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旅行記
           
諸大陸

モロッコ・アラブ首長国連邦
(平成24年7月31日脱稿)

   平成23年(2011年)は『終の棲家(墓)の建設』や庭木の抜根を伴う花壇の整備をテーマとして各10社に見積り照会した結果、飛び飛びに用件が発生し、海外旅行の計画を落ち着いて立てる心境にもなれず、国内旅行程度に留まった。

   平成24年1月末には園芸店に発注していた花壇の造成工事も完了。当面の課題もなくなり、以前から行きたいと思っていた『モロッコ』に出掛けた。

   
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はじめに
   
  

   成田=カサブランカ(モロッコ)に直行便は無く、アブダビ(アラブ首長国連邦の首都名であると共に首長国の国名)で別便に乗り継いでのカサブランカ行きだった。往復共に発生した乗り継ぎの待ち時間を活かした、アブダビ・ドバイのミニ観光がおまけのように用意されていた。

   昨年末からの今冬は大げさに言えば大寒波に襲われ、我が家の甘夏・柚子・カボスの実は凍結して何と全部落下。家庭菜園の絹さやは全株枯死。セントラルヒーティングの屋外配管や露天風呂の湯水混合栓も凍結して破裂後に漏水。寒さに極端に弱い私は居間を30度に維持した篭城のような電気炬燵生活。

   外出もせずにビール三昧の生活をしていたら、肝腎機能に異常を来たしたのか体調不良。意識は朦朧、足元はふらふら。『初めが肝腎』など『***が肝腎』との慣用句の意味をやっと体で知った。モロッコでの観光中は、仲間には何時も遅れながらの移動。帰国時には五割引でも3万円もしたメガネを飛行機の座席のポケットに遂に忘れてしまった。
   
   遂に意を決し、連休最終日の5/6から断酒断行。6/11の豊田市の老人健診(ミニ人間ドック)、6/15のがんセンターでの定期健診での血液や尿検査で、肝腎機能の若干の回復を嬉しくも確認できた。全面的な回復には肝腎細胞の更新待ち(所用期間は半年??)と推定し、断酒の更なる継続を決意。7/1からはトヨタ記念病院副院長で、スポーツ医学が専門の整形外科医・元痛風の主治医が提案している『太股筋肉の強化運動』も再開。今秋のスリランカ旅行に備えつつ・・・。

@ 費用

総費用・・・・・・・・231,240円

基本旅費・・・・・・・218,500円
相部屋割引・・・ ・・・29,000円(マイナス)
国内線・・・・・ ・・・30,000円
ANAマイレージ振り替え・30,000円(マイナス)
燃料費追加・・・ ・・・37,000円
海外出入国税・・・・・ 2,200円
国内空港使用税・・・・ 2,040円
旅客保安サービス料・・・ 500円

参加日・・・・4/10〜4/19

蛇足・・・旅行社の中部国際空港=成田往復の割引運賃は3万円だが、手持ちのANAのマイレージ1万マイルで直接購入。でも、ANAと今回の国際線エティハド航空は提携しており、今回の旅行で新たに1万マイル強のマイレージがANAのマイレージとして蓄積できた。つまり、旅費が3万円割り引かれたのと同じだ。

   今回、クラブツーリズムの、“6つの世界遺産と幻想的なサハラ沙漠に昇る朝日鑑賞!『魅惑の王国モロッコ大周遊とドバイ・アブダビアラビア物語10日間』”に参加した。成田だけが徴収する『旅客保安サービス料』の受取人は誰なのだろうか?

   同じ旅行社でもコースによって相部屋を受け入れたり、受け入れなかったりするので、その理由を電話で営業担当者に質問した。相部屋での他人同士の些細ないさかいを避けるため、との俗説に疑問を感じていたからだ。過去何度も相部屋を受け入れる海外旅行に参加したが、一度もその種のトラブルに遭遇しなかっただけではない。誰からもその種の体験談は聞かされなかったからでもある。

   簡単な理由だった。相部屋希望者数が奇数になった場合、一人分の相部屋割引料金(今回の場合だと29,000円)を旅行社が負担することになる。その費用が高くなるコースの場合は相部屋なしで募集するのだそうだ。記憶を辿ると、相部屋OKの場合はホテル代金が安いコースだった。然(さ)もありなん。発展途上国の団体旅行に多い理由が分かった。

   私は物心が付いた少年期から、花より団子主義。相部屋割引代金は『同室者との交際費や現地でのチップ、お土産代に当てる』のが、いつの間にか我が習慣になっていた。今回は往路にアブダビ空港の免税店で1,140cc(瓶は大型だが形状は標準型)のシーバスリーガルを購入。初めて体験した特殊容量のウイスキーだ。14%引きと大書した宣伝に釣られて!

   日本の酒屋で売られている輸入ウイスキー瓶は720cc前後が殆どだが、各国とも空港の免税店でのウイスキー瓶には720ccは何故か殆ど無く、1リットル以上の大瓶が大半だ。多くの国での持ち込み免税範囲の建前は容量、実態は本数主義の影響か?

   今回の同室者も相部屋割引料金の使途に関しては似たような考えだった。持参されていたお酒は2リットル入りの焼酎2パック。焼酎が大好物なのだそうだ。結局、2人では飲みきれなかった。私は現地での同行者との昼・夕食事時には、ウイスキーやワインよりも、大好きなビールを飲んでいたからでもある。

   氏は名古屋工業大学建築科出身。私よりも1ヶ月若い73歳。氏は同期生の美人の獲得合戦に勝利。でも、不幸にして奥様は一足先にご逝去。人生儘(まま)ならず。美人の奥様の写真と、一度も使っていなかった奥様のパスポートも持参されていたほどの愛妻家。

A セントレア内のラウンジ

   セントレア(中部国際空港)の最大の欠点は、成田との接続便の少なさだ。原因は成田の総発着枠の少なさにあるが・・・。その結果、今回は成田で4時間も待たされることになった。それなのに高い空港使用料金を強制的に支払わされるのは不愉快千万。

   発着枠を少なくせざるを得ない真因は、現空港の敷地内にある三里塚の保有者である先住民と空港関係者側との話し合いが不十分なまま、買収を強引に決めた経緯に端を発した相互不信にあるらしい。今では先住民の支援者達との紛争にまで拡大した。初期消火に失敗して大火を誘発したようなものだ。

   ことここに至ると政府は強制的に先住民を追い出し裁判に持ち込み、百年戦争を仕掛けざるを得ない。被告もいつかは所詮死ぬのだ。アジア各国のハブ空港との闘いに勝つには、日本の地形を地政学的に考えれば西行きは福岡(将来は新福岡?)、東行きは成田+羽田が妥当なのは火を見るよりも明らか。その一環として成田と羽田の空港は大深度リニア鉄道で繋ぎ、国際線の年間発着枠数を当面は両空港合わせて60万回、最終的には100万回レベルまで引き上げるべきなのに!!

