご予約をクリックすると、その日の宿泊費計算、予約へ進めます。

料金表示

[1泊2食付、1人あたり] 消費税込み、サービス料込み(入湯税・宿泊税別)です。


   予約条件は上表のようになっている。価格は大抵の場合、当日宿泊・翌日宿泊・翌々日以降の宿泊の3段階(カウントダウン方式)になっており、当然のことながら宿泊日の予約が一番安い。宿泊日の日付切り替え時刻は深夜の午前0時だ。

   大抵の契約旅館は『残り1室』だった。早い者勝ちだ。初回(1/18)は提示価格の安い『笹戸温泉 望水楼』を選んだ。表示は『△』だった。同行の仲間は5人だったので、採算性を考えると選ばれる可能性が高いと予測した。でも、申し込み後1時間以上も経過した頃『満室』との理由で予約を断るメールを受信した。

   この『△』表示では空き部屋数も分からず、申し込み順に予約が成立するのか否かも不明な上に、旅館側に客を選ぶ権利があるのは申込者に対して失礼千万な手段と断定し、今後は『△』印は一切選択しないことにした。幸いにも笹戸温泉『紫翠閣 とうふや』に空き部屋が残っていたため、一発予約(クリッリと同時の意)ができた。

   この『とうふや』はトヨタ同期とかスポーツ仲間などの組み合わせで懇親会・新年会・忘年会など四季折々、過去20年間以上に亘り利用していた1時間圏内の手近な温泉だ。トクー経由の利用が文字通り『得』になるのか否かの評価も、過去との対比から判断し易いと考えて選択した。

   第二回目の宿泊予定日は2/15だった。事前に鳥羽の『浜の雅亭 一井』を選んでいた。万一予約が取れない場合は類似の観光旅館に変更する、と仲間には連絡済みだった。いつも19:00前後に就寝しているが緊張していたためか深夜に目覚めた。宿泊日の0:05分に一発予約が成立。こんな些細なことでも実体験をするまでは、多少の不安を感じていた。

② 観光ホテルの通常価格
   
   日本旅館の宿泊料金は一泊二食表示が最も多い。でも、これには常に曖昧さが隠されている。食事代と部屋代とが夫々幾らなのか、利用者には分からない。一番重要な情報であるべき食事の内容が明示されていない。価格の安さが売り物のファミリーレストランですら、メニューの中身はサンプルの写真で明示されているだけではない。ビフテキなどは素材の重量まで多くは表示されている。デパートやショッピングセンター内にあるレストラン街では料理の実物見本まで展示されている。
   
   その日その日の食材の仕入れ状況によって料理が随時変わらざるを得ない面もあるが、毎日同じ物もあるはずだ。少なくとも変わらない料理と、変わる料理くらいは予め表示できるはずだ。寿司屋の『時価』でも注文前にネタと価格は確認できるが、日本旅館の料理は予約時点でも実態が確認できない。したがって、事前に旅館間の比較評価も出来ない。明朗さを欠く卑しい商法だ。トクーが紹介する価格の妥当性に関しては暫く試行しつつ、評価せざるを得ない。
   
   トクーの紹介旅館の場合には口コミ情報が満載されているが、この種の曖昧さを多少は解決しているようだ。
   
③ 割引率は正しいか
   
   トクーの情報で15,000円⇒9,000円(40%引き)と書かれていても、其の真実性については宿泊した利用者にも評価できない。15,000円の実態が明示されていないからである。
   
   部屋の面積や写真と価格が明示されているホテルの場合には、この種の疑念が起きない明朗会計である。
   
   部屋食の場合、正規料金で宿泊したグループや他の旅行社経由で予約した人たちとの間の料理の比較も出来ない。そこで、私は大浴場で出合った人たちとの情報交換も積極的に心がけることにした。

 上に戻る
1月18日(笹戸温泉)

参加者   中川様・天野様・中村様・戸軽様・石松
観光ホテル 笹戸温泉・とうふや






   夕食はグループごとに衝立で仕切られている広間の一角で摂った。獅子鍋や自然薯などの山の幸満載の料理には満足した。しかし、特注の日本酒を飲んだ中村氏が突然疑問を発した。『この酒は水っぽい!』。氏は我が仲間内では名にし負う酒豪。1人で残り4人分に匹敵する飲酒量だ!

   痛風暦21年だけではなく、がん治療(胃がんと食道がん)で5回も入院している私は飲酒量を発病以前の半分以下に意識的に落している。日本酒は日頃殆ど飲んでもいなかった。関谷酒造の『空=くう』(愛知県ではナンバーワンの幻の銘酒。購入するのにはいつも苦労・720cc・3518円)を時たま飲む程度。
   
   日頃はサントリーのザ・プレミアム(350cc缶ビール、4780/24≒200円)、ホワイトホース(スコッチウィスキー・700cc・1,450円)50ccの水道水またはスポーツドリンク割りかカリフォルニア産の安い白ワイン(3,000cc容器・1,680円)を飲む程度だった。中村氏のような鋭い利き酒感覚は勿論なかった。
   
   中村氏の発言が気になり、仲間に日本酒の評価を尋ねた。中村氏の発言による先入観もあるのか『可笑しいのでは?』と全員が疑問を口にした。私はまさかとは思ったがひょっとするとコスト低減のために、日本酒のお湯割りが出されたのではないかと連想し、予約責任者としての立場も意識し真相解明に本気で乗り出した。
   
   仲居を呼んだ。『この日本酒の味は可笑しいのでは? お湯で薄めて量を増やしたのではないか?』『そんな馬鹿げたこと、する訳がありません』『誰がお燗をつけたのですか』『私です』『それならば、今日のお酒の残りを此処に持って来て、眼の前でお燗を付ける作業を再現して下さい』

   嫌がる仲居に『再現テスト用のお酒についても、正規の料金は勿論支払うからご心配なく!』と言って復元作業を強要した。

   卓状コンロと、お酒が入っている薄汚れたアルミ製の大きな薬缶を持ってきた。本人の申告通りの作業手順と所要時間を厳密に守らせた。酒が沸騰した2分(うろ覚え)後に火を消した。中村氏が試飲した。『先ほどの酒と同じです!』。復元作業には成功した、と直ちに判明した。燗付け作業時間は中川様が高級腕時計で自動計測された。我が愛用のロレックスにはストップウオッチ機能は付いていなかったのだ。

   仲居にも『試飲するように』と、私はまたもや強要した。仲居はアルコールが抜けていることにやっと気付いた。『エチルアルコール(C2H5-OH)の沸点(78.4度)は水の沸点よりも低いから、水が沸騰する前に揮発するのですよ。だから燗付けはお湯を介してするのですよ。生活の知恵以前の問題です。今後のお客様のためにも再発防止を申し込みたいから、上司を此処に連れて来てください。この要求はあなたを虐めるためではなく、とうふやのためです』

   仲居からは『私には上司はいません』と拒否された。『上司がいなくても、これだけの規模(39室・定員250人)のホテルならば女将(おかみ)が必ずいるはず。連れてくる様に!』。問答無用とばかりに厳命! つべこべ言うので『これはお願いではなく、命令だ』と再度厳命した。

   かなりの時間(10分?)が経った頃、女将がやっと顔を出した。『この酒を飲んでください』『おっしゃる通りです。申し訳ありません』。その後退室するまで、部屋の入り口では女将・料理長・仲居が直立不動の姿勢で立っていた。

   翌朝、請求書を見たら日本酒6本*2合= 3,600円分は削除されていた。当たり前のことだ。私にはもう直ぐがんで死ぬのだという潜在意識が強くなっているためか、世界中何処に出かけても筋の通らない仕打ちには断固として闘う悪い癖が、残念ながら過去7年間の間に染み付いてしまっているのだ。

   翌朝、駐車場へと向う間、女将が玄関先まで出て来て見送ってくれた。

                                          上に戻る
2月15日(鳥羽温泉)

参加者   中川様・東様・中村様・石松
観光ホテル 鳥羽温泉・雅亭一井



トクー価格 定価15,000円⇒7,245円(6,900*1.05)。52%引き。
   
① 仲間の評価(メール到着順)

東様⇒楽しい旅、美味しい旅でした。有難うございました。
   取り敢えず証拠写真をお届けします。

中村様⇒鳥羽旅行にご一緒させていただきありがとうございました。夕食には伊勢海老・あわび・舟盛りお造りなど、食べきれないほどの海の幸と露天風呂付きの広い部屋で7,245円とは驚きでした。

こんなお値打ち宿を取っていただいた石松さんには感謝感激です。写真を添付します。

中川様⇒鳥羽旅行は、宿・食事・観光 すべてが大満足でした。

企画・緒手配・運営あらゆる分野で皆さんのお世話になり、誠にありがとうございました。写真も良く撮れており、家内への説明に役立ちました。










② 石松の総合評価⇒4点。

予約前の電話⇒私は宿泊日の前日にホテルに電話した。『愛知県の者です。昨年12月、トクーの会員になり、1/18に初めてトクー経由で愛知県内の温泉に宿泊しました。お宅の場合、通常料金で宿泊してもトクー経由で予約しても食事の内容は全く同じでしょうか?』。我が名前は名乗らなかった。質問には支障がないからだ。

『原則として、同じですが、一部異なります。通常料金の場合はお一人様1.5尾の伊勢海老料理になりますが、トクーの場合は0.5尾になります。部屋は海岸とは反対側に位置する見晴らしの悪い8畳間を提供させていただいています』

料理⇒評価点5⇒夕食には伊勢海老半尾/人の刺身、伊勢海老半尾/人のマヨネーズ掛け、アワビ・サザエ・タイ・ハマチ・烏賊・帆立他の刺身など盛りだくさん。品数13点?(茶碗蒸しなどタイミングを考えながら配膳するため、品数が分からなくなった)私は勿論同行者も、料理は食べ残してしまった。朝食でも伊勢海老半尾が入ったどんぶり一杯の味噌汁(840円の追加料理だが・・・)他、盛りだくさん。こちらも食べ切れなかった。結局、伊勢海老は1.5尾食べたことになる・・・。

   今回は急用で参加しなかった温泉通のテニス仲間に寄れば『伊勢海老は旅館では一尾2,000~3,000円はしますよ』。待遇の変化は前日の電話の影響??

部屋⇒評価点4⇒申し込んだ訳有り部屋は海の見えない山側の8畳間だったのに、到着時フロントで『訳有り部屋は満員。その代わりに最上階8階の角部屋を用意しました。当館では一番立派な部屋です』『部屋代が高くなるのでは?』『同じです』『ご配慮、有難うございました』

   主室は12.5畳。海岸側には広縁、入り口側には3畳の間。諸設備も充実。総面積は3*5間=50平米と推定。これは延べ100日以上も泊まったイスタンブールのヒルトンのスタンダードルーム5*8m=40平米よりも広く、ゆったりとした配置だった。

   でも、薄い空色の畳表にはがっかり。表面が毛羽立っているのに表の色が空色なのには驚き。私にはペンキを塗っているのでは?との疑念が残った。

   超寒がり屋の私は、エアコンを最高温度の30度・強風に設定しても推定25度以上には室温は上がらず、寒くてどてらを着たまま寝た。部屋が広すぎた上にエアコンの能力不足が原因か?

   室内に有ったホテルの分厚いファイルの中に挿入されていた説明書は感熱紙が多く、コントラストが薄くなり殆ど読めないままだった。アンケートを出さないと割引が取り消される、とのトクーからのメールを思い出した。翌朝フロントでアンケート用紙を請求すると『テレビ番組用紙の裏面です』。予め言ってくれなければ気がつく筈もない。私は観光地でテレビは見ないのだ。

   チェックアウトの時に露天風呂(後記)への不満を述べたら、『808号室には見晴らし抜群の露天風呂があったのですが・・・』『気がつかなかった。何処にあったのですか?』『室内の浴室から外へ出られるようになっています!』

   何たること! 何故チェックイン時に説明しなかったのかが理解できなかった。ガイドファイルの中に説明書があったのかもしれないが、読み取れるような資料はなかった。我が邪推では使用後の清掃負担の軽減のために説明を省略したのではないかと・・・。

   トイレにも驚いた。これはTOTOの責任では有るが・・・。使用後のリモコンスイッチの使い方が分からず困惑した。大小の区別がなくそれらしき物として『便器洗浄』を発見。便器洗浄からの連想は、便器の垢・カビなどを塩酸などの洗剤で取り去る自動的な作業を連想した。薬剤を顔面などにうっかり吹きかけられては大変と思いつつも、便器を覗き込んだまま恐る恐るスイッチを押した。

   今日、中高年男性の場合50%は、小を座位でするそうだ。尿線分裂症(主因は前立腺の肥大)によるトイレの床汚染を避けるためだ。直前の動作が大小に関わらず座位で処置している場合、何らかのセンサーがないと所用水量の区別が出来ず、大との仮定で小の場合でも大量の水を流さざるを得ない。詰まりは究極の節水目的に反するのだ。

   帰宅後、TOTOのお客様相談室(0120-03-1010)の担当者『柳瀬』氏にどのような原理で大小を区別するのかと質問したら『便器保有者からの問い合わせではないから、答える義務はない』と回答を拒否された。解答拒否の真因は、本人に知識がなかったためか? 

露天風呂⇒評価点2。1階大浴場の屋外に申し訳程度の露天風呂があった。周囲は高い壁で囲まれ、其の外側は他社の建物で塞がれ眺望は全くなし。倉庫の片隅の風呂に無理やり入らされた気持ち。入浴中に突然大きなパイプから冷水が噴出してきた。乱暴極まる温度調節手段だ。

仲居⇒評価点4。中国江西省から1年間の研修に来ていた22歳・171.5Cm、スタイル満点の女性だった。寮費は無料、月給6万円。大変真面目だった。布団を敷きに1人で来室。シーツを1人で敷くのは作業性が悪い。見かねた同行の仲間が手伝った。

我が体験では二人一組になって布団を敷きに来るのが普通。研修中国人は6名だそうだが、研修生の受け入れ目的には疑問を感じた。ガイドファイルには『当館は中国人の研修に協力しています』、との詳しいPRを兼ねた説明書が挿入されていたが・・・。隠されている真の目的はコストダウンか??

仲居には伊勢志摩地方の旅館の習慣を詳しく教えているのか、疑問を感じる一面にも出合った。

伊勢志摩の最大のセールスポイントは伊勢海老。過去何回か夫婦で来泊した時、旅館は変わっても、翌日の朝食には夕食の伊勢海老の刺身を造ったあとに残った殻を出汁にした味噌汁が出された。私には伊勢海老は刺身や茹でて硬くなった身よりも、殻を出汁に使った味噌汁が美味しく感じられるのだ。

伊勢海老はマツタケと並び、日本人が異様なほど珍重する食材だが、私には然したる魅力はない。伊勢海老と他の海老、マツタケと他のキノコとの間に際立つ味覚差は感じられず、単なる姿・形の信仰主義者が創り出した神話に過ぎないと思っている。其の延長に生鮮野菜類の規格主義がある。世界中何処でも重量主義なのに・・・。日本人の愚かさの象徴に思えて仕方がない。

夕食で刺身として出された伊勢海老には刺身よりも量の多い身が、頭部と胸部に残っているのは明白だった。仲居に『この殻を出汁に使った味噌汁を明朝食べたいが、用意してくれるか?』と質問。『海老汁ですね。追加料金が掛かりますが・・・』『勿論承知している』

翌朝の味噌汁には半尾の伊勢海老が入った大きなどんぶり一杯の味噌汁が出された。昨夜の殻は使われていなかった。我が意図は仲居には伝わっていなかったのだ。でも、840円の追加料金は異常に安かった。

仲居は3/3帰国したあとは上海万博で通訳として働きたいそうだ。日本語の発音とアクセントは、東北や近畿地方の我が国の先住民よりも共通語に遥かに近く、立派だった。時々子音の発声が抜け落ちることがあって可笑しいと感じた⇒質問した結果、中国人とばれたほどだ。

彼女の中国の知識には不満だった。

『中国では大女とは身長の高い女性ではなく、婚期を逸した高齢の女性を意味すると聞いているが、本当ですか?』『知りません』
『貴女は二人姉妹の妹だと先ほど聞きましたが、一人っ子政策に違反していませんか?』『一人っ子政策は私より一年年下から始まりました』⇒これは真っ赤な嘘。一人っ子政策は1979年、31年前からスタートしている。

③ 蛇足

   帰途、伊勢神宮の外宮⇒内宮にお参り。平成21年11月3日には五十鈴川に架かる内宮の宇治橋(100*8.5m)の渡始式が行われたそうだ。平成に入って2回目だ。宇治橋は式年遷宮同様20年間隔で更新されている。20年間の利用者は延べ1億人以上と推定され、其の頑強な木組みには驚く。宇治橋見物客が殺到しているのか、大混雑だった。第62回の式年遷宮は平成25年。準備は大詰めを迎えているようだ。


   

   内宮(皇大神宮)前のお賽銭箱横には小さな番小屋があり、3人の若者が詰めていた。『そんな薄着では、寒いのではありませんか?』『着物の下にはたっぷりと下着を着込んでいるため、大丈夫です』『貴方たちのように神聖な神様にお仕えするような仕事の人は、生涯独身を強要されるのですか?』『そんな規則はありません。結婚できます』

