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近況報告・五月その2

(平成26425日脱稿)

 

目に青葉、山ほととぎす、初ガツオの初夏がやってきた。ゴルフ場やテニスクラブに出かけると新緑の香りが溢れている。僅か1週間で花咲爺さんの魔力と勘違いするような速さで、大自然の木々は幹や根に蓄えて居た全エネルギーを、爆発したかのように吐き出した。

 

秋の紅葉も綺麗だが香りがしない。私は紅葉よりも新緑の若さが好きだ。酒類・食物も全て香りが命だ。香りは生命の象徴だ。数多の香水もその原料は動植物に由来している。人間だった同じだ。青年が作り出す出す命の元(精液)もそれなりの香りに包まれている。男なら誰でも、一度は臭いを嗅いだはずだ。

 

4/14 に何時ものがん検診。主治医は咽頭がんの疑いありと診断。即日、頭頸部の医長に連絡。医長が鼻に細い内視鏡を挿入して目視&撮影。同じく咽頭がんの疑いありとの診断。急遽、入院を前提とした各種検査を実施。若い頃5,950ccあった肺活量が4,080ccと言われてがっくり。入院手続きも恙なく完了。

 

4/15 豊田市三九朗病院の前田理事長に諸資料を見てもらった。矢張り同じ結論。5/15-23はアケメネス朝ペルシア旅行の予定だった。私は『がんは遅行性の病気。治療が1ヶ月遅れても大勢に影響はない。理事長のお考えは』と質問。『私だって人生最後の旅行を優先しますよ』との回答。ペルセポリスはアレキサンダー大王の焼打ちにあったが、我が命はがんによる焼打ちか? がっかりしても始まらないと、遂に覚悟を決めた。

 

4/16 がんセンターで病理検査のための検体を4個採取。採取医師は若いレジデント(研修医)。多少の不安は感じたが、贅沢は言えない。誰かがモルモットにならなければ医師は育たない。

 

4/24  頭頸部の医長から検体2個からがんが発見されたとの告知、大きさは2cm病理医は二人の合議制だから誤診の確率は大変低い。全身麻酔を掛け、鼻からは内視鏡、口からは大きな手術用の内視鏡を挿入。声帯は取らなくて済むそうだ。5/29 確認のための最終診察の後、手術日を決定予定。

 

4/25から元気を出して、最悪の日に備えて家庭菜園の仕事に突進すべく決意。秋冬野菜と、我が希望に反して勝手に大きく育った雑草を除去。畦を造り施肥。後家になる可能性が高まった、今や単なる同居人に過ぎない老婆の半年分の支えに過ぎないが、野菜の自給自足ができるようにとの準備。並行して今年初体験となるジベレリン(一種のホルモン剤)を果樹の花に散布予定。花壇も少しだけだが手入れしたい。

 

連休明け後に夏野菜の移植とインゲンなどの種蒔きを終えた後は当分の間、近況報告は休載。我が生還率は50%と勝手に推定。我がホームページの愛読者各位のご健勝とご清栄を祈念しつつ・・・。


           
平成26年4月25日脱稿(75歳)

① 炬燵用強化ガラス

   半ぼけ老人のボケ対策の基本は『見える化』にある。病院の予約票、自動車保険のコンビニからの振り込み書類など各種の書類が、油断していると嫌になるほど溜まって来る。自宅で処置できればよいが、雨天でも嫌々ながら外出せざるを得ない書類も重なると面倒になって来る。

 

手帳に用件のタイトルの書き込みはするもののつい忘れる場合も多い。送られてきた書類を一覧できるようにと、我が居間の冷蔵庫や冷凍庫の壁面にゴム磁石で貼り付けていた。これらの書類で壁面が満艦飾になると見苦しいだけではない。いつの間にか磁力不足から剥がれ落ちて紛失している場合もある。

 

ふと思いついた。日常生活の中心は私の場合、書斎の大きな机ではなく居間の小さな電気炬燵だ。掛りつけの職人に炬燵用にぴったりサイズの透明な強化ガラスを特注。書類は全て炬燵板と強化ガラスの間に挟んだ。紛失防止になっただけではない。毎朝、全ての書類を目で確認する習慣ができた。やれ、やれ!

