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旅行記
           
ヨーロッパ
西欧(平成6年10月17日脱稿)

     銀婚旅行(結婚…1968.3.21)を兼ねて定年旅行(ユートリップ)に出掛けた。『ぜひあそこに行きたい、といった特別の希望はなかった』ので、『ヨーロッパへ行きたい』との妻の提案のままにした。

     海外旅行に慣れていない妻は、久し振りに何故か従順だった。
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はじめに

   旅行社のカタログを集め、会社の支給金額(50万円)前後のコースから目的地を選んだ。妻の旅費は本人が負担した。  
                  
   冬に比べ旅費は高くなるものの、快適で且つ日も長い夏を選んだ。幸いにして予想通りの好天にも恵まれ十分に旅行を満喫できた。おまけに円高差益還元のため、旅費が出発直前に1人当たり2万円下がった。皇太子の結婚式の日が出発日であった。

   ワープロにも慣れてきたので1年遅れではあるが、記憶の薄れない内に印象記を纏めることにした。    
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データ

   平成5年6月9日〜20日(BA&JAL)
   428000×2=856000円                  
   イギリス・イタリア・ヴァチカン・ドイツ・リヒテンシュタイン・オーストリア・スイス・フラン
   ス     
   旅行社…日本交通公社(通信販売・旅物語の欧州定番コースE700)
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コース

   ロンドン・ローマ・ヴァチカン・ナポリ・ポンペイ・フランクフルト・リューデスハイム・ライン河下り・ハイデルベルク・ローテンブルク・ディンケルスビュール・ネルトリンゲン・ミュンヘン・ノイシュヴァンシュタイン・オーストリア・リヒテンシュタイン・ルッツェルン・ユングフラウ・ジュネーブ・仏TGV・パリ・ヴェルサイユ
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参加者

   現役社長夫妻(40代・ソフトウェア関連会社のオーナー)山之内製薬元役員夫妻・日中友好協会元理事・新婚旅行4組・0L・オバタリアン。

   現役のサラリーマン夫婦は私達だけだった。
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イギリス

   日本では梅雨入り前の涼しい季節なのに、ヨーロッパは一足早く夏。ロンドンでは数日前から異常高温のため、アスファルトが溶けて都市高速は閉鎖され、溢れた車で地上は渋滞。それでも夕方早めに着いた。

   カムチャツカ半島の先端と同じ緯度(北緯51.28°)にある夏時間のロンドンは日もまだ高い。北回りの直行便とはいえ、夜行のエコノミークラスの長時間飛行で、疲れてはいたが興奮も覚めやらず、夕食までの自由時間を活かして街に出る。              

   2人での散歩などしたことはないので落ち着かない。地下鉄では街の雰囲気が味わえないので、地図を頼りにホテルから歩き始めた。ロンドンの美しさは同じ設計で高さも揃えた石とレンガ造りの、ナチュラルカラーの建物と街路樹の調和にあると感じる。道路側の玄関や壁面のデザインとツートンカラーの窓枠が美しい。散歩していると心が安らいでくる。
                      
   自然科学博物館・産業博物館などを閉館時間まで駆け足で見学。子供の勉強には最強の教材である。           

   海外出張の場合でも休日になると、私はデパートへ真っ先に行く習慣にしている。購買力とのバランスからデパートには結果として、国力(民度)が現れると信じており、日本との比較もできて興味深いからである。
              
   欧州で格式が1番と言われている百貨店『ハロッズ』の各売場は、商品群毎に約1000uのコンパクトな面積に纏められており買い易い。しかし売り場面積は延べ 63000uもあり、しかも夫々の売り場の周囲が防火壁で囲まれている上に、増築を繰り返して来たためか、フロア全体を見通すことも出来ず、迷子になり易い。
               
   大通りに面した建物の外観は彫刻で覆われて一見豪華に見えるが、内部は質素で且つ貧弱。地震がないためか柱はか細く、壁・天井・床の材料も実用本位。世界の一流品もあるが、ボリュームゾーンは中級品が中心。オーダー用の背広生地や、既製品でもカシミア 100%のジャケットは売っていない。ロンドンでは『高級品は伝統ある専門店の方がデパートよりも強い』そうだ。商売の棲み分けができているように感じる。

   『ハロッズ』と雖も生鮮食料品、特に野菜・魚は貧弱。汚い、臭い。しかし牧畜の歴史が豊かな国だけあって、加工食品であるチーズやハム・ソーセージの種類と量は圧巻。出入り口では民族衣装で正装した中年の紳士風の店員達が、来客の選良意識をくすぐりながら恭しく案内役をこなしていた。          
   