赤福が立ち上げた『おかげ横丁』は宇治橋効果なのか、押すな押すなの人混み。随所に『この道は日曜天国ではありません』との掲示板。時々、商品搬送のトラックが混雑を掻き分けながらのろのろ運転。

                              上に戻る
                                
3月15日

   参加者不足のため、残念ながら中止。

   岐阜県奥飛騨温泉郷や長野県各地の源泉掛け流しの露天風呂がある深山幽谷に出かけたいものの何処も残念ながら豪雪地帯。自家用車では不安のため敬遠。

   其の代替候補地として愛知県の太平洋岸の温泉地帯から候補を選んだものの、仲間には新鮮味がなかったようだ。これらの温泉地帯は温泉とは名ばかりの加温温泉。その代わりになる目玉商品は漁港直結の海鮮料理。でも、食欲の落ちた老人には魅力度はイマイチ。さりとて紀伊半島南部や伊豆半島は遠すぎて・・・。

                                上に戻る
4月19日(奥飛騨温泉)

参加者(申し込み順)・・・ 中川様・中村様・東穣様・近藤様・石松

① 奥飛騨温泉郷

   奥飛騨温泉郷(おくひだおんせんごう。郷はきょうとも読む)は、岐阜県高山市(旧国飛騨国)にある5つの温泉の総称(温泉郷)である。郷内全体で別府温泉、由布院温泉に次ぐ毎分44,000リットル超の豊富な湧出量があり、郷内の各温泉には無料または寸志で入浴可能な共同浴場、露天風呂が多く存在する。

   旧上宝村に存在した平湯温泉、福地温泉、新平湯温泉、栃尾温泉、新穂高温泉からなる。共同でラジオCMを打ったこともある。

   私は大分県を除く日本では最大の湧出量らしい(湧出量は不安定なためか、自称2,3位争いをしている温泉郷があちこちにあるにはあるが・・・)奥飛騨温泉郷にいち早く出かけたかった。でも冬季の豪雪期間は交通事故を恐れる余り、シーズン入りの4月を待ち続けた。何処の旅館でもよかったのだが、奥飛騨を象徴するような岐阜の山奥を連想させた新平湯温泉の『岐山』を選択。

   温泉を楽しむには一泊・1人で200リットルの源泉が必要だそうだ。奥飛騨温泉郷の年間受け入れ能力は、44,000*60*24*365/200=1.1563億人分もあり、日本人が全員一年に一回は堪能できる湧出量だ。   

   奥飛騨温泉郷とは槍ヶ岳と乗鞍岳に挟まれたような峡谷を流れる蒲田川(イタイイタイ病で不幸にして有名になった神通川の上流)に沿って近接している5ヶ所の温泉の総称だ。源泉温度は5ヶ所の何れも70度以上だ。愛知県各地の温泉の殆どは加温。奥飛騨温泉郷とは似ても似つかぬ偽物の別世界!

② 旅館

北アルプスの麓、お料理自慢の素朴な湯の宿
奥飛騨温泉郷 和風旅館 岐山

岐阜県新平湯温泉(ホームページの写真)




[客室数] 24室
[最大宿泊人数] 120人
[築年/改築年] -/-
[チェックイン/アウト時間] 15時00分/10時00分[客室数] 24室

トクー、トラベルの契約内容

   定価8,400円⇒契約値引き価格5,670円。定価で宿泊した場合には各種カードが使えるが、割引価格の場合は現金払いになっていた。

   温泉は新平湯温泉・宝温泉より源泉を引湯しており、筋肉痛、冷え性、疲労回復などによく効きます

◆お部屋◆

   かぐわしい木の香ただよう純和風の客室。四季それぞれに彩りをかえる山々を眺め、部屋をゆきわたる風を感じ、自然のやさしさにふれてください。岐阜県産和牛をメインとした会席料理をご用意いたしました。
   
①飛騨牛の陶板焼き(自家製あっさり醤油ダレでどうぞ)
②牛入り釜飯(お客様の目の前で炊き上がります)
③飛騨牛の握り1貫+海の幸(日替わり)握り1貫+奥飛騨の漬物握り1貫。また、別注料理にて「飛騨牛の朴葉味噌ステーキ」等ご用意

◆お風呂◆

   山里の自然のめぐみが存分に味わえる当館自慢の庭園風露天風呂。こんこんと涌き出る豊かなお湯が、心をときほぐしてくれます。奥飛騨情緒あふれる湯の香につつまれて、いで湯ならではのゆったりした宵を心ゆくまでご堪能ください。
   
   風呂場の更衣室には補足説明が掲示されていた。『源泉温度が変動するので加水・加温を組み合わせながら何時も一定の温度を確保しており、夜間も入れます。大浴場のお湯は循環させていますが、毎日一回全部を入れ替え、掃除しています』。源泉温度が高い温泉では何処でも、その冷却に苦労させられているようだ。

③ 往途

   片道およそ250Km。幸い好天に恵まれた。サービスエリアで一休み。遠くの山の残雪が美しい。軽い昼食を食べたが、何を食べたかすっかり忘れた。



   岐山には予定よりも1時間早い14:00に到着。支配人は『明日の天気は雨らしいですよ。新穂高ロープウェイに明日乗られる予定ならば、今から出かけられることをお勧めします。このクーポンをお持ちになれば、5人まで往復3,000円/人の切符が2,500円になります。お荷物はお部屋に届けておきます』と、提案してくれた。

   ロープウェイは途中で乗り継ぐ配置になっていた。地形的な制約から一本で繋ぐには鉄塔が高くなりすぎるので、二本にしたのだと推定した。リオのコルドバの丘の上にそそり立つキリストの像を見に行く場合も、途中でロープウェイを乗り換えたのを思い出す。

   山頂は零度前後の気温。槍ヶ岳・焼岳など残雪が輝く有名な山々が一望できた。雪で全山が覆われてしまう真冬の山よりも、岩が少し現われてきた景色の方が私には美しく感じられる。ストリッパーが全裸になるよりは、少しだけ布切れを纏うのと同じだ。

   山頂駅の屋上は展望台になっており、此処で撮影しろと呼びかけているような巨大な雪だるまが準備されていた。記念写真撮影業者の努力だ。業者が人形を貸してくれた上に無料で写真も撮ってくれた。感謝!




   和風旅館とは何かとの定義は曖昧だが、巨木で作られた古い旅館部分は食堂に改装。囲炉裏(火を焚くのは冬季)を囲んでグループごとに食事。宿泊部は鉄筋コンクリート造りだったが部屋は全て10畳の和室。犬を連れた客は決められた部屋でのみ宿泊可能。

   最大120人(5人*24室)の収容力があるのに、当日の宿泊客は2グループ11名のみ。でも旅館では6人が出勤。どう考えても赤字!

   飛騨牛も入った炊き込み釜飯を食べ残していたら、仲居がおにぎり二個にしてくれた。部屋の冷蔵庫で保管し、帰宅後に食べた。予期しなかった特別サービスに接して嬉しかった。



④ 帰途
   
   翌日は支配人の予想通り雨。高山の中心街を小雨の中で散策。朝市のお婆さん達は逞しい。自家製の各種漬物とか野菜が主力商品。道の駅などよりは2割は安かった。
   
   満開の桜が眩しい。今年は豊田市と合わせて二回も桜を鑑賞したことになる。

  

⑤ 蛇足

   毎月一回の温泉旅行では物足りなかったので、自宅に露天風呂を造った。



   平成22年4月15日据付完了。タカラスタンダードの直焚鋳物ホーロー浴槽FUD-120(単体重量109Kg・満水量280リットル)を買い求め、我が家の南面のテラスの上に据えつけた。薪焚きは毎度の湯沸し作業が大変なので内風呂用の灯油ボイラーからお湯を、庭の芝生用の水道栓から水を引き、湯水混合栓と接合した。200リットルの給湯時間は約10分間。

   今年のサブテーマは見苦しい小庭の美化。入浴時に周辺の住民からは老醜溢れる我が裸体は垣根の影となり覗かれる心配は全くないが、我が視界に飛び込んでくる景色は、我が家の雑草交じりの荒れ果てていた庭!!

   年中青々と育つと称するカナダグリーンの種(3種類の混合)を通販でとりあえず2ポンド購入。庭にばらまいたら髪の毛のような細い芽が伸びてきた。

   直焚鋳物ホーロー浴槽とはメーカに聞くと、内風呂用の浴槽の底面に熱伝達効率を上げるための薄い無数のヒレを付けただけの物。ラジエータ(放熱器)と原理は同じだが、使用時には薪焚きの場合とは熱の流れは逆になる。私の使い方ではヒレが温水を冷やす働きになることに気付いたのは据付完了後⇒これぞ正しく後の祭り。1時間でお湯が冷めるので、一部のお湯を捨て、60度のお湯を追加している。

   琺瑯浴槽+蓋+断熱配管材25m+湯水混合栓+ジョイントなどの配管諸材+コンクリートブロック+モルタル(セメント+砂)+塗料+工事費(延べ40時間*人)+経費+消費税=25万円。

   超満足! 上の写真は奥飛騨温泉から帰宅した翌日の東側からの撮影(4/21)。庭木の奥の階段を下ると20坪の家庭菜園。

                               上に戻る
第5回目(エクシブ鳴門)

実施日 6/4


参加者 偶々全て加茂ゴルフ倶楽部の仲間⇒木村様・内山様・中村研一様・石松  

   今回の参加者の1人がバブルの頃に出向・転籍となり、退職金の一部で購入した会員制リゾートホテルエクシブのグランドエクシブ鳴門に出かけた。エクシブはこの種の会員制リゾートホテル業界ではダントツの企業。日経によれば年商900億円以上。今までにも彼方此方の姉妹ホテルに一緒に出かけたが、鳴門は初めて。

① エクシブ鳴門



  
   Mediterranean Resort(地中海リゾート)をテーマに、穏やかな瀬戸内海の海を見下ろす高台に建つ「エクシブ鳴門」は、翼を広げるようなフォルムでたたずむ開放的なリゾート。
   
   豪華な建物の内部には、目の前に広がる豊かな海の恵みを様々な趣向でお愉しみいただく和食・フレンチ・イタリアン・中国料理レストランなど、最上のファシリティをご用意。また充実したスパ&エステをお楽しみいただくために、別棟の「アロマハウス」を設けるなど、訪れる人にさわやかな開放感と心からの感動をお届けいたします。 


   何処のエクシブに出かけても、全てに共通しているのは建物だけではなく敷地も広くて豪華。割り当てられていたのは見晴らしの良い30坪はありそうな角部屋。洋間と和室に分かれて就寝。部屋代はシーツや浴衣のクリーニング代とタオルや洗面セットなどの使い捨ての備品(アメニティ)相当額と施設の維持管理費くらいらしく只みたいな料金。

   建物の建設費は会員権の販売金で回収しており、減価償却は実質的に終わっているから部屋代が安くなっているのだと推定。でも、食事は一流都市ホテル並みの豪華さと高価格。

   エクシブ鳴門では同じ敷地内にあるとは言え、銭湯が宿泊棟からは遠く離れた別棟にあり、巡回バスが常時廻ってはいるが何とも不便。しかし、銭湯は最新鋭のスーパー銭湯でも敵わぬ快適さ。朝風呂は別棟に出かけるのが何とも面倒に感じて室内の豪華な浴室を使ったが、それなりに満足。

   夕食は宿泊棟で摂ったが、朝食は敷地内にある見晴らしの良いゴルフクラブのハウスでのバイキング。朝食の準備が別棟だとエクシブの関係者には便利とは言え、宿泊客にはバスでの移動時に正装が求められるのが玉に瑕。

   その中にエクシブの会員券が買えるとは、とても思えないほどに品位を欠く若者集団がいた。疑問に感じて『若いのに平日からエクシブに来て優雅に過ごせるとは、何とも恵まれた方たちですね。日本の貴族みたい。何をしているの?』。『中小企業で働いています。会社が福利厚生の一貫としてエクシブの会員権を購入し、従業員が使えるようにしているのです。今日は有給休暇を取り、仲間との懇親会で大阪から来ました』
   
② 明石海峡大橋(本州と淡路島間)

   全長3,911m、中央支間1,991mで世界最長の吊り橋である。明石海峡大橋の主塔の高さは海面上298.3mであり、国内では東京スカイツリー(634.0m ※2012年竣工時の高さ)、東京タワー(333.0m)に次ぎ、横浜ランドマークタワー(296.3m、海抜は300mで同じ高さとなる)を超える高さの構造物である。1998年(平成10年)4月5日に供用が開始された。建設費は約5,000億円。

   建設当初は全長3,910m、中央支間1,990mであったが、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で地盤がずれ、1m伸びた。

   当初、中央径間長1,780mの道路・鉄道併用橋とする計画であったが、建設費用の問題から1985年8月27日に道路単独橋とする方針に変更され、基礎の位置および上部構造の見直しが行われ、現在の中央支間長となった。



   
   暇つぶしを兼ねて走行中に橋脚間距離を測った。時速120Kmを出してもらった。丁度1分間掛かった。車載の距離計でもよいのだが、仲間の協力を得ながら別の方法でも確認したかったのだ。

③ 鳴門海峡遊覧


  
大鳴門橋(淡路島と四国間)

   橋長は1,629m、中央径間は876m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。橋は上下2層式となっており、上部は片側3車線の道路(現在は計6車線の内、中央4車線を使用)。
   
   下部は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっている。ただし、明石海峡大橋が道路単独橋で建設されたので、淡路島より本州方面への鉄道整備に関しては紀淡海峡トンネル等別途トンネル建設ないし架橋が必要となる。

   
   大鳴門橋は橋としての知名度は明石海峡大橋の陰に隠れているかのごとく今尚低い。しかし、橋はたとい無名に近くとも、橋の下で発生する渦の有名さは別格だ。一日で最大の渦が発生すると予想されている時間内に、計画通り到着した。


   
   渦見物の船には二種類あった。海面上から渦を見る船と、地下室からも渦の下部が観察できる船だ。乗船料金が高くなるが、地下室付きを選択。
   
   でもがっかり! 船の航行中は地下室の窓からは海水の流れ以外は何も見えない。止まるとプランクトンの一種であるクラゲ(クラゲはどんなに大きくても、プランクトンの一種。プランクトンとは自力では移動できない生物。移動は海流任せ)が浮遊しているのが見えただけ。
   
   時々、渦の底が現われた。渦は漏斗の形をしているが、最下部は水圧で押しつぶされた小さな円錐形。洗濯機の中と然して変わらず迫力は全く無い。乗客はみんながっかりしたのか船上へと移動した。


   
   渦は間近で見てこそ、その迫力が味わえる。陸地から遥か遠くの海面に発生している渦を見るくらいならば、我が家の露天風呂で人工の渦を手で発生させた方が、流体力学を齧った私には面白い。 

④ 大塚国際美術館
 
 
   

   「大塚国際美術館」は、大塚製薬グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大級の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」です。館内には、6名の選定委員によって厳選された古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製しています。

   それらは美術書や教科書と違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。

   また、元来オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などからの退色劣化を免れないものですが、陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの文化財の記録保存のあり方に大いに貢献するものです。

   門外不出の「ゲルニカ」をはじめ戦争で分散していたエル・グレコの大祭壇 衝立の復元など画期的な試みもなされ、1,000余点の検品のために、ピカソの子息やミロの孫達および各国の美術館館長、館員の方々が来日されたおりには美術館や作品に対して大きな賛同、賛辞を頂きました。このように「大塚国際美術館」は、技術はもとより構想においても世界初のそして唯一の美術館といえます。

   上記のような宣伝文句と実態は大きく乖離していて、がっかりした。当日展示してあった絵の過半数は、既に現地で私は本物を見ていた。原画との一番大きな違いは、再現された色彩の彩度と輝きが薄い点にある。モザイク画と比べれば短時間に複製できるとは言え、技術としては未熟だ。陶板への焼付け技術の改善を強く望みたい。

   ヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の絵画は全てモザイク画だ。色彩の鮮明さや輝きから来る美しさに感動した私は、油絵だと最初は錯覚していたほどだ。モザイク画の耐久性が2000年以上も有ることはポンペイの遺跡のみならず、トルコのモザイク博物館など彼方此方に山ほどの証拠がある。

   10%の割引券を使っても入場料金が3,000*0.9*1.05=2,835円とは驚き。大塚製薬の75周年記念事業ならば社会還元として入場料を無料にしてこそ、この程度の内容でも存在意義はあると評価はしたいのだが・・・。

   更にがっかりしたのは日本にも、世界に冠たる日本人の手になる美術品は数え切れないほどもあるのに、この展示館には一枚も無かった。何故日本人の作品を排除したのか、その理由をこそ何故堂々と主張しないのか。私は今までも大塚製薬の製品は買った事は無いが、今後は一層買う気を失った。

⑤ ドイツ館


  

   第一次世界大戦中のドイツ人捕虜収容所(板東俘虜収容所)の記念施設として、1972年に創設された。現在の建物は2代目で、1993年に竣工した。

   捕虜の人権尊重と自主的な運営を許し、地元民との交流も活発に行われたため多くのドイツ文化が伝えられた。そのひとつとして音楽の分野ではベートーベンの第九がこの収容所において日本国内初演された。

