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旅行記
           
日本

屋久島(平成20年5月8日脱稿)

   平成20年4月7日~10日に屋久島に出かけた。我が故恩師『真鍋大覚』先生が樹齢7,200年と推定された縄文杉に会うためだった。

   縄文時代から今日までの日本の歴史を見守り、縄文土器のような皴だらけの樹皮になってもどっしりと聳え立ち、拝観者に生命力を惜しみなく与えてくれている縄文杉が聖地に息づく神木に思えた。
   
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はじめに

   私は福岡県で生まれ育ったとは言うものの、山登りの趣味も無く屋久島への関心は長い間育たなかった。57年前(1951年)の中学1年の社会科(地理)で九州一の高山が屋久島の宮之浦岳(1,935m)とは知ったが、関心は鉄砲伝来の種子島にあったし、屋久杉の存在も知らなかった。
   
   屋久島への関心が急に深まったのは、昭和57年(1982年)に初めて実施した同窓会(大学卒業20周年記念)にお招きした古稀直前(現在の私並み)の故恩師『河島佑男九大名誉教授』から、同窓会の直前に行かれた屋久島登山の醍醐味を聞かされたときからだ。私は既に44歳だった。
   
   その後、縄文杉の樹齢を7,200年と推定したのが我が故恩師『真鍋大覚九大航空工学科助教授』と偶然にも知り、更には1993年に屋久島の20%が日本で第一号の世界自然遺産に登録されると、一層関心も深まった。しかし、現役時代の担当業務が海外関係に移るにつれ、何時でも行けると安易に考えていた国内の観光旅行から、我が視点は徐々に離れてしまった。
   
   2000年に林野庁が公表した『森の巨人たち百選』に縄文杉も選ばれると、我が旅行候補地として屋久島が再びちらほらと頭の中を掠め始めた。屋久島訪問の僅か一週間後の平成20年4月18日の朝日新聞によれば、新緑の季節に行ってみたい森林浴の森では、屋久杉林はダントツの一位。今や日本人は『屋久杉に呼ばれているような気がする』のだそうだ。それどころか今や私には、縄文杉は日本人にとっての『聖地に聳える神木』にまで昇格したように感じられてきた。
   
   昨年春(平成19年4月27日)に海外旅行の終身目標『訪問国数>年齢』を達成したら心機一転、国内への関心が急に強まり、その第一号に屋久島を選んでトヨタ先輩を誘って一緒に申し込んだ。しかし、その直後の6月1日に新発食道がんが3個も発見され、その治療に専念するためにキャンセルの憂き目。『好事魔多し』とはよくぞ言ったものだ。
   
   2個のがんは愛知県がんセンターに入院して6月27日に内視鏡での剥離手術。残りの1個は陽子線照射治療のために兵庫県立粒子線医療センターに約2ヶ月入院。退院(9月13日)の2週間後にも拘わらずリハビリも兼ねて、国内ミニ旅行の第一回目は10月1日に荊妻と共に出かけた尾瀬だった。17.5Kmのハイキングコースもつつがなく、回復過程中の体力にも自信を深めた。
   
   爾来半年、我が希望条件 (中部国際発着&縄文杉見物コース)を満たす屋久島旅行を再び発見。トヨタ先輩は今回の旅行日程と重なる急用が発生し残念ながら取りやめられた。ペースメーカ頼みの身障者一級の荊妻は体力に自信が無いと言って同行拒否。
   
   『死に神に追いかけられている』との意識が日ごとに強まっている私は『何であれ、その機会が発生したら即実行』へと人生観を大きく変え始めていた。人の都合等待てなくなったのだ。国内外を問わず、一人旅はコストの安い相部屋参加主義。幸いにも同好の士にも恵まれ、念願の縄文杉も飽きるほどに眺め、がんに完勝するまで生き続ける意欲を奮い立たせてくれた国内小旅行になった。
                                                    
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トピックス

[1] 事後勉強

   海外旅行の場合は出発前に、ガイドブック等10余冊を斜め読みする程度の事前勉強は何時もしていたが、国内旅行では一度も事前勉強をしたことが無かった。今回の屋久島に関してもテレビで何回か世界遺産関係の番組を見ていたので、大体のことは知っているつもりだった。

   情報収集に手抜きをしたのは何とも浅はかだった。百聞は一見にしかず。屋久島のもろもろに関して如何に疎かったかを旅行中に痛感し、『彼岸過ぎての麦の肥、二十歳過ぎての親心』(後の祭りの意)など全く気にせずに旅行からの帰宅後、豊田市立中央図書館に出かけて本を借り出した。

   読み始めるや否や海外旅行の同類の書との大きな違いを発見。どの著者にも屋久島への限りない愛情があり、まるで故郷のようにのめりこんでいるのだ。久々に楽しく以下の本に眼を通せた。
   
屋久島の山岳 太田五男       1993-5-1 八重岳書房 3,786円
屋久島の時間(とき) 星川淳    1995-6-10 図書印刷 1,900円
屋久島の森のメッセージ 山尾三省  2000-6-6 大和出版 1,400円
癒しの島へ  南島幻        2000-8-1 文芸社  1,200円
屋久島、もっと知りたい 中田隆明  2004-1-20 南方新社 1,800円
屋久島(日常としての旅路)日吉眞夫 2004-8-31 麗澤大学出版会 2,000円
屋久島奄美 ブルーガイド編集部   2005-7-19 実業之日本社  1,100円
屋久島、もっと知りたい 下野敏見  2006-9-20南方新社  2,000円
屋久島奄美種子島 河野多美     2007-1-15 JTBパブリッシング 780円
至宝の大自然 屋久島 太田五男   2007-10-1 南方新社 豪華写真集、価格不明

[2] 地理

① データ・・・
インターネットから

   1993年に世界遺産に登録された屋久島は、樹齢7,200年といわれる縄文杉を初めとする屋久杉でも有名な自然遺産の島です。九州最南端の佐多岬から南南西に60キロほどの位置に浮かぶ周囲約130kmのほぼ円形(東西約28Km南北約24Km)の島で、面積は約500平方キロ、日本では9番目(注。私が北方領土の択捉・国後を追加した結果の順位)に大きな島ですが、日本の面積の1,000分の1(東京23区ほど)しかありません(車で島一周するとだいたい2時間ぐらい)。
   
   その小さな屋久島に、九州最高峰の宮之浦岳(1,935m)を初め1,000メートルを超す山々が46座もあり(うち1,500メートルを超す峰は20座、九州の高峰の上位7位までがこの島に集中しています)、「洋上のアルプス」とも呼ばれています。
   
   この地形が織り成す気候には、実に亜熱帯から亜寒帯までが含まれ、九州から北海道の気候が一つの島で見られるということになります。そして、島の90%を占める神秘的な森や特異な生態系に1,500種、日本の植物種の7割以上がひしめきあい、さらに固有種(世界で屋久島だけに自生する固有の植物)が約40種(日本で2番目に固有種の多い八丈島は8種)、屋久島を南限とする植物が約140種、北限とする植物が約20種も見られるという特性から「東洋のガラパゴス」とも呼ばれています。

② 気候

   流石は南国。海岸が小型車で一周できる環状道路の沿線で、温室を使わずにパパイヤが実っていた。パパイヤには枝が無く、子持ちキャベツのように幹に大きな実が直接鈴なり。羊歯類の葉は大きくて瑞々しい緑。

   4月上旬と言うのに山々は既に新緑に覆われていた。しかし過去十年、ソメイヨシノは北国では開花が早まり南国では開花が遅くなってきたそうだが、桜の花が東海地方と然して変わらずにまだ残っていたのには不思議な気がした。

   抵抗力不足の高齢者の天敵は風邪を長引かせると罹りやすい肺炎。温暖な気候は老人天国。京都のような内陸部の盆地とは異なり、真夏も海洋性気候で快適と推定。老後の移住者が増えているのにも納得。

③ カウアイ島

   屋久島に大変よく似ている島としてハワイのカウアイ島(1,420平方Km)が有名だ。カワイキニ山(1,576m)が聳え、熱帯林の植生が豊か。観光開発が進んだ結果50,000人もの人口を抱えている。屋久島の観光開発には大変参考になる島だ。

インターネットから・・・

   カウアイ島は州都ホノルル市があるオアフ島の西約110kmにあり、その誕生はおよそ500万年前と推定されハワイ諸島の中で地質学的に最も古い島です。グランドキャニオンを彷彿とさせるワイメア・キャニオンや断崖絶壁が続く海岸線ナパリ・コーストは長年にわたる浸食によって造られたもので、その壮大な景観は訪れる人々を感嘆させます。

   また島の中央部にあるワイアレアレ山は世界一降水量が多いことで有名で、年平均降水量は12,344mmです(東京は1,400mm)。雨が多いだけに緑も豊かで様々な熱帯植物が生い茂り、ガーデン・アイランドとも呼ばれています。
   
   カウアイ島はハリウッド映画の撮影地としても有名で、1915年の「アロハ・オエ」から「ジュラシック・パーク」「アウトブレイク」「6デイズ7ナイツ」など近年の作品に至るまで、ある時は南の島として、またある時はアフリカの奥地として数多くのロケが行われてきました。これらの撮影地を訪ねるツアーもいくつか用意されています。
   
   カウアイ島は米国人に人気の高い島で、北部のプリンスビル、東海岸のココナッツビーチやカウアイ・ラグーン、南部のポイプなどのリゾート地には多くの旅行者が訪れています。これらのリゾートには全米のトップ10にランクされるようなゴルフコースがいくつかあり、ゴルファーにとっても人気のある島です。