 

② 雑草天国


   私は1交代制・且2時間限定のパート肉体労働者。雑草は季節ごとの24時間連続勤務だって意に介さない交代制労働者。夏と冬では雑草の種類も入れ替わる。雑草は元気なはずだ。

 

動物の移動は観察できるが植物はいくら頑張って凝視しても、見ている間に気が付くほどの速さでは成長しない。でも、決して成長を休むことはしない。

 

   今年の冬は特に寒かった。家庭菜園の維持管理意欲も雲散霧消し居間での冬眠生活に逃げ込んでいる間に、寒さの中で成長する雑草に家庭菜園は占領されてしまった。今やどこから手を付けるべきか迷うほど、耕土の全表面が雑草に覆われてしまった。又もや継続は力なりを思い知らされた。雑草との生存競争は後期高齢者には特に厳しい世界だ。

 

③ 土起こし新型農具


   大型のホームセンターの農機具売り場で新型土起こし農具を発見。体力の衰えた高齢者向けだ。

 

   T字型の枠の先端に円錐状の先が尖ったフォークのような錐が5本。その上に片足を載せる台があり、体重を掛けると錐が土の中に突き刺さる。そのあと足を載せていた台の下部を支点にして持ち手を手前に倒すとてこの原理が働いて、土が堀起こされる。我が力が数倍に拡大されるようだ。

 

   備中を使って土起こしをする場合には、イルカが全身をばねにして水を叩くように、全身の力を使って振り下ろすが、この新型土起こし農具は高齢者でも手軽に使えることが、説明書を読んで分かった。昔ながらのスコップは土との接触面積が広く摩擦力が強く働き、固くなった土起こしには難渋するが、その改良型だ。

 

   早速購入した。その使い心地に超満足。

 

④ ツワブキ


   
ツワブキは肥料成分が足りないと矮小化する。でも、追肥をすれば元の大きさに戻る。環境依存性が高いように感じられた。

 

   我が車庫の南側面には垂直の擁壁があり、それを取り巻くように左官屋にセメントブロックを使った、高さが70cm程度・延べ表面積が僅か一坪になる細長い花壇づくりを注文。ツワブキは北側の日陰でも育つことをインターネット検索で確認。我が屋敷内のあちこちで繁殖していた栄養不足で矮小化していたツワブキを移植。今年は毎月一回化成肥料を散布した。その結果、葉柄の長さが昨年の2倍にたちまち成長。

 

真夏になり葉柄が固くなったら付け根から切り取り、キャラブキに加工する予定。昨年造った自家製のキャラブキには超満足。我が自家製の無農薬自然食品だ。自給自足生活も軌道に乗り始めた。

 

➄ 芍薬と薔薇

 

芍薬は育てるのが難しい。土の管理、消毒など大変と聞き今までは手を出さなかった。でも、棚田式の花壇を造った結果、色とりどりのパンジーやチューリップだけでは満足できなくなり、芍薬の栽培に挑戦したくなった。培養土を一袋投入し昨年一株の苗を植えた。

 

   春暖と共に冬眠生活よ、いざさらば!  庭に飛び出し花壇に出てふと観察したら、芍薬の蕾を3個発見。頑張れば素人でも報われるのだ。嬉しくなって株の周辺にお礼肥として一握りの化成肥料をばら撒いた。

 

   立てば芍薬、座ればボタンと言われて久しいが、ボタンは木。芍薬は多年生の草だそうだが、一旦植えれば数年間放置できるのもナマケモノには嬉しい。

 

   私が永年取り組みたいと思っている花に薔薇がある。これも育てるのは難しいらしく、今まで未挑戦のママだったが芍薬の成功に背中を押された。今年のテーマだ。赤い大きな切花になるバラだ。花瓶の用意は既にできている。

 

⑥ かかりつけ職人


   昭和4912月7日に現住所に新築移転以来約40年。隣組の先住民たちとのお付き合いは殆どしないままだ。彼らと我が人生を因数分解しても共通因子が見つからず、雑談でも神経が疲れ果てて長続きしないのだ。

