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旅行記
           
中米7ヶ国(平成21年4月24日脱稿)
   
   全先進国へ出かけた訳でもないのに欧米などへの旅行にスッカリ飽きてしまった私は、新大陸やアフリカ等の大自然や古代遺跡を訪ねたいと次第に思い始めていた。欧米人の他民族に対して起こした残酷な歴史的証拠をあちこちでしばしば目撃した結果、徐々にではあるが心中に発生して来た嫌悪感に基づく反感なのだろうか?

   平成14年末から平成20年夏までの約6年間に胃がん(1回)と食道がん(4回)の治療で5回も入院した私は、余生が遂に限られて来たと認めざるを得なくなっていた。まごまごしている余裕はなくなったのだ。既に南米のインカ帝国は訪問したので、今回は北上して中米のマヤ文明を尋ねることにした。
   
   生き永らえてさえおればその次は待望の南部アフリカだ。ナミビアの世界最古といわれる赤い沙漠やヴィクトリアの滝だけではなく、ボツワナでの本格的なサファリも何とか体験したいとの夢も一方では抱きつつ・・・。
    
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はじめに
 
   中央アメリカが何処を指すのかはいろいろな情報を集めてはみたが、国際的に特に決まっているわけではないようだ。

① メキシコからコロンビアまでの陸続きのスペイン語圏を示す場合
② 広義には上に記した地域にカリブ海諸国を加えた場合

等もあるが、私にはかつて中央アメリカ連邦(1823~1839)を構成していた5ヶ国の領域を指すとの意見が分かりやすかった。中央アメリカとしてマヤ文明など、共有しているアイデンティティが多いからだ。今ではこの5ヶ国に、1903年にコロンビアから独立したパナマ、1981年にイギリス領ホンジュラスから独立したベリーズを加えた7ヶ国を指す場合が多いようだ。

   経済的には最上位(コスタリカ・パナマ)、中位(ベリーズ・エルサルバドル・グアテマラ)、最下位(ニカラグア・ホンジュラス)に分化してきたそうだ。
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事前準備

[1] コース
   
   中米7ヶ国コースでは、北から南までの全行程をバスで移動する計画の『ユーラシア旅行社』と、長距離は飛行機での移動を採用する『旅のデザインルーム社』とが競合していた。私は発展途上国のバスでの移動は道路だけではなく、オンボロバスでは故障や乗り心地不良などの課題も多く、疲労困憊した過去の体験から後者の提案を選択した。日程や旅費には然したる差は無かった。
   
   『旅のデザインルーム社』が紹介している旅の特徴を、同社のホームページからコピーした。地図内の白抜きの数値は宿泊数を表している。中米7ヶ国の内、小さなエルサルバドルが太平洋側、ベリーズは大西洋側にあるが、残りの5ヶ国は全て何と両大洋に面しているのだ。

                 

① 長距離移動には主に航空機を利用し、現地での移動には時間を費やすことなく、ゆとりを持ち、遺跡の見学と町の観光にご案内します。

② パナマ地峡を削り、難工事の末に築かれたパナマ運河のクルーズをお楽しみいただきます。

③ パナマの大西洋岸に残るコロンブスゆかりの世界遺産にご案内します。

④ コスタリカではアレナル火山国立公園に2泊、大小8つの温泉プールがある同国立公園内の保養施設にて、入浴などをお楽しみいただきます。

⑤ コスタリカのカーニョ・ネグロ野生保護区では大自然の中を行くクルーズをお楽しみいただき、ジャングルと湖畔に現れる多数の野鳥と爬虫類などをご覧頂きます。

⑥ 重要なマヤの二大遺跡(ホンジュラスに残るコパン及びグアテマラのティカル遺跡)をご覧頂きます。

⑦ かつてグアテマラの首都であった静かで美しい古都、アンティグア(世界遺産)に2連泊。

⑧ 露天市で賑わうマヤ・キチェ高原の中心の村、チチカステナンゴにご案内します。

[2] 旅行社

   今回の『旅のデザインルーム社』との出会いは昨年の西アフリカ8ヶ国に続いて2回目である。添乗員は正社員中心。関係資料を十分収集して事前勉強を十分にさせていると感じたのも、蛇足ながらも旅行社の選択理由のひとつだ。
   
   同社と競合している旅行社には、西遊旅行・ユーラシア・トラベル世界などがある。大手のJTB・阪急旅行・近畿日本ツーリストなどではない。同社やその競合各社は大手が積極的には手掛けていない地域への旅行企画が多い。その影響からか参加者には所謂カントリーハンターなどのリピーターが多いのも特徴だ。
   
[3] 本

   今回も何時もの旅行と同じように豊田市中央図書館に出かけて15冊(一人当たりの貸し出し上限冊数)の関係図書を借り出した。日本が豊かになり海外旅行に出かける女性も増加したためか、著者が女性の場合も多い。

   しかし、女性の著書には何時ものことながら小学生の絵日記レベル(何処そこに行ったという程度の記述。絵が写真に代わっただけ・・・)が多く、訪問国の地理歴史や文化を総括するような知的刺激を受けるものは少なく、本を捲りながら写真を眺める程度の価値しか感じなかった。

   分厚い書籍には資料価値の高いものもあるが、出版後20年も経つのに激変している現地事情が更新されてもいないため、事前勉強の意欲を殺(そ)がれた。それらとは反対に『地球の歩き方』は毎年改定版を出してはいるがホテルやレストランなどの紹介が多く、分厚い割には教科書的な史料価値は少ない。結局、どの本にも私には然して役立たないという不満だけが残った。 

中南米ひとり旅 河合 宣雄 連合出版  1989-3-25          1,700円
北アメリカ・中央アメリカ 同朋舎   1992-12-12                5,000円
神様に国境はない 寿里 順平 東洋書店  1994-9-30      1,600円
ベリーズ ベリーズ刊行会編 暁印書館  1994-10-20        2,000円
ラテンアメリカをご一緒に 石森広美 東洋出版 1996-3-16  1,400円
ニカラグアを歩く 藤井 満 日本図書刊行会  1997-4-20   1,300円
グアテマラゆらゆら滞在記 沢村 凛 新潮社  1997-7-20   1,600円
来て見てラテンアメリカ 滝野沢 優子 凱風社  1998-10-15   1,800円
中部アメリカ 田辺 裕 浅倉書店  1999-5-15                   7,600円
メキシコ・中米のけぞり旅行記 下條 ユリ 光進社 2001-11-24   1,500円
コスタリカを学ぶコスタリカ共和国日本・コスタリカ自然保護協会2003-9-18 1,800円
中米 ダイヤモンド社             2007-3-23             1,880円
コスタリカ 辻丸 純一 千早書房  2007-8-10                    1,500円
マヤの国へ マクドナルド清子 文園社  2007-10-31           1,500円
中南米スイッチ 林 澄里 新紀元社  2008-5-2                 1,700円

[4] 旅費

   旅行参加者の少ない団体旅行が高くつくのはやむを得ない。今回も相部屋希望で申し込んだが、直前に相部屋希望者がキャンセルしたらしく(今回もなかなか最少催行人数まで申込者が集まらなかった。時々人数を問い合わせていた私が、キャンセルするのを防止するために相部屋希望者が1人いる、との偽情報だった可能性もある)、最初から一人部屋を申し込んだ場合の加算額の半分を請求された。

   相部屋希望の場合(同室者間のトラブル防止のためか、最初から相部屋希望を認めない旅行社もある。認める旅行社でも旅行地によってはホテル事情からか認めない場合もあり、その都度確認せざるを得ない)の追加料金については旅行社によって3種類がある。相部屋希望者が現れなかった場合、追加料金が最初から一人部屋希望で申し込んだ場合の料金の全額・半額・無請求の3種である。今回の『旅のデザインルーム社』の場合は半額請求型だった。

   『昨秋(平成20年)からの円高を配慮して、旅行代金の値下げがあるのではないか』と催行決定後に旅行社に問い合わせたら、4月以降の新年度の企画からとの回答。平成5年6月に銀婚旅行としてJTBで欧州8ヶ国旅行に出かけた時は、一人448,000円の旅費が直前の円高を考慮して2万円減額された。小さな旅行社にはそんな余裕はないようだ。

   それでも出発直前になって燃料付加運賃と海外出入国税の合計で、32,500円の返金があった。これらは夫々の徴収者が決定する金額、言わば預かり金に過ぎないので旅行社が参加者に返金するのは当然のことではあるが・・・。

旅行代金    578,000円
査証代      8,100円
査証取得手数料  6,500円
空港使用料    2,040円
燃料付加運賃   98,280円 ⇒ 66,980円(値下げ後)
海外出入国税   22,530円 ⇒ 21,330円(値下げ後)
一人部屋追加料金49,000円

合計      764,450円 ⇒ 731,950円(値下げ後)

国内往復移動費用

豊田市駅 ⇒ 名古屋駅(名鉄+地下鉄)  ⇒  1,480円
名古屋駅 ⇒ 品川(新幹線)+成田エキスプレス ⇒ 18,020円(ジパング会員3割引後)

   今回の国内移動を含む旅費は751,450円、つまりほぼ75万円になった。現地での酒やお土産物(私には買いたくなる物がなくて困った)代を入れて、約80万円の旅になった。

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トピックス

[1]人文地理

① 7ヶ国比較

   外務省のホームページから直近(2006~2007)のデータを転載した。同じ中米にありながら各国の生活水準には大差がある。何故差がついたのか、検討に値するテーマだ。

   コスタリカがトップなのは軍隊を持たず、教育に全力を挙げた結果ではないか。敗戦後の日本が軍事費をGNPの1%以内に押さえ、平和国家・産業立国を目指したのと軌を一にした大方針の元、世界のトップに躍り出た姿と私には重なるように感じられてならない。

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            面積(平方Km)   人口(万人) 一人当たりのGNP(米ドル)  首都

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コスタリカ     51,100     450     5,709   サンホゼ
パナマ                75,517     330      5,080   パナマ

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ベリーズ            22,963      30         3,800   ベルモパン
エルサルバドル   21,040      685       2,680      サンサルバドル
グアテマラ         108,889     1368     2,440    グアテマラ

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ホンジュラス      112,492     710        1,600   テグシガルバ
ニカラグア          129,541    514        1,021   マナグア

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日本        377,835     12728        34,023   東京

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② 季節

   熱帯地方の多くは日本のような四季は無いが季節変動は厳然として存在している。乾季と雨季だ。中米の乾季は12~4月。特別の目的が無い限り、旅行は乾季に限る。需給関係から当然のように旅費は変わり、乾季の方が高い。

   中米には煙突産業は無いも同然。これが同じ地球かと勘違いしかねないほど乾季の空気は透明。遠方までくっきりと見える。日本の重厚長大産業や電力各社は大気汚染対策に延々と努力し続けているが、こちらに来れば努力不足が明白だと納得。山紫水明の真の美しさが心底から味わえる。大昔の日本の自然美が連想できる。万葉集や枕草子の名文を思い出す。

③ 南・北アメリカ大陸の境界

   パナマ運河が開通する前は南・北アメリカ大陸の境界線を何処に設定していたのか、手持ち資料からは私には分からなかった。アジアとヨーロッパの境界線にはロシア国内の自治共和国の国境を選んでいるが、地形的にはウラル山脈だ。しかし、かつてパナマはコロンビアの一部だったのでパナマを南米扱いにして、パナマとコスタリカの国境を両大陸の境界線に選ぶと、地形状からは不自然さが残ることになる。

   しかし、今では両大陸の境界線はパナマ運河と考えるのが妥当か。大陸の境界線が一国を分断しても、先例としてロシアの『陸地部』やトルコ(海峡部)の国内にも大陸の境界線があるので何ら不思議ではない。
   
   パナマ運河によって陸地が分断された結果、運河には何本かの橋が架けられた。その一つは太平洋口に架けられたアメリカ橋(Bridge of Americas)である。その英語名のアメリカがわざわざ複数形になっているのは、南・北二つのアメリカ大陸を結ぶ橋との意味が込められているのだそうだ。

④ 都市名

   北米にはメキシコ・シティのように首都に国名を付けた都市が散在している。グアテマラにはグアテマラ・シティ、パナマにはパナマ・シティがある。ベリーズのベリーズ・シティは例外(首都はベルモバン)だ。どうして国名を首都名にしたのか理由は分からない。

   日本に日本市、インドにインド市、ロシアにロシア市はない。しかし、日本の府県の県庁所在地の都市名は殆どが府県名と同じだし、アメリカ合衆国にも州名と州都名が一致しているところがある。ニューヨーク市、ワシントン市、インディアナ市、オクラホマ市とか。

   尚、カンザス市はカンザス州の州都(トピカ)ではない。ワシントン州は二ヶ所(西海岸のワシントン州の州都はオリンピア市)あるので東海岸に位置する米国の首都はワシントンD.C.と書いて区別している。この命名法で混乱が起きている様子もないが、所変われば何とやら・・・といったところか。

⑤ ドル経済

   英語を公用語に定めているベリーズを除く中米はスペイン語圏。しかも、各国とも独自の通貨を流通させている。しかし、旅行者の立場では完全な英語圏且つ米ドル経済圏だった。私は一度も言葉では困らなかったし、持参の米ドルを一度も現地通貨に両替せずに済んだ。

   買い物は全て米ドルで出来た。商品の価格は現地通貨で表示されているため、ドル換算をする時は商人の常、1ドル単位に切り上げられる場合もあったが誤差の内。チップ代わりだ。たまには1ドル以下のお釣りが現地通貨で支払われたが、国境まで来ても使い残していた通貨はドライバーにチップとして渡した。ビール・摘み・果物の小額の購入でもドルで支払ったが何の支障も無かった。

   でも混乱防止のために財布は三つ用意した。日本円・米ドル・現地通貨用だ。

[2] インフラ

① パンアメリカン・ハイウエイ (インターネットから)

   パンアメリカン・ハイウェイは、そのような名前の1本の道を新たに建設したのではなく、アジア・ハイウェイ構想に見られるように、既存の各国の主要幹線道路を「パンアメリカン・ハイウェイ」として整備・ネットワーク化したといった方がむしろ実態に近い。

   パンアメリカン・ハイウェイのルートとされる各国の道路は、例えば「チリ・ハイウェイ5号線」のように必ずその国の名前が付けられおり、むしろその名称の方が一般的なため、地元の人がその道路を「パンアメリカン・ハイウェイ」と呼ぶこと自体知らない場合もある。

   また、カナダとアメリカ国内については、どのルートを「パンアメリカン・ハイウェイ」と呼ぶのかについてこれまで公式な定義づけがなされたことがない。つまり、各資料で紹介されているカナダとアメリカ国内のルートについては、数あるルートのうちで一般に「パンアメリカン・ハイウェイ」として呼び習わしている有名なルートを紹介したものということになる。

   パンアメリカン・ハイウエイの建設にはアメリカの支援があったとは言うものの全額ではなく、通過国も負担しているためか、国力に応じて道路品質が変わっていく。

   以上のことから見ても、パンアメリカン・ハイウェイは部分によってはそのルートや範囲があいまいな、極めて概念的な色彩が強い「道路」ということができる(実際、ルートや支線の数などの捉え方、総延長距離や始点・終点の位置などについては、資料によって大きな差がある)。

   尚、パナマでJICAの仕事をしていた我が親友によれば『パンアメリカン・ハイウェイは、パナマとコロンビアの国境では繋がっていない。パナマにとっての仮想敵国はコロンビア。またコロンビアとの国境近くには共産ゲリラ(?)や反文明の未開部族も住んでおり、JICAでは立ち入りを禁止していた』。南北朝鮮の道路や鉄道並みか?

