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温泉旅行平成23年(平成23年11月30日脱稿)

   平成21年の秋、テレビ番組の特集で観光ホテルや旅館のクーポン(宿泊券)を格安で売り出しているトクー(http://www.tocoo.jp/detail/basicInfo/150)を発見。早速年会費5,000*1.05(5,250)を支払って会員になり、トクーが契約している約3,000ヶ所のホテルや旅館と、魅力ある観光地の組み合わせを捜しては安上がりな温泉旅行を再開。

   平成22年の夏からトクーは『フラッシュマーケット』にも参入し、通常価格の半額以下でクーポンの販売を開始。旅行の都度、旅行記に纏めてはホームページに転載した。でも、旅行地は毎回異なっていても温泉観光ホテルの趣向(会席料理かバイキング・源泉掛け流しの大浴場と露天風呂)や周辺の観光地の雰囲気は大同小異。個々の特色を抽出して書き表すのが次第に面倒と感じ始め、翌年の平成23年からは旅行記の執筆は遂に凍結。

   ところが、カメラとパソコンではセミプロ級の仲間が旅行の都度、写真による総集編をアルバムと称して一枚に集約してくれた。素晴らしい作品を暫し眺めていると、見るたびに新たなる感動が発生。尾瀬旅行を終えた9月末頃、硬く閉ざした筈の我が心境も遂に解凍。余生の記録として今年の初旅行にまで遡り、写真の補足説明程度になるとは承知しつつも、一年分を纏めてホームページに転載したいとの気持ちがむくむくと勃起。

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はじめに

20年以上も続けていた我が温泉旅行。しかし、トヨタ自動車の大先輩達も高齢化。救急車を当てにできない限界集落並みの僻地温泉での宿泊では、仲間に迷惑をかける恐れがあると感じ始められたらしく徐々にリタイアされた。6年前の愛知万博(2005)以降は、近隣温泉での忘年会や新年会に特化しつつ徐々に回数減。とうとう消滅しかけていた。

しかし私は、偶然知ったトクーの魅力に引き寄せられて、毎週プレイしているトヨタ先輩~後輩からなるテニス仲間のうち、旅行好きで且つ元気な人を誘っては再出発。仲間に増減はあったものの現状は6名。でも、夫々に都合があり全員が揃うことは少ないが、車1台に同乗して出かけるには丁度良い人数だ。

午後3時に到着するや否や間、髪(茶髪はあるが、間髪という髪の毛はない)を入れずに温泉に飛び込み、夕食までの3時間は部屋に持ち込んだビールと摘みを賞味しつつ、愚にも付かぬおしゃべりに夢中になっている。室内の冷蔵庫は空、飲み物の持ち込みは自由が今や温泉地の主流。がん患者とはいえ生き延びて良かった、と喜びながらの歓談のひと時こそが残り少ない我が余生での極楽浄土だ。

ふと気がつけば、我が祖国の高速道路はいつの間にか網の目のように張り巡らされ、カーナビを使えば全国何処へでも迷わずにピンポイントで辿り着けるようになっていた。

当初は一泊旅行だったが、東海3県(愛知・岐阜・三重)の候補地には飽きてしまった。平成23年の秋からは往復1,000Km圏内まで候補地を拡大し、連泊を基本パターンにした。中日(なかび)は周辺の気ままな散策兼観光。豊田市からの出発では中部・関東・北陸・山陰・関西・四国の辺境にまで足を伸ばしても、ゆとり十分な旅行が楽しめるのだ。

   この貴重な旅行会が長続きするようにと小さな提案をした。車の提供者と運転者へのささやかな感謝の気持ちを表したかったからだ。全費用を均等割りにし清算の簡略化も兼ねて千円未満は切り上げて集金。1人10,001円の場合でも11,000円にした。余剰金は車の提供者へのお礼だ。

   さらに車を提供した運転者には、便乗者から一泊旅行の場合は千円、長距離の連泊の場合は二千円(交替運転者からは千円)集金してはドライバー手当てと称して無理やり受け取ってもらった。

   我がプログレはペースメーカを使用中の荊妻のお陰で、ETCを使えば本人が同乗せずとも高速道路代金が半額になるのに、がん患者の私の運転に不安を感じるのか、仲間達からは賛同が得られず提供実績は今に至るまでゼロ。今では仲間の好意に悪(わる)乗りして車内ではいつもビールをガブガブ。

我が体験では適度な振動が発生する新幹線や車中での飲酒は、どんな高級居酒屋よりも酔い心地は何故か抜群。この世の極楽浄土を満喫するのが、温泉旅行の裏に密かに隠している我が真の目的。心の広い仲間にはいつも感謝しつつ・・・。

蛇足・・・フラッシュマーケット

   数年前に米国で誕生。日本では平成22年春先から雨後のタケノコのように200社以上も乱立したほどの、ホテルのクーポンや商品の格安販売方式。トクーの場合、観光業者と事前に販売価格及び最小と最大販売数量を契約し、インターネットで販売期間を限定(数日から10日間程度)して販売。

   期間内で販売数量に達しない場合(滅多にないが)、購入申込は自動的に取り消されキャンセル料も取られない。販売数量に達すると申し込みが成立し、同時に事前に登録しているクレジットカードで料金が我が口座から引き落とされる。販売成立後にはキャンセルは出来ず返金もされない規則だ。

   ホテルの利用可能日は事前に決められている数ヶ月の間で、利用者がホテルと相談して選ぶことが出来る。会員による購入申し込みはインターネットに限られるが、クーポンの利用は会員以外でも可能。

   販売価格は平常価格の半額以下。一泊二食で4,5006,000円程度。ホテル側には料金の焦げ付きが無く、稼働率を高められる魅力がある。利用者は利用日に若干の制約(休前日は料金を高くする強欲ホテルとか・・・)があるとはいえ割引率が高いのが魅力。

今やトクーの会員は全国で100万人。トクーの収入は年会費の5,000円だけらしいが、それでも年間50億円にもなる。100人足らずのミニ会社としては儲けすぎだ。でも、市場開拓を永遠に続けなければ会員が激減するという、自転車操業を強いられてもいる業界だ。

   トクーの利用は我が仲間との温泉旅行だけではなく、荊妻の友達夫妻などにも紹介し、私が代役となってクーポンを購入。累積購入回数は過去一年間で22回・延べ115人(平成2310月末現在)にもなるが、利用者はそれなりに満足している。

   詳しくはホームページhttp://www.tocoo.jp/detail/basicInfo/150を参照されたい。

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高山


   雪の積もった深山幽谷にある鄙びた温泉の露天風呂こそは我が究極の目的地。でも、仲間の車に便乗するとはいえ、仲間には万一に備えてのスノータイヤとかチェンとかの準備が大変なので遠慮。已むを得ず、冬季は自宅の庭に造った露天風呂で痩せ我慢。春爛漫の季節になってやっと温泉旅行を始動。

   高山は観光飛騨を代表するような名所。でも、平成の大合併で扶養地域が激増し都市面積では全国14位になった我が豊田市(918平方Km)の2倍以上もある日本一(2,179平方Km)の山岳都市。香川県や大阪府よりも広く、伊豆・小笠原諸島を含む東京都(2,187平方Km)並み。今回はそのほんの一部に立ち寄っただけだ。しかし岐阜県出身の仲間がたったの一泊二日の旅だったのに、観光スポットを効率的に廻れる計画を立ててくれた。予期せぬほどの深い感動の旅が実現し満足。

   今年の二月は全国的な規模の寒波が来襲し、四月下旬にも拘らず高山市内の中心部ではやっと満開の桜。名古屋市内のテレビ局からは旬を報道すべく、商売柄手抜かり無く撮影に来ていた。でも、名物の朝市では季節感溢れる地元の畑作の生鮮食料や山菜も乏しく、残念ながら各種の保存食・漬物が中心。華やかさを欠いて些か失望。

       天領 

高山は、全国各地に無数に散在していた天領の中では、日田(大分県)と並ぶ超有名観光地として今や全国的にも知られるほどの存在だ。戦災にも遭っていないのか、古色溢れる中心街は観光資源として今やフル活用。

天領という用語は、明治初期に旧幕府直轄領が天皇の御料(直轄領)になったときに天領と呼ばれるようになったため、さかのぼって幕府時代のものも天領と通称するようになったもので、江戸時代に使われていた用語ではない。江戸時代には支配所(しはいしょ、しはいじょ)、支配処(しはいしょ、しはいじょ)と呼んだ。

       分水界

周囲を海に囲まれている我が国では、全国各地に分水界が発生している。今までにも彼方此方で出会った。今回の旅では分水界とは何かが分かり易く整備された分水嶺公園を訪ねることができ、水芭蕉も咲き始めていた。私は『分水嶺』という言葉により親しみを感じるが、その筋では大げさにも『分水界』が使われている。

中央分水界(中央分水嶺)とは、日本の太平洋側と日本海側とを分かつ分水界である。

中央分水界で最も高度が低いところは、末端を別とすれば兵庫県丹波市氷上町石生(いそう)の標高 95.45 m[1]である。この最低点の近くには「水分れ(みわかれ)公園」があり、公園内で水路が加古川(瀬戸内海/太平洋)側と由良川(日本海)側に分かれている。一方、最高点は乗鞍岳 3026 m である。

豊田市からも近い地域を走る国道19号線の『鳥居峠』も分水界の一例である。

標高1,197m峠山の標高は約1,415.7m、旧中山道の難所であった。

古くは吉蘇路(きそじ)の県坂(あがたざか)、中世にはならい坂薮原峠と呼ばれた。国境に位置しているので、中世には戦いが何度も行われた。木曾義昌武田勝頼の戦いでを落とした武田方の兵士500人を埋葬したという「葬沢」なる沢もある。木曾義元御嶽山に戦勝祈願のため、峠に鳥居を建てて以来、鳥居峠と呼ばれるようになったといわれている。

峠の側をに向かって流れる奈良井川(日本海側河川)と、西側をに向かって流れる木曽川(太平洋側河川)との中央分水嶺木曾谷地方の信濃国編入以前は、ここと境峠長野県道26号奈川木祖線)が信濃国美濃国の国境であった。

③ 分水嶺公園(写真右端の中央)

ひるがの高原の国道156号線沿いに分水嶺公園がある。ここで湧き出た水が日本海側には庄川を通じて、太平洋側には長良川を通じて両方に水が流れていくので分水嶺公園と名づけられた。分水嶺公園には水芭蕉もたくさん咲いていて、ゴールデンウィーク前後が一番良い季節だ。 

此処の公園では近くの山を源流とする渓流が石で作られたY字型の溝で公平に2分割され、一方の水が太平洋に他方が日本海に滔々と流れ下る様子が観察できた。水明の清流にオシッコをすれば、自動的に太平洋と日本海に無料で運ばれていくのを想像するだけでも楽しいが、見物客が多く悪戯は我慢した。 

     臥龍桜(写真左端の上) 