 

長女が東京女子大に進学した20数年くらい前から家のミニ・リフォームを開始した。電話帳片手に業者探しをしているうちに、小さな工務店を経営していたが仕事を長男に譲り、時たま流れ込んだ仕事で小遣い稼ぎをしていた元社長に遭遇。この方は現役時代に豊田市内の職人との付き合いが広く、我が相談に気楽に乗っていただき職人の紹介では何度も助けてもらった。でも、80歳になっただけではなく、奥様の介護に追われる日々となり、もうお手伝いは無理と言われた。

 

2年前からいよいよ本格的に更なるリフォームに挑戦。新聞のチラシや電話帳からreform屋を探しているうちに我が尊敬に値する職人と遭遇。氏は職人の異業種交流会を主催。1業種1職人。仕事の相談をすると即座に職人を紹介してくれた。私には電話一本で即座に駆けつけていただける大変貴重な存在だ。

 

この方に出会う前はチラシ情報から中堅のリフォーム会社に相見積もりを最低でも数件取り寄せては比較検討していた。ある営業マン曰く。『我が社では基本給は大変低く、年収は一人一人の営業成績で決まる。同期の大卒(40歳前後の中堅社員)でも年収は3倍も開くことがある。職人は当社との契約社員の中から最適者を選ぶが、彼らは社員ではない。直接職人に依頼する場合よりも会社の諸経費分などで、2~3割高になるのは避けられない。その代り仕事の品質保証は徹底的にしている』そうだ。

 

⑦ 回転寿司

 

   我が家の近くに全国に展開している回転寿司大手のスシロー・かっぱ寿司・はま寿司がある。どこも家族連れで賑わっている。一皿2貫で税抜き100円が基本だ。荊妻が日中不在の昼食に何度か利用したが、何故か美味しくない。

 

   私は寿司ネタが1日古くなっているからだと推定。チェーン店の本部が一括仕入れた後、全国の営業店に配送すると、店頭に到着するのが1日遅れとなる。我が主たる好物である青物魚(イワシ・サンマ・鯵・鯖・カツオ・鮭・ブリ・マグロ類)は傷みが早く味覚が落ちるのだ。さりとて私は輸入品のエビ類は食べる気がしない。エビ類は茹でると黄金色に変色し、色・艶・形は大変魅力的になるが旨み成分が抜けてしまうからだ。

 

私はスーパーで活シジミを購入した場合、みそ汁に入れてその出汁だけを飲み、身は食べない。美味しくないからだ。ハマグリやアサリでも出汁を使ったお澄ましを飲むだけだ。茹でると身は固くなり美味しくない。でも、焼きハマグリの身は美味しい出汁と一緒に食べられるから好物だ。スーパーではシジミやアサリの身だけを売っている場合もあるが、決して買わない。美味しくないものは幾ら安くても買わない。

 

少し高級な日本旅館に泊まると、大抵は尾頭付きの小さいながらも伊勢海老の刺身が出される。食後は伊勢海老の頭を備え付けの冷蔵庫に隠す。翌朝、密かに持参して来た保冷袋に入れて持ち帰るや否や、一時間位掛けて沸騰水で出汁を取る。この出汁でみそ汁を作ると大変おいしい。

 

私は高級品と見做されている伊勢海老の単なる刺身よりも、出汁を活用した料理が大好きだ。仲居に持ち帰ることはできるか、などとの野暮な質問はしない。食中毒が心配だからご遠慮くださいと言われると、分かっているからだ。各種エビや貝類に共通しているのは身よりも出汁が宝だという現実だ。

 

全国的に展開している回転寿司屋がこんなに増えると、従来からの家族経営の寿司屋も、座して死を待つよりも未だましだと考えるのか、なけなしのお金を叩いて回転寿司屋に店舗を改装し始めた。かつては一流の寿司屋は価格表示をしなかったが、回転寿司屋に変わると価格も表示するようになり、財布の底を心配することもなく安心して食べられるようになっただけではない。

 