   建築物では、近くの大麻比古神社に彼らによる石造りのアーチ橋(ドイツ橋)も残っている。こういった当時のエピソードを紹介するための施設である。

   ドイツ館のデザインには日本風を感じさせない。その理由が館内で貰った資料の写真から類推された。鳴門市の姉妹都市リューネブルク市の市庁舎に何処か似ているのだ。

   此処を訪ねるまで私は俘虜(ふりょ)という言葉を知らなかった。
一般的には、戦争や内乱で敵に捕らえられ、その権力(支配)下に置かれた軍人や民兵などの組織的武装集団の構成員(傭兵・スパイを除く)を捕虜という。戦前の日本では公式的には俘虜と呼ばれた。

   世界各地の捕虜の扱いには天地の差がある。最悪の一つはソ連による日本人のシベリア抑留兵への過酷な扱いだ。米国も太平洋戦中に何の罪も無い在米日本人の資産を没収し、収容所に家畜の如く押し込んだ。欧米人の一方的な白人優位に立つアジア・アフリカ人に対する態度は今尚私には許せない。

   そんな中で、100年前の日本人のドイツ兵への対応の素晴らしさは、もっともっと世界に向って主張して欲しい。ドイツ館の展示物件には無かったが、ドイツ兵が燻製作りも日本人に教えたと何かで読んだ記憶がある。原理的には鰹節も燻製の一種なので、日本にも燻製技術は存在していたが、スモークサーモンや生ハム作りの燻製技術は、私には別種に分類したいほどだ。

   館内の売店で購入したドイツビールを、久しぶりに堪能した。

⑥ 四国霊場第一番霊山寺(りょうぜんじ)



   
   鳴門から西へ10㌔ほどのところに、坂東という小さな町があり、その町外れに霊山寺がある。仁王門を入ると、左に鐘楼、多宝塔、正面に本堂、右に紀州接待所、大師堂、本坊がある。天正年間の兵火と明治二十四年の災火に遇っているが、その後、建物は再建され、一番にふさわしい伽藍。
  
   縁起によれば、聖武天皇の勅願により、天平のころ行基菩薩が開基し、弘仁六年(八一五)弘法大師が二十一日ほど留まって修法され、この間霊感を得て釈迦如来を刻み、印度(天竺)の霊山を日本(和国)にうつされる意味から竺和山霊山寺と号し、第一番の霊場としたと伝える。
  
   遍路は巡拝にあたっての心がまえをお大師さまに約束(十善戒)する、いわゆる授戒をうけるのが本来だが、時間に余裕がなければ、本堂内右手の納経所でご住職から巡拝についての指示をうけるとよい。また、必要な遍路用具もすべて整っている。


   鳴門市には四国八十八箇所巡礼のスタートとなるお寺があった。境内には巡礼に必要となる品物の売店もあった。我が目に映った善男善女たちは文字通りの形式主義者。新品の白装束・円錐形状の帽子・杖で武装。普段着での参加は見っとも無いと思うらしい。いっそのこと頭は剃り、草鞋(わらじ)を履けば良いのに、そこまで準備していた人は遂に発見できなかった。

   売店には88箇所訪ねた証拠となるサイン入りの掛け軸が飾られていた。商品ではないらしい。売り子に私は新商品の開発を提案した。『88箇所も掛け軸を持ち歩きながら廻るのは大変だから、一箇所だけ未完成の掛け軸を88種類準備し、善男善女の一人ひとりが最も訪ねたいと思うお寺のサインだけが空白になっている掛け軸を買えるようにしたら、白紙の掛け軸よりも、もっと売れるようになるのでは?』

   不愉快そうに『金儲けが物売りとしての最終的な目的とは言え、巡礼の意義を侮辱したような商品を売る気まではありません!』。武士は食わねど高楊枝の類か? 体力的には88箇所も廻れない一部の人には大変喜ばれると、思ったのだが・・・。

⑦ 仲間の余生に乾杯!
  

   
   エクシブでの食事はレストランで通常は摂るようになっている。しかし今回は、会員券保有の仲間が予約時に特別交渉をしていた。

   『仲間の一人の退職を祝うために来ました。個室でリラックスしながら、他のお客様に気兼ねすることなく過ごしたいのですが・・・』。係員の配慮で特別室が無料で用意されていた。嘘も方便とは言え、楽しく人生を送る奥深い智恵だ。

   左端の石松だけは白ワイン。胃が小さい私は食事直前にビールを飲むと、炭酸ガスだけで胃が膨らみ、贅沢な夕食(6,300*1.1=6,930円。これでも私の希望を入れて選んでくれた最も安いコース料理)の喫食量が極端に少なくなるからだ。死ぬまでこのハンディは続く・・・。
   
⑧ おわりに
   
   我が温泉旅行の最大の目的は露天風呂の満喫にあるだけではない。自らが運転せざるを得ない単独旅行では不可能だが、仲間との旅では往復の車中で満喫できる飲酒にもある。極楽浄土にいるようなものだ。現役のときの東京への出張での最大の楽しみは新幹線の中での飲酒にあった。何故か乗り物の中でのほろ酔い加減ほど醍醐味が感じられる飲酒法は無い。
   
   我が仲間達は私の我儘をいつも許容し、積極的に車の提供と運転を引き受けてくれるのが何よりも嬉しい。でも、日本の高速道路のサービスエリアの売店では、コンビニといえども酒類の販売が禁止されているのが不愉快千万。役人の責任逃れのルール作りには辟易。飲酒事故は自己責任の世界だ。旅人はドライバーだけではないのに!
   
                               上に戻る
第6回目(土肥温泉) 

実施日 6/24

参加者 すべてテニス仲間⇒東穣様・中村弘夫様・近藤様・石松
訪問地 伊豆半島 土肥(とい)温泉

① 宿泊ホテル
   
   今回泊まりたかったのは、トクーの契約ホテルの中での人気度では土肥温泉一の『土肥温泉 プライベートビーチガーデン星のなぎさ』だった。でも何としたこと! 平日というのに前日までに満室。直前安値(8,150円)を待ちきれず、高値(9,350円や11,700円)で予約する人がいたのだ。たった10室のミニホテルではあり得る現象と諦めた。
   
   急遽、人気度ではぐんと落ちるが類似金額(8,211円)の『土肥ホテル山海亭』に変更した。
    


   土肥漁港まで徒歩2分で行ける位置にあり、土肥温泉街も目の前です。当館展望露天風呂自慢で七ヶ所の趣向を凝らした湯処があります。特に展望露天風呂からの駿河湾へ落ちる夕日は感動的です。又、リニューアルしました専用桧露天風呂付特別室や専用桧露天風呂付和モダン客室もあります。

   増築を重ね40室もある中型観光ホテルに成長したのに、仲居に無理やり白状させると、当日の客はたったの40人程度(この数値だって水増しと疑っている)。大浴場や露天風呂で出会った来客はたったの二人。それでも館内で出会った従業員は、男性2名・仲居2名・中国人研修生3名。その他に料理人も居たはずなので最低でも10人??

② 昼食

   昼食を何にするのか、旅ではいつも持ち上がる課題だ。胃がんの手術後、食が細くなっている私は夕食中心主義。昼食はコンビニのおにぎりでも何でもよかった。でも、漁港も近いし海鮮を活かした寿司にしようと衆議一決。地元の人に聞いて駐車場のある有名店に辿り着いた。さながら銀座四丁目のような交差点角、土肥の中心街にあった。

   いつもはスシローの回転寿司(2貫で一皿=105円、外食産業では人気度日本一)で満足していた私には、久しぶりのカウンタータイプの寿司屋。単価は大衆向きの回転寿司の2~3倍。ネタの種類こそは少ないが、流石に地元でも評判の高い寿司屋。解凍物は無く、同じ魚でも回転寿司よりもネタに厚みがあり大きかった。

   でも、不景気なのか12:30なのに他の客は居なかった。若夫婦で営業している奥様に『売れ残ったネタは明日に持ち越すの?』。憮然として『家族で食べます!』。

③ 堂ヶ島遊覧

   堂ヶ島(どうがしま)とは、静岡県賀茂郡西伊豆町にある景勝地。浮石質凝灰岩が駿河湾の荒波により侵食され、断崖絶壁となったもの。

   その美しさから「伊豆の松島」と称えられる。長い年月の海触によりできた天窓洞(昭和10年天然記念物指定)があり、中央の天井は抜け落ちていることから名づけられた。上よりその口を開けた様も見ることができ、堂ヶ島マリンの遊覧船で中に入ることもできる。
   
   また、悲恋伝説が伝えられる三四郎島があり、トンボロ現象が見られるところで、干潮時には歩いて渡ることができる。なお、三四郎島とは象の形をした象島を含めた3島の総称。



   
   トンボロ現象(トンボロげんしょう)とは普段は海によって隔てられている陸地と島が、干潮時に干上がった海底で繋がる現象である。

   陸繋島(りくけいとう - トンボロ)の成立過程の過渡的な状態に起こる現象と考えられているが、地形・地質・海流などの要因で陸繋島に移行するかは断定できない。

   日本ではトンボロ現象が見られる中州道として、天の橋立と福岡市東部の志賀島に繋がる海ノ中道が有名だ。尚、堂ヶ島という島は無く、ここにある島群を指す総称だ。日本は島国とは言うが日本という名前の島が無いのと同じだ。

   天窓洞の天井を遊覧船で下から見上げると、ローマのパンテオン(2000年間もドームの直径=43.2mでは世界一をキープした乾式コンクリートと石を使った壮麗な多神教の神殿。天井に直径9mの穴が開けられている)を連想した。

   トンボロ現象はフランスでも見かけた。ホームページ⇒旅行記⇒ヨーロッパ⇒独仏墺・太陽は確かに西から昇った、からの引用。
  
   
サン・マロ(要塞都市)

   モン・サン・ミッシェルからパリへ向かう途中にサン・マロはあった。大西洋に突き出た小さな半島全体が防壁を兼ねた中層の集合住宅で囲まれ、内部は中世の都市そのものだった。16~17世紀には国王が何と海賊を公認し、フランスきっての港町として栄え、第二次世界大戦では占拠したドイツ軍に対し米軍が攻撃し町の80%は破壊された。

   しかし、多くの欧州各都市同様、ここも昔の姿に復元された。中心部にはパリにも劣らぬブランド店が軒を連ね、大聖堂・レストラン・ホテルも完備し、今では観光都市として完全に復活している。
   
   海岸線から百メートルの位置には岩だらけの小さな島があり、石造りの道で繋がっていた。此処はモン・サン・ミッシェルと同様に干満の差が大きく、夕方到着した時には島への道は引き潮の海水で洗われていた。


 
   あれよ、あれよと言う間に潮が引いたので試しに島へと急いで渡り、直ぐに海岸へ引き返した。海岸で散歩していたお婆さんが説教口調で、フランス語で何やら叫んだ。きっと『危ないですよ。あっという間に満ち潮になって、島から戻れなくなるから』と言ったのでは? 半島に戻ったら、大きな掲示板に、島へ渡る時の干満差から発生する危険についての注意が数ヶ国語で大書してあったが、日本語はまだなかった。


   
   島巡りの遊覧船は全部で7隻。でも客が少ないのか3隻は係留されたまま。遊覧には3コースあったが最小時間のコースを選んだ。風も無く一見穏やかそうに見えたが、出航した途端に大きく船が揺れ始めた。過去七日間も欠航していたが幸いにも今日が再開日。

   揃いの帽子と衣装で固めた若い船頭が10人くらい、暇を持て余していた。遊覧船の発着時には切符の確認や乗客の誘導にきびきびと働いていた。でも、この観光不況下では些か気の毒に感じた。

④ 夕食


   
   空き部屋が多かったためか、部屋食は宿泊室ではなく別室に無料で用意された。通常は部屋食の場合はお1人様2,100円の追加料金が課される(世間相場は1,000円なのに此処の追加料金は不当に高い!)そうだ。
   
タ゛フ゛ル伊勢海老・蟹・鮑味噌焼き付き磯料理/☆お部屋お任せ<和室>

   食前酒には珍しい枇杷酒。ほんのりと漂う香りを楽しんだ。写真の食材は準備中のもの。鍋の中の伊勢海老の大きさにがっかり。食べるところが無いほどに小さい。出汁採り用か? 誇大広告だ! でも、これとは別に茹でた伊勢海老の100g大の半身が出されたので我慢。アワビもまた名ばかり。5cm程度のアワビの貝殻に味噌焼きの佃煮がほんの少し盛られていた。ほんの僅かなアワビの欠片(かけら)が混入されていただけ。

   全くの偶然だったが、帰宅したら荊妻が枇杷酒造りに挑戦中だった。種の皮を剥いで青い実を取り出し、ホワイトリカーに漬けるだけだ。皮を剥がさないと苦味が強すぎる、と友人に教わったとか。インターネットで調べたら、枇杷の実をそのまま使うタイプ、種をそのまま漬ける方法は出ていたが、種の皮を剥いで漬ける方法は発見できなかった。熟成後が楽しみだ。

⑤ 部屋

   20坪はありそうな大きな部屋だった。大きな和室が二室。一室を寝室にもう一つは居間に使った。早朝3:30からの日本対デンマーク戦を仲間の二人が歓声を上げながら視聴。サッカーに全く関心のない私は隣室に寝たまま、大声で発する歓声を冷静に分析。しかし、言葉を発しない野獣のような歓声だけでは、どちらが勝っていたのか最後まで分からなかった。

   私は程よい青さとはいうものの畳の感触に疑問を感じた。同行の仲間の1人は学生時代に国体にも出た柔道家。『これはナイロンですよ。足が滑るので使いにくいだけではありません。寝技の時には摩擦熱で火傷をすることもあります』

   翌朝、中年の男性従業員が布団の後片付けに現われた。『山海亭なのに布団カバーは何故山海荘なの?』『昭和60年の頃改装した時、ホテル名が変わりました。布団カバーは当時の在庫品です』

   ホテル内では温水洗浄型のトイレは発見できなかった。私は過去30年以上も自宅では温水洗浄型のトイレを使っているので、洋式とはいうものの耐え難いほどの心理的な苦痛を感じた。このホテルの未来に不安を覚えざるを得なかった。

   熟年の仲居に『源泉温度は57度。どのようにして適温にしていますか? 加水では有りませんか?』『水を加えるなどとは、有り得ません』『源泉温度が高い地域では何処でも冷却コストに悩んでいます。此処の冷却方法を聞いているのですが』『タンクに入れて冷やしています。詳細は再確認後に報告します』。何の報告も無かった。敷地内にタンクらしき物は発見できなかった。

   女性は臨機応変に巧妙な嘘をつく能力が高い、とは世界的に認識されているそうだ。脳科学者による実験も数え切れないほど発表されている。長い間証拠主義で生きてきた元エンジニアの私には、どんなに頑張っても一見もっともらしく聞こえる嘘つきの真似が出来ない!


   

   当ホテルにも中国人研修生(山東省出身)が3人(1人はこの写真を撮影中)もいた。仲居業務はせず受付回りのサービス係。来日以来半年経過しただけだったが日本語での会話はできた。『楊貴妃のように美しいですね』とお世辞を言ったのに、楊貴妃もクレオパトラも古都・長安も知らないのには驚いた。帰国後は観光関係の仕事をしたいのだそうだ。

   今までに彼方此方のホテルで中国人研修生に出会ったが全て女性だった。観光業務の研修ならば男性が居ても不思議ではないのに・・・。これでは人件費の削減が目的かと疑われかねない。
   
⑥ 魚釣り


   
   6/25の早朝、仲間の三人はホテル前の海岸へと釣りに出かけた。前日餌屋で買った撒き餌と冷凍の小さな海老が餌。魚は早朝、海岸近くに集まるのだそうだ。私は今までにも何度か彼方此方の海岸で釣り人の成果を確認したが、10cm以上の魚を見たことは殆ど無い。イスタンブールのガラタ橋にはいつも100人ぐらいの釣り人がいたが、食糧になるほどの大きさの魚は見たことが無い。
   
   蓼食う虫も好き好きの世界。私はのんびりと朝風呂と露天風呂を楽しみ、ミニバーの790円もする中瓶のビールをがぶ飲み。テレビはどのチャンネルも、デンマークに勝った日本のサッカーの勝因分析ばかり。
   
   サッカーにまるで関心のない私は、南アのファンの言葉『好きな日本人は本田とヤマハ』に驚くだけ。彼らは人名と二輪車メーカ名とを結びつけて暗記していたのだ。それならば豊田が出ても可笑しくないのだが・・・。
   
   仲間が予定よりも1時間も遅れて戻ってきた。『さぞかし、大物が釣れたのでしょうね。成果を見せて!』『受付で塵としての廃棄処分をお願いした』
   
⑦ 帰途

   大きなサービスエリアで観光バス6台の団体に出会った。坊さんらしき人もいた。客の一人を捕まえて『皆さんは全員お坊さんなの?』『いいえ、私は檀家の1人です。地域の住職達が檀家の信徒を集め、大本山にお参りに出かける途中です』。バスの胴体には『SINKISAN』と大書されていた。信貴山の大本山(真言宗・奈良県)は観光バスまで保有しているようだ。

   信徒達が胸に付けさせられている大きなバッチには数字も書き込まれていた。『この数値はバスの号車番号です』。この発想の素晴らしさには拍手喝采! 信徒は善男善女とは言うものの、その実態は老人老婆の大集団。自分の号車番号を忘れて右往左往する人が続出するのは必然!!