二月の寒波の影響で開花が遅れた結果、幸いにも満開の桜に出会えた。

臥龍桜(がりゅうざくら)は岐阜県高山市一之宮町にあるの名称。が地に臥しているように見えることからその名が付いた。1973(昭和48年)に国の天然記念物に指定された。種類はエドヒガンザクラ。1100歳を越える老樹である。

     荘川桜(写真中央下と左端の上)

残念ながら寒波の影響で開花が遅れ、男児の亀頭に似た形のつぼみ状況。でも、推定樹齢400歳の老荘川桜の移植に全能力を傾注して成功した、笹部新太郎氏の偉業を偲ぶことができ超満足。

1960御母衣ダム建設により水没する予定地を視察中、光輪寺の庭にあった巨桜を見たダム建設事業主である電源開発株式会社(Jパワー)の初代総裁高碕達之助は「なんとかこの桜を救えないものか」と、市井の桜研究家で「桜男」とも称された当時の桜研究の権威笹部新太郎に移植を依頼した。

当初笹部はその困難さから、これを固辞したものの、高碕の熱意に絆(ほだ)され、結局は引き受けることとなった。その後、桜移植の事前調査にあたるため同地を訪れた笹部は、同様の桜の巨樹が照蓮寺にもあることを知り、この桜も移植することを提案し、2本同時に移植することとなった。

移植以来、同社の継続した保守管理もあり、年々枝葉を伸ばし続け、現在はかつてのような美しい花を咲かせている。荘川桜の活着当時、桜に縋(すが)り付いて泣いた元住民もいたといわれる。平成10年頃までは水没地の元住民の集まりである「ふるさと友の会」が春先に荘川桜の元に集うなど、元住民にとっては現在でもかつてのふるさとの象徴的存在となっている。

同じ場所には、荘川桜の種から若山芳枝(元ダム建設反対運動「死守会」書記長、のち「ふるさと友の会」会長)が育てた苗を1984に移植した二世桜もある。 荘川桜が咲くのは4月下旬から5月中旬頃。開花中はライトアップされる。

移植後の荘川桜の傍らには高碕達之助の顕彰碑(写真右端の上)が大げさに建てられていたが、氏は電源開発の総裁としての立場を利用しただけだ。顕彰碑はゴマスリ輩の仕業か? 真に顕彰されるべきは職人としての桜男『笹部新太郎』。今で言う樹木医だ。    

     さくら道

名古屋市から金沢市までの国鉄バス名金急行線の車掌・佐藤良二は、岐阜県荘川村(現高山市)にある御母衣ダム建設によって水没する集落の象徴だった桜の木(荘川桜)がダムの畔に移植され、見事に開花したことに感動し、「太平洋と日本海を桜で繋ごう」と1967から名金急行線の沿線(国道304号国道156号ほか)に桜の苗木を植え始めた。

197747歳で亡くなるまでに約2,000本の桜を植えた。起点の名古屋城本丸前にはその1,000本目、終着点の金沢市兼六園1,500本目がある。

40年以上もの昔、佐久間ダムや御母衣(みぼろ)ダムを初めて見た時にはその壮大さに感動したが、後日エジプトのアスワン・ハイダムなど世界的な巨大ダムだけでは無く、エンパイアステートビルディングやピラミッドなどを見た現在では、資金と時間さえ投入すれば完成する巨大人工物には残念ながら感動しなくなった。

我が心は、佐藤良二氏のように熱情を抱き、個人として無償の努力を惜しまなかった偉人の業績にこそ大きな価値を感じ、涙が溢れるような感動を覚える精神構造にいつの間にか変化していた。佐藤良二氏が植樹された小さな桜に路傍で出会った瞬間、芭蕉の野ざらし紀行の一節、『山路来て 何やらゆかしすみれ草』をふと連想。


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強羅



① トヨタ自動車の強羅荘

   昭和43年春の結婚から10年間、当時の家族旅行とは盆暮れの長期休暇を活かした車での帰省(豊田市福岡県遠賀町までは800Km。途中で国民宿舎などに一泊)、ゴールデンウィークの連休と子供の夏休みに中部圏の国民宿舎か健康保険組合直営の保養所(愛知・岐阜・三重・滋賀・長野・静岡)巡りに出かけただけだ。 

希望者が多い夏休みの保養所の利用は籤引き。必勝を期すには7月下旬の水・木に有給休暇を取る予定で参戦せざるを得なかった。観光ホテルとか温泉旅館とは車による九州一周の新婚旅行以降は無縁だった。それでも幸せ一杯だった。 

昭和52年子供が春休みの折、トヨタ自動車直営の管理職専用の強羅荘に初めて出かけ、その豪華さに超満足した。親子5人だったので一番大きな部屋を予約した。約20坪、2間続き。洗面所には各種化粧品を始め使った体験もないアメニティがずらりと並び、選択に戸惑った。 

昭和48年春、初海外出張で泊まったニューヨークのホテルアメリカーナ(44階建て、2,000室。当時では高さも部屋数も世界一)の、部屋や家具が大きいだけのスイート・ルーム(80平米・24)よりも快適だった。 

でも、私は数回の利用で強羅荘には飽きてしまった。余りにも静か過ぎて疲れてくるだけではない。露天風呂が何故かない。華やかなロビーもお土産品で溢れる売店もない。食材費だけの実費主義らしく格安だが、子供達にも退屈な保養所だった。 

今回は仲間の1人から『リフォームされた強羅荘に行きたい』との提案を受け、OBにも解放されているのでのこのこと出かけた。絨毯や襖などの内装は一新されていたが建物と運用内容は昔と同じだった。当日、現役世代は1人もいなかった。僅かにエンジン関係者の8人組がゴルフ目的の前泊。 

食堂で突然、大先輩のお爺さんが私の席まで挨拶に来られた。『昭和39年にはカムシャフトの試作でお世話になった云々・・・』。氏と出会ったのは入社後2年目の年。私の記憶能力不足が皆にばれて恥ずかしかった。47年も昔とは人相が激変していたのだ。   

       強羅公園

明治時代以降、首都圏南部の別荘地避暑地として開発されていた箱根・強羅地区に、主に華族など上流階級の親睦・保養施設として、1914(大正3年)に開園された。当初は洋風庭園に隣接して和風庭園が設けられていたが、和風庭園はその後第二次世界大戦中に世界救世教団に譲渡され、現在は箱根美術館の庭園として残されている。

戦後の1957に有料公園として一般開放され、植物園・体験型工芸施設などが整備された。なお、公園側では日本初のフランス式整型庭園と銘打っているが、フランス式庭園の形式で造成されているわけではない。

強羅公園は傾斜地を活かし、池が主題となる日本庭園とは全く異なる形式の約100年前に造られた洋風公園。敷地の中央にシンボルとして植えられた一本のヒマラヤ杉は、円錐状の樹形をした巨木となり貫禄十分。バラ園も美しい。

強羅公園の駐車場は狭い上に遠くて不便。正面玄関とは道を挟んで豪華な日本旅館(写真左端上)。その庭の空き地に無断で車を止めたら女将らしきお婆さんに発見され、最初は厳しく咎められたが話をしているうちに態度が一変。

この日本旅館の所有者一族と強羅公園との関係、更にはパンフレットまで持ち出しての補足説明。最後には『駐車場はご遠慮なくお使いください』との一言。

      大涌谷(写真中央・上)

   強羅近くの主役は大涌谷。何時来ても枯れる様子もない硫黄泉が彼方此方で吹き出している。石を並べて見栄えも工夫している。硫黄公害で樹木も茂らず荒涼としてはいるが、それも売り物の景観の一つ。

温泉で茹でた黒い卵を始め、観光業者の創意工夫に満ちたお土産品売り場は大賑わい。でも、塵屋敷化を常に警戒している私は、食料品以外のお土産にはとんと関心が湧かなくなり、眺めただけ!

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浅間



① 浅間温泉

四季折々の素晴らしい大自然に囲まれ、育まれてきた浅間温泉は、日本書紀に西暦698年の飛鳥時代、浅間の湯と思われる一節に登場しています。浅間には天武天皇に仕えていた有力な氏族の古墳が数多く見つかっていることからも、この頃から都にも知られていた歴史が伺われます。 

大自然に囲まれ、また、歴史と文化に培われ、国宝松本城の城下町松本の『奥座敷』として庶民に親しまれてきた、好ロケーションの温泉…それが浅間温泉です。 

② 松本城  

松本城は姫路城・彦根城・犬山城と並んで国宝に登録されている4城の一つ。でも、国宝に登録された理由は調べたが判らなかった。 

文禄時代に建てられた五重六階の天守閣は、城の中では日本最古。幾度かの存続の危機を、市民の情熱により乗り越え、四百余年の風雪に耐え、戦国時代そのままの天守が保存されている。

安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)[1]とも呼ばれている。

典型的な平城。本丸・二の丸・三の丸ともほぼ方形に整地されている。南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りである。これらは全て水堀により隔てられている。現存12天守の中では唯一の平城。

③ 宇宙ツツジ
  • 日本初の女性宇宙飛行士、向井千秋(館林市出身)さんと一緒に宇宙を旅したツツジの種子から育った「宇宙ツツジ」(登録商標)の苗木が、昭島市に贈られた。
    • 贈ったのは、ツツジの観光名所で知られる群馬県館林市。
    • 両市は今年、大規模災害時の応援協定の締結をきっかけに親交が始まった。
    • 両市とも市制施行は1954(昭和29)で、市の花も同じツツジ。
    • 苗木は市役所南側の一角に植えられた。
    • 「少しずつ増やしていって、将来は、街の拠点となるような場所にどんどん植えていきたい」と市長。
    •  
  • 館林市には、樹齢800年とも1千年とも言われるツツジの群落があり、国の名勝に指定されている。
    • 宇宙ツツジは、世界で唯一、宇宙を旅したツツジの種子から育った。
    • この種子はツツジの生育・保護を担う「館林市つつじ研究所」から託され、1994(平成6)、向井さんを乗せたスペースシャトル「コロンビア」で約14日間の地球周回軌道を経験した。
    •  
  • 宇宙ツツジの名称は1999(平成11)に商標登録された。
    • 宇宙ツツジと普通のツツジの違いについては「一概に言えない」と、つつじ研究所の所長。

   宇宙ツツジは館林市と何かで関連がある全国各地に移植されている。松本城との関連は何か忘れてしまったが、城内の一等地で柵に保護されすくすくと育っていた。 

       八ッ島湿原(写真の下段・左右) 

   松本城から南東に約20Kmに位置する霧が峰に八ツ島湿原があった。湿原は当然のことながら平らだし、整備された木道もあり散策し易い。湿原の中に島は無かったが、何故八ツ島なのか由来は分からなかった。 

霧ヶ峰は長野県の標高 1,6001,900mにあり、年間平均気温は 5.8℃で北海道と同じような気温です。そのため夏の7,8月は多くの花々が一斉に咲き、色とりどりの花を見ることができます。 