   彼らは毎朝地元の市場に出かけて、ネタを仕入れて営業する習慣だけは残した。全国ネットの回転寿司よりも1.52倍の価格になるが大変美味しいことに気づいた。また店舗が三河地方にのみ散在している小規模な回転寿司屋(たとえば魚魚丸)も毎朝市場で仕入れた新鮮なネタを使うから、少し高めだが美味しい。でも、私は日曜日には家族経営の回転寿司屋や『魚魚丸=ととまる』でも出かけない。日曜日は彼らの生命線である市場が休業日だからだ。

 

全国ネットの回転寿司屋も地域の市場単位に分割経営し、ネタの鮮度管理に重点を移すのは時間の問題か。回転寿司業界の最大の功績は寿司の大衆化にある。やっと、待ちに待った本物の競争が始まった。万歳三唱!

 

とはいえ、寿司屋の殿様商売の横着ぶりの片鱗は今なお健在だ。寿司には何と未だに仕様書がない。ステーキハウスに行けば素材の重量、うどん屋ではうどんの重量が表示されている。全国ネットの回転寿司屋の握りずしが、心なしか小さくなってきたように感じる。

 

寿司ロボットでシャリを握ると大きさが指定できる筈だ。シャリが大きいとネタもバランスの上から大きくせざるを得ない。小さなシャリに小さなネタ。家族経営の寿司屋は手でシャリを握っており、それに合わせた大きさのネタを載せている。我が心に響くサービス精神は今なお健在だ。

 

シャリの重量管理は不要だ。上から見た時の縦・横の長さだけを仕様として表示すれば十分だ。そうすればシャリの上に載せるネタの大きさも自ずから決まる。たったこれだけの改善で回転寿司業界の品位も高まるのだ。百均小売店も今や百円に拘らなくなった。200300500円の商品も増加して来た。回転寿司だってネタ次第では高いものも価格表示を徹底するだけでお客には福音だ。

 

ちなみに世界一との評判の高い銀座の寿司屋でオバマ大統領が食べたお寿司の1貫のお任せ価格の最安値は1,500円。銀座が近くにあれば、私も死ぬ前に一度は食べたいお寿司だ。

 

⑧ ファミリーレストラン

   

   子供たちが小さい頃には実力テストの順位が3人のうち一人でも上がった場合は、

お祝いに彼らが行きたいというファミレスに出かけていた。メニューの選択も自由にしたら、長男は何時も150gのTボーンステーキを選んでいた。末っ子の長男が中学生になったころからファミレスとは無縁になった。

 

   一人暮らしの予行演習として昨秋、フアミレスに久しぶりに出かけてがっかり。近くのファミレスの座席は昔ながらの3人掛け・対面式のママ。老人が一人で出かけても居心地が悪く、2度と行かなくなった。こんなことでは子供の減少に連れてファミレスが衰退するのは当たり前だ。

 

   経営者にはかの松尾芭蕉が残した『不易流行』の意味を理解してほしいが、心静かに勉強する時間も持てないのだろうか?



「無用の用」と「不易流行」


 『老子』に「無用の用」という概念があります。一見役に立たないと思われるものが実は大きな役割を果たしているという意味です。『荘子』にも同じ趣旨の話があり、次のような問答が載っています。


恵子「あなたの話は役に立たない」
荘子「無用ということを知って、はじめて有用について語ることができる。大地は広大だが、人間が使っているのは足で踏んでいる部分だけである。だからといって、足が踏んでいる土地だけを残して周囲を黄泉まで掘り下げたとしたら、人はそれでもその土地を有用だと言うだろうか」
恵子「それでは役に立たない」
荘子「一見役に立たないように見えるものが実は役に立っているということが、はっきりしたであろう」


 激動の時代を生きていく上で是非覚えておきたい言葉がもうひとつあります。「不易流行」:松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した概念です。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」であるというものです。

 

「不易」は変わらないこと、即ちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもののことです。「不易流行」は俳諧に対して説かれた概念ですが、学問や文化や人間形成にもそのまま当てはめることができます。

 