⑧ おわりに

   今回の旅ほど好天に感謝した体験は少ない。前日の6/23は朝から豪雨だったのでゴルフはドタキャン。帰宅翌日の6/26も朝からの雨で無念にもテニスをドタキャン。旅の二日間だけは好天のお陰で、堂ヶ島の観光船にも運行再開初日に乗れた。

   トクーの契約ホテルも当然のことながらピンキリがある。でも、共通しているのはカードが使えない点にある。カード会社への手数料を惜しむほどに値下げをして、彼らなりに努力をしている様子がありあり。今年後半も引き続き体験して、来年も会員になる価値があるか否かの最終判断をしたい。

                               上に戻る
第7回目

実施日     7/19 
参加者    全てテニス仲間・中川様・萩原様・戸軽様・石松
観光ホテル  新平湯温泉 平湯館 83室280人




   同行者の戸軽氏が今回の旅をアルバムに纏めてくれた。感謝。

平湯館その1

   創業1923年という、平湯温泉でも老舗の宿。古き良き昔の面影をしのばせるいろり本館。創業当時のものは平湯でも唯一現存しているものです。忘れかけていた懐かしい語らいがよみがえり、心の触れ合いが旅人の疲れをいやしてくれます。

【生粋源泉かけ流し】

   当館では3つの自家源泉と共同源泉のお湯を利用して、毎分1トンを越える湯量豊富な高温泉を絶えず生まれたての状態で湯船に注ぎ込んでいます。 天然温泉のぬくもりと美しい自然がもたらす安らぎに包まれて、本物の温泉の素晴らしさを肌で感じてみて下さい。
   
   当館板前が腕によりをかけた飛騨の幸の会席料理です。御夕食は飛騨牛料理(しゃぶしゃぶ)を含む和食会席、御朝食は朴葉味噌や温泉玉子を含む和定食です。また当館ではお食事場所はお食事処(食堂形式)となります。尚当館にはクーラーの設備はございません。(12/31~1/3は除外)

   当館のお湯は豊富な源泉から湧き出る生まれたての湯をいつも流しっぱなしの「掛け流し式」です。野趣あふれる大露天風呂や檜造りの合掌風呂を四季に応じてお楽しみ下さい。

合掌風呂や露天風呂



   合掌風呂とは風呂の天井が合掌構造になっていることに由来。冷たくなった結露が頭上に落下しない。上の写真に示す内風呂とは別に、壁面の無い合掌風呂タイプの露天風呂もあった。雨天でも気持ち良く入れそうだ。我が家の晴天専用の露天風呂には屋根が無い。観光ホテルでは雨天でも入れるようにした天井もある露天風呂は商売の必需品。

   高温の源泉を適温に変えるために已む無く加水。熱め(我が推定は42~43度)と温(ぬる)め(38~39度)の浴槽を準備。時間のある場合は温めでゆっくりと入れて便利なようだ。



   自然の中にいるように感じる露天風呂にはどんな背景が相応しいか。岩組みで作られた風呂の周辺には四季折々に美しさを競える木々を植え、その隙間に観葉植物や花を植えた、間近で目を楽しませてくれる組み合わせだ。敷地の制約からプライバシーを保護するために、高い衝立で囲まざるを得ない閉鎖空間の中の露天風呂は最低だ。
   
   源泉賭け流しの給湯にも滝のせせらぎを感じさせるような一工夫が望ましい。遠景も見渡せれば最高だ。市街地の我が家の露天風呂では決して望めない理想的な環境が、平湯館では整備されていた。遥々(片道220Km)来た価値があった。
  
①旅行計画

   戸軽氏が綿密な行動計画を立ててくれた。氏の趣味の一つはカメラ。同好会の仲間と中部地方各地への撮影旅行を繰り返していたためか、成行き任せか旅行社任せの旅中心の怠惰な私には、信じがたいほどの綿密な観光計画を立ててくれた。
   
7月19日(月)

   トヨタ自動車元町工場時計台(6:30)⇒出発(6:40)⇒川島PAにてトイレ休憩⇒ひるがの高原SAにてトイレ休憩⇒高山ICにて休憩&タクシー会社へ予約確認電話⇒平湯バスターミナル到着(11:00)⇒タクシー(片道4,500円)⇒上高地到着(11:50)⇒昼食(帝国ホテル)⇒上高地散策(大正池⇒河童橋)⇒タクシー乗り場(15:00,4,500円)⇒平湯駐車場⇒プリウスに乗り換え⇒平湯館到着(16:00)

7月20日(火)

   平湯館出発(8:20)⇒ほおのき平駐車場到着(9:00)⇒バス発車(9:25、往復2,200円)⇒乗鞍畳平到着(10:10)⇒乗鞍散策&昼食⇒バス発車(12:50)⇒ほうのき平バスターミナル(13:35)⇒プリウスに乗り換え(13:45)⇒ひるがの高原SAにてトイレ休憩⇒川島PAにてトイレ休憩⇒元町工場到着(18:00)

   今年(平成22年)は7月17日には梅雨が明けた。梅雨明け後の10日間は夏の快晴が通常は続く。連休での混雑と渋滞を考慮されたユトリある計画だったが、当日は何故か渋滞も無く往復共に移動時間は各1時間も短縮され、その時間を有効に活かせた。午前中の山には通常雲が少ない。今回ほど気分良く山や高原を楽しめた体験は少ない。

②上高地



   大正池のシンボルにもなっていた枯れ木は殆ど無くなっていた。こんな状態では、天下に名高い大正池も、何処ででも見かけられる単なる池に格下げされたのも同然だ。

   樹脂か鉄筋コンクリートで枯れ木を10本程度複製し、池に程よく据えつければ大正池の雰囲気は末永く維持できるし、費用も安上がりだ。観光資源の維持管理とは単に周辺の塵を拾うことだけではない。臨機応変、柔軟な思考が求められる。観光客をがっかりさせては元も子もない。枯れ木は複製だと明示した看板を池の前に立てれば済むことだ。



   散策の途中に写真に取りたくなる残雪を抱く山を発見。梓川に架かるこれといった特徴も無い田代橋があった。橋よりも梓川と山を撮りたかった。



   昼食は帝国ホテルで摂った。帝国ホテルの直営レストランは30分待ちと判明したので、同じ建物内の奥まった場所にあったテナントを利用した。こちらは何故かガラガラ。観光客はその存在に気付かなかったのだろうか。

   深山らしい食べ物をと捜したが、結果は2・8(にはち)の有り触れたざるそばに落ち着いた。1,500*1.05*1.1=1,732円。サービスらしき待遇は受けていないのに、勝手にサービス料を取り立てる厚かましさ! 下界の二倍の価格だが場所代か?



   河童橋の前ではプロの記念写真屋が陣取っていた。撮影2秒後には5m離れた場所で写真を印刷した早業に驚愕! ディジタルカメラから情報を無線で送信したのだ。カメラが趣味の戸軽氏が1,000円で一枚購入した。買い気をそそるにはこの超高速性が命のようだ。集合写真を撮影する団体客が引きもきらない。



   中川夫人は千切り絵作りの名人。かつてのご夫婦の旅を記念すべく作られた千切り絵を、氏が写真に撮られてメールで送り届けてくれた。ここに感謝。こんなに立派な出来栄えならば、愛妻家ならずとも額に入れて飾りたくなる。ましてや氏においておや!


千曲川(左)に合流する犀川(右)

   梓川(65Km)は犀川(152Km)と合流し、犀川はやがて千曲川(214Km)と合流。千曲川は新潟県に入って信濃川(153Km)と名前を変える。
   
   つまり、信濃川本流の上流部は千曲川、千曲川の支流のひとつは犀川、犀川の支流のひとつは梓川である。梅雨明け直後の梓川は水量も豊か。滔々(とうとう)と流れ下る清流には工場の排水も見かけず気品が感じられた。

  
 信濃川(しなのがわ)は、新潟県および長野県を流れる一級河川。信濃川水系の本流である。このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域のみで、長野県にさかのぼると千曲川(ちくまがわ)と呼称が変わる。

  一般に信濃川は全長367キロメートルと言われている。しかし、正確に言えば信濃川と呼ばれている部分が153キロメートルなのに対し、千曲川と呼ばれている部分は214キロメートルあり千曲川の方が長い。ただし、河川法上では千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃川と規定しているため、信濃川は日本で一番長い川となっている。

平湯館その2

   当日の平湯館の宿泊客は定員の30%。気の毒にもガラガラだった。夏休みの子供達は山よりも海に出かけたのだろうか? 支配人が『お客様の予約された部屋は8畳間でしたが15畳間が空いていましたので変更させていただきました。料金に変更はありません』『通常は幾らの部屋ですか?』『14,000円です』。我が予約料金は7,794円だった。

   食事会場は洋式の大広間。我が仲間は入り口から最も遠い窓際の角だった。85Kgの巨体を揺すりながら支配人が挨拶に来られた。胸にはソ連の軍人のように沢山のバッチを付けていた。日本酒・焼酎・ワインなど4種の酒のソムリエの資格獲得者だそうだ。

   『日本酒ではどんな試験が有るの?』『4種類の日本酒を当てる試験です』。有名銘柄を当てる試験ではない。この程度ならば誰でも特訓すれば取れそうな気がした。私だって4合3,000円以上の吟醸酒と一升1,000円以下の普通酒との区別ならば100%当てる自信がある。

   たとい我が身が
『細々と生きている年金生活者』であろうとも、3倍酒は払い下げにし、4合3,000円以上の純米吟醸酒しか、飲む気がしないのだ。胃がんの手術で小さくなった胃袋には量より質を重視した飲食物しか意地でも入れたくないのだ。

   チェックアウトの時に貰った支配人宍戸孝充氏の名刺を見たら、JSA認定ソムリエ・SSI認定唎酒師・SSI認定焼酎アドバイザー・HRS日本料理食卓作法認定講師・HRS西洋料理テーブルマナー認定講師と書かれていた。

普通酒 (1種類)

特定名称酒以外の清酒。一般に流通している大部分の日本酒である。白米、米麹(こめこうじ)以外にも、醸造アルコール、糖類、酸味料、うま味調味料、酒粕(さけかす)などの副原料を加えて作ることが、副原料の重量が米・米麹の重量を超えない範囲という条件つきで認められている。三倍増醸清酒、またはそれをブレンドした酒も普通酒に含まれる。

特定名称酒(3種類)

三等米以上の白米を用い、白米の重量に対する米麹の使用割合が15%以上の清酒。原料や精米歩合により本醸造酒(ほんじょうぞうしゅ)・純米酒(じゅんまいしゅ)・吟醸酒(ぎんじょうしゅ)に分類される。

   夕食は飛騨牛のシャブシャブなどの会席料理。全部は食べきれないのでいつも摘み食いに徹している。一番美味しかったのは岩魚(いわな)のお造り。ややピンク色の透き通るような身、軟らかすぎない歯ごたえ、微かな香り。

   71年間も生きていたのに岩魚のお造りは初体験。松坂屋豊田店では見かけない魚だ。天然鯛のお造りは堅さもセールスポイントだが、岩魚の程よい噛み心地に私は軍配を挙げたい。同じ養殖魚でもライバルの鮎よりも美味しく感じた。鮎はお造りよりも塩焼きに適した魚だ。




   平湯館の庭園は広過ぎて手入れが行き届かないほどだが、誰もがその名も知らない野生の草が少しは生えている方が、私には心が落ち着く。フランスの著名な公園のように直線・円・平面に刈り取られた幾何学的な公園よりも、出来るだけ自然の生態系を活かしたイギリス式庭園が好きだからかも知れない。

   昭和天皇の『雑草という名前の植物は無い』との名台詞を思い出す。

③乗鞍魔王岳登山



   乗鞍畳平はバス登山の終点。海抜2,702m。その直ぐ横に聳える岩山が魔王岳。海抜2,763m。高度差は僅か61m。登山道路の半分は階段状に整備されていたが、残りは岩がごろごろと転がっている自然のママ。危険防止のために緑色のロープが張られていた。大変登り難い道だ。眼下の赤屋根はバス停や食堂・お土産屋等。

   20代の頃、乗鞍・立山・槍・穂高など3,000m級の山に何度か登ったが、当時は山頂付近でも走って登れた。しかし、71歳の今は一歩一歩ゆっくりとした登り方になっただけではない。数分置きに休まずにはおれない疲れに襲われた。老齢化は上り坂で嫌でも確認できた。

   45年前の乗鞍の登山客は若者中心だった。今は一変して中高年者が中心だ。しかも中高年者の半分は夫婦だと推定。登山速度で登山者の元気度が分かる。我が観察では老女は老人よりも元気なようだ。産卵期を終えた老女は下血による体力消耗がなくなった結果、元気を回復したのだろうか?



   半分登った地点で已む無く休憩。右端は萩原氏。左端は熱くなって上着を脱ぎかけている石松。



   魔王岳の頂上には腰掛けたくなる岩も無い。登山に成功したとの証拠写真を行きずりの登山客に強要して撮って貰った後、そろりそろりと下山。登山時に重力に逆らって溜め込んだ、目には見えない位置のエネルギーを放出するだけで済む下山は大変楽だった。



   下山途中に岩の隙間に咲いている高さ15cmくらいのピンクの小さな花の群落を発見。葉は青く一株から10本くらいの花がシクラメンのように咲いていた。その瞬間、57年前(中学3年)の記憶が無意識の内に蘇った。

   
『山路来て 何やらゆかしすみれ草』。松尾芭蕉が42歳の若さで『野ざらし紀行』に書き残した俳句だ。詩心など全く育たなかった私でも、遅まきながら芭蕉の心境に共鳴した。豊田市内の吟行会の仲間に親友が居るが、彼らの豊かな発想力も書斎に篭っていては発揮されないらしく、発想しやすい場を求めて彼方此方へと旅に出かけるそうだ。

   帰宅後インターネットで調査。ケシ科のコマクサだったようだ。

コマクサ

   美しい花と、常に砂礫が動き、他の植物が生育できないような厳しい環境に生育する事から「高山植物の女王」と呼ばれている。コマクサはその花の形が馬 (駒) の顔に似ていることが由来となっている。

   高さ5cmほど。葉は根生葉で細かく裂け、白く粉を帯びる。花期は7~8月。花茎は10~15cmで淡紅色の花を咲かせる。花弁は4個で外側と内側に 2個ずつつく。外側の花弁は下部が大きくふくらんで、先が反り返り、内側の花弁はやや小さく、中央がくびれ、上端は合着している。萼
(がく)片は2個で早く落ちる。

   他の植物が生育できないような砂礫地に生えるため、地上部からは想像できないような50~100cmほどの長い根を張る。双子葉類の植物だが子葉の発達が悪く、子葉は一個しか出ない。

   昔は、花の美しさよりも薬草としての価値が高く、古くから腹痛の妙薬として知られていた。御岳では登山記念として、コマクサを「オコマグサ」という名で、一株一銭で登山者に売られていたようで、そこからコマクサは「一銭草」とも云われている。

④お花畑





   お花畑は反時計回りとの表示を見落した観光客が引きも切らない。遊歩道は幅が狭いのに我儘な観光客が多く、日本人の隠されたレベルが顕在化するのが情けない。



   バス停の20m下の窪地には湧き水に恵まれているためかお花畑が広がる。一周500m程度の高床式木製の遊歩道が整備されていた。日本ではこれほど立派な遊歩道が整備されている観光地は少ない。遊歩道から高山植物帯の中へ飛び出すには馬鹿でも勇気が要るためか、観光客もマナーを無理やり心得させられているようだ。

   高山植物の木は這松(はいまつ)中心。豪雪の下敷きになっても枝が折れないほどにお互いに絡み合った高密度な枝ぶりだ。お花畑の花には自衛上の豪雪対策は不要なはずなのに背が大変低い。高くても30cm程度だ。
   
   観光客の中には写真が趣味の人が大勢いた。ある人は70万円の望遠レンズを付けて雷鳥が至近距離に現われるのをじっと待っていた。遊歩道と這松の先端との間の草むらに親子連れの雷鳥が歩いていると説明。でも、保護色なのか私には僅か20m程度離れた場所なのに、幾ら場所の特徴を説明されても見つけられなかった。
   
   彼はカメラの覗き窓を通して雷鳥を見せてくれた。やっと姿を認識できた。その後では草むらの中を移動する雷鳥を簡単に目撃できた。本物を肉眼で見たのは初体験だ。鶏よりもやや小さかった。
   
   遊歩道で出会ったカメラが趣味の人は、大抵は高山植物の名前に詳しかった。黒百合の花とかいろいろ聞いたが忽ち忘れた。あるとき、遊歩道に縦長に寝そべっている人を発見。驚いた振りをして『人間が倒れている!』と、大声で叫んだらむっくりと起き上がった。接写中だった。歩行の邪魔になる人を動かすのには、嘘も方便!