湿原の周囲の草原は亜高山(標高 1,500m~2,000m)性の植物が豊富で花の宝庫となっており、湿原をとりまく木道やハイキングコースでは、色鮮やかな花々を間近で見ることができます。また、秋の草紅葉も素晴らしく、草原ならではのコントラストが鮮やかです。 

   でも、4年前に荊妻と共に出かけた尾瀬に比べると雰囲気はイマイチ。木道を歩いていたら休憩用の立派な椅子とテーブルを発見。突然心境が変化。『私はこの長椅子に寝転んで雲を見ながら昼寝をしたい。一時間後に出発地に戻って待っています』と、身勝手な提案。

   高原には蚊も現われず爽やかな風を浴びつつ、ビールの酔い心地を満喫。ふと、眼の前を通り過ぎるゴミ袋を手にした大の男達を発見。『塵拾いをしているのですか?』『違います。湿原で蔓延(はびこ)り始めた外来種の雑草を引き抜いています。私達はボランティアです』

   我が家の猫の額ほどの芝生内の雑草すら退治できない私はビックリ。長大な火箸のような道具を使い、木道から手の届く範囲内の外来種を根こそぎ引き抜く作業に限られているとはいえ、彼らの努力・熱意に脱帽。

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白馬


① 善光寺(写真下段・左端は門前町・その右が本堂)

現本堂は宝永4年(1707年)の再建。高さ約27メートル、間口約24メートル、奥行約53メートル。間口よりも奥行きが2倍以上もある不思議な設計。でも、初めて見た威風堂々たる正面には感動。

国宝に指定されている木造建築の中では東大寺(57m*50.5m)、三十三間堂(121m*22m)についで3番目に大きいそうだ。建築面積(真上から見た投影面積)では東本願寺(76m*58m・木造では世界最大、正式名称は真宗本廟)や西本願寺(62m*48m、正式名称は本願寺)の方が広いが、これらは国宝ではないからランキングの対象外。

おまけに東・西本願寺の外観は倉庫か体育館のように大きいだけ。その建築デザインには美しさを感じない。その上大屋根が重苦しく、私には開放感が感じられず、どうしても好きになれない。

善光寺本堂は1953昭和28年)3月、国宝に指定された。また、山門(三門)と経堂は重要文化財である。本堂では床下の真っ暗な通路を通り、本尊の阿弥陀如来が安置されている「瑠璃壇」という小部屋の真下にあるとされる「極楽浄土への錠前」に触れる「戒壇巡り」が500円で入場券を購入し阿弥陀如来へ祈祷後に体験できる。

地下室の真っ暗闇の中での瑠璃壇巡りではセクハラが起きても可笑しくない。通路が曲がっているため、直前の人の腰に手が触れることがあるからだ。

『牛に引かれて善光寺参り』という有名な台詞は知っていたが、何故牛なのか、仏教との関係は何なのか知らないままだった。寺院の中にいたボランティアのお爺さんに質問したら、由来が書かれていたパンフレットで説明してくれた。

信濃四大伝説「牛にひかれて善光寺参り」          

昔、善光寺から東に十里(約40キロメートル)離れた信濃の国小県郡(現在の長野県東御市)に強欲で信心の薄い老婆が住んでおりました。この老婆が千曲川で布をさらしていたところ、どこからか一頭の牛が現れ、その布を角にかけて走り出しました。老婆は驚きましたが、布惜しさに野を越え、山を越え、牛の後を追いかけました。

そして気がついてみると、善光寺の境内まで来ておりました。老婆はやっとのことで牛に追いついたと思ったのもつかの間、牛は金堂のあたりで姿を消してしまいました。驚きと悲しみに疲れ果てた老婆はあっけにとられてその場に佇んでしまいました.

   やがて日も暮れる頃、どこからともなく一条の光明が差し、その霊光の尊さに思わず跪いて菩提心を起こし、一夜を金堂に篭って罪悪を詫び、家に帰って参りました。これは布引観世音菩薩が牛に化して信心うすい老婆を善光寺阿弥陀如来の許に導いて教化したのでした。

ある日のこと、ふと布引山を仰ぎ見ますと、岩角にあの布が吹付けられているではありませんか。老婆は何とかして取り戻したいと思いましたが、断崖絶壁で取るすべもありません。一心不乱に念じているうち、布とともに石と化してしまったということです。布引山の断崖には今も白く布の形をした岩肌が眺められます。

       トレッキング

   白馬の尾根伝いに2Km程度の絶好のトレッキングコースが開けていた。コースに沿って蟻の行列。若者だけではなく子供や超高齢者まで参加。乗車賃は高いがロープウェーのお陰だ。 

   途中、残雪だけではなくコースの両側の斜面に開花している高山植物も美しい。コースの周辺には視界を遮る背の高い樹木も無く、絶景続き。日本人のマナーも向上したのか、富士山とは異なり塵は絶無。中腹の小さな湖(写真左端の中央)まで高度差で150m程度登った。水源は濾過された湧き水。透き通るほどの水が眩しくも美しい。 

   ビールを飲んでの登山は大変疲れると何度も体験済みだったので、今回は飲まずの登山。帰途ロープウェーの頂上駅に無事辿り着いたとき、我慢していたビールを飲んだ。下界まで降りれば価格が半額になるのは承知していたが、一汗掻いた後でのビールの爽快さを満喫したいとの欲望には安さだけでは勝てなかった。 

       パラグライダー(写真上部・中央)

パラグライダーの原型はNASAが開発した、宇宙船回収用のパラフォイル(柔軟翼)である。スポーツとしてのパラグライダーは、1978年頃、フランスのスカイダイバーがの斜面からスクエアーパラシュート(四角いパラシュート)で下りたのが始まりとされる。

日本で普及し始めたのは1986年から。当初は滑空性能が低くスキー場のゲレンデを斜面と並行に滑空を楽しむ程度のもので飛行時間にして約35分程度であった。日本のファルフォーク社が楕円翼を採用して飛躍的に性能向上を計ることに成功して、ハンググライダーのようなソアリング(上昇気流による長時間フライト)が可能になった。

その後、各社とも研究が進み性能の向上は続き、現在では一般のフライヤーでも23時間の在空時間や地上2,000m程度までの上昇ができるまでになっている。

ロープウェーの頂上駅横の広場に、3人同時に滑空準備が出来るバラグライダーの乗り場があった。命知らずの独身男の乗り物かと予想していたら、何と女性もいた。聴けば数年もの経験を積んだベテラン・・・。

パラグライダーにはエンジンも無く、全て1人乗り。風の動向に注意しながら数分に一回の割合で飛び立っていた。係員の合図を受けていざ出発と決意し、20m程度の助走距離を凧揚げのように全力で走り始めても風向きが急変することも屡(しばしば)、3回に2回は途中でストップ。安全第一主義には徹しているようだ。

一度飛び立つと一時間は飛び続けているようだ。私には勇気も体力もなくひたすら指を咥(くわ)えて眺めただけ。

       十(と)割り蕎麦 

   信州に来た序に本場の十割り蕎麦を食べた。一食8001,000円程度だが、腰もあり美味しかった。手打ち蕎麦屋でも十割り蕎麦は少ない。大抵は二八(にはち)蕎麦だ。蕎麦粉100%では結合力が弱く手造りは難しいらしい。専門業者から打ち立ての蕎麦を毎朝仕入れる蕎麦屋も多い。 

   長野県方面への旅行の場合、道の駅などで乾麺の二八蕎麦をお土産に何度も購入したが、打ち立ての新鮮な蕎麦の香りや味覚とは別物に感じて失望し、過去数年に亘って買ったことがない。今では旅行先で手打ち蕎麦を食べるだけになった。 

   ところが、今年7月松坂屋豊田店で暇つぶしを兼ねて、加工食品売り場を覗いていたら十割蕎麦を発見。真空包装された賞味期限二ヶ月(二食分420円)の生蕎麦だった。繋ぎ対策として杵で餅のように突いて造るのだそうだ。流石はデパート。腐っても鯛。 

一袋試し買い。沸騰したお湯で2~3分茹で、冷水で揉み洗い後、笊(ざる)に盛り付け添付のお汁(つゆ)で食べたら打ち立ての蕎麦と変わらぬ食感。茹で汁を残ったお汁に入れて蕎麦湯も賞味。病みつき化した。今では荊妻不在時の常備食。インスタント・ラーメンの類は幾ら安くても食べる気がしない。 

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尾瀬



  歌や文学の威力

夏の思い出

江間章子 作詞
中田喜直 作曲

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧の中に うかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている
夢みて咲いている 水のほとり
石楠花色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
 

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花の中に そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている 水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空
はるかな尾瀬 遠い空

各界を代表する黄金コンビにより作成されたため、1949昭和24年)6月13日NHKラジオ番組ラジオ歌謡』にて石井好子の歌で放送されるや否や、瞬く間に多くの日本人の心を捕え、その後、曲中に現れる尾瀬の人気は飛躍的に高まった。

私はこの歌で水芭蕉の美しさを連想しつつ尾瀬を何時かは訪ねたいと思っていた。歌で有名になったのは尾瀬だけではない。私に取って未訪問の知床は、世界遺産に登録される前に『知床旅情』で既に超有名になっていた。

有名観光地に格上げされる契機は歌だけではない。石山寺(滋賀県)寛弘元年(1004年)に紫式部が当寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされ、石山寺本堂には「紫式部の間」が造られていることでも有名だ。これまた未訪問の立石寺(りっしゃくじ・山形県)は、奥の細道の『静かさや 岩にしみ入る蝉の声』で大昔から既に有名になっている。

でも、作り話で超有名になった飛鳥川の例もある。新古今和歌集の詠み人知らず933番『世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる』だ。しかし、流体力学的に見れば完全な間違い、決して起こり得ない現象だ。

外側に凸になっている部分に発生する淵はますます深くなり、淵から削り取られた土砂は反転した水流に運ばれて下流に堆積して瀬を形成。川の蛇行はますます酷くなり最後は三日月湖となる。淵と瀬が同じ場所で交替することはあり得ない。

河川の下流に向かって淵と瀬は必ず交互に現われる。四万十川の川舟に乗れば直ぐに分かるが、蛇行しているアマゾン川の航空写真でもこの現象は理解できる。57年前の高1のときの我が国語の先生は、憧れの飛鳥川を奈良県まで見に出かけたが、『淵や瀬があるどころか、溝に近いほどの小川だった』との、がっかり報告。

アルプスの少女ハイジでスイスの小村が、ムーミンでフィンランドのムーミン村が日本人観光客で賑わっているそうだが、その他、枚挙に暇なしだ。 

     尾瀬

尾瀬に日本人が殺到するのは『夏の思い出』の曲の影響だ。湿原の面積ランキング上位20の内18ヶ所は北海道。釧路湿原の面積(227平方Km)は尾瀬(8平方Km)の何と約28倍もある。でも、悲しいことに名曲がない。一方尾瀬は北海道を除けば1位とはいえ、全国では14位。