   ゴールドカードのラウンジで暇つぶしを兼ねて、予ねてより疑問に感じていたビール会社の宣伝の妥当性(科学性)をじっくりと検討した。比較実験のために紙コップは2個用意した。

   このラウンジの生ビールはセルフサービス且つ飲み放題。ビールサーバーに紙コップをセット。ボタンを押すと機械は紙コップを斜めに倒して持ち上げ、紙コップを徐々に起こしながら泡の出ないビールをゆっくりと定量注入。その後、サーバーから規定量の泡が注入された。

   ビールを飲まずに紙コップの中の変化を暫く観察。泡は直ぐに消えた。ビールは表面から外気により温められる。温められたビールの比重は軽くなるため、対流は発生しない。ビール内部からの泡は幾ら待っても何故か殆ど発生しなかった。

   コップの中で泡がないビールの酸化は表面から進むはずだが、ビールのどの成分が酸化されるのか不明だ。エチルアルコールは酸化されると酢酸になるが、20分程度放置していても酸っぱくはならなかった。最初に飲んだビールと20分後に飲んだビールとには、味覚差は感じられなかった。しかし残念ながら、共に美味しさも感じられなかった。

   ビールの美味しさは、飲んだときに発生する口中や食道を刺激する炭酸ガスにあると気付いた。飲む前の泡の役割は口中で柔らかく接する感触にあったと改めて気づく。セントレアのビールは冷やし過ぎているのか、飲んでいる途中の炭酸ガスの発生量が少なく、何故か美味しさを感じさせなかった。

   係りの女性に『ここの生ビールは美味しくない。在庫の中から未使用の生ビール容器を持ってきて見せて欲しい』と要望。ラウンジ専用の安物ビールを仕入れているのではないかとの疑問を感じたからだ。街中の飲み屋でも見かける、プロパンガスの小型容器に似た回転楕円形のビール缶だった。美味しくないのはビールサーバーに原因があると認識すると共に、泡はビールの酸化防止のためにあるとの、ビール業界挙げてのもったいぶった宣伝に改めて疑問を感じた。

   このときの簡単な観察結果を帰国後、早速活用した。ビールを飲むときには冷蔵庫で予め冷やしていたジョッキを2個用意した。350ccの缶ビールをいつものようにジョッキに注ぎ、半分飲んだ時点で放置。泡が完全に消滅したのを確認後、もう一つのジョッキに残していたビールを30cm上から注いだ。泡は十分な量(体積の30%)になるほど発生した。

   それを飲んだら、最初の一口と同じような感触で美味しく飲めた。ビールを家庭で飲むときには、ビールだけではなくジョッキも2個冷蔵庫で冷やして置くに限る、と気づくまでに結婚以来43年間も掛かったのだ。後悔先に立たずとは正しく至言だ。独身時代には冷蔵庫を持っていなかったが、今や一人暮らしの大学生にも必需品のようだ。生活水準は、目には見えなくても着実に向上しているようだ。
   
   偶々六月下旬、オランダが世界に誇るビール、ハイネケンの歴史・製造工程・品質管理・新商品開発の特集番組(1時間もの)を見た。ビールの泡は250秒後でも一部は残ること、ビールを飲むときは泡の下から飲み、泡は飲まないことを強調していた。大きな泡は直ぐ消えるから少し多めにビールを注ぎ、上部に盛り上がって浮かんでいた泡は定規のような箆(へら)を水平に動かして掻き捨てた。
   
   泡は唇や口の中で感触を楽しみつつ香りを味わうものだそうだ。タイミング良いことには別の番組で国産ビールの比較テストも視聴できた。泡の寿命は最長でも僅か150秒だった。
   
   世界百ヶ国以上で生産されているハイネケンの水質管理も放映された。オランダには山が無く、水道水の水源はライン川の汚い水。ハイネケンの出発原料は何とその水道水。その中の臭気や異物を除去すべく多段階の工程を導入して浄化していた。どこそこの名水(正体不明の単なる湧き水に過ぎないが・・・)を使っているとの説明は一切出なかった。
   
   コカコーラが世界中で同じ味覚なのも同じ理由と推定し、積年の疑問が解けた気分だった。日本酒を含む日本の酒造会社の後進性が情けないだけではない。宣伝を真に受ける日本人の知的レベルの低さも情けない。現状レベルでは日本酒の世界への進出は難しい。ビール業界の海外進出は、日本には一目置いているアジア諸国程度か。
   
   ビールの品質管理には特に厳しいドイツでの街角の立ち飲み屋での体験だ。ドイツではコップの形や容量は異なっていても、どのタイプのコップにもビールと泡との境界面が現れるべき位置に線が引かれている。生ビールを注いで満杯になっても客は待たされる。
   
   私は『そのままで良いから、直ぐに飲みたい』と請求したが、頑固な店主に『3分間待て』と言われて拒否された。泡が沈静化した後ビールを追加し、規定容量に達したら『どうぞ・・・』とおもむろに渡された。大きな泡は既に消えており、寿命の長い小さな泡だけが浮かんでいる。これこそが、本物のサービス精神だ。 

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アラブ首長国連邦

   モロッコはアフリカ大陸の西北の果て。成田からの直行便が無くアラブ首長国連邦(アブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジマン、ウム・アル=カイワイン、フジャイラ、ラス・アル=ハイマの7首長国から構成されている小さくてもれっきとした連邦国家。尚、各首長国名と首都名は全て同じ。日本国・日本都と言っているようなものだが、違和感は何故か全く湧かない)の首都アブダビ経由だった。蛇足だがモロッコの首都は有名なカサブランカではなく、100Km北にあるラバトだ。

   今回の国際線はアラブ首長国連邦の国営会社。同連邦国の主力産業はエネルギー関連と観光。観光産業の窓口ともなるエティハド航空の機内サービスには満足。睡眠薬代わりのビールが飲みたくて客室乗務員をリモコンで呼ぶと、深夜でも即応してくれた。男性も女性もニコニコしながら機敏に働く姿は予想外。低身長(160cm)の私のような乗客が何時も難渋している機内持ち込み荷物の上げ下ろしを、気楽に手伝えるようにとの配慮かみんな背が高い。しかも若い美女・美男揃い。
   
   ペルーのマチュピチュ行きの長距離鉄道の客室乗務員は、意図的に若い美男・美女を採用し、車両毎に一人ずつ配属されている。帰路の彼らの職務はファッション・モデル。ベルー製の特産衣料品(私も買ったアルパカのセーターとか・・・)を着ては、車内をしゃなりしゃなりと歩く。殆どの商品は飛ぶように売れるそうだ。
   
   機内では飛行経路を表示する地図を選択。アラビア海の真上を通過するときに、右にはインド亜大陸、左にはアラビア半島とアフリカ大陸の東海岸、上部には西アジアや南アジア各国、その直ぐ右には中央アジアや中国新疆地区が表示されていた。

   それらを眺めていると古代からの、貿易風を利用した両大陸間の商船隊の頻繁な往来が容易に推定できた。我が受験生時代(約60年前)の世界史(教科書)の執筆方針は勝てば官軍の立場で書かれていた、欧米から見た歴史書の丸写しだった。



   おまけに世界地図は日本を真ん中に記したメルカトール図法を採用。同図法は実面積を勘違いさせるだけではない。歴史観すらも勘違いさせかねない。今回の旅行を契機に、去る7/15に今からでも役立つ地球儀(直径13cm・9,800万分の一)を500円で購入した。

@ アブダビ

   アラブ首長国連邦はイギリス(イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの連合王国)や旧ソ連のような一種の連邦首長国。首都は面積最大のアブダビにあるが、高層建築が犇(ひし)めき合うドバイの方がアブダビよりも所得は高い。


   
   アブダビは今まさに建築ブーム。自由奔放な外観デザインが目を引く巨大建築の建設工事が目白押し。中国の各省都の建築ブームのようだ。39年前(1973年)の春、初めての海外出張でエンパイアステートビルディングに上ったときには感動したが、今ではどんなに大きな建築物に出逢っても感動することは無くなった。工学の立場から評価すると、構造や建築材料に要素技術としては何の革新性も感じられないからだ。

   それどころか今では最適な建物(用途が事務所・ホテルなどの場合。高さが価値を持つテレビ塔などは除く)の高さは50階建てくらいではないかと思うようになった。高い建物はエレベータなどに貴重なスペースを取られるだけではない。冷暖房や上下水道などの維持コストも高く付くと感じるからだ。土地の有効利用でも、この程度で十分だ。でも、成金根性はどの国にもあるようだ。現在、世界一の高さを自慢している建物はハージュ・カリファの828m。でも、世界一の名誉が何年持つのか???