⑤燃料電池車試乗



   バス停の前の広場では高山市の職員二人がホンダの燃料電池車の試乗会を開催中だった。主催者は環境省。全国各地を巡回しながら一箇所で2週間、地元の市町村の職員に作業を委託し、試乗した人からアンケートを集める趣向だった。
   
   平成の大合併で市では全国一の面積(2,177平方キロメートル)になった。香川県(1,876平方キロメートル)や大阪府(1,897平方キロメートル)よりも広くほぼ東京都(2,187平方キロメートル)並み。都道府県よりも面積が広い唯一の市だ。でも市域の大部分は山岳地帯。人口はたったの93,278人(2010年6月1日)。自然保護が課題となる高山市には燃料電池車が相応しいとの判断か?
   
   市の職員が運転するとの条件で数分間試乗した。動力性能には過不足は無かった。問題は1億円もする価格のコストダウンだが、解決する見通しは全く立たないまま官民挙げて関係者は電気自動車の開発に雪崩れ込んでいる。実用化は夢の又夢!

⑥おわりに

   今回の車の提供者は戸軽氏だった。5月に買ったばかりのプリウスだった。新車試乗会を兼ねたようなものだ。山岳地帯を含めた燃費は22Km。我がプログレの3倍だ。萩原氏は2年前にプログレからプリウスに変更済み。中川氏は2年後にプログレからプリウスに変更予定だそうだ。全国的にも馬鹿売れするはずだ。

   でも、私には天下のプリウスも魅力不足。タイヤから発生する騒音などの車外音の遮断には質量則が働く。プログレ並みの室内音を目指せば、面密度が高い材料を使わざるを得ず車が重くなり燃費が悪化する。今回は後部席に乗ったが騒音がやや高かった。帰途、我がプログレに乗ったら室内は無音に近く感じてビックリ。慣れればよいのだろうが・・・。

   私にとって環境で最も価値が高いのは静かさ! 車だけではない。家でも同じ。隣家のテレビの音が聞こえる環境は最低。鉄板細工のプレハブには住みたくない。ベストは石造りだが高すぎて諦め、鉄筋で我慢。敷地が狭い観光ホテルや旅館は敬遠。静寂さが確保できないからだ。

  
 『閑さや巖にしみ入る蝉の声』の芭蕉の俳句は、然したる特徴の無い立石寺を一躍有名にした。誰もが静かさに価値を感じていた証拠だ。

   買わない理由はもう一つある。過去11年間の年間平均走行距離は4,000Km。昨年4月にETCを取り付けたが未だに一度も使っていない。高速道路が無料になっても国内には行きたいところが無い! プリウスに乗り換えると4,000/7マイナス4,000/22は約400リットル。私の場合は年間5万円のガソリン代減にしかならず、がん患者の私の推定余命5年では回収できないからだ。

   今後の温泉旅行も仲間のご好意に甘えて便乗させていただき、車内でビールを飲みながらこの世の極楽浄土を楽しみ続けたい!

                               上に戻る
第8回目

実施日    8/26 
参加者    全てゴルフ&テニス仲間 中村様・戸軽様・石松
観光ホテル  バーデン明日(あけび)。39室・最大189人・1990年開業・1995年改築



   同行者の戸軽氏が写真で上に示す総集編を作ってくれた。感謝。

はじめに

   予てより体感したかった黒部大峡谷での野天風呂は、これぞ正しくこの世の極楽。我が家の露天風呂とは別次元の世界。清掃管理が行き届いている黒薙温泉の入浴料金はたったの500円。自然任せの管理人もいない鐘釣温泉に至っては無料。

   49年前(大学4年)の夏の終わりに、トヨタ自動車での夏季工場実習で出会った富山県出身者に連れられて立山に登った。生まれて初めての3,000m級の登山だった。当時の私には山の魅力が感知できなかった。

   しかし、世界95ヶ国を駆け巡った今、この緑溢れる黒部の大峡谷は岩山だらけのヨーロッパアルプスを越える貴重な人類の遺産だと、やっと認識できた。その一方、目の当たりに見た電源開発による自然破壊に心を痛めた。日本人は何と愚かな選択をしたことか。

   
① 旅行計画

   今回も写真撮影で彼方此方出かけ慣れている戸軽氏が密度の高い旅行計画を立ててくれた。成行き任せの私にはとても真似が出来ない。その上に戸軽氏はプリウスを提供され、同行の中村氏と交互に運転。エゴイストの私は運転もせずに、車の中で缶ビールをガボガボ。人生の極楽を満喫させていただいた。

   往復約700Kmの平均燃費は23.8Km。我がプログレの何と3倍だ。満タンで45リットル*23.8=1071Km>1,000Km! 電気自動車では逆立ちしても実現不可能だ。

8/26(木)

元町工場時計台(6:30)⇒出発(6:40)⇒川島PAトイレ休憩⇒城端(じょうはな)SAトイレ休憩⇒黒部峡谷鉄道宇奈月駅着(11:10)⇒散策・食事・駐車料金900円⇒トロッコ電車(12:50発車1,190円)⇒鐘釣(かねつり)温泉駅到着(13:50)⇒130段⇒野天風呂着(混浴・水着・無料)⇒トロッコ電車(15:39発車1,190円)⇒宇奈月駅到着(16:34)⇒バーデン明日到着(17:00)

8/27(金)

バーデン明日出発(8:20)⇒宇奈月駅到着(8:50・駐車料金900円)⇒トロッコ電車(9:00発車・560円)⇒黒薙(くろなぎ)温泉駅到着(9:24)⇒徒歩600m⇒黒薙温泉旅館到着(9:50)⇒野天風呂(混浴・水着不用・500円)⇒出発(11:05)⇒徒歩600m⇒黒薙温泉駅・トロッコ電車(11:37発車・560円)⇒宇奈月駅到着(12:02)⇒昼食・散策⇒宇奈月出発(13:00)⇒有磯海SAトイレ休憩⇒鞍ヶ池PAトイレ休憩⇒元町工場到着(17:00)

② 往路

   子供達の夏休みも末期。家族旅行組は子供の宿題に追われているのか、高速道路もサービスエリアもがらがら。



   予定よりも早めに宇奈月温泉駅に到着。宇奈月温泉駅前の噴水は何と温泉。駅周辺の狭い谷間には大型の温泉ホテルも多く(合計収容能力3,500人・富山県一の温泉郷)、有馬温泉街にそっくり。中心街には銀座通りを模したような美しい通り(200m)があり、観光土産物屋がびっしり。でも、通りを歩いている人は殆どいない。三人揃って記念撮影をしたくても頼める人を捜す苦労が付きまとった。
  

  
   富山地方鉄道の
宇奈月温泉駅とトロッコ電車の宇奈月駅とは100m位離れていた。トロッコ電車の駅前広場には大型観光バスがひっきりなしに出入りしていた。鉄道と広場を挟む反対側の丘の上には大駐車場。駐車料金900円は殿様商売の独占的な高価格。壮年の男性集金人が数名もいた。
   
   年金生活をしている老人向きの仕事なのに、日給6,000円の学生アルバイトや壮年の正規職員が中心。贅沢な人使いだ。自動集金ゲートを導入しないのは地元民への雇用対策か? 
   
③ トロッコ電車

黒部峡谷鉄道の歴史


   黒部峡谷の電源開発に伴い、その輸送手段として、電源開発が上流に延びるとともに軌道を延長してきた黒部軌道は、昭和12年に現在の終点の欅平まで開通しましたが、当初は電力会社の専用鉄道として、建設用の資材や作業員輸送に重点がおかれていました。しかし、当地方は自然峡谷美を誇る秘境であり、探勝を希望する一般の人が絶えないため、やむを得ず生命の保証をしないことを前提に便乗の取扱をしておりました。

   その後、黒部峡谷の自然を求めるお客様の増加と地元の方々の強い要望から、昭和28年11月に地方鉄道法による営業の免許を受け、昭和46年5月には黒部峡谷鉄道として発足し、現在にいたっております。


黒部峡谷鉄道の保有車両

   黒部峡谷鉄道は、愛称トロッコ電車と言われ、軌間762mmの小さな鉄道ですが、平成20年4月現在で、車両総数322両。機関車27両、客車138両、貨車155両、特殊車2両はいずれも中小民鉄第1位の保有数となっています。







   観光客用の車両は6両編成と7両編成が合計17編成。繁忙期には2編成を連結し電気機関車2台(オレンジ色)が13両の客車を運んでいる。客車の全長は我が目測では連結部分を入れて10m。平均時速は16Km。自転車並だ。

   客車は四種類。特別客車・リラックス客車・パノラマ客車・普通客車。前3種類には特別料金が加算される。我が仲間は吹きさらしの普通客車を選択。

   雪に閉ざされる冬季は運休。黒部ダムなどの管理要員は鉄道脇に併設されている狭いトンネルを6時間もかけて通勤するのだそうだ。一週間交替としても禁欲生活は若い職員には辛そうだ。



   ダム周辺の山々には紅葉と勘違いするほど枯れ掛けている紅葉落葉樹が目立つ。数年前から日本中で発生している『カシノナガキクイムシ』の仕業だ。
   
概要

   夏場に枯損が深刻化する。樹木の周囲に、穿孔した木のくずが散乱することも特徴である。樹種はカシ、シイ、ナラ類が対象となりやすく、しばしば大量発生と衰退を繰り返す。針広混交林の里山でも被害は見られることから、マツクイムシの被害と混同されることがあるが、両者に関連性は無い。

   本種は「養菌性キクイムシ」と呼ばれるグループに属し、幹に掘ったトンネル(孔道)の内壁に繁殖した菌類を食べて生活している。体には、マイカンギアと呼ばれる菌類を保持する特殊な器官があって、枯れた木から生きている木へと菌類を運ぶ。本種と強く結びついている菌類としては、カビの仲間であるRaffaelea quervivora[1](俗に「ナラ菌」と呼ばれる)がよく知られる。

   本種による影響の例として、京都市の『五山送り火』で知られる如意ヶ岳(大文字山)など東山連峰では、2005年から2009年までの5年間に亘り、本種の影響と見られるナラ枯れの被害が拡大している[2]。


対策


   対策としては伐倒及び燻蒸処理があるが、極めて広範囲で発生することから現実的ではない。被害が拡大しても、全ての樹木に被害が出るわけではないこと、また、枯損木の周囲で天然更新が行われることから、山が丸裸になることはない。

   毎週出かけている豊田市郊外の『名古屋グリーンテニスクラブ』横の山林でも、今春1本枯れたと思っていたら、瞬く間に周辺の木も枯れ始めた。中部縦貫道などの沿線でも、途切れることもないほどに被害が広がっていた。
   
   帰宅後、テレビの特集番組で専門家の解説に偶々出会った。カシノナガキクイムシは大きな木は枯らすが幼木には住みつかないらしく、数百年の長期で見れば森の再生・更新をしてくれるそうだ。
   
   アメリカやオーストラリアなどの自然発火による森林火災は、人家に迫らない限り放置するのが原則。自然界はほっといても自然に回復するのだ。マスコミは危機感を煽るが余計なお節介だ!
   


   ダム湖の一つに手すりの無い幅の狭い吊り橋を発見。猿のためだそうだ。電力会社の地元民懐柔策??

   中央部に空色の直径25cmのパイプが微かに写っている。これぞ正しく宇奈月温泉街の命綱。このたった一本のバイプで黒薙温泉(源泉)から運ばれた温泉(毎日3,000トン)が、各ホテルに分配されるそうだ。

④ 鐘釣温泉

   露天風呂と野天風呂との区別は曖昧だ。私は自然のママで入れる温泉風呂が野天風呂、野天風呂を真似て観光ホテルやスーパー銭湯が人工的に作った屋外の風呂を露天風呂と解釈している。

   露天風呂は温泉入浴の原風景とも言える。野湯のような状態であった温泉に浴槽を整備したものが始まりである。

   温泉における露天風呂の人気は高い。景色を眺めながら入浴出来ることや、入浴時に開放感を味わえること、また浴室内に熱がこもるようなことがないためのぼせにくいことなど様々な要因が挙げられる。そのため、多くの旅館、日帰り入浴施設は内湯だけでなく露天風呂も併設している。

   但し、2つの湯船を持つことで源泉の必要量が増す。そのため源泉が十分に確保できない場合は循環風呂になったり、片方の浴槽から溢れた湯を残りの浴槽に注ぐことが発生する。
  
    また、近年の傾向として目隠し等を気にするばかり、天井と三方の壁に囲まれて完全な屋内風呂の赴きでありながら「露天風呂」としているところもある。この場合、露天風呂ならではの開放感や眺望の良さは完全に損なわれてしまうため、半露天(一方向だけが外へ開いている)としているところもある。

   管理側の問題として、特に源泉温度が高い掛け流し温泉では、湯温が天候状態によって大きく上下するため、こまめな温度管理が必要となる。

   温泉に限らず、多くのスーパー銭湯においても露天風呂が設置されている。1980年代初めまではローマ風呂やジャングル風呂に代表される屋内風呂が主流であったが、1980年代後半の所謂バブル景気の頃より露天風呂が持て囃され、今や露天風呂のない温泉は商売として成り立たないほどである。




   野天風呂こそが正真正銘の源泉掛け流しの風呂だ。川底や川岸から高熱のお湯が流れ出し、上流から流れてきた冷たい水と混合され適温になった場所に小さな湯溜りがあった。

   鐘釣温泉の野天風呂は
黒部川に沿って100mくらいの間に何箇所かあった。その中からお気に入りを選んで入浴。42度くらいはあり、やや熱めだった。風呂の周辺には岩が適宜積上げられていたが、底は砂利のママだった。寝心地は悪いが常時お湯が流れている結果、透き通った温泉だった。硫黄の匂いは弱かったがヌルヌル感は十分満喫できた。
   


   同行の仲間と温泉を満喫していたら、老若男女の団体客が押し寄せてきた。日本人かと思って声を掛けたら、韓国から来たと日本語の分かる人が答えた。私達を遠巻きにして入浴を遠慮していた。私は片言英語で『此処が空いている。どうぞお入り下さい』といったら、勇気ある二人が近づいてきた。

   水着とカラーパンツの区別は付かない。彼らの脱衣プロセスからカラーパンツと分かった。胡麻塩頭の右端と左から二人目の笑顔の男が韓国人だった。彼らの裸体を幾ら詳細に観察しても、私には日韓の区別はできなかった。
   
   『韓国の大田市の温泉に入ったことがある。韓国人は陰部を全く隠さない。遠慮は不要だから、パンツは脱いでも構わないよ』と声を掛けたら、英語を理解した左側のハンサムな男が半分パンツを脱ぎかけた。でも直ぐに元に戻し英語で『恥ずかしい!』といって、両手で顔を覆った。



   韓国人たちは川原で遊んでいるだけだ。ロッカーも無いので、財布を入れた我がズボンは一番目立つ石の上に脱ぎ捨てた。傍らの石の上に座り体を冷やしながら暫くの間、来訪者の挙動観察に没頭した。韓国には温泉が少ないためか、足湯だけで満足しているようだ。

⑤ バーデン明日



   観光ホテルの命名の由来は聞かなかった。我が推定ではドイツの有名な温泉保養都市名からの借用と確信。『明日』は『あけび』と読む当地の地名に由来。

   宇奈月温泉街は知名度が高いためかトクーの割引価格でも軒並み1万円以上。宇奈月温泉郷には属さないが、直ぐ近くの安価な7,710円(7,200*1.05+入湯税150)のバーデン明日を予約。今回の目的はあくまでも黒部峡谷の野天風呂を満喫することにあった。源泉(毎分600リットル=日量864トン)は宇奈月とは異なり、当ホテル専用だそうだ。

   バーデン=バーデン(標準ドイツ語:Baden-Baden, アレマン語:Bade-Bade(バーデ=バーデ))は、ドイツ連邦共和国の都市。バーデン=ヴュルテンベルク州に属する。人口は約5万4千人。ヨーロッパ有数の温泉地として幅広く知られる。

   ドイツ語では、バーデン(Baden)という語自体が、「入浴(する)」を意味しており、そこからバーデンという地名がついた。1931年、多く使われていたバーデン=イン=バーデン(Baden-in-Baden)という表現が縮まって、バーデン=バーデンが街の名となった。

    このドイツのバーデン・バーデンも更にそのルーツを辿れば、ローマ時代のイングランドの温泉バースに由来するのでは??