宿泊した老神(おいがみ)温泉の観光ホテルの支配人は『尾瀬あっての老神温泉』と即答した。それだけに平成23年8月下旬からの1週間に亘る台風混じりの歴史的な豪雨で、尾瀬に到る道路や湿原の木道が彼方此方で流失。激流にさらされた道端の巨木もポキンと折れていた。死活問題に遭遇した関係者の努力は驚異的だった。火事場の馬鹿力を連想。96日には通路だけは完全に修復されていた。

③ お印(おしるし)

皇室の人が身の回りの物に名前代わりに付けるのが「お印(おしるし)」です。新宮さまのお名前は「悠仁親王(ひさひとしんのう)」、お印は「高野槇(コウヤマキ)」に決定しました。高野槇は常緑針葉高木で、高さ約30~40メートル、幹の直径は1メートルにもなるという巨木です。

天皇陛下のお印「榮」とは「桐」のことです。天皇陛下に限らず、皇族の方々のお印は植物が多いようです。ちなみに、現在の皇族の方々のお印は、次の通りになっています。

天皇陛下:榮(えい=桐)。皇后陛下:白樺(しらかば)。皇太子殿下:梓(あずさ)。皇太子妃殿下(雅子さま):ハマナス。皇太子同妃両殿下お子さま(愛子さま):ゴヨウツツジ。秋篠宮文仁親王殿下:栂(つが)。秋篠宮仁親王妃紀子殿下(紀子さま):檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)。秋篠宮文仁親王殿下お子さま(眞子さま):木香茨(もっこうばら)。秋篠宮文仁親王殿下お子さま(佳子さま):ゆうな。清子内親王殿下(清子さま):未草(ひつじぐさ)

清子内親王殿下のお印である『羊草』(睡蓮科の多年草・写真を参照されたい)が尾瀬の湿原内の池に自生していると教えていただけたのは、今回の同行者・トヨタ先輩中川様の物知り奥様だった。私はお印という言葉すら知らなかった。

追伸・・・中川様経由で賢夫人から羊草の命名由来を教わった。流石!!

「羊草」の命名の由来は、未の刻(ヒツジノコク:午後2時ごろ)に咲いたから。更に、夕方になると眠る(睡眠)ようにしぼむから「睡蓮」としたそうです。(羊草は睡蓮科の多年草)

尚、モネの描いた睡蓮は外来種でこれは午前に開いて午後3時ごろしぼむ。

     老神温泉

かつての温泉ブームは全国的に消え去り、何処の有名温泉郷に出かけても倒産観光ホテルが林立。それでも、源泉賭け流し・快適な露天風呂・風光明媚な秘境にある温泉宿の幾つかは細々ながらも生き延びている。

連泊した7階建ての山口屋では、80歳代後半の腰は曲がっていても今尚元気な仲居や25年間も連続して夜勤をしていたと称する支配人の努力で、今年三月の倒産危機も切り抜けたらしい。館内の自販機では350ccのスーパードライが何と215円。使い捨ての安全かみそりは部屋にも大浴場にも無く、自販機で販売するほどの経費節減。

     朝市

山口屋から200mの位置にある広場では朝市が6時から開かれていた。広場の外周に沿って『コ』の字形に配置された店は十数軒。広場の入り口が一番売れる場所とかで、店舗位置を時計回りに毎週一回移動させているそうだ。入り口に陣取れるのは1年に3回。それだけに入り口のお婆さんの客の呼び込みへの気合は別格。

今や各地の伝統的な朝市の天敵は全国各地に1,000箇所も開業した、地産地消を旗印に掲げる道の駅。朝市でもご他聞に洩れず価格競争が厳しい。でも、同じ加工食品(沢庵)が道の駅よりも1~2割安かった。ついつい日頃の癖が現われ衝動買いの連続。7人乗りの車で来ていたので運ぶ苦労は無く、満足。

     吹割の滝(http://www.houbien.jp/fukiware/)

昭和111216日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、高さ7m幅30m余に及び、ごうごうと落下。飛散する瀑布は東洋のナイヤガラといわれている。

この滝は、凝灰岩・花崗岩の川床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟かい部分を浸蝕し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩が吹き割れたように見えるところから、吹割の滝の名が生まれた。

吹割の滝に続く鱒飛びの滝の壮絶な景観、そして獅子岩と呼ばれる岩壁群の奇景など、独特の渓谷美を見せている。

吹割りの滝は尾瀬を源流とする片品川にあり、利根川に合流する。老神温泉と尾瀬との中間地、利根町にある。

私は滝とは水が鉛直に落下する華厳や那智の滝のような現象を連想していたが、急斜面を流れ落ちる水流も滝の一種と見なされている。当日は台風一過、水量が多すぎて滝の周りを一周できる1時間の散歩道は安全確保のために閉鎖されていた。

詳しくは上に貼り付けたホームページのアドレスをクリックされたい。写真も豊富だ。類似の滝は日本には少ないのか、私が生まれる2年も前に天然記念物に指定されていたとは驚きだ。

有料駐車場横の小料理店兼お土産屋で岩魚の串焼き(一匹700円)を賞味。岩魚30匹が串刺し状態で炭火を囲んで焼かれていた。生簀の岩魚を刺身にすると1,000円だそうだ。

若い店主は『川魚の王様は岩魚、次がヤマメ。鮎は養殖が全国的に普及した結果、今や大衆魚に格落ち』と解説したが、希少価値と味覚とは別次元。岐阜県で去年食べた一匹1,300円の抱卵鮎の塩焼きの方が格段に美味しかった。

     珍事に遭遇

尾瀬の入り口、鳩待峠からの散歩道を1時間下ると尾瀬沼への出発地である山の鼻に到着。ここの休憩所の飲食物の価格は俗界の約2倍。山口屋のお婆さん仲居からは尾瀬の中心にある竜宮小屋(飲食物などの原材料は筋骨逞しい若者が、歩合制で一度に6585kgを背負って日に2往復も鳩待峠から運ぶ。我が推定運賃は100/Kg)では3倍になるから、コンビニで飲み物や弁当を調達するようにと薦められた。

山の鼻から1時間散策した頃急に便意を感じた。近くにはトイレがない! 当日は200人くらいの中学生の団体が15人くらいのグループに分かれ、ガイドと一緒に蟻の行列。便意は急速に強まった。尾瀬は2回目だったし、意を決し私だけ引き返すことにした。

更に便意は強まった。必死になって堪(こら)えると少し弱まったが、200m位歩くと一層強まった便意が再発。走ると我慢できなくなると推定し、のろのろ歩行。湿原に飛び込んで排便しようと何度も思ったが、中学生の団体に監視されているように感じて実行できず・・・。

やっとの思いで山の鼻の公衆有料トイレに辿り着いた。何たる不覚。軽い下痢。原因は思いつかない。高原宿での寝冷えと朝風呂後のビールの飲みすぎだろうか・・・?大量の軟便が一気に噴出したものの、便意は治まらない。

腹腔内の消化器の再配置と蠕動運動が収まるまでは、大地震の後の余震のように15分くらいの間、飛び飛びに排便。心身ともに疲れ果て和式のトイレでは立ち上がる気力も喪失。傍らの棒を握り締めてやっとの思いで立ち上がった。

トイレの出入り口に納金箱があった。100円の価値をしみじみと噛み締めた。千円でも高くは無いと思ったほどだ。生き地獄から極楽浄土へと一瞬にして移動できた喜びは大きかった。

毎日、何百人もの散策者がいる限り、体調が悪くなる人も必ず発生するはずなのに湿原の中には公衆トイレがない。せめて2Km間隔で設置されれば最長1Kmの移動でトイレに辿り着けるのに・・・。尾瀬のように入り口が限定されている観光地では、千円程度の入山料も取り立てやすい筈。木道やトイレなどのインフラ整備の資金源にもなるのにと痛感。



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那須



那須は関東地区中学同期会主催の温泉旅行(平成19年3月14)以来たったの2回目。でも、何度も出かけたことのある軽井沢よりも原生林が美しかったとの記憶は鮮明。 

そのとき宿泊した観光ホテルの大演劇場の大衆演劇は無料。子役の名演に涙した。どこの大衆演劇もストーリーはシェークスピア同様、現実離れして大げさだが論理は明白。桟敷席で酒を楽しみながらの気楽な観劇に、大衆演劇への根強い人気の秘密を感じた。 

① 八幡(やはた)温泉・一望閣

    地名としては岩手県八幡(はちまん)平市が有名なためか、はちまんと読みたくなるが、那須高原温泉郷では『やはた温泉』と呼称されている。

   宿泊した一望閣は那須御用邸の真下の隣接地、眺望抜群の場所に建っていた。初日の夕食には一人ひとり用の小さなタジン鍋料理も出された。タジン鍋は初体験だった。 

タジン (: طاجين) は、マグリブ (北アフリカ) 地域の鍋料理。もともとは、料理の際に使われる陶製の土鍋のことを指した。

とんがり帽子のような形の蓋が特徴的な独特な鍋を使い、羊肉鶏肉と、香辛料をかけた野菜を煮込んだものをいう。 主にモロッコアルジェリアチュニジアで食される。 なお、チュニジアのタジン鍋はポットの形が違う。

一般にタワスという独特の皿に盛りつけられる。これはキプロス料理で使用される皿と同一の物である。伝統的なタジンポットは板ガラスをはめつけた部分と、塗装された外側の二つの部分から形成される。

上の口にあたる部分は細く、底の部分は太くなっており、円錐かドーム型の形をしている。このような形状になっている理由は、円錐形の蓋の上部の狭い空間は対流が起こりにくく、温度が低い領域が得られるからである。食材から上がる水蒸気や、食材やハーブなどに含まれる揮発性りの成分が、冷たい蓋の上部で冷やされて結露し、再び水滴となって食材のもとへ戻るようになっている。

これによって蓋と鍋の隙間にウォーターシールが形成されて密閉状態となり、料理の香りが飛ぶのを防いで風味を逃さない蒸し焼きに最適の条件が得られる。[1] また、蓋の下のほうだけ水蒸気の対流が発生するため、土鍋の熱を下部に集中させやすいという利点もある。

モロッコでは飲料水は非常に貴重だった。そのような風土的要因から、食材の水分だけで調理できるタジンは作られたともいえ、一般的な家庭料理となっている。

高さのあるフタは、かさばる野菜を盛り上げても収めることができ、蒸すことで柔らかくなって見かけの量がかなり減るため、多くの野菜を食べられる。加熱時に使用する水分が少ないため、水溶性のビタミンミネラルが溶出する損失が少なく、熱の通りが良いので油の使用も控えられる。そのヘルシーさが見直されて、現代人の間で人気が出てきている。