④ 哺乳動物

   屋久島の大型哺乳動物の固有種の代表は猿と鹿だ。登山道で何回もその姿を目撃したが、その余りにもの小ささに驚く。近年ペットが野生化した狸(固有種ではない)が数百匹にも繁殖し、海亀の卵を食べたりして駆除に困っているそうだ。

   大抵の哺乳動物は発生以来、歳月が経過すると共に大型化しているが、何故か屋久島では小型化している。屋久島の固有種といっても、所詮大昔に周囲から渡来したはず。天敵がいないと繁殖しすぎ、結果として餌が不足すれば小型化するのだろうか。

追伸(5月20日)

   5月18日の朝日新聞で『ベルクマンの法則』の存在を知った。インターネットから・・・

   ベルクマンの法則はカール・ベルクマン(Carl Bergmann)が1847年に発表したものであり、『恒温動物においては、同じ種でも、寒冷な地域に生息するものほど体重が大きく、近縁な種間では、大型の種ほど寒冷な地域に生息する』というものである。

   例えば、よく例に挙げられるものに、アジア大陸クマがある。熱帯に分布するマレーグマは体長140cmと最も小型で、日本からアジアの暖温帯に分布するツキノワグマは130-200cm、温帯から寒帯に生息するヒグマは150-300cmにも達する。

   また、日本国内のシカ北海道から屋久島まで分布するが、北海道のエゾシカが最大であり、ヤクシカが最も小柄である。

   この現象の理由は、体温保持との関わりで説明される。恒温動物は、常に体温を一定に保つために体内では常に熱を生産している。この熱は、筋運動や、さまざまな代謝によって生み出される。他方、体表面からは熱が放出され、それを促進するためには発汗による気化熱が利用される。

   したがって、体内での熱生産量はほぼ体重に比例し、放熱量はおおよそ体表面積に比例する。つまり、体長に対して、放熱量は体長の2乗に、熱生産量は体長の3乗に比例する。これは、体長が大きくなるにつれて、体重当たりの体表面積は小さくなることを意味する。


⑤ 雨

   屋久島の桁違いの雨量の多さを『一ヶ月に35日も雨が降る』との喩えで、多くのガイドブックが紹介していたが、小説(作り話)嫌いの私はそのルーツを知らなかった。

   今回読んだどの本かで『林芙美子の“浮雲”に出てくる』と紹介されていた。自然科学を齧(かじ)った私には、こんな論理矛盾の表現は思いつくことすら出来ない。小説家の創造力の豊かさには感服!

⑥ 滝

   世界の三大滝(イグアス・ナイアガラ・ヴィクトリア)と屋久島の滝との大きな差は規模ではない。水の美しさだ。例えば世界最大といわれるイグアスの滝は湿地から溢れたような大量の泥水の単なる落下に過ぎない。

   大量の豪雨が絶えず、山の土は殆ど流れ落ちるものの、常時降る雨の効果で土が乏しくても緑深いコケは育ち、コケが幼木の言わば苗床の役割を果たして樹木を育て、全島が深い緑に覆われた結果、雨水は濾過されて透き通るような水となりきらきらと輝きながら流れ落ちる。滝のランキングを落差や水量など物理的な規模を尺度にして機械的に決めるのには、些か疑問だと感じ始めた。

⑦ コケ 

   私には屋久島で最も価値のある自然遺産は屋久杉ではなく『コケ』だと思えて仕方がなかった。ヘロドトスがいみじくも喝破した『エジプトはナイルの賜物』のような筆法を使えば『屋久杉はコケの賜物』に帰着するからだ。

   コケは大変環境に弱い植物だ。それだけにコケが美しく生えている環境は貴重な存在だ。いかにも古くなっているとの意味で『コケむしている』などと、誰かを非難する場合に同音の『コケ』(虚仮)を使うのは、コケ(苔)に対しては些か失礼というものだ。美人のことを『屋久島のコケのように美しい』と喩えるような時代が来るのを信じている。

   蛇足ながら『人をコケにする、コケ威し、コケ猿』などと言った表現に使われているコケとは『苔』ではなくて、仏教用語の『虚仮』に由来する。

   『このか弱いコケを、いかにして守り続けるか』という最大の課題への関係者の積極的な努力を、今回の小旅行では残念ながら発見できなかった。熱帯雨林が地球上の生きとし生けるものにとって貴重品であるのと同様に、屋久島の命綱はコケにある。コケが消滅すれば屋久杉もやがては失われると確信している。

⑧ 妖怪

   民俗学者の調査によれば、この小さな屋久島には驚くほど多彩な妖怪や民族神に関する民話や伝説があるそうだ。

   これらの妖怪説話等は、コケに覆われた原生林の神々しいまでに美しい不思議な景観に由来するものと思わざるを得ない。

インターネットから

   もののけ姫のアニメ映画は興行収入193億円、観客動員数1420万人を記録し、当時の日本映画の歴代興行収入第1位となった。2007年現在も、千と千尋の神隠し(1位)・ハウルの動く城(2位)・もののけ姫(3位)と、日本国内の興行収入歴代記録第3位を維持している。主題歌『もののけ姫』のCDシングルとサウンドトラックは共に50万枚以上を売り上げた。

   『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』等のアニメ映画(私は何れの作品も鑑賞していないので想像に過ぎないが・・・)が斯くも日本人の心を揺さぶって大ヒットした背景には、鉄・コンクリート・ガラスに取り囲まれた無機的な都会生活の息苦しさとは対極にある、原生林が醸し出す自然環境の究極の癒し効果への憧れが深層心理にあるからだ、と思えてならない。

   都会生活に癒し効果が生まれない限り、屋久島への観光ブームは何時までも続くのではないか・・・。

[3] 屋久杉 

① 屋久杉

   屋久杉は江戸時代には島津藩が管理し、藩の財政に役立った。山中で屋久杉を切り、お寺や豪邸の屋根材(平木)として50*10cmの薄板に加工され、人が背負って下山。屋久杉には油脂が豊富に含まれ耐久性に優れ重宝されたのだそうだ。

   屋根瓦への加工に便利な真っ直ぐに伸びた杉は切られたが、幹の表面がデコボコした縄文杉のような異型の杉は見放された。見放されていた屋久杉こそが今となっては逆に宝物扱いをされている。歴史の逆襲の一例だ。

   谷間等に生え、台風などの直撃を受けずに真っ直ぐに育った杉が切り倒され、山頂等で風雪に耐えていた杉が無価値とばかりに放棄された結果、生き残った。従って屋久杉には高木は少ない。平成17年12月末積雪のため縄文杉から数メートルもの長さの枝が折れて落下。『いのちの枝』と命名され、屋久杉自然館に展示されているそうだ。

   屋久杉を神格化するためか、同じ杉なのに1,000年以上の古木を屋久杉、1,000年未満の若い杉を小杉と称している。犬の時間は人間の7倍との筆法に従えば、屋久杉の時間は20歳でやっと一人前扱いをされる人間の20/1,000=1/50。屋久島で時が悠長に流れるように、屋久杉見物もゆっくりとしたいのに、登山道を人間の時間でガイドに追い立てられ、道端の立て札を読む時間も与えられず・・・。

   それにしても何故か杉は世界的にも長寿だ。しかし、三冠王(樹高・幹周り・樹齢)にはなれないようだ。

   尚、古木で有名なレバノン杉(レバノンスギが残存するカディーシャ渓谷と神の杉の森は世界遺産「カディーシャ渓谷と神の杉の森」に登録されている。)は松(マツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹。名前に「スギ」が付いているが、スギは同目ではあるもののスギ科スギ属であり、近縁ではない)なので下記のランキングからは除外。レバノンで目撃した我が記憶では松毬(かさ)もあり、葉も樹皮も松そっくりだった。

   レッドウッド(樹高112m、幹周り13.4m、米国レッドウッド国立公園)、シャーマン将軍(83.8m,25.3m、米国セコイア国立公園)、トゥーレの木(42m,46.6m、メキシコ)、キミマチスギ(58m,5.1m、秋田県ニツイ町)、縄文杉(25.3m,16.4m、屋久島)。

   注。レッドウッドとセコイアは同じもの。レッドウッド(セコイア(Sequoia)は、スギ科セコイア属に属する唯一の植物である。学名はセコイア・センペルビレンス(Sequoia sempervirens ENDL.)。世界有数の大高木。アメリカ合衆国西海岸の海岸山脈に自生する。

② 植生

   屋久杉の生態は特殊な言葉で説明されている。雨量の多い屋久島で特徴的に見られる現象もある。

● 着生・・・植物が土の上で生育するように、樹の表面に根を這わせて育っていく現象。屋久島では雨量の多さに支えられて樹皮にコケが生え、コケの中に落ちた種が芽生えて育つ。紀元杉(残念ながら見る機会がなかった)には20種類以上もの植物が着生している。着生はヤドリギとも接木とも異なる。

  ヤドリギ・・・宿主の栄養分を吸収して育つ。
  
    接木・・・台木と一体化し、栄養分は台木が根から吸収する。連作障害が発生するナス科の夏野菜には接木苗が多い。

   2代杉とは初代の杉の上に次代の杉が恰も接木されたように育った着生の杉。初代は枯れ木となっており、次代の杉が初代の養分を吸収しているのではない。




● 合体木・・・杉には融合しやすい性質がある。何本かの杉が接合したまま生長する場合がある。夫婦杉や母子杉がその典型例だ。

● 土埋木(どまいぼく)・・・屋久杉は樹脂分が高いため、江戸時代に伐採された杉の残材が、土に埋もれていなくても、森の中に残っている場合がある。それらを現在でも活用して屋久杉工芸品として売られている。大きなものでは座卓や箪笥・仏壇、小さなものでは花瓶・食器・台所用品・・・。