   バースについての最古の記録はローマ支配時代の温泉に関する記述である。しかし言語学上の類推から、それ以前から温泉が利用されていたことが推測される。主な温泉源は、ケルト人により信仰の対象になっていたとも考えられている。

   2世紀頃、ローマの支配下で温泉の街として発展した。バースの温泉はさまざまな病気に効用があると考えられた。ローマ支配末期には、バースを取り囲むように城壁が建築された。

   ローマ撤退後は一時廃れ、ローマ様式の浴場も破壊されたが、温泉の利用は続いたようである。675年、修道院が建設され、781年、マーシアのオファ王がそれを支配下に置き、聖ペテロを守護聖者とする教会を設立した。その後、アルフレッド大王が町を造り直した。

   エリザベス1世の時代に温泉地として復活、とくに18世紀のジョージ王朝(1714-1830: 英国王ジョージ1世 - ジョージ4世)と呼ばれる時代になってロンドンの貴族や富裕な階層の保養地として大規模に再開発され、近隣の土地から産出した石灰岩による多くの美しい建物群が建造された。1942年4月、ドイツ空軍の爆撃によりいくつもの由緒ある建物が破壊されたが、その後すべて再建されている。

    当日の宿泊者数は我がグループの3人を入れてたったの5人。15畳の大きな和室。倒産するのではないかと本気で心配した。でも、どうやら、最近の温泉郷の経営は変わり始めているようだ。



   当ホテルのセールスポイントは使いきれないほどの源泉を活かした大型露天風呂。風呂からの景観演出用に石・植木・灯篭・夜間照明設備などを配置。高齢者など要介護者用の手摺も完備。風情を出すために節を抜いた孟宗竹製のパイプで給湯していた。

   お客の主力は500円の日帰り客。お盆には一日に何と600人も押し寄せたそうだ。昼食付き日帰り客も激増しているそうだ。新婚旅行や忘年会などならばいさしらず、温泉を満喫するのに宿泊用の部屋代を払うのは無駄と誰もが考えるようになったらしい。
  
   今や各地の温泉郷はスーパー銭湯や居抜き観光業者(倒産旅館をただ同然で買取り、超低価格で再建する業者)との大競争時代を迎えているらしい。

   当日の二人組みは埼玉県から遥々来た鮎釣り夫婦。今年も3回目。神通川に出かけ、一回に40匹前後の収穫。いつも連泊するそうだ。



   釣り人は一泊9,980円。我が仲間はトクーの直前特価で10,290円からの27%引き。仲居に『直前特価で安くなったが、鮎釣り客よりも二品くらい削除しているのでは?』と質問すると『全く同じ』だそうだ。
   
   会席の常、13品出された。でも、半分は残念ながら食べ残した。しかし、流石に富山湾の鮮魚は美味しかった。刺身の目玉は天然の大型鰤(ぶり)と推定。

   返す返すも残念だったのは富山県城端出身のトヨタ先輩が、熱い季節だから家で休みたいといわれたことだ。森林浴も兼ねた黒部の朝夕は、私には特別快適だった。

   57年前(中学3年)に学んだ下記の歌を、突然思い出した。1,000年以上も昔の人の鋭利な季節感には、仲間内ではパソコン活用能力ナンバーワンと言われている我がトヨタ先輩も追いつけないようだ。

   
秋き(き )ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる(古今169)
   藤原敏行 ふじわらのとしゆき 生年未詳~延喜元(?-901)

⑥ 黒薙温泉

   黒部峡谷鉄道で黒薙駅まで移動。降車客は我が仲間の三人だけ。客の多くは終点の欅平まで行くらしい。黒薙温泉は黒部川の支流『黒薙川』にある。僅か600mの距離だが一山越えるのはがん患者の私には一仕事。道中100m置き位の密度で『あと何メートル、頑張れ』との励ましの標識。道端には箒。通路の清掃は徹底していた。

   野天風呂の入り口には木造二階建ての小さな温泉旅館があり、入浴料500円を支払う。管理人夫妻は食堂も経営していた。



   黒薙川の川原には28畳敷きの大野天風呂が整備されていた。浴底には黒部川の天然石を平らに磨いた石が隙間なく敷かれていた。水着着用の義務はなく伸び伸びと楽しめた。湯温は推定39度。長湯も楽しめた。

   傍らに大きな液体炭酸ガスボンベがあり、上から常時水が掛けられていた。その直ぐ上に金網製の大きな虫篭(罠)があった。風呂の周りには大きな無数の虻(あぶ)が飛び回っていた。虻は炭酸ガスに引きつけられるそうだ。

   でも、これだけの対策では不十分のようだ。仲間の二人は数箇所も虻に咬まれ出血。更には腫れあがった。人間の汗腺からも少量の炭酸ガスが出ているのだろうか? 私には虻が近寄らなかったので安心していたら、遂に一箇所咬まれた。大事には至らず、ほっと一息。

⑦ 黒部川の発電所

   昭和2年に柳川原発電所(54,000Kw)が運転開始して以来、次々に発電所が完成。昭和36年には黒四(335,000Kw)、平成12年には11ヶ所目の宇奈月発電所(20,000Kw)も完成。合計出力は946,700Kwにもなった。

   でも、発電所よりも大きな価値がある自然を失った。ダムと発電所の最適建設位置は通常一致しない。両者は離れている。両者を繋ぐ川には水流が無い。川原には両側の山から崩れ落ちたでこぼこの大小の岩石が空しく転がり、清流黒部川は失われたのも同然だ。川原の石は水流で角が取れることもなくごつごつしたままだ。野天風呂に浸かりながら我が頭は自然破壊対策への連想に明け暮れた。

   水力発電所は年中稼動しているわけではなく、大抵はピーク時の最大電力を補うべく間歇的に運転されている。黒部川の全発電所の平均稼働率は発表されていないが50%は切るのではないか。宇奈月駅前にある黒部川電気記念館で係員に質問したが、答えられなかった。関心がないのだ。

   これほどの建設努力をしても超大型原発の半基ほどの出力だ。原発の稼働率を低めの70%と仮定しても実質は1/3になる。

   私には昨今話題になっているエコ発電ブームにも大いなる疑問を感じている。風力発電も太陽光発電も太陽熱発電も地熱発電も日本には向かない技術だ。
   
   風力発電は大平原で人口も少なく風向が安定している中央アジア向きだ、原発一基分には稼働率を考慮すると3,000Kwクラスの大型機でも1,000基は必要だ。我が祖国では彼方此方の風光明媚な山々に、無秩序に僅かばかりの風力発電機が設置されているが失われた景観が惜しまれてならない。

   太陽光や太陽熱は夜間だけではなく雨天や曇天でも使えず、日本での稼働率は20%程度になるのではないかと怖れる。しかも、光や熱からの電力への変換効率の低さを掛けると1平方キロメートル当たりの発電力は多くても数万Kw。これらはサハラなどの沙漠向きだ。

   地熱にいたっては継続的に取り出せるエネルギーは意外に少ない。温泉に利用すれば電力よりも遥かに価値が有ると思っている。

   足りない電力は超大型の原発と今や発電効率が50%を超えるに至った複合火力発電所を増設すればよいのだ。原発の廃棄物は大深度に巨大な穴を掘り永久封鎖すれば済むことだ。

⑧ 屋敷林

   富山県の魅力は黒部だけではない。砺波平野に見られる生活の知恵の象徴、屋敷林だ。


 

   民家を北風から守るように取り囲んでいる常緑樹の美しさは格別だ。広い屋敷の中には果樹園や家庭菜園だけではなく日本庭園もある。ああ、羨ましい。この種の屋敷林は山陰地方や北陸地方にも散在し、仙台平野でもしばしば見かけた。日本の原風景の一つだ。
   
   大都市の住民が逆立ちしても手に出来ない贅沢さだ。豊田市は地方都市なのにいつの間にか土地価格が暴騰し、国内各地から雪崩れ込んだ移民は狭い屋敷に閉じ込められている。安定した職場と居心地の良い住宅環境を同時に手にすることは許されないようだ。


おわりに

   トクーの直前割引システムを知って今春来7回の温泉旅行に出かけた。しかし、宿泊日の午前零時に予約するのは早寝早起きの私には辛かった。その上、宿泊日が指定されるため、予約前の仲間集めにも若干の苦労が伴った。

   その問題を解決するかのようにトクーも『フラッシュマーケット』に今年8月から参入した。トクーのフラッシュマーケットはクーポンを売り出した時刻から48時間以内に購入した後、2,3ヶ月間の有効期間内は空室が有る限りクーポンが自由に使えるシステムだ。宿泊日の決定にはクーポンの購入後に仲間の都合を調整できる時間的なゆとりがあり、大変便利だ。

   先ずは試しにと練習開始。我が夫婦と長女の義理の両親夫妻との温泉旅行用に、湯沢温泉の300室の大型ホテルでの二室連泊を申し込んだら簡単に購入できた。

   直ちに仲間にフラッシュマーケットを紹介した。売り出し開始日が9/2と予告されている鳥羽温泉の雅亭一井(今年2月に体験済み)への参加希望者はいとも簡単に確保できた。自称幹事の私の負担は大変軽くなった。

   今後暫くは、フラッシュマーケットを活用することにした。


                               上に戻る
第9回目

実施日      10/25
参加者     全てゴルフ&テニス仲間 中川様・東様・戸軽様・石松
観光ホテル  熱川温泉 志なよし 6階建て・35室・最大定員200名

はじめに

   今春から爆発的に伸びているフラッシュ・マーケットでクーポンを購入し、仲間と共に伊豆半島の東海岸にある熱川(あたがわ)温泉に出かけた。

   12,800円を4,968円で購入した『志なよし』の一泊二食は、私のように細々と生きている年金生活者には大変ありがたかった。生まれて初めて食べた
ウチワエビの刺身は、伊勢海老の刺身と変わらぬ美味しさ。目隠しで食べさせられたら、私にはその差を区別できなかったと思えた。

   帰途立ち寄った、河津バガテル公園(パリのバガテル公園を真似た6,000株を誇るバラ園)や沼津御用邸記念公園の見学ではその美しさに感動した。沼津魚市場の寿司屋では本格的な美味しい寿司を久しぶりに満喫。同行した仲間の詳細な事前調査にはいつも感謝している。

フラッシュ・マーケット

   フラッシュ・マーケットの情報が今夏から急にテレビで紹介され始めた。数年前にアメリカで始まった新ビジネスモデルだそうだ。日本では今年(平成22年)4月頃に始まり今では80社もの乱立。

   その代表的な会社がトクートラベル(http://www.tocoo.jp/coupon/detail/49)だそうだ。社長はCMではなくテレビの特集番組でも何度か時の人のように紹介された。

   ホームページでの解説では当初は曖昧なところも散見されたが、やっと正確な記述に改められた。営業方針は各社異なるが、トクーの場合を以下に補足する。

① トクーは観光業者と交渉して売り出し価格を決定する。通常の価格の半値以下だ。
② 売り出し情報はホームページに載せる。売り出し期間は二日または三日間。同時には全国で一社のみの紹介だ。
③ クーポンの最低販売数を設定し、売り出し期間中にその数に達しなかった場合は、受け付けた予約は無料で自動的に解約される。過去の実績では10月/29までの44回の内で3回の案件が最低販売数に達しなかった。観光業者の欲の掻きすぎか?
④ 最低販売数を達成したら、代金は予め登録していた会員のカードで自動的に決済される。予約後のキャンセルは受け付けない。メールで発信されたクーポンは申込者がプリントし、旅行時に観光業者などに渡す。
⑤ 旅館の宿泊日やレストランなどの利用日はクーポンに記載されている有効期間内の日を選んで、業者に直接申し込む。

   当初は旅館やホテルのみを対象にしていたが、今ではラーメンやふぐ料理など種類も増えた。8/3~10/29までの実績では尻上がりに好調。44回目の伊良湖ガーデンホテルの募集では2,228枚ものクーポンが売れて新記録。
   
   トクーの収入は100万人超からの会費(年間5,250円)のみ。観光業者などは営業経費を掛けずに大量の客を短期間に獲得できるだけではなく、集金不安も全くない。一見の客ではあっても心を掴めばリピータにもなってくれる得難い機会にもなる。会員は市場価格よりも安く人生を満喫。会員の同行者が廻りまわって会員になってくれればトクーも収入増。情報化社会を活用した新ビジネスモデルに拍手喝采!!

旅行計画

   今回の目的地は伊豆半島。1人を除いて古希を超える今回の仲間には、何回かは出かけている代表的な観光地。参加者に行きたいところがあればご連絡をと要望したが、誰からも希望は出されなかった。

   車の提供者が居なければ石松が用意するといつも連絡しているのだが、今回は去る5月に最新型のプリウスを購入したばかりの東氏からの申し出があり大変有難く感じた。氏はプログレの後継車種ブレビスからの乗換え組。
   
   我が知人達はプログレからプリウスへと怒涛のように買い換え始めた。でも、燃費は悪くともプログレの乗り心地に超満足している私には買い換える気が全く起きない。プリウスは燃費を優先した軽量化のためか、タイヤからの透過音で室内騒音が高すぎるのだ。

   私は移動の車中で心置きなくまたもやビールを飲みながら、極楽浄土を満喫できるご好意に悪乗りしつつも、感謝。

   旅行好きな東氏は密かに様々な観光の候補地を考えられていた。車中で紹介していただきつつ、渋滞や時間を考えながらの成り行き任せ。でも、でも、結果的には予想もしなかった楽しい旅になった。氏の積年の体験から出た贈り物だ。

レストラン『なすび』

   東氏が何度か立ち寄ったという、レストランとは私には連想できなかった名前の『なすび』で昼食。『一富士・ニタカ・三茄子』に由来するそうだ。なるほど、近くには富士山。

   女性従業員は機能的な
もんぺ姿。制服は毎日洗い、自分でアイロンも掛けていると言う甲斐甲斐しさ。和風旅館の仲居の大部分は産卵期を終えた老女だが、自営業のレストランでは何故か未婚の処女?が多く初々しさを感じる。

   刺身も美味しい太刀魚尽くしの昼食。伊豆半島は魚の本場。新鮮な魚介類の美味しさを満喫できる周辺の住民が羨ましい。内陸部の豊田市では松坂屋豊田店と雖も鮮度では、活魚が溢れる海浜のレストランには逆立ちしても敵わない。

   松坂屋の鮮魚店は大都市の有力デパート(高島屋・伊勢丹・三越・大丸・松屋他)のテナントとしては多分ナンバーワン(我が推定に過ぎないが・・・)の中島水産。商品は本部から送られてくるのだそうだ。どうしても配送時間分だけは鮮度が落ちる!!

熱川温泉

   
海沿いまで山が突き出た狭地に19軒の旅館ホテルが存在する。熱川の源泉温度はほぼ100℃であることから、源泉井の上部からは湯気が多く出ており、湯煙に包まれた温泉街の光景を形成している。

   別府温泉で無数に見かける高温の自噴源泉こそが本物の温泉と盲信している私には、ポンプで汲み上げた鉱泉を加熱している愛知県下の温泉郷では味わえない満足感が熱川温泉郷にはある。気分だけを味わっている私には、温泉の成分とか効能には全く関心が沸かない。

志なよし
   
      予約していた志なよしまでの伊豆半島の道路脇にはところどころ廃墟と化した倒産ホテルの残骸。地方都市の中心街がシャッター通りになったと言われ始めたのも今は昔。商店街だけではなく、今では観光旅館も全国的には半減したそうだ。

   移動距離当たりの国際線の航空運賃は今や国内のタクシー料金の百分の一以下。国内の交通機関と比べれば、国際線は最も速いのに最も安い。海外旅行費用に占める移動費は激減した。アジア各地の宿泊費や食費は、日本に比べ昔も今も格段に安い。国内各観光地が寂れたのは理の当然だ。

   かつては英会話に自信がない人は海外旅行に躊躇していたが、それも今は昔。世界各地で日本語だけを大声で喋る老人や老婆の団体旅行者が闊歩している時代だ。




   
      志なよしは熱川温泉郷の度真ん中。いつの間にか林立した大型ホテルに包囲されていた。ホテル正面の小さな広場には、温泉櫓を象徴したような記念碑が立てられたミニ公園と綺麗な公衆トイレがあり、櫓の周りには昨今流行の足湯。早朝、管理人がホースから水を噴出させながら清掃していた。清潔感第一主義だ。

   志なよしに到着するや否や、フロントの男性に早速質問。

『和風形式の旅館にはいつも戸惑いを感じています。定価はあってもその内容は客から見れば、都市ホテルとは異なり不透明です。どんぶり勘定そのもの。フラッシュ・マーケットでクーポンを安く買いましたが、食事の内容は定価通りなのですか?皿数や食材の質を落してはいませんか?』
『全て同じです!』。頭に髪の毛が全く生えていない爺さんは憮然とした表情で回答した。

   大広間ではグループ毎に分けられたテーブルに夕食が配膳されていた。周りのテーブルと同じ料理が並んでいた。大浴場で出会った埼玉県の越谷から来たという客にも質問。

『私達は4,968円でクーポンを買いました。貴方は幾らで泊まっているのですか?』
『7,800円です。この辺りは7~8,000円が相場ですよ』

   志なよしの夕食は豪華だった。久しぶりに賞味した伊勢海老やアワビの刺身に加えて海の幸づくし。胃がんで胃の2/3を切除している私は、残念ながら仕入原価が安いと判断した料理(マグロの赤身の刺身など・・・)は何時ものようにつまみ食いに終始。





   2,100円のアワビの踊り焼きやウチワエビの刺身がクーポン客には各980円の割引価格。伊勢海老一匹では三切れ。ウチワエビは二切れ*四匹の刺身。ウチワエビとは外観が団扇に似ているのが名前の由来。でも、私には三葉虫(化石の写真を下に貼り付けた)に似ていると感じられた。



   この両者の刺身は私には区別が付かない味覚だった。かつて通販で購入した5Kgの大型活タラバガニの脚から、苦労して取り出した軟らかすぎて水っぽく感じた刺身よりも美味しく感じられた。

   志なよしや寿司屋の関係者がウチワエビは『泳げる』と知ったかぶりをしたのには驚く。ウチワエビとは
『水深300mまでの浅い海の砂泥底に生息する。成体に泳ぐ能力はなく、海底を歩行して生活する』のだそうだ。

   オプションのアワビの踊り焼き(980円)も大変美味しかった。かつて通販で国産アワビの半額、2Kgで1万円の冷凍チリアワビを購入。刺身にも出来るし内蔵も食べられた。でも、肉の堅さには辟易。トコブシに似ていてがっかりした。しかし、今回の国産アワビの肉は柔らかく、伊勢海老の刺身よりも超満足。

   アワビと伊勢海老とは重量当たりの市場価格はほぼ同じ(概算1Kgが1万円)。でも、姿第一主義の伊勢海老は他の海老類と味覚では然して変わらない上に、頭でっかちなので刺身にすると可食部分が激減する! 一方アワビには、貝殻以外捨てる部位がない。刺身でも焼いても美味しく食べられるアワビに私は軍配!!