   21世紀に入った頃からテレビや通販雑誌で無水鍋の宣伝が増えた。無水鍋を使うとほうれん草を茹でても、溶出した貴重なミネラルやビタミン類がそのまま摂取できるとの説明には納得したものの、実物体験がなく購入は見送っていた。我が家の倉庫(棚の総面積は24!)では宣伝に乗せられて購入した、思いつき商品が何個も埃を被っているが邪魔にもならず破棄もせず・・・。

   でも今回、無水鍋の元祖タジン鍋の威力を体験し、電磁調理器でも使える無水鍋を早速買い求める気になった。

   一望閣の眼下には野生のツツジの群落が広がり、初夏の満開時には秋の紅葉と並ぶ観光名所。群落の中には網の目のように木道が整備され、あちこちの要所には展望台も設置。秋はツツジの剪定時期なのか、作業用の看板に入札金額349万円と大書されているのが珍しかった。

   翌日の夕食には合鴨の胸肉の燻製などが盛られたフランス料理風の前菜が出た。仲間は見た途端、豚肉だと即断した。切断面の模様や色彩はベーコンに似ているが味覚は別物。私の好物の一つだ。台湾が合鴨の産地としては有名だ。私は酒の摘みとして通販で取り寄せている。調理ではスライスするだけ。味付けも不要。

更に、メインとして和牛のヒレ肉のステーキも出された。素材重量は120gと推定。大満足。牛肉の部位別で私が一番好きなところはヒレ肉。日ごろは三重県の瀬古食品(http://www.sekofood.co.jp/。直営牧場では松阪牛を常時700頭も肥育中)から、インターネットで取り寄せている。直販では松坂屋豊田店の半額未満(100g2,100)になるのが、細々と生きている年金生活者には最大の魅力。

注文時には厚さ5cmと指示してのオーダーカット。一枚300gになるが、ステーキは自分で調理できる唯一の牛肉料理。味付けは塩と胡椒のみ。ステーキ用のソースを掛けるとヒレ肉の貴重な旨みが隠されるのを避けるためだ。表裏をウェルダンに焼くだけ。すると中心部はレア、中間部はミディアムに自動的に焼けている。胃がんの手術で胃の大きさが1/3になった私には、たったの一枚で満腹。

② 那須とりっくあーとぴあ

あるとき、テレビの人気番組『爆問学問』で『那須とりっくあーとぴあ』の紹介番組を見て強い関心が発生。那須旅行での見学対象にしたい、と同行予定者に提案。トリックの原理は解っていても、何故騙し絵が成立するのかなども体験したかった。テレビで紹介された後、来訪者が激増したとか。 

ここには独立した建物が三ヶ所『トリックアートの館』『トリックアート迷宮?館』『ミケランジェロ館』あったが、時間不足から『トリックアート迷宮?館』を選択。

左端上から二番目の写真は大男の同行者が、身長僅か160cmの私よりも小さく感じられるのは何故か。その下に続く二枚は平面に描かれた絵が立体に見える騙し絵。但し、最下段の絵の中の少女は実物。写真に撮ると騙し絵と本物の区別も困難。 

ダビンチやラファエロのような天才画家が画かなくとも、人物や動物が絵の中から飛び出しているように立体的に感じられるのは何故か。考えるだけでも楽しい。この他、初めて出会ったアイディアも多く、各種展示物を見ていたら普通の美術館見学よりも格段に疲れてしまったのも不思議な現象。 

      那須ステンドグラス美術館

   ステンドグラスの大型製品は日本ではあまり見かけないが、パリのノートルダム大聖堂のバラの窓など欧州各都市の大聖堂ではしばしば見かけた。でも、造るのは大変らしく、戦乱で破壊された後、修復費が集まらず普通のガラス窓のままの大聖堂もいくつか見かけた。

   ここの美術館には大物のステンドグラスが多数集められ、建物の壁に嵌め込まれていた。それ以外にも電気スタンドの傘などの美術品も展示されていた。 

   更にオルゴールの演奏会場では、ドイツ製の巨大な名器による聴きなれた名曲の実演もあった。エジソンの蓄音機発明以前の自動演奏技術が凝縮されていた。この技術の延長上にパンチカードシステムを使った機織(はたおり)機があり、電算機のデータ入力機器があった。50年前は電算機用の新作プログラムやデータはパンチカードで入力していた。 

   当美術館の一角には結婚式にも使われているセント・ラファエル礼拝堂があり、パイプオルガンの演奏会場にもなっていた。若い女性ピアニストによる生演奏が聴けた。欧州の大聖堂で大きなパイプオルガンは何度も見たが、生演奏を聴く機会はほとんどなかった。 

   大きな金属音が響き渡るピアノとは異なり、パイプオルガンの柔らかく荘厳さも感じられる笛の音に心を慰める力を感じた。 

      那須茶臼岳

那須岳(なすだけ)は、栃木県那須郡那須町にある茶臼岳の別称、または同県那須塩原市那須郡那須町福島県西白河郡西郷村にまたがるの総称である。

栃木県は『那須岳とは茶臼岳の別称』としているほか、日本百名山の著者である深田久弥は書中に『那須岳とは那須五岳の中枢を成す茶臼岳朝日岳および三本槍岳のこと』と記している。

那須岳は、関東地方の北限、那須火山帯の南端に位置し、広い裾野を持つ成層火山で、噴火口は主峰茶臼岳の山頂部にあり、現在も蒸気と火山ガスを盛んに噴出している。

朝日岳と三本槍岳はすでに噴火活動を終えている。標高が最も高い地点は三本槍岳1,917m)で主峰茶臼岳の山頂より2m高い。茶臼岳と三本槍岳は山頂部が丸く、鋭鋒は朝日岳のみである。

   ホテルの近くにロープウエーの駅があり、一気に山頂近くまで昇った。山頂駅からはなだらかな歩きやすい登山道路が続く。火山灰質の砂利道は水捌け抜群。仲間から借りた伸縮自在の杖は快適な使い心地。火山性ガスの影響か、山麓は飛び飛びに生えている小さな高山植物のみで灌木すらも見当たらず荒涼としてはいるが、眼下に展開されている景色の美しさは別格。下界に広がる紅葉も美しい。

   20歳代の時には5,950ccの肺活量、9年前の胃がん手術直前でも4,900cc。心肺に起因する息切れは全くないのに、しばらく歩くと足が大変重く感じられ始めた。朝風呂後の缶ビールとグラスワインの影響よりも、加齢に伴う筋力の低下と自己診断。

   高度差で100m程度昇った地点で山登りを遂に断念。頂上までたったの200m程度を残すだけなのに山登りへの魅力を感じなくなったのだ。12年前の平成11年、5歳年上のトヨタ先輩と富士登山。七合目で当時67歳の先輩は『頂上からでも、七合目からでも日の出の美しさは同じ』といって登山を断念。若いガイドの体験では3割の登山客は途中で諦めるとか。那須茶臼岳は富士山の半分の高さなのに、当時理解できなかった氏の辛かった決断もやっと納得。 

更に登るべきか、引き返すべきかそれが問題だ、とハムレットの悩みを思い出しつつ、仲間にはロープウエーの駅で待っていると遂に宣言。路傍の石に腰掛け、涼風を浴びながら持参していたビールを満喫。これぞ山登りの醍醐味。山頂に近づくと勾配がきつくなったとかで、仲間も登山を断念。15分遅れて戻ってきた。老化現象は毎日の散歩程度では仲間にも止められないようだ。

      那須平成の森 

『平成の森』は全国各地に造られた。それらと区別するためか『那須平成の森』と命名されている。

那須御用邸は、当時皇太子殿下であった昭和天皇の御成婚後の御静養の場として大正15年に設置されたものであり、天皇皇后両陛下、皇太子御一家が御静養の場としてお使いになってきました。

豊かな自然が残るこの御用邸の森の動植物について、正確な記録を残し、その後の経年変化などを把握することが望ましいとの天皇陛下のお考えを受けて、平成9年度から平成13年度までの5か年にわたって、栃木県立博物館による調査が行われました。

その結果、御用邸の森には豊かで多様な自然環境が残されており、ブナの自然林などが広がるほか、希少種をはじめ多くの動植物が生息・生育していることが確認されました。

そして、その豊かな自然を維持しつつ、国民が自然に直接ふれあえる場として活用してはどうかとの天皇陛下のお考えを受けて、天皇陛下御在位20年という節目の機会に、御用邸用地のおよそ半分にあたる約560haが宮内庁から環境省へ移管されました。

その後、自然環境のモニタリング調査が行われるとともに、フィールドセンターや歩道などの整備が進められ、平成23522に日光国立公園「那須平成の森」として開園を迎えることとなりました。 

   今回は紅葉の真っ盛り。平成の森の原生林は種々の落葉樹の若い木から老木までが生い茂り、紅葉の色も種々。全国有数の紅葉の名所、我が家から僅か25km地点にある豊田市足助町の香嵐渓の紅葉は楓一色。無数の樹種が入り混じった那須の紅葉の美しさに私は軍配。那須平成の森の中には舗装道路はなく、砂利道のまま。園内には建物もなく自然のまま。こんなに美しい森を見たのは生まれて初めて。 

   国民に公開されて半年足らずのためか観光業者の努力不足か不明だが、団体客はまだ少ない。砂利道に降り積もった柔らかな落ち葉の感触を楽しみながらの散歩に心が洗われた。木枯らしが吹くたびに発生する、花吹雪ならぬ紅葉の舞にうっとり。与謝野晶子の『金色の小さき鳥のかたちして銀杏散るなり夕日の岡に』をふと連想。 

      日光東照宮

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社江戸幕府初代将軍・徳川家康神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。

東国の精神的中心としての歴史は徳川氏東照宮よりも遥かに早く、遅くとも源義朝による日光山造営までさかのぼり得る。さらに、源頼朝がその母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府関東公方後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた。徳川氏の東照宮造営はこの歴史を巧みに利用したと考えられる。

   風光明媚な日光山には徳川時代以前から既に神社が存在していた。客観的に見れば政権を握った徳川幕府が日光山を乗っ取ったようなものだ。日本全土から宮大工を動員し、僅か一年半でこれだけの規模の神社を造営した突貫工事力に驚く。現在の貨幣価値で2,000億円の工費を掛けたとか。現在の国力に換算すれば10兆円の国家予算で造営したようなものだ。

   欧州の大聖堂の場合、建設期間で100年以上はざら。彼らののんびり作業は今もスペインのサグラダ・ファミリア(バルセロナ・ガウディの設計・今も尚工事中)でもお馴染み。日本人の突貫作業精神は東京オリンピック関連の建設工事以前から発揮されていたのだ。

  

   日光東照宮の訪問は今回が三回目。一回目は高2(56年前の昭和30年の修学旅行。当時我が母校・東筑高校は高3になると受験勉強に専念させる主義。修学してもいないのに修学旅行を1年繰り上げて実施していた)。でも、陽明門など有名な建物を見学しただけだった。

   二回目は40年位前に2週間の東京出張時の週末に一人で出かけたが、東照宮は入り口のみ。電車とバスでは自家用車と異なり行動範囲は狭くなる。奥日光や華厳の滝(日本の三大神滝とは那智・華厳・布引)などが主力。東照宮に家康のお墓があったとは夢にも思わず・・・。

   今回は修学旅行と紅葉シーズンが重なり、満員電車並みの人混み。団体客に押し流されながら付いていくと、想定外だった家康の墓にまで辿り着いた。何よりもその斬新なデザインに驚愕。直方体の鏡餅を積み重ねたような和式の墓ではなく、低重心の釣鐘タイプだ。その上、カロート(納骨室)の風化防止なのか、屋根までつけるとは。このデザインを考えたのは家光なのだろうか? 当時の伝統に囚われない発想に拍手喝采!! 