   今回の中米の旅では何度もパンアメリカン・ハイウェイに沿って移動したが、道路の品質はハイウェイとは名ばかりの場所が多く、通過国の一般道路よりは上、何とか簡易舗装が完了したといった程度だった。

② パナマ運河

   パナマ運河は太平洋と大西洋とを『東西に結んでいる』 (緯度に平行の意)と誤解していた。地図で確認せず頭で勝手に解釈していたのだ。太平洋岸のパナマ市から見れば北西の方向へ開鑿されて大西洋と結ばれていた。このことを私にクイズ形式で指摘したのは、世界一周クルーズ旅行を計画していた我がテニス仲間だ。

               

③  広場

   スペイン人の植民地の拠点都市は何処もよく似た都市計画の下に建設されているようだ。欧州の習慣を持ち込んだだけだが、中心部には一辺が100m強の四角い広場があり、四辺には重々しい中低層の石造りの建物が並んでいる。そのうちの一つは大抵大聖堂だ。広場の中央には噴水か、その地にゆかりの人物(先住民との戦いに勝ったスペイン人が多い)の彫刻像がそそり立つ。

   広場を取り巻く建物の1階には、殆どの場合回廊式の歩道が設置されていた。柱ワンスパン幅の床が公共道路として解放されている。この建築様式の典型例はベネチィアのサンマルコ広場だ。雨露は凌げるし、2階以上は建物として使えるのでアーケード方式よりも土地の利用度だけではなく、美観も高まるのに日本では殆ど見かけないのは嘆かわしい。

   日本では今日に至るまでこの広場文化は何故か育たなかった。その代わりにあるのは鉄道の駅前広場だがバスやタクシーの乗降場所として占有され、憩いの場としての広場の機能はないも同然だ。都市内には息抜きの空間がない。さりとて、土地価格が高騰した現在、都心に広場を確保するのは絶望的だ。奈良時代の平城京どころか、徳川時代ですら城下町には整然とした都市計画があったというのに・・・。

   土地の私有権を保護しすぎた弊害だ。中国を典型例とする共産主義国家の利点は土地の国有制にある。道路建設を中核にした都市開発が理想的に簡単に低コストで進められる。日本はその対極で苦しんでいる。情けない。植民地経営では先住民から勝手に土地を剥奪した結果、碁盤状の都市計画が簡単に実現できた。その功罪の評価は議論が分かれるが、結果としては住みやすくなった。

④ インターネット

   旅費稼ぎの一端にでもなればと年末から年初に掛けて、信用取引で『GSユアサ=15万株、ウェザニューズ=4.3万株、大和紡績=3万株、約定残高合計=14,506万円』の所謂『から売り』をしていた。旅行中の株価変動が気になり、ホテル内にインターネットが使えるパソコンがないかと毎回フロントで確認した。

   日本では今やビジネスホテルでも無料パソコンが大抵用意してあるが、今回出合った中小ホテルでは有料パソコンですら無い場合が多かった。それでも時にはパソコンを発見した。使用料金はまちまち。15分単位の料金設定が多く、2~3ドル。稀には無料の場合もあった。パソコンがない場合は外出してビジネスセンターを探し出しては有料パソコンの有無を確認。料金はホテルの2倍前後。

   たった3銘柄の検索だけなので5分で十分だが、毎日株価を追いかける習慣に生きている身にはいらいらし続けた旅になった。友人のアドバイスに従って、携帯用ノートパソコンか携帯電話をそろそろ買う時期かと迷い始めた。とは言え、今回の短い旅行中でも売り銘柄は予想通り下がり続け、先ずは目出度しめでたし。

[3] 建築

① 要塞

   植民地支配の出発点となった各港には大抵要塞があった。植民地で収奪した物品の母国への輸送船は間歇的に入出港せざるを得ないため貯蔵庫の防衛も必須だ。当時は海賊(植民地の獲得競争に出遅れた国が、スペインの弱体化も意図して承認していた海賊もいた)が横行していたため、港は要塞化されていた。レンガや石で造られた城壁で周辺を囲み、大砲を設置。要塞の構造・形式は何れも類型的。

   これらの要塞は欧州各国の中世の要塞都市に比べると小規模だった。どの程度役に立ったのか、見学しても推測できなかった。これらの要塞の幾つかも世界遺産に登録されていたが、維持管理するのに何ほどの価値があるのか不可解だ。単なる負の歴史遺産に過ぎないのに・・・。こんなものよりも、先住民の文化遺産をこそ屋外博物館遺跡として整備し、世界遺産として永久保存展示して欲しいと思わずにはいられなかった。

② コロニアル建築

   コロニアル建築とは新大陸やアフリカで植民地支配をした旧宗主国の建築の亜流を呼称している。その結果、例えば英国系とスペイン系とは大きく異なっていた。中南米などラテンアメリカでは当然のことながらスペイン系だ。

   中米のコロニアル建築は二階建ての直方体・小さな窓・短い庇・小さなベランダ・船舶用のペンキを塗りたてたカラフルな壁面に特徴があったものの、類型的過ぎて写真を見ただけではどこの国か区別も出来ない。

   植民地支配の拠点都市には今尚使われているコロニアル建築が残されていたが、欧州のような石造りの重厚感もなく、レンガ造りの上に漆喰を塗りペンキで色づけした質素で倉庫みたいな建築だ。それでも勝手な理由をつけて世界遺産に登録されたものもあるが、見ていて空しい。

③ 大聖堂

   主要都市には必ずといってよいほど大聖堂と称する教会があった。しかし、大聖堂とは名ばかりで、ミラノやケルンの大聖堂とはその大きさも豪華さも月とスッポン。規模は小さいし、近辺に大理石などが産出しないためか、加工しやすい石灰岩やレンガ中心の建築だった。

   内部の装飾にも豪華さは無い。スペインとしては略奪した金銀財宝は本国に送り、キリスト教の布教に最低限必要な教会を、先住民やアフリカから輸入した奴隷を酷使して見せ掛けの建設工事をしただけと感じた。

④ 石造遺跡の表面の色

   どの遺跡もその外壁は恰も火災にでも遭遇したかのように、一様性はないが黒ずんでいる。何故黒ずんでいるのか? その原因の我が推定は以下の通りだ。

   熱帯雨林が覆う中米では当たり前のことだが高温多湿。手入れ不十分な石造建築物は苔で覆われている。苔の大部分は太陽光線や微生物により分解されて水と炭酸ガスや窒素ガスなどの各種ガスになるが、苔から分離された炭素の一部が建築物に貼り付いたままになっている。地中での石炭の生成現象とその過程の一部は同じだ。その結果、現在の黒ずんだ汚れとなって累積しているのではないか? 

⑤ 黒いキリスト像

   先住民の宗教は邪教として排斥した後、キリスト教を布教するために宣教師が選んだ苦肉の手段の一つは、布教に欠かせないキリストの彫刻像の皮膚の色にも表れていた。

   何と先住民と同じモンゴロイド系風であったり、アフリカ系の黒人風であったり。十字架に貼り付けられたキリストを現地人に酷似させることにより、先住民に親しみを持たせられると考えたようだ。

[4] 飲食

① 市場

   中米各地の大都市でも世界各地に普遍的に普及している大市場があった。生鮮食品だけではなく、生活用品も溢れている。これらの市場は平屋建ての簡素な建物かテント、または屋根なしの売り場で構成されている。

   大規模な市場の場合は200m*200mは優にあり、迷路のように通路が入り組んでいる。市場には擦れ違うのも困難なほど買い物客が殺到していた。日本のデパートの高級日用品売り場の閑散とした現状とは大違い。

② スーパーマーケット

   大都市には小さいながらも食品中心のスーパーマーケットがあった。味はとも角としてビールは輸入・国産品共に各種あり350cc前後の缶ビールが1~2ドル。何故か高価な日本とは異なり国際標準価格だ。水代わりに買い込んだ。ドル札で買うとコインのお釣りをくれるが使い道が無い。その都度ドライバーへチップ代わりに渡した。余りに小額だと恥ずかしいので国が変わってドライバーが交代すると、最初だけは1ドル札を付け加えた。

   冷蔵庫があったホテルには一度も出会わず、ビールを冷やすことも出来なかったが、室温でも何とか飲めた。もともとビールが発明されたエジプト時代から近世までは、常温ビールを人類は飲んでいたと思えば我慢できた。今日ビールを極端に冷やして飲むのは日本を先頭に、その真似をするのか東南アジア各国の習慣に過ぎない。

   あるとき、イタリア製の生ハムを発見。袋にはイタリアではナンバーワンとの表示。100g当り1,000円くらいだったが、ビールの摘みには最適。日頃食べ慣れている日本産よりも美味しかった。

   薄くスライスした生ハムは一枚ずつ樹脂製セパレータと交互に重ねた状態で包装されていた。楊枝代わりに持参しているピンセットを使うと指を汚すこともなく、生ハムはセパレータから簡単に剥がせた。日本製品とは包装時の心構えから既に異なっていた。

③ ビール

   我が知る限りビールの製造工程はシンプルだ。良質の原材料・水・酵母を確保し、醸造温度と時間さえ管理すれば世界の何処で醸造しても同品質のものが出来る筈、異なるのは製造コストだけだと単純に考えている。それなのに、バドワイザーなどの有名ビールでも現地産の味が落ちるのが不可解だ。

   私は胃がんの手術で胃の2/3を切除した結果、胃の中で炭酸ガスが発生するビールは一度に少ししか飲めなくなった。更に食道がんで4回も入院した私は、食道がんの再発防止のためにアルコールの摂取量を激減させている。その結果、アルコール類は量より質を重視。多少高価だがサントリーの『ザ・プレミアム・モルツ』だけを飲むようになった。今回の旅行中、プレミアム・モルツを上回る味覚のビールには一度も出会わなかった。それでも、飲めないよりはましと考えて、あれこれ買い求めた。

   ビール会社に比べればコカコーラ社は別格だ。原料となる水質は世界各国異なるのに、何処の国でコカコーラを買ってもその品質差を私の舌では区別できなかった。ビール各社はコカコーラ社に品質管理技術を学ぶべきだと痛感した。

④ 熱燗

   中米は緯度的には熱帯であるが、今回の旅行では高度2,000m級の高原にも出かけた。日本の早春に匹敵する寒さだ。そんな気温でもアルコール類は冷たいビールやワイン。日本酒の熱燗や焼酎のお湯割の着想の素晴らしさを痛感した。底部に収容した生石灰などの発熱物質の封印を解けば、水との化学反応で何時でも加熱できるインスタント熱燗日本酒を、日本から持参するのを忘れていたのが悔まれた。

   寒冷時に酒を温めて飲む習慣のある国は意外に少ない。ドイツのクリスマス・マーケット(11月中旬~クリスマス・イブまで広場で臨時に開かれている屋外マーケット)では、稀に容器を有料で貸し出しながらワインの熱燗を売っていた。

   紹興酒を熱燗にして飲むのは日本人が中国に持ち込んだ飲み方だそうだが、私には寒い時には炭酸系の酒(ビールやシャンパンなど)以外の酒(ブランデー・ウィスキー・ワインなど)を温めて飲む習慣が、世界的には何故普及しないのか不思議でならない。
   
   今回の旅行記の査読を学生時代の物知り友人に依頼したら、欧州には『ホットビール』があると教えてくれた。でも、私は酔うのが目的ならばいさ知らず、喉越しの爽やかさに疑問を感じるホットビールは幾ら寒い季節でも飲みたくはない。
   
   **************インターネットから**************

   キリンビールの横浜工場内にあるビアレストラン「スプリングバレー」では、キリンの黒ビール「一番搾り スタウト」を使用したホットビールの提供を始めた。温かいビールに、角砂糖とシナモンスティックがセットで提供される。日本では珍しいホットビールだが、ビールの本場ベルギーやドイツでは、頻繁に行われる飲み方だという。

   実際、ベルギービールの中には「ホット専用ビール」もある。「リーフマン グリュークリーク」という名のさくらんぼ味のビールである。そのままレンジで温めて飲んでもいいが、更にアニス、シナモン、クローブなど好みでスパイスを加え火にかけて、お燗より少し熱めの50~60度に温めて飲むのが通だ。

   温めて飲むこのやり方だが、「ビール醸造所の職人が体を温めるために仕事前に飲んだのが発祥」、「クリスマスに飲むホットヴァイン(ドイツには、クリスマスになると砂糖やシナモンなどで味付けした赤ワインをホットで飲む風習がある)のマネをしたのが始まり」など諸説ある。ちなみに通常のビールがおいしく飲める温度は5度。ギネスなどのスタウトビールは15度程度だという。

   ホット用ビールは時期にもよるが、運がよければ通販などで入手することも可能。ホットビール専用のかわいらしいグラスもあるので、雰囲気を楽しんでみるのも良いだろう。

⑤ 食事

   食材には現地産の牛・豚・鶏・魚・野菜が使われていた。草原に放牧されただけの牛は穀物肥育中心の国産牛(日本)と比べ、肉質は硬くて旨みがなく1/3食べるのがやっと。その他の料理も量に不満は無かったが、美味しさが伴わず、概して1/3食べただけ。それでも現地の人から見ればご馳走とは分かっていたが・・・。

   短い旅程だったのに旅の途中から、日本に帰ったら何としてでも食べたいと思った食材が頭の中に浮かび上がり消えなかった。帰国日の2/4午後7時半にJR名古屋高島屋に到着するや否やデパ地下に突入。3500円/100gの飛騨牛のヒレ肉200g*2枚、高級握り寿司と大トロなどの刺身盛り合わせ、アサリのように大きな活シジミを購入。帰宅後の夕食でやっと一息ついた。

   更にその数日後、リンガーハット(全国に数百店ある長崎チャンポン専門店)に出かけてチャンポンを食べた。チャンポンは学生時代から最も好きだった麺類。最近の有名ラーメンはスープが濃厚になり過ぎて敬遠している。チャンポンもスープが命だが太い麺の食感、海鮮中心の具材と一緒にキャベツ他季節の野菜を山盛りにするのが特徴。リンガーハットのチャンポンは高級ホテルのフランス料理よりも好きだ。蓼食う虫も好き好きとは正にこのこと・・・。

[5] 生活
   
① もんぺ美人

   もんぺは、戦中から戦後にかけて日本で用いられた女性の労働用ズボンないし袴の一種である。ゆったりとした胴回りと足首の部分で絞った裾に特徴があり、着物の裾や上着を入れることもでき活動に適する。よそ行き用には平時の着物を仕立て直した絹地を用いる場合もあった。(インターネットから)

   我が小学生時代の昭和20年代、もんぺを履いて颯爽と歩く女性の後姿は美しかった。今回の参加女性9人の後姿からはかつてのもんぺ美人を連想させるものは全くなかった。太り過ぎた上に垂れ下がった臀部をぴったりサイズのパンツで吊り上げている姿からは、紙おむつをしたアヒルかゴキブリのよたよた歩きを連想させるだけだった。

   欧州系のお婆さん達はパンツを長い上着で覆っていた。醜く変形した臀部は服地を介してとは言え人様に見せない工夫をしているのだ。肥満タイプが多い中米の中高年婦人は民族衣装でもあるスカートを穿くことにより不恰好な臀部を隠していた。

② パナマ帽

   海外旅行の度にその地での特徴ある民族帽子を買い求め、ゴルフやテニスの時などに愛用する習慣を私は今尚持続している。帰国後も思い出に強く残り愛用し続けた帽子の例としては、リヒテンシュタインのフェルト製赤いチロリアンハット・中国のミンク製のロシア帽・アルゼンチンの牛皮製カーボーイハット・ベトナムの紙製超軽量ハット・ペルーのナスカの地上絵が刻印された牛皮製ハット・マリ(西アフリカ)の貝殻(昔の通貨)で飾った中央部が円錐形のハット・・・。今回の旅行では何としてでも買いたかったのはパナマ帽だった。

****インターネットから****

   パナマ帽(Panama hat)は、パナマ草の葉を細く裂いた紐で作られる夏用の鍔付の帽子。「パナマ帽」の起源はパナマではなくエクアドルである。それなのに「パナマ帽」と呼ばれるようになったのは、セオドア・ルーズベルトがパナマ運河を訪問した後に愛用した結果との説が有力だ。

         

   
 
     パナマ草の葉は柔軟性に富み、パナマ帽を平らに折りたたんでも折れることはなく、元の形に復元する弾力性も高い。商人がパナマ帽を手で折り畳んだ後、手を離した途端パッと復元する現象を実演したが、私は旅行鞄に小さく丸めて入れて長時間運ぶと、寝押しのような畳み癖が付くのではないかと心配になり、飛行機の中でも被ったまま自宅まで持ち帰った。

   パナマ帽の材料には偽物も多いらしい。同行者の一人は露店で格安のパナマ帽が買えたと言って喜んでいたのも束の間、その日の内に破れたとぶつぶつ・・・。私はホテル内の売店で買ったから本物だと信じたいが・・・。帰国後、ゴルフで何度か使ったが、何のトラブルもなく満足。

③ 風呂

   旅行前に予告されてはいたが、浴槽がなくシャワーだけのホテルにもしばしば出合った。そのシャワーからお湯が出ないことすらもあった。髭剃り後の石鹸落としには浴槽があれば便利だが、シャワーだけの場合では寒さが身に沁みるので、電気剃刀で我慢。自宅を7年前(平成14年)にリフォームして以来(リフォーム以前の風呂はセントラルヒーティングからの給湯だったため追い炊きが出来なかった)、朝夕2回の入浴を楽しみにしていた私には、シャワーだけの入浴には我慢できなくなり断念。

   浴槽があってもリラックスは出来なかった。浴槽の形に工夫が足りないのだ。背中が当たる面は斜めにして欲しいし、浴槽内には両肘を置く肘掛も欲しい。古希を過ぎた老人には立ち上がるときに便利な取っ手も欲しい。日本の住宅設備メーカの創意工夫を学んで欲しい。

   椅子に座って体を洗う場所が無く、足の裏を洗う場合には不安定な姿勢を強いられるのも不満だ。洗面所で髭を剃り始めると鏡が直ぐに曇ってくるのにも閉口。曇り止めのヒータを取り付けた鏡には全く出合わなかった。
   
   お湯が濁っていても量さえ確保できれば我慢できるが、温度を最高にしても生温いお湯の場合はお手上げ。場合によっては栓が壊れていてお湯が溜まらず、保守員を呼びつけたことも・・・。発展途上国のホテル事情の悪さには過去何度も体験したが、今回も些か辟易・・・。

④ ベッド

   熱帯地方であるためか、ベッドに巻きつけてあるのは毛布ではなくシーツのような薄い布。小さい頃から寒がり屋の私には耐えられず、その都度毛布を二枚請求。しかし、毛布とは名ばかりの薄い布が持ち込まれただけ。風邪を怖れた私は靴下も脱がず、上下共に外出着のままベッドに潜り込んだ。