   平成5年の秋、巨艦店『小倉そごう』が小倉駅前の1等地にオープンしたとき、地元の老舗『小倉玉屋』には衣装まで『ハロッズ』を真似したような、年配の案内人がいたのを思い出す。

   欧州では大都市と雖もデパートはせいぜい 2,3店あるだけ。日本の大都市のように巨艦店がひしめき合っている国は何処にもない。コンビニも殆ど見掛けず、スーパーも少ない。都心では専門店が頑張っているが、込み合っている雰囲気はない。           
                      
   所々に『マクドナルド』があるが、町の貴重な資産にもなっている景観をぶち壊すあのけばけばしい外観は、日本人である私にも異様に感じる。住民に嫌われるのも成程と思う。店はどこものんびりと商売をしている。これで経営が成立っているのだろうかと、ひと事ながら心配になってくる。

   中心部の大型スーパーにも入ったが日本の最新型のスーパーの買い物のし易さとは雲泥の差。ごちゃごちゃしていて美観がない。結局古い建築資産を活用しているだけだ。惚れ惚れするような品質の商品には出会えなかった。国民生活をフローの面から評価する限り、日本が英国を抜き去ったのは明らかと感じる。  

   オックスフォード通りに面した、欧州最大の売り場面積(10万u)を誇る大衆デパート『セルフリッジ』前の高級紳士服地店(数年前セルフリッジの店員に紹介されて、タータンチェックのカシミア生地を2着・春秋冬用に背広生地を3着買った店。当時日本のデパートでは約30万円していたものが何と各 8.5万円だった)は今も健在。且つポンド安にも拘らずポンド表示でも生地は値上がりしていない。
 
   カシミアも依然として安かったが経営者は代わっていた。買い物への関心が私は最近何故か急速になくなってしまった。観察した結果日本が上だ、と感じただけで十分に満足。年を取った証拠か?。

   ロンドン観光のスタート。ウエストミンスター寺院は観光客で満員電車並みの押すな押すなの賑わい。芸術家・王家・政治家などにグループ別けされた墓で、中は満席だ。1人ずつ墓を造るより効率的だ。ウイスキーの『トーマス・パー』さんの墓は床に名前が掘ってあるだけ。人寄せパンダの類いなのに、それとは気付かない観光客から踏み付けられている。                   

   バッキンガム宮殿の衛兵の行進は一般道路を交通整理もしながら、毎日飽きもせずに黙々と実施しているのは、何と根気のあることか。見る方は1回だけだから良いものの、やる方はどんな気持ちなのか?。俳優になった積もりか?。見物料は只でも、行進を見にきた外国人がホテル代などにお金を落とすから、国全体で黒字になると思えば熱意も湧こうというものか?。           

   ネルソンの記念碑がたつトラファルガー広場や、ピカデリーサーカスの広場はバッキンガム宮殿前とならんで、ロンドン観光の目玉になっている。中国の天安門広場のようなだだっ広さもないし、周囲の建物の大きさともバランスがとれ威圧感もない。セント・ポール寺院はやや小振りではあるが、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院の荘重さといい勝負。建物の内外の全てが彫刻品のように感じる。

   大英博物館では今回も残念ながら『ロゼッタ・ストーン』と『マグナカルタ』を見落とした。妻に見せたいもの(ミイラや西アジアの彫刻品等)を案内しているうちに閉館時間になってしまった。英国が国家権力を振るって各地から略奪した戦利品の展示館(正面玄関の壮麗な建物すら、トルコのベルガマにあった石造りのペルガモン神殿の移築物)ではあるが、入場料が無料な上に、同じ場所で世界史の勉強も効率よくできて、来館者には便利。
                      
   地元の小中学生も先生に引率されながら団体で勉強に来ていた。継ぎ足しだらけの巨大な建物であるために、1筆書きのルートでは全館が回れず、時間の少ない外国人にとり、動線に無駄が出てしまうのが惜しい。

   朝露を踏んで、都心の住宅街を夫婦で散歩。古い家でも庭や建物の外観を綺麗に維持すべく住民が努力しているのは立派。普通の民家は集合住宅が基本だが、1戸当たりの床面積は意外に狭い。私もヨーロッパ人に触発されて最近は園芸にも時間を割き始めた。自動車時代以前に建てられた家が多く、狭い路地に青空駐車。垣根に蔦を絡ませ緑と花に工夫を凝らしている。庭木の剪定も行き届き、雑草や落ち葉も殆どなく、不断の努力が伺える。                

   朝のハイドパークやケンジントンガーデンは、緑と花に囲まれ気分爽快。木と木の間隔を十分に取り、縦横共に伸び伸びとした巨木に育てているので、雄大さもあり見ていて気分がよい。日本人は公園でもゴルフ場でも成長後の姿を考えず、植林事業のように木を何故か密植するため、樹形をわざわざ悪くしている。後で間引きをしても樹形は回復しない。乗馬用には未舗装の専用泥んこ散歩道がある。                                    