   モロッコ便に乗り継ぐまでの待ち時間(4:35⇒13:55)を活用すべく、アブダビでの短時間観光が用意されていた。

A シェイク・ザイード・モスク



   世界で三番目に大きなモスクだそうだ。総建築費は1,400億円。ドームの形はガスタンクのような球型。広大な敷地もモスク内部もピカピカに雑巾で常時磨いている。昼間の警備・清掃などの管理人は数十名? 床には世界最大と称している9億円のペルシャ絨毯(7,119平米)が敷かれ土足厳禁。入り口で渡されたポリ袋に靴を入れさせられ、退室時には返却。女性は全身を黒い衣服(貸衣装・無料)で覆わされ、魔法使いのような姿にさせられていた。
   
   欧州各国では中世には大聖堂が競うように建てられ、20世紀初頭には各国での建艦競争。石油ショック以降は中東各国で巨大モスクの建設競争。中東各国では国威発揚手段として、超大型モスクの建設や鬼面人を驚かすような超高層建築工事は、今後も暫くは続きそうだ。これらの競争にはコスト/パフォーマンスという概念はなさそうだ。
   
   モスクの外観には伝統化しているデザイン形式は無いようだ。オスマントルコの支配下ではお椀を伏せたような半球形、ティムール帝国下ではスイカの模様のような縦縞を窪ませた球形のドーム、ムガール帝国下では球形のドームの周りをHGウェルズが考案した火星人のような形(キューポラタイプ)をした無数の小さなドームで飾り、第二次大戦以降ではピラミッドのような四角錐など、時の建設者の趣味なのか自由奔放だ。
   
   西欧のキリスト教関係の大聖堂は2本の角状のタワーと平面図ではギリシア十字かラテン十字が多く類型的だ。でも、数ある教会建築で一番奇抜で且つ美しいと感じたのは、モスクワの赤の広場に建てられているロシア正教の葱坊主を満載したような教会だが・・・。
   
   宗教に関心がなくなった私には大きいだけのモスクにはがっかり。偶像禁止を徹底しているイスラームの今回見た新しいモスク(シェイク・ザイークド・モスク)には、内壁にも内部空間にも偶像を連想させる絵や彫刻が全く無く、単なるガスタンクのような外観では見ていてむなしくなるだけだった。これでは幾ら豪華な建物ではあっても無資源国の僻みも受けて、古くなっても世界遺産への登録は難しいのでは?
   
   金に糸目をつけずに集めた白大理石の輝きには一目置いても、オスマントルコのブルー・モスク、ムガール帝国の白亜に輝くタージマハル、カザフスタンのサマルカンドにあるティムール帝国の空色に輝く霊廟のような美観は残念ながら感じられなかった。
   
   中世に建てられた巨大なモスクや霊廟は、偶像の代わりにカラータイルを駆使したイスラーム様式の文様で飾られ、人力のみで建設したその偉業に一目を置くだけではない。その美観に触れると世界遺産として登録されるのも当然だと思うにつけても、新型モスクには魅力が無い・・・。
   

   
   当モスク内部で唯一光った存在は、超大型のシャンデリア。でも、地震での落下事故を真面目に心配した。私は下敷きになって死にたくはないのだ。幸い立ち入り禁止の綱が張られてはいたが・・・。

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モロッコ
   
   聖徳太子が遣随使(小野妹子)に託した国書(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや・・・)を思い出す。西アフリカ3ヶ国(モロッコ・アルジェリア・チュニジア)はマグレブと総称されているが、アラビア語の意味は『日の没する大地』。

   モロッコは英国との間に時差がない珍しい国だ。モロッコはサハラ沙漠を介してのブラックアフリカ、ジブラルタル海峡を介しての欧州、イスラームを介してのアラブ各国との接点にあたる文化と交易の交差点となっている国。私には異文化とは何か、を深く考えさせられた国だ。

@ カサブランカ

   アブダビからカサブランカまでは短距離と思っていたら、飛行時間は何と8時間35分。アフリカの大きさを改めて体感。18:30に到着。カサブランカでは宿泊しただけ。都心に建つホテルの窓からは緑溢れる広場だけではなく、美しい椰子並木も眺められた。汚いと言われていたアラブ各国も外国人来訪者の増加に伴い、都心や幹線道路は樹木と花壇に溢れ、清掃活動も徹底してきたようだ。



紀元前10世紀にベルベル人がアンファという地域に定住したのが、カサブランカの始まりだといわれている。紀元前7世紀頃にフェニキア人、紀元前5世紀頃にはローマ人と交易が行われていた。

7世紀、アンファを中心とした独立国家が形成されたが、1188年にイスラームのムワッヒド朝に支配を受けることとなる。14世紀にはマリーン朝によって大規模なイスラームへの改宗が行われた。またその頃、港湾が大きく発達した。

15世紀になってアンファは再び独立を果たした。アンファの港を拠点とする海賊船がポルトガルやスペインを襲い、1468年にそれに怒ったポルトガル人によって焼き払われてしまった。

1515年に、ポルトガル人によって町の再建が行われ、町を"Casa Blanca"(ポルトガル語で「白い家」)と名付けた。しかし、1755年に起こったリスボン大地震によってカサブランカも甚大な被害を受け、ポルトガル人はカサブランカを去った。


    カサブランカは長い歴史を有する街だ。でも、私にとっては長女が母の日のプレゼントとして結婚以来毎年、宅配で届けてくれる白く・大きく・香りの高い百合の花としての記憶が強い。いずれ我が愛しの花壇でも育てる計画だ。

   翌朝、内陸部の古都メクネスに移動
   
A メクネス



マンスール門

   モロッコで一番美しい門だそうだ。門と聞けばローマ時代の凱旋門の猿真似のようなパリの凱旋門が有名だが、ローマ様式は外壁が彫刻で満艦飾。一方マンスールの門は平面と円弧で構成され、表面はイスラーム文様のカラータイルで飾られているだけだ。
   
   
イスラームの教義が偶像崇拝を厳禁するものだったため、アラベスクと呼ばれる抽象的で平面的な装飾文様が発展しました。
   
   その無限の文様を大雑把に分類すると、幾何学文様、植物文様、組み紐文様、文字文様の4種類になります。アラベスクという名はこれらの多種多様なものの総称として、ヨーロッパ人が付けたものです。