● 更新・・・屋久島の深い森の中では日光が遮られて、若い杉はなかか成長することが出来ない。しかし、伐採や自然災害で巨木が倒壊すると光が当たり、若い杉が生育し始める。このような杉の世代交代を更新と呼び、伐採更新を『切り株更新』、倒木の場合を『倒木更新』と称して区別している。

● 試し切り・・・江戸時代に屋久杉を伐採して運び出す際、木目の真っ直ぐな加工し易い杉が選ばれた。そこで木目を確認するために試し切りをした。今でも試し切りで小さな穴が明けられたまま放置され、生き延びている屋久杉がある。

③ 名前付の屋久杉

   屋久杉を観光客に分かり易く紹介するためか、愛称が付けられた杉が無数にある。全部で何本あるのか、一覧表が無いので分からない。今回のツアーで実際に見た杉はその中のほんの一部に過ぎないが・・・。

   縄文杉・弥生杉・紀元杉・三代杉・二代大杉・くぐり杉・二代くぐり杉・びびんこ杉・奉行杉・七本杉・三本足杉・大王杉・女王杉・太古杉・三本槍杉・仁王杉・龍神杉・雷神杉・風神杉・川上杉・仏陀杉・天柱杉・母子杉・釈迦杉・大和杉・淀川大杉・尾之間杉・大龍杉・万代杉・瀬切大杉・安房大杉・翁杉・夫婦杉・モッチョム太郎・ヒゲ長老・・・。

   こんなに沢山の名前付の杉があると、無視されているような名無しの屋久杉が無性に愛しくなる。

④ 九州大学航空工学科故真鍋大覚助教授

   我が恩師『真鍋大覚』先生はマルチタレント学者。専門は航空機運動安定論だったが、色んな分野の研究をされた。地震が発生すると地表の割れ目から出てきた超音波が、上空の過飽和水蒸気を結露させて地震雲(地震雲の命名者でもある)が発生するとか、元寇の役の台風の規模の推定とか・・・。グーグルの検索窓に先生の名前を入れると550件ものタイトルが現れ、とても読み切れない。

   先生は年輪の厚みと気候(温暖な年には年輪の厚みが大きくなる)との関係を調べた結果、切り株の断面に現れる各年輪の発生年を突き止めることが出来ることにも気づかれた。木の年輪はキャベツや白菜の横断面とは、似ていて異なるものだ。野菜の葉は内側から数を増し、木の幹は逆に外側へと成長するため外側に年輪が追加される。

   木の内側は生命活動が終わると枯死して最後には空洞になる。縄文杉の内部の最も古い部分は空洞になって今は存在しないから、所謂科学的と称する手段(放射性炭素を使った測定法はその一例)では縄文杉の年齢を突き止めることは出来ない。縄文杉の樹齢7,200年説は完全には否定できないだけではなく、今や神話の領域に入った。
   
   『縄文杉は縄文時代(日本史だけに使われている時代区分の名称。各国共通の世界史では使われない)に始まる日本人の歴史を見つめてきた生き証人』との神話は日本人の心の中に生き続け、その真の樹齢が何であれ何時までも残るデータとなったようだ。縄文杉の7,200年説は前記の各書籍の中での解説文に必ず引用されるだけではなく、今や屋久島のシンボルにまで昇格した。大げさに言えばキリスト処女懐胎説と同じだ。
   
   我が学生時代(昭和33年~37年)に30歳代後半だった真鍋先生は、既に視力を極端に失われ、論文は全て赤インクで書かれていた。原稿の清書や実験データなどの整理等のために専属の女性技官が秘書のように研究を支援していた。講義のために教壇へ上がるのにも不自由され、足元へは細心の注意を払われていた。
   
   今回、我がグループを案内した屋久島のガイド(ガイド歴1,000回以上)は我が確認の質問に対し『真鍋先生は縄文杉が生えている場所まで登られる体力は既に無く、縄文杉を目撃されてはいない』と回答したが、さもありなんと納得。でも、先生の遺言のような樹齢の推定価値は何ら変わらない、と不詳の弟子としては高く評価している。

⑤ 縄文杉・・・インターネットから

   1966年に見つかった縄文杉の樹齢は、当初は発見者岩川さんの推定で6,900年とされていました。その後1976年に九州大学助教授真鍋大覚さんは、多くの杉の幹の生長と気象との関係から7,200年と推定しました。しかし、この樹齢にいくつかの疑問の声があがりました。

   その一つとして、1984年環境庁が屋久島の地質を調べた結果、6,300年前の火砕流の跡が見つかったことで、屋久島の北西50kmにあった硫黄島付近で火山の爆発が起こり、火砕流が海を渡って屋久島を直撃したという説が出てきたのです。その時、高熱によって、屋久島の植物も全て消え、縄文杉も被害を受けていただろうと発表しました。
   
   そうすると、縄文杉の樹齢は6,300年では?と考えることが出来ますが、他の地質調査から、火砕流の被害を受けてから杉が発芽するためにある程度の時間を要した(1,000年くらい)と考えられています。そうなると、縄文杉の樹齢は6,300年よりもさらに若いということになります。
   
********************石松の注*********************
   
   インターネットから引用した屋久杉全焼説には疑問を感じる。比重が海水よりも重い火砕流が海を渡って屋久島まで到着するためには、大正14年の桜島の大噴火により桜島と大隈半島がそれまでの海峡(距離最大400m最深部100m)が陸続きになったように、硫黄島と屋久島とを繋ぐ橋かその痕跡が発見されるはずだ。

   硫黄島は東西5.5km、南北4.0km、周囲14.5km、面積11.65平方キロ、硫黄岳は標高703.7m。桜島(さくらじま)は、東西約12km、南北約10km、周囲約55km、面積約77平方km、北岳(標高1,117m)。櫻島よりも遙かに小さな硫黄島の爆発で火砕流が屋久島まで到達したとの説には些か無理が感じられる。
   
   更に、火砕流が屋久島に到着したとしても山を駆け上る運動のエネルギーがあるはずも無く、海岸の植物が燃える程度に過ぎない。縄文杉は宮之浦岳の東側に位置し、硫黄島とは反対側だ。屋久島が全焼したのならば、現在発見されている多くの固有種が過去6,300年の間にどのようにして発生したのかの合理的な説明も同時になされねば何の説得力もない。
   
   全焼した屋久島で屋久杉の種がどのようにして生き残ったかの合理的な説明もなく、種から芽が出るためには1,000年も掛かる等の辻褄あわせにもならない説明に至っては論理性のかけらも感じられない。インターネット上に溢れる情報の質とはこの程度のものが多すぎて、情けない。
   
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   林野庁の調査により学習院大学教授木越さんが科学的な方法で縄文杉の樹齢を割り出しました。放射性炭素を使った測定法(炭素14編年)で、木の中に含まれている炭素14という原子の数を測定すると、毎分15個ずつ減っていくことがわかっています。これを利用し、縄文杉の木片の炭素14の数を調べるとより正確な樹齢が分かるというものです。
   
   結果、1,920年プラスマイナス150年前後、つまり多くても2,170年になりました。しかし、縄文杉に限らず屋久杉は、中が空洞になっており、内部を腐らせて栄養を必要な部分に集めるため、一番古いところのサンプルが存在しません。つまりこの測定でも正確な樹齢は割り出せませんでした。

   また、樹齢の割に樹高が低いことから若い木(2,000年程度)が2本融合して、現在の縄文杉になったのではないか?という説もでました。しかし、これも、鹿児島大学農学部助教授林さんのパーオキシダーゼ・アイソザイム分析の結果、縄文杉は一つの木であるということが証明されています。

   様々な調査の結果、縄文杉は、硫黄島付近の噴火の際に倒れた前代の縄文杉の上に立った2代目の杉であるのでは?と考えられ、被害をうけてから1,000年近くは杉が生長することが出来なかっただろうという推測の元、推定樹齢4,000年から多くても5,000年ではないかとされています。しかし、はっきりとした樹齢を示す説がない以上、7,200年も間違いではないのかもしれません。

⑥ 蛇足

   高齢樹のトップは杉と信じていたら、9,550歳の松だとの新説が日経新聞(2008-4-19)で報道された。

   スウェーデン中部ダーナラ地方の山で、樹齢9,550年と推定されるトウヒ類(マツ科の常緑針葉樹)を発見したと、同国のウメオ大研究チームが19日までに発表した。これまで世界最高齢の樹木は北米の樹齢4千~5千年のマツ類と見られてきたが、放射線炭素による年代測定の結果、大幅に更新された。

   この木の発見場所付近では、遺伝情報の分析により、この木から分かれたと見られる樹齢9千年、5,660年、5,375年の木もあった。同国の山岳地帯では、同8千年以上のトウヒ類がまとまって生えている所も見つかった。

   これらの木が育った時代の天候は、現在より夏の気温が低く、厳しかったが、枯れた木を押しのけて成長する逞しい性質のために生き延びたと考えられると言う。

   最高樹齢の記録が突然二倍に延びたとのニュースは私には半信半疑だが・・・。

追伸。

   4月27日の朝日新聞のホームページでもこのマツに関して『10,000歳も夢じゃない世界最長寿の木 スウェーデン』のタイトルで報道された。その一部と写真を転載した。

   この木は針葉樹のトウヒの仲間。放射性炭素(C14)による年代測定で、樹齢9,550年とわかった。米誌ナショナル・ジオグラフィック(電子版)によると、標高910メートル地点でハイマツのような低木の根から、幹を立ち上げることを繰り返してきたらしい。現在ある直立の幹は、周辺の夏の気温の上昇で1940年代初頭から伸びたという。

   鹿児島大の鈴木英治教授(植物生態学)は「横に次々と枝が出ており、1個体が生き続けて古い部分が9千年を超したということのようだ。木がゆっくり成長するスウェーデンの山の環境なら、このような発見があってもおかしくない」とみる。

 

   この記事を読むと、高齢樹とは何かの定義をしなければ樹齢争いは空しくなる。馬鈴薯を畑に植えたままにしておくと、翌年には前年の芋から茎が育ち前年の種芋は栄養分を吸い取られて消滅する。このときのジャガイモは何歳なのか?