   テームズ川の反対側は急に寂れ治安が心配だ。都心側の川岸までは管理が行き届いている。河畔にある薔薇の小さな花壇に見とれた。
           
   ロンドン塔内の宝石展示館には金細工品・ダイヤモンドや王冠の類いがあるが、余りにもキンキラキンのためか逆に軽薄に映って魅力を感じない。オスマントルコの宮殿だったトプカピ博物館の方が、宝石類の種類や数は圧倒的に多い。昔の資産とは金銀宝石・彫刻絵画と建物しかないことに結局気付かされる。牢屋の中には水攻めの井戸や攻め具があった。何処の国でも昔ほど苛め方が凄惨だ。タワー・ブリッジがすぐ側にあった。

   『ロンドンは人口 800万人』と言ってもそれは大都市圏(大ロンドン)の人口であり、中心部は 600万人。予想以上に小さな街である。観光名所も繁華街も中心部の直径数Kmの円内に集中しているため、旅行者には大変便利である。それにしても何回来ても風景が変らない街である。
                    
   街が小さいだけではなく、建物も小さい。延床面積が10万uを越えるような大型ビルは殆どない。ひょっとすると『セルフリッジ』が最大のビルかも知れない。国会議事堂も小さいし、敷地も狭い。新宿副都心のような大型高層ビルもない。その一方、1戸建の民家も殆どないため、日本のようにごみごみとした印象もない。肩肘張らずにのんびりと住むには手頃な環境に感じる。

   『イギリスの栄光も今は昔』といくら言われても、かつてのローマ帝国の栄華が今に至るまで物的証拠の形で、ローマに厳然として存在しているように、今日のロンドンでもそれは十分に確認できる。イギリス連邦の本部ビルの正面に加盟国の国旗が数十本も、へんぽんと翻っているのは壮観だ。政治力はなくともミニ国連の風情がある。正しく栄華の象徴に感じる。
               
   ロンドンは今や生きている人種の博物館でもある。旧植民地からの逆移民達が大通りを闊歩している。あらゆる人種を一度に見る事ができると言っても過言ではない。世界の中心だった貫禄が伝わる。これこそが真の国際都市である。

   海外で違和感を感じていた問題に両替があった。日本では何処でも日本円間の両替は無料でしてくれる。その習慣に馴染んでいたため、外貨の交換で手数料を取られるのに、奇異な感じを最初の頃は払拭できなかった。銀行の利子は経過時間の裏付けがあって初めて発生するが、両替作業には利子が発生するほどの時間は掛からないのに、手数料を取られると言う不満だ。
                         
   しかし、お金は銀行の商品であると考えれば、外国人にとって両替とは手持ちの外貨で、商品である現地の通貨を買う事であり、銀行が『お金を売る』と表現するのにも、慣れるに連れて自然な感覚で受け止められるようになった。尤も、時には手数料を10%以上も取られることがあるので、極力カードを使うことにした。カードだと銀行間取り引きの決済になるのでお金の卸値、つまり手数料は無料になるからである。
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イタリア

   大ローマ帝国の素晴らしいインフラ・ストラクチュアや公共建築物は何を見ても感動を深くする。鉄が発明されていたとは言え、当時の用途は武器や工具・日用品の類いであって土木建設機械はなかった。エジプト・西アジア・ギリシアの大型石造建築技術を引継ぎ集大成したローマ人の実力には並々ならぬものがある。 

   建築期間の長さ・建築物の巨大さから、長期計画を推進できた皇帝の力がどんなに大きかったのか想像を絶する。恐らくは飢餓水準にあった庶民が、何故これ程の大規模な事業に協力したのか不思議でならない。それとも、奴隷の犠牲の上に築かれた文明なのであろうか?

   観光資源として活用されている古い建物の外壁は、例外なく彫刻で覆われ素晴らしいと思う反面、数多く見ていると何故か疲れが溜る。コロセウムの内部にはショーに駆り出される猛獣の飼育場まであったとは知らなかった。   
     
   コロセウムの一角が斜めに切り取られている写真を見た時には、長い歳月の内に崩れたのだろうと想像していた。営々として建設した建物なのに、『その昔新しい建物の建築資材として使ったからだ』との由来を聞くと、その無神経さに改めて驚く。恐らくは既に競技場としては使われずに放置されていたのであろうが。

   凱旋門はフランスのオリジナルかと思っていたら、コロセウムの横に本物があった。高さはパリの半分位だったが総大理石作りで彫刻も素晴らしい。真似して作った偽物の方が世に有名なのは不思議だ。
                 