   
   私はいつの間にか、これらの文様で装飾された建物を見ると心が安らぐようになっていた。疲れが溜まらないのだ。当日は時間も足りず、マンスールの門は外から眺めただけだった。
   
B ヴォルビリス





   ヴォルビリスはモロッコに現存する古代ローマ最大の遺跡。40ヘクタールの敷地にはローマ様式の一連の凱旋門・神殿・公共広場・公衆浴場・邸宅などがあったが、18世紀の大地震
(1755年のリスボン大地震)で崩壊。現在は修復中。イスラーム世界では場違いに感じる、ローマ帝国が残した貴重な世界文化遺産。

   ローマ時代の石造建築の特徴は石の形や大きさが標準化されていることにある。その結果、コロッセオも長大な水道橋も構成部品は大勢の石工を動員して並行して加工でき、短期間に工事が完了した。でも、この標準化の発想の元祖はエジプトのようだ。ギーザのピラミッドにもその知恵の片鱗が伺える。一段分の石の高さを統一しなければ建設不可能だったからでもあるが・・・。
   
   日本の城や精緻さを誇るインカ帝国の石垣にはその種の工夫が見られない。日本の城郭の石垣は野面積みが殆ど。全ては現物合わせだ。現在の自動車生産は構成部品を標準化し、国内各地どころか国際的な調達体制下で分業生産されているが、いわばその生産技術の元祖はエジプトの巨石建築や中東の日干し煉瓦造りの発想にあったと推定。門の写真をじっくりと眺めると納得できる。



   草むらの中に野生のエスカルゴ(カタツムリ)が生息。地元の青年が無心になって獲っていた。フランスが誇る食文化の元祖の一つはアフリカか? 私は若いころ出張帰りに日本橋の高島屋でエスカルゴを購入。試食してがっかり。タニシに軍配!

野面(のづら)積み

自然石をそのまま積み上げる方法である。加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵軍に登られやすいという欠点があったが排水性に優れており頑丈である。

技術的には初期の石積法で、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16世紀の戦国時代のことである。

C フェズ

   どのガイドブックにもフェズは世界一の迷路の街だと紹介されている。何故こんなに複雑な街にしたのか見当も付かない。方向音痴ならずとも、地元のガイド抜きでは迷子になるのは必定だ。

   同じ古都でもローマ帝国の各地の大都市、中国の長安(現代の西安)、長安を真似た日本の平安京(京都)などが大通りを碁盤目状に配置したのとは大違いだ。フェズには高層化された建物が無く、道は極端に狭く物流は今でもロバ。



   低層建築の壁は厚く(50〜100cm)耐震性・耐暑性も抜群。大邸宅の場合は広々としたホールもあり住み心地はよさそうだ。




   
   皮革産業も盛ん。皮のなめし作業は気の毒にも昔ながらの臭気溢れる方法。柔らかくなった皮で作られた鞄や手袋など、溢れるばかりの各種製品が販売店の天井の高さまで壁面に吊るされている。こんなに膨大な数の商品を誰が買うのか不思議なくらいだ。



   冷蔵庫が普及していないためか、鶏などは生きたままの販売。肉類は大きな枝肉状のものが店頭にぶら下げられており、塊状に切り取り量り売り。消費者も逞(たくま)しい。



   モロッコの象徴はタジン鍋。半沙漠国のモロッコでは水を使わなくても調理出来るタジン鍋が発明された。野菜類を鍋に入れ、その上に肉などの食材を積み上げる。鍋の蓋は円錐状。蓋の頂点には蓋を持ち上げる取っ手。

   鍋をコンロの上に置き、ゆっくりと加熱すると野菜から水分が滲み出し、水蒸気となって上昇。円錐状の蓋に当たって結露し、蓋の内側を伝って鍋に還流。ほうれん草など水を使って茹でる場合と異なり、貴重な旨み成分が流出する心配も無い。尚、カラー製品は装飾用、調理用は陶器製の茶色。


   


   21世紀になって無水鍋の一種として日本でも人気が出てきた。今では電磁調理器用も売り出されている。私も昨年1個購入した。温泉旅館でも個食用として小さなタジン鍋が使われ始めた。

   タジン鍋のアイディアを活かした金属製の無水鍋が日本でも売り出された。人気沸騰。注文しても2年半も待たされるとか。





   モロッコではモザイクを活かした商品作りも盛んだ。狭い工房で埃まみれになりながら職人がモザイク片を無心に造っていた。TOTOなど日本の白い陶器製品には清潔感はあるが味気無く感じられてきた。

D エルフード



   フェズからサハラ沙漠への途中に聳えるアトラス山脈に差し掛かると、風光明媚なリゾート都市イフランがある。緑溢れる保養地としてフランスの植民地時代に建設された。アフリカには珍しいスキー場もあったが、資金不足かリフトが無い。







   アトラス山脈を越える途中に素晴らしいズイズ渓谷があった。乾燥地帯の禿山からの湧き水が渓谷をうねりながら流れていた。今回の旅のハイライトの一つだ。



   モロッコには発掘される化石が多い。化石が埋もれた石を磨いてお土産として販売していた。私は化石を含む石をタジン鍋の形に加工した装飾用のお土産を記念になればと購入した。化石とタジン鍋の一石二鍋(鳥)だ。
 
   ホテル近くの化石加工工房へ出掛けた。大小種々の装飾品が展示されていた。大きいものは別送できるそうだが、博物館向きだ。一般家庭では購入しても飾る場所が無い。





   朝日が砂丘から昇る1時間半前、4WDに分乗してホテルを出発。道なき道を30分、真っ暗闇の中を移動して下車。そこから希望者は駱駝に乗って砂丘の麓まで移動。徒歩で付いて来る元気な人もいた。
   
   駱駝に乗るのはパキスタン・エジプトに次いで今回が3回目。でも、私には経験知の学習効果が無いようだ。駱駝の足はパンタグラフのように折り畳むことが出来、静かに正座している。象や馬のように素人が乗るためのブラットフォームは不要。でも、駱駝が立ち上がるときの上向きの加速度は予期せぬ大きさ。
   
   お尻を強打され、肛門周りの皮膚が擦り剥けた。椅子に座るのも痛く完治するまでに2週間も掛かった。幸い化膿だけは避けられたが・・・。
   
   高さ30m程度の砂丘を自力で登らされた。砂に足が潜り込み大変歩きにくかった。砂丘の峰に腰掛けて朝日が昇るのを待った。
   


   数頭ずつ手綱で繋がれた駱駝を一人の駱駝使いが自由に誘導していた。明るくなった帰路では写真撮影も積極的に引き受けた。チップは弾まざるを得ない。駱駝の影が砂丘の斜面に幻想的に映った。

   小学生のときの学芸会を思い出す。月の沙漠(作詞 加藤まさを、作曲 佐々木すぐる)を連想。月の沙漠の曲に合わせた踊りが手抜き教員の定番だった。





   駱駝の耳には鑑札が取り付けてあった。



   遊牧民のテントを使った簡易宿泊ホテルもあったが、我が仲間は質素だがまともなホテルに泊まった。
   

   
   アトラス山脈からの水を引く『カナール』の竪穴。西アジアの大帝国ペルシアを初め乾燥地帯での地下水道は、インカ帝国やこのモロッコにも建設されていた。しかも、ここでは数本も並行して掘られていた。今では人口希薄な地域にも拘らず、幹線道路に沿ってカナールの1本は贅沢にも下水道に転換されていた。
   
   地下水道のこの種のアイディアは世界各地で実用化されている。このカナールはローマ帝国の地上水道の大水道橋とは対照的だが、古代人の忍耐強い努力に感嘆する。
   
   それに引き換え、我が郷里の福岡市の夏場の水不足騒ぎにはいつも幻滅。筑後川にダムを建設し、背振山地にトンネルを掘る程度の工事は、現代の土木機械を導入すればいとも簡単なのに。偶には古代人の爪の垢でも飲めと叫びたくなる。長江の水を黄河に引く中国の国家事業に比べれば月と鼈(すっぽん)の規模だ。でも、行政の責任者は任期中に完成しそうも無い、福岡百年の計の決断からは逃げるばかり!
   