   冷房中のエアコンを切るのは勿論である。熱帯とはいえ夜は意外に寒かった。

⑤ テレビ

   部屋には小型テレビが設置されてはいたが、その画質の悪さには辟易。CNNの経済番組では、テレビ画面の周辺に各国の株価や為替情報がリアルタイムで表示されているが、文字が滲んだり崩れたりして読めない場合が多かった。放送局の設備が悪いのか、テレビの品質が悪いのか私には区別が付かなかった。しかし、全てのテレビが同時に品質劣化しているとは思い難いので、放送局の設備側に問題がある可能性が高いとは思ったが・・・。

   2年前に我が専用居室にはパナソニックの50インチのハイビジョンプラズマ、ダイニングキッチンにはパナソニックの20インチの液晶テレビを設置し、豊田市内のケーブルテレビ会社と契約しWOWOWの映画も満喫。かつてのアナログテレビ時代のようなゴーストも発生しないし走査線も現れず、パソコンの液晶モニターや映画館の画像のように鮮明だ。

   どんなに画像品質が悪いテレビでも無いよりはましだが、高品質のテレビに一度慣れると、単なるニュース番組ですら見る気がしなくなる。一旦純生を満喫すると、コンドームなどは今更使いたくないのと同じだ。
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同行者


   6年前のがん治療後の我が旅先は先進国から、その殆どは所謂インフラも不十分な発展途上国中心に変わっていた。快適な旅とは縁のない不便な国にも拘らず参加する方々には何故か高齢者が多く、所謂人生の勝ち組、経済的にも恵まれている人が多いのだろうと推定していたが、それは間違いだったと徐々に気付いた。

   先進国は行きつくした単に旅が好きなだけの人達だった。我が偏見から評価すると、人生としては平均すれば不幸な人の方が多かった。奥様に先立たれた老人・その逆・離婚者・結婚を諦めた独身者が何故か多かった。同様の不幸に遭遇した我が知人をふと見渡しても、意外にこの種の旅に生き甲斐を求めている人が多いことに気付く。

   日本での一人暮らしは面白くないのだ。遺産が舞い込んだものの、子供が独立してたった一人になった孤独な老人には、海外旅行費用くらいはその気になれば誤差の内だ。
   
   尚、同行者から直接聞いた自己紹介部分にはその真実性に疑問を感じる部分もあるが、そのまま書いた。

① 女性添乗員

   大学ではフランス語を専攻。留学はしなかったものの英語・スペイン語もマスター。現地ガイドの説明の聞き取り能力は一流だったが翻訳した日本語の度重なる間違いには砂を噛む思いがし、時々こっそりと注意したが直せなかった。通訳中は話の中身に集中するためか、一朝一夕には直らないようだ。

   各地の博物館に展示されている彩色土器を『さいしょくどき』と発音したのには驚いた。色素なのだから正しくは『さいしきどき』だ。過去を意味する『かつて』を『かって』、『大地震⇒おおじしん』を『だいじしん』と発音されると麻生総理の漢字誤読を必ずしも笑えない。しかし、この程度が日本人の国語力かと諦めた。

   多少はインテリかと私が推定した同行者達に『一・衣帯・水』『間・髪を容れず』『清・少納言』の読み方を質問したら、『一衣・帯水』『間髪・を容れず』『清少・納言』と区切り方を間違えたのも不思議ではない。

   麻生総理の誤読例をインターネットで探した。一説に依れば読字障害(東大医学部卒の養老孟司東大名誉教授説)らしい。誤読数の多さにも驚いたが、誤読例から勝手に選んだ下記の10熟語の全てを正しく読める日本人は、ひょっとすると意外に少ないのでは??と思うに至った。

未曾有(みぞう⇒みぞゆう)
怪我(けが⇒かいが)
参画(さんかく⇒さんか)
踏襲(とうしゅう⇒ふしゅう)
低迷(ていめい⇒ていまい)
頻繁(ひんぱん⇒はんざつ)
詳細(しょうさい⇒ようさい)
決然(けつぜん⇒けんぜん)
基盤(きばん⇒きはん)
有無(うむ⇒ゆうむ)

読字障害***********インターネットから

   会話能力にも問題はなく、しかも眼に異常があるわけでもないのに、文章を読むのに著しい困難を抱える人たちがいる。読字障害だ。この障害が見つかったのは、19世紀末の英国。数字の「7」は読めるのに「seven」を見せると読めない中学生が見つかった。
   
   当時は、稀なケースと思われていたが、英米では人口の10%、日本では5%もいることが判ってきた。最新の研究によって読字障害の人は一般の人と、脳での情報処理の仕方が異なることが明らかになってきた。
   
   通常、情報を統合する領域で文字を自動処理しているが、読字障害の人は文字処理をスムーズにできないのである。人類が文字を使い始めて僅か5千年。この時間の短さ故、脳は十分に文字を処理できるようには適応しきれていないのである。

   一方、読字障害の人には独創的な発想が出来る人や空間処理能力が高い人が多い。映画ジュラシックパークで恐竜博士のモデルになったモンタナ州立大学の考古学者ジャック・ホーナー博士も読字障害者の一人。ホーナー博士は、恐竜の生態が鳥類に近い生き物であったことを証明し、恐竜研究に革命を起こした。しかしホーナー博士の読み書き能力は、小学3年生程度と言う。

② ご夫婦

   共に元中学教師。認知症になったご主人の実母の看病のために奥様は定年の数年前に退職、ご主人も定年一年前に退職。退職金は二人合わせて5,000万円。年金は二人合わせて月に税込み48万。介護保険料などが増加し手取りは下がる一方とご不満。

   ご主人は教職という職場を提供してくれた社会への恩返しになればと、実母の介護体験から特別養護老人ホームを設立。退職金から1,000万円を出し、同僚などにも声をかけ自己資金1.5億、借金10億で定員100人のホームの理事長として10年間勤務。古希を契機に引退し現在77歳。海外旅行も今回で最後にしたいそうだ。

   ホームの運営に関する法律がどんどん変わり経営は苦しくなる一方だった。食事は経費減のため外注にしたそうだ。

   『引退時に1,000万円は取り返したの?』
   『そんなこと、できるはずがありません。出資金を返してもらう気もありません』
   
   氏の寂しげな声を耳にしたとき、返す言葉も思いつかなかった。でも、脱サラでラーメン屋を1,000万円で開業しても、廃業時に1,000万円が戻るわけではないのと同じと考えれば納得できる。10年間の理事長職での収入で出資金は取り返しているはずだし・・・。

③ 紳士A

   自称『都落ち』。東大医学部を目指したが無理と分かり北大医学部へ。不幸にも在学中に父親が亡くなり、学費が続かず無念にも退学。

   生きるために手足を動かせば出来る仕事ならば何でもした。衣食住に直結する仕事なら何処にでもある。特に水周りの保全修理は緊急性が高いだけに工賃にも上乗せが出来る。本気で努力すれば職人並みの仕事は誰でも出来るものだ。今世間では失業者が激増しているが、彼らには手を汚す仕事に取り組む気が無いだけだと断言。現在はレストランなど幾つか経営。

   趣味はカメラ。60万円のカメラや三脚など持参の道具は15Kg。撮影対象は郵便局とポスト。世界中を廻って写真を撮り、写真集を私費出版した。何れ二冊目を発行予定だとか。氏の影響で中米のポストに目が向いた。これでもポストかとビックリするようなものもあり、資料集としても氏の写真集は価値がありそうだ。

④ 紳士B

   元勤務先名(旭化成)を明かした唯一の人。他の同行者は元勤務先は勿論、学歴や子供の現況など私的なことには沈黙を押し通した。他人には触れられたくないらしい。そのくせ私が豊田市から参加したといえば、執拗に元勤務先を聞きだそうと努力。隠す必要も無いので、私は何でも質問には正直に答えた。

   氏の旅での特技は荷物の軽量化。10Kgで十分だそうだ。その秘訣は速乾性の衣類。洗っても1時間以内には乾くスポーツシャツ数枚・軽量ズボン数着を持参。子供の遠足のようなリュックサックを背負うだけの軽快な旅姿。私も帰国後は松坂屋豊田店に早速出かけ、真似したいと決意。

⑤ 現地人ガイドC氏

   日本からの侵略による被害国だと今尚喧伝する中韓と、新大陸発見後の筆舌に尽くし難いスペインの悪道振りに対する中米人の受け止め方の違いが知りたくて、外国人に接する機会も多いガイドに質問した。

   『貴方の体には中米の先住民の血とスペイン人の血が流れています。かつてのスペイン人の武力による侵略に対してはどのように評価していますか。スペインに出かけたいですか』

   『かつてのスペイン人の行為を尊敬したり褒め讃えたりすることは出来ません。でも、民族間の抗争は新大陸だけで起きたわけではありません。旧大陸でも起き続けたのが人類の歴史です。それに数百年も昔の事件です。現在のスペイン人に責任はありません。
   
   現在のスペイン(人)を恨む気持ちはありません。スペイン人が残した言葉と文化にはそれなりの価値があります。私は南米などのスペイン語圏だけではなく、スペイン本国にも観光旅行できたら幸せと思います』
   
⑥ 現地人ガイドD氏

   『歴史を過去に戻すことはできませんが、全てのスペイン人が悪人だったわけではありません。先住民を守る立場にたって行動した人もいます。

   人類史は弱肉強食だったとはいえ、侵略の仕方にもっと工夫を凝らし、先住民の文化も残すようにしてくれていたら良かったのにと思います。

   観光旅行としてはスペイン本国に出かけるよりも、英仏伊とかアメリカへ行きたいと思います』

蛇足。

   かつての植民地帝国は『**連邦』を編成して宗主国の権威を維持しようとしたが、程ほどに成功したのは『イギリス連邦』のみだ。スペイン・フランス・ロシアは失敗した。単なる占領による富の収奪作戦では長期的には失敗する典型だ。

   中国もかつてのロシア同様、陸続きの連邦国家として実質的に周辺の異民族を支配しているが、何時までも存続できるのかは疑問だ。イギリス人は『連邦』のみではなく『英語』の普及でも大成功した。イギリス人は相対的には他の植民地帝国よりも賢い。
   
   今日のアメリカは覇権国家として、イスラエルを操りながら種々の口実を一方的に使いつつ西アジアやアラブ諸国の支配を目論み、資源の獲得を目指してはいるが情報化時代の今日、武力による一方的な攻撃は世界各国の監視下では昔のようにはいかず、膨大な軍事費の負担に喘ぎ始めた。
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移動 

[1] 1/19(月)

   成田国際空港13:00集合だった。大型鞄の自宅と成田間は旅行社の宅配便サービスで別送(サービスとは名ばかり。支払った旅費の配分費目が変えられているだけと解釈)。全日空国内線の中部国際発7:50は早すぎる(我が家から車で5分に位置する最寄りのトヨタ自動車元町工場前発の一番バスは6:02)。名古屋⇒新幹線⇒品川⇒成田エクスプレス⇒成田空港を選択。中部国際とは名ばかり。実態はローカル空港。

   大韓航空が入っている第1ターミナル地下駅まで名古屋駅から3時間で到着。鉄道による成田までの国内移動は初体験だったが、品川駅での乗り換え歩行距離は東京駅よりも短いし、予想以上に快適且つ便利だった。

   この日は移動だけで潰れた。ロスには1/19早朝7:25(現地時間)に到着。旅程計画では空港近くのホテルで休息。ロス出発は翌日1/20深夜1:05だった。疲れているからとは言え、1/19の昼間の旅程は組まれていなかったのだ。

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ロス


① アメリカの相対的な国力の低下

   私はロスの市内ミニ観光が昼間の休憩時間に出来ないか、と添乗員に相談した。100ドルで3時間のロス市内観光が出来ると即答。希望者は私を含めて僅か2名だった。同行者は予想した通り先進国には関心がないようだ。ガイドはロスの旅行社で15年間も勤めている日本人。今回、空港までの送迎も担当された方。
   
   私には昭和48(1973)年の最初の海外出張で米国訪問をして以来36年振りの、短時間ロス観光になった。その間、平成10年(1998)の最終海外出張(世界一周)でのブラジルからの帰途と平成17年(2005)のペルー観光の往復時にロス空港に立ち寄ったが、空港外に出る時間は残念ながら取れなかった。
   
   ロス空港は米国を代表するようなハブ空港であるにも拘わらず、アジア各国の新設ハブ空港(日本・中国・韓国・タイ・香港・シンガポール・・・)と比べれば、免税店やレストランは格段に少なく、不断の拡張で継ぎ足された天井も低い実用一点張りの建物間の移動ルートも複雑怪奇。これが世界に冠たるアメリカの代表的な空港かとがっかりするだけで、乗り継ぎのための暇つぶしも出来ず苦痛だった。
   
   36年前は晴天だったのに、自動車の排出ガスに覆われたロス市内は上空からは何も見えなかった。排出ガス規制法案が提出されたのも当然だった。しかし、今回はくっきりと下界が見えた。自動車技術の進歩の目覚しさを、元関係者の一人としても喜ばずにはおれなかった。
   
   空港周辺には広大な分譲住宅地が碁盤状に広がっていた。日本の住宅地と比較すると土地がやや広く、家もやや大きい程度。プールは殆ど見かけなかった。初体験だった36年前とは大きく異なり、特別な羨ましさは感じなかった。
   
② 海岸地帯

   ヨットが係留されている海岸は、人通りも少なく寂れていた。ガイドが土日は賑わっていると補足したが・・・。店も小さく客も少なく・・・。世界的な折からの不況の影響だろうか? ここでもアメリカの繁栄を連想することは出来なかった。欧州各地のヨットハーバーと比べて港にもヨットにも高級感は感じられず、特別賑わっているとは思えなかった。
   
   海岸通りには南国らしく芝生の中に椰子の木が植えられ、ゆったりとした公園を兼ねていたが人通りは少なく、閑散としていて拍子抜け。
   
   

   一緒にロス観光した方と記念撮影。何度か即席味噌汁をご馳走になった。お礼に現地調達の缶ビールを受け取っていただきたかったが『ビールを飲むと眠くなる』との理由で辞退された。大阪⇒東京への出張は全て飛行機。会社から株主優待券を現物支給されるそうだ。
   
   ロスは予想外に寒かった。冬季ゴルフ専用の羊皮ズボン(韓国旅行で買った)に皮ジャンパー(出国時の出立のまま)で何とか寒さを凌いだ。
   
③ ロスの蘇州

   行き止まりになった短い運河の両岸に家が立ち並び、ロスの蘇州といわれる場所があった。中国の蘇州のような運河へ降りる階段は少なく、太鼓橋もなく、水は流れることなく澱み、名前負けそのものだった。またしてもがっかり。

      

   説明抜きでは蘇州を連想することなど無理な場所だった。福岡県南部の柳川下りのような水郷の趣は全く無かった。

④ 都心

   中心部にはハリウッドの世界的に有名な大スターの、足型や手型と自筆のサインが刻印されたセメント板が何十枚も埋め込まれた小さな広場があった。しかし、此処も閑散としていた。周辺には有名ブランドの専門店が並んでいたが3階建て程度の低層の安普請の建物。重厚感もなく、がっかりした。
   
   
   
   街並みから受ける豪華さは東京の銀座とは比べ物にならない。アメリカ屈指の大都会の筈なのにどうしてなのだろうか? 近くには大型高級百貨店もなく、散歩する気も起きない。ガイドの説では、アメリカ人は郊外のショッピングセンター(全米では3万箇所もある。日本は3,000箇所程度)で買い物をするようになったからだそうだ。日本の地方都市の惨状は正しくロスの後追いだ!
   
   アメリカ在住歴が長かった友人によれば、車社会以前にできた都市の都心は未だ賑わっている。ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア、シカゴ、サンフランシスコなど。但し、都心と郊外の間のドーナツ地帯は寂れているのだそうだ。本当だろうか?
   
⑤ リトル東京

   20年前のバブルの頃までは日本人が肩で風を切っていた。あちこちに日本人訪米者を当て込んだ日本の百貨店やホテル・レストラン・本屋などお馴染みの企業が乱立し、日本人が溢れていたそうだ。昔の光、今いずこ・・・。

   進出企業は軒並み撤退。ここがかつてのリトル東京とは、説明を聞かなければ連想不可能なほどの寂れ方。街角で発見した二宮金次郎(薪を背負ったままで本を読みながら歩く、勤勉さの象徴でもあった姿)の銅像がリトル東京の墓標に見えてきた。

⑥ ハリウッドが見える都心

   HOLLYWOODと描かれた大きな白い看板が山肌に見える、コダック劇場の一帯が一番賑わっていた場所だ。でも観光客は少ない。コダック劇場内も見学したが、ミラノ・パリ・ウイーンの各オペラ劇場とは月とスッポンといえるほど豪華さや大きさで見劣りした。がっかりの連続だ。

⑦ ビバリーヒルズ

   高級住宅街としての知名度では世界に冠たるビバリーヒルズも心なしか裏寂れていた。36年前には世界にはこんな素晴らしい住宅街があるのかと仰天したが、今回は何も驚かなかった。日々の手入れを怠れば、たちまち美観が低下することの生きた証拠に思えた。

   とは言え、それでも周辺の住宅を圧する高級住宅街としての貫禄は残っていた。

⑧ 高層ビル街

   都心には高層ビルが集中していた。しかし、オフィスビルばかり。一階にブランド店が入っている様子もなく、ひっそりとしている。当然のことながら観光客などは寄り付かない。都心の荒野といいたくなるような場所だった。
   
   東京駅前に限らず名古屋駅前でも高層ビルの低層階は今やデパート顔負けの高級品を取り扱うテナントで賑わっているが、先輩だったはずのロスの雰囲気は別世界。商業地域とビジネス地域とが分離すると都心の華やかさは消滅するのだ。市長や関係者が頭を抱え込んでいるのでは、と心配になってくる。
   
⑨ ロス疑惑 三浦和義夫人一美さんの狙撃現場

   都心とは言えビルに囲まれ見通しも悪く人通りも少ない駐車禁止の裏通りに面した、車をユーターンさせる程度の10坪も無い狭い空き地で事件は発生した。ガイドは、日本人観光客には必ず案内する場所にしているそうだ。

   今や草茫々のゴミ捨て場のような場所だった。都心でありながら目撃者がいそうも無い場所を、良くぞ探し出したものと感心!
   