      加齢による筋力低下への対策愚考 

   人体の構成材料は神経や脳みそなどの特殊部位を除き、筋肉や血液だけではなく骨すらも2ヶ月から半年で更新されるそうだ。青春時の素材に更新されるのならば大歓迎だが、直近の材質に復元するだけらしい。 

   9年前のがん治療で54kgの体重が一気に46kgになり、筋力が激減。手術前の検査入院時に主治医は、ベッドで寝ているだけの私に体を動かして体力を少しでも付けろと指示。愛知県がんセンターの地下室から屋上までの250段の階段を15分で2往復した。12月中旬の寒さの中でも、汗は掻いたが足には何の苦痛も感じなかった。 

   がんの手術前、年間50回前後のゴルフのグロスの平均値は100101、約半分は100を切っていた。でも、退院後は一度も100を切っていない。がんの入院治療は合計5回。食道がんの剥離手術を受けた直後は点滴のみ。忽ち数キログラムも体重が減少。元に戻すのに四苦八苦。 

   体重が減少すると大変疲れやすくなった。家庭菜園程度の軽作業ですら一日に2時間が限度。土起こしにも遂にミニ電動耕運機を導入。2年前からは次回のがん治療に備えて、痩せ代分として体重を数kg、必死になって無理やり増やした。その後は58kg前後を何とか維持。でも、脂肪が増えただけらしく筋力の復活は感じられない。今や山登りや上り階段で筋力低下の悲哀を感じるようになった。 

   現役時代の痛風の主治医だったスポーツ医学が専門の整形外科医、トヨタ記念病院の副院長高松浩一医博の『太ももの筋肉の筋力強化法』に挑戦することにした。 

   膝を伸ばして太ももの筋肉に力を入れたままで、5秒間床から10cmほどかかとを上げて保持し、その後はかかとを下ろして力を抜く。反対側の膝は曲げておく。その動作を20回ほど繰り返す。これを毎日数回実施する。 

   あんまり複雑な訓練は長続きしないが、この程度ならば挑戦できるのではないかと考え、半信半疑のまま一日2回から助走開始。

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おわりに

① 観光業の戦後史略   

経済白書が『もはや、戦後ではない』と高らかに宣言したのは昭和31年(私は高3。大げさに言えば人生の夢に向かって、たとい才媛に出会おうとも眼中にはなく、寸暇も惜しんで受験勉強に没頭中)。一人当たりの実質GNPが戦前に追いついた節目の年だった。戦前の経済指標とは昭和9~11年の平均値。此処から『失われた20年』という言葉も派生した。 

   昭和30年代は高度成長が始まった出発点。スプートニク1号(昭和3210月4日)が宇宙を飛び、我が祖国の観光業界も一斉に活動開始。30年代の10年間に全国各地に健康保険組合の保養所や国民宿舎、漁村には海鮮料理が主力の民宿、都会では国際的な都市ホテルやビジネスホテルも続々と誕生。観光名所には観光ホテルやペンションの雛形も。 

たとい身は公営や社宅などの掘っ立て小屋での借家暮らしでも、国民が三種の神器(しんきではなくじんぎ)などの電化製品の購入で豊かさを感じ始めただけではない。新婚旅行の人気候補地は、熱海(関東人)・白浜(関西)・別府(西日本)⇒宮崎日南海岸⇒沖縄⇒ハワイ⇒米国西海岸や欧州⇒南太平洋やインド洋の島嶼国⇒世界各地へと所得増に連れて変遷。 

   でも、我が祖国の経済成長は僅か半世紀も経たずして、戦乱もないのにアッという間に挫折。今や再度の『失われた20年』という言葉に象徴される長期停滞期に突入⇒全国各地の観光業も青息吐息。 

蛇足 

   我が愚見ではこの挫折からの蘇生は簡単ではない。産業革命の波及効果が一巡した後、過去一世紀余の先進各国の経済成長の要因は、コンドラチェフ(ロシア人)やシュンペーター(オーストリア人)に聞くまでもない。私なりに分析した結果、下記の五大技術革新にあったと確信している。 

農業革命(品種改良による収穫増⇒飢饉の回避・人口爆発)
交流電力の発明(電機・電器の普及⇒生産性や生活の向上)
物流革命(鉄道・船・旅客機・車⇒物流費の削減・生活圏の拡大)     
エネルギー革命(石炭⇒石油・天然ガス・原子力⇒利便性・原価低減)
電算機の発明(応用分野の拡大⇒利便性・生産性の向上) 

   この五大技術革新のうち、最大の福音を人類にもたらすと信じ込まれていた農業革命こそがあろうことか人口爆発を誘発し、今や解決困難な超難問となった地球温暖化を発生させたのだ。何という矛盾(福音と地獄の同時発生の意)! その根本的な解決策が反バイアグラ(性欲喪失薬)の発明程度なら何という人類の悲劇か??

コンドラチェフ

経済的指標の時系列からの観察として、コンドラチエフは1926年に、産業国家の経済的発展はその度毎におよそ50年持続する波(コンドラチエフ循環)の中に生ずるという結論を導出した。

個々の波の重要な特性は、好況期には好景気の年が優位を占め、「景気後退の年の抜きん出た突出」と名付けられた下り坂の局面には、基礎的発明と呼ばれる重要な発見や発明の大多数がなされることである。

もし仮に欠乏、あるいは継続的な生産性向上によってもはや需要を満足できないことが生じたならば、これらの基礎的発明は引き続き更に生み出され続ける。

例えば、欧州の鉄道建設は、今まであった輸送便(街道の馬車、等々)がもはや工業的に製造された商品を用意するだけの立場ではなくなったために、決定的に取り組まれた。

この理論の後、今日では5つの主だった循環が導出されている。

新たな経済発展となる6番目のコンドラチエフ循環がこれまでの様に定義できるか、そしていかなる形で定義できるか、現在熱く議論されている。

シュンペーター

ヨーゼフ・アーロイス・シュンペーターJoseph Alois Schumpeter18832月8日 - 19501月8日)は、オーストリア・ハンガリー帝国後のチェコモラヴィア生まれのオーストリア経済学者である。企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した。

イノベーションはシュンペーターの理論の中心概念である。初期の著書『経済発展の理論』では新結合と呼んでいた。

イノベーションとは、経済活動において旧方式から飛躍して新方式を導入することである。日本語では技術革新と訳されることがあるが、イノベーションは技術の分野に留まらない。シュンペーターはイノベーションとして以下の5類型を提示した。

  1. 新しい財貨の生産
  2. 新しい生産方法の導入
  3. 新しい販売先の開拓
  4. 新しい仕入先の獲得
  5. 新しい組織の実現(独占の形成やその打破)

イノベーションの実行者を企業者(アントレプレナー:entrepreneurと呼ぶ。この意味における企業者は、一定のルーチンをこなすだけの経営管理者(土地や労働を結合する)ではなく、生産要素を全く新たな組み合わせで結合し(新結合: neue Kombination)、新たなビジネスを創造する者として重視される。この点を明確にするため近年は起業者と訳されることがある。

   今や、私ごとき者ですら借金をしてでも買いたくなる新商品は全くない。日米欧の経済不況からの脱出は次なる超大型技術革新を待つしかない。当分は、発展途上国でも生産設備を先進国から購入すれば、誰でも生産できるコモディティ化した消費財の価格戦争に明け暮れるだけ。韓中台を始めとする低賃金国には日米欧も最早勝てない。 

でも、彼らとて日米欧に追いつくことはできても、自らの新たなる技術革新抜きでは追い抜くことは不可能だ。賃金が日米欧に追いつけば、価格競争力も自動的に消滅するのは明白。 

   各国政府はこの不況対策のために遂に借金地獄に突入。最終的な解決策は調整インフレによる借金の帳消しと富裕層の金融資産の消滅策だ。お金は物的資産とは異なり政府の政策でその価値を変えることができる。消費税や所得税などの増税をしなくとも、インフレで同じ効果が得られる。お金とは何と便利な存在か。ちなみに物価を僅か2倍にするだけで日本政府は負債の半額500兆円の返済を免れるのと、本質的に同じ成果が獲得できるのだ。 

   我が子の幼児教育に使った日本昔話の紙芝居を思い出す。欲張り老婆が溜め込んだ金貨を壷に保管。いざ使うべく壷の蓋を開けたら金貨ならぬ枯れ葉が出てきたそうな! お金はその価値が減る前に使わざるを得ないのに! 戦前、先祖が爪に火を点して溜め込んだ金融資産(株式などの有価証券を除く現金資産)を相続して、悠々自適に暮らしている子孫の日本人は、我が知る限り今日一人もいない。 

大型インフレの後に各国に残されるのは国富(物的資産)。その主な構成要素とは土地・インフラ・生産物流商業設備・オフィス及び、人間(寿命80)と大同小異の耐久性しかない掘っ立て小屋レベルの個人住宅と塵同然の家財。余命幾許も無い我が余生の間に、残り少なくなった有り金を使い果たしたいのに、使い道が簡単には見つからないのが何とも皮肉だ・・・。 

私は乏しい現金を叩(はた)いて松阪牛など哺乳類を食べ過ぎた結果?総コレステロール値が増加。更に各種お酒を飲みすぎた結果?痛風や胃がんと食道がんでのしっぺ返し。人生ままならずと痛感。でも余生への未練が消えず、やむなく家庭菜園中心のベジタリアンに転向。 

蛋白源不足対策では魚食に転向。夕方18:00に開始される松坂屋豊田店の刺身半額セールで、雲霞(うんか)のように群がるライバルと闘いながら買い物籠一杯(1015パック)購入しても、高々5,0007,000円程度。大好物の鰯と秋刀魚を確保した後の高級魚の分捕り合戦は面白いが、冷凍は避けてチルドルーム等での保管に徹して賞味期限を延ばしても、数日間で食べ尽くすのには苦労している。  

蛇足(国富)

国富(こくふ)とは、国民全体が保有する資産から負債を差し引いた経済指標ストック統計の一。

国富には、住宅・工場・耐久消費財などの実質資産、土地・森林などの有形資産、そして対外純資産も含まれる。しかし、現金や株式などの金融資産は含まれない。

② 観光業界では生き残り戦のゴングが鳴った!! 