   渓谷沿いには延々と続く長大なオアシスがあり、防砂目的も兼ねているのか植林もされ、中央部は野菜畑として活用されていた。太陽光線には恵まれており、我が積年の家庭菜園の体験を思い出すまでも無く、水さえあれば野菜の栽培には最適な環境だ。



   駐車場用の空き地も乏しいトドラ渓谷にて散策。時間に余裕のある外国人が絶壁で岩登りに挑戦しながら楽しんでいた。
    


E アイト・イン・ハッド

   この河の向こうの小山は要塞都市の一種。日干し煉瓦を積み上げた小さな家が密集し、くねくねと曲がった細い道が100m程度の頂上まで続く。このアイト・イン・ハッドは世界遺産だそうだが、今では数家族が住んでいるだけ。限界集落の発生は今や世界中で起きている。子弟の教育費の支払いなどに必要な現金収入が無くては、自給自足だけでは生きていけなくなったのだ。
   
   現地のガイドに時間が無いと尻を叩かれながらも、必死になって登った。我が同行者の半分くらいは途中で引き返した。私はここでも最終歩行者になった。とは言え、どんな行列にも不名誉な最終歩行者が必ず発生するのは止むを得ない現象だ。私がその役を一人で引き受けているのだと自認しつつ・・・。
   

   
   ここはアトラス山脈が壁となった半沙漠地帯。サハラ沙漠の北端。日干し煉瓦を積み上げて暮らしている『マリ』の雰囲気にそっくりだ。
   


   マラケシュまでの道中、サボテンで囲まれた農地が拓けていた。サボテンは野生動物の侵入を阻止するだけではない。泥棒避けにもなる一石二鳥のアイディア。我が家の東側は県営住宅の6m幅の私道に接している。我が家とブロック塀との間は幅1mの通路。そこに棘のあるサボテンと蔓バラを密植した。通路を通って庭に抜け居間に侵入するかも知れない泥棒避けに役立つと確信したからだ。モロッコの人たちの苦肉の策を見ながら思わず苦笑・・・。



   こんなに美しい大山脈を見たのは初めてだ。紺碧の空・白銀に輝く雪・草木も生えない山・今にも崩壊しそうな岩・緑滴るオアシスの樹木。五色が織り成す美しさは、ペルーで見たアンデス山脈や中央アジアで身近に見た天山山脈を凌駕。アトラス山脈の貫禄十分だ。飛行機の上から眺めたヒマラヤ山脈・ロッキー山脈・アルプスやスイスのユングフラウで見た氷河よりも美しく感じた。

   たった一万円で購入した最安値のデジタルカメラの威力にも驚く。我が富士フィルムと世界各地で競合していたコダック社が、写真フィルムに固執した結果倒産したのも不思議ではない。

F マラケシュ



   ハーブティーを飲みながら手作りの楽器による音楽に耳を傾けた。西洋音楽とは異なる世界の音楽にも魅力を感じた。3B(バッハ・ベートーベン・ブラームス)の名曲を聴くと疲れるが、民族音楽を聴くと何故か心が癒される。





   マラケシュは モロッコの内部にあるフェズに次ぐ古都。日干し煉瓦の低層建築が建てこみ迷路を構成。フェズに負けず劣らずの商店街が広がる。その中心部にあるジャマ・エル・フナは、一万坪は優にありそうなモロッコ最大の広場だ。

   広場の面積の1/3は巨大な屋台街と果物や飲み物などの売り場。モロッコ料理に群がる外国人観光客で立錐の余地も無い。残りの広場では大道芸人が得意技を披露している。私は蛇使いの技に見とれていたら、不意に首に蛇を巻きつけられた。冷たい感触にびっくり仰天。すかさず芸人の仲間は私が首からぶら下げていたカメラを鎖から外して、撮影してくれた。驚きのあまりチップを渡すのも忘れてしまった。



   この広場では直径15mくらいの人垣が無数に自然発生し、その中心部には大道芸人がいたり、面白いゲームを提供したり・・・。全部を見回るのは与えられた1時間では不可能だった。





   広場周辺を案内する観光用2頭馬車がタクシー乗り場のように数十台客待ち顔。馬糞が自動的に集荷できる袋を尻に取り付けていた。欧州各地の観光馬車でも見かけなかったアイディアだ。

   第2次世界大戦も今や昔。戦後の復興も終わり、日本でも西欧でも年に数回程度の伝統ある祭りを復活させている。しかし、このマラケシュの広場は年中無休。祭りそのものの盛況。冬でも午後10時まで、夏は午前2時まで続けているとか・・・。

   マディーナ(メディナ)は本来アラビア語で「町」を意味する普通名詞であり、北アフリカ(マグリブ)などでは「旧市街」の意味で用いられる。世界遺産のフェズのメディナ、マラケシュのメディナなどが有名である。

アル・ジャディーダ

歴史上、アル・ジャディーダは、モロッコ人、古代ローマ人、ポルトガル人などがめいめいに呼んできたため、いくつかの異称を持っている。

マザガン(マサガン)もその一つである。この町の最古の言及者は、カルタゴの航海者ハンノである。その数世紀後には、プトレマイオスが、彼の緯度表記でいうところの6度40分に位置する港ルシビス (Rusibis) に言及しているが、これは現在の北緯32度10分に位置するアル・ジャディーダに対応している。



時代が下ると、戦略的重要性からポルトガル人がこの町を占拠した。彼らは、1506年頃にマサガン砦を築き、1542年には町自体が要塞化され、分厚い壁がぐるりと取り囲む堅牢なシタデル(城塞都市)となったのである。

アル・ジャジーラ

従来からの欧米(キリスト教文化圏)中心の視点とは異なるアラブ系メディアであり、アメリカのテレビがアメリカ社会、文化に偏向しているのと同様、アルジャジーラも当然アラブ社会(およびアラブ世界の一部を含むイスラーム世界)、文化に偏向しているが、これが直ちにアルジャジーラが反米メディアである事を意味しない。

カタールは、欧米諸国に対しては、イラク戦争では基地を提供する程度には比較的に穏健な姿勢であり、このアルジャジーラはカタール政府が西洋の近代的メディアを手本に創設したものである。また、パレスチナ自治政府の汚職などの問題を追及したり、イスラエル人が出演してヘブライ語で話すなど、他のアラブのメディアがやらなかったような事も積極的に取り上げる。

アル・ジャディーダと紛らわしいが、アル・ジャジーラはマスメディアの名称。

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アラブ首長国

@ ドバイ




   ドバイのあちこちで外断熱の建物を発見。建物全体が白い布で覆われている。日陰の中に建てられているのと同じ効果だ。日本では葦(よしず)やゴーヤで南面の窓を覆う断熱が流行り始めたが、直射日光が一日中当たる陸屋根を断熱する人は少ない。古くはデパートの屋上、最近は大型の建物に屋上庭園を造る例も増えたがコストが掛かりすぎる。私はドバイに軍配!