⑩ メキシコ人の市場

   小さな広場では、頭部に鳥の大きな羽を放射状に飾りつけたメキシコ人の一団が、先住民の伝統音楽の演奏に合わせてお祭り舞踏を披露。多くもない観光客が取り巻き楽しんでいた。
   
   この広場に通じる道路にメキシコ人のお土産物屋が露天商のように並んでいた。ここはアメリカではなく、メキシコ (いずれ出かける予定の国。類似国からの推定) そのものだ。原色の派手な衣類が鬱蒼と吊り下げられ、買う気も起きない小物のお土産品もずらり。
   
   
   
   僅か3時間の観光だったが、アメリカの没落を確認したようなものだ。36年前には日本とは別格の、見上げるような華やかさを感じたアメリカが、短期間にこんなにも落ちぶれていたとは想像外だった。
   
   今でこそ分かったことだが、私が初訪問した昭和48年(1973年)こそがアメリカの絶頂期。その秋の石油ショック以来ドルは徐々に下落し、昨年(平成20年)からの金融危機が最後の止めを刺したのだろうか?
   
⑪ 蛇足

   今日のアメリカの没落はGMの没落の構造にソックリだ。
   
   36年前のGMは製造業のみならず、商社や石油産業も含めた民間会社で世界一の売上額を誇る自動車会社だった。そのテクニカルセンターの美しさ・壮大さには腰を抜かすほどに驚愕した。ところが急転直下2008年、自動車の世界販売台数や売上額でトヨタ自動車に追い抜かれただけではない。昨年後半にはとうとう究極の経営危機に遭遇し、2009年5月末までに米国政府の指示に対応した経営再建策を提出して政府融資を受けるか、倒産を選ぶかの最後通告を遂に突きつけられた。
   
   GM破綻の受益者は厚遇を享受し続けた従業員だった。破綻した場合の被害者は株主だけではない。GMに融資した金融機関、原材料を納入したにも拘らず代金を全額までは受け取れない原材料や部品メーカなどの無数の債権者だ。更に販売店、関連企業から原材料を調達している他の自動車会社・・・。税収減の行政組織・・・。
   
   一方、米国繁栄の受益者は借金をして人生を享受し得た米国民。その米国人に住宅を高値で売りつけた建設業者。その建設業者に土地や建材を売りつけた業者・・・。米国破綻の被害者は世界中に溢れたドルの保有者と米国国債を買い込んだ世界各国の政府や民間会社。ドルの下落に伴う実質価値(我が独断では、ドルの実質価値は過去36年間で1/10になった)の損失だ。
   
   ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは『万物は流転する』と2500年も前に喝破し、日本の平家物語(13世紀に書かれたといわれている)の著者はその冒頭で『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす』と書き残したが、今でも通用する永遠の真理だ。
   
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ニカラグア

   

   国名は現在のニカラグアの地に勢力を保っていた先住民の一つ、ニキラノ族の首長ニカラオがその由来となっているといわれている。

[2] 1/20(火)

   ロス出発後、エルサルバドルの首都サンサルバドル経由でニカラグアの新首都マナグアに1/20、午前7:50に到着。ニカラグアは中米のそのまた中央部にある。

   ニカラグアが1839年に中米連邦から脱退したとき、
レオン(旧首都)はニカラグアの首都になった。それから数年の間、自由党の牙城でリベラルなレオンと、保守党の牙城で保守主義のグラナダとの間で遷都を繰り返したが、1858年に二つの町の中間点だったマナグア(新首都)を恒久的な首都とする妥協が成立した。

① 新首都マナグア

   マナグアは1,024平方Kmもある巨大なマナグア湖に接している。私は大きな湖や海を見るのが大好きだ。そこでは開放感が味わえるし心が癒される。青い空と青い水ならばベストだが、マナグア湖の水は工場排水で汚されたらしく透明度は僅か数メートル。水銀が流れ込んでいるらしく遊泳禁止らしい。でも、湖上から吹き寄せる風に当たると心地よかった。

      
   
   博物館に転用されているかつての国会議事堂とか、国立宮殿などの外観を眺め、新型モスクのようなコンクリート製の奇抜なデザインの教会(カテドラル=大聖堂)を見学。内部も簡素。豪華さを感じることは出来なかった。
   
   
   
② 旧首都レオン

   1746年から100年もかけて造られた中米最大のカテドラルだが、外壁はマヤの遺跡同様黒ずんで汚い。でも、屋上からの市街地の眺めは素晴らしかった。
   
   
   
   国民的詩人と評価されているルベン・ダリオ(文学への関心がない私は全く知らない偉人・夏目漱石と同世代人だそうだ)の生家が博物館として開放されていた。
   
   革命英雄記念館には数え切れないほどの若い戦死者の白黒顔写真が壁面一面に飾られていたが、ややピンボケ気味の拡大写真からは犯罪者の手配写真を連想。彼らが命懸けで闘った歴史を全く知らない私は、不遜にも関心を誘発されるまでには至らなかった。
   
[3] 1/21(水)
   
③ グラナダ

   グラナダはスペイン人がニカラグアで最初に創設した植民地都市。古いコロニアル風の南欧を連想させるようなカラフルな低層建築が手入れ良く保存されていた。街角では観光馬車も発見。でも、残念ながら乗る時間は無かった。

      

   グラナダは中米最大のニカラグア湖(8,150平方Km)に面しており、火山の爆発で湖には大小365個もの島が出来た。対岸が山で隠されて見えず、当初は湖の中の火山島とは気付かず対岸の山と誤解した。島から目を移すと対岸の代わりに水平線が見えた。この巨大な湖も濁っていた。私が今までに目撃した、砂漠地帯を除く熱帯地方の川の水はどれも濁っていたので、湖水の濁りは天然現象の一つ(分解途中の枯れた植物とか、豪雨によって流される土石や火山灰とかが溶け込んでいるとか)と断定した。
   
   ニカラグア湖は、中南米では南米のチチカカ湖に次ぐ二番目の大きさ、とガイドは説明したが間違いだった。帰国後理科年表で確認したら、ベネズエラのマラカイボ湖(13,010平方Km)、ブラジルのパトス湖(10,146平方Km)、南米のチチカカ湖(8,372平方Km)に次いで4番目だった。過去にも度々体験したが、現地ガイドの説明の間違いは数え切れない。
   
   ニカラグア湖内の活火山島セプシオン(1,579m)は開聞岳に似た綺麗な円錐型。多少形が崩れてきた富士山よりも美しく感じた。頂上に雪が無いのが玉に瑕。
   
   観光客向けの小さな葉巻工房を見学した。中米ではニカラグアはキューバと並ぶ葉巻生産国だそうだ。中庭にはタバコの葉が干されていた。充填用の乾燥した葉をプレス成型(敷居に似た形をした型)した後、綺麗な葉を中葉として巻いて形を整え、最後に光沢のある外葉を手巻きして完成。

      

   入場料代わりに5本入りを1箱買い求め、タバコ飲みの弟や義弟に一本ずつお土産として郵送した。タバコを飲まない私には価格の妥当性は全く分からないままだ。

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コスタリカ

   

   コスタリカとはスペイン語で「豊かな(Rica)海岸(Costa)」の意味であり、クリストバル・コロン(コロンブス)がこの地に上陸した時に、遭遇したインディヘナが金細工の装飾品を身につけていたことからこの名前がついた。

   陸路でのコスタリカへの入国手続きは短時間で完了した。コスタリカはニカラグアとパナマに挟まれた国だ。
   
   コスタリカは常備軍としての軍隊を新憲法で廃止した。1983年11月17日に大統領は『永世非武装中立』を宣言した。軍隊を持つ永世中立国スイスとは対照的だ。国内の治安は警察官が維持。『剣をペンに代える』との国家の大方針のもと、教育費を国家予算の24~30%も継ぎこんだ結果、識字率は95%を突破。旧宗主国のスペインを上回るそうだ。
   
   中米和平の達成に尽力したコスタリカのアリアス大統領は、1987年のノーベル平和賞を受賞した。コスタリカ大統領に相応しい功績だ。それに引き換え、我が佐藤首相の平和賞は個人としてのノーベル賞ではなく、平和国家日本の代理受賞に過ぎない、と私は見なしている。
   
   コスタリカは海を含む地球表面積の0.034%の国土に全動植物種の5%が生息。恵まれた熱帯雨林・熱帯雲霧林を活かした自然保護政策の先進国だ。日立製作所のCMソング『この木なんの木、気になる木』(CMはハワイで撮影した)はコスタリカの国樹でもあるマメ科の『エル・グアナカステ』だとは知らなかった。
   
   夕方、リベリアに到着。ここでも欧州では見かけない超前衛的な形状をした大聖堂を見ながら、高原の湖畔に立つホテルに到着。熱帯とは言え日本の春並みの寒さには驚く。同行者から頂いた一杯の熱い『即席味噌汁』の美味しさが忘れられない。
   
[4] 1/22(木)

   1/21と1/22は連泊。1/22はフルに観光に使えた貴重な日だった。

① アレナル火山国立公園

   中米は日本同様火山地帯。あちこちに活火山があり、噴煙にも遭遇した。アレナル活火山はコスタリカでは最も活動が激しい火山だとか。桜島級か?

   国立公園内のカーニョ・ネグロ野生保護区に出かけ、熱帯雨林内のフリオ川をエンジン音も下げた小さな観光船でゆっくりと上下した。中米観光のハイライトの一つだ。野生動物の宝庫。観光客慣れしている野生動物は逃げもせずに安心して伸び伸びと自由に生きている。

   アフリカのサファリ(未体験。何れ出掛けたい)のような大型動物はいなかったが、樹林には猿や美しい鳥類、川には鰐や亀にイグアナ、水中からは魚が跳ね、空には美しい羽や嘴を持つ鳥が舞う。大規模動物園ほどではないが此処だけでも数え切れないほどの動物種に出会えて満足。経験からか人間を天敵とは思わず、至近距離で野生動物を観察できるところが素晴らしい。

      

   更に、熱帯雨林の樹木密度の高さにも改めて驚く。立錐の余地も無いほど大中小の植物が立体的にひしめき合っている。私は今でも4月中~下旬(今年は4/17の金曜日に実施。土日はライバルが殺到するので避ける)になると三河の山々に蕨取りに出かけているが、同じ自然林(大げさに言えば原生林。針葉樹の人工林では日光が地面まで届かないためか、蕨は何故か自生していない)であっても樹木密度は低く、自由に山中を駆け抜けられるのとは格が違う。

蛇足。

   野生動物の世界では、オスは原則として強く且つ美しい。一方人間界は長い間、メスがオスの気を引くべく美しく飾り立てていた。生活力の乏しいメスはオスの求愛をひたすら待ち続けていた。しかし、バブル崩壊後オスとメスの立場は逆転し、自然界の掟通りの正常な世界にやっと辿り着いた、と私は考え始めた。

   21世紀になって未婚高齢者が激増してきた。女性に生活力が付いた途端、交際中の男女が婚約に至るか否かの決定権は女性に移った。その昔から、経済力が女性芸能人のようにある場合、三行半の主導権は女性側にあったが、今では普通の男女間でも主導権は女性が握り始めた。

   私は適齢期の男性にいつも同じ提案をする癖が付いた。『三高=高学歴+高身長+高収入』さえ満たせば女性が殺到してくる筈だ、とのんびり構えていれば当てが外れるぞ。自然界のオスのように全力を挙げて男としての魅力を常に磨き続け、女性に積極的にアプローチしなければ一生涯結婚できないぞ。これは脅かしではないぞ。我が周りには三高には恵まれているのに女性の口説き方が下手な高齢者が、気の毒にも激増している。彼らにはコスタリカへの野生動物観察旅行を勧めたくなった。

   ② タバコン・リゾート温泉

   コスタリカでの第二の楽しみは、夕食が予約されているレストラン付属の露天温泉風呂だった。更衣室には立派なシャワー室もあった。バスタオルを受け取り、海水パンツと持参のサンダルを履き200mもある長い坂道を登ると、棚田のように配置された温泉プールに辿り着いた。

   一番上流のプールでは崖の上から飛び出した数メートル幅の庇から、温泉が滝のように流れ落ちていた。冷却を兼ねていると推定。温泉は下のプールへ流れ落ちるに連れて温度が下がる。ペルーのマチュピチュの露天温泉風呂と同じ工夫だったが、こちらのお湯の方が透明で綺麗だった。

   でも、温泉らしい硫黄の匂いやヌルヌル感もなく、温度も低くて不満だった。一番上流でも40度程度。今まで体験した欧州他海外の温泉は、何れも温度を下げた温泉に長時間入れるように維持管理されていた。私は43度前後の温泉に10分間、熱さを我慢して浸かりながら汗を噴出させ、その後にビールを飲むのが大好き。此処では珍しい体験をしただけだが、国際人の片割れとの自負心から1時間も粘った。

[5] 1/23(金)

③ サルチー

   アラスカのフェアバンクスから南米南端のフェゴ島まで全通しているパンアメリカン・ハイウエーで、標高1,000~1,200mの高原地帯をくねくねと曲がりながら、カレータの民芸品売りだけで生きているようなサルチーへと向った。

      

   昔、コーヒー豆の運搬に使われていた世界一大きい牛車『カレータ』の復元小型模型が展示されていた。ギネスに認定されたとの説明つきだった。その色のけばけばしさには些か驚く。

   お土産屋にはこのカレータの模型が山と積まれていた。ロシアのお土産屋での人形『マトリョーシカ』並の主役扱いだ。

① 首都サン・ホセ

      
   
   19世紀末にコーヒー豆に課した税金で建てたという1,060席もある、スカラ座のような国立劇場を見学。内部の装飾には宗教画はなく、コーヒー豆の収穫作業やバナナなどコスタリカの特徴を表現した絵がふんだんに描かれていた。床はコスタリカ産の代表的な木33種もの寄木細工。彼らのプライドから発した内装だ。
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パナマ

   

   国名の由来はインディオ(インディヘナ)のクエバ人の「魚が豊富」を意味する言葉から来ているとされている。

   夕方、パナマの首都パナマ・シティに飛行機で入国。発展途上国の常とは言うものの、首都の人口が膨脹した結果としての高層建築ラッシュに驚く。大阪在住の同行者に『大阪市とパナマではどちらに高層建築が多いと思いますか?』。即座に『パナマ』。

   但し、高層建築の主用途は日本とは異なると判断。パナマは断面積の小さなペンシル型鉄筋コンクリート製マンション。高級感は無い。一方日本の高層建築は断面積の大きな重量鉄骨型オフィスかホテル。敗戦後東京や大阪の都心で急増した鉄筋コンクリート製の中層建築物は、今や世界の何処に出しても恥ずかしくない豪華な高層建築に建て替えられつつある。

[6]1/24(土)

① パナマ運河

   パナマ運河クルーズも今回の旅のハイライトの一つ。パナマ運河に関する我が知識は、中学卒業後半世紀間以上も更新されずに今日に至っていた。

   太平洋と大西洋の海水面の高さが同じで、地峡部分を海面下の必要な深さまで経済的に掘り下げられ得たとしても、運河には両端に開閉扉『閘門=こうもん』が付いたドックが必要になるとは夢想すらしていなかった。スエズ運河とは異なり、太平洋側の潮汐差が大きく、ドックなしでは鳴門海峡並みの潮汐流が発生するからだ。
   
   パナマ運河の両端には夫々3段のドックがある。ヨットのような小さな船の場合は一度に数隻を通過させるが大型船の場合は一隻ずつ通過させている。一隻の船を通過させるには20万トンの水が必要となる。乾季に備えて人造のガトゥン湖に貯水しているが、乾季が長いため現在年間15,000隻の船が上限だ。

   異常気象による雨量不足や通過船舶数の増加に備え、1943年にはマデン・ダムを建設し予備の水も確保している。それでも将来水が足りなくなれば、最後の手段は海からの揚水だ。

   パナマ運河開通当初に比べ船舶の大型化が進み『パナマックス』という言葉が生まれた。パナマ運河を通過できる最大の船の別称だ。低価格の物資の大量輸送用超大型船(ブラジル⇒アジア、アジア⇒アメリカ東海岸)は南ア周りでもパナマックスに運行コスト面では勝てるが、今やパナマックスの大型化を目指してパナマ運河も拡張工事中だ。

   ************************インターネットから********************

   パナマックスは、基本的に運河の閘室の大きさに制限されている。各閘室は幅 33.53 メートル、長さ 320.0 メートル、深さ 25.9 メートルに作られており、実際に利用できる最大長は 304.8 メートルとなる。実際に利用できる水深に関しては閘室毎に違うが、一番浅いのはペドロ・ミゲル閘門の南側で、ミラ・フローレス湖が 16.61 メートルの時に 12.55 メートルである。また、船舶の高さについては、アメリカ橋によって制限されている。
   実際に通過が許可されている船舶の大きさの制限値は以下の通りである。全長:294.1m、全幅:32.3m、喫水(熱帯淡水において):12m、最大高57.91m。排水量65,000トンが典型的な大きさである。

   *****************************************************************

   パナマ運河のライバルは超大型船だけではない。コンテナ船と大陸横断鉄道との連携だ。米国の西海岸でコンテナを降ろして鉄道で東海岸まで輸送。40フィートの国際標準コンテナを200個*2段(合計400個)に積んだ貨物列車は全長2.5Kmにも達する。

   コンテナ船の場合、積載可能なコンテナ数は概算5,000個だそうだ。大陸横断鉄道に積み替えると10編成くらいか?