   待望していた大浴場は二箇所あった。時間帯で男女が入れ替わる。私が入った時間帯では男はジャングル風呂。各種熱帯樹が温室のように茂っていた。ここのホテルの源泉温度は98度。

『どのようにして温度を下げているの?』
『加水しています』と仲居は正直に回答した。

   傍らでは5リットルくらいの容量の土瓶から直径1.5mくらいのコップにお茶が注がれていた。流石はお茶所静岡県だ。土瓶の中には大きな袋二つに茶葉が入れてあった。言わば室内の露天風呂だ。コップは粘土に小石を混ぜた複合材料の焼き物。御影石と勘違いする仕上がりだった。



   翌朝、屋上(七階)にある屋根付きの無料貸し切り、木製の露天風呂に入った。眼下には太平洋が広がる見晴らしの良さ。屋上に出るのは厳禁と書かれていた張り紙は無視。

   潮騒を聴きつつ、心地よい風に吹かれた。快適な自然への感謝の気持ちをこめて散歩しつつ、ぶらぶらしていた我が愛しの陰茎にも頭を無理やり下げさせながら、太平洋に向って沈黙のご挨拶。

河津バガテル公園



   バガテルとはフランス語で「小さくて愛らしいもの」という意味。パリ市内ブローニュの森の一画に位置するバガテル公園には、幾何学模様の庭園や菖蒲園、池などがあり、季節の様々な花を楽しむことができる、パリ市民にこよなく愛される公園です。

   なかでもローズガーデンは、バラの育種家・愛好家にとって憧れの場所として世界中の人々を魅了してやみません。

   河津バガテル公園のローズガーデンは、パリ市やバガテル公園協会の全面的な協力のもと、このパリバガテル公園のローズガーデンを忠実に再現しています。


   入り口で渡された資料では5~11月が見ごろと書かれていたが、花が爛漫と咲いている初夏の写真に軍配!  1,100種ものバラが植えてあるそうだが分類基準が分からない。色違いも別種と数えているのだろうか?

   園内の植生管理は行き届いていた。雑草取りはゴルフ場並みの人海戦術。若い女性が作業服を着て甲斐甲斐しく働いている。直近のマスコミの報道では若年者の平均年収は女性が男性を上回ったとか。
   
   多くの女性が介護士・看護師・薬剤師・保育園や幼稚園などの保母や先生などの専門職に進出。女性の花形職場はデパートなどの販売員や居酒屋などの看板娘だけではないようだ。

   動物界では見栄えや体力第一主義でメスはオスを選択しているが、人間界では目には見えない人格や生活力も真剣に厳しく評価されるようだ。
   
   気の毒にも正規社員になれなかった負け組みの男性は大卒だろうが何卒だろが、自業自得とは言えフリータやパートなどの低賃金アルバイト業に転落。一方、農学部卒などの女性が当公園でも正社員としてプライドを持って働いている。堅実で逞しい女性群から、結婚市場で見放される男性が激増するのも当然の結果だ。同情する余地もない。

沼津魚市場



   2007年11月27日にオープンした沼津港内にある水産複合施設です。1階が魚の卸売市場、2階に「沼津魚市場食堂」、回転寿司の「すし廻鮮 うお亭」、ハワイ料理の「トニーズホノルル」などの飲食店があります。
   
   朝はセリの風景を見学できるほか、展望台からは、富士山や沼津内港、巨大水門展望台「びゅうお」などの絶景も楽しめます。


   到着した火曜日は残念ながら魚市場は休み。でも彼方此方には個人商店が商魂逞しく営業中。新鮮な魚介類だけではなく特産の干物や輸入の冷凍品など商品の種類も多い。こんなにも多くの魚屋が何故共存共栄できるのかが不思議だ。

   久しぶりに伝統的な寿司屋に入った。時々出かけている自宅から1.5Kmの回転寿司(スシロー)よりもワンランク上だ。価格も高いがネタも大きい。私の食べた握りずしの平均単価は一貫200円。回転寿司の4倍だ。たったの八貫で満腹した。
   
   水揚げされたばかりの市場から朝仕入れるネタは、全国ネットのスシローよりも一日分だけ鮮度が高いのではと断定。美味しさには満足。

『沼津には回転寿司屋はないの?』
『スシローやカッパ寿司もあります。でも、客層が違います』
『冷蔵庫の中にはこんなに沢山のネタがあるのに、売れ残ったらどうするの?』
『閉店前に殆ど完売します。万一残ってもネタによっては翌日に持ち越せます』
『たった二人で寿司を握っているの?』
『三人です。今は昼のピークを過ぎたので、交代で一人ずつ休憩しています』
『伊勢海老は置いてないの?』
『あちらの水槽で泳いでいます。ちょっと小ぶりですが1,800円です。伊勢海老は一貫単位ではなく一匹単位です。刺身に加工する時どうしても身が残る殻は、無料で味噌汁にしてお出ししています』。

   ここの伊勢海老のサイズは志なよしと似ていた。一匹200g前後と推定。三貫握れれば一貫が600円になる。

沼津御用邸記念公園

 
  沼津御用邸記念公園 明治・大正・昭和にかけて77年間、皇族が利用した御用邸。敷地は約15万平方mに及ぶ。
   
   1969年(昭和44)の御用邸廃止後に一般に公開され、戦災をまぬがれた西附属邸は御殿内の観覧が可能。建物内部には、当時の家具や調度品が多数展示されている。




   入り口の門扉で象徴されるように、沼津にもこんな立派な旧御用邸があったと知らなかった。現役時代、沼津に出張する用件が発生しなかったのも知らぬが仏の一因。

   公園だけの散策ならば100円、建物内も見学すると400円。皇族方がお泊りに来られるときの随行者の多さには驚く。
   
   100年前にスギ・檜・松などの四方柾(しほうまさ)の材料を使った純和風宮廷建築は今や超貴重品。でも今から考えると、空調設備も無くさぞかし住み心地が悪かったのではと心配になる。家具調度品も当然のこととは言え、当時の最高級品。
   
   関係者が最も怖れたのは火災。御料浴室には何と浴槽が無い。別棟の湯沸所から桶でお湯を運び、行水のように掛かり湯式での入浴。欧州各地の大宮殿では大きな浴室の真ん中に浴槽がちょこんと設置されていたが、我が皇室の質素な伝統に驚く。
   
   旧御用邸の圧巻は建物よりも広大な庭園だ。海岸に接した庭には巨木に育った美しく剪定された松林や芝生が広がる。何よりも静寂な環境こそが贅沢の極みだ。和歌も俳句も我が貧弱な頭には浮かばないのが情けない。
   
   年老いた女性がボランティアとして、一つ一つ丁寧に説明しながら案内してくれた。

『貴女は未だ若いのに、何から何まで良くご存知ですね』と感謝の気持ちを延べたら
『皆さんと変わらない歳ですよ!』



   当初は立派な建物も100年経つと有り触れた古民家のようになるのが悲しい。

   中央の二人はテニスでもゴルフでも今尚衰えを知らぬ好プレイをされる元気老人。でも、こんなに真っ白な髪の持ち主になられていたとは気付かなかった。平成の浦島太郎だ。カメラの悪戯に思えてならない。

おわりに

   過去四半世紀(25年間)に亘り、我が関心は海外に向かい、国内旅行は実質的に中止していたのも同然だった。でも、今春から仲間と共に近場の温泉旅行の序にその周辺の観光地も漫遊し始めた。

   その結果、日本も捨てたものではないどころか、我が祖国は山紫水明・景観豊かな自然や温泉だけではなく山海の珍味にも恵まれていたのだ、と遅まきながら再認識した。文字通り井の中の蛙、知らぬが仏の我が人生だったのだ。
   
   私は、観光客集めだけが目的のような整備も碌々していない廃墟同然の世界遺産などの見学だけではなく、汚らしい市街地やまともなサービスもせずにチップを取り捲る世知辛い外国人に失望し始めていた。その反動なのか、こんなにも旅を楽しめる箇所が多い日本のような国は大変珍しい、と嫌でも気付かされたのは温泉旅行の予期せぬ収穫だ。

   同行していただいただけではなく、我が曇り果てていた眼を呼び覚まさせてくれた上に、日捲りカレンダーのように日々薄くなっていく、残り少ない余生しかないがん患者の私を励ましてくれた温泉旅仲間に心から感謝!!

                               上に戻る
第10回目

諏訪温泉

宿泊日 12月6日
参加者 中川様・天野様・萩原様・中村様・近藤様・戸軽様・石松
宿泊ホテル 華乃井ホテル(155室)



諏訪湖を望む露天風呂と名物地酒風呂

   諏訪湖のさわやかな風を感じながら愉しむ露天風呂。夜は湖畔の夜景も美しく見えます。当館自慢の『地酒風呂』は、温泉に日本酒を混入した、イベント風呂。日本酒に含まれるアミノ酸成分により、お肌がツルツルに。

   ●泉質:単純硫黄温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)●適応症:神経痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、うちみ、慢性皮膚病、慢性婦人病、糖尿病等。


旅行計画

   何時もの旅仲間に呼びかけて忘年会を企画。今回の参加者は7人。7人乗りの車を持っていた中村氏が車を提供してくれただけではなく、観光地の事前調査もしてくれたお陰で充実した一泊二日の旅が実現した。
   
   宿泊ホテルはトクーのフラッシュマーケットで予約。クーポンが1,353枚も売れていたので、大入り満員かと思っていたらガラガラ。観光業の厳しい環境が質問せずとも肌で感じられた。一泊二食7,950円だった。二人部屋*3室、一人部屋1室だった。部屋割りは阿弥陀籤。
   
諏訪湖

   私の頭は多少とはいえ、最近可笑しくなってきたようだ。高校を卒業するまでは所謂湖と称されるものを見たこともなく(七人兄弟姉妹の我が家では、旅行などは夢の世界だった)ど田舎で育った。それまでに見たことのある最大の水溜りは、八幡製鉄所向けの工業用水を供給していた河内の貯水池(貯水量はたったの700万トンの小さなダム湖)だった。

河内の貯水池

   新日本製鐵株式会社(新日鉄)が管理を行う民間企業所有ダムで、高さ44.1メートルの粗石モルタル製の重力式コンクリートダム。官営八幡製鉄所の鉄鋼増産態勢に対応するため、需要が増大する工業用水確保を目的として建設された。

   完成以来現役で稼働しており、南河内橋(後述)とともに土木学会選奨土木遺産に認定されている貴重な文化遺産でもある。北九州国定公園に指定されている。

   トヨタに就職後、琵琶湖を初めて見たときには『淡海(あふみ)の海 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしへ思ほゆ』(万葉集巻三、二百六十六番の歌一首)と、柿本朝臣人麿が歌い上げた心境にもなるほどと共鳴していた。

   ところが、チチカカ湖(南米・チリ・国際航路としては最高地にある海抜3,820m)カスピ海(中央アジア・湖岸のアゼルバイジャンには原油採掘の櫓が林立)ヴィクトリア湖(アフリカ・ナイル川の源流)イシククル湖(中央アジア・キルギス・私が今までに目撃した巨大な湖の中では周辺を含めた景観がベスト。厳寒期でも凍結しない。温泉の影響らしい。熱海とも言う)などを見てしまった結果、頭の中のスケールが狂ってしまったようだ。

   今回、信州最大の諏訪湖を久しぶりに眺めた時『なあぁーんだ、これは。小さな水溜りではないか! 湖とは大げさな。おこがましい』と思うようになり、我が心の変化に一抹の寂しさを感じた。
   
高島城

   城郭の形式は連郭式平城である。かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。

   日根野氏によって総石垣造で8棟の櫓、6棟の門、3重の天守などが建て並べられ近世城郭の体裁が整えられたが、軟弱な地盤であったため、木材を筏状に組み、その上に石を積むなどの当時の最先端技術が用いられた。それでも石垣が傷みやすく、度々補修工事を加える必要があったという。

   7年間の短期間で築城したため、かなり無理をしたらしく、地元では「過酷な労役に苦しんだ」「石材を確保するため、金子城の石材は全て持ち出したほか、墓石、石仏も用いられた」などの伝承が残る。




   現在の高島城は1970年に鉄筋コンクリート(三階建て・延べ381平米)で再建されたもの。しかし、遠くから見た瞬間から入城するまでの私は、木造と勘違いしていた。外壁など外観が余りにも木造に似せて巧みに作られていたからだ。板壁と思った外壁はペンキで塗装された偽物だったとは!!
   
   かつての本丸跡は高島公園として整備され入場料は無料。数百年は経ったと思われる公園内の大木が素晴らしい。人工物に過ぎない建物は短時間に復元できるが、樹木には屋久島の縄文杉と同じように、お金では絶対に再現できない貴重な時間が凝縮されている。私には復元された城もどきよりも、荘厳さが溢れ出てくる巨木の方に遥かに大きな価値を感じた。

華乃井ホテル

   諏訪湖畔に建つ諏訪市最大のホテル。部屋も広くて快適。でも、閑散としていて気の毒なくらい。カリン材(諏訪市の市木)で縁取りされていた露天風呂には銘酒が注がれているそうだが、アルコールらしき証拠は感じられず。でも、眼下に広がる諏訪湖の夜景は美しかった。諏訪湖の湖岸は全周立錐の余地もないほどにホテルや商店・民家がびっしり。自然のママの美しさは吹き飛んでいた。

諏訪市の市木・かりん

   和名 マルメロ。市内に植生するマルメロは、江戸時代高島藩のころから今日に至るまで「かりん」と呼ばれ、5月に淡いピンク色の花が咲きほころび、秋には洋梨形をした黄色の実をつけます。

   果肉は、加工食品や薬用として用いられ、昭和41年に誕生した湖畔のかりん並木は、諏訪市を象徴する街路樹として市民、観光客に親しまれています。




   不況に急襲されたままの平成時代に相応しく、高齢者には私同様『知足』を信条に余生を生きている人が増えているらしい。同行の中村氏は自宅の居間とダイニングキッチンとの間に、知足の暖簾を掛けて座右の銘ならぬ『空中の銘』にされているらしく、当日披露された。
   
   『吾唯足るを知る』の四個の漢字の部首には何れにも『口』があるので、『口』を共有した五文字に集約したアイディアが面白い。円いマークは寛永通宝や五円玉などのような穴あきコインの真似ではないのだ。
   
カラオケクラブ



   当日の夕食時に私は耐え難い睡魔に急襲され途中で残念ながら退席。11/10-25の地中海・エーゲ海クルーズの時差ボケが復活したらしい。仲間は食後にカラオケルームに直行して20:00‐23:00まで歌い捲ったのだそうだ。
   
   中でも近藤氏、芸名藤豊氏(豊田市近辺のカラオケ大会ではいつもトリを指名される本格派。藤は近藤、豊はトヨタに由来。五木ひろしと同じ白い舞台衣装まで造った懲りようだそうだ)は楽器八丁・口八丁。持参の楽器での演奏中の写真を貼り付けた。
   
原田泰治美術館

   かつて、朝日新聞に牧歌的な原田泰治の絵が掲載されていたことを思い出した。古稀も越えると歳のせいか、この絵と再会したとき、絵に関する印象がすっかり変わっていた。
   
    原田泰治氏は私よりも2歳も若い方だったと知り驚いた。私が知っている有名な芸術家は殆どが私よりも年上だからだ。日本を支えている殆どの方々はいつの間にか、私よりも若い世代に代わっていたのだ、と認めざるを得なかった。序に、老害を撒き散らしている政治家や財界人は早く引退すべきだと再認識した。

   原田泰治さんは、わずか1歳のときに小児麻痺にかかってしまい、両足が不自由になって仕舞われたそうです。長じてからもそのことが影響してか、あまり遠出をする経験が無かったようです。しかし、諏訪実業高等学校を卒業したあと、武蔵野美術大学に入学し画家を志したのち、デザイナーとして独立し地元である程度の成功をおさめて1980(昭和55)年に小学館絵画賞を受賞されました。
   