   一棟一棟のデザインが異なる超高層ビルが密集して建てられている。容積率のルールがあるのか無いのか未確認だが、密集した建物の間の道路幅は意外に狭く一方通行が多い。車での移動に苦労させられている。我が観光バスも近くへの移動なのに遠回りの憂き目。



   古い市場には日除けとなる木製の屋根があった。香辛料・布・金などの店舗が目白押し。



   金製品の氾濫。このウインドーの商品の時価が幾らになるのか、流石は石油成金国。



   水上タクシーがひっきりなしに僅か数百メートルの対岸までを往復している。時刻表は無く満員になると出発。観光客が溢れており、待ち時間は無いも同然。海水が意外に透明且つ塵が浮いていないのに驚く。

   現地日本人女性ガイドに下水処理場はどこにあるのかと質問。初めての質問らしく、携帯で事務所に照会。数時間後に返事があった。15Km離れた場所にあるのだそうだ。



   今や盆栽(
Bonsai)は世界的に流行し始めた。コンクリート沙漠の中に住むと人にも緑が恋しくなるようだ。木のデザインは好き好きとはいえ、この作者は高層ビルをテーマにしたのだろうか?



   バージュ・カリファ(世界一の超高層ビル)の隣接地に建設された世界一のモールだそうだ。テナントは何と1,200店。世界各地の有名ブランドが揃い踏み。各テナントの店舗も大きく、通路も広い。延べ床面積は優に500,000平米はありそうだ。
   
   内部の通路は広く取られ歩きやすいが全部のテナントの見学は与えられた1時間では無理。大きな食品スーパーがあった。でも、イスラームの支配力は強い。無数の外国人観光客が来ているのに、酒類は全く無くがっかり。

       尚、店舗面積日本一のモールは埼玉県越谷市のイオンレイクタウン。テナント710店・店舗245,223平米・駐車場10,400台だそうだが、私はこんなに大きなモールは歩き疲れるから見学する気も起きない。相性が良いのは2万坪(66,000平米)クラスのデパート。
   
   ドバイはどこでも免税店なのに、空港の売店とは異なり、ここでの外国人は買物は殆どせずぶらぶらしているだけ。賑わっているのは120店もあるというレストラン。
   


   高さ828mの世界一を誇るバージュ・カリファ。既に1,000m級の建物の建設計画がサウジアラビアにあるそうだから、世界一も花の命か?

   建物の外観は大型の門松の竹の飾り方に似ている。人間ピラミッドのように断面積が上階ほど徐々に小さくなり、応力の均一化には工夫が感じられる。事務所には広いフロアは使いやすくても、外壁が少なくなるマンションの住民の住み心地を尋ねたくなった。私は暗室のような部屋には住みたくないからだ。



   7つ星と自称している超高級ホテル。アラビア海で活躍していた『ダウ船』の帆の形を活かした外観に特色がある。遠くから写真を撮っただけ。

   無人運転では世界最長(52.1Km)と称する真新しい日本製の地下鉄に乗った。窓際の頭上には縦方向に丸いステンレス製の棒はあるが、何故かつり革が無い。よろよろしながらも背伸びして棒に何とか手を触れようとしたその瞬間、目の前の座席に座っていた青年がすっと立ち上がり『どうぞ』、と席を譲ってくれた。

   私は腰が抜けるほど驚いた。我が体力の衰えを隠しきれなかったからだけではない。『衣食足りて礼節を知る』ドバイの青年のさり気無い行動に感動したからだ。たった15分間の地下鉄体験だったが、下り際には青年に感謝の言葉を述べて握手。

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おわりに
   
   『はじめに』に記したように、身から出た錆とはいえ今回の海外旅行ほど体力不足を痛感した体験は無かった。肉体だけではない。並行して頭脳の働きも衰えていた。僅か3ヶ月前の旅行なのに旅行記を書き始めたら、あちこちでの記憶喪失を発見。失った記憶は幾ら写真を眺めても残念ながら戻らないようだ。今回の旅行記では、旅行社から渡された『旅のしおり=旅程が記された小冊子』にあった盛り沢山な訪問箇所があちこち(3割位)で歯抜けになった。我ながら情けない。
   
   次回の『スリランカ』旅行に備え、初めは半信半疑だった大腿筋の強化訓練も、断酒と並行して断固として継続することにした。ゴルフやテニス仲間がその効果を徐々に評価してくれるようになった結果、今からでも間に合うと確信し始めた。断酒には肉体的な努力は不要だが、大腿筋の強化は積極的な肉体運動を伴う訓練抜きには実現不可能だ。
   
   旅行中、垂れ尻をゴキブリかアヒルのようにぶらぶらと動かしながら歩く、産卵期も過ぎた老婆達にすら追い付けなかった歩行速度も徐々に回復。靴下や衣服の脱着も片足立ちのまま出来るようになった。
   
   退屈な訓練(毎日1回、高々15分間)の継続は『言うは易く行うは難し』の典型で、精神的には禁欲と同じように大変難しい。しかし、今では朝風呂後の最初の仕事として、生活の時間割の中に定着した。序に、猫の額ほどの面積に過ぎない庭・花壇・家庭菜園の定期的な維持管理も、モロッコからの帰国後に開始。平均毎週1回(晴天に限るので不定期)に過ぎないが、2時間を上限とした肉体労働として定着させた。
   
   芝生刈り(20坪弱だが、電動芝刈り機を使う軽労働)。花壇(傾斜地に造成した棚田風の、たったの3坪(50cm*4m*5段)の草取り。家庭菜園(20坪弱)では畝と畝との間の溝(8m*6本)に畝から雨で流されて溜まった土と、畝の法面に生えたばかりの小さな雑草を鍬で削って野菜の株元に土寄せ。それに引き続いての畝の中の単なる草取りに過ぎないが・・・。
   
   その後はラフからフェアウェーに変わったような、小さくても美しく感じる芝生や花壇を眺めながらの、無念無想の露天風呂三昧を1時間。最後の工程はこのときだけ臨時に解禁しているビール(たったの1缶350ccに限定しているが・・・)と摘みを真っ白なガーデン用テーブルに持ち出し、椅子に座り込んでのんびりと時間をかけての賞味。
   
   余生の過ごし方としては、恥ずかしくて人にも言えないようなささやかさだ。でも、細々と生きている年金生活者である私には、たった数時間の野外活動にもかかわらず十分に満足している。これぞ正しく誰にも煩わされることも無い、典型的な晴耕雨読(著者との知的闘いになる読書は疲れるから止めた。今ではパソコン相手の暇つぶしに変わった)の知足生活だ。

蛇足

   
今回の旅行は期せずして『ボケた余生のシミュレーション体験』になった。いつもは同行者との交流にも強い興味があったのに、全く関心が生まれなかった。日本から付いてきた50歳代の超ベテラン男性添乗員とも話が弾まなかった。外見上は無口になったのだ。