 人類は誕生以来「知」を獲得し続けてきました。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)、「諸行無常」(仏教)、「逝く者はかくの如きか、昼夜を舎かず」(論語)、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明)など先哲の名言が示すように、森羅万象は時々刻々変化即ち「流行」しますから「知」は絶えず更新されていきますが、先人達はその中から「不易」即ち「不変の真理」を抽出してきました。

 

その「不易」を基礎として、刻々と「流行」する森羅万象を捉えることにより新たな「知」が獲得され、更にその中から「不易」が抽出されていきます。「不易」は「流行」の中にあり「流行」が「不易」を生み出す、この「不易流行」システムによって学問や文化が発展してきました。一人ひとりの人間も「不易」と「流行」の狭間で成長していきます。

 

昨今は、「不易」より「流行」が重視される風潮が顕著です。社会、特に企業からは「即戦力になる人材」や「直ぐに役に立つ知識」が期待されるようになりました。しかし、「即戦力になる人材」は往々にして基礎がしっかりしていないために寿命が短いことが多く、「直ぐに役に立つ知識」は今日、明日は役に立っても明後日には陳腐化します。

 

激動する現代、目先の価値観にとらわれ、短絡的に実用的なものを求めがちですが、このような時期だからこそ「無用の用」や「不易流行」の意味をじっくりと考えてみたいものです。

 


読後感

咽頭ガンの告知をされ、生還率を50%と推測し更なる闘病の気概に溢れる姿に敬意を惜しまないところです。

消費税が5%から8%、更に10%へ上げられるからと死ぬの生きるのと騒いでいる我々ですが、50%の生還率なら御の字と楽観的に考えることにしましょう。悲観的に考えて結果が良くなるのならともかくどう変わる訳でもありませんから。

ユーモア精神が脳に作用して分泌物に変化を来たし抗癌作用が得られるとの説があるとのこと(私は信じています)、大いにユーモアを摂取し発揮されて癌に立ち向かいますように(但し、上質のユーモアでお願いします)。

新たな部位の発がんで深刻に悩んでおられる石松さんへ何のお見舞いにもなりませんが、口先だけの言葉よりはと私なりに考えたつもりです。世間並の優しいお見舞いをお望みならメールをし直しますが。

① 大学同期・工・川柳仲間の添削役・海外旅行記のご査読を引き受けていただいている方

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ご無沙汰しています。6回目の治療に没頭ということに・・・・・・・小生ごときが大先輩にかける言葉は見当たりませんが、小生100%帰還率を信じ・・・・・・・まだ「向井万起男様にご挨拶もされていませんので・・・・・・」と思っています。

小生はボチボチですが、ただいま日経履歴書に豊田章一郎様の連載記事を拝読し、豊田佐吉・豊田喜一郎を取り巻くトヨタ自動車の源流を益々追いたい夢が膨らみます。

本日26日(金)の執筆記事に「西川秋次」の名前が記載されていますが、昨年初めて「西川秋次」は豊田佐吉翁の信頼厚き人物だと知りました。

現在「西川秋次」の勉強を少し初めていますが、本日の章一郎氏の記述で再認識しているところです。

また、愛するお孫様のためにも、石松流の近況報告をお待ちしています。

②大学後輩・経・旧都市銀行定年退職・経営コンサルタントとして活躍中

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ペルシャ旅行を目前に控えて咽頭癌の診断とは・・・。でも、ガッカリしてすべてを中止したりせずに、旅行にはお出かけになるわけですよね。絶対にそうした方がイイと思います。

内視鏡による切除か、トモセラピーを選ぶか、旅行前に専門医とじっくり相談する予定です。

さらに、石松さんの文章を拝読した限りでは咽頭癌は凄い進行癌ではないと思います。早期癌の範疇かもしれません。帰還の可能性大でしょう。ここはひとつ根性の見せどころです。5月末に手術日が決まるようですが、手術日までご自分の好きなこと、したいことを淡々とこなしていくのが一番ではないでしょうか。

話は変わりますが、私は回転すしが大好きです。その一方、ファミリーレストランなるものには一度も行ったことがありません。友人達には、“オレは女房といつも遠距離別居結婚状態だから、いつも家族がそばにいないんだよ。だからファミリーレストランに行くことができないわけ”と負け惜しみを言っています。