      
   
   我が背景には通り過ぎて行くコンテナ船。今回出会った大型船舶の殆どはコンテナ船だった。我が愛用の派手なシャツは36年前の海外初出張(米国)帰りに一泊したハワイで買ったが、日本では着る機会もなく記念に保存していた古着。マヤと並び称されるインカ帝国訪問時に買ったお気に入りの帽子を着用しての記念撮影。

   スエズ運河の開鑿で一躍有名になったレセップスが、パナマ運河の大事業で失敗したのはマラリヤ蚊の襲来だと中学時代の教科書に書いてあったが、原因のほんの一部に過ぎない。

   彼は一度も現地を訪ねず、机上で計画を立てたに過ぎない。現地現物主義に徹した綿密な計画を立てずに運河の開鑿を関係国に提案したのは、スエズ運河の成功体験を背にした驕りから来た失敗だ、と私には思えた。
   
      
   
   小さなヨットの場合、ドックへの水の出し入れで船が流されないように、ヨットの前後左右から伸ばした4本のロープをドックの岸側の黄色部にあるフックに結び付けて固定していた。

      

   ドッグの開閉は安全のため二重になった観音扉で実施していた。

② パナマ・シティ

   パナマ・シティでもパナマ運河博物館や大聖堂など記念碑扱いの建築物を見学したが、ありきたりの中身には失望。また、帰国後に中米各地で撮影した684枚の写真を眺めても、どの街角の風景も似たり寄ったり。残念ながら特別印象に残るものは少なかった。時間つぶしをさせられただけのような訪問地が多かった。

      

   発展途上国の手っ取り早い外貨獲得策は観光事業。パナマ・シティの高層建築が遠望できる海岸通りにはお土産屋・露天商やレストランがずらり。何か買って先住民のお役に立ちたいと思いつつも、気に入るものが見つからない。やっと発見したのが手に持っている袋の中にある皮製の帽子。注文を受けていた実弟へのプレゼントだ。

   熱帯で羨ましいといつも思うのは、長期間美しく咲き続ける木の花だ。我が家の近辺で人気が出てきたのは帝王ダリア(木)だが、葉の数に比べて花が少なく、草花に似すぎているだけではなく色も薄く見栄えがしないので食指が動かない。

[7] 1/25(日)

③ 移動

   3連泊の最終日だった。この日もあちこちを移動しながらの観光だった。錆び果てた展示品の大砲が残る要塞、植民地時代の交易路に残るカミノ・クルセスの廃墟。何れもスペイン人の残虐行為に絡んだスペイン人から見た勝利者の痕跡を讃えるかのような遺跡だ。

   パナマ運河用の小さな貯水ダムの見学ごときでは何の感動も感じなかった。私は生まれ故郷で辛酸を舐めさせられた先住民の苦しみが、当地を訪ねた外国人の胸に突き刺さるような敗者の遺跡をこそ整備して欲しい、と願わずにはおれなかった。

      
   
   パナマ運河の工事で不運にも永眠したフランス人の墓地が綺麗に維持管理されていた。日本でもダム建設などでは物故者の名前が書き込まれた慰霊碑が建てられているが、一人ずつの墓地が付随している場所は見たことが無い。ダム建設の費用に比べれば墓地の整備費など微々たる額なのに! 犠牲者への哀悼の表現には関係者の人命尊重の深さが正直に現れる。しかし、もっと多かった筈の先住民の墓地が無いことくらい腹立たしく感じるものはない。

   昔に遡るほど、人命は軽視されていた。クフ王のピラミッド建設では物故者は何千人もいるはずと私は推定しているが、その種の数値に出会ったことはない。古代の帝国には壮大な世界遺産があるが、どのガイドブックでも建設に動員された膨大な犠牲者数については触れてもいないのが不思議でならない。功名争いに参画して遺跡の発掘に今尚没頭している学者どもに注文したいところだ。 

      

   サン・フェリッペ教会には黒いイエスの彫刻が祀られていた。布教の手段とは言えあからさまな偽装には不快感が込み上げてきた。こんなキリスト像を拝まされ改宗させられた当時の先住民は心底から喜んでいたのだろうか?
   
[8] 1/26(月)

   パナマから早朝5:38発の飛行機でエルサルバドルの首都サンサルバドルへ。国際線で出発のときは小さな空港でも2時間前に空港へ行くのが世界中の常識らしい。朝食は弁当支給となった。日本のコンビニ弁当とは月とスッポン。不味さの余り、私には半分も食べられなかった。

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エルサルバドル

   

   漢字では救世主国(もしくは薩爾瓦多)と表記される。これは、エル・サルバドル(El Salvador)がスペイン語で「救世主」を表すためであると思われる。

   
① サンサルバドル

     

   午前中は高原の避暑地セロ・ベルデに出かけた。円錐状の形をした火山だけではなく摩周湖のような湖やボタ山のような火山も見たが、私にはもの珍しさを感じることも出来ず、退屈しただけ。

   中米は初訪問国だから何処に出かけても、私には見るものが全て初めてになるのは当然だが、地球上に類似の景色が無数にあるような場所に連れて行かれても感動するはずもない。観光対象はエジプトのピラミッドや南米のイグアスの滝のように当地にしかないユニークなものを厳選して欲しい、とまたもや不満を感じた。

   午後には国民宮殿・国民劇場・バルボア公園・マーケットなどを見学したが、近隣国の同種の対象物と大同小異。名前だけが立派な建物が多すぎて辟易。

[9] 1/27(火)

   この日も朝食は弁当支給。サンサルバドル8:45発の飛行機でベリーズ・シティへ。

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ベリーズ

   

   国名の由来はマヤ語で「泥水」を意味する言葉から来ているとされている。

   メキシコ以南の中南米はポルトガル語のブラジル以外は全てスペイン語圏と誤解していた。ベリーズは1981年に独立し、イギリス連邦にも加盟。公用語は英語だった。

① ベリーズ・シティ

      

   ベリーズを支配したイギリス人総督のかつての館。彼らは美しい景観に恵まれた海岸沿いにゆったりとした敷地を確保して南国の木を植え、芝を張り、チークよりも高価なマホガニー(現地産)をふんだんに使って今でも超豪邸に見える家を1814年に建て、人生を謳歌した。一方、先住民は今尚みすぼらしい埴生の宿で我慢し・・・。

      

   発展途上国で、商品が溢れるばかりに積み上げられた青果売り場を見るたびにほっとする。食糧危機とは無縁と感じるからだ。不ぞろいの品物だが大きくて新鮮。近郊で収穫された証拠だ。でも食べると失望するのも常。糖度は低く繊維も多く美味しくない。

   日本の工業製品の品質の高さは今や国際的にも認知されているが、農産物も工業製品と連動しているかのように品質の高さ(色艶形が揃っていることと食感の良さ)は世界一だ。しかし、残念なことには価格が高い。私が大好きなデパ地下に行けば一目瞭然。

   敗戦直後の農村の基幹労働者は1,500万人。今や300万人を切った。その2/3は65歳以上の高齢者だ。平成時代が終わるころ(遅くとも15年以内と不謹慎にも推定)には遂に100万人を切ると私は予想している。そのころになると農地も下落して大規模農家や農業法人が育ち、機械化が更に進み、農業部門の国際競争力も格段に高まると推定。今しばらくの我慢だ。

② スウィング(回転)橋

   船が通る川に架ける橋はアイデァ競争の場だ。此処の橋は回転タイプ。川の中央に回転軸があり、橋を川の流れに平行になるよう竹とんぼのように90度回転させて船を通すタイプ。

   ロンドンのタワー・ブリッジは主要部分が開閉するタイプ。同様に勝鬨橋も橋の中央部が開閉するタイプ。アムステルダムには言葉で説明するのが面倒な構造の橋があった。動力源も人力からモータまでいろいろ・・・。

[10] 1/28(水)

      

   警察署前の小さな広場には真っ赤(塗料が剥げかかっているのが玉に瑕)なモニュメントがあった。中米では過去の伝統に縛られる要素が少ないためか、教会のデザインにも自由奔放で奇抜な印象を受けるタイプが散見された・・・。
   
   ******************蛇足****************
   
   この写真から我が人相を客観的に観察する限り、これでも本物のがん患者なのだろうか、とふと疑問に思えてきた。
   
   帰国後の2/20に愛知県がんセンターで内視鏡部医長の河合主治医(日本内科学会指導医、認定内科専門医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本肝臓学会専門医、日本食道学会会員、日本超音波学会会員、日本癌治療学会会員、日本臨床腫瘍学会会員、がん薬物療法専門医)による食道がんと (食道がんからの転移を警戒している) 肺がんの精密検査(血液・CT⇒造影剤⇒CT・内視鏡⇒ルゴール染色⇒写真88枚)を受けた。
   
   3/2に同医師から『疑わしいところもあるが、がんと断定するほどの証拠には至らない。引き続き5/29,9/4に同じ検査をします』との告知。同センターにはCTは複数台あるのに患者が多すぎて半年先まで予約で一杯。私は半年先には死んでいるかも知れないのに早め、早めに予約せざるを得ない。
   
   同医師から全検査資料とカルテのコピーを受け取り、2年前に陽子線照射治療を受けた兵庫県立粒子線医療センターの経過観察室に宅配便で届けた。後日、村上医療部長から受け取った所見も河合主治医と同じだった。この時に至ってやっとだが、ほっと一息つけた。念には念を入れてセカンドオピニオンも聴かないと安心できないのだ。
   
   私がセカンドオピニオンを村上部長に聴くことは河合主治医も承知されているためか、検査も心なしか真剣。写真の枚数が膨大なので毎回CDにコピーされたものを受け取っている。我がパソコンにも書き込み、私も一枚ずつ凝視している。村上医師は毎回の写真の中から典型的なものを何枚か選び、経年変化が分かるように並べた写真集と診断書で報告される丁寧さだ。心から感謝。
   
   兵庫県立粒子線医療センターは菱川院長の方針で、退院患者に紹介元の病院で受けたその後の検査資料を提出させ、無料で経過をフォローしていただけるようになっている。このセンターは設備容量の限界から受け入れ年間患者数は数百名。退院後に万一異常が発見されれば爾後の治療について、紹介元の主治医と相談する態勢が整っている。これらのきめ細かい無料サービスにはいつも感謝している。
   
   

   どこの国に出かけても子供の表情は明るい。日本の子供達の暗い表情とは対照的だ。この子供達の人生に幸せが来ることを、悲惨な植民地の遺跡を見せ付けられると一層強く心から望まずにはおれなくなった。

③ マヤ遺跡(シュナントゥニッチ)

   午後、待望久しかったマヤ遺跡の一つ、シュナントゥニッチ遺跡見学へと出かけた。途中モパン川を小さな渡し舟で渡った。

      

   マイクロバスでも乗用車でも一度に一台しか積めない。船の動力源は人力。両岸から張ったロープが船に取り付けられた滑車に掛けられている。滑車を人力で回転させると船が移動する。所要時間は片道1分。このために男子一人分の仕事が確保されていた。船頭に代わって私も滑車を回すハンドルを回転させたら、意外に軽く回り拍子抜け。滑車の半径よりもハンドルの半径が大きく、梃子のような増力装置になっていたのだ。
   
   狭い登山道を1Km程度移動したら広場があった。その周りに無数のマヤ遺跡が現れた。周囲の密林の中には未発掘の遺跡が無数にあると言われているそうだ。

      
   
   典型的な遺跡の前で記念撮影。近くには高さ44mもの神殿もあった。放置すればたちまち原野に戻る熱帯でありながら遺跡の周りの芝生は美しく刈り込まれ、此処まで遥遥やってきた甲斐があった。
   
   陸路伝いにベリーズからグアテマラへ入国し、フローレンスに到着。長さ47Kmもあるグアテマラ第3位のペテン・イツァ湖の湖畔のリゾートホテルに到着。屋根も無い湖畔の曲がりくねった高床式渡り廊下で繋がった、大樹に隠すようにして建てられた数箇所の小屋に分散しての宿泊。

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グアテマラ

   

   国名の由来として現在の有力な説(マヤ言語アカデミー)は、ナワトゥル語で「森林の大地」を意味する「グアテマヤン」という先住民語が変化して「グアテマラ」になったというものである。

   
[11] 1/29(木)

① フローレンス

   マヤ最大の遺跡群はグアテマラ北部の密林に埋もれている『ティカル』の遺跡だそうだ。高さ70mのピラミッド型の神殿を初め遺跡数は数え切れない。補修中の神殿も多い。幾つかの神殿にも登った。高さ数十メートルの神殿の頂点から周囲の密林を眺めると、ティカルのかつての繁栄振りがひしひしと伝わってきた。

      

   流石に熱帯雨林だと驚嘆したのは、木の枝に毛皮を巻いたかのようにびっしりと寄生している苔を見たときだ。これほどに苔が密生している木は屋久島でも珍しい。

      

   密林内を移動していたら無数の葉切り蟻の行列に遭遇。葉切り蟻はテレビで見たことはあったが現物は初めて。蟻が自分よりも大きな葉を一所懸命に運搬している姿を見ると、愛おしくなり、一匹でも踏み殺さないようにと注意しながら移動した。

   人には大型動物ほど殺すことに抵抗感が発生するようだ。蟻や昆虫を殺すのには罪悪感は乏しく、北海道の森林に被害を与えている蝦夷鹿クラスの大きさになると勝手には殺せない。海では鰯の子供のシラスは無尽蔵に収穫しては殺し、クジラの場合は調査捕鯨でも国際的に大騒ぎをしている。

   遺伝子レベルでの進化の度合いは個体の大きさだけではどちらが上か下かも分からないのに、小さな動物ほど無視する動機は何に由来するのであろうか? このことは植物の場合でも同じだ。巨木は大切に守り始めたのに、若木や苗木の取り扱いは大変乱暴だ。

[12] 1/30(金)

   ホテルの庭の池には巨大な実がなっている果物があった。従業員に1ドルのチップを渡し1個取って貰った。

      

   この実は美味しいかと質問したらある従業員は『甘い』と答え、別の従業員は『不味い。庭に植えた目的は単なる飾り』と答えた。やや青かったのでそのまま下着に包み、税関では申告せずに持ち帰った。

   帰国後一週間でドリアンのように自然に硬い外側の果皮が割れ、大きな栗のような実が沢山詰まっていた。大喜びで試食したら渋くて食用にはならないと判明し、がっかり!!
   
   グアテマラ最大のイサバル湖(590平方Km)や広大なバナナのプランテーションを車窓に眺めつつキリグア遺跡へと向った。

② キリグア遺跡

   キリグア遺跡(世界遺産)には無数のステラ(石碑)が集められた公園があった。どのステラも4本柱で支えられた草葺の屋根で保護されていた。先住民の家屋の再現を兼ねている。大きなステラは数十トンもあるそうだが、エジプトのオベリスクやイースター島のモアイの石像同様、古代人の重量物の運搬技術には驚愕するばかりだ。

   マヤでは砂岩の大型石柱に絵文字で王様の業績を表現。亀のようなずんぐりむっくりの大きな石にも珍しいデザインの絵文字や王様の姿が彫られていたが、ガイドの説明抜きではその意味を解読できそうも無かった。

      

   当地のガイドは鳥の羽が先端についた指し棒を使って説明した。若いガイドに『あの鳥の羽は単なる飾りですか? それとも石碑を指し示した時に砂岩を傷つけないためですか』と質問。『分かりません。私は指し棒を支給されただけです。ガイドになって初めて受けた質問です』

      

   途中で出会った別のグループの中年ガイドに同じ質問をした。『石碑の保護が目的です。ガイドは美しい鳥の羽を競って取り付けるようになりました』

   この公園の近くには大型の石積みの神殿など、無数の石造遺跡が発掘整備されていた。日本にはこれほどの石造遺跡がないのは残念至極。

③ マヤ文明

   マヤの神話では人間はとうもろこしから創られたことになっているためか、とうもろこしから王家の先祖が誕生したとの神話を表した石造遺跡もあちこちにあった。

   夕方、陸路でグアテマラからホンジュラスに入国。コパンに到着。

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ホンジュラス

   

   国名の由来は、クリストファー・コロンブスがこの地に上陸しようとして船の碇を降ろしたが海底まで届かなかったため、この地を【hondura】(スペイン語で「深さ」、「深み」を意味する名詞)と名付けたことによるとされる。

   
[13] 1/31(土)

① コパン

      

   コパンにも無数の石造神殿が残されていた。ローマ帝国内の各拠点都市に円形劇場・神殿・大浴場・広場・市場など一連の巨大なインフラが残されているように、マヤ遺跡と呼称されている各古代都市にも大局的に見れば同じ形式の石造遺跡群が残されている。これらの遺跡群の類似性から、たとい敵対国であっても相互に密接な情報や物資の交流が発生していた何よりの証拠だと思わざるを得ない。

      

   背後の王様が表している内容はすっかり忘れてしまった。討ち取った敵国の王様の頭部だったか??

