医療事故

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医療事故寸前だった!?(平成17年8月8日脱稿)

   去る3月1日に名古屋共立病院で最新型のPET/CT複合機による全身のがん検査を受けた。3月7日に愛知県がんセンターにて主治医から『今回も異常は発見されなかった』との検査結果の報告を受けた。
   
   7月4日に愛知県がんセンターにてその後の経過の問診と触診。その時に、主治医不破放射線治療部長と、今まで何時も指名させて頂いていた内視鏡部澤木医長の診察日に合わせて、内視鏡による総合検査の予約を、8月1日8時30分に指定していただいた。
   
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はじめに

   8月4日、内視鏡検査の受付時に看護師が『澤木先生は、今日だけ学界で不在です』という。『私は澤木さんの診察日を確認して予約していますが・・・』『患者様に澤木先生がご不在のご連絡をされなかったのは何かのミスです。申し訳ありません。検診日を替えられますか?』『内視鏡での検査は誰でも出来る技術とは言うものの、代わりが若い医師ならばお断りしますが・・・』『研修医以外にも本日は専門医が2名います』『お歳は?』『澤木先生よりも1歳上と1歳下です』『それでは年配の先生を指名させてください』
   
   看護師が診察室に入って相談した結果、『内視鏡部水野医長が引き受けてくれました』と、報告してくれた。
   
   後日インターネットで検索すると、両医長(医療機関での医長とは、民間会社や官公庁で古くから使われている課長クラスに相当する待遇職名)は共に日本消化器内視鏡学会評議員ではあったが、澤木医長は消化器、水野医長は肝胆膵がご専門だった!
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内視鏡による検査

   検査前に看護師からゼリー状をした喉の麻酔剤を口の中に入れられて5分が経過。麻酔剤を吐き出した後、検査室へ。
   
『私は、不破先生のお薦めで全身麻酔剤を注射して診察を受けられるように希望しています。食道がんの検査にルゴール染色法も希望していますが、検査指示書にはそのように書いてありますか? まだ注射も受けていませんが・・・』
『2点は共に承知しています。注射はベッドでの準備が終わった後に実施します。麻酔は直ぐに効くため、ベッドに入る前に注射すると危険だからです』

   全身麻酔方式は既に体験済みだったが、段取りは忘れていた。全身麻酔方式にも保険の適用が認められるようになったため、患者が希望すれば受け入れてくれるようになったが、周知徹底していないためか、希望者は殆どいない。
   
   検査はつつがなく終了した。検査中に目は開いているものの、殆ど視覚は意識されず、検査をされている事はかろうじて意識しているものの、思考力はなく、何の苦痛も感じることなく終了した。
   
『車でのご来院ですか?』
『そうです』
『それは危ない! 飲酒運転と同じようなものです。次回からは公共交通機関を利用してください。取りあえず覚醒するまで休養室で休んでいただき、目が覚めたら不破先生から検査結果を聞いてください』

   消化器内科専用の休養室に案内された。車椅子で運ばれたような気がする(記憶不鮮明)。ベッドは10台くらいあったが、患者は1人もいなかった。そこで1時間以上も昏睡状態を続けた。
   
   目が覚めたらふらふらとはしていたが歩けた。着替えを済ませて地下の放射線治療部へ到着した頃、急に便意を感じてトイレへ。今朝から絶食だし、自宅では早朝にいつもと同じ快便だったので不思議だなと思いつつトイレへ。便はほとんど出ず、便意の主原因はガス(屁)だと認識した。屁が大量に出た。
   
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放射線治療部

   不破先生に久し振りに会ったので、
   
『お陰さまで、7/15〜26には、カタール・シリア・ヨルダン・レバノン旅行にも行けました。更に7/27にはゴルフ、7/30にはテニスも何時もと同じように楽しめました』と挨拶。
『元気ですねえ。ところでがんはもう治っていますね。今後の経過観察は不要ですよ』
『治療後未だ2年半しか経っていません。後2年半は経過観察のための検査を受けたいのですが・・・。検査費用は安いし・・・』
『それでは、今後はPET/CTを受けていただきましょう。(名古屋共立病院と連絡を取られた結果)次回は12/15です。その結果を12/22日に説明します。ご都合は如何ですか?』
『何の不都合もありません。その通りで結構です』
   