   カラカラ浴場は廃墟からでも当時の壮大さを優に連想できる。分厚いレンガ造りだ。トルコにあるローマ人遺跡と建築法は似ている。ギリシア人は大理石中心主義だったが、ローマ人は大理石だけではなくレンガも活用している。大理石だけでは不足気味なほど事業規模が大きくなったのであろうか?。  
          
   ヴァチカン市国の中心に聳えるサン・ピエトロ寺院は、何故あんなにお金をかけて大袈裟なものにしなければならなかったのか?。神の前に人をその気で跪かせるための舞台装置として必要だったのだろうか?。寺院内のあちこちには宗教画としての壁画がたくさんあったが、何故か全てカラータイルの小片を使ったモザイク画法。しかし、遠くから見ると本物の油絵と殆ど変わらない。入り口近くにあるミケランジェロの『嘆きのピエタ』の素晴らしさには、見入る程に感動が深まる。

   ローマは豊田市よりも暑かった。花や木の種類は亜熱帯。ホテルのベランダにあるプランターにはパイピングが張り巡らされ自動給水化されていた。古い建物に比べ新しい建物は威厳もないし見栄えも感じない。小さい上に汚い。イタリアのGNP/人は英より上と統計は語るが、町並みからは信じられない。
             
   『ピレネー山脈から先はヨーロッパにあらず』とはよく聞くが、『アペニン山脈から南のイタリアはアラブだ』と言う説にも納得性がある。ローマはアラブと考えたほうが町の雰囲気が理解しやすい。  
                             
   ナポリの住宅街はトルコやギリシアを連想させる程に汚い。ゴミゴミしている。今にも崩れ落ちそうなアパートにも人が住んでいる。あれでも白人かと思うと不思議な感覚に襲われる。洗濯物はアパートの窓から竿を突き出して外に干す。あんまり高級品には見えない。交通ルールを守らない。反対車線でも隙間があればセンターラインを無視して割り込んで来る。 
                 
   白人風に見えても、髭付きで色もややどす黒いのでイタリア人かアラブ人か区別が付かない。最近は治安も一層悪くなったとかで、バスに乗ったまま観光するだけの町になってしまった。しかし、ナポリを見下ろす高級住宅街がある丘の上からは美しい海岸と町並みが見えた。道端の露天商から買った枇杷が美味しかった。 
    
   ポンペイの遺跡の壮大さには驚嘆を禁じ得ない。トルコにあるローマ人の遺跡『エフェソス』からは市民の生活の匂いが感じられなかったが、こちらにはたっぷりとあった。火山灰の中に埋まった死者の肉体が腐敗消滅した後にできた空洞に、石膏を流し込んで取り出した骨付きの古代イタリア人の姿が痛ましい。ガス中毒の苦痛に体を捩り曲げて死んだ人の上に火山灰が積もったのである。
       
   平均身長は 160cmもない。その小さな人達が巨大都市を建設した馬力の何と大きな事か。水道の配管材は鉛だったが、死体の分析から鉛の慢性中毒も発見されている。商店街・下水道・馬車道・広場も完備。都市としての要素は今日と基本的には変わらない。             

   ローマ〜ナポリ間の高速道路は名ばかり。立体交差になっているだけで質は一般道路並み。幸い交通量が少ないためか時速 100Kmは出せる。それに引き替え、現在も使われている古代ローマの石造りの馬車道の耐久性には驚く。馬車が擦れ違えるだけの道幅は確保されていたので、現在でも片側1車線の道として不自由することなく使われている。マイル・ストーンもあった。『全ての道はローマに通じる』との格言を実感した。  

   ローマの松は高速道路の沿線に時々見られるが、形が一風変わっている。幹の上に枝と葉が球形のキノコの傘のように乗っかっている。高速道路の両側にはなだらかな田園風景が続く。日本に比べ空き地が多い。その気になれば開墾できる土地が大量に残っている。しかし農村の民家の外観が貧しいのが痛々しい。 

   トレビの泉は流石に観光のメッカ。常に新しい水を流しているのか水が綺麗なため、投げ込んだコインがよく見える。観光客が飽きもせずに座り込んでじっと眺めている。何が面白いのか?。私は5分で飽きた。スリにも常に注意しなければならず、気疲れする国だったが、ラテン民族は性格が明るいので何故か憎めない。
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ドイツ

   ローマからミラノ経由でフランクフルトに到着。雄大なアウトバーンに大型バスは悠然と進入。ドイツからオーストリア・リヒテンシュタインを経由してスイスに至る、1500Kmに達するロマンティック街道観光の出発地である。アウトバーンは車線幅が広く、しかも片側3車線もあり、平坦な地形で且つ鏡面のように滑らかなアスファルトで舗装され、直線コースが極力採用されている。 
        