   大腸菌が二つに分裂した時、どちらが親でどちらが子供か分からず、寿命は分裂の間隔時間なのか、生命が続く限り永遠なのか結論が出ないのと同類だ。

   人が高齢樹に特別の感情を抱くのは木の形をした地上部の大木が星霜を経ているからこそであり、横に広がって生き延びているコケのような低木ではないからだ。私にはスウェーデンのウメオ大学の発表には屁理屈ほどの価値も感じない。



[4] 環境

① 生活環境

   65歳以上の高齢者が50%を超えると、日本各地の過疎地の小集落は崩壊するとの悲しい報道が絶えない。しかし市町村の単位に拡大した場合でも高齢者比率が高ければ行政機関としての存立条件が新たに出てきそうだ。

   平成の大合併で屋久島南部の屋久町と口永良部島全域を含む屋久島北部の上屋久町が合併して屋久島町となり、一見大規模な町になったが人口密度はたったの13,511人/540.98平方Km=25人。

   人口密度が67人の北海道よりも遙かに希薄。観光産業以外に主たる産業が無く若者は島外へ脱出。同じ九州にあり人口が100倍の福岡市(1,431,145人、340.96平方Km、人口密度4,200人)の何と1/168の超過疎地。

   コンビニ・映画館・自動車運転教習所が無く、小さな小学校は9校、中学校が7校、高校が1校。若者の娯楽はパチンコと釣り。3月末まではレギュラーガソリンは188円だったそうだ。田畑はほんの僅か散見されただけだが農協があると聞いて驚愕。今や農協のネットワークの広がりは郵便局並みか?

   観光開発に余ほど力を入れないと、屋久島町が近い未来に夕張市のような苦境に立たされるのではないかと、本気で心配せざるを得ない。

② 県道

   屋久島には国道はないが、島の海岸沿いには一周できる県道がある。しかし、大型バスでは一周できない。周回道路の一部を構成している西部林道の道幅は3.5mを堅持。観光客が殺到して自然破壊が進むとの地元民の主張の結果だそうだ。情け無い。

   観光客よりも自然が大切と言うのならば、屋久島の住民は全員屋久島から日本各地へ移住すればよい。屋久島の自然美を維持し、観光客を大勢呼び寄せる工夫をし、島人も観光客も末永く満足できる手段をこそ考えるべきなのに・・・。それこそが霊長類の長たる人間の知恵と言うものだ。

③ 民家

   古い民家は沖縄の古い民家と同じようにどれも屋根が低く二階建ては殆ど無かった。屋根裏の空間は無いも同然だ。

   台風の風当たりを小さくするためだそうだが、緑の庭木に取り囲まれた民家は大変美しい。グアムの民家も屋根が低かった。天井が低く開放感が多少犠牲になるが、自然の脅威に逆らうのは賢明ではないと悟るのが肝心か。

④ 墓地

   移動中に何箇所かの墓地を見た。どの墓にも真新しい生花が飾られていた。バスの運転手の解説では、屋久島のお年寄りは朝晩の2回、お墓参りをするそうだ。日本の本土では忘れられがちな先祖を敬う心が溢れているのには感動。

[5] 観光

① 縄文杉コース

   屋久島への団体旅行募集は大変多いが、中部国際空港発着で縄文杉まで行けるコースは意外に少ない。ハイキングレベルの紀元杉コースが殆どだ。縄文杉コースは本格的な登山並みの重装備と体力(往復22Km、高低差700m、10時間、急峻な崖付)が必要だとパンフレットで強調しているためか、催行人数を東海三県で集めるのが困難なのだろう。羽田発着が殆どだ。

   たまたまクラブツーリズムの縄文杉コースの募集を発見。知人・友人を誘ったが運悪く同行者は見つからなかった。しかし、幸いにも相部屋OKだったので早速申し込んだ。

② 費用

   三泊四日、相部屋の一人当たりの料金は79,800円。一日2万円は近隣のアジア観光とも競合できる手ごろな価格だ。

③ ガイド料金

   屋久島のガイドは約150名。みんな民間観光開発会社の社員。縄文杉を見に行くツアーはガイド付が殆どだ。ガイド料金はグループの人数によって異なるが標準は10人につきガイド一名。観光客一人当たり12,000円くらいらしい。我がグループは添乗員込みで30名だったがガイドは二人だった。

   我がガイドは既に1,000回以上も案内したベテラン。昨年は170回以上案内したそうだ。シーズン中は仕事があれば休みなしに働くそうだ。屋久島のシーズンは春~秋。冬は仕事が少ないとか。

   我が長男夫妻は昨年3月縄文杉見物に出かけたが、大雪のため登山が中止され無念そうだった。屋久島の山頂の平均気温は札幌並み。3月の雪も珍しくはないらしい。

   ガイドを雇わず、レンタカーを借りてマイペースで登山する人にも出会ったが、少数派だ。

④ 装備

   私はゴルフ用雨具(薄くて軽いのが魅力)・使い古しのテニスシューズ・折畳み傘・使い古しの子供のリュックなど、有り合わせのものを利用しただけだったが、同行者の完璧な準備には些か驚いた。

   分厚い合羽・登山用のリュックとリュックを覆う防水カバー・雨天用の帽子・脚絆に登山靴。本格的な登山が趣味の人達かと勘違いするほどの完全武装。縄文杉拝観後の帰途、雨の中で傘を差していたのは同行者の中では私と二人のガイドだけとは!

⑤ ゴミ

   屋久島の登山道の周辺ではゴミを全く発見できなかった。同じ日本人が各地の観光地でゴミを撒き散らしているのとは別世界だ。しかし、私には屋久島の自然美に感動して急に心境が変わっただけとは思えなかった。

   屋久島の観光業者の努力だ。朝弁当を受け取ったとき、ゴミの持ち帰りを従業員と添乗員が念押しした。ホテルに夕方戻ったとき、従業員がロビーで大きなゴミ袋の口を開けて待ち構えていた。歩くゴミ箱だ。この初体験の洗礼を受けると誰もが一瞬にして変心。ゴミ持ち帰り運動への協力を開始。百の説法よりも一つの実行の威力を知った。

   屋久島とは対照的に富士山頂(平成11年に初めて登頂)ではゴミに驚いた。原因は山頂の飲食物・お土産業者の対応にある。『うちでお買いになった商品からでたゴミならば引き取ります』。一見正論だ。しかし、疲れていて領収書を探すのも面倒な登山客は不愉快になり、当たり構わず投げ捨て始める。山頂の物売り業者は全部営業停止処分にしてもらいたい。
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4月7日(名古屋⇒鹿児島)

   初日は単なる移動日だった。中部国際18:10⇒鹿児島空港19:30⇒高速バス⇒鹿児島東急イン。夕食も無いので、中部国際で販売が再開された『赤福』を空弁(そらべん)の代わりに購入。餅は腹持ちが良い。胃がんで胃の2/3を切除後は小食化。機内では食べ切れず、同行の隣席ご夫婦に無理やりお裾分け。

   売店には膨大な量の商品が積み上げられていた。販売員に『こんなに沢山商品がありますが、売れ残りの廃棄処分は徹底していますか!』『これでも足りません。私達は販売委託業者です。生産量が少ないので注文数ほどは回してくれません』。ご同慶の至り。
   
   北海道の『白い恋人』も賞味期限問題による販売停止解除後は爆発的に売れているそうだが、災い転じて福となしているのか、何回も繰り返されたマスコミの事件報道が宣伝効果となったのだろうか?
   
