医療事故

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痛風の再発(平成18年9月9日脱稿)

   加齢が進むにつれ、希望もしていない厄介な病気が増える。とうとう、がんの次に嫌いな痛風が再発してしまった。飲食に起因しているのか、体質なのか???
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はじめに

   痛風には欧州でも日本でも期せずして同じ伝説がある。『金持ちの贅沢病』というものだ。しかし、これは庶民の僻みに思えてならない。何故ならば、細々と生きている年金生活者の私でも、本物の痛風に二度も罹ったからだ。

   痛風は全く治療をしなくとも1週間も我慢しているうちに痛みが通常消えるそうだ。昔、金持ちしか医者にかかれなかったころに出来た風説がいつの間にか、恰も真実であるかのように語られていただけの話だ。

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初体験

(パキスタンの旅行記からの引用)

   忘れもしない。明日はトルコとパキスタンへの出張と言う昭和63年7月24日早朝、起床しようとしたら右足の親指が何となく痛い。気が付かないうちに突き指でもしたのだろうか?との疑問を感じたものの思い当たる節がない。その内に見る見る痛みが増してきた。出張には行けるのだろうか、との多少の不安が出てきた。出勤のための車の運転はトルコン車なので、取り敢えずは左足の操作で何とかなった。

   やっとこ机に着いたが痛みは増す一方。トイレに行く時には最早まともには歩けなくなってしまっていた。人に気付かれないような姿勢で歩く努力をしたが、抜き足差し足の微速度歩行になってしまった。何故こうなってしまったのか理由は全く思い当たらなかった。
                         
   その時である。同じ職場の酒さん(事務系、トヨタ記念病院から異動)が『石松さん。痛風じゃないの?』と声を掛けてくれた。その瞬間まで『痛風』と言う病名すら知らなかった。彼は痛風患者を病院内で見慣れていたのである。痛風の窓口は整形外科だと教えてくれた。   

   病院に着いた頃には、微風が当たっただけでも飛び上がるほどに痛くなっていた。病名の語源は調べずとも体で解った。『明日からトルコへ出張なんですが大丈夫でしょうか?』。医者(トヨタ記念病院副院長、スポーツ医学に詳しく時々NHKにも出演)は即座にしかも自信たっぷりに『もちろん大丈夫』と言ったが、私には不安が消えなかった。

   『外国で万一再発した時のために、痛風の英単語を知りたい』。『Goutだ』。早速、患部に注射。患部への張り薬、消炎剤、尿酸降下(排出)剤をくれた。昼までには痛みは消えた。麻酔剤にも似た薬の威力をこの時ほどあり難く感じたことは、生まれてこの方体験したこともなかった。                          
   
   医師がくれた小さな本によれば痛風患者の平均死亡年齢は、53歳(昭和31〜40年)、60歳(41〜44年)、63歳(45〜54年)とのことであった。寿命が伸びてきた原因は良質の尿酸降下剤の発明らしい。殆どの人は尿毒症で死んでいるそうだ。爾来、痛風との長い付き合いが続いている。死ぬまで直らないと聞いて憂鬱だった。あの注射の薬は尿酸を中和させるための、アルカリだったのではないかと今では邪推している。                   

   その後の痛風に関する勉強から、痛風の4大原因(老化現象、食べ過ぎ、運動のし過ぎ、酒の飲み過ぎ)を知った。日常生活と定期的な血液検査の組み合わせ結果とから、私の場合の主たる原因は酒の飲み過ぎにある事が解った。酒はアルコール量でビール大瓶に換算して2本以下/日を目標にしたが、節酒がこんなに苦痛だったとは予想もしなかった。     
                  
   尿酸の積極的な排出のために、砂糖抜きの薄い紅茶を毎朝3gも30分掛けて飲んでいるが、午前中はトイレへ行く回数が増え煩わしい。ゴルフの場合には用足し後に出発しても40〜50分後、クラブハウスに到着するや否やトイレに駆け込むはめになる。
                           