   『これこそが本物の高速道路だ』とは説明されなくても納得できる。 200Kmで安心して運転できるのはドライバーの腕が良いからでもなければ、車の操縦性能が良いからでもない。車ががたがた振動するイタリアの『太陽道路』とは段違い。九州縦貫道はアウトバーンと東名の中間に近い。名神を高速道路などと呼ぶのは止めたくなった。

   ライン下りの船着き場があるリューデスハイムに着く。川岸に沿ってお土産物屋が続く。両岸はなだらかな斜面を持つ丘になっており、川に直交して坂道がある。歩行者天国のように車の乗り入れは禁止。坂道の両側にもびっしりとお土産物屋が並び、レストランや生演奏のビヤホールがたくさんあり、どこも満員になるほどの賑わいだ。
                                  
   生演奏の音楽はどんな立派な音響システムのスピーカから流れ出てくる音よりも耳に心地好い響きだ。建物が美しいだけではなく、緑と花に溢れお伽の国のようだ。円高もあってかお土産品も安く感じる。爽やかな初夏の風が頬を撫でる。
    
   ライン下りの船は喫水も浅く平たい形をしている。やや寒かったので船室内の船首に陣取り、ビールを飲みながらの船旅だ。水量は豊かにあり両岸まで満々と水を湛えている。水面にはゴミは浮いていないが水はやや汚い。しかし、セーヌやテームズ河ほどの泥水の印象は薄い。上流まで緑が豊かなせいであろうか。両岸の斜面には垣根作り(日本は棚作り)のブドウが植えてあるが、車も入らないようなところなので農作業は大変だと思う。                

   両岸には小さな古城が点在しているが、遠くから眺めているだけなのですぐに飽きてしまった。かの有名なローレライは山の単なる出っ張りに過ぎず、且つ下を流れる水は岩を噛むような急流でもないため、感動もなく、ただ見ただけ。サービスの積もりかローレライのメロディーを、おんぼろスピーカから雑音混じりでジャリジャリと流すため一層興ざめした。とはいえ流石にライン河は産業の大動脈、物流を担う1000トン級の専用運搬船が行き交う様は壮観。

   下船した町には眺め甲斐のある観光資源はなく、ライン河の堤防づたいにひたすら移動し、支流のネッカー川沿いにあるハイデルベルクへと向かう。ホテル名は思い出せない。翌朝ハイデルベルク城を見学。小さいけれど凝った造りだ。丘の中腹にあるため、美しい市街が眼下に展望できる。城の一角には世界最大と称する直径10m位の巨大な木製の葡萄酒樽があった。  
               
   ハイデルベルク大学は美しいが古い建物で機能的とはいえない。『学生牢』などは観光資源化している。大学には塀も柵もなく敷地内への人の出入りは自由のようだ。ハイデルベルクの旧市街ではマルクト(市場)広場を中心にして、中世の個性的な建物を完全に修復し、1階はお土産物屋として活用している。記念品の品定めに同行の人は皆大忙しの様子。

   ロマンティック街道は観光資源として、何と成功していることか!。長野県の妻籠・馬籠とは規模が2桁も違う。建物が美しいだけではなく維持整備が行き届いている。緑と花に溢れている。それに各建物は生活の場として全て実際に使われている。                              
    
   途中にあったローテンブルクは大平原の中の中世のままの町。高さ10m位、直径1Km位の城壁に囲まれた、生きている都市であった。教会・商店街・レストラン_などを見ていると、休憩が1時間では何とも短か過ぎた。  
              
   市庁舎に付属した有料タワー内の狭い梯子を登って、頂上から周辺を眺めると町も美しいが、地平線の彼方まで続く、取り入れ直前の麦畑も美しい。日本の水田のように小さく区切られていないし、大きなうねりもあって雄大な印象を受ける。中世犯罪博物館には苛酷な責め具が陳列してあった。よくもまあ思い付いたものだと感心するものもあった。  
                       
   世界的に有名になっている『黒い森』が時々視界に入る。日本では平野部に森はないので、贅沢とも何とも不思議な気がする。美しい中世の復元都市ディンケルスビュール・ネルトリンゲン等にも立寄りながら夕方ミュンヘンに着く。 

   ミュンヘンでは、1000人も入れそうなビアガーデンでショー付きのディナー。幸い予約席は舞台のかぶりつき。生ビールをたっぷり飲む。客の8割は東洋人。殆どが日本人であるが、韓国・台湾・香港人も増えてきた。日本の歌も勿論演奏されている。民族衣装のダンサーも可愛い。都心ではエンジンのシリンダーを象徴化したBMWの高層本社ビルの横を通った。
 