これに同情した友人の一人が、来月あたりに「ロイヤルホスト」なる店に連れて行ってくれることになっています。だからどうしたと言われても困りますが。

ロイヤルホスト 1951年10月操業開始 ファミレスの草分け

10月 日本航空国内線の営業開始と同時に、我が郷里福岡空港において機内食搭載と喫茶営業を開始。一時はパート任せで業績悪化。でも、社名の由来(ロイヤル hospitality)に忠実に、各店舗にプロのシェフを配属させ業績も復活中
③ 向井万起男大先生・病理医としては世界的な権威・宇宙飛行士向井様のご主人

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お知らせ頂き有難う御座いました。

ちょっと遠くのマラソン大会に出かけていて返事が遅くなりました。がん治療が六回目になるのですね。今回もまた復帰のメールを頂けるのをお待ちしています。

私は未だ暫くタイ在住のままになりそうです。

④ トヨタ後輩・工・定年退職後自ら探した中堅企業に再就職。タイの子会社の設立⇒生産が軌道に乗った今も尚単身赴任で社長職で頑張っている方。

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どうか今回も元気に生還して下さい。

これから癌になる多くの人々のお手本です。大変ですが、どうか頑張って下さい。

その2

後期高齢者にはそれほどメールが来ませんから、メールもそれほど開きません。今回のメールのタイトルで飛び上がって驚きました。

確か半年前、食道癌克服完了宣言を送ってくれましたよね。

これは貴台の記憶間違いです。私は食道がんの場合は最後の治療から10年間は何時新発・再発がんが起きるかもしれない。お金は私が払うのですから、三ヶ月間隔での検診を続けるようにと主治医に指示。今回は最終治療から6年弱での咽頭がんの発見につながりました。

だから、今回のメールに仰天しました。

私はクリスチャンではありませんが、友人に熱烈なーむしろ牧師というべきか、無教会派ですから、がいます。彼が言うには「世の人の心を清めるためには、誰かが苦しまねばならないが、普通人は神が与えた苦しみに耐えれない。一方、心の清い人は苦しみに耐える。それで神は心の清き人に苦しみを与える」と教えてくれました。

石松さんに神が癌という苦しみを与えた。これまで、石松さんは見事に癌克服の1つの道を示して、後に続く癌患者に勇気を与え続けている。

有り難うございます。

➄ 高校同期・工・千葉大学名誉教授

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がんで6回目の手術とは、前代未聞のことと思います。貴兄の逞しい生命力に、感動致しました。小生の人生のお手本の石松さん、心より成功をお祈りします。

古希となり、力の衰えを感じるようになりましたが、気持ちだけは若く持っており、未だに、趣味”10種類”に励んでおり、上達する度に心がときめきます。但し、脳梗塞を患ったせいで、ゴルフは ”マレットゴルフ”に変更しました。

人生寿命、90歳の時代になりつつあります。人生、まだまだこれからです。また、メールの交換出来る日を楽しみにしております。

⑥ トヨタ後輩・法・元ゴルフ仲間・超頑張り屋

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七転八起の貴殿は無事生還すると信じております。ロイヤル(ゴルフ場名)で元気な声を拝聴できる日を楽しみにしています。

決して諦めない石松さんの雄姿を!祈念致します。

⑦ トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間・愛知万博では全期間中ボランティアで会場案内

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ショックな知らせですが、強靭な意志力を持った石松さんならきっと克服されると願っています。お互い70も半ばを過ぎると病との戦いですね。私も週の半分は医者通いで、あいだをぬってなんとか楽しむことを見つけています。医者へ行く体力がなくなったら多分この世ともお別れと思っています。

私の膝はやや快方に向かっており近所でのテニスの真似事には参加し始めましたが、皆さんたちの高レベルなテニスにはとてもついていけそうになく、膝の再発を恐れ、しばらくは自重します。入院中は辛いながらも工夫され、良い日々の中、「元気に退院」の知らせを待っています。

⑧ トヨタ先輩・経・テニス仲間・膝痛の修理中

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