   鹿児島空港は鹿児島市にあるものと思っていたら勘違いだった。鹿児島県霧島市にある第二種空港。九州では福岡空港に次ぐ第2位の旅客乗降数を誇るのだそうだ。ターミナルビルも大きくて新しい。
   
   東急インは都心にある快適なビジネスホテル。同室者は2歳年下、給食の弁当屋(一日に何と7,000食!)で働いている現役。高速バスから焼き鳥屋の看板を見つけ無性に食べたくなったから、と言って外出。食への関心がすっかり落ちている私は残留し、缶ビールを一人寂しく飲んで一足先に就寝。
   
   尚、同ホテルの使い捨て歯ブラシ2セットの柄の色が異なっていたのには驚いた。宿泊者が朝夕二回歯磨きをする可能性もあり、同室者による歯ブラシの取り間違いを防ぐアイディアと推定。日本人的な小さな創意工夫が偲ばれる。
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4月8日(白谷雲水峡ハイキング)

   ホテルから鹿児島港まではタクシーに分乗。短距離移動だけの目的で観光バスを手配するのは却って高く付くのだと推定。鹿児島港から屋久島の宮之浦港までは水中翼船トッピー(Toppy)で110分。

   船上から、桜島(1,117m)を見る。桜島を見たのは、桜島の大噴火(1914年)から39年経った55年前の昭和28年中学3年の時の修学旅行、丁度40年前の昭和43年の新婚旅行以来の僅か3回目だ。しかし、大噴火から39年、15年、40年各経過後の山肌は大きく変わっていた。

   中学3年の時は山裾のみに小さな松が生えていた。新婚旅行の時には中腹まで小さな木が生えていた。今回は頂上近くまで木が生えていた。大噴火以来約100年で山は殆ど木で覆われるまで自然に緑化していたのだ。植物の生命力に驚く。

   一方、屋久島では近くの硫黄島の大噴火以来1,000年間、屋久杉は根を張らなかったはずとの説が横行しているが、桜島の変遷を目撃した私にはこの説は大変疑わしいと思えてならない。広島に原爆が落ちた時にも当時の識者らしき人達は、広島に雑草が生えるのは何百年間か掛かる等と知ったかぶりをして無責任放言をしていたのを思い出す。

   実験の裏付けのないこの種の放言には毎度の事ながら辟易する。広島には翌年オオバコが生えたことで有名だ。そのとき小学2年の私はオオバコの生命力に、子供ながらにも驚愕した記憶がある。

   トッピーとは屋久島が日本一の漁獲量を誇る『飛び魚』の方言からの拝借。GE(ゼネラル・エレクトリック社。エジソンが創業した、電機業界では世界一の売り上げと利益を誇る会社)製、3,800馬力のガスタービン2基+川崎重工業製ポンプ2基(合計毎分180トンの水を噴出)、時速43ノット(80Km)、170トン、総二階建て、260人乗りのウオータージェットフォイル船(水中翼で浮上して造波抵抗を小さくし、水噴射の反動で推力を得る方式)。


   
   船内は旅客機内にソックリ。1,000円増しのプレミアムシートまである。シートベルト付の椅子は旅客機のエコノミーの椅子にソックリ。トイレも快適。乗船後の救命袋の使い方等の船員による諸説明も旅客機並み。
   
   海上を高速バス並みの速さで疾走。鹿児島空港=屋久島間には航空便もあるが高速船の方が周囲の景色も堪能できるし、鹿児島港は都心から近いので航空便よりも快適だ。近距離では航空機の比較競争力(運賃や時間)が乏しい典型例だ。

   しかし、客船(船舶全般に言えることだが・・・)の設計製造技術は下記のように自動車と比べれば格段に見劣りするのは何故なのか。人類史では船は古代エジプト時代以前から使われているのに、僅か100年の歴史しかない自動車に完全に追い抜かれている。造船技術者の怠慢か? 改良の余地は無いのか、造船関係者に聞きたくて、聞きたくて・・・。

   我が愛車プログレは1540Kgで5人乗り。一人300Kgだ。トッピーは170トン/260人=650Kg。重量は倍、最高速度は半分。軽量化の工夫も足りないし、騒音は大きいし乗り心地は悪い。燃料消費率のデータが入手できず比較できないが、7600馬力/260人=29馬力/人は大きすぎる。プログレに5人乗って時速80Kmでの運転では10馬力/人も掛からない。

蛇足。

   自動車の重量は船でいえば排水トンに当たるが、一般の船のトン数は目的に応じて載貨重量トン・総トンなどいろいろあり、トッピーのトン数がどのトン数かは私には分からないままの無責任な比較であることはお断りする。

   波も穏やかな海を高速で滑りながら鹿児島湾の景色を満喫。開聞岳は高さが僅か924mの小さな火山だが薩摩富士の異名に恥じず、その円錐形の勇姿は富士山と同様に美しい。




   午後、白谷雲水峡ハイキングに出かけた。バスはハイキングコース入り口の白谷広場に到着。昼食の弁当を渡され、集合時刻を指示された後は自由行動。時間が短く、アニメ映画『もののけ姫』のモデルになった苔むす森か、弥生杉を初め名前が付いた多くの屋久杉を見るかの選択になり、アニメに無関心な私は後者を選んだ。

① ミニ水力発電所

   登山口横に屋久島の雨量の多さを強調するのが目的なのか、ミニ水力発電所が稼動していた。落差74m、水量16リットル/秒、平均発電力4Kw。1立方メートルくらいの箱の中に発電機と中が透けて見える水車とが収められ、激流が水車の中で渦巻いている状態が覗けた。樹脂製の蛇腹状の配管から排水が飛び出して谷川へと流れ落ちていた。

   総エネルギー=(74m*16Kg)/75Kg*m(hp)*0.75Kw/hp=11.84Kw
   発電効率=4Kw/11.84Kw=34%

   導水管がどのように配置してあるのか分からなかったが、排水管からの推定では直径20cmに満たない小さな導水管だったとすれば管路抵抗も大きく、水車内では大量の泡が発生していたから水車の効率も大幅に低下していると推定。

   でも、電力会社の商用大型水力発電所の発電効率の85%程度と比べても、玩具のような発電所なのに効率が意外に高いことに驚いた。効率の上限がカルノーサイクルに支配される熱機関に比べれば、位置のエネルギー⇒運動のエネルギー⇒電気エネルギーへのエネルギー変換の高効率を改めて確認したようなものだ。

② 弥生杉

   登山道横の谷川の程よい形の岩に腰を下ろし、小さな滝のせせらぎ音を聞きながら弁当をのんびりと食べている内に独りぼっちになった。途中の道の殆どは獣道に近い。人が通った跡が少し残り、その結果を頼りに道と判断するような場所も多かった。時々、間違えて藪に迷い込み時間を浪費した。周囲を見回したら迷子対策として木の枝に長さ10cm程度の赤いリボンが、数メートル置きに結び付けられていることに気づいた。

   弥生杉は高さ25.3mの縄文杉よりも少しだけ高く26.1m。着生植物10種。近くには誰もいなかったため、記念撮影も出来ず・・・。



③ 三本足杉

   鼎の足のような根を張っている高さ24.2mの三本足杉。足の表面には美しい緑のコケが生えていた。何かに着生した杉の木が育っているうちに、土台が流失して根元に空間が発生し三本足が露出したのだろうか。

   屋久島にはコケが何故多いかに関し、下記の解説を発見。

   屋久島の森は雨が多く霧も発生し易いため湿度が高いことが特徴。こうした環境下ではコケも生育しやすく。白谷雲水峡のように根元だけではなく高い枝にもコケが着生した森(蘚苔林・せんたいりん)が形成される。

   日本には1,600種ものコケがあると言われるが、屋久島にはそのうち600種が生育している。まさにコケの宝庫なのだ。



④ 二代大杉

   二代大杉は縄文杉よりも遙かに高く32m。ジャガイモの種芋から芽が出て育つと、種芋は栄養分を吸収されつくしてもぬけの殻になるが、二代杉は枯れた杉の上に落ちた杉の種から育った着生杉なので、成長過程は全く異なる。



⑤ 三本槍杉

   その後、びびんこ杉を経由し、頂部が大きな三本の枝に分かれている三本槍杉まで辿り着いた。白谷雲水峡では幹周り最大(8.5m)の奉行杉まで行きたかったが時間不足となり、駆け足をしながら引き返した。

   連泊予定の安房の屋久島グリーンホテルに戻り、大浴場(屋久島は火山島なので何処でも温泉があると思っていたら当て外れ。温泉付のホテルもあるが、我が宿泊ホテルに温泉はなかった。旅費の削減のためか?残念)で旅の疲れを取り、屋久島の名物料理を満喫。飛び魚料理だ。

   当日は和室に4名での宿泊。同室者の3名(58,64,68歳)は残念ながら私よりも若い。最近は各種の懇親会やこの種の相部屋でも最年長者になる場合が増え、老人の役を引き受けざるを得ず、我が高齢を嫌でも意識させられるのが唯一の難点。



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4月9日(縄文杉の拝観)

① 荒川登山口

   本日は強行軍。朝食の弁当をロビーで食べ、昼食の弁当も受け取って朝5:00にホテルを出発。5:40に荒川登山口に到着。トイレ休憩と準備体操を済ませた後、二つのグループに別れ、夫々に専門のガイドが付き、一列縦隊になって6:10出発。桜の花が少し残っていたが新緑が眩しかった。

   登山協力金300円は添乗員が一括して支払った。強制ではないが入山料のようなものだ。しかし、屋久島の価値を考え、登山道や山小屋・トイレ等の整備費を考えると安すぎる。

   荒川登山口から全長8.7Kmの今尚使われているトロッコの軌道(4度の勾配)の上を歩く。レールに枕木が必ずしも垂直には取り付けられてはいないし、枕木の間隔も何故か不揃いだった。ガイド二人にゲージ(レール間の幅)を聞いたが知らないと言う。我が推定では80cm程度の超狭軌。

   私は高校時代の3年間、今は廃線になっている福岡県の室木線の2Kmを使って自宅前から鹿児島本線の遠賀川駅まで歩いていた。不等間隔の枕木を使った歩行テクニックを思い出しつつ、むせ返るような新緑を楽しんだ。

② 安房川

   屋久島最大の安房川は峡谷沿いの谷川に近い。トロッコ用の橋からの眺めは雄大だ。豪雨で流されてきた巨岩がごろごろ。川をボートで遡るツアーもある。





③ 小中学校跡

   昭和45年まで林業関係者の子弟のための学校があった。生活のためとは言え人里離れた、娯楽設備も何もない山中で働いていた人達や、遊び場も少ない子供達の苦労が偲ばれてならなかった。