   ロマンティック街道の観光の花形、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなったと言われている『ノイシュヴァンシュタイン城』は城巡りのハイライト。バイエルンの独身王ルートヴィッヒ2世の執念からできた城である。毎年のように日本ではカレンダーにその写真が使われている。見学者は案内言語別に分かれて入場する。       
                        
   客が多い日本語グループ、つまり日本人は待ち時間が少なくて助かる。城の建設費が掛かり過ぎて国家予算が底を付いたそうだが、予想もしなかった観光の目玉となった結果、城の建設費はとっくの昔に回収したのではあるまいか。
                     
   なだらかな丘の斜面の所々に集落が散在しているが、何処でも絵のように美しい。ドナウ川の上流に掛けられた橋を渡る。水量は豊かで岸から岸まで水浸しになって流れている。日本での洪水のようだ。しかし天気がよいので白昼夢を見ているような気になった。     
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オーストリア

   オーストリアではドイツからリヒテンシュタインに抜ける間の1時間、バスから外を眺めた旅に過ぎなかった。道路の品質レベルはドイツよりも一寸落ちたかなといった位の印象であった。日本でも県道の品質が県境で多少変わる事があるが、似たようなものである。

   沿線の民家の品質にも同様の差がある。花を飾る習慣は全く同じである。唯一の違いは民家の白い大きな壁面に時々宗教画が描かれていた事ぐらい。
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リヒテンシュタイン

   都市国家リヒテンシュタインもまた絵のように美しい国である。ドイツ・オーストリアと似たような雰囲気であるがどちらかと言えば、スイスに似ていた。ゲルマン民族に共通した生き方に思える。国の度真ん中にお土産物屋がある。
   
   アルプスの牧童がかぶっているような、可愛いフェルトの赤いチロリアン・ハットを記念に買った。今では春と秋にはゴルフとテニスのプレイ時に愛用している。

   お土産物屋の経営者が愛嬌を振り撒き、手際よく外貨の交換をしながら客の相手をしていたが、商人道は中国の国営友宜商店(店員の無愛想さと無礼さには驚愕)を除けば万国に共通している。
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スイス

   国全体として欧州で一番美しいのはスイスだろうか。天然資源と言えるようなものはアルプスだけであるのに、戦争を止め、営々として富を蓄積してきた様子が何処からともなく感じられる。『衣食足りて礼節を知るのはやはり正しい』と感じる。所得は世界一。家の回りを美しく維持している執念は大したものだ。 

   かなり急な斜面に至るまで牧場として使っている。日本もスイス並みに努力すれば牧場にできる適地は多い。1年間に乳牛1頭当たり5トンの牛乳が絞れれば、乳固形分は 600Kgになり米10俵に勝る。1反に1頭養えれば山の斜面の価値は水田を上回る。牧畜の生産性は高く合理的だ。食料はほぼ自給できる。

   美しい山並みを見ながらルッツェルンに着く。ユングフラウ登山の玄関口である。町の中央にある欧州最古の屋根付きの木橋『カペル橋』をことことと歩く。天井の欄間には宗教画が画かれている。帰国後、この橋が燃え落ちたとニュースで知って驚く。焼け落ちる前に見ることができたのは幸運だった。    

   夕食後、オバタリアン達が『石松さんの今晩のご予定は?』。『夜は危ないから行かない方がよいと、添乗員は言ったけれども、ライオン・モニュメントを見に行きますよ』。『私達も一緒に行きたい』との事で結局約20人がぞろぞろと付いてきてしまった。                             
    
   昔のスイスは貧乏で次、3男は出稼ぎで外国の傭兵にもなっていた。フランス革命の時、殉死したスイスの傭兵の霊を祭るために作られた、悲しそうな表情をしたライオン・モニュメントを見る。当時のスイスの貧しさが忍ばれる。                                  
   
   ヴァチカンでは昔の名残でスイスの傭兵は、今でもミケランジェロがデザインした衣装を着てサン・ピエトロ寺院を守っている。スイスの名物料理はしゃぶしゃぶ。食材は違うが原理は日本と同じであった。          
  
   登山電車でユングフラウに向かう。途中インターラーケン駅前の屋外レストランにて昼食。山の中腹にあり見晴らしも天気も言う事なし。スイスを初め欧州では斜面に家を建てる時に敷地を平らにはせず、床下の柱の長さを調節して日本の山小屋風に建設している。こうすれば盛り土に崖や擁壁を作る必要もないし地盤も安定したままだ。しかも自然のままなので美しく感じる。日本の階段状の住宅団地は自然を破壊して見苦しい上に危険だ。             

   なだらかな山の斜面のあちこちに3階建ての大きな家が点在している。夏の間は民宿をしているそうだ。時間に余裕のある別のパック旅行組があちこちを散歩している。斜面の牧草や高山植物の花の中に囲まれて満足そうだ。8割の客は一見して日本人。端っこに白人がひっそりと座って食事をしているのが何故か場違いな印象。                             
   