   しかし大量の水分の摂取効果として便通が大変爽やかになり、大腸癌だけは心配しなくなった。人間の消化器官は口から肛門まで1本のパイプラインで構成されており、口から水鉄砲のように水圧を掛ければ紅茶が体内を貫流して清掃は完了。3g以上の紅茶を一度に飲むと肛門からそのまま過剰分が出てくることも解った。お負けに大量の水分は血液を浄化して老廃物も尿へと排出してくれる。           
  
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経過観察

   痛風発症後は定期的に血液検査をしながら、尿酸降下剤の量を医者には無断で減少させた。どんな薬でも毒作用が少しはあるはずだとの偏見から、極力飲まないように心がけた。一日に三錠から二錠、一錠へ。最後は一週間に一錠にした。

   時たま、大変軽い痛風の発症の予感を足の親指の関節に感じた。軽い痛みと赤みを帯びた腫れとがあった。医学書で発見した見解、『その時には一度に三錠くらい薬を飲めば本格的な発症に至ることなく回復する』を信じて対処した結果、大事に至ることも無かった。

   海外出張の醍醐味は車の運転から開放されることにある。ホテルまで車での送迎があるからだ。朝風呂を浴びた後、思いっきりビールを楽しんだ。昼夕食は大抵お酒付の小宴会が多かった。出張中は毎日一錠薬を飲んだ。

   帰国後直ぐに尿酸値を計った。アルコールの摂取量が増えると、薬を飲んでいても尿酸値が増加していることに気付いた。でも、発症の予感現象は一年に一回程度だったので、気にしなかった。人生は所詮短いのだし、あれこれ気配りをして我慢するのは無駄との判断を優先させていた。

   定年退職後に頻度を増した海外旅行でも車の運転から開放されたので、海外出張と同じパターンを繰り返した。団体パック旅行の食事は、出張時に比べれば質が落ちたが、痛風患者には歓迎すべきことだった。家庭料理と宴会料理との差くらいだった。

   10年以上も然したることも無く過ぎると、痛風のことは半ば忘れたのも同然だった。文字通り『喉元過ぎれば熱さを忘れる』日々だった。水土日のスポーツ日以外は在宅が多く、いつの間にか、朝昼晩の食事前の大瓶一本のビールは人生最大の楽しみに昇格していた。在職中は不可能だったので、尚更余生に満足していた。

   さて、日本人のアルコール体質は三種類に分けられるそうだ。

タイプA。アセトアルデヒド脱水素酵素が体内で作られないため、酒が全く飲めない。
タイプB。酵素が少ないが、繰り返し酒を飲んでいるとある程度は飲めるようになる。
タイプC。酵素が多く、大量に飲める。
   
   私はタイプBと自己診断している。私は40代半ばから8月20日の誕生日には、ビールがどの程度まで飲めるかのテストをしていた。札幌ジャイアンツを飲み干すのが限界と知った。つまり、大瓶3本までだった。何回繰り返してもこれ以上には伸びなかった。
独身時代、大瓶1本が限界だったので、積年の飲酒でも3倍になっただけだ。

   統計上では、タイプBの人が酒を飲み過ぎると食道がんに罹り易いと知ったのは、食道がんに罹った後だった。タイプAは酒を飲まないから、タイプBは酒を飲んでも分解してしまうから食道がんには罹り難いとの説だ。私にとっては『後の祭り』を体験したようなものだ。

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多重がんの治療後

   平成14年12月から平成15年3月に掛けて、胃がんと食道がんの治療を受けた。胃の2/3を切除した結果、一度に飲める薄い紅茶の量がそれ以前の3リットルから2リットルに減少した。その上、約3ヶ月間の禁酒の結果、酒には大変弱くなっていた。350ccの缶ビール一個で酔いが全身に回った。30年以上の飲酒歴の効果も完全に消滅していたのだ。