      

   マヤ遺跡の典型例が考古学博物館内に模型で展示されていた。屋外では遺跡が大きすぎて一枚の写真に収めることは出来なかった。

   
当日午後、ホンジュラスから陸路グアテマラへ再入国。

      

   アンティグアへの移動中、対向車線には途切れることも無く延々と二輪車の列が続いていた。ホンジュラスとの国境の町エスキプラスの教会に祀られている黒いイエス像への参拝者だった。1/15から月末までにお参りして祝福を受けると交通安全のご利益(りやく)があるとか。この日は何と最終日だった。数万台もの二輪車が駆け込んだそうだ。

   400年も経つと黒いイエス像もそれなりに信仰の対象に格上げされたのか、交通安全祈願で超有名な成田山新勝寺も顔負けだ。私には全く関心の無い世界だが、人心にはいずこの世界の人にも共通するものがあるようだと苦笑。

② アンティグア その1

   当地での連泊ホテルの部屋には立派な暖炉があった。初体験だ。

      

   暖炉の中には一組の薪と割り箸大の火付け用の木材の束が用意されてあった。暖炉に火をつけたい人はフロントに申し出るようにとの添乗員の説明があった。私は暖炉の雰囲気を味わうべく早速所望した。
   
   用意してあったマッチ1本の炎だけで簡単に火付け材に火が点いたのには大変驚いた。火付け材に灯油などが浸み込ませてある様子はなかった。燃焼時に油の臭いはしなかった。松の根のように油分が含まれている素材と推定した。
   
   ウィスキーの水割りを楽しみながら、早速その贅沢な雰囲気を味わった。話し相手もいなかったのが残念だった。準備されていた薪は約1時間で燃え尽きた。翌日も薪の用意がしてあった。前日のホテルマンの火付けを真似て一人で実施した。意外に簡単だった。でも部屋が広すぎ、この程度の暖炉では室温は殆ど上昇しなかった。燃焼エネルギーの殆どは煙突へと放出された結果だろうか。

[14] 2/1(日)

③ マヤ・キチエ高原

      

   標高1,562mのカルデラ湖の周りには3,535mのアティトラン山など3,000m級の外輪山が聳え景観はそれなりに美しかった。でも、当高原へ来た主目的は日曜日に開かれる露天市の見学だった。

      

   カルデラ湖の湖畔通りにも無数のお土産物屋があった。著名な観光地の主役は先住民。民芸品や各種バッグ、衣料品が溢れているものの、既に過去の海外旅行で類似品を買い込みすぎ、我が家では在庫過剰。残念ながら眺めるだけ。

      

   ガイドブック上では超有名な露天市会場はすれ違うのも困難なほどの人混みだった。露天市は大通りを日曜天国にして開かれていた。

      

   大通りに面した建物群は常設の5万平米はありそうな超大型のバザールだった。日用品店・食料品店・レストランなど、観光客よりも地域住民のためのバザールだ。よほど注意深く歩かないと迷子になるのは必然。露天市が開かれない日も開店しており、何時来ても面白い場所だったのだ。

   松坂屋豊田店の閑散とした売り場との落差に驚く。でも意外に少ないのは酒屋。ビールを買い求めて右往左往した。所得比で見れば高価になる酒は購入者が少ない証拠か?

[15] 2/2(月)

④ アンティグア その2

   アンティグアは230年間続いたグアテマラの最初の首都。1773年の大地震で壊滅的な被害を受け、首都はグアテマラ・シティへ遷都。

   倒壊した教会などが観光資源として残されていた。古ければ何でも観光資源にするようだ。

      

   アグア火山が遠望できる市街地には平屋建ての民家がひっそり。南欧を連想させるペンキ塗りの壁から往時の繁栄振りが偲ばれる。

      

   倒壊した建物が空しく残されていた。旅も終わりに近づくと疲れも溜まり、我が肉体も壊れた建物のように、そこに存在しているだけと思えてならなかった。

   午後、出発空港のあるグアテマラ・シティにバスで移動し、発掘中のカミナル・フュ遺跡を訪ねた。未整理状態の遺跡ほど見ていてつまらないものは無い。他にもマヤ遺跡は山ほどあるので、旅の時間調整に観光客を未整理状態の遺跡へと連れまわす程の価値は無い。

   
      

   数日間、案内してくれたガイドのマックスさん親子。空港へ向う途中の、市街地を見下ろす公園に奥様が一人息子を連れてガイドを迎えに来ていた。

   マックスさんはいつも私にはソニーのお父さんと呼びかけてくれた。ガイドに取ってハイテク日本の象徴はソニー。高価なトヨタ車には残念ながら未だ親しみが薄いのか、いつの間にか我が元勤務先はトヨタからソニーへと記憶が変化していたのだ。

   若きガイド一家がますます幸せになることを願いながら別れを惜しんだ。

   20:20にグアテマラ発⇒23:30ロスアンゼルス着。空港近くの往きと同じホテルで一休み。荷物の整理をした後は短時間の睡眠。

[16] 2/3(火)・2/4(水)

   ロス空港内では警備員がセグウェイ(電動立ち乗り二輪車)を乗り回して巡回中だった。いつの間にか実用化されていたのだ。日本では中部国際空港内で見学者を対象に簡単な講習後、乗らせているそうだ。安定性も意外にあり、狭い通路に沿ってきびきびと動いていた。

   出発時には17Kgだった鞄が帰国時には30.4Kgになっていた。チェックイン・カウンターの女性に『重量の上限は23Kgです。追加料金が掛かります』といわれた。私は『では、超過分は機内持ち込みの鞄に移します。でも、貴女は物理学をご存じないようですね。質量保存則です。荷物の分配を変えても総質量は変わりませんよ』と主張。『次回からご協力下さい』との発言で無事通過。

   10:25ロス発⇒2/4,10時半、無事に成田着。

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おわりに

[1] 総括


   今回の旅では、私にはどうでも良い所にも連れ回されたが、我が期待は十分に満たされた。

① マヤ人への畏敬

   今回の旅の最も大きな目的は、日本人と同じルーツを持つモンゴロイドであるマヤ人の残した膨大な遺跡の拝観にあった。日本人は旧大陸の最果ての極東に住みながらも、その発展には地の利を十分に生かせた。古代中国からだけではなく、正倉院の宝物から推定する限りペルシアを初めとしたアジア大陸各地からも先進情報を入手しつつ、少しずつとは言え自己努力も加えながら前進できた。

   しかし、旧大陸から隔絶したいわば辺境のジャングルに住み着きながらも、同じルーツを持つモンゴロイドのマヤ人が後世の人達(私も)が全身から感動するような文明を築いていたと現地現物で確認すると、改めて畏敬の念を抑えることが出来ず、先祖に出会ったかのような幸せと心の安らぎを感じた。参考資料を読んだだけでは起こり難い、現地に来てこそ味わえる醍醐味だ。

② コスタリカへの畏敬
 
   私にはジャングルの探検は未経験同然だ。イグアスの滝とか東南アジア各国の都市周辺の森に出かけた程度だ。砂漠化しつつある西アフリカでは緑に包まれたジャングルの雰囲気は味わえずのままだし・・・。

   今回たった一日だったが、しかもコスタリカ政府により管理されたアレナル火山国立公園内とはいえ、原生林の中を流れるフリオ川(目障りな人工の堤防が無い!)クルーズで、大自然の魅力にすっかり取り付かれてしまった。
『大自然の天敵は人間だ』とこんなに明白に自覚できた体験は初めてだ。

   伸び伸びと自由気ままに他の動物たちと自然の中で共存しながら生きている野生動物にも出会いながら、ストレスが小さくなる自然の素晴らしさを体感すると、これまた感動を抑えることは出来なかった。こんなにも素晴らしい体験が出来たのはいつに掛かって、コスタリカ政府の徹底した自然環境保護政策のお陰だ。

③ パナマ運河建設への畏敬

   人類の英知の産物であるパナマ運河の全貌を現地現物で確認した結果、改めてその建設構想の雄大さに驚いた。100年前でも米国の国力は欧州各国を既に凌駕していたのだ。ガトゥン湖は天然湖かと思っていたら、ドックへの膨大な水の供給源と航路を兼ねた人造湖だったのだ。地形的な制約から黒部ダムのような深いダム湖には出来ない。その結果面積が大きくならざるを得ないとはいうものの、何と琵琶湖(670平方Km)の約2/3もあるスケールにはこれまた改めて驚愕した。

   インターネットから。

   ガトゥン湖はパナマ中部のパナマ地峡部にある人造湖。水門式のパナマ運河を建設するために、チャグレス川をガトゥン・ダム(高さ35m)でせき止めて建設された。面積418平方Km。湖面の標高26m。湖内に航路が設定されてパナマ運河の一部をなす。運河はガトゥン・ダムとは別に水門で太平洋・大西洋に通じている。湖底には旧パナマ運河鉄道や多くの旧集落が水没している。

 
[2] 今後の計画

① 日本人が見たい世界遺産

   NHKが『あなたの見たい世界遺産』として、2008年に半年も掛けて2万人余りから集めたアンケート調査のベストテンは、
マチュピチュ・モンサンミッシェル・イグアスの滝・九寨溝・ピラミッド・アンコールワット・グランドキャニオン・ナスカの地上絵・タージマハル・ベネツェアの順になったそうだ。九寨溝以外は世界広しと雖も、何れも他に類を見ない貴重な存在だ。

   我が体験から発生した偏見では、九寨溝に類する景観は世界のあちこちにある石灰岩地帯に存在している。今更見に出かけたいとも思わない。これほどまでに人気が高まって来たのは、九寨溝への観光が中国政府から解放されて日が浅く、テレビを初めとしたマスコミが頻繁に報道した影響ではないかと思っている。

   ベストテンの中で我が未訪問地は九寨溝とアンコールワットだけだが、近距離にあるカンボジアのアンコールワットは後回しだ。元気な内にはもっと遠距離に出かけたい。

② 我が予定
  
   2年前の初夏に申し込んでいたトラベル世界社の『南部アフリカ8ヶ国周遊』は、無念にも食道がんの2ヶ月にも及んだ入院治療(陽子線照射)と重なり諦めた。ところが当周遊旅行は同社の今年度の計画リストからは削除されていた。同社に問い合わせると『大不況の影響か、参加希望者が最少催行人数に達する見込みが無いので募集は止めました。その代わりに南部アフリカ5ヶ国周遊を計画しました』。

   でも、この内容でも満足だ。どうしても見たかったヴィクトリアの滝・世界最古のナミビアの赤い沙漠・ボツワナのチョベ国立公園でのサファリが含まれていたからだ。多くの参加者に魅力のあるケープタウンも含まれているが、私は既に訪問済みなので単なるおまけに過ぎない。

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読後感

旅行記 中米7ヶ国拝読しました。今週少しバタバタし本日ようやく目を通すことができました。

まずはプリントし43Pの大作にびっくりです。小生はこの地については「パナマ運河」しか浮かびませんでしたが、一言でいえば「貴兄の憎らしき程の文学的・知識の豊かさ、そしてエネルギーの塊をあらためて感じました。

小生が個別に強く印象に残った点は下記の点です

① コスタリカのGNPがトップの理由が日本の姿に似ている。
② 石造遺跡の表面の色の解説は貴殿の理工系故?それとも貴兄にとっては常識でしょうか?
③ 「ホットビール」にはぞっとしましたが、冷やしてこそがビールという固定観念は変えたくないのですが、貴兄の記述で一度は賞味したい??
④ ロスでの観光でアメリカの低落ぶりという感想に納得。
⑤ パナマ運河のドッグの必要性「パナマックス」の言葉の解説 
⑥ 最終ガイドのマックス氏から石松様がソニーのお父さんへ・・・・。写真からマックス家族の言葉が聞こえてきそうです。

次回のアフリカも大いに期待しています。

(お願い)

前回もお願いしましたが、空売り・50インチ・20インチ・85ヶ国。これでは「細々と生きている年金生活者」を変えてください。

案  あきらめを知らない   夢も希望もある  病に負けない  前しか見ない  すべて前向きな ・・・・・・・採用いただけなければまた考えます。是非ご変更を。    

なお、小生経済学部ゼミの深町郁哉元経済学部長(81歳)が昨年叙勲の由。5月2日東京での祝賀会に久しぶりに上京します。貴兄のこと向井様の新刊書と併せて各位へも是非伝えておきます。

① 大学後輩・経・ふとした機会からメール交換を開始した未だお会いした事も無い方⇒褒め殺しの達人

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旅行記「中米七カ国」を拝見いたしました。我々と同じルーツをもつマヤ人の遺跡拝観を果たされ、彼らの築いた文明の跡を確認されて大きな感動を受けられたようで真に結構でした。煙突産業とは無縁なコスタリカの大自然に触れ、「大自然の天敵は人間だ」と体感されたというのも現地に行ってこそ言い切れる実感でしょう。

パナマ運河クルーズとは素晴らしい体験をされたものです。その運河に潮汐流を防ぐ為の開閉扉があるとは聞いていましたが、それは太平洋から北西に向けて掘削されたもので、その先の大西洋との間に巨大な人工のガトゥン湖を擁しているのだとは想像もしていませんでした。人生“勝ち組”である皆さん方でなくてはその目で確かめ得ないことです。

現地人ガイドが、「全てのスペイン人が悪人だったわけではありません」と残虐な征服によって植民地化した旧宗主国に比較的寛大な思いを抱いているとは意外でした。メキシコから南米にかけての各国では混血が進み、純粋白人から現地人や黒人に向けて“綺麗”にグラジュエーションされた人々がいるとも聞きます。そんな人々は、容貌や肌の色が違う旧征服者に対して我々には分からないある感情をもっているのでしょうか?。

彼らに、“文明を伝えてやった蛮夷の隣国”から植民地にされた半島人が持つほどの深い怨恨は無いようですね。産業構造が崩壊するほど手酷く搾取された筈のインド人の中には、アメリカ合衆国へ行って「俺達は歴史あるイギリス連邦の住民だ」と誇る人が居るそうで、歴史を踏まえた民族感情には理解し難い一面があるようです。

戦争に敗れたとはいえ、アメリカ合衆国に軍事基地を置かれたままでも平気な日本人は人類史上に稀な民族なのかも知れません。

② トヨタ先輩・工・入社後ほどなく依願退職されて帰郷・再就職された会社で大成功!・いつも貴重な読後感を賜る偉人

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中米関係の参考書には恵まれなかったようだが、朝倉書店から中米地理の専門書を出した田辺氏は有名地理学者(東北大名誉教授?)。まだ読んでいないが。

本年
2月のJICA中米経済調査団の提案書作りでは、私はもう少しハイレベルの資料をインターネットでかき集めた。金融担当のメンバーが揃わず、幹事会社の団長(熊本済々黌高校⇒東京外語⇒メキシコ、イギリス留学の才女)が応募断念。

 

パナマとベリーズは実質都市国家だろう。グアテマラの事情はよく知らない。パナマは完全にドル経済。中央銀行もないのではないか?バルボア通貨があるがドルとの交換比率は1対1。

 

回廊式歩道は日本でも雪国には多い。後進国で日本の株価を追跡するのは大変だ。私は携帯パソコンは旅行には必ず持参している。ホテルのLANまたは電話(IPASS国際転送サービス)を使用。現地携帯電話も使っているが、今のところ電話だけに使用している。

 

日本のデパートの閑散ぶりにはびっくり、先日柏の「そごう」に行ってびっくりした。店員しかいない。「そごう」は債務の98%を踏み倒して再建したが、またつぶれるのではないか?