   その直後のことである!!
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突然の嘔吐開始

   急に吐き気を感じたので『看護師さん、洗面器!』と絶叫。飯ごうの蓋のようなステンレス製の容器を受け取り、嘔吐。出てきたのは唾液と胃液。血液はなかった。更に嘔吐を感じたので、診察室の窓際に駆け寄り、流しに吐いた。
   
   不破先生が『休養室で暫く休んでもらいましょう』と提案され、看護師に連れられて、放射線治療部の休養室に移動した。ベッドが一つの部屋だった。
   
   看護師が洗面器を用意してくれた。午前10時を過ぎていた。その頃からである。ひっきりなしに嘔吐を開始。10〜20分おきに大きな嘔吐感が襲う。嘔吐の内容物は唾液と胃液が殆ど。量は少ない。しかし、全身運動に近く、洗面器から内容物が少し跳ね飛ぶことに気づき、嘔吐のたびに床に座り込んで吐く。その都度、看護師が入室して洗面器を取り替え、床を拭いた。
   
   更に、生まれてこの方、体験したこともない程、何回もの大量のガスが発生。段々と上半身の筋肉の痛みが増し、息を吸っても吐いても胸が痛むようになり、喋るのも大儀になってきた。どの医師だったか忘れたが、
   
『お疲れだったのではないでしょうか?』
『そんな事はありません。中東旅行帰りですが時差も取れたし、ゴルフもテニスも何時もと同じように楽しめたし・・・』
『全身麻酔剤が体質に合わなかったのかもしれませんね・・・』
『そんな事はありません。私は今回で全身麻酔での検査は2回目です。前回は何の異常も感じませんでした。更に今まで薬剤反応での異常体験は一度もありません!』
『それでは、暫く様子を見ましょう』
『痛み止めと嘔吐止めの点滴をお願いします』と提案したら、30分毎に様子を見に来ていた医師が、『全身麻酔の解毒剤も使いましょう』と提案し、とうとう本物の病人みたいになった。

   看護師が『脱水が心配です。ポカリスエットを買ってきます。お金をお持ちですか?』との提案。2本買ってきてくれたが、渇きを感じていなかったし、飲む元気も喪失していた。夕方まで、入れ代わり立ち代り医師と看護師が見回りにきてくれたが、症状に変化は現れなかった。
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緊急入院を決意

   回診に来た医師に、

『もう、帰りたいのだけれど・・・』と提案したら
『危ないから、お止めになった方が良いですよ。豊田市までだったら9990円でタクシー会社に代行運転を頼めます。ドライバーは電車で帰ります。しかし、安全のために入院されませんか?』 多少の不安も感じたので、医師の提案通り入院することにした。

   看護師があちこちに電話して空きベッドを探してくれた。西病棟の805号室だった。疲れにどっと襲われ、立ち上がる元気もなく足元がふら付いた。結局、病室まで車椅子で移動。その間、意識を失っていたのか、気が付いた時には病室に来ていた。

   ジーパン・Tシャツ(ヨルダンで買った、ペトラ『パルミラ・ペルセポリスと合わせて中東の3Pと称せられている世界的に有名な大規模な古代遺跡。勿論世界文化遺産』の地名と沙漠を背景にした椰子と2頭の駱駝の大きな刺繍の入ったシャツを見せびらかすために着ていた)・靴下も脱ぐ元気がなく、同室の3人の患者に挨拶をすることもなく、そのままベッドに潜り込んだ。

   看護師が『ご家族に連絡します』と言ったので『妻が在宅しているか解りませんが電話番号はこれこれ・・・』『留守でした』『それでは、メモで結構ですからFAXを送ってくれませんか?』と提案。

   下記のFAX(手書きではなくパソコンで印刷されていた。仮名使いは原文のまま。但し、読み易くするために句点を挿入した。受信時刻は18時頃)を握り締めて、驚いた荊妻が午後7時過ぎに、入院道具一式を用意して病室へと飛び込んできた。


石松良彦様のご家族の方へ

   突然の連絡で驚かせてすいません。放射線治療部の古平と申します。本日患者様は定期検査で食道のファイバーを受けられたのですが、治療後嘔吐と腹痛が強く、外来診察室でしばらく休んで点滴を受けていただいたのですが、5時ごろになりましても症状が改善しませんので、念のため本日は入院して様子を見させていただくことにしました。
   