   しかし、飲酒量は徐々に増えてきた。缶ビールと大瓶の組み合わせで適宜飲んでいるうちに、一日大瓶2本レベルになった。胃が小さいので一度には大量に飲めないだけだ。在宅時はビールが手放せなくなった。軽いアル中かもしれないと自戒しつつ。

   体重をがん治療前の54Kgに維持するために最大限の注意を払うようになった。体重こそ体力の基本だと確信していた。今年に入って、酒の摘みに生肉(馬刺し・鯨の刺身・生ハム・牛のヒレやサーロインのレア・鮭や合鴨の燻製など)を毎日100g前後食べるようになった。更に食欲更新のため、食事の都度、辛子明太子をひとかけらご飯と一緒に食べ始めた。こんな生活の結果だったのだろうか・・・。
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痛風の再発

   とうとう、18年ぶりに痛風が再発した。18年間、薬は切らすことなく適宜飲み続けていたのに再発して無念。多重がんの治療の結果、体力が衰えたのか、高齢化による腎機能の劣化か、生肉の食べ過ぎか、ビールの飲み過ぎか ????
   
   10/1〜10/15までコーカサス3ヶ国(アゼルバイジャン・アルメニア・グルジア・カスピ海クルーズ)に出かけるので、些か気になり始めた。酒抜きの旅ほどつまらないものは無いので、再発防止のため大量に薬を用意する予定。

   9月5日火曜日。少し痛みあり。夕方には自宅から19Km離れた名古屋大学まで車で出かけて、公開講座(今年で38回目だそうだが、知人に誘われて初参加。受講生は殆ど高齢者、156名。火木合計15回。一番前の席に座り、毎回必ず質問するのが楽しみ)は受講。
   
   9月6日水曜日。少し痛みあり。でも我慢してテニスをした。まだ気楽に考えていた。

   9月7日木曜日。急激に痛くなった。痛風対策の薬を貰っている近所の福山内科医院に出かけたら生憎休診日。夕方は名古屋大学まで何とか出かけて、公開講座は受講。

   9月8日金曜日。午前0:30に痛みから覚醒。以後眠れず。午前9時に福山医院へ。血液と尿採取。毎食後に飲む三種の薬を1週間分処方。今度の土日のスポーツは厳禁とのお達し。

   どうしてもビールを飲みたいなら、淡麗アルファがベストだそうだ。国産銘柄全部のプリン体一覧表を見たら最小だった。医師に言われるまでも無く、既に木曜日から禁酒を開始していた。淡麗アルファならば飲んでもかまわないと言われても、偽物ごときは飲む気がしない。

   9月9日土曜日。痛風の痛みは殆ど消滅した。しかし、大事をとって明日のゴルフのためにテニスは休んで痛風再発のレポートを執筆。 

   18年前の治療と今回とは多少異なった。70歳代の福山医師は実弟も痛風患者とかで最新の医療情報は診察室にも大量に保持されていた。

『痛みをとるために注射をしてください。初回の時、痛みが直ぐに取れたのですが・・・』
『それは麻酔剤の一種だが、飲み薬で充分だ』
『尿酸降下剤の大量摂取は』
『向こう一週間は飲まないほうが良い。炎症と痛みをとることが先決だ』

   との診断で、コルヒチン(痛風発作の痛み止め)、ロキソニン(炎症を鎮める)、セルベックスカプセル50mg(胃の粘膜保護)を処方。一週間後の採血データを見て、次の処置に進むそうだ。
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おわりに

   残り少なくなった余生の最後の願いは『ピン・ピン・コロリ』だ。それなのに、我が願いを無視するかのように色んな障害が次々に現れてくる。味覚異常・がん・白内障・尿線分裂・痛風の再発・・・。
   
   次に現れる現象は何なのか? 事前予測が出来ないのは幸せと考えるべきか?
  
  
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