 

常温ビールに慣れたのはご同慶。ビールの製造工程は単純ではない。発酵工程はむずかしい。コーラとは違う。

 

「外国レストランで間違いないのは調理技術に依存しないステーキだ」といった友人がいるが、それは先進国での話。後進国の草食牛肉はだめ。

 

風呂の形には同感。日本人ほど改良やマネに熱心な民族はいない。外国では不便でもそのまま。進歩なし。

 

石松氏の旅行チームは勝ち組集団と思っていたら、そうでもないらしい。これは意外だった。

 

ロス空港の近くはいい住宅地ではない。でもロスの高級住宅地に行けばプールは大体ある。飛行機から見た。貧乏になっても自宅プールは埋め立てないだろう。まだあるはずだ。米国没落を騒いでいる日本人は最近多いが、私も最近は米国に行っていないので本当のところは分らない。

しかし米国は製造業が駄目でも金融業が駄目でも生きて行ける。広い国土で資源が多い。自動車産業は米国では
30年前でも斜陽産業だった。1ドル=60円と騒いでいる日本人経済評論家がいるがそれは間違い。危ないのは輸出半減の日本だ。

 

ブラジルのパトス湖はラグーン。サロマ湖のようなもの。マラカイボ湖も海と繋がっている。純粋な湖ではチチカカ湖の次といえる。それにガイドにとって南米は遥か遠い世界。彼の宇宙の外だ。

 

コスタリカは白人国と理解している。だから製造業も定着し、経済レベルも高い。

 

男女関係の変化については同感。でも女性も両極分解。大部分の女性は依然勝ち馬男性に乗った方が幸せ。最近50代の未婚男性がうようよ。結婚するエネルギーもない。女性をミスとミセスに分けるが、欧米では男も未婚、離別、死別に三区分。離婚しても未婚に戻る訳ではない。

 

パナマの事情は数か月滞在したので良く分る。運河クルーズもした。運河並行鉄道にも乗った(11往復運転。白人居住環境の悪いコロンへの通勤用)。パナマ運河の第三チャンネルは工事がスタートしたらしい。運河のライバルは米国の大陸横断鉄道。延長4キロの貨物列車もあり、日本の狭軌鉄道の比ではない。

 

レセップスは現地に行かなかったとは知らなかった。欧米ではよくある話。逆に現場人間だけでホワイトカラーのいないのが日本。

 

何もない所では日本でも、後進国でもすぐに「観光、観光」と騒ぐが、観光は景色だけではだめだ。パナマ観光地の問題点は、接客態度の悪さ、ぶったくり精神だ。運河関係者の給与水準が高いので全国民が運河並の収入を要求、生産性ゼロ、外資は撤退。欧州から輸入の社会主義思想が蔓延している。更に米国も社会主義化だからもう地球は終わりだ。


しかしパナマでも民芸品の販売は組織化していた。奥地の未開部落から小型飛行機で観光地へ往復。民族衣装は観光地に着いてから着用。全体をボスが統率。

 

日本のコンビニ弁当を外国で作れば2,000円になるという人がいた。日本人は幸せだ。

石松氏が中米の何処の景色も同じで平凡に見えるとは変だ。女はみな同じで平凡だというのと同じ論理。

 

工業力や品質管理技術が発達しないと農産物はだめ。農業は先進国型産業だ(肥料、農薬、農業機械、物流組織など)。後進国の果物は渋かったり、酸っぱかったり。

 

日本の高齢農業人口はいずれ死ぬだろう。でも農地価格が下落するかどうかは疑問。土地利用規制が甘い限り、土地価格は下落しない。土地権利関係の調整も大変だから、零細農業は続く、耕作放棄地も増える。ややこしい農地集約化よりも輸入の方が安上がり。

 

子供の表情は後進国の方が明るい。表情は経済成長率(名目)に関係していると推定。日本の名目経済成長率は久しくマイナス。子供の表情が暗くなって当たり前。明るかったら馬鹿。要するに絶対値でなく変化率だ。

 

敗者の遺跡がないということだが、遺跡を残せないのが敗者。


マヤとアステカの区別も付かなかったが、今回はマヤ遺跡の地名には大分詳しくなった。いつかは行きたい。

 

③ トヨタ同期・工・一年で依願退社⇒東大経済学部学士入学⇒民間会社⇒防衛庁(キャリア)⇒米国大学院留学(4大学も)⇒国連⇒帰国後大学教授遍歴(5大学も)⇒各種海外調査団でアルバイト。奥様は北京美人。数奇な人生を享受中!

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   膨大な量の中米旅行記を拝読いたしました。いつもながら石松さんの博覧強記に恐れ入りました。私は北米(USA、カナダ、メキシコ)しか訪れたことがなく、すべてが新鮮でした。初めて知ることも多く、大変刺激を受けました。是非行ってみたいとは思います。以下、私の読後感です。

①マヤ文化の高さ、それを支えた人たちが我々と同じルーツのモンゴロイド。石松さんがマヤ遺跡でほっとされたというのもそれによるかもしれません。大した武器もないマヤなど先住民をスペインがごく僅かの武装兵で滅ぼしてしまい、今も征服者の銅像だけがあちこちにあること。もっとも、日本も北海道にいたアイヌの人たちに行ったことと同じと思います。

②パナマ運河を支えるのに莫大な量の水が必要で、限界に到達しつつあること、太平洋と大西洋に潮汐の差があることなど、初めて知りました。

③コスタリカが常設軍隊を持たないということを初めて知りました。他国へ派遣されたこともある武装警察がかなり強力とのことですが、コスタリカにならい常備軍を持たない国が増えているとのこと。また、中米の紛争解決の仲介をするなど、国としてしっかりした指針を持っていることは素晴らしいと思います。

④風呂については日本が特殊で、中米だけでなくどこへいっても似たようなもの。もちろん高価なホテルではそれなりのレベルの風呂になりますが、日本のように洗い場があるところはまずありません。私がアメリカで家を作った時にはシャワールームにガラス戸を付け、蛇口を低く設定し、日本の風呂の洗い場に近いものを作りました。私の家を買ったアメリカ人は「蛇口がなぜこんなに低いのか」わからず、もう改造しているのではないでしょうか。

⑤農産物の形、色が揃ったものを売るのも日本独特ではないでしょうか。形、色にこだわり、昔ながらの野菜本来の味がスポイルされてきています。私は近所の土曜朝市で形の不ぞろいの野菜を好んで買っています。

⑥ロス空港周辺がアメリカの没落を象徴しているとのことですが、今回ダメージを受けているのは発信元の金融と、自動車産業など、限られていると思います。アメリカは大変懐が深く、農業を主にする地域では「100年に一度の大恐慌」というイメージは感じられないと聞きました。

   行ってみたいのは山々なれど、先立つものはお金。石松さんのように「金融工学」
(大きな誤解。私は単なるミニ博打打)を駆使して十分なゆとりがあるわけではなく、逆に日本のバブル崩壊、直近のアメリカ発の金融問題で打撃を受けた私には高根の花です。「たくましく生きる」(細々と生きている年金生活者の誤植)石松さんの次の海外旅行記をまた読ませて頂こうと思います。次を期待しています。

   サファリに行かれたいとの記述がありました。私の高校の同期生で「内山晟」という動物写真家がおり、年数回サファリツアーをやっています。ご興味あれば一度彼のHPを見て下さい。www.c-channel.com から見られますが、なぜか今日は接続できませんでした。

      前半のまとめの「都市名」で、「アメリカにはワシントン州が二つある」とされていますが、ワシントンDCは州ではありません。憲法第一条できわめて特殊な地区として規定されているそうです。すなわち首都を各州から独立した「特別区」としここの最高権力が連邦議会です。下院に代表は送れますが、議決権なし、上院には代表も送れません。それでも連邦に税金をしっかりとられているので、「代表なくして納税なし」という運動が今も行われているそうです。

④ トヨタ後輩・工・テニス仲間・元米国駐在員・米国の住宅バブルの真っ最中に持ち家を売った住宅長者・経営&技術コンサルタントとして大活躍中の方

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旅行記「中米7カ国」を拝読しました。

すべてが初耳で興味深く勉強になりました。中でも私は「パナマ運河」に感銘を受けました。1500年代に発案されたと聞きますが、幾多の苦難を乗り越えほぼ400年後に完成させたとか。

また、スペイン、フランス、アメリカ、パナマの利害が絡む地球規模の大プロジェクトを良くぞ纏め上げたと敬服します。それに引き換え、現代では国際間の問題は小さなことでも手こずっているのは人間の何が退化したのでしょうか?

誤字誤読のご指摘、耳が痛く、「清・少納言」も今の今まで知りませんでした。(清少納言は歌人・清原元輔の娘、よって「清」は清原の姓、「少納言」は当時の近親者の官名による女房名の由。三省堂発行・枕草子から。)

⑤ トヨタ先輩・工・ゴルフ&テニス仲間⇒各大学の公開講座を受け続けている勉強家⇒人生の全てに亘って、余生の生き方の模範となる健康老人

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石松さんの旅行記で何時も感心するのは、前段の調査、準備とその記述でしょう。感想はおこがましいのですが、ご要望に応じて。

1.トピックス

   特に、旅費、黒いキリスト、人文地理、季節、土地、インフラ、そして飲食ー熱燗は興味。ドイツではビール冬季に温めて飲むとか、冷たいのを飲みすぎて胃を壊す、夏でも胃薬と称して強い酒シュナップスを飲んで胃を活性化させてビールを飲むそうです、兎に角,飲む量半端ではない。

2.同行者

   読字障害/ホーナー博士の話、面白く

   ご夫婦、紳士A,B, ガイドC,Dの観察、特にガイドの侵略者スペイン人に対する感情はアジアの国、特に中国、韓国とは異なりますね。日本人の対アメリカ感情はどの様に解釈しますか。私は中南米の人たち(ガイドC)に近い感覚ですが。祖父、父あたりは、ちょっと違ったとおもいます。

3.ロスの印象について/アメリカ論
   
    帰国して5年が経過。母の介護の事もあり何処にも行っていないので、経済破綻後の最近のアメリカについて、どの様に変わってきているかは、自分の目で確かめてはいないので何ともいえませんが、石松さんのロス、他の話は、よく理解できます。

    一方、アメリカの良さは、広大な土地と、そこに住む人たちの素朴さにあると思います。(海を知らない、ニューヨークに行った事のない人、沢山います) 特におだやかな人達との交流にあるかと思います。華やかな刺激、活気を求めるには、大都会/ニューヨーク、ロス、シカゴそしてラスベガス等々でしょうが、アメリカの一面にしか過ぎないでしょう。

    アメリカの本当の良さは、田舎の素朴さでしょう、これらがどの様に変化してきているのか、働く場も、仕事も減ってきているのでしょうね、心配です。

4.全般
   
    訪問国、中南米全般興味深く読ませてもらいましたが、パナマ運河が大変勉強になりました。私どもはガテマラのコーヒーが好きでトヨタ生協本部店で焙煎してもらい、家で挽いて飲んでいます、薫はなんともいえません。コーヒーの事が記述されていなくて、ちょっぴり残念。
 
    中南米は人口も少なく、歴史上でのインパクトもそれ程大きくなく、少々物足りない気がします。そういった意味で石松さんの観察記も他の旅行記とは少し異なりますか。

   やはり今回の旅行記で私の強烈な印象は、アメリカ論についての石松さんの鋭い視点でしょう。特に日本との格差がありすぎたオイルショック以前、その後のGM、FORDの繁栄と日本の頑張り、1970年代、1980年代、2000年、と差を縮め、一気に抜き去ったかに見えた瞬間、100年に一度有るか無いかの世界中を、日本を巻き込んだアメリカ経済破綻、大恐慌へと、そしてアメリカの没落を見てきた一人としても、石松さんに同感しますが、アメリカの良き所は汗を流して働く素朴な人たちにあるとおもいます。

    真面目に働いてきている労働層の人たちが気になります。5年間アメリカに暮らし、ケンタッキーの田舎で会社をつくり、工場を立ち上げてこれたのも、よき地域社会と、アメリカの素朴な風土/明るさ、近隣の人たちの暖かい支援があったからと感謝しております。

    まさにBig3の崩壊を目の当たりにして、追いつき、追い越せと頑張ってきた我々として、むなしさを覚えてならない。資源の枯渇、地球の温暖化、環境破壊、人口の増大、水不足等々・・・・。もっと他にやらなくてはならないものがあった筈、何時しか見失っていたのではと思うこと然り。 

⑥ トヨタ後輩・工・ゴルフ仲間・特技はそば打ち・心筋梗塞の大手術から復帰・孝行息子⇒移転改築後、最良の部屋をお母様に準備!

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石松様の蓄積された豊富な知識に加え、インターネットを駆使した調査結果の基に書かれた紀行文には、いつもながら圧倒されて居ります。その上、単なる旅行者(物見遊山客)ではない世界観にも感心いたします。

さて私、2月9日から15日まで中部国際空港からロサンゼルス発着4泊4日のメキシコクルージングに行って参りました。メキシコと言ってもカリフォルニアに接したエンセナーダと言う観光地までで、途中マリリン・モンローが新婚旅行に訪れたカタリナ島にも寄港しました。

新型インフルエンザの潜伏期間も過ぎた様で、今のところ身体の異常は有りません。皆様ご安心ください。

ロサンゼルスに帰港して半日の市内観光。ビヴァリー・ヒルズは観光バスの侵入禁止。ハリウッドでは舗道の足型を見物。アカデミー賞発表の直前で、授賞会場のチャイニーズ・シアターには入れませんでしたが、2階のロビーまで行って来ました。思ったより小さな会場で赤い絨毯の階段も短くて、ガイドのお兄さんは「これを豪華に見せるのがTV局の腕だ」と言っていました。

その日は朝から雨で、その晩はリトル東京の中にあるホテルに宿泊。ガイドに拠れば、もともと広くない場所で、今や往時の賑やかさは無く近くのチャイナ・タウンにも劣る様です。

夕食は和食を食べに外出、ついでにカラオケも。寿司屋にも寄って一杯。ラーメン屋にも立ち寄って満腹してホテルに戻りました。雨のせいか夜更け前なのに人通りも少なく、やはり寂しい感じでした。

つまらない私の旅行感想文になってしまいましたが、石松様の次回の作品を期待して居ります。

⑦ トヨタ後輩・工・テニス仲間・愛妻に先立たれ後、落ち込むこともなく独身貴族生活を謳歌中・いつも貴重な話題を提供してくれる才子(兄弟3人全員東大卒⇒機械・航空・航空)⇒パナマ運河はパナマ市から北西方向に開鑿されたと教えてくれた方

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その1。
 

ゴールデン・ウィークに入るのを待っておりました。それは、貴兄の旅行記を読むためです。いつもながら、貴兄の素晴らしい博学と、比較文明論の鋭さは、私の日頃のふやけた生活に喝を入れるに相応しき刺激剤になるからです。

今回の旅行の地も従来と同様に私に取っては、余りに遠く生涯無縁の現実感のない場所ですが、しかし、貴兄の体験されたことを想像しつつ味わうことは、また大きな価値のあることですし、喜びともなりました。その意味におきまして、これだけの膨大な旅行記を完成させるためにどれだけのご努力をされたかと思いますと、畏敬の念と共に感謝の気持ちを持たずにはおられない心境です。しかし、それにしても貴兄のヴァイタリティーと尽きせぬ知識欲、透徹する洞察力には脱帽以外にありません。

貴兄に取りまして、恐らく特に精力を投入されて記述されたと思われるところがたくさんおありでしょうが、本感想文は私が個人的に興味を受けた箇所に関して、ランダムに取り上げ書かせて戴きますので、旅行の地から離れ、あくまで私の独断と偏見による感想となってしまうと思いますが、その点をご理解の上、お読み流して戴ければ幸いです。

 

     読み終わってまず最初に感じましたことは、以前にも書きましたが、一緒にツアーに参加された人たちやガイドへの貴兄の目がずっと以前に比べ、温かくなってきていることです。今回では更にその感を深くしました。また、ツアー参加者との諍いもなくなってきているようですので、これは貴兄のツアーにおける佇まいが、以前に比べ謙虚になってきており、ある種の同行の方々の尊敬を受けてきている表れではないかと想像致します。

旅行記を読む側からすると、何かトラブルでも起こった方が面白いという面がありますが、やはり一緒のグループで外国へ行き、日本に帰ったら、二度と会えない間柄である故に、現地で和やかに同じ空間と同じ時間を共有するに越したことはないと思います。

     貴兄は国語に大変厳格であり、難しい漢字の読み方に厳しいと理解しておりますが、今回も女性添乗員の頻繁なる日本語の誤りに苛立つというより呆れておられます。私もそうした誤りを若い世代との接触にてしばしば遭遇して、驚くことがありますが、貴兄から言わせたら、私が他の人を笑えたものではないと思っております。

貴兄の挙げている中で「かつて」を私も「かって」と発音しておりました。あるとき本を読んでおりましたところ「かつて」と記載してあるので、辞書をひもといて見たところ「かつて」こそ正しいということを知ったことを記憶しております。それもごく最近のことです。また「一・衣帯水」は貴兄の以前の旅行記で初めて教えられたような次第です。

しかし、言葉は時代とともに変化して行くという側面もありますので、「大地震」の読み方くらいの場合は、「だいじしん」となっても誰しも理解できることですから、そう厳格でなくても良いと思うのですが。

     パナマ運河についての貴兄の記述は大変勉強になりました。『パナマックス』という用語から、かつて日本が太平洋戦争にのめり込んで行ってしまったこと、そして、真珠湾攻撃以外一度として海戦で勝利を得られなかったことが、この『パナマックス』にあることが頭に浮かびました。