   昼・夕食ではその土地の名物料理も何度か出されたのに、何を食べたか殆ど思い出せない。短期の記憶力が激減したのだ。注意したのは食中毒だけ。加熱調理をしたと分かった料理だけを選んで食べた。幸い下痢は発生しなかったが、同行者には体調を崩した人も発生。バスで移動中、遂に我慢が出来なくなった女性が青空トイレを申告。

   頭の働きが極端に悪くなった。キャノンのカメラのマニュアルを読んでも理解できなくなり、画像の中に日付と時刻を挿入する操作が出来なかった。デジタルカメラ持参の目的は旅の工程が写真撮影の順番で追跡できることにあった。でも、記憶がなくなると写真列と日程との対応が分からなくなった場所もあり、今回のレポートに間違いが闖入している可能性が残った。

   大学入学以来、半世紀以上も日経と朝日を読み続けた。日経は大学と会社で読んでいたが30年くらい前からは自宅でも購読開始。でも、頭の働きが落ちると新聞を読む意欲も激減。5/1から朝日は朝刊のみ、日経は土日の朝刊のみの購読に変更した。新聞は各紙(朝日・読売・毎日・日経・産経)のホームページの拾い読みだけだが、日常生活には何の支障も発生しなかった。余生に予期せぬほどの時間のゆとりが発生し、やりたいことをやりたいだけやれるようになった。

   持ち物の整理も再開。丁度50年前(1962年)の大学の卒業式の日に航空学術賞の副賞として貰った腕時計にも飽きたころ、25年前(1987年)の海外出張の折に買った三連ベルト式のロレックス(当時の価格はデパートでは89万円だったが、アンカレッジの免税店では35万円だった)も定年後は使う機会も無く、先月愚息に形見として渡した(長女と次女の婿には結納時に、本人達の希望した型式のロレックスをお祝いの品としてプレゼント済み)。機械式は2日間使わないと停まるので自動巻き装置を買った。自動巻き装置は意外に寿命が短く今は三代目。代わりに980円の電波時計を買った。究極の精度に超満足している腕時計だ。

   最大の課題は脚力不足にあった。20歳代には5,950ccの肺活量を誇り、3,000m級の北アルプスへ友人達と出掛けた折に、坂道を駆け登った体力も今は昔。足が持ち上がらないのだ。歩行速度が極端に落ちた。でも、5/6の断酒決行以来、徐々に体力が回復してきたのを実感できて嬉しくなった。

   今秋のスリランカ旅行(11/15〜11/22)までには体力も1年前の状態に回復していることを期待しつつ・・・。

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読後感
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モロッコ読後感(22ページまで)

 「石松旅行記」は何時も読むのが大変。大体他人に読ませるという姿勢で書いた文章ではない。私は有償の仕事で忙しいから、本来は無報酬の仕事は後回しだが、石松大先生のうんちくを傾けた旅行記なので、襟を正して拝読。しかし今回は、読んでみるとうんちくが大分減ったね。いよいよ後期高齢者だ。 

私は今キルギス共和国のビシュケクにいる。当地政府の運輸通信省の一室で、「全国交通総合マスタープラン(2025年次目標)」を作成中。スポンサーはアジア開発銀行。現在は第二次出張中。83日朝ビシュケク空港発、ウルムチ乗り換え⇒北京⇒成田と飛んで一時帰国。引き続き820日朝成田空港発で第三次キルギス出張。 

まず、キルギスは途上国なので大容量添付メイルの受信に苦労したが、ウエブメール方式で何とか受信。大きな写真の連続には閉口。それにしても石松氏自認の通り、「石松氏も老いたり」だね。 

まず、最初のページの「首に蛇のからまった写真」、「本人お気に入りの写真」で冒頭に持って来たようだ。代表的写真という点では同感だが、何というか、老醜、意固地、偏屈、延命本能、痴呆開始、すべて出ている。ズバリだね。葬儀用写真にも最適。中国(ロシアもそうらしい)の高級墓地のように、墓石にぜひ貼り付けることをお勧めする。バランスを取るために若い日の写真も一緒に。 

それにしても旅行記タイトルがモロッコで、いきなりアブダビの話ではびっくりする。ぜひ旅行社が苦心して作ったタイトルを若干短縮して掲載すべし。例によって、日程表も地図もない。とにかく地理に弱い石松氏だ。歴史には強いが。どこを動き回ったのかさっぱり判らない。専門外の分野の「出来の悪い未完成論文」の査読を頼まれたようなものだ。疲れるね。 

私はモロッコには行ったことがない。JBICのモロッコの全国水道調査出張の話が2006年秋にあった、行きたかったが同志社大学院の講義と若干ぶつかるので辞退した。当初2週間の休講だから、行けばよかったと今は思っている。 

インターネットで旅行業者の日程表を取り寄せ、パソコン地図のモロッコを拡大して、大体の行動範囲は分かった。行程にある世界遺跡もインターネットで大分分ったが、とにかく今は仕事で忙しい。年金生活14年の石松氏とはもう同期生というよりも親子ぐらいの年齢差だね。

石松氏も大分弱ってきたようだ。がん患者の10年来の延命努力にも限度あるだろう。「もう十分延命努力したから、そろそろいかが」というべきか?それとも「更に一層の延命努力を」と励ますべきか?

それにしても、旅行費用が安すぎる。これでは業者も大変だ。エティハド航空はアブダビの航空会社、昨年初めて成田にも就航した。私も宣伝の記念品を同社から貰った。中東の航空会社の雄は、ドバイ拠点のエミレーツ航空。今や世界で評価ナンバーワン。中東(もっと広くイスラム圏)の航空ハブのドバイ空港を知らなくて、世界漫遊100か国というのも、嫌味、老醜まき散らしだけだったのか?エミレーツ航空の飛行機は3年で売却。常に最新の機種だ。エミレーツのファーストクラスは最高だそうだ。冥途の土産にお薦め。私は乗ったことはない。航空券は何時もスポンサーから現物支給だから選べない。 

成田の保安サービス料の受取人は、空港会社。荷物検査や警備員の費用になる。 

4ページのリニア鉄道は不要。今でもリムジンバスで両空港は60分。それで十分。国際線発着回数は現在成田・羽田の両空港で28万回、2014年で36万回。これで限度だろう。だんだん生産年齢人口は減ってゆく。旅行人口も減ってゆく。日本人は次第に貧しくなって行くし。福岡新空港も国内線中心だろう。北京第二空港は滑走路9本だと(2017年完成予定)。 

ビールのグラスを冷やすというのは芦屋令嬢育ちの奥様に教わった(福岡県芦屋町ではない。神戸の芦屋市)。 

8ページ記事、500円の地球儀とは情けないね。今はもっと立派なのが沢山ある。猫に小判だが。エンパイヤステートビルには私は1970年。3年先輩。汚いNYにはがっくり。ノーフォークの軍港からグレイハウントでNY見物。 

ドバイ、イスタンブール、タージマハール、サマルカンド、いずれも行ったことはない。私も年金生活者になったらいずれは行きたい。アブダビ・カサブランカの飛行時間8時間など当り前でしょう。地球儀が頭に入っていない。石松氏への香典は地球儀の現物で差し上げて一緒に火葬だね。 