   何回かご自宅に連絡さしあげたのですがご不在のようですので、失礼ながらファックスにて連絡のみ取らせていただきます(ご本人の了解いただきました)
   
   検査担当医の内科医師にも連絡しまして症状観察でよいだろう、という返答もいただいておりますし、入院後診察もしていただく予定です。担当主治医の不破先生は診察後に出張で不在でしたので、私が不在時に対応させていただきましたが、不破先生には事情を報告して入院の経過も伝えてあります。順調であれば明日にも退院になろうかと思いますが、本日ご家族に直接連絡を取ることができませんでしたので、文書連絡で失礼いたします。
   
   入院は8階西の病室805号です。夜間は9時過ぎますと消灯時間となるので電話の取次ぎ等できませんが、必要であれば看護師に確認ください。(交換に病棟と患者氏名を伝えて看護師に連絡をつけることは可能です)症状の変化等で必要があれば、再度ご連絡差し上げるかもしれません。その際はご容赦ください。
   
   簡単ですがご報告までに。非礼をお詫びいたします。
   
                               平成17年8月1日
                           
                           愛知県がんセンター中央病院
                                  放射線治療部
                           不破 信和 (代)古平 毅
                               Tel 052-762-6111
                               
                               
   ベッドの向きが休養室とは反対になっていたので、点滴スタンドの配置の都合から、点滴先は右手から左手に変更された。更に脱水防止のための点滴も追加された。痛み止め・嘔吐止め・麻酔の解毒剤の点滴も継続した。

   その間、古平医長、水野医長、佐藤医師(当直医? 研修医?)が何度も病室を訪れ、いろいろ触診や問診をした。食道部の痛みは殆どなく、胃の痛みが強かった。胃を外部から軽く押さえただけでも痛みはひどく、直ぐに嘔吐した。

   かつて胃がんの手術後、自宅療養中に嘔吐がひどくなり緊急入院したことを思い出し、医師に『あの時は主治医の山村部長が、大腸がんがご専門の加藤副院長(現院長)を呼ばれ、診察してもらった。触診の結果、軽い腸閉塞だが手術は不要、との診断を受けた』と報告。

   私は腸閉塞も若干疑ったが、ガスが出続けていたのでその可能性は低いと自己診断。医師は聴診器や触診で腸の動きを確認していたが、特に発言はなかった。

   8階西の婦長や何人かの看護師が何度も病室を訪れては、点滴の落下速度の調節や、血圧、体温などを測定した。特に異常はなかったが症状は変化しなかった。

   8月2日の午前4時ごろだった。急に全身の痛みが止まった。ホッとした。
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諸検査

   早朝、普通食が配膳された。昨日は絶食していたこともあり、全部食べた。7時半過ぎに主治医の不破先生が通勤着のまま病室へ様子見に来られた。

『昨日は驚きましたが、もう痛みはありません。只、私は軽い腸閉塞の可能性を少しだけ心配しています』
『後で、血液検査とX線検査をして見ましょう』

とのことで、病院が稼動開始した直後に検査を実施。4種の点滴は昼過ぎまで続行した。昼食は半分しか食べられなかったが、殆ど寝ていなかったのに疲れは何時の間にか取れた。

   不破先生が再び病室に来られ

『腸閉塞の心配もありません。あとは退院手続きを取られて、そのままお帰りになって構いませんよ』
『お世話になりました。ありがとうございました』

   退院手続きとは、既に用意されていた『入院診療計画書』に日付を書き込みサインするだけだった。その書類には『病名(他に考え得る病名)及び症状=急性胃腸炎疑い』と書かれていた。
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我が疑問

   我が素朴な疑問は、水野医長が私の胃が1/3になっていたことを忘れていたのではないかと言うものである。胃の観察のために空気を送り込んで膨らませる際に過剰な空気を送り込み、胃をパンパンに膨らませ、まるで妊娠線のように、胃にひび割れを起こしかねない状態を発生させていたのでは?
   