   世界96ヶ国(平成23年8月20日、73歳の誕生日現在)を駆け巡ると、我が祖国の観光業界は特殊な発展をしていたことに、鈍感な私すら嫌でも気付く。宿泊施設は分類困難なほど多種多様化。海外では一部の例外(豪華ホテル)はあるが、ホテル・モーテル・民宿が主。中身はSexが出来るだけの二人用の密室(寝室)と質素なレストラン。シルクロード沿線で発展したキャラバンサライ(隊商宿)の現代版、旅の単なる宿屋に過ぎない。 

群れながら旅行する習慣に乏しい欧米人には、大勢の仲居のサービス・カラオケ付き大宴会場・部屋食・洗い場付の大浴場や露天風呂を整備するだけではなく浴衣や丹前(綿入りの丹前は褞袍“ドテラ”)も準備し、周辺の観光地だけではなくホテル内でも宿泊者を心底から楽しませる、という発想に乏しい。団体旅行をしても仲間と共に馬鹿騒ぎをしながら憩えるような場所がない。私が海外旅行に飽きてしまった要因の一つだ。 

一方、愛知県だけでも劇場付の観光温泉ホテルが4ヶ所もあるそうだ。宿泊客の観劇は無料。収容能力数百人の劇場内は宴会場並みに飲食もできるテーブル付。大型バスによる団体客の無料送迎もあり集客力は抜群。老人クラブや隣組の懇親会などには意外な人気。 

明治43年から100年間、知る人ぞ知る今なお現役の八千代座(熊本県山鹿市にある国指定重要文化財。長谷川一夫・淡谷のり子や松本幸四郎・坂東玉三郎も出演した)を連想させた西尾市幡豆の『みかわ温泉海遊亭』での大衆演劇は、我が温泉仲間にも大好評だった。 

全国各地を移動しながら興行する一座は無数にあるとか。ホテル内の逗留室で自炊している一座は一ヶ月単位で入れ替わる。座長を始め生活が掛かっている役者たちの芸は真剣勝負そのもの。でも、毎月転校を迫られる子役達が可哀想でならない。 

見もせずに大衆演劇をドサ回りの田舎芝居と蔑視し、自らの目線を高くしたがる馬鹿も世の中には大勢いるが、歌えて踊れて芝居もできる演劇力は、入場者が激減し青息吐息の名古屋市内の大劇場(御園座・中日劇場・名鉄ホール・芸術劇場)で活躍している、全国的に著名な芸人達に何の遜色も感じられない。 

   ガラパコス化した我が温泉観光旅館の目玉の一つは、結婚式後の披露宴も顔負けとなる13品が標準の豪華な会席料理。家庭では日常食は勿論、盆暮れの祭事でも準備不可能な品数だ。でも、食材の流通網が完備するに連れて新鮮な山海の珍味が、全国何処でも大同小異の会席料理として出せるようになり、とどの詰りはお決まりのマンネリ化。

会席料理は宴席に供される料理である。本膳料理が廃れた現在、日本料理に於いては、儀式などで出される最も正統な料理形式である。会席とはもともと連歌俳諧の席のことであり、呼称の似た「懐石料理」と混同されがちだが、ルーツは同じであるものの、近世以降は明確に区別されている。

懐石料理はを楽しむためのものだが、会席料理はを楽しむためのものである。戸時代には会席が料理茶屋(りょうりぢゃや)で行われるようになり、酒席向きの料理が工夫されるようになった。

会席料理の献立は、一汁三菜(吸い物・刺身・焼き物・煮物)が基本である。さらにお通し・揚げ物・蒸し物・和え物・酢の物などの酒肴が加えられ、最後に飯・味噌汁・香の物、水菓子となる。⇒合計13品。

   伊勢海老や天然鯛の姿造り・大間(青森県)産の本マグロの大トロや黒アワビ(赤アワビは2級品)とか岩魚(イワナ。養殖時代の鮎は今や大衆魚に転落)の刺身・殻付きの生牡蠣や岩牡蠣・紅鮭のスモークサーモン・イベリコの生ハム・生ウニの軍艦巻き。 

松坂牛のヒレ肉のステーキ・霜降りの馬刺し・食べ放題の松葉蟹・マツタケ(昔はともかく今では中国産らしい・・・)尽くし・コシアブラ(タラの芽よりも高級)の天ぷら・純米吟醸冷酒などが目玉になるに連れて超高価格化(一泊二食で2万円以上もざら。我が古希の祝いには熱海の百万石に子・孫が集合。でも支払いは何と翁。3万円だった)。 

いつものことだが、見えざる神の手によりバブルが弾けただけではない。年金生活者などの高齢者は食べきれない食事量を敬遠し、もっとシンプルな食事を希望するようになったからでもある。 

   トクーは帝国・オークラ・ニューオータニなどに代表される高級ホテルとは契約しない。主力は観光地の中堅業者だ。これらの中では会席料理からバイキングに変更して低価格志向に転換した業者も増えた。高齢者の仲間入りをし、且つ9年前からがんの治療で5回も入院治療を受けた、生き残りのがん患者でもある戦前~戦中派の私は大歓迎だ。食べ残しに対する後ろめたさを感じなくて済むからだけではない。 

バイキングだと数十種類もの和洋中華の中から好きな料理を選べるからだ。『好きな物を好きな量だけ、好きな時間に食べられる』のは、現役時代はトヨタ生産方式にどっぷりと浸かり、定年退職後は13年間も細々と生きてきた我が人生体験(いわば第2の三つ子の魂)とも共鳴・共振し、何故か心が安らぐのだ。 

しかし、フラッシュマーケットにも別種のライバルが誕生してきた。『居抜(いぬ)き』業者だ。倒産ホテルを只同然で買い取り、看板だけを付け替えて営業を再開すれば減価償却負担が激減し価格競争力  (概ね倒産前の半額!) が格段に増す結果、フラッシュマーケットと真正面から競合できるのだ。 

居抜きとは、不動産売買賃貸の際に使う用語で、家具や設備などをつけたままの状態での売買や賃貸借をいいます。具体的には、旅館や飲食店等の売買・転貸・賃借権の譲渡の際に、営業用の設備や装飾品等の経済的価値のあるものをつけたままで行われるものです。 

この場合は対象になる不動産よりも営業用の設備などの付着するものの価値の判断が重要になります。 

   来年(1月30日は静岡県伊東温泉たぬきの里・4,150円・6人で新年会、3月は兵庫県佐津温泉さだえ・6,300円・6人で但馬牛と海鮮満喫予定・クーポンは購入済)からは、トクーのフラッシュマーケットと居抜き業者とを比較しながら、仲間の一人ひとりが更に満足できる旅を企画するのが私の仕事。いつの間にか、日々更新されるトクーのホームページを毎朝確認するのが楽しみになった。 

③ 蛇足 

   たぬきの里の予約時に、下記の追加料理の予約はいかがですか、と質問された。 

追加料理

(1)アワビの踊り焼き半額    
  通常価格3,000円 ⇒1,500円 ≪50%オフ!≫
(2)
伊勢海老のお造り半額    
  通常価格3,000円 ⇒1,500円 ≪50%オフ!≫
(3)
国産和牛ステーキ陶板焼き半額
  通常価格 3,500円 ⇒ 1,750円 ≪50%オフ!≫
(4)
金目鯛の煮付け
  通常価格 3,500円 ⇒ 1,750円 ≪50%オフ!≫
 

私の一存では決められないので仲間に意見を求めたら、仲間からは異口同音、下記の返信を拝受。『盛り沢山の料理が出るようですので、追加料理は不要です』 

■ご夕食 

たぬきの里御膳 「梅コース」 “秋冬”               

 一、先付   鳥の天城和え
  一、前菜   小茄子田楽・いが栗・殻付き銀杏

 一、お造り  三点盛り
 一、鍋変り  海宝焼き
 一、焼物    鰈由庵焼き             
 一、強肴   茄子射込み
 一、台の物  国産麦豚しゃぶしゃぶ・きしめん
 一、酢の物  〆秋刀魚土佐酢和え
 一、留椀   松茸・三つ葉
 一、香の物  三種盛り
 一、ご 飯  白飯
 一、フルーツ 洋梨ゼリー 

   我が仲間の余生の生き方は、我が積年の観察によればヤドカリと同じ。ヤドカリが自分の身の丈にあった大きさの貝殻を探すように、自らに相応しいレベルの温泉旅行で『知足人生』を満喫すれば、それ以上は望まないのだ。解析力学的にいえば、意思がある筈の人といえども自然界と同じように『最小作用の原理』に強く支配されているようだ。つまり人は無意識のうちにエネルギー消費が心身ともに最小になる道を選んでいるらしい。 

   ましていわんや定年退職後の13年間、更にその間の9年間は多重がんとも闘いながら『細々と生きてきた年金生活者』の私に於いておや!!! 

蛇足の蛇足。

最小作用の原理(さいしょうさようのげんり、: principle of least action)は、物理学における基礎原理の一つ。特に解析力学の形成において、その基礎付けを与えた力学原理を指す。最小作用の原理に従って、物体の運動(時間発展)は、作用積分と呼ばれる量を最小にするような軌道にそって実現される。

物理学における最大の指導原理の一つであり、電磁気学におけるマクスウェルの方程式相対性理論におけるアインシュタイン方程式ですら、対応するラグランジアンとこの法則を用いて導出される。また、量子力学においても、この法則そのものは、ファインマンの経路積分の考え方によって理解できる。

物体は運動において様々な運動経路(軌道)をとる事が可能であるが、作用積分が極値(鞍点値)をとる…すなわち最小作用の原理を満たす…経路が最も量子力学的な確率密度が高くなる事が知られている。

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読後感

旅行に参加して自分の目で見て来たから、本当は読む必要が無いのですが、拝読して自分の知らない歴史や正確な情報を沢山教えていただきました。 

私は家族と旅行をする時、「楽天トラベル」や「ゆこゆこネット」を利用したことがありますが、トクートラベルのフラッシュマーケットは断トツに格安ですね。 

この温泉旅行は観光や目新しい体験が大変楽しみですが、私はそれにもまして風呂上りにビールを飲みながらの「愚にもつかぬおしゃべり」が最高の楽しみです。 

同年入社の友人が昨夏、奥さんに先立たれました。独り住まいはしゃべる相手がいないことが一番つらいとしみじみ話していました。お察しします。 

① トヨタ先輩・工・ゴルフ・テニス・温泉仲間・奥様は電車の音が聞こえない田舎には住みたくないとか。 

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今回のテーマは『温泉旅行平成23年』です。今回の『おわりに』は本文よりも充実していると自己評価しています。

読後感を賜れば望外の喜びです。
良い年をお迎えください。

蛇足。

10/8に単純な操作ミスからパソコンに障害が発生。無応答状態になり茫然自失。大手家電量販店に持ち込んで修理を相談したら、修理不可能との宣告。

でも、使い慣れていたIBMのホームページビルダーやメールソフト(EdMax)の最新版を購入し、パソコン通の友人・知人・プロバイダーの専門家の来宅支援を何度も受け、やっと12/4大部分(95%?)の復帰に辿り着き、ほっとしています。

パソコンの障害は石松さんには手足に次ぐ物でしょう。障害は猿も木から落ちる? それともパソコンの超過勤務?