   アルプスの岩山に掘ったトンネルの中を登山電車は滑るように進む。山の美観維持に役立つだけではなく、雪崩も受けずに安全だ。岩盤が強固なのかコンクリートによる内張はしていない。山頂は真っ白な雪原。その先に氷河があるそうだ。夏とは言え3454mの山頂の気温はさすがに低い。しかし、快晴で且つ無風のため寒さを感じない。雪が余りにも眩しい。
                          
   山の中にあるトンネル内の駅に隣接して、氷の宮殿が見世物として用意されている。氷をくり抜いて造ったトンネルの両側にはデパートのショーウインドーのような展示室があり、千代の富士らしき雪人形も飾られている。下山時には別のコースを辿る。アイガー北壁の真下を通る。         

   スイス国内はどこも公園のように美しい。雪を抱く山・緑の牧場・澄み切った湖・木と花に囲まれた美しい家。アウトバーンほどの道ではないが、日本の高速道路クラスの道から風景を観賞しながらジュネーブに着く。 
         
   夜にはみんなでぞろぞろと散歩に出掛けた。レマン湖畔には高さ 140mの巨大な噴水や、大きな美しい公園もあつた。湖畔にネオンが輝く。ジュネーブはフランス語が主流なのか英語が若干通じにくい。意外なのは黒人が多いことだ。国際機関が多いからか?。緑と花はドイツ同様豊かだ。      
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フランス

   TGVはジュネーブ迄きている国際列車だ。スイス国内のスピードは遅いがフランス国内の平野部では時速 300Kmを出している。枕木の間隔が狭い。レールを枕木に固定する装置は新幹線より明らかに頑丈だ。車両も頑丈な印象を受ける。のぞみは華奢だ。鉄道の建設コストは新幹線より格段に安そうだ。平原に土盛りがしてあるだけである。金網もあったり、なかったり、しかも見せ掛けだけだ。 
          
   フランスの大平原は雨量が少ないのか河が殆どない。橋もトンネルも殆どない。周辺に家もあるかなしかであり騒音公害の心配はない。車内の騒音も揺れも、のぞみと似たようなものである。 
                          
   リヨンの駅前広場では、空港の機能を青空の下で果たしている。客の殆どは外国人であり大きな旅行鞄と荷物付きである。1列車20両分(1編成は客車10両。ラッシュ時には1列車2編成)の客の荷物を20台以上の大型バスに積み込むので、たっぷりと1時間も掛かかった。狭い駅前には浮浪者がたむろしている。数人で同行の老人(日中友好協会元理事)を襲おうとしていた。     

   旅行中、海外旅行には大変慣れているかのように私には話し掛けていたので、どうなるのかと、助太刀ができる位置から成り行きを見ていた。おろおろする老人に気が付いたフランスの中年男が少女達をぶん殴った。多分アルジェリア人だろうが、赤毛の髪で顔立ちもフランス人そっくり。衣類と体が薄汚れているだけの違いだった。 
                                
   ノートルダム寺院は凱旋門と並ぶパリの象徴。バラの窓と称している大きなステンドグラスが美しい。出口近くにある寺院内の書店で本を買っていた一瞬の時間に、同行の仲間とはぐれてしまった。例の知たり顔のお爺さんと3人になってしまった。私は『ここにじっとしていれば添乗員が迎えにきますよ。来なかったら、一緒に自由行動に出掛けましょう』と言ったのだが、お爺さんの狼狽ぶりには、あっけにとられてしまった。                        
   
   『添乗員は移動するときには全員を確認すべきだ』とか、ぶつくさ言うばかり。バスの降車場と乗車場は異なるので適当に山勘で探していたら、私たちを探していた添乗員と出くわした。この約10分間、皆は別のお土産物屋に雪崩れ込んでいたのであった。                  

   ヴェルサイユ宮殿はデコレーションの塊だ。これだけのお金を掛けながらトイレを作らなかった気が知れない。幾何学模様の人工美の庭園は自然美を基調とする日本庭園とはまさに対照的である。入り口近くの広場では、文字通り真っ黒な黒人達がお土産品を売り付けに来る。                   

   夕方セーヌ河クルーズの船に乗ってみた。河から周辺のビルと橋を眺めただけで時間の無駄だった。夜景を見ながらのディナークルーズでなければ物足りない。エッフェル塔には長い行列があった。待つ事1時間。エレベータの切符を買う行列にスキを見て割り込んだ。悪い事をしたとは思ったが仲間には感謝された。第1段は世界初の斜行エレベータ、第2段は垂直エレベータ。夜10時にエッフェル塔に飾りの電気が点る。まあまあの眺めである。          
        