④ ウィルソン株

   本格的な登山となる道はトロッコの終点から始まる。縄文杉までは3Km弱の距離だ。道中、屋久杉では最大の切り株に到着。

   1914(大正3)年 調査に訪れたアメリカの植物学者アーネスト・ウィルソン博士が紹介した切り口の周囲13.8mの屋久杉。400年以上も前に樹齢2,000年程の屋久杉が伐採されたもの。株の根際には切り株更新として再生した樹齢300年の屋久杉(小杉)が3本育っている。
   
   内部の広さは約10畳。祠が祀られている。1586年(天正14年)、牧村の五郎七が足場を組み、豊臣秀吉の命令により大坂城築城(京都の方広寺建立とも)の為に切られたといわれる。
   
   大正時代になっても尚、日本人の世界への情報発信力が弱かったのが情けない。ウィルソン株の存在は屋久島の人々には当然のことながら知られていたのに、一外国人の名前で呼称する結果となったとは無念の極み。屋久杉巨株の名前でも何でも良かったのに。
   
   ウィルソン株の外観とその内部。左端は祠。





⑤ 縄文杉

   我が心の聖地に堂々と聳え立つ縄文杉と遂に対面。全身瘤だらけ。四国八十八ヶ所巡礼の旅(未体験)を完了したときの結願(けちがん)の場合にもこんな感激を味わうのだろうか。

   1966年、屋久町役場(当時)の観光課長だった岩川貞次氏により発見され、広く紹介された。発見当初は『大岩杉』と呼ばれていた。

   縄文杉の名前の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説や、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説とか、当時の南日本新聞が連載していた『縄文時代』のシリーズの中で報道され、一躍マスコミに取り上げられて縄文杉との名前が定着したとか諸説がある。





   縄文杉に到着した頃から小雨が降り始め、途中から土砂降りになった。しかし、私には不思議と運の悪さが感じなれなかった。『一ヶ月に35日も雨が降る』といわれる屋久島に来て雨の洗礼を受けずに帰るよりも、遙かに有意義な体験が得られたからだ。

   トロッコ道の排水の悪さには驚いた。敷石が目詰まりし2本のレールは堤防と化した。枕木は水没。長靴が必要だ。テニスシューズは水浸しとなった。

   レールから外側にはみ出た枕木は水没していない。ガイドが何度も同じ注意をした。『レールの内側を歩くように。外側の枕木を使うと踏み外した場合に危険だ』。幾ら軽量なトロッコと雖も、排水不良の軌道では基礎が緩み事故が起きるのではないかと怖れざるを得ないのだが・・・。

   ホテル到着時刻は15:40。結局9時間半掛かった。適度な疲労感を感じながらの大浴場でのひと時も旅の醍醐味だった。
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4月10日(滝見物⇒焼酎工場)

   昨夜の天候は大荒れ。23:00-2:00まで停電だったが、安眠の邪魔になるのを避けるため、場内放送はしなかったそうだ。熟睡していた私は停電に気づかなかった。海上は荒れ模様。

① 大川の滝

   連泊した屋久島グリーンホテルとは屋久島の反対側にある大川の滝までバスで移動。昨夜の豪雨の結果だろうか。岩肌を流れ落ちる滝が美しい。



② 千尋の滝

   大型バスでは屋久島を一周できず、来た道を半分戻って千尋の滝へ。周辺の一枚岩には流石(さすが)のコケも殆ど生えずむき出しのまま。轟音を轟かせながら落ちる滝を見ながら一休み。
   




   この日の海は荒れ、予定していたトッピーは運休となったが、別の運行会社のトッピーの出航が決定され、遅れて出発の憂き目。その結果、午後に予定されていた薩摩庵(かるかん工場見学)と城山公園見物は中止となり、焼酎工場見学のみとなった。
   
③ 錦灘(にしきなだ)酒造の見学

   鹿児島空港の直ぐ近くにある河内源一郎が創業した錦灘酒造を見学した。この会社の主力製品は『麹』だった。全国の焼酎メーカが使う麹の80%を供給しているそうだ。自社でも焼酎を作っているが、酒屋では販売せず、工場での直売と通販のみ。麹の売り込み先の焼酎メーカとの競合を避けるためだ。

   麹とは欧米では使われることはなく『ヒマラヤ地域と東南アジアを含めた東アジア圏特有の発酵技術』だったとは、このときまで知らなかった。焼酎は安物の酒と蔑視していたがとんでもない誤解だった。
   
   ウィスキーやウォッカ等と対等に世界市場で闘える高級蒸留酒として世界に進出して欲しいと思わずにはおれなくなっただけではない。試飲しているうちに自宅でも急に飲みたくなって2升(3,000*1.05*2)購入。宅配便(送料は何本でも100円のサービス)で自宅へ届けてもらった。

インターネットから・・・

   麹(こうじ)とは、米、麦、大豆などの穀物や精白するときに出来た糠などに、コウジカビなどの食品発酵に有効なカビを中心にした微生物を繁殖させたもの。日本酒、味噌、食酢、漬物、醤油、焼酎、泡盛など、発酵食品を製造するときに用いる。

   ヒマラヤ地域と東南アジアを含めた東アジア圏特有の発酵技術である。

   黒麹はアワモリコウジカビで広く知られているように、元は沖縄で泡盛の醸造に用いられてきたコウジカビである。クエン酸発酵が盛んで、もろみをpH3程度の比較的強い酸性に保つことができる。したがって、発酵途中での雑菌の繁殖を防ぐ効果があり、比較的気温の高い地方でのアルコール醸造に適している。

   この黒麹が九州地方の焼酎生産に広まったのは、1910年頃河内源一郎が泡盛の黒麹を元に「河内黒麹菌」(学名:アスペルギルス・アワモリ・ワァル・カワチ)を培養し、鹿児島の焼酎業者を技術指導した事による。それまで黄麹を用いて生産していた鹿児島の焼酎は、この黒麹を用いることで歩止まりを劇的に向上させた。

   ただ黒麹には、1.温度管理が難しいこと、2.その胞子が持つ黒色色素が作業場を汚すこと、という難点もある。後1924年に河内源一郎は黒麹の様々な問題を解決した白麹を発見する。

   しかし、すでに黒麹による醸造が定着していたため劇的な置き換わりは起きなかった。でも、1970~1980年頃にはほとんどの焼酎生産現場では白麹が用いられるようになっていた。

   ただ、黒麹がもつ様々な問題は、製造技術の向上(特に温度管理)によって克服できるようになり、黒麹が持つ独特のコク、甘味などをもとめ、2008年現在では、再び黒麹が使用された焼酎がいくつも出回るようになっている。
 
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おわりに

[1] 屋久島を満喫

   『待てば海路の日和あり』のように、その機会を待ち続けていた屋久島小旅行で縄文杉にも逢えた。屋久杉を眺めていると自然に心が癒され、がんの悩み等は瑣末事に思えてきた。更には、原生林の中でひっそりと育っているコケの美しさを眺めていると、心底から心が洗われるような気がしてきた。全身で感じられるこの喜びをかみ締めることこそが屋久島へ遥遥やって来た目的だった。シミュレーションでは決して得られない贅沢な一瞬だ。

   今までにも国内外の原生林は何度も見たことがあった。人間の魔手が及んでいない原生林には高木から低木までだけではなく、樹間には蔦類や草、各種のキノコなど、夫々が生き残るための環境を作りながらバランスよく共栄共存している状態からは、いつも溢れるばかりの『自然界の調和美』が感じ取れた。

   しかし、これらとて屋久島の苔むす幻想の世界のような美しさには勝てない。この幻想美を一人静かに眺めていると、物言わぬ森の生き物が何かを訴えるように一心に語り掛けているように感じるのだ。それは実は我が内面の精神が刺激され、我が心の中に自然に発生する叫び声だ。自然との対話とは何かと考えながら、感動また感動。

   今までにも何度か、宗教に帰依している敬虔な信者達が静かに祈りを捧げている場面を目撃したが、自分の心の中に隠されている感情を察知するには、トイレの中では些か無理なようだ。それに相応しい場が必要だったのだ。無神論者もその場を求めて旅に出るのだ。

[2] 屋久島が危ない!

   交通の便(飛行機・トッピー・フェリー)がよくなっただけではなく、世界遺産にも登録され、連日のようにマスコミに屋久島の話題が流されるようになった結果、屋久島への観光客は激増してきた。直近では年間30万人を超えて尚増加している。100万人になるのも時間の問題だ。

   観光地でいつも問題になるのは、トイレ・ゴミ・経路の安全・自然破壊・宿泊設備・山小屋・ホテル・お土産・ガイド・・・。以下ではそのうちでも大きな三問題に触れたい。

① 登山道

   トロッコの終点から縄文杉までの登山道は間に合わせの獣道レベル。大勢の登山客が屋久杉を初めとして各樹木の命綱でもある根を階段のように踏み荒らしている。根の皮が無残にも剥ぎ取られている。痛々しい。裸足で歩けと叫びたくなる。豪雨で貴重な土が流されるので登山客がいなくても根は剥き出しになっているのだ。

   これらの根を保護するために全ての登山道は高架にすべきだ。被害は根だけではない。急斜面では周りの木の枝に?まって攀(よ)じ登っているが、そのうちに木の枝が折れたり千切れたりするのは時間の問題だ。更に屋久島の宝石とも言えるコケまで無残にも踏み荒らされている。