と言いますと、何を言い出すことやらと言われそうですので、若干前置きが長くなりますが、以下書かせて戴きます。(尤も博学の貴兄はとうにご存知のことかも知れません)

昭和5年のロンドン海軍軍縮会議において、条約を結んだ方が良いとする「条約派」とそれに反対する「艦隊派」が激しく争った末、結局締結したのですが、英米日の保有トン数が5:5:3と決められたことは日本史で習った通りです。

日露戦争の英雄「東郷平八郎」を初め海軍の有力な幹部がその後も脱退を主張し(石川信吾中佐が昭和8年「次期軍縮対策私見」を発表)騒然とした雰囲気の中、昭和9年「軍令部(陸軍の参謀本部に相当)」が「46センチ主砲8門以上、速力36ノット、パナマ運河を通れない超大戦艦を建造すべし」という要求を出しました。その後直ぐに昭和10年軍縮会議から脱退し、有名な「戦艦大和」「戦艦武蔵」等が建造されたことは広く知られております。

このとき海軍の連中が何故こうした大型の戦艦を建造すれば、米国との戦争に突入しても負けないと考えたかというと、米国の艦隊は太平洋側と大西洋側の両側に別れて碇泊されている。開戦になったとき、大西洋側から日本へ向かうときはパナマ運河を通過して来ざるを得ない。

しかし、『パナマックス』を超える大型戦艦は通過できないので、日本でそれ以上の戦艦を建造すれば、艦隊と艦隊による海戦では日本側の戦艦の方が弾を遠くまで飛ばせる(46センチ砲だと4万メートル飛ぶ)ので、圧倒的に日本側が勝利すると考えたとのことです。

しかし、これに対し山本五十六や井上成美等は「戦艦がぶつかり合って相手を撃滅するというのは日露戦争の日本海海戦のときの過去の海戦であって、これからの海戦は航空機中心による戦いになる」と考えていたそうですが、なにしろ少数派でした。

ご存知の如く「戦艦大和」は昭和20年4月九州南西で米艦載機約400機の攻撃を受け主砲からたった30発弱の発射しかせずに、2500名強の戦闘員を海の底に沈めてしまった訳です。「戦艦武蔵」は前年有名な「レイテ沖海戦」で撃沈されております。

     貴兄の記述から、『パナマックス』は幅が33.53メートルとのことです。「戦艦大和」「戦艦武蔵」の幅は38.9メートルですので、確かにパナマ運河は通過できないことが分かりました。陸軍に比べて開明的と言われた海軍軍人でもいわゆる軍人や、現在でいうなら官僚は、過去に囚われて、時代に適合した視野に欠けると言われますが、どうも歴史がさまざまな出来事において、この定理を証明しているように思います。

サブプライム・ローン破綻に端を発した金融危機によって世界同時不況に陥っておりますが、我々の関わる自動車業界の不況対策の類も従来の公式的なコスト低減策だけに頼っていないか、心配されます。経済にめっぽう強い貴兄がトップであったなら、現時点でどのような手を打たれるのか、大変興味があるところです。

     今回の貴兄の旅行記で一番共鳴できる点は、貴兄が中米の原住民への同情的な心情です。貴兄は従来よりこの点を繰り返し述べられて居られます。1519年のコルテスのメキシコ征服や1532年のピサロのペルー征服で、先住民に対し虐殺のそして略奪の限りを尽くしたことを考えると、中米や南米において、如何に当時のスペイン人が極悪非道の行いをしたか、私は考える度に怒りに震えております。

人類が今までになしてきたこれらの極悪非道を数え上げると、

「チンギス・ハンのモンゴル(民族殲滅)」
「ヒトラーのナチス・ドイツ(ホロコースト)」
「スターリンのソヴィエト(シベリヤ粛清)」
「トルーマンの米国(原爆投下)」

等々があると思いますが、それらに比較してもスペイン人が中米・南米で犯した罪は上まわる酷さだ、と私は考えております。

いつも申し上げることですが、彼らは敬虔な(?)カソリック信者のはずです。そのキリスト教の信者が何故あのような行為をなせるのか、信じられません。一神教だから他の神を信じている異教徒には何をしても良いということではないかと説明する人がおりますが、私にはそれだけの説明では納得できません。

貴兄の単刀直入の現地ガイドへの質問は、なかなか私などにはできないものと感心しますが、その回答が余りに悟っているものであり、果たして彼らが本当の事実を知っているのか疑問をさえ抱かせるものに私には思えました。中米における教科書や歴史書にはスペイン人が先住民になしたことを詳しく事実を教えているのか、疑問を抱かざるを得ません。

     恥ずかしい話ですが、貴兄の旅行記を読んで初めて、中米には7ケ国があることを知りました。更にいうなら、これら全ての国がスペインの植民地であったと思っておりましたので、「ベリーズ」の公用語が英語であったとはびっくりでした。(恐らく、スペインから英国が奪ったからなのでしょうが)

そこで、疑問に思ったことは、ベリースを除いて、これらの国々が同じスペインの植民地であったのに、別々の国として何故独立したのかということです。まとめて1ケ国に何故ならなかったのでしょうか。というよりメキシコがスペインから独立する際に一緒にメキシコの一部と何故ならなかったのでしょうか。一度貴兄にお教え戴きたいと存じます。

     「コスタリカ」の章で、活火山の「アレナル火山国立公園」が中米観光のハイライトであると貴兄は述べられております。貴兄はここで、大変興味深い見解を提示されて居られます。即ち、

「野生動物の世界では、オスは原則として強くかつ美しい。一方人間界は長い間、メスがオスの気を引くべく美しく飾り立てていた。生活力の乏しいメスはオスの求愛をひたすら待ち続けた。しかし、バブル崩壊後オスとメスの立場は逆転し、自然界の掟通りの正常な世界にやっと辿り着いた。

21世紀になって未婚高齢者が激増してきた。女性に生活力が付いた途端、交際中の男女が婚約に至るか否かの決定権は女性に移った。その昔から、経済力が女性芸能人のようにある場合、三行半の主導権は女性側にあったが、今では普通の男女間でも主導権は女性が握り始めた」と。

遺伝子を研究している人たちに言わせると、そもそも生物はメスが主なる存在であり、オスはメスの単なる一変形例だそうです。(メスに比べ、自然でないオスの細胞はより癌に罹り易いのだそうで、事実男女の罹患率は圧倒的に男性の方が多い。だから、いつまで経っても平均寿命は女性の方が上なのだそうです)

恐らく、生物の最初からオス、メスが存在したのではなく、子孫を残し得るメスができ、その後メスの子孫存続機能を補助すべく、オスが出てきたのではないかと言われます。

「アリマキ」という小さな虫がおりますが、これは1年の大部分(春から秋)は、メスだけでメスの子孫を次々と産んで行きます。但し、晩秋から冬の寒い時期だけはオスを生み、このオスの助けを受けて子孫を残すそうです。即ち、メスに取って、オスはある限定された時期だけに必要とされる補助的な存在です。大部分の期間ではオスは必要ない存在です。

どうも、人間社会も、この「アリマキ」に近くなってきて、女性に取って、通常の社会生活上、男性を必要としなくなってきたのではないでしょうか。

遺伝子工学の進歩によれば、女性だけで子孫を残せるようになるかも知れません。但し、遺伝子の異なる男性と女性のDNAが交じり合うことで、現代までに誰を取っても同じ人がなく、さまざまな個性の人間が現出し、何十億人の織り成すこの現在の社会が構成されてきたのであり、女性だけの遺伝子で次々と同じDNAを持つ人間が地球上に存在することになると、もはや人類社会とは言えなくなるのではないかとも思います。

     中日新聞の書評欄にて紹介されておりました「謎の1セント硬貨」(講談社1300円)の著者の「向井万起男」氏は宇宙飛行士「向井千秋」さんのご主人であり、母校慶応大学病院の病理診断部部長兼医学部准教授の要職に居られるとのこと、貴兄のホームページにて知りました。

その「向井万起男」氏が
こういう方がトヨタにいたというだけでもトヨタの凄さがわかります。石松良彦氏のような方は、そうはいません。日本だけではなく世界でも」と評されたとのことです。

私もトヨタに居たことがある者の一人ですが、貴兄がこのように評されたことに大変感動しましたし、誇りに思いました。私のささやかな交友範囲や本による知識の範囲におきましても、貴兄ほどの人は知りません。恐らく、日本中広しといえども、まず居ないのではないかと思います。

これからも、更に世界の辺境へ足を延ばされ、日本人ここに有りということを各地の人たちに知って戴き、そして抜群の旅行記をものして戴きたいと願ってやみません。



その2。

先日、貴兄のホームページについて、大学時代の友人に教えましたところ、本日
返信を受領しました。参考までに、転送させて戴きます。

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メールを戴きまして、ありがとうございます。いろいろ書きたいことがありますが、すぐに返信をと思うと支離滅裂になりそうなので、石松さんが開いているホームページへの簡単な感想を申し上げます。

よくまとまっているというか、見易く編集されているので独力(?)でここまでやるとは、ほんと負けました。

私も退職後ホームページにチャレンジしてきましたが、挫折の連続でやっとブログを立ち上げましたが、4日坊主(4回の更新)で放置したまま。ままならずです。

石松さんの旅行記には、適当に写真が入っていて読みやすく、ちゃっかり奥さんをアピールしているとは参りました。文章がこなれていて肩がこらないのがすごいと思いました。

またがん闘病記にもなっていて、なんと言ったらよいか驚くばかりです。なんとか私も負けずにやる気を出そうかと必死になっているところ。

ではまたよろしく。

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⑧ トヨタ後輩・工・古希直前なのに今尚現役で活躍されている貴重な存在・いつも的確な且つ長文の読後感を賜る方⇒褒め殺しの名人

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女性の旅行記は「絵が写真に代わっただけの小学生の絵日記レベル」とは辛らつながら正鵠を得た指摘とは思いますが、将来は男と女の知的レベルは逆転するのではないかと憂慮しています。世の女性たちは国内外の旅行は勿論のこと、音楽会、観劇、美術工芸展覧会などありとあらゆる機会を捉え積極的に自己研鑽に励んでいます。

偶にこれらの催しに出かけてみると何時も70~80%が女性であり、世の男性は一体何をしているのかと思わずにはいられません。拙い歩でも何十年、何百年かをかけて磨き続ければいつの日にか、男どもを凌駕する日がやってくるような気がします。

蛇足、野生動物のオスとメスに関する貴兄の見解は全く同感です。「生活力の乏しいメスはオスの求愛をひたすら待ち続けていた」はずのメスは、上述のごとく経済力と知力を蓄え、いまやオス・メス逆転の様相を呈しつつあります。“三高”はもはや色あせ私の周りにも一人身を託つ淋しいオスはその数を増すばかりで、一方元気なメス共は街中を風を切りながら闊歩しています。しかしいずれ訪れる老境ではオス・メスとも一人身、覗いてくれる人もない孤独な日々が待っているのは確かです。

今日5月3日は憲法記念日。新聞・テレビでは日本国憲法第9条を巡る話題を取り上げていましたが、戦争放棄に関しては何時も引き合いに出されるのが「1983年永世非武装を宣言し、軍隊のいない国・コスタリカ」です。しかし実はコスタリカ憲法には非常時に軍隊を組織し徴兵制度を布くとあることは意外と知られていないようです。国家の主権を脅かされるような事態に立至った時、志願して兵役に付き、祖国を守るだけの気概がある9条護憲派がはたしてどのくらいいるのでしょうか。

わが国の総理大臣さまが5%の確率で存在する読字障害なるビョウキであるとは気の毒なことです。「私の愛読書はゴルゴ13です!」と言ってはばからず、公用車にはいつもマンガ本が積んであるようなお方が、日本の首相であることにいささか幻滅と諦観を覚えますが病気とあれば仕方ないですね。

造船の世界を経験したものにとってはスエズ・パナマ運河を通過するのは夢であり、私も一度は行ってみたいと思いながら、いまだにそれが実現していません。紹介された「実際に通過が許可されている船舶の大きさの制限値は以下の通りです。全長:294.1m、全幅:32.3m」は現在つぎのようになっています。

コンテナ船と客船 :全長950ft(289.560m)、 幅106ft(32.309m)
その他の船舶   :全長900ft(274.320m)、 幅106ft(32.309m)

因みに現在ではポストパナマックスと称されるコンテナ船の最大積載個数は8,000TEU(twenty equivalent unit 20ftコンテナ換算)クラスが出現しています。

最後に一言。どなたかも言っていましたが「細々と生きている年金生活者」はもはや「豪快に稼ぎまくる年金生活者」にでも変えてください。なにしろ145,060千円もの大金を扱う富豪に相応しい自己紹介が良いのでは。正真正銘の「細々と生きている年金生活者」からの「中米7ケ国旅行記」に対する感想です。

⑨ 大学教養部級友・工・いつも的確な読後感をいただける方

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その1。

難しい督促で困っていました。最近は、貴旅行記は同伴人物評を中心に拝読するようにしているからです。

今回も又西アフリカ記でも興味深く読ませていただきました。そのグループにより全く異なる偉人が多数居られ感心すると共に、自分のような者はとても仲間入り出来ないと思う次第です。

今回の人物記で特に興味あったのは現地人ガイドに対する質問で、世界の常識的回答かと思いました。

自分は中国、韓国の反応にはうんざりしており、朝日新聞他マスコミが言う昔の日本や日本人は悪だ、最近ではNHKまでも台湾統治はこんなに悪かったと放映し、ついに日本のマスコミ界は中国シンパに独占されているなと思う次第です。それに立ち向かう日本人は少なくなり、これもマッカーサーの日本統治政策が良くも悪くも成功させた力が大きいとつまらぬ事で感心。

次にロスの感想記も興味深く拝読しました。自分は以前のロスの繁栄を知りませんので少し感想が違いますが、リトル東京は貴兄と同じ想いです。

今はロス在住の日本人好みの客の町で、日系はむしろ減り韓国系が増えているのではないでしょうか。コリアンタウンはあちこちにあり、自分たちも食事等で利用することは多いです。外国人観光客はサンタモニカやハリューッドではなくラスベガスではないでしょうか。

一度愚息(ロスで事業を経営されているご長男)にも意見を聞いておきます。以上ご返事にもなりませんでしたが。

その2。

愚息は熟慮した感想など出来ませんが、話した要点のみ報告させていただきます。

先ず貴兄のような36年前のことは知りませんが、ロスは20年前、10年前と大差ない。元々ロスは田舎町と言われ華やかさはない、と感じている人が多いそうです。貴兄の36年前のご印象は初海外出張で印象も強かったのではと想像しているようです。こうした印象は我々の観光でもあり、初回は感激し二回目はがっかりということは多々ありますが。

空港については利用者の利便性では、彼の知っている米国内とか、欧州のヒースロー(ロンドン)とかスキポール(アムステルダム)と比べて、ロスはU字型で端から端まで移動しても10分程度で不便は感じていないようです。貴兄の指摘される新興国のハブ空港と比べれば古く斬新さはないでしょうし、免税店の差は大きいですね。

空港レイアウトでは我が成田は何とかならないかと自分でも思うくらいですが。白紙の所に線を引けば良いのが出来るでしょうが、それが出来ないのが日本ということでしょうか。

個々の町について言えばリトル東京は治安は良くなったが日本人観光客減、韓国、中国人が多い町になっており自分も実感。ハリューッドは昼より夜の街(ナイトクラブ等)、ヨットハーバーは籍を取るのに今でも30年待ちとか。貴兄が指摘されるGM の衰退に象徴されることがロスに起きているとは感じていないようです。

都市を見て印象が大きく違ってくる原因の一つに公共交通機関が発達して出来た都市か、ロスのように車しかない都市かで大きく違うでしょうね。

豊田市もどちらかと言えば後者でスーパー以外は人は少ないと感じています。ロスは今やヒスパニック系移民の街で低賃金に支えられて伸びており、世界も新興国が栄えてこの不況を脱出するのではと想像しています。GM もそのように生まれ変わるのでは?。

⑩ トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間・毎年2月の避寒を兼ねて奥様とロスのご長男の家に3週間滞在⇒毎日奥様とゴルフ三昧。

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ちょっと前に読み終わってましたが、メールする余裕がなくて、いつの間にか記憶の外に。再確認のため、再度目を通しました。

石松さんの旅行記って、前からこんなに辛辣でしたっけ? ガイドとか、同行者に対する酷評は前から有りましたが・・・。

今回は、現地の有様などに結構厳しい評価ですね。でも、そのようなものが言えるということは、対する評価基準というか、あるべきものを抱いておられる訳で、尊敬します。

パナマ運河が北西から南東に走り、南が太平洋だとはびっくり。捩れてたんですねえ。

日本に広場文化が育たない理由を考察するのは面白そうですね。しばらく考察してもらえませんか?下足を脱いで畳に上がる文化と関係があるかも・・。

石造遺跡が黒ずんでいるのは、単なるカビではないですか?

とにかく、言及されている範囲があまりにも広く、付いて行けません。感想なんか書けません。脱帽です。

⑪ トヨタ&大学後輩・工・技術士⇒大不況を乗り切りたい各社からの技術指導の要請の元、文字通りの東奔西走で大活躍中。

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