   その2年後の1982年から朝日新聞の日曜版に『原田泰治の世界展』を連載するようになり、その仕事の関係で全国47都道府県を巡ったそうです。そのおかげで、たくさんの自然と触れ合うことができ、さらに今後も多くの日本の美しい風景を描きたいと思うようになったということを、原田泰治さん御自身がおっしゃっています。

   
   当美術館に展示されている原画を改めて見たとき、日本のゴッホと激賞されていた『故山下清』画伯とは異なる色使いと画風の大御所だと初めて気付いた。原田画伯の全ての絵の人物の顔には目・鼻・口などの部品が画かれていなかったのだ。でも、お化けを全く連想させない表現力に感動。
   
原田泰治の世界をキルトで遊ぶ 絵画キルト大賞

   一人の布絵愛好家の「自分の部屋に原田さんの絵を飾りたい」という想いと、丹精込めて制作したキルトの写真が同封された手紙が届いたことがきっかけでキルト大賞が始まりました。

   原田泰治作品への愛情とぬくもりをもって、気の遠くなるような時間を費やして一針ずつ思いを込めて縫い上げられた絵画キルト作品。その情熱は、全国を取材し石垣をひとつずつ積み上げ、花びらを一筆一筆書き込む原田泰治の世界そのものです。


   当美術館では2010-11-17~2011-3-2まで第7回絵画キルト展が開催されていた。原田画伯の原画とそれを鮮やかな布で復元したキルト画とが対にされて展示されていた。作者は殆どが還暦過ぎの高齢の女性。製作期間は最短でも半年。花びらの一枚一枚も正確に模写すると、復元画の大きさは原画よりも大きくならざるを得ない。しかし、その色の鮮やかさは原画を超えていた。

   ルーブル美術館では画学生が熱心に模写していたが、半素人の画いたモナリザなど只でも貰う気はしなかったが、ここのキルトならば買いたくなった。何よりも心が癒されたからだ。
   
北澤美術館 

  本館は諏訪北澤美術館とも呼ばれている。北澤美術館 本館(諏訪北澤美術館)、清里北澤美術館、SUWAガラスの里 北澤美術館 新館は財団法人北澤美術館が運営している。
 
   北澤美術館 本館は、長野県諏訪市の諏訪湖畔に建つガラス工芸と日本画を展示している美術館。建物が切妻の三角屋根にクリーム色のタイル外壁が山荘風の雰囲気を感じさせる。



   エミール・ガレの作品を中心として常時40点前後が展示されており、中でもオレンジ色の光を放つ「ひとよ茸ランプ」(高さ83センチ)はガレの代表作。照明を落とした暗がりの中に、作品だけがスポットライトの光に浮かび上がる展示手法をとっている。
   
   また、もう一つの展示室は明るく開放的な空間に現代日本画が並べられている。常時30点が展示され、季節に合わせて一部展示替もある。

 本館前にて

   北澤美術館はキッツ(旧北澤バルブ)のオーナー社長が社会貢献事業として設立した美術館。
   
   素材は単なるガラスなのにひとたび芸術家の想像力を経ると、斯くも美しい全く別世界になるものかと驚く。ガラスは熱力学的にいえば単なる液体に過ぎない、などと中学時代に言いふらして以来、然して関心も持てなかった私は、新幹線に跳ね飛ばされたようなショックを感じた。
   
   当館の中年の学芸員は博識なだけではなく、その表現力(説明力)の巧みさには拍手喝采!! 氏の説明を聞くと、路傍の石すら宝石のような価値があると錯覚させられそうだ。
   
 新館前にて
   
   少し離れた場所に建設された新館は大駐車場と大きな建物をふんだんに活かし、ガラス工房などの付帯設備も充実。見学者はガラス工芸に挑戦も出来る配慮もなされていた。それ以上に驚いたのは2,000平米はありそうな広大なガラスを中心とした美術工芸品の売店だった。
   
おわりに

   平成22年の今年が私の6回目の寅年。これを契機に小中高大トヨタの同窓会・同期会・懇親会など義理半分で出席していた14種類の会合は全部欠席することにした。恒例と化している近況報告に飽きたのが主因だ。
   
   5回に及ぶがん治療での入院で明日をも知れぬ命になった私には、余生の一日一日を満足しながら生きるのが最大の関心事。貴重な余生にも拘らず惰性で生きているような人達の近況報告を義理で聞くのは、人生の浪費と痛感。
   
   私にとって最も楽しい瞬間は、スポーツを長い間一緒に楽しんでいる仲間達との他愛無いおしゃべりの時間。そのための手段として温泉旅行を企画し、仲間を誘ったら賛同者が続々と現われて今日に至っている。
   
   幸い、世は不況。観光ホテルの値下げ合戦が始まり、20年前のバブル時代に比べれば宿泊費は半額以下。今年最後の温泉旅行の参加者に、来年以降も継続したいと提案したら全員大賛成。良かった、よかった。
   
   旅行記をホームページに載せるのは今回を最後にし、それに代わるものとして『料理事始』を載せることにした。引き続き読後感を賜れば望外の喜びだ。



400gの刺身。一回では食べきれず・・・。
   
   料理事始の2回目は天然鯛の調理。早速12月12日に5.56Kgの鯛を島根県境港の専門業者から取り寄せた。頭から尻尾までの長さは約60cm。こんなに大きなタイを見たのは生まれて初めて。今は少しずつ調理しては食べることに専念!!。刺身は伊勢海老と変わらぬ美味しさ。万歳!!。報告書は来春。

                                                              上に戻る
読後感

温泉旅行記読んだ。ざっと。写真は見た。笹戸温泉ではよく頑張った。印刷して社長に送るべし。読後感を書くのはしんどいね

① トヨタ同期・工&経・大学教授歴任⇒退職⇒肩書きなしの余生に慣れるのは辛いらしい。

******************

相変わらず石松先輩の充実の日々拝見しました。まずは自宅露天風呂完成おめでとうございます。トクーの旅情報楽しく拝読しました。

第一の笹戸温泉「とうふや」は、小生20年以上前には宿泊・翌日ゴルフの泊り宿でした。その折は熱燗の日本酒をいつも「美味しい」と味わったのですが・・・・・・・・。老舗の宿としては本当に残念ですね。たまたま当日のみの間違いかと思いたくなりますが・・・・・・そのようではないようですね。小生が知る当時の女将からは当然2代目に交代しているのでしょうが・・・・・・・。

石松様の申し出に対する仲居の対応が目に浮かびました。御礼状が届けばさすが老舗「とうふや」となるでしょうが・・・・・・・。

小生5年程前に訳あり日程で平湯温泉で一人30,000円と特別の価格でやむなく決定する一方、大いに期待(部屋と料理)するも全くの期待外れを思いだしました。当時のことは思い出すのも腹立たしく省略。支配人の名刺だけはしっかり貰ってきました。小生もその後は10,000円以下に固執しています。

トクー会員との差異を意識しながら、事前情報を押さえてお楽しみの今後の旅情報を期待しています。ますますのご健勝を祈ります。

② 大学後輩・経・銀行OB・平成21年ふとした機会に出会った方


*****************************

トヨタの件は大体収束に向かいつつあるようですね。

旅行記は個性が滲み出て、人間臭さがとても良いんです。温泉も沢山あります。どんな話がでてくるか、一読者としては、驚きの一抹の期待(不安?)があります。

小生も今年から現代俳句に挑戦していますが、刺激がなければ人生は楽しくないようです。読後感になっておりませんが、湯船でゆったりされている写真は気持ちよさそうです。

③ 昨年ふとした機会に②氏から紹介された方

***********************


お久しぶりです。旅行記、読ませていただきました。お酒が抜けていたところなど、面白く読みました。

視点を変えての感想なのですが、海外や、その旅行者への観察など、いわば非日常での出来事と、相手が特定されないので、辛辣な観察記でも楽しめると思いました。

今回も楽しく読んだのですが、今後、旅館側としては、貴殿が来ることに対して、戦々恐々では?(笑)ひょっとして、貴殿の宿泊は特別待遇ともなりかねません。今や、インターネットの威力は凄いものがありますから。

色々な出来事が今後も起こると思うのですが…。しかし、それが貴殿の持ち味でもあり。

益々のご健勝を祈念しております。では!

④ 株式の掲示欄でふとした機会に出会った方

***************************************

貴兄のホームページは愚息にも紹介しており、愚息も感心して会社の仲間(日本人)に紹介しているようです。

そうした中で石松さんらしからぬ言動が一つあった(多分南アの旅行記)と言っていました。等等感想文にまでしなくても心して拝読していること、報告させていただきます。

⑤ トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間・ご子息はロスで起こした会社経営に大成功されている⇒毎年ロスで3週間も奥様と連日ゴルフ満喫・ご子息と奥様との間で遺骨の争奪戦が起きるのではないかと嬉しい悲鳴を今から漏らしている方

**********************************************

南国暮らしが続いていて温泉に入れるのは山形県の本社に帰った時くらいだったのですが、景気の悪化で社長の温泉招待も中止状態。たまにはゆっくり温泉で骨休みしたいのですが、HDD業界は今年に入って需要が急拡大。設備増強が間に合わず休日出勤で出荷に間に合わせています。

今日はタイも祝日ですが現場は臨出。現場の意識付けになっているか定かで無いのですが、付き合い出勤。オフィスで旅行記を読ませて貰いました。

笹戸温泉のとうふやのお酒ストーリーは何時もの事ながら、石松さんのいい加減に終わらせない結果ですね。何時も少しは自分も見習わねばと思うのですが、実際にはマいいかという事が多いので。

4月中旬のタイ正月休みに昔、外山工場
(トヨタ自動車の試作工場の別称)でレース用の2000GTの開発をやっていたOB会が舘山寺温泉で有ったので、卒業以来初めて参加しました。高年齢の方が多いので料理は少な目で低料金のセットでした。鳥羽の豪華食事のように普通の温泉宿の料理は、年長組みには多すぎると思っています。

アフリカ版は長編過ぎて直ぐ読後感を書けずスミマセン。温泉旅行記でヒット数が又増えるのでは。

⑥ トヨタ後輩・工・出向転籍先を定年退職後、独力で再就職した会社のタイ工場を建設し、大活躍中。

************************************************
第5,6回目への読後感

*********************************************


「温泉旅行事始」によれば、良いお仲間に恵まれて露天風呂を満喫されておられる様子で何よりです。

最近、日本の温泉は中国からの旅行客にも人気と聞きますが、旅館のスタッフにも中国人が進出しているとは知りませんでした。人件費対策に加えて将来の顧客層へのサービスを考えてのこととしたら立派な経営感覚です。

露天風呂大好きに関しては人後に落ちませんが、泊りがけでの温泉旅行とは縁がなくなっています。

一つには、旅館での食事が四種類の薬を常用している身には質量ともに願い下げのことと、ここ10年で日帰りの天然温泉施設が車で50分以内に四箇所ほど出来、週に最低でも一度は明るい内から露天風呂を楽しめているからです。お陰と、わが寿命も一年ほど延びたのではないかと思います。

⑦ トヨタ先輩・工・若いころ依願退職され郷里で大成功された発明考案の神様(H22-7-3)

***********************************************
第7回目への読後感

***********************************************

奥飛騨温泉郷楽しく拝読させていただきました。なにより元気なご様子でそれが一番ですね。

とうふ屋の感想で記述しましたが小生のいやな思い出一泊30,000円は、まさに平湯館でした。一泊7,794円はご立派です。小生は妻と年1回「 大正池→河童橋→明神池→河童橋→上高地バスセンター 」というささやかコース を続けています。

大正池の枯れ木がなくなっているとはビックリですが、しかし人工は如何??。自然が一番ではないでしょうか?勿論何故なくなったのか?大きな写真を掲示し説明書がある方がいいように思いますが。

登山も感服です。恐らく仲間の皆さんが石松様の体調に合わせて、一歩一歩登られたものと想像しています。

地中海・エーゲ海クルーズ
(11/10出発です。申込金も振り込みました)も大いに楽しまれることを望みます。

⑧ 大学後輩・経・銀行OB・平成21年ふとした機会に出会った方。①と同一人物

***************************************************************

先日の旅行記読ませてもらいました。

見事な編集で、同行させてもらった人間にも、懐かしい思い出とともに、大変良い記念になります。感謝あるのみです。

⑨ トヨタ同期・工・テニス&ゴルフ&温泉旅行仲間

*******************************

貴兄の充実した体験は、HPで間接体験させてもらっています。

私は生産技術の経験はありませんが、笹戸温泉のとうふやのお酒ストーリーは、現地現物主義に基づく生産技術指導の模範そのものを物語っているのでしょうね。

プリウスに乗り換えることによるガソリン代の節約分が、自分の推定余命と比べて回収できるか?という見方は、高齢者だけでなく全ての世代で、耐久消費財を購入する判断基準として共感出来ます。経済性と車内音との価値観以外でも言えると思いました。

確かにプリウスの室内音は、同じ価格帯の車に比べてやかましいと感じましたが、モーターで走行している時の静かさを感じるためになっているのかなと思いました。それでもプログレの車内音の方が静かなことは納得できます。これからは自分の気に入ったものを永く使う時代でしょうね。

特に高齢者は自分の余命までは快適に過ごしたいです。 ではまた・・・山田博嗣

蛇足ですが、私のブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/yamada_futamiは、アクセスが少なく最近ではコメントもほとんどなくなり、内容もマニアックで分かり難いですが2ヶ月振りに更新しました。

⑩ トヨタ後輩・OB・超人的なスポーツマン・各種日本記録保持者

*************************************************
第8回目への読後感
****************************************************

おはようございます。黒部大渓谷の野天風呂の写真、気持ちよさそうですね。

私は昨日(8/31)、松本少年刑務所と更生施設みすず寮の視察に行ってきました。この視察は豊田市の保護司会員65名が参加した行事です。

8月30日は安曇野の温泉(豊田市営山の家)で懇親会を開きました。

① 豊田市出身の名士。一度もお会いしてはいないのに励ましのメールを何時も賜る方。
  
*************************

先日NHKのラジオ深夜便で、ある未来学者が言っていました。「昨今の日本ではなんでもネガテイブに物事を決め付けないといけないような風潮が漂っている。賢者諸君はそんなことは無視して自分に一番嬉しいものだけを取り入れて楽しむ事に徹しなさい」と自論を唱えていました。まさしくこれを地で行っている石松様に”喝采”を贈ります。

20年、30年前よりは今の方が良いにきまっていること、未来はもっと良くなるので今を楽しまないと損ですよ!!と。

蛇足です!何時も楽しいメ―ル有難うございます。猛暑も逆に善き事かな--と。

② 何かで倒れられたものの、プールでの歩行リハビリ10年で元気になられた方

*************************************************
第9回目への読後感
*************************************************

いつもながら石松さんの幅広い知識と自然な表現力に敬服します。

現地を旅して漫然と理解したことが文字によるレポートを拝読してきちんと理解できました。有難うございました。

① トヨタ先輩・工・ゴルフ&テニス仲間・今回の同行者

******************************************************

益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

伊豆の旅、満喫とのこと素晴らしく存じます。小生も、昨年と今年に2回伊豆を訪問し、その素晴らしさに感激したことを覚えております。但し交通渋滞は頂けませんね。

小生も、退社後4か月目を迎えています。今日まで、妻をホッタラカシニしてきたお詫びに、妻と旅行に出かけております。日本のみですが、それは又楽しいものです。

最後に成りましたが、益々のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

② ゴルフ&がん仲間・ゴルフは仲間では抜群

***********************************************

旅行写真を見ると元気そうだね。美食の効果だ。まだ生き延びるね。年金財政破綻だ。

沼津御用邸には行ったことはない。

③ トヨタ同期・工&経・数奇な人生を歩いている人・3人目の奥様は北京美人

********************************

旅行記拝見させていただきました。

海老とは違いますが、以前、家内の両親とオーストラリア ケアンズに旅したときに現地にて食した、「マッドクラブ(泥がに?)」の美味しさを思わず思い出しました。

旅行先には、思いがけず、知らない「旨いもの」に出会う機会があるものですね。写真がその「感動」を伝えてくれる感じがいたしました。

貴宅の「露天風呂」も羨ましいかぎりです。

④ 明治二年創業の老舗の超イケメン若社長

*************************************************
第10回目への読後感
*************************************************

すごい旅行記だ。温泉旅行の分も目次を付けて貰いたい。最初から読まないと諏訪旅行にぶつからない。

それにしても記事が長い。こんな長文は私は書けない。あとでゆっくり読む。一気には読めない。

私もいつかは参加したい。質素な旅館選びも私の生活態度に合う。不景気・デフレ万歳だ。

① トヨタ同期・工&経・入社一年で依願退社・三度目の奥様は北京美人

***********************************

諏訪湖温泉旅行のまとめ読ませて貰いました。

大変上手く纏められており、個性ある貴君のコメントをを含め、楽しく思い出しながら読みました。大変お世話になりました。良いお年を!!感謝。

② トヨタ同期・工・ゴルフ仲間・今回の同行者

************************************


上に戻る