1999年に象牙海岸に2往復、パリ⇒アビジャン間を4回飛んだ。夜間飛行では地中海の星空が美しく、昼間はアトラス山脈を越えたら広いサハラ砂漠があった。 

タジン鍋は知らなかった。キルギスでも野菜の水分を利用する鍋料理をやっている。おいしかった。 

エルフードもイフランもデジタル地図で位置は判明。22ページのズイズ渓谷はまだ判らない。今日はここまで、疲れた(22ページ)。

                 読後感続き

さて今日はズイズ渓谷から。インターネットで一連のズイズ渓谷の写真を数枚紹介している人がいる。判りやすい写真だ。なにしろ石松旅行記は「未完成論文」で、インターネットで第三者の旅行記を幾つか参照しないと、どこを動き回ったのか良く判らない。今回の石松ツアーのルートは標準コースのようで、同じコースを拡大地図や一連の写真入りで要領よく紹介している旅行記もあり、それらを読んで段々現地事情が分かってきた。

今日はキルギス最後の日曜日でホテルでは荷造りもあり、また同僚への追加説明資料作りもあり忙しい。石松氏は最近まで日経、朝日を取っていたそうだが、私は、はるか前にやめている。インターネットの無料記事で日経は十分。日経など読んでいるから日本人団員は今や鉄道建設の意義も判らなくなってしまった。相変わらず貨物量予測とかライバル線との運賃比較などやって、また日本国内のノロノロ鉄道建設ペースでキルギス国内268キロを2025年完成だといっている。

キルギス交通総投資計画額の70%を占める(将来は欧亜)東西連絡鉄道は、中国が「コンセッションで建設免許をとり、中国資金で、中国のために建設して、中国のために運転する鉄道」だというのが判らない。2014年米軍アフガン撤退後のアフガン南北分割に参加するためにも中国は当該鉄道建設を急いでいる。年々何千キロという鉄道をどんどん開通させて中国の国内鉄道建設部隊が乗り込んで来るのだから、あっという間にキルギス区間268キロは完成して更に西へ進む。

さてモロッコ旅行記後半はインターネットで読んだが、分類がアフリカでないのはおかしい。モロッコは北アフリカだが、アフリカはアフリカ。キルギスの方を画面で先に読んだ。やはり今いるところはピンと来るね。

それに、キルギス旅行記の時は、石松頭脳も明晰だね。性格はよいとは言えないが。同行者の記述も詳しい。年金100万円の実業家には感心。私も金融資産は個人年金タイプにしておくべきだった。そうでないと、お金を使えない。個人年金については研究不足だった。家内は残高を増やすことに今でも固執している。稼ぐだけの人生はむなしい。

福岡市水道局のHPはパキスタンで業務上見た。筑後川から水が来ているはずだ。中国の「南水北調」プロジェクトには世界銀行中国水道案件で、以前関係した。長江⇒黄河⇒北京へ水を送る。ルートも3本ある。大運河も改修して活用する(東ルート?)。中国の土木工事はスケールが大きい。万里の長城をはじめとして。

アトラス山脈は飛行機から見ただけだが、天山山脈もいいね。毎回ウルムチからの飛行機で見ている。

マラケシュもドバイもいつかは行ってみたい。評判最高のエミレーツ航空で。日本の自宅には「地球の歩き方(モロッコ)」が、結局辞退した出張準備の際に、買ったのがある、まずそれを読んでからモロッコを勉強。今は忙しい。これで読後感は終わり。

@ トヨタ同期・工⇒1年で依願退職⇒東大経済⇒国家公務員キャリア⇒波乱万丈の人生⇒金融資産を増やすのが唯一の趣味らしい⇒今尚、敷地102平米・駐車場もない掘っ立て小屋生活⇒泥棒の心配は無用⇒再々婚相手は北京美人。
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年齢以上の訪問国着々達成で素晴らしいですね。

ドバイなど長時間の飛行機は体力的にたまらんとゆう気がするのですが、なんだかんだといっても
石松さんは元気なんですね。

珍しい国での珍しい食事も教えてください。

A テニス仲間・トヨタ先輩・経・超多趣味⇒囲碁・バドミントン⇒国体・バードウォッチングでは国内外旅行・・・

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行動力で襲い掛かる敵、病気に負けない貴方のマインドに敬服しています。

小生もこの3月からスイミング-プ-ルでの歩行を止めまして、ほぼ毎日1.5時間二本杖持参で歩いています、お蔭で持久力も回復しましたので、この暑い中積極的に汗を出してバテずに体重の維持、血圧の安定がなんとか保てています。

石松様も大いに日々をエンジョイして下さい。貴方の処方を参考にさせて戴いています。元気で---ピン--ころり、を目指したいものです。積極的に楽しんでやろうと思いつつやっています。

追伸

モロッコでの写真は何か痛い思いでもされたのでしょうか、苦味ばしった顔をしておられるのですが。

相手の方はどんな身分の人でしょうか、言葉は何語で会話をされるのですか、気候は寒かったのですか。

何がお勧めですか、モロッコの旅は。遺跡ですか、食べ物は、文化は、--また教えてください。


B 知人・10年くらい前に成人病で倒れ、爾来プールでの歩行リハビリ⇒元気回復。この執念に驚愕!!

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3か月以上も前の旅行の記録をすらすらとまとめられるのはさすがです。

ご労作に申し訳ありませんが、読むほうの老人としては文字がだんだん苦手になってきました。今年は節電のために、家内がエアコンを入れてテレビを見ている台所で読み出したら、耳からの雑音で文字が頭に入りにくく・・・

しかし、今回は写真が沢山挿入されていたので助かりました。中でも、モロッコ最大の広場で大道芸人から蛇を首に巻きつかられたとか!思わずこちらが冷や汗をかきました。これを芸人仲間が石松さんのカメラでナイスショット!その表情が金賞!

登り坂で「最終歩行者」になるのは歳とともに気になりますね。しかし、石松さんはいつも 焦らず悠然とされているので安心してみておられます。数人でトレッキングする折、体力No.2が先頭をNo.1が最後尾につくと聞いているので、もしかして石松さんが最高の腱脚では?

ビールのうまい飲み方を教わりました。早速今晩、2個のコップを冷蔵庫で冷やして飲みました。泡の立ち方がいつもより少ないめでしたが、喉越しの刺激がきりっとしました。さて、2個目のコップを取りだしたが、家内から「なんで洗いものが増えることをすの!」と詰問されたら答えられないと感づき、止めました。

今度、一緒に飲む機会に教えてください。

C トヨタ先輩・工・ゴルフ・テニス・温泉旅行仲間・囲碁はセミプロ級・愛妻家兼恐妻家

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久しぶりの海外旅行記、やはり石松様の旅行記は、自分も行った気分になれる海外がいいですね。
今回は写真も多く、適度な長さで、読みやすかったのですが、面白かった同行者との交わりや人間観察が省略となり残念。

卓越した見識や自己主張、現地での交流なども、以前より丸くなられた感あり。

御自身だいぶ弱気になっておられますが、70歳代で長時間のフライトと時差に耐えられるだけでも、すばらしい体力と思います。

御友人の、歯に衣着せぬ読後感も面白くていいですね。

D 大学後輩・医・勤務医・最近メールをいただき始めた方・お会いしたことはない。

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