   全身麻酔だったので、生体反応として、医師にストップの声を掛けられなかったのが、間接的な原因でもあると推定している。

   過剰な空気は体内に残留し、それが大量のガスとなったのでは? 更に嘔吐も誘発したのでは? と言う疑問である。これが真因ならば、全ての症状を疑問なく、整合性を持って理解できるからだ。
   
   しかし、医師団と論争するのは止めた。4名の医師、数名の看護師(意識も薄れていたので何人にお世話になったのか数えられない)が昼夜、危機管理に対応してくれた結果、事なきを得たので、然したる恨みも感じなかったからである。
   
   退院後の8月3日には何時もと変わらぬ体力に戻り、テニスも楽しめた。『やれやれ』と言うのが、総合所感である。
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蛇足

   退院直前に同室者に挨拶をした。

A氏・・・60歳台と推定。

『どんながんですか?』
『前立腺です』
『インポになるのではありませんか?』
『勃起中枢の神経を残す手術をすればインポは回避できるらしいのですが、そこにがん細胞が残っていると再発するので、思い切って全部切除しました』
『小線源療法(放射線を帯びた針状の金属を80本位前立腺に埋め込む。インポになる心配は少ない)は2年前に解禁され、全摘手術と同等の効果があるそうですが・・・』
『愛知県がんセンターに設備が導入されるのは来年だそうです』
『私は胃がんと食道がんの治療を受け、飲食など人生の楽しみの一部が減りました』
『私も、諦めました』とのご返事。

   私はバイアグラが効くのか否か聞きたかったが、余りにも気落ちされているご様子だったので、質問は差し控えた。
   
B氏・・・50歳台と推定

『どんながんですか?』
『原発は食道がんです』
『首に手術跡が残っていますが、声帯は取らなかったのですか?』
『声帯を残したのが失敗でした。そこにがん細胞が残っていたのです。5年経過2週間前に頭頸部への転移が発見されました』

   氏は既に手術を終えられていた。頭頸部がんの手術患者の場合、通常顔の形(人相)が大きく変わる。氏の場合も、正視するのも憚られる状態であった。
   
   両氏の原発がんへの治療姿勢は正しく対照的である。年配のA氏は完璧主義を貫き、若いB氏は声帯を残す賭けを選択された。がん治療とは、所詮は一発勝負。あれもこれもと欲張る事は許されない。命を賭けた闘いなのだ!

   C氏は談話室に出掛けていたので挨拶もせず、辞した。
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おわりに

   単なる検査の筈が、苦しまされた挙句に、25,670円も支払わされた。しかし、主治医から『完治』のご託宣を頂いたことに感謝した。
  
   残された余生を楽しむべく、8月4日には各旅行社から毎月送られてくる旅行案内雑誌を眺め、予てから行きたかったバルト3国(エストニア・ラトビア・リトアニア)のコースを探した。出発予定日は無数にあるが、催行実施に至る出発日は意外に少ない。

   各旅行社に電話を掛け続け、やっと『クラブツーリズム(近畿日本ツーリストの関連会社)』の9/21〜28、成田発着が催行実施決定済みと知り、即申込んだ。12月になれば6万円安くなるが、冬の北欧は暗く、日は短く、楽しくないのでお金で季節を買った。

   最終職場の1年後輩のゴルフ仲間から、『海外旅行に行かれる時は声を掛けて下さい』と頼まれていたので、連絡したら『私も参加します』と即答してくれた。不要になった単独参加の追加費用36,000円で、がんの検査入院費を払ってくれたようなものだ。

   こんな経緯でも『人生万事、塞翁が馬』と言えるのだろうか?

   今回の旅程にはバルト3国以外にフィンランド(ヘルシンキ)も予定されている。中学2年(昭和27年)の時、ヘルシンキ・オリンピックの水泳の決勝(400m自由形)で古橋廣之進選手が無念にも8位になった実況をラジオで聞いたが、あのときのプールはまだあるのだろうか?

   9月29&30日には仲間10人と長野県蓼科でテニスの後、温泉で懇親会、更に10月3&4日には長野県平谷村で仲間8人とゴルフの後、これもまた温泉での懇親会を既に予定していたが、キャンセルも不要となり、がんの再発恐怖から少しだけ開放され、国内外で行く秋を心から楽しめそうだ。

   『寛解』から『完全寛解』へ。更にとうとう待ちに待った『完治』のご託宣! 胃がんの手術をしていただいた消化器外科部長山村先生、食道がんの治療をしていただいた放射線治療部長不破先生に心からの感謝の気持ちを込めて筆を措く。
      
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