今回の『おわりに』は本文よりも充実しているという文句に惹かれて読みましたが、沢山の内容に驚嘆しました。よくぞこれだけの物を書きましたね。1日8時間書いたとして、何日かかりますか? 切り絵の写真とは洒落ていますね。

私など特に何をしている訳でないのに、追われる気持ちの日々です。退屈よりはズッと良いのですが。ではお元気で。

② 高校同期・工・千葉大学名誉教授

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メ-ル有難う御座いました。最近の家電製品は特に寿命が短い設計がされていますね。小生のキャノンのプリンタ-も4年で壊れてしまいました。部品を交換すると約1万5千円。新品にすれば(安い物で)1万8千円でした。??

それに引き換え、自動車はどんどん耐久性が伸びていますね。お元気な様で何よりです。小生もこの10月に久し振りにボストン他へ行って来ました。田舎を散策しましたが、所どころ空き家が目立ちました。

サンフランシスコではメインストリ-トには、ホ-ムレスの人々がグル―プで固まっていました。アメリカの不景気も深刻なようでした。寒くなりましたが、風邪など引かれませぬようにご自愛ください。

来年はいい年にしたいものですね

③ いつも貴重な読後感を頂ける方。プールでのリハビリ10年で元気回復。

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前略、ごめんください。拝読しました。

凄い長文ですね。これだけの長文を書かれたということは、石松さんは心身ともに充実しているとしか考えられません。そうでなきゃ、これほどの長文を書く時間とエネルギーを使うことはできませんから。

さて、石松さんは本質的に旅がお好きなんですね。と同時に、“食への飽くなき探求心”をお持ちのようですね。特に、後者には脱帽です。・・・私はアメリカでドライブをするのが大好きですが、食の楽しみは完全に捨てて、ひたすら走り続けるだけなので。

<おわりに>の「最小作用の原理」、身に沁みます。私は今、64歳です。これから「最小作用の原理」に従って生きていこうと思います。

④ 慶応大学病院・准教授(今は教授かも?)・女性宇宙飛行士向井様のご主人・著書多数

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若くて元気な時には海外旅行へ、年をとったら温泉旅行を楽しまれている石松さんのライフスタイルは、いろいろと有益な刺激を受け、いつも励まされています。具体的には「トクートラベル」にアクセスしたり、松坂屋の夕方セールで、魚を半額で買い美味しく食べました。

実は、私も11月に腎癌の摘出手術を受け、これから3ヶ月後、6ヶ月後・・・と経過観察のCT検査をしますが、現時点では転移がないことが判明し、 主治医から今までどおりの生活(競技生活を含む)をしてもよいと言われましたので、残され人生を楽しむために、先輩方のライフスタイルを参考に、自分に出来そうなことを選択したいと思います。
 
たとえば、グルメではないですが、若草町の「ティア佳織の店」で、家庭料理バイキングに出掛け、65歳以上シルバー1050円で満腹と買い得感を味わっていましたが、暴飲暴食は気をつけたいので、ここの玄米ご飯と野菜主体ならどうかな?と思っています。

ではまた・・・

若草町のバイキングレストランは男寡にも人気があります。野菜料理が主力なので栄養の偏りを防げるからです。荊妻が長期旅行中には私も時々利用しています。

⑤ 知る人ぞ知る世界的なスポーツマン・世界のあちこちの大会での優勝実績多数

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今回に限らず旅先での細々としたことを良く記憶しているのには感心したが、さて読後感となるとどう書けば良いか。メール友達の皆さんも困惑気味なのではないか。同情の念を抱く。読み終えるだけでも大変なのに読後感の催促までするとは・・・。止した方がとも思う。

それにしても残り少なくなった余生の貴重な時間、これだけのエネルギーを費やすことに俺は疑問符をつけたい。中味的には良く観察し、自分なりの感じ方を各所に記述、評価はするが簡単な旅行記で記憶に残る程度にし、他のことに時間を有効に使ったら、それだけでも長生きしたということだ。

一方、考え方を変えれば、旅先のことを老化中の頭の中で思い巡らせながら順を追って記述することで、脳の活性化を促し命を長らえることになるかも知れないと、藪医者的なことを思ったりもする。

いずれにしても久し振りに読後感を送付するが、一読するのに時間も浪費?本当に疲れたぞ!!メール友達に同情したくなった。

⑥ がんと闘い始めて3年目の実兄。遺言のような苦情混じりのコメント

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昨年はお陰様で10月以降思いのほか多忙の日々でした。当初11月向井万起男様(久留米学会出席)が小生の郷里訪問約束を小生の都合で本年に延期していただきました。そして12月やれやれというところに従兄弟の最長老の訃報があり、都合(モリコロパークでのお手伝いの代役)つかず翌週帰省。年末年始は孫との付き合い・・・・本音は「少々疲れましたが、3歳と5歳一番楽しい時期かもしれません」など言い訳を見つけながら遅くなりましたが、下記読後感を送付します。
 
石松先輩にお世辞を申し上げるつもりは微塵もありません。海外旅行記・癌闘病挑戦記(?)にも脱帽でしたが、国内旅行の今回のまとめにも「石松エネルギーの凄さを」十分に感じました。
 
高山・強羅・浅間・白馬・尾瀬・那須の6か所、小生は2年間で犬山・恵那・高山・強羅・白馬です。貴先輩と比較することが間違っていますが・・・・・・・。
 
小生が特に印象に残った点を申し上げると
 
①強羅公園の記述です。 小生昨年千葉にいる孫の運動会に4泊5日車で往復850㎞。帰路2泊仙石原保養所で宿泊・・・・箱根を散策しました。銀行保養所(小生初めての宿泊先)の温泉が素晴らしく温泉らしき温泉だったことでした。小生の最近の温泉ではここが一番のように思いました(妻も同意見)。大涌谷の黒卵も食べてきました。
 
②宇宙つつじは、はじめて知りました。ありがとうございました。
 
③那須について
20数年前に小生東京在勤時那須でゴルフコンペのため宿泊しましたが、生憎翌日雪のためクローズでがっかりのイメージが強く蘇りました。
 
それにしても今回の「おわりに」は、石松様は経済学部専攻かと疑いたくなるほどの理論(すべてに同調とはし難い面もありますが・・)、よくもここまでと呆れています。とうとう「おわりに」の項は3度読み直しました。それでもまだ完璧に理解しえたとの自信はありませんが「ヤドカリ人生」「知足人生」「最小作用の原理」に納得です。
 
少し意味が異なりますが、従来バイキングと言えば朝飯抜きまた昼飯抜きで元を取ることに生きがいと意気込んでいましたが、これまた体にどれほど悪いのかを悟り、最近では「程々」の気持ちを持って臨むように努めています。(笑い)
 
石松貴先輩に当初提言し却下されましたが、再度提言します。・・・・・「  細々と生きている年金生活者 石松良彦 」は誰が見ても極めて不適切だと思います」・・・・・・・・と申し上げても変更されるとは小生も思っていませんが・・・・・・・・。
 
一度石松様の多くの読者に「年金生活者 石松良彦」の枕詞大募集をされては如何でしょうか?素晴らしい枕詞が見つかると思いますが???
 
昨年末帰省の折、義兄(82歳内科医)が100人の有料老人ホームに毎日通って患者との対話を語ってくれました。また大学ゼミの恩師(当時はマルクス経済学金融論・・・資本論)(82歳)は、週2回講座(国際金融論・大学院生対象)を持ち現役でご活躍です。
 
石松様とは経歴は異なりますがチャレンジのエネルギーの結果として、世の中との対話が「各位の脳を活性化している」、老化しないことかと大いに参考になりました。
 
石松貴先輩の益々のご健勝と新たな情報お待ちしています。

後学のために下記の点につき教えてください。(すべてには同調し難い面もありますが・・)。同調できない根拠。

その2。

恐れながら回答させていただきますが、小生も確信出来る程根拠があるわけではありませんが、「・・・・・農業革命こそがあろうことか人口爆発を誘発し、今や解決困難な超難問となった地球温暖化を発生させたのだ。・・・・・」という事項です。

この五大技術革新につきましては異論ないのですが、医療技術の革新も忘れてはならないと思います。従来は天然痘などの流行病が人口増大を抑えていたのではないのでしょうか?そういう意味では「農業革命が→人口増発→地球温暖化を発生させたのだ。」と断定されていることに少し疑念を持ちました。

小生は現在地球温暖化の原因には種々説がありますが、真相はまだ不明かと思っています。貴先輩の農業革命を否定しているのではなく、まだ他に色々ある要因にも着目しなければという思いのみです。

① 地球温暖化の原因は無数にありますが、産業革命以降の過去100年あまりの短期の要因は温暖化ガスの増加の寄与率が一番高いと考えています。

② 人口増の原因も無数にありますが、マルサスの人口論を持ち出すまでもなく、最大の要因は食料の増産技術(品種改良・合成肥料・農薬・農業機械)にあったと、判断しています。医療技術の人口増への寄与率は最終的には平均寿命の延びで評価できます。

日本では明治以降人口は4倍。寿命は二倍。医療技術の貢献度の低さは明白です。大量の病死はペストとスペイン風邪が有名ですが、収束した理由は免疫力でした。医療技術ではありません。

人の大量死は戦争よりも餓死です。古くはアイルランドのジャガイモの不作による大量死、日本兵の戦死もパプアなど餓死が有名ですが、戦後の中・ソ・北朝鮮の餓死も驚異的な人数です。

我がレポートは大局的に見て最も寄与率の高い要因を取り上げました。無数の要因は書き出せばきりがなく省略しました。

物事の因果を見極めるときには、定量的な要因解析は不可避です。定性的な直感・主観で結論を出すのは間違いの元になります。

その典型例は経済評論家の未来予測精度(随想のテーマのひとつに取り上げています)に見られます。株価・為替レート・経済成長率など年初に多くの予想が公表されていますが、定量的な根拠もない無責任発言集であることは例年の実績に現れています。

国民経済モデルで計算したとの定量的な装いのように見せかけた推定もありますが、これとても山勘の仮定を入れなければ何一つ計算できません。

その3

ご指摘の点よく理解しました。ありがとうございました。

⑦ 大学後輩・経・銀行OB・ふとした機会にメールで知り合った方・平成24年元旦に超高級日本酒(純米吟醸・生酒)を贈られたので急遽2万円のふぐ刺しを博多の老舗から通販で購入し1/8の日曜日、久しぶりに一人でゆっくりと贅沢三昧

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