   海外のこの種の世界遺産への見学道は極貧の国すら高架が用意されている場合が多い。何が経済大国か! 自然破壊大国と言われても反論の余地がない。

   これらの維持管理費用を政府に求める必要は無い。受益者負担の原則の下、現在の物価水準で入山料一人たったの一万円で十分だ。非協力者は追い返せばよいのだ。美しいここの自然はひとり屋久島の人達だけではなく、観光業者にとっても命綱。観光客も応分の負担をするのが当たり前だ。

   一度破壊された屋久島を復活するには数千年の歳月が掛かるのだ。都会の高層ビル街は資金さえあれば何回でも作り変えられるが、美しい屋久島の自然が破壊された場合は、近代科学と日本の全金融資産を総動員しても短時間に回復させることは決して出来ない。この理由にこそ、自然が持つ本質的な価値があり自然保護の意味がある。

② トイレ

   30万人もの観光客は最低でも毎年1,000トン(1Kg*300,000*平均3日)もの屎尿を発生させている。シーズン中は毎日3トン(洗浄水が加わる下水はその10倍以上になる)に達する。現在ある僅かなトイレでは対応できないのは明らかである。山の中での放尿が自然を汚し、屋久島の貴重な水源を汚染するのもこれまた時間の問題だ。

   日本が世界に誇れるものの代表例は、高速道・デパート・スーパー・駅・空港を初めとした公共の場所に設置されている美しくて混雑しないトイレだ。これらの費用は最終的には高速道路の料金や商品価格を通じて利用者が負担しているのだ。

   山の中のトイレに浄化槽を付けただけでは不十分だ。今でも情けないことに浄化不十分なため悪臭が絶えない。

   幸い屋久島には豊富な水がある。谷川や麓からポンプで登山道に設置されるべきトイレに揚水し、完全な水洗トイレを準備し、屎尿は麓まで下水管で誘導し、麓で集中的に浄化するシステムにするのは、単なるコストの問題だ。そのためにも入山料は徴収すべきだ。毎年30億円あれば、10年もすれば登山道もトイレ事情も画期的に改善されるだけではない。地元民には環境維持活動のための新しい職場の提供すら出来る。

   これらの環境整備費を観光客から常時調達すれば、最初は観光客が減少するのは当然のことだが、屋久島100年の計の実現のためには断固として実施すべき事柄だ。

たまたま、インターネットで下記の記事を発見した・・・。

屋久島のトイレ問題、鹿銀が200万円募金(2008年04月15日)

   世界自然遺産の屋久島で観光客の増加に伴い、悪天候からの避難小屋のトイレ処理が追いつかなくなっている問題で、鹿児島銀行(鹿児島市)は14日、町条例に基づき今春に創設されたばかりの町山岳部保全基金に約200万円を寄付した。基金への初の大口寄付。これまで小屋付近に埋められていた汚物を人力でふもとまで運ぶ費用にあてる。

   町総務課によると、基金は6カ所の避難小屋にあるくみ取りトイレの汚物をふもとに下ろすために使われる。年間の目標募金額は4千万円。登山道の入り口や屋久杉自然館など約20カ所に募金箱を置き、登山者らに1口500円の「協力金」を呼びかけている。町環境政策課の塚田英和課長は「始まったばかりで認知度が低いため、反応は鈍い。これからです」と話す。

   同課によると、3月から試験搬出を開始。8合目付近にある小屋の汚物20キロを往復10時間かけて下ろした。トイレ1カ所あたり月170キロの汚物が出ると試算し、総計で年間2800万円の搬出費が必要となる。8月までに各小屋とも、数度ずつ搬出し、ルートや用具の改善を進める予定だ。

   トイレによる自然環境の汚染問題は、屋久島が世界自然遺産に登録された93年度以降、本格化した。その年度に20万人だった来島者は、06年度に33万人と急増。異臭の苦情も目立っている。

   町や県、国などでつくる「屋久島山岳部利用対策協議会」が昨年10月ごろから基金創設の議論を始め、町議会は今年3月定例会で基金設置を定める「屋久島町山岳部保全基金条例」を可決した。
  
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   21世紀の今日、人力で屎尿を担いで運ぶ奴隷のような仕事に貴重な労働力を使うとは、弱いもの虐めの人権侵害に近い。発想のあまりにもの貧しさに、ああ、情けない・・・。

③ 宿泊設備

   過去十年で日本への外国人観光客は倍増して800万人になったそうだ。最も人気があるのは奈良や京都の古びたお寺や神社めぐりではなく、北海道の大自然だそうだ。北海道に負けない価値がある屋久島に外国人が殺到するのは時間の問題だ。

   幸い屋久島には山だけではなく美しい海も温泉もある。外国人が安心して喜んで逗留するようなホテルの建設や観光資源の開発は必須の課題だ。何もなかったハワイ・グアム・ラスベガスが今日多くの訪問客を魅了するのは、自然だけではなく、観光資源の開発の成果だ。ハワイの海岸の白砂は外から運び込んだものだ。

   世界中何処の人に質問しても『生れ落ち、幼児期を過ごした土地で人生を送られれば至上の幸せ』と答える。これは他でもない我が海外旅行での体験だ。屋久島の若者がこの美しい屋久島から脱出するのは、大都会への憧れでは断じてない。生きるためのやむを得ない悲しい決断だ。私が郷里の親戚縁者や友人知人と別れて福岡県から、一人ぼっちになりながら800Kmも離れた愛知県の豊田市まで遥遥やってきた(当時は夜行列車で15時間以上も掛かった)のも理由は全く同じだ。

   屋久島が島民や観光関係者のご努力によってますます魅力ある、日本を代表するような快適な島へと脱皮すれば、屋久島の人達の全てに福音となる。その日の近いことを期待しつつ・・・。

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読後感

その1

屋久島旅行記2-3回読んだ。特に結論がすばらしい。こんなに満足した旅行とは温泉なしでも、美人看護婦なしでも本当によかった。

私はコケには興味ないというか、ミミズやもぐらもでてきそうであまり好きではないが。コケ美人というのもピンとこない。

離島は人口減少の歴史、山口の屋代島。明治初め人口10万。30年前3万。今は1万+だろう。世間一般のGDP上昇と開放経済で離島の人口保持力は減っていった。例外は基地経済の沖縄本島。

屋久島も収入源は観光以外にない。狭い県道とは論外。高架登山道とは思いつかなかった。大賛成。1万円入山料もOK。しかしともに実現はしないだろう。霊長類の人間も集団としての意思決定&実行能力は低い。特に民主主義社会では。個人と集団は違う。

自然だけではだめで観光開発は重要。ハワイはいい例。最近の若者は自然は嫌い。自然学校は人気ない。

人口密度は無意味。もっと人口希薄な土地もいっぱいある。人間が居住していない地域を入れての単純人口密度は無意味。

船舶の目方はあまり軽いと不安定にならないか? スピードも陸上とは比較できないだろう。乗り心地の改善は累積製造数にもよるだろう。旅客船は総トンか純トンだろう。この場合トンは容積で重量ではない。

その2

トッピーは281トンだそうだ。総トン数のようだ。2.83立方メートルが1トン。このトン数が登録税などの基礎になる。利用できない一部の区画は容積から除外。トンの語源も酒樽=容積。重量は友人に聞いて見ないと分からない。

トッピーも数隻あり、281トンは7号。最大タイプ。流木事故の4号を改名。

屋久島トロッコの軌道は2フィート6インチ(76cm)だろう。日本の鉄道にも時々ある。昔乗った近鉄御在所線など。

その3

高速船の排水量に関し、友人から下記のような返事が来た。

排水重量≒0.70~0.75 x 総トン数と考えて、大体OKです。さらに精密にと云われれば、船体材質を含む諸元(主船体寸法、上部構造寸法)が必要です。

① トヨタ同期・工(船舶)⇒1年で退社⇒経(学士入学)⇒防衛庁キャリア⇒国連職員⇒イラク駐在開発部長⇒大学教授遍歴(5大学も!)⇒69歳でやっと悠々自適⇒引退後に始めた財テクで苦戦中(紺屋の白袴??)⇒天下の偉才⇒奥様は北京美人。

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屋久島の神木に接したときの興奮が写真と文章で伝わりました。実際に屋久島で木を前にした人にしか味わえない感動があるのだと思います。神木のパワーでますますお元気になられるのではないでしょうか。

ところで真鍋大覚先生をネットで検索しましたが、航空工学+船舶工学、年輪、雲による地震予知といくつも専門分野が出てきたので、同姓同名の方が存在するのかと最初は思いましたが、同一人物でいらっしゃるのでしょうか?とてもユニークな方ですね。(同一人物です)

九大時代の航空工学の恩師で、その後、年輪の研究も重ねた先生から樹齢7,200年と聞いた、そういうことでしょうか。(直接伺ったわけでは有りません。何かの情報で知りました。地震雲の発生原理は電話で質問して直接伺いました)

② インターネットで私のホームページを発見された方・まだお会いしたこともない方

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お元気で旅行されているご様子、健康を取りもどされて何よりです。

屋久島の縄文杉に感動されたことでしょう。私も10数年前(年の記憶が定かでない・・・旅行記がないため)に行きましたが、自然のままの状態が維持されていて感激しました。

③ 荊妻の知人・中小企業の経営コンサルタントとして活躍中

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先月、東海東筑会の総会でお会いできたことを嬉しく思っています。お世話になりました。

私は、屋久島にまだ行ったことがありません。たまたま、長男夫婦(神奈川県在)が4月末から5/2日にかけて縄文杉見学に行き、帰りに当方に寄りました。

すごく感動し、神秘的だったと・・ビデオを見ながら話ししてくれました。私も若いころから一度はと思いつつも、実現しないままです。いつも、メ-ルを頂きながら失念をお許しください。