   皆で最後の夜を過ごすべくシャンゼリゼ大通りをぶらつく。11時過ぎても賑やかである。飲み屋は屋外に椅子を出している。埃っぽいのに暗いから気にならない。フランス人は僅かな量の飲み物で粘っておしゃべりをしている。こちらは旅の疲れもあって根気が続かない。道路の幅が広いのと建物が低い事から圧迫感がないのは気分がよい。しかし建物は古く、見てくれだけで機能的ではない。   

   それに引き替え地下鉄は合理的だ。 500m置きに駅があり、料金も安く、どの車両からでもパッと判るように、ホームのあちこちの壁に大きな字で駅名が書いてある。路線はすべて番号で呼ばれているため地図さえあればすぐに慣れてしまう。行き先表示は終着駅名だ。全線均一料金なので、自動化された改札口も入り口だけ。フランス人はメートル法の創案など、時々思い切った合理性を発揮する。 
           
   ルーブルは単なる美術館ではなかった。大英博物館程ではないが、ミイラや古代の彫刻品・発掘物もあった。ルネッサンスの頃の彫刻を見ていると、ギリシア彫刻の模倣にしか見えない。アテネの考古学博物館には似たような物が山のようにある。『モナリザ』や『ミロのビーナス』は流石に人気が高い。 
            
   しかし油絵には宗教画が多く、聖書の知識がない者には絵の背景が分からず、見るのに飽きてしまう。宗教画だけは一角に纏めてほしいものだ。中庭にある奇をてらったガラスのピラミッドには共鳴できなかった。新技術も美もない。地下への明かり取りの役割があるだけだ。                    

   パリのデパートを代表する『プランタン』はそれなりに大きく、まあまあの水準だ。フランスの誇る化粧品・香水・ファッション品の売り場は流石に華やか。しかし最新の日本のデパートに比べれば建物も古く、何んとはなく見劣りがする。建物が4つに別れているのも不便だ。        
               
   オペラ座は建物自体が美術工芸品。根気よく造ったものだと感心。しかし永く見ていると、ごてごてした彫刻に飽きて疲れてくる。カタコンプ(人骨の堆積所)を見たかったが昼休みで閉館。スーパーで食料を買い、公園で軽く昼食。スーパーも日本の方が商品の種類も多く且つ綺麗。日本の物価が高くなるのも当然だ。       
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ヨーロッパは美しい

   インフラ投資が先行している。大都市では電線・電話線の類いの地中配管化工事が完了している。その結果電柱がないため道路の景観がすっきりしている。緑が多い。街路樹だけではなく大きな公園があちこちにある。川や運河が満々と水を湛えており、河川敷の汚らしさが視野に入らない。

   建物のデザインが美しい。中心的な建材は石とレンガであり、色が目に馴染みやすい。建物は道路に平行に建てられている。日本のように南向きに拘らない。塀がなく、建物の基礎まで道路から丸見えになるのを意識してか、家の周りに所狭しと物を置かず、足元がすっきりしている。         

   道路に面した側の柱・梁・壁・屋根の形と配色に工夫が見られる。屋根は同じ色に地域全体で統一している。しかも壁とは違った色になっている。集合住宅の場合でもベランダには必ず花が飾ってある。カーテンは色や掛け方まで統一している。窓枠はその縁にアクセントを付けるべく、コントラストの強い色で縁取りがしてある。広告類が極端に少ないので建物の美しさが直接視野に入る。チャイナタウンのけばけばしい万艦飾の広告過多とは対照的である。

   田園も美しい。水田の場合は平坦さが必要なため、日本のようななだらかな平野の場合には、必然的に細切れの大きさに区切らざるを得ない。麦畑や牧草地の場合には自然のウェーブのままで使えるため、大きく区切ることもできる。農家1戸当たりの所有地も広いから、尚更大きく区切る事が可能である。 
      
   田園の中に点在する農家の住宅は殆どが木造であるがデザインが素晴らしい。しかも壁を初めとして、常に鮮やかなペンキが塗られている。ヨーロッパ人には環境を美しく維持するための、溢れるほどの執念があるようだ。        

   耐久消費財レベルの汚ならしいごみ箱のような日本の住宅が、ヨーロッパのレベルに到達するのは何時の事やら、溜め息が押さえられない。
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おわりに

   妻との海外旅行は錫婚旅行以来の僅かに2回目であった。妻は椎間板ヘルニアで過去3回も入院しており、旅の疲れから再発するのではないかと心配したが、事なきを得てほっとすると共に長旅への自信を深めた。           

   これならば今後も海外旅行ができそうだ。体力の残っている若い内は時差の大きな、
るべく遠い国から出掛けようと思っている。           _
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