今後ともご自愛のほどお祈りいたします。

④ 出身高校の同窓会事務局長・4/27の東海東筑会総会で初めてお会いした方・経


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体力増進の為,'08年4月より毎日、愛知県緑化センターor昭和の森を散策しています。自然環境保護に一役買える事は無いかと歩きながら思い付いた,"ゴミ袋持参(min3ケ拾って帰る)"の散策を楽しんでいます。

これを契機に外出する時は常時、ゴミ袋をポケットに入れる事にしました。

屋久島の屎尿の問題も浄化して海に放流するなり,土に返すリサイクルシステムの導入等で解決され,人類に犯されない自然環境が維持される事を願います。

屋久島の旅行記楽しく読ませて頂きました。

⑤ トヨタ後輩・工・胃がんの全摘手術⇒3/24退院⇒リハビリ中

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屋久島・縄文杉を勉強させていただきました。私は地理が苦手でしたが、昔の教科書が石松レポートのようだったら、もっと興味を持っていたと思いました。

屋久杉には無数の「愛称」が付いているとか。愛着も生じ、観光客にもわかり易いでしょうね。

昭和40年代にトヨタのボディー溶接ラインに産業用ロボットが導入されました。それまでは、天井から吊り下げられたトランスを引き寄せ、腱鞘炎に耐えながら溶接ガンを操っていました。重筋労働から解放され大喜びでした。

創意工夫の提案があって、感謝と愛情をこめてロボットに女の子の名前をつけました。セイコ、サユリ、ケイコ・・・。その後、次第に台数が増え、覚えきれなくなって、ナンバーに替えた事を思い出しました。

縄文杉の樹齢を推定された真鍋大覚先生は有名な方ですね。グーグルの検索で確認しました。ついでに、「石松良彦」を検索したら、52件も出現、さすが!

戯れに私の氏名を入力したら、同姓同名のタイトルが897件、私自身のものが1件。誰が入れたのでしょうか?

世界遺産を拝顔に行くのに、世界遺産を登山靴で踏みつけながら歩くとは! 樹齢何百年かの桜の木を保護するために、木の周りを柵で囲ったのを見たことがあります。参観者が近づくと木の根の部分の土を踏み固め寿命を損なわせるからだそうです。せめて縄文杉の根を直接踏まないように、見学道を迂回させてもらいたい。(注。高架の迂回路が作られ、木に触ることも出来なくなっています)

屋久島の宝石とも言える苔まで踏み荒らされているとは言語道断!兼六園に苔のある庭園がありますが、観光客が誤って立ち入らないように、透明な釣り糸が張り巡らせてあります。

自然破壊大国の汚名を返上したい!

⑥ トヨタ先輩・ゴルフ&テニス仲間・囲碁の実力はトヨタ自動車OBのトップ・奥様は絵手紙を数千枚も画かれた才媛・お孫さんが公立高校では東大合格者数全国一の岡崎高校に今春合格。

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ホームページ更新のご案内を何度もいただき、貴兄と電話でお話しする度に感想を求められながら失礼続きで申し訳ありません。

私が的外れなことを書いても、それが石松さんのメールアドレスに登録されている300人に公開されてしまうことを思うとつい気後れしてしまいます。後日、皆さんからのハイレベルなコメントを拝見するにつけ、「返信しなくて良かった!」と感じる次第です。

石松さんは、旅行を計画し日程が決まると図書館で10冊前後の関係図書を借り受けて、現地の状況を歴史的背景を含めて詳細に把握されています。それは会社勤めの現役時代に出張で出掛けるとき以来の習慣となっていて、「何が既知であり、疑問点は何か、どこをどのように自分の目で確かめたいか、……」といった事柄を明確に脳裏に刻み込んでから出発されています。

旅先では質問魔となって勉強不足なガイドが答えに窮する場面も多いようですが、目立つ帽子の着用とか、フリープランの選択などで同行旅行者に頼りにされていることが伺われます。現地の人との交流という点でも、単に言葉使いが巧みなだけではできない石松さん独自の溶け込み方を身につけ実践されていて感心するばかりです。

石松さんの紀行文で特にすばらしいのは、同じ風物や場面に接したとしても私など思いもつかない観点からの分析・評価です。それはいかにも技術者らしい流体力学などの理論計算にとどまらず、地政学、環境問題、心理学など広範に及び際限がありません。最新の国内紀行、屋久島の今後に関する記述はその好例のひとつであると思います。

ただ、少し難点と感じるのは、私のような高齢者に読ませるには文章が長すぎることです。西アフリカ8カ国へは18日間にも及ぶ長旅ですので、58ページをかけても本人はまだ書き足りないのかも知れませんが、パソコンの画面ではとても読む気になれませんでした。

このような場合は数回に分けてアップするようにして、「続きを早く見たい」という声が出てから追加するのが良いかもしれません。(いくら長文であっても読み手が何日かに分けて読めばよいことではありますが)

私はブラウザとしてIE、Fire Fox、Opera、Safariなどを併用しています。IEでは通常文字のサイズを「小」で見ていますが、石松さんのHPは若干文字が小さめですので「中」にして見るようにしています。

デスクトップを1024X768ピクセルの設定で見ると、紀行文概要紹介の部分の文章で文字サイズが不統一になっていて行間が重なり合うものがあります。ある会社のホームページを作成したときに同じ問題が指摘されたことがあります。ホームページビルダーの自由配置モードで作成するとこのような現象が出るようです。IEで異常がなくても、他のブラウザで出る場合があるとも聞いています。

的外れな指摘ついでに、もうひとつ希望を申し上げます。石松さんの紀行文、随想、病気の体験記それぞれが知見・教訓に満ちて素晴らしい限りですが、文章として読ませていただくのみでなく、ご自身の語りで拝聴できたらもっともっと魅力が倍増するものと推察されます。

例えば、最近の講演の様子を一部なりともビデオか録音で伺うことができれば…と期待するのは無理でしょうか。直接石松さんのホームページの中に取り込まなくても、フォト蔵、YouTubeなどに投稿してURLをリンクすることで代用できます。石松さん独特の語り口の一端を聞いた後には、文章を読んでいても貴兄の声が生々しく聞こえてくる心地がして、よりいっそう名文を堪能できるに違いありません。

適切な例ではありませんが、私から投稿したフォト蔵のラージボール卓球とYouTubeの秋刀魚焼きパーティーをご覧ください。

フォト蔵  http://photozou.jp/photo/show/180202/9660222
YouTube http://www.youtube.com/watch?v=_iF8Wz76YsI

旅先で撮影された写真もホームペー上に挿入されたほかに多数お有りかと思われます。それらをPicasa2のウエブアルバムにアップすれば一般に公開することもメール先の方のみへの限定公開も自由に選ぶことができます。

追伸

クリック数が54,000件を超えるという大盛況に対し、心よりの敬意を申し上げます。

このように見知らぬ人を含め多くの方々に読まれる状況において、若干気になることは、最近の記述でインターネットからの情報検索結果の引用が、非常に多くなっていることです。その出典と引用範囲を明確にして、時には原作者の了解を得ておかないと、盗稿・盗作の誹りを受けかねないのではないかと危惧します。

紀行文で書かれている例で、屋久杉全焼説に対する疑問と考察は的を射ていると私も感じますが、「インターネット上に溢れる情報の質とはこの程度のものが多すぎて、情けない」という評価が人伝に本人に届くようなことになった場合のことを思うと、「う~ん!?、……」

⑦ トヨタ先輩・工・パソコン活用力はセミプロ級・余生の資産管理は固定資産より流動資産が便利と判断⇒豊田市の家屋敷を売り、横浜の子供一家近くでの借家で人生を謳歌中!

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先日来、貴HP読後感を聞かれていますが、毎日が日曜日の生活をしているにもかかわらず、雑用に追われお応えできていません。

先日、屋久島旅行記読みました(ザッと)。以前から私も行きたいと考えて、5・6年前にパンフなど調べましたが、結局駄目になりました。今回、石松さんの旅行記を読んで、再び行ってみたくなり1・2年後を目標に計画したいと俄然思いました。

樹齢の論議は色々あるようですが、「山高きが故に貴からず」と同じと考えます。トイレの問題提起と提案は大賛成です。 富士山には未だ登っていませんが、ゴミの問題を噂に聞いて、一度登ってみたいと思う自分と、ゴミを見て嫌な気分になる自分とがいて逡巡しています。

アフリカ旅行記も大分前に読みましたが、トーゴのホテル玄関前の珍しい木は「旅人の木」(Traveler’s Palm)です。マダガスカル原産の木でハワイやシンガポールなど暖かい所で見かけました。

扇子を広げたような「面」が何か方位を示し(旅人の標)ていて、名前の由来かと考えましたが、数本生えている木の面が異なっていたので、私の直感推定は直ぐ間違いに気付きました。

名前の由来は葉柄を切ると水(樹液)が出てきて、旅人の渇きを潤すことから付いた名前だそうです。もっともこの特性を知った旅人でないと恩恵にあずからないこと当然です。(昔の旅人は生活の知恵がしっかりあったのですね)

また、マダガスカル航空のロゴは旅人の木で尾翼に大きく、孔雀が尾羽を広げたように画かれています。

石松注。インターネットから。





マダガスカル航空のロゴマークになっている。マダガスカル語でラヴィナラ(Ravinala)。名前の由来は、葉の付け根に雨水が溜り、その水が昔、旅人の乾いた喉を潤したため。

⑧ 高校後輩・工・東海地区の年一回の同窓会で毎回お目